東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2015年7月10日金曜日
思い出す 忘れる
「イタい人」。老若男女問わずアチコチで見かける。中高年でいえば、妙チクリンに若作りしている人や過去の栄光をとくとくと語る人あたりがイタい人の典型だろうか。
まあ、若作りは個人の嗜好なのでどうでもいい。過去の栄光パターンのほうは、ある意味で加齢とともに誰もが陥るオッサンオバハンの方程式みたいなものだろう。
♪盗んだバイクで走り出す~♪。カラオケで尾崎を熱唱するオヤジ。自転車も乗りこなせないような優等生だったのに「オレも若い頃は結構ヤンチャでさ~」とか言っちゃうパターンだ。
なぜだか男子はワルぶりたい傾向があるみたいだ。石部金吉と評されたほど真面目一本で生きてきた私ですら、「昔はちょこっとイタズラもしたな」とウソをついてしまう。
「こう見えて昔はモテモテだった」。この手のウソもよく耳にする。まあ、良しとしよう。そこに罪はない。残り少ない人生、過去なんてどんどん美化しちゃえばいい。
若い人からすれば、オッサンオバハン連合の過去話ほどウサンくさい話はないのだろう。面白い話ならともかく、デフォルメされた自慢話ほど迷惑なものはない。
迷惑を顧みずちっぽけな過去の栄光を必死で語るのはスマートではない。野暮である。格好いいオジサマ、素敵なオバサマを目指すなら注意すべき点だ。
もちろん、勝手に思い出して悦に入っているだけなら何も問題ない。どんどん思い出して、今現在の自分の不甲斐なさを払拭するきっかけにすればいい。
高齢者介護の現場では「回想法」なる取り組みが盛んらしい。いきいき暮らしていた過去のことを思い出すことで脳が活性化し、自分の確かさを再確認する効果があるそうだ。
実際に、回想法のおかげで不安状態や徘徊が収まることも多いという。高齢者とまではいえない程度の中高年だって、過去の話に頼ってみるのもあながち悪いことではない。
思えば私自身も、割と頻繁に過去のことを思い出している。上手くいった時、失敗した時それぞれの原因やその時々の心理状態などを思い返して現時点の参考にしようと考える。
仕事のこと、遊びのこと、女性との付き合いに至るまで、過去から学ぶことはいっぱいある。
過去がいっぱいあるのが中高年の武器である。積んできた経験が今現在の効率化につながっているのだから回想法は大いにアリだろう。
思い出すことと並んで大事なのが「忘れること」である。実は今日書きたかったのは「忘れること」の大事さだ。
都合の良いことは回想して、都合の悪いことは忘れる。これが肝心だと思う。
人間の脳は優秀で、意識しなくても都合の悪いことの多くを忘れるように出来ている。この能力が弱かったら悶々として病気になっちゃうかもしれない。
私の場合、忘れる能力は割と優秀なようで、時々自分でもビックリするぐらい大事なことまで忘れている。有難い限りだ。
たいていが自分にとって都合が悪い話、すなわち忘れたいことだ。旧友に過去の悪事を指摘されても本当に忘れていることが多い。
たぶん自分でも記憶から消しちゃいたいほどアホな話なんだと思う。
具体的に聞かされても、まさか自分がそんなコトをしたとは思えず断固否定するのだが、細かいディテールを聞くうちに突然、頭の中にそのシーンが浮かび上がってきてビックリする。
旧友に久しぶりに会うたびに、ヘンテコな過去話が追加される。思い出すたびに少しヘコむ。でも一瞬は思いだしても私の脳は良く出来ていて、一度消した記憶はたとえ思い出してもさほどリアルな感じを伴わない。脳に感謝である。
忘れることが出切れば、それを気にしないで済む。当り前のようだが、これが出来たら便利である。
ちなみにいま、タバコを忘れようとしている。禁煙のようで禁煙ではない。忘れようとしているだけである。意味不明でスイマセン。
こんなことを書くこと自体が「気にしている」ことなのでイヤなのだが、今回のテーマ?は「忘れる」ことである。
タバコのことを忘れてみようという新しい取り組みである。禁煙だ!などと気合いを入れるとツラいから苦肉の策として忘れるという考え方にトライしている。だから親しい人には、その話題自体に触れないように頼んである。
頑張れとかエラいわねとか、そういう発言は全面禁止である。頑張ってなどいない。忘れているだけだ。変に人様から応援されたらアマノジャッキーであるアホな私はプカプカ吸い始めそうである。
タバコが吸いたい、タバコを我慢しよう等々、そんなことを気にした途端に苦しくなる。「忘れちゃう」ことだけに努めている。
まず手始めに食後の一服を忘れてみた。続いて酒を飲んでいる時の一服も忘れてみた。ムフフのあとのけだるい一服も忘れてみた。
正確に言えば「忘れたふり」だが、なんとか忘れ続けている。
書くこと自体が思い出すきっかけになるのでキツい。禁断症状のツラさを物凄く実感する。必然的にタバコを思い出しているわけだから非常にマズい事態である。
禁断症状は最初の3~4日が最もツラい。既に突破した。しかし、まだ今日で1週間だ。
頑張るのは無理である。私はタバコが大好きだし、百害あっても93利ぐらいはあると思っている。
だから禁煙などする気はない。「禁」という非情な文字を「煙」にくっつけるような残酷なことは出来ない。一度は愛した女を八つ裂きにするような行為である。
あくまで忘れるだけである。
こんな屁の突っ張りにもならない心構えだからあまり長くは続かないと思う。
賭けるなら、私は「思い出す」ほうに賭ける。
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