東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2015年8月14日金曜日
愉快な人
ちょっと前に結婚、離婚それぞれに関するアンケートを面白おかしく分析したバラエティー番組を見たのだが、「結婚して良かったこと」の第1位と「離婚して良かったこと」の第1位が偶然にも同じ内容だった。
それぞれ第1位は「健康になった」という回答。一応、それぞれを経験している私としても妙に納得しちゃう結論だった。
不摂生しがちな独身男が結婚によって健康になるのは分かりやすい話。でも、離婚することで健康になるというのは一般的には理解されにくい。
強がりでも見栄でもなく、実際にそういうものである。ストレスは体調にしっかり表れる。
私自身、シングル生活になってから常に血液検査の結果が好調だ。我ながら不思議である。一応、人並みの感受性はあるので、ふさぎこんだ時もあったが、そんな時でも血液検査の数値は優秀だった。
離婚に向けるエネルギーは結構ヘビーだ。後ろ向きで建設的ではないし、負のイメージが強い。精神的にヘコんだりもする。
話がまとまらずに争いが長期化すれば、ストレスが溜まって病気になって倒れちゃっても不思議ではない。
でも、話がまとまりさえすれば、考えようによっては建設的な仕切り直しだし、決して負のイメージばかりではなくなる。
結論が出れば一気に風向きが変わる。身体の数値は実に冷静にそれを感知するわけだ。人間が精神的にいかに弱い生き物かを象徴している。
思想家の内田樹さんのエッセイを読んでいたら、人間関係に耐える能力は極めて人間的な能力だが、命を縮める有害なものだというくだりがあった。
夫婦に限定した話ではない。親子や親戚関係、職場の同僚、上司などすべての人との間で「不愉快な人間関係」があればダメージを受けるという話だ。
不愉快な人間関係に耐えることを、人間的な器量の証だと錯覚し、耐えている自分を誇りに思ったり評価しちゃうと、徐々にダメージが蓄積して、俗に言うダメオヤジ的人間が出来上がると結論づけていた。
ふむふむ。もっともな分析だ。でも現実社会の中で不愉快な人と関わることを排除するのは無理だろう。
そう思いながら読み進んだのだが、ひょっとすると、そうやって「無理だ」と決めつけることが既にダメなのかもしれない。
「不愉快な人間関係に耐えない!」。宣言するのもアリだろう。中高年にもなればそれなりに可能かもしれない。試してみる価値はありそうだ。
不愉快な人との関わりを最小限にとどめることは可能だ。ぶれずに徹底することが大事だと思う。
「器量の大きい自分でありたい」。男ならついそう思いがちだ。一見、立派な姿勢だが、そんな意味不明な頑張りのせいで、人間関係に疲れて自分が壊れるのは本末転倒である。
ワガママだ、協調性が無いだとか、何かと批判もされるだろうが、時には建設的なワガママ、戦略的なワガママは必要だ。健康でいるためにはそれはそれで努力の一つかもしれない。
なんだか夢も希望も無いような書きぶりになってしまった。これでは、まるで人嫌いの変人である。
「我以外みな我が師なり」の精神でもっと様々な人と関わっていかないとダメである。人間いくつになっても勉強である。
でも不愉快な人間関係はゴメンだ・・・。
なんだか堂々めぐりだが、要するに自分にとって「愉快な人」をどんどん増やせばいいわけだ。
愉快な人ってどんな人だろう。
それが分からないから、人生何かと苦労が尽きないわけだ。
穏やかでノンビリした時間が過ごせるような、何となく気が合う人とだけ関わって生きていたいものである。
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