2016年8月10日水曜日

80年代の空気


先日、職場にスマホを忘れてしばしアタフタした。クルマで移動している時に気づいたのだが、思っていた以上に公衆電話が世の中から無くなっていることに驚いた。

駅にはあるのだろうが、クルマで動いていたらまず見当たらない。道路沿いに電話ボックスはないし、頼みのコンビニにも設置されていない。

もはやそれが当たり前なのだろうが、災害時や緊急時を想像すると何となく怖い。

携帯を持ってきてはダメという学校が多いようだが、自宅と学校が離れているような場合には、闇雲に規制するのはリスクヘッジの点でマト外れだろう。

おっと、そんな話を書く予定ではなかった。

気づかないうちに世の中は様変わりしているという話を書く。

まあ、私の成人式は30年も前だからあらゆる分野が激変しているのも当然だ。若い頃はパソコンやインターネット、携帯など存在しない時代だったから、別な世界みたいなものである。

1970年代に色気づき、80年代前半に青春時代を謳歌し、80年代後半に社会に出た。見方によってはとても面白い時代を若者感覚で吸収していた。

今の世の中の雰囲気は昔よりドンヨリしている。70年代、80年代は閉塞感みたいな気配がなかったのは確かだろう。

70年代の後半にはまだ少しだけ「重さ」があった。学生運動の余韻なのか、どこか哲学的、文学的というか、物事をずっしり受け止める空気感が漂っていた。

80年代に入ると一気に「軽薄」がすべての分野を覆い始めた。アッパラパー?な世の中だったと思う。

「うつ」が社会問題になったのはずっと後の話だし、リストラという言葉もなかった。セクハラという概念もなかった。

思いつきでくだらない正義感を振りかざすイマドキの“ネット弁慶”な人々も当然存在しなかった。

乱れていたといえば乱れていたが、狂気の沙汰みたいな極悪事件は今の時代の方が多いように感じる。単純に言えば、息苦しさをあまり感じない時代だった。

コンビニはそこら中にあるわけでなく深夜は閉めている店舗もあった。正月に開いている飲食店も珍しかったし、便利さの点では今のほうが格段に便利だが、あの時代のユルい感じは便利さとは別の面白味があった。

チンケな評論みたいになっちゃったので軌道修正。

とにかくエロ満開だったのがアノ時代だ。直接的じゃない風俗がボンボン登場した。あれはあれで世の中の活気だったのだろう。

ノーパン喫茶やのぞき部屋みたいなヘンテコな商売が人気を集め、テレビの深夜番組はそれを密着取材して男達を喜ばせた。山本晋也カントクの風俗ルポは「ほとんどビョーキですね!」という流行語につながった。

「11PM」や「ウィークエンダー」ではバンバン裸の女性が出てきた。その後に続いた「ギルガメッシュナイト」「海賊チャンネル」あたりは低俗極まりないエロを放送した。

お世話になった。

今のテレビは女性の裸は見せない。スマホを開けばおっぴろげ画像や動画が溢れているのにテレビは過剰なまでに自主規制を続けている。正しいことだがちょっと不思議だ。矛盾だらけの社会を象徴しているように思う。

家庭用ホームビデオが普及したのも80年代以降だ。レンタルビデオ屋も一気に増えた。なんだかんだ言ってエロの革命だった。

エロビデオのおかげで一人で留守番するお父さんや子供が激増した時代だ。

経済的にゆとりが出てきて、エロまっさかりの時代だったから「トルコ風呂」も大繁盛。今のソープランドである。日陰の存在だった「トルコ嬢」もぐいぐいオモテに出るようになっていた。

トルコ人が怒り出したのも当然の流れである。「トルコ」といえば誰もがエロいことを考えた。「トルコ=本番風俗」という図式が、大げさではなく全日本人に根付いちゃったわけだからトルコの人にとっては大問題である。

大使館という名のトルコ風呂のせいで、在日トルコ大使館が店名の電話帳掲載に抗議するという事件もあった。

で、80年代半ばぐらいに「ソープランド」に改称された。想像以上にスムーズに名称変更は浸透した。いま30歳ぐらいの人はあの大騒動すら知らないはずだ。

エロ以外の話も書こう。

テレビのCMはタバコとクルマがオシャレ路線の代表だった。ヒット曲はCMソングばかり。

80年代前半にCDが普及するまではレコードをカセットに録音して、オリジナルカセットを作ってドライブデートするのが若者の基本だった。

レコードの針の交換が面倒だったことを今でも思い出す。隔世の感がある。

映画といえば「淀川長治」だったし、「田村正和」はとことん「田村正和」だったし、「草刈正雄」もバリバリの「草刈正雄」だった。画像はネットで拝借しました。スイマセン。



女子大生は誰もが毛皮のコートを愛用し、いま思えばみんなオバサンみたいだった。男も女も髪型から着るものまで似たような格好で肩パッドは必須。サザンが「ミスブランニューデイ」で揶揄するのも当然だったのだろう。

若者のバイブルは女子が「JJ」、男は「Hot-Dog PRESS」や「ポパイ」。デートコースや食べるもの、着るものまで雑誌に決めつけられてそれが正しいと信じていたのだからマヌケである。

アイドルの水着画像や有名人のヌードグラビアで大人気だったのが「GORO」だ。デヴィ夫人までハダカになっていた。

個人的にはあの雑誌に連載されていた劇画「ダミーオスカー」が印象的だった。ストーリーより激しいエロシーンにぶっ飛んだ記憶がある。


あの頃、世の中を覆っていたハレンチぶりはいま思えば実にアッケラカンとしていた。メディアのノリもテキトーだった。私も含めて日本人の民度低下?に大いに貢献したはずだ。

敗戦国ニッポンが再び勤勉実直な大日本帝国に復活しないようにアメリカが巧妙に仕掛けた日本人幼稚化計画だったと言われても信じちゃうぐらい脳天気な方に扇動されていた。

実にチャラけていた。でも妙に陽気な時代だった。

何が書きたかったのかよく分からなくなってしまった。単なる懐古ネタです。

2 件のコメント:

  1. 富豪記者殿
    79年に中学に入り1年落第して大学を90年に卒業した小生にとって80年代はまるまる学生時代。その前半は薄曇り、後半はギラギラの炎天下、そんな印象があります。その頃の学生は受験競争こそ厳しかったですが特に閉塞感はなく思えばのんびりした時代でしたね。エロもテレビもそうですが、新聞や電車の吊り広告でも露出度は半端でなかったし、ちょっと大きめの街には必ずポルノ映画館もありましたから開放感があったというか大らかな時代でしたね。

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  2. 道草人生さま

    そうですね。「大らかさ」が時代のキーワードだったのかもしれませんね。

    今のように他人のアラ探し、あげあし取りに励む暇な人が少なかったことも影響しているのだと思います。

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