東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2016年8月12日金曜日
なあ拓哉
お盆だし暑いから今日はいつも以上にバカげた話を書く。
「木村拓哉に歌わせる話」である。なんのこっちゃ?と言われそうだが、私が作詞して友人が作曲したオリジナル曲をキムタクに歌ってもらおうという壮大な妄想である。
先日、旧友と飲んでいた時のことだ。その友人とは高校生の時に学園祭の1日のためだけにバンドを組んだことがある。5年前に始めたオヤジバンドの初期メンバーでもある。
高校の学園祭ではオリジナル曲も2曲披露した。私がせっせと詞を書いて友人が曲をつけた。幼いなりに大真面目に作った。
片方の曲は ♪そんなあのコがこう言った~。欲しいのはたったひとりの王子様~♪というアップテンポの曲。結構恥ずかしい歌詞である。
もう1曲はバラードだ。♪酔えない夜ってあるものね ゆうべの店 君は作り笑いで近づいた 泣けない女はどうすればいいの 泣きたい夜は♪というこれまたちょっと恥ずかしい歌詞である。
18歳の頃、協力して曲を作った二人は今や50歳を超え、体型も毛量も別人になった。でも、会えば昔のノリでアホバカ話に花を咲かす。
4~5年前にも1曲だけオリジナル曲を作ろうとして彼に詩を渡した。歌詞の内容は旅に出た不倫カップルがどうしたこうしたという話である。
その後、1年ぐらい経ってから曲が仕上がった。とはいえ、我がオヤジバンドで披露することはなく世の中で私と彼だけしか知らない幻の名曲?状態になっている。
何だか前振りが長くなったが、その「幻の名曲」をキムタクに歌わせたら、300万枚の大ヒットになって儲かっちゃうという実にハッピーなバカ話で盛り上がった。
ジャニーズ事務所との取り分をどうしようとか、カラオケ印税も凄いことになりそうだとか、勝手気ままに妄想していた。
そして、レコーディングに立ち会ったら、きっとキムタクに注文をつけられて困惑しそうだという話になった。
キムタクに言われそうな注文を勝手に想像する。
「ラップのアレンジ入れた方が良くね」。
「ここのコード、AmよりA7のほうが雰囲気出るっしょ」。
「“ゲッチュー”をどこで入れたらいいっすか?」。
キムタクなら言うかもしれない。いい歳したオッサン二人が真剣に「キムタク対策」を議論している。バカである。
くだらない話で恐縮だが、当人達はホロ酔いだから際限なく妄想を膨らませる。
そのうち、レコーディング現場でキムタクをどう呼ぶべきかという話になった。年下だし、「木村さん」だとしっくりこない。キムタクと呼ばれることも嫌うらしい。
「“拓哉”でいいんじゃないか」。おっさん二人の結論である。
「なあ拓哉、そこはアレペジオで弾いてみてよ」
「拓哉もこの曲の世界観をもっと理解してくれよ」
「拓哉が読めない漢字ってどれだっけ?」
酔っ払いのハチャメチャな会話である。
もともとは、キムタクもとっくに40歳を超えているから色気のある大人の曲を弾き語りで発表したら売れるんじゃないかという話が脱線したわけである。
ちなみに、キムタク、いや、拓哉に歌わせようと思った我々のオリジナル曲だが、作曲した友人によると「徳永英明」が歌いそうなメロディーラインを意識して作曲したそうだ。
で、その後は「徳永英明対策」を語り合う。彼に我々の曲のイメージをどう伝えるかという議論になった。
ちなみに徳永英明は我々より年上だった。
いつのまにか徳永英明を「ヒデさん」と呼びながら妄想上のレコーディング現場の話が続くのであった。
平和である。
箸にも棒にもひっかからない話でスイマセン。
あと、拓哉が富豪記者さんを呼ぶときは、さん付けだけど、なぜか友人を呼ぶときは呼び捨てとかね 笑
返信削除楽しいひと時でした♪
拓哉もいよいよソロになるようなので、また戦略会議を開かないといけませんね!
返信削除拓哉もいよいよソロになるようなので、また戦略会議を開かないといけませんね!
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