東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2016年11月4日金曜日
マウンティング社会
「マウンティング女子」という言葉があるそうだ。なるほど、言い得て妙だ。
マウンティングとは動物の世界で自分の優位性をアピールする行動である。ゴリラや猿、犬などに使う言葉だが、確かに人間世界にもそんな傾向はある。
女子に限らず、SNSの世界などは多くが「プチ・マウンティング」と呼びたくなる“リア充自慢”に溢れている。
早めに書いておきますが、今日のテーマは自分のことをタナに上げて書きます!スイマセン。
SNSに限らずブログだって見栄の張り合いみたいな情報で溢れている。私の場合はちっともリア充ではないが、見る人が見れば自慢話みたいなことを嬉々として書くこともある。
人間誰しも自分のシャバダバな話をあっけらかんと書くよりも誇らしげな話を書きたい。
このブログでは一応、自分なりに自慢タラタラに陥らないように注意しているつもりだが、人間だから業の塊だし、ついつい「オレってこんなことも知ってるんだぜ」的な書きぶりになる。
いかんいかん、私の話は棚上げすることにしたんだ。軌道修正。
SNSに飛び交うマウンティングじみた話にウンザリすることがある。さりげなく楽しげな話ならいいのだが、わざとらしいキラキラ話を見かけると、その必死な感じが痛々しくてツラい気持ち?になる。
ネットの世界は悪く言えば便所の落書きと言われるぐらいだから、いちいち気にすることもない。それよりも実社会に漂うマウンティングの風潮はなかなか厄介みたいだ。
タワーマンションの上層階の住人が低層階の住人を差別する話など単なる都市伝説だと思っていたのだが、あながちウソではないそうだ。「マウンティング主婦」が結構いるらしい。ああ恐ろしい。
仮に私がタワーマンションの高層階の部屋を相続か何かで手に入れたとしたら、速攻で売って低層の違う物件を買う。
低い方が地に足が付いている感じだし、それ以前に地震を考えたら恐くて仕方がない。あくまで個人的な意見です。高いところが好きな人にはゴメンナサイ。
別に高層階に住む人を悪く言うつもりはない。あくまで一部に存在するアホなマウンティング系?の人達が気持ち悪いだけである。
聞くところによると、その手のマウンティング主婦たちは、旦那の仕事内容、年収、学歴、はたまた子どもを通わせている私立のレベルなどあらゆる分野でマウンティング合戦を繰り広げるらしい。
バブルの頃のアホバカ女がやっていた「名刺じゃんけん」という愚行を思い出す。上っツラだけがすべてのスカスカな話である。
端的に言って視野の狭い価値観だ。年収や学歴は軽視できないが、どっちが上でどっちが下だろうとそれが人生のすべてみたいな話ではないだろう。
それぞれの家庭にそれぞれのカラーがある。こと細かい部分でヨソと比べて必死に優劣を競う発想は凄く貧しい。脳ミソがチープだ。結局はヨソの人のアラ探しになってしまう。
もちろん、世の中は綺麗事ばかりではない。年収や学歴がモノを言う部分は小さくない。それはそれで現実だ。誰だって下より上の方に憧れる。
子どもを通わせる学校にしたって、特定の人々にとっては人生の一大事みたいな騒ぎである。それこそ「お受験」の現場にも「勝った負けた」とかヒエラルキーのような感覚は厳然と存在する。
それ自体が社会の仕組みだし、ヨーロッパのような階級社会ほどではないものの、一種の「クラス分け」のような線引きは当然のものとして存在する。
だからといって、そういう断片的なディテールをいちいち前面に押し出してわざわざアピールする行為は愚かだろう。それこそ野暮の極みだ。
よくよく考えれば、女子だけでなく男も子供も爺さんも婆さんも少なからずマウンティングしちゃうことはある。
人間、どうしたって少しでも他より優位に立ちたいのが本音だ。問題はそういう敵愾心みたいな空気をギラギラ出すか出さないかである。スマートな人物かどうか、イキかヤボかの分かれ目がこの部分だ。
男の場合、社会に出る時点で「就職先の会社名」というマウンティングが始まる。若いからそんなことでしか主張することがない。
その後、20年、30年が過ぎ血気盛んだった若者も中年になってくる。かつての一流企業が消滅したり、子会社への出向や転籍、早期退職などで大きく様相が変わり始める。
面白いもので、そのぐらいの年齢になると一種の達観にも似た感情が強くなるから、同窓会的な集まりでも若い頃のようなマウンティングの気配は薄らいでくる。
「所属先」より個々の生き方が話の中心であり関心事になる。中にはいつまでも若い頃のままのマウンティングを引きずる退屈なヤツもいるが、普通の人間は適度に収まってくる。
そういう意味では、いま一生懸命マウンティングに励んでいる20代や30代の人達も歳を重ねればマウンティングのカッチョ悪さに気付くのだろう。
ちなみに、歳を重ねるとマウンティングの気配が薄らぐと書いたが、ある部分ではそうとも言えない。中高年になると「病気自慢」という新しいマウンティング?が始まる。
若い頃は胃カメラを飲んだくらいで優位に立てたが、今となっては肝臓の数値が4ケタだとか心臓手術を受けたとか、ヘビーな経験するヤツがゴロゴロ出てくる。
ああいう自慢話?は人生後半戦ならではのマウンティングに他ならない。私もハードな病気自慢ネタを得意になって語りたいような気もするが、やっぱりそっち方面ではあまり優位に立ちたくない・・・。
いつも拝見しております。
返信削除小さな見栄など意味がないとよくかわりました。
20代男
20代男サマ
返信削除コメント有り難うございます!
必要な見栄やツッパリもあると思いますが、行き過ぎるとイタいですよね。
お若いんですから女性相手などの場面では見栄張ったり、イキがったりしてください!