東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2017年11月6日月曜日
ゆず・スダチ問題
ここ数年、私を困らせるのが「ゆず・スダチ問題」である。
何でもかんでも「ゆず・スダチ・ダイダイ。カボス」を使いたがる風潮が好きになれない。ただの個人的嗜好に基づく文句だが、今日はブツクサ書いてみようと思う。
ゆずの皮を細かく刻んでトッピングしたり、スダチを軽く絞って味にアクセントをつけるのは和食の世界の定番だが、「やり過ぎだろ~!」と感じることが増えた。
アクセントどころか、そもそもの料理が台無しになっちゃっているケースもある。
白身やイカの握りにジャバジャバとスダチを搾るお寿司屋さんがある。味には好みがあると言っても、ジャバジャバぶちまけたらイカの甘味も白身の旨味も消えてしまう。
誰が考えても分かる話だが、スダチこそオシャレみたいな変な思い込みのせいか、食べる方もニコニコしながらケッタイな“味変”を喜んでいる。
私の場合、ワガママが言える店では、ゆず、スダチなどのソッチ系はすべてパスさせてもらう。偏屈と言われようとも個人的にはそのほうが美味しさをちゃんと感じられる。
イカの塩辛に柑橘類の皮が入っていてイラつくこともある。ちっとも合わない。どっちが主役だか分からないぐらいゆずがアピールしているとムカつく。
食感も風味も塩辛とは相容れない。彩りのためだけにトッピングされる。イカの塩辛に見た目の美しさを求める必要はないと思う。
ウナギの白焼きの横にスダチがセットされていたり、松茸土瓶蒸しにスダチが付いてくるのも当たり前の光景だが、個人的には味が壊れちゃう気がする。まるで不要だ。
ラーメンのスープにまでゆずの皮が投入されていることがある。あれって何のつもりだろう。好きな人には申し訳ないが、あのカケラのせいで口の中の幸せが破壊される。
つけ麺のつけ汁に潜んでいることもある。上にちょこんと乗っかっているだけなら排除可能だが、ドブ汁みたいな中に隠れていたから除けようがない。私にとっては迷惑でしかない。
蕎麦に少しだけ入っているのは理解できるし、小量なら風味の点で納得だ。ラーメン屋さんも蕎麦の真似をしたのだろうが、ハズレだと思う。
お吸い物に入っているのは歓迎だが、店によっては入れ過ぎちゃって皮のエグみまで感じる。そうなると全体の味を台無しにしちゃう。
グルメだなんだと気取るつもりはないが、最近の「ゆず・スダチ問題」は、隠し味というか、ちょっとした風味付けであるはずの存在を前面に出し過ぎてしまうことが困った点である。
昔はゆずやスダチといった柑橘系を今ほど料理に多用することはなかったはずだ。いつから変わったのだろう。
ゆずサワーやスダチサワーなんかを居酒屋で注文するぐらいだから、私としてはヤツらを根本的に嫌っているわけではない。
あくまで隠し味や脇役であるはずの立場をわきまえない振る舞いに違和感を覚えるわけだ。あわよくば料理における主役の座を奪おうかのような“身の程知らずぶり”が鼻につく。
これから本番を迎えるアンキモや白子ポン酢なんかにもチョビっと柑橘類の皮が添えられていることがある。無視すればいいのに心の小さい私は気になってしまう。
ソッチ系が好きな人には申し訳ない話をつらつらと書いてしまった。
あまりシミったれた話を書き殴っていると寅さんに怒られそうだからこのへんにしておく。
意味不明でスイマセン。
柑橘系は清涼感がありますから、心地よく感じますね。
返信削除ほんのりとした柚子の香りは料理を引き立てますが、料理の下手、素材の悪さのごまかしの技にも使えるかと。
ポテ珍3号さま
返信削除爽やかで心地よい程度だったらかんげいですが、何だかアレに頼ってるような風潮がちょっとイヤです。