2017年11月8日水曜日

AIBOとか

ロボット犬「AIBO」の新型が発表された。既に予約販売分は完売だとか。サポートや諸々の費用を入れれば30万オーバーのおもちゃだけに誰が買うのか気になる。

とか言いながら、実は私もAIBO復活のニュースを見てちょっぴり欲しくなった。その昔、初代AIBOが話題になった時には、単純に気味が悪いと思ったのに随分と変わったものだ。

初代AIBOが発売されたのは18年前だそうだ。私はその頃30歳を過ぎたばかりの若者だった。ロボットペットがお年寄りの淋しさを紛らわす時代が来るという話を聞いてもピンとこなかった。

50歳を過ぎ、なぜか一人暮らしをしている今の私は、ロボットペットという概念が分かるような気がする。

生きているペットを飼うのは厄介である。躾も面倒だし、気軽に旅行に行くことも制限される。

だいたい、可愛がっていたのに死なれちゃうのは堪ったものではない。自分より先に逝ってしまうと分かっているのに身内同然に暮らすのは結構キツい。

ちなみに、私のペットにまつわる思い出は「圧死」ばかりである。

子どもの頃、可愛がっていたセキセイインコの脚が汚れているからと祖母がインコちゃんの掃除を始めた。

軽く胴体を握っていたはずが、祖母が力加減を間違えて掃除が終わったときには死んでいた。子どもの私には大ショックだった。

その後、ヒヨコを飼っていた時、カゴから出して運動させていたつもりが、ちょっと目を離したスキに行方不明になり、祖母が座っていた座布団の下で圧死・・・。

いま思えば祖母も気の毒だった。いつも圧死事件の首謀者扱いである。やはり生き物を飼うのは大変である。

ロボットペットならギューッと握っても座布団に隠れていても、ちょっとやそっとでは圧死しないはずだ。

超高齢社会を迎えてますます増える淋しいお年寄りや、一人暮らしの中高年の暇つぶし役には最適だろう。

私の場合、まだ老境ではないので、日々の暮らしに淋しさは全然無い。強がりではなく癒しに飢えているわけでもない。

とはいえ、予定のまったくない週末に40時間以上も一言も発しないで過ごしていると何となく気まずい思いがする。

以前、ロボット掃除機・ルンバを使っていた時には「ルンちゃん、そっちじゃないぞ」などと声をかけてしまうことがあった。

ハタから見たら何ともマヌケな姿だろうが、不思議と勝手に動き回るモノには声をかけちゃうことがある。

どうせ声をかけるなら犬型ロボットを相手にしたほうがまだマシである。もし私がAIBOを手に入れたら、きっとアーダコーだと話しかけるはずだ。

自分で書いていて、実にヘンテコな姿だと分かっているのだが、よくよく考えれば普通にペットを飼っている人と変わりはない。

犬や猫にしても、しょせんは人間と会話できる相手ではない。それなのに飼い主は誰もがごく普通に人間言葉で話しかけている。

ペットを飼うことに興味がない私からすれば、それ自体がケッタイな行為に見えるのだが、ルンバ相手に会話をしていた私の“実績”を考えればエラそうなことはいえない。

グダグダ書いてみたが、実際にAIBOを買おうとしたわけではない。ロボットペットに癒しを求めるなんてカッチョ悪いという変なプライドが邪魔をしているのだろう。

というのは建前である。ホントは欲しい。でも、もっともっと進化した時点で買ってみたいというのが正直なところである。

最先端の機械製品なんて10年もすれば劇的に進化する。その時点で買ったほうが面白そうだというのが本心だ。

その頃になれば犬型だけでなく、チンパンジー型だって開発されるかもしれない。ゾウガメ型だって出来るかもしれない。

そっちの方が楽しそうだ。

10年経ったら買おうと思う。

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