東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2017年12月27日水曜日
頭の悪さ
人生後半戦における大きな課題は「固定観念との戦い」だろう。
中年にもなればそれまでの経験を糧に、わずらわしい世の中を何とか渡っていけるようになる。
経験がもたらしてくれるのは余裕や自信などだが、その一方で経験に縛られちゃって頭が固くなるのが困りものである。
「こうあるべき」「こうじゃないとダメ」みたいな思い込みや先入観が無意識のうちに強まってくる。
仕事への取組み方や人付き合い、趣味のこなし方に至るまで思い込みの弊害は結構メンドーなものである。
一歩間違えたら偏屈ジジイになってしまう。気をつけないと人生が退屈になりそうだ。
かくいう私も、あらゆる分野で思い込みや固定観念に影響されている。天ぷらを「お塩でどうぞ」と言われても天つゆを使うし、靴を履くときはナゼか左足からと決めている。
変な例えになってしまった。
クルマを運転していても、近道があるのに好きな道ばかり通る。仕事で原稿を書く際も締切ギリギリになったほうが良い仕上がりになるというヘンテコな因習に縛られている。
カップ麺にお湯を入れる時も表記されている待ち時間の半分以内で食べ始める。そのほうがウマいと信じている。アルデンテ万歳である。
このスーツにはこのネクタイ、このネクタイにはこのワイシャツといった自分の中での「決まり」に疑問を感じることもない。
お洒落な人が上手に組み合わせて着回しているのを見ると、自分のセンスの無さを痛感する。いや、センスというより頭の固さが問題なんだろう。
お寿司屋さんに行っても、「最初はツマミをあれこれ食べて最後に握りを食べる」という固定観念に支配されているので、結局、握りまでたどりつけないことが多い。
つい最近になってツマミの合間に握りを食べるように努力するようになった。その程度のことですら私にとっては革命的な変化だ。
柔軟性が無いってことは、ようするに頭が悪いのと同じ意味かもしれない。残念だ。
女性と一戦交えるときは、常に臨機応変に斬新なワザや道具を駆使?できるのに、なぜ他の場面ではダメなんだろう。
ついでに言えば女性の好みに関しては、昔のようなこだわりは無くなった。細め、太め、猫顔、犬顔、何でもOKである。こればっかりは自分の固定観念や思い込みを打ち破ることに成功しているつもりだ。
単なる女好きなどと言わないでもらいたい。。。
軌道修正。
「男はこうあるべき」「家庭はこうあるべき」みたいな根拠の無い思い込みが強いせいで、結局いまの私はしがない独り者である。
なんだかなあ~と溜め息が出る。まあ、こんなことで溜め息をついちゃうこと自体が固定観念に縛られている。反省。
「再婚しないのか」「誰かと暮らす予定はないのか」と頻繁に聞かれるのもウザったい。
中高年のシングル生活を「普通ではない」と決めつけるような世間様の固定観念も何とかして欲しいものだ。
なんだかボヤキと愚痴ばかりになってしまった。
まあ、いまさら大転換するのも難しい。目玉焼きは絶対にソースで味わい、冬でも冷やし中華を愛し、お燗酒は熱々にして、ご飯を炊くときの水分量は目盛りの75%を厳守する生活スタイルは変えられない。
なんだか話がトンチンカンになってしまった。
年の瀬はなんとなく自省の心というか、1年の反省点ばかりが頭に浮かぶ。そんなことを殊勝に考える機会は今ぐらいだ。思えば懺悔したくなることばかりの1年だった。
新しい年は固定観念に縛られないよう、柔軟に、かつ真面目に過ごしたいと決意している。
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