東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2018年2月16日金曜日
変態街道
「自分が変態じゃないかって心配になるんです」。こんセリフを耳にした。若い女性の発言だが、なんのことはない。単にしょっちゅうエロいことを妄想するというだけの話である。
汚いオッサンに襲われるぐらいの妄想だとか。しゃらくさい。その程度の妄想で変態だったら、世の中の男は間違いなく全員が変態大魔王である。
以前、このブログで紹介したことのあるイラストである。だまし絵というジャンルになるのだろうか。男の頭の中はエロいことばかり考えているという意味である。
さてさて、変態の定義は難しい。ある人にとっては普通のことが別な人からみれば異常に思える。趣味嗜好の世界だからマトモか否かの線引きは難しい。
男同士でセックスに励む、いわゆる男色にしても、今でこそ変態扱いの代表みたいなイメージだが、江戸時代までは割と普通の習慣だった。
「西郷どん」だってそういう話はあるし、戦国武将の間では一種の嗜みだったらしい。明治初期に、わざわざ男色を禁止する条例が出たぐらいだから、ポピュラーだったことは確かだ。
いま私が男にヤラれそうになったら「やめろ変態野郎!」と叫ぶだろうが、時代によっては、そんなセリフ自体が成り立たないわけだ。
要するに、それをする人間が多いか少ないかで変態の定義は変わってくる。
街を歩いている人すべてが全裸だったら、スーツを着ている私は立派な変態である。
スカトロや獣姦みたいなエゲつない系だって、それが多数派になれば誰もそれを変態とは呼ばないわけだ。
それはそれでチョット恐い。
一般的にノーマルなこと以外はすべて変態扱いされがちだが、ノーマルということ自体がよく分からないのも確かだ。
突き詰めれば、処女と童貞が初めて結ばれる時ぐらいじゃないとノーマルな姿とはいえないかもしれない。
無我夢中、猪突猛進ぐらいしかノーマルとは言えないだろうから、ちょっとでもエロい邪念で余計なことをしたらその時点でアブノーマル、すなわち変態の世界に突入である。
場数を踏んだら誰でも変態。そういうことだと思う。
ちなみに「正常位」という言葉もビミョーだ。ずいぶん乱暴な言い方である。他の体位は異常という意味である。四十八手を考えたら四十七が異常である。討ち入りしたくなるほど義憤に駆られる。
変態の定義を考えたところで結論は出ないが、結局はスケベ度合いの強い人を単に変態と呼んでしまうのが今の風潮である。
だから私も変態である。
これを読んでいる皆さんも変態だ。きっと。
さて、年相応に変態人生を歩んできた私としては、世の女性が隠し持っている変態性を垣間見るのが好きである。
記者としての技量を駆使して?いろいろな話を取材してきた。
縛られるのに興味がある、目隠しプレイに興奮する、コスプレが欠かせない等々、女性陣の中にもそれなりに「変なこと」に関心を持つ人は多い。
もっとビックリするような性癖を聞き出すことも結構あるのだが、話が脱線するので省略。
いずれにしても、そうした嗜好の芽が育つのは時代が平和であることの証だ。殺伐とした時代にソッチ方面がバラエティー豊かに花開くことはない。
平和の証である変態文化の成熟は喜ばしいことだが、世の中は窮屈な価値観を是とするから、そうした素敵な嗜好を高らかに宣言する人はいない。
もともと、暗黙の社会秩序のせいで、女性は自らのスケベ要素をあからさまに語ることはない。奥手のフリをしたり、フシダラではないように振舞うのが基本姿勢だろう。
そんな殻を破らせて本音を聞き出すのは楽しい。あわよくば実践に持ち込みたいという下心もあるが、それは隠して取材に励んでいる。
いわば「性歴詐称」を暴くジャーナリスト活動である。
まあ、それ自体が私の変態性の証かもしれない。
富豪記者ならぬ変態記者である。
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