東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2018年5月21日月曜日
さらばヒデキ
週末のテレビはヒデキ追悼企画で盛りだくさんだった。西城秀樹といえば中高年世代にとって「スター」そのものという存在だった。
ヘソ毛周辺、いや下半身の体毛ボワボワ状態が“ギャランドゥ”と呼ばれるようになったのもヒデキの功績だ。
男まで全身をツルンツルンにする今の時代から見れば、芸能人水泳大会におけるヒデキのワイルドな勇姿は、昭和という時代の象徴だった。
女子からみればセクシーな存在だったようだが、当時の男の子達もヒデキから「男とは」を学んだような気がする。
郷ひろみ、野口五郎と三人セットで語られる場面が多かったが、個人的にはヒデキの存在感が突出していたように思う。
少なくとも、そのカッコ良さに男の子が憧れるという意味では他の二人を圧倒していた気がする。
ちなみに、ギャランドゥをそっちを指す隠語のように使い始めたのはユーミンが最初らしい。ワイドショーで知った。それはそれでビックリだ。
さて、ヒデキの溢れ出るようなパワーはテレビ画面の中でもずば抜けていた。絶唱系といわれた激しい歌唱法も独特だった。
歌唱力ウンヌンで語られることは少なかったが、物凄く歌が上手だった。まさにプロの歌だ。沢田研二も相当だったが、ヒデキの歌唱力もピカイチだった。
「傷だらけのローラ」や「ブーメランストリート」なんてヒデキ以外にはサマにならない。郷ひろみや野口五郎が歌ったところで、あの世界観は出せない。
オフコースの名曲「眠れぬ夜」をカバーしていたのも印象的だ。小田和正の世界である。あの声で歌われている歌をカバーしようという意欲が凄い。しっかりヒデキ節で消化しちゃうところがさすがだった。
私が初めて至近距離で目撃した芸能人がヒデキである。小学校高学年の頃、何かのコネで日本テレビ歌謡祭という番組収録を見学に行った。
裏口の通路みたいなところで白い衣装を着たヒデキが立っていた。桜田淳子目当てでキョロキョロしていた私の目に飛び込んできたヒデキは異様なまでのスターオーラをまとっていた。
「顔が小っちぇ~」。それが私の印象だった。あのカッチョ良さは別な宇宙の生き物のように見えた。生ヒデキを目撃しちゃったせいで、その後のヒデキの活躍から目が離せなかった。
今も私はカラオケで「ブルースカイブルー」を歌う。「ブーツを脱いで朝食を」も歌う。数年前にギターを衝動的に始めた時も「薔薇の鎖」を練習用にジャカジャカ弾いていた。
「ブーツを脱いで朝食を」に関しては、私がボーカルのオヤジバンドのライブで過去に2回も披露した。
ある時はライブのオープニング曲に選んだ。とはいえ、私の歌唱力では迫力あるヒデキ節には遠く及ばなかった。人様の前で歌ってみて改めてヒデキの凄さを痛感した。
彼の一番のヒット曲「ヤングマン」をバンドの演目にするかどうかでモメたこともある。歌詞の内容が中年男が歌う感じではないという理由で私が拒否したのが原因だ。
ヒデキは不自由な身体で倒れるまでヤングマンを歌っていた。そう考えると自分の狭量な感じが情けない。ヒデキへのリスペクトが足りなかったわけだ。ちょっと反省。
バンドメンバーの友人もヒデキロスが激しいようで、彼が日々更新しているブログでどのように追悼しようか悩んでいた。彼のブログはラーメンブログである。ヒデキとどのように結びつけるのだろう。。。
最近は相次いで星野仙一、衣笠祥雄といった私が野球少年だった頃のスターが逝ってしまった。今度はヒデキだ。さすがに63歳は若い。素直にショックである。
カラオケでヒデキの歌を熱唱して追悼したい。
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