東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2018年11月14日水曜日
同窓のよしみ
わが母校は千代田区にある暁星学園。フランス人が設立したカトリック系の男子校だ。私は幼稚園から高校までずっと通った。
なのにフランス語は話せないし、キリスト教にもまるで縁がない。クリスマスとか嫌いだし。。。
あまり規模の大きくない学校だから同窓生に出会うと独特な親近感を覚えるのが卒業生に共通する感覚だ。
実際に、在学中に関わりが無かったような年齢の離れた同窓生と、大人になってから付き合いが始まるパターンも珍しくない。
今月下旬にも後輩が経営する某老舗料理店に10コ下ぐらいの後輩から我々の代ぐらいまで数十名規模で集まって宴会がある。よく分からないのだが私も参加するつもりだ。
先日、わが母校の中高年同窓生の星?である俳優の香川照之を囲む会合に顔を出した。歌舞伎関連の応援組織の集まりだ。
もともと発起人的に動いたのが、私の同級生連中だったのだが、ひょんなことから私も少し絡むことがあったので、この日は参加させてもらった。
市川中車を名乗って歌舞伎に進出してから6年。息子の市川團子もすっかり大きくなって有望株として期待されている。
息子に身長を抜かれたことを嬉しそうに語るカマキリ先生だが、久しぶりに見た顔にはやはり疲労の色が濃い。
中高年が頑張れば若い人よりは疲れる。当たり前だが、彼はその見本である。
我々凡人は疲れるまで奮戦しないオッサン的ゴマカシ術ばかりが上手くなるが、彼の場合は何事も一生懸命だ。そりゃあ疲れるはずだ。
おまけにサービス精神の塊みたいなところがあるから、その日の会合でも歌舞伎ファンの皆さんに熱心かつ至極丁寧に接していた。あの謙虚な姿勢にはいつも感心させられる。
さて、今日は彼の話ではなく、その会合で感じた「同窓のよしみ」の有り難さである。
この日は食事会みたいな感じで、分かりやすくいえば、結婚披露宴で丸テーブルに案内されるようなスタイル。
我々同級生の面々は、母校の先輩後輩とともに陣取った。先輩も後輩も旧知の人々だったので、アッという間に歌舞伎とは無縁の話ばかりで盛り上がった。
同窓の空気の中に入るとどうしてもその当時の感覚というか”キャラ”が頭をもたげてしまって、ムダ口を叩いてしまうのが私の悪いクセだ。
有名老舗和菓子店を営む先輩相手にはヤンチャな後輩キャラになって、その先輩のウザかった点を強調する。大手出版社社長を務める後輩には、ワイ談爆弾を投下するだけでなく、飛行機の中でどうやってニコチンを吸収するかを先輩ヅラで指導。
教育関連会社の社長を務める同級生には、ヤツの昔のエロ武勇伝を周りの人々に吹聴する。やはり同級生のスーパードクターには、中高年不倫の危なさを知ったような顔をして切々と説く。
やはり同級生である某文京区長は夫婦で参加していたのだが、ヤツの昔からの策士ぶりを奥さん相手に大げさに語る。
控えめに書いたが、酒も入っていたし顔なじみが多かったからついつい過剰にムダ口を叩いてしまった。
「思い起こせば恥ずかしきことの数々」。寅さんの口癖だが、まさにそんな感じである。同窓という空気の中に入ると、一瞬にして気持ちがゆるんでしまう。
おそらく甘えに似た感覚なんだと思う。幼い頃から多感な頃まで、鳥カゴみたいな狭い世界で保護されて生きてきたから、その郷愁につられて無垢な頃の気分が甦ってしまう。
いっぱしの中高年になって無邪気な少年みたいなことを言うのも情けないが、私にとって同窓の空気はそういう有難さがある。
実家に対する安心感みたいなものだろう。一貫校という、いわば揉まれない環境ゆえのヌルさでもあるが、人生も後半戦に入った今ぐらいの歳になると、そんな安心感があることは有難い。
ちなみに、わが母校は設立の経緯のせいで、小学校の頃から行事の際にはフランス国歌を歌わされる謎の伝統がある。
勇ましい革命の歌なのだが、意味も知らずに叩き込まれて、しょっちゅう歌わされた。卒業後も同窓生が大勢集まるとフランス国歌を歌い出すイヤミったらしい?習慣がある。
私はどちらかといえば、右寄りだしフランスにちっとも愛着心はない。それでもそんな場面になるとガンガン歌ってしまう。いつも違和感を覚えながらもしっかり歌う。ヘンテコである。
同窓生にとっては、校歌とは違う一種の応援歌とか寮歌みたいな位置付けに近いのだが、ヨソの国の国歌である。よく考えればやっぱりヘンテコだ。
もう数十年にわたってそう思っているのだが、結局、合唱が始まると得意になって歌ってしまう。
きっと死ぬまで変わらない習慣なんだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿