東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2018年11月16日金曜日
日米野球とハマショー
野球少年だった子どもの頃、「大リーグ」といえばとてつもなく強い印象があった。まだメジャーリーグという呼び名が定着していない昔の頃だ。
今では日本人選手の体格も進化して昔ほど格差は無くなったが、昭和の人間である私にとって「大リーグ」は特別だ。畏敬の念は消えない。
数年に一度の日米野球の際はちゃんとチケットを買って球場に足を運ぶ。普段のプロ野球の試合と違って、メジャー側の攻撃の際は鳴り物ガンガンのやかましい応援がない。これが嬉しい。
打球音、剛速球を受けるミットの音など球場の音が生で聞こえてくる。テレビとは違う臨場感が味わえる。
レベルがどうだとか、スーパースターが来ていないとか、今回のメジャー軍団はあまり評価されていない。でも、しょせん「日本に来てもらっている」のが現実である。
お願いする側とお願いされる側である。全然違う。日本の選抜チームがアメリカに招待されることはない。もし呼ばれたとしても毎試合、球場を満員にするほど観客を集められるかも怪しい。
そう考えると「大リーグ」の威光は別格だ。今回もワクワクしながら観戦していたが、前半、中盤とモッサリした試合展開だったので、途中で帰ってしまい、その日のハイライトシーンは全然見られなかった。
短気は損気である。
もう一つ、昔から追いかけているものの話を書く。ハマショー先生である。中学生の頃から聴き始め、今も私の中では心の師匠である。
先日、ファンクラブ会員限定ライブに行ってきた。ちゃんとウルウルしてきた。
わがオジサマバンドはあさっての日曜日に年に1度のライブをやるのだが、その直前の最終練習の日にハマショーライブが重なってしまった。
バンド練習を頑張ってこなし、本番に向けた決起飲み会を泣く泣くあきらめ、東京国際フォーラムへ。
今回のハマショー師匠のステージは、70年代に発売したアルバムの楽曲だけを披露するコンセプトだ。
私が聴き始めて熱中したのがまさに70年代である。中学から高校に上がるぐらいの多感の頃だった。
何が嬉しかったかといえば、二部構成の一部のほうはハマショー師匠がアコースティックギターで弾き語りに専念したことである。
「あの頃の僕」「君に会うまでは」「路地裏の少年」「19のままさ」「君の微笑」などなど。知らない人にはまったく分からない話でスイマセン。
知っている人にとっては涙チョチョ切れである。おまけに師匠のライブにしては珍しく最初から座ったままだから、客も座ったままでじっくり聴き込めた。
この歳になると、立ったまま「ウォ~ウォ~」と叫び続けるライブは疲れちゃうから大助かりだった。
普段のライブならオープニングからドッカンドッカンなのだが、今回はコンセプトのせいで中高年にはラクチンなスタイルだった。
近頃の師匠のライブは入場時に座席が指定される仕組み。座席の良し悪しは運まかせである。
その昔、私のようなフラチな客がネットオークションでチケットを高値で買ったりしたせいで厳しくなってしまった。私のせいである。
昔の悪行のバチがあたったのか、今回は2階席のほぼ最後列。最悪の場所をあてがわれてしまった。
まあ、それでも師匠の弾き語りは非常に素晴らしく、音響も良かったので、ずっと座れていたことと合わせれば満足する時間だった。
で、第2部のバンド編成でのドッカンドッカンをあの席で立ち上がって堪能するのは厳しいと思い、途中休憩の段階で帰ってしまった。実に外道であり、だらしない話である。
チケットの抽選に外れた人も大勢いるわけだから最後まで聴くのがファンとしての仁義であり礼儀である。ファンの人、ゴメンなさい。
一応、疲れていたのも理由だ。ハマショー師匠を参拝しに行く前に、私自身のバンド練習が4時間ぶっ続けだったから、耳もノドもバテバテだった。
オジサマだから無理は禁物である。
その分、あさっての自分のライブでは弾けようと思う。
なんだか、ハマショー師匠の話題に絡めて、自分のライブがどうしたこうしたとか書いちゃっている自分がミュージシャンみたいで滑稽である。
0 件のコメント:
コメントを投稿