東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2018年12月12日水曜日
偏屈 神経質
中高年になると偏屈になる。これって避けられないものだろうか。ひねくれ根性が強くなって独善的に陥る。
私も確実に10年前より偏屈になってきた。みっともないったらありゃしない。
仕事のせいもあって、若い頃も世の中を斜めから見たがる習性はあった。でも根っ子の部分は素直ないいコ?だった。
それが今ではナナメどころかグルグル回ってこんがらがっている。
偏屈の原因にはいろいろある。くだらないマウンティング意識みたいな影響も多分にあるのだろう。「オレは違うんだぜ」って言いたいような感覚だ。
自分が優位でないと落ち着かない、見下されたら耐えられない、そんな意識のせいでヘンテコな言動に走ってしまう。バカ丸出しである。
ついやってしまうのが、人との会話を否定形で受けてしまうことだ。「でも」、「いや」「だって」から受け答えしてしまう。私も気づけばそんなやり取りをしちゃうことがある。反省。
私自身、一番嫌いなタイプがこういう受け答えをする人だ。大人ぶっている女性にもこういうお粗末ちゃんが多い。たいていがブス、いや、人相まで悪い。
「素直になりたい」「素直になれなくて」等々、そんなタイトルの歌があるように、「素直」はなかなか厄介な課題ではある。
「素直すぎるんだよアイツ」と言われれば、単にバカと言われているのと同じだ。だから、素直バリバリなのもカッチョ悪い。
かといって素直さをことさら避けていれば、そこに待っているのは偏屈地獄である。勝手に偏屈になっている分には構わないが、周りもみな共感していると思い込むところが偏屈の恐いところだ。
私も時々、自分の小さなこだわりや持論を得意になって語ってしまうのだが、他人様が同調してくれないことが意外に多くてアセる。
いかに独りよがりになっているかを痛感する。まあ、それに気付けているうちはギリギリセーフだろう。ちっとも気付いていないスットコドッコイな中高年は滑稽でもある。
いつもお寿司屋さんに行っても、いまハヤリの「おまかせ」に抵抗があって、さも自分がこだわり男かのように過ごす。
時々、おまかせで食べている人のウマそうなものを横目で睨んでヨダレを垂らす。バカである。
旅行に行くにしても、お仕着せ感が苦手だからパックツアー的なものは避けてしまう。
フリータイムだけのパックツアーなら何も問題ないのに、ついついバラで手配して無駄なコストをかける。
旅館に泊まっても、なぜか別注料理を頼んで、結局食べきれずに残す。「オレってちょっと人とは違うんだぜ」的な顔をしたがること自体が恥ずかしいことである。
偏屈ついで?に最近は変なところが神経質になってきた。これも困った問題である。
週に一度、わが家に家政婦さんが来てくれるのだが、前の日になるとやたらと整理整頓に励んでしまう。本末転倒だろう。
トイレはもちろん、排水口なんかも綺麗にして、すべてをキチンとした状態にしておかないと自分の気が済まなくなってきた。
神経質も一種の偏屈かもしれない。
こちらは神経質な証拠写真である。キムチあえの鶏肉と鶏レバの炙りである。キムチと鶏肉、レバとネギを残りの分量に合わせて整理整頓した状態だ。
キムチあえだから最後の一口が鶏肉だけだったり、キムチだけになるのは許せない。そんな妙な思いのせいで、なんとなく両者のバランスを取ってしまう。
刻みネギも同じ。炙りレバに欠かせないヤツだから綺麗に食べきりたいと思って、後半になると無意識のうちに拾い集めて配分してしまう。
こんな作業を必死にやっている。ただのバカだと思う。いずれにせよ、偏屈オヤジは世の中にとって害悪でしかない。気をつけようと思う。
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