東京出身。富豪になりたい中年男。幼稚園から高校まで私立一貫校に通い、大学卒業後、財務系マスコミ事業に従事。霞ヶ関担当記者、編集局長等を経て現在は副社長。適度に偏屈。スタイリッシュより地味で上質を求め、流行より伝統に心が動く。アマノジャクこそ美徳が信条。趣味は酒器集め、水中写真撮影、ひとり旅、葉巻、オヤジバンドではボーカル担当。ブログ更新は祭日以外の月曜、水曜、金曜。 ★★★スマホでご覧頂いている場合には画面下の「ウェブバージョンを表示」をクリックしてウェブ画面に飛ぶと下側右にカテゴリー別の過去掲載記事が表示されますので、そちらもご利用ください。
2019年2月6日水曜日
六本木の夜
その昔、六本木でよく遊んだ。10代の終わり頃からノコノコ出かけて、20代の10年間は主戦場だった。
それ以前からアレコレと思い出はある。小学生の頃、祖父に時々連れていってもらったステーキハウスは六本木だったし、同じ頃に初めてバニーガールに遭遇したのも六本木のプレイボーイクラブだった。
中学の頃、悪友の家が六本木にあった関係でヤツの家に泊まりに行きがてら夜遊びを覚えた。
心配した母親に深夜の六本木交差点で待ち伏せされて拿捕されたこともある。
初めてディスコに行ったのも六本木だ。名高いスクエアビルである。中学3年の頃、高1のオネエサマに連れていってもらった。なんとも可愛らしい話だ。
大学生の頃は知り合いに夜ごとクラブ活動に引っ張り出された。ハタチの誕生日も六本木のクラブで生バンドで盛大に祝われた。バブル前夜ならではの脳天気な時代だった。
その後は調子に乗って遊んでいた。裸足で逃げ出したり、やたらとハラハラするような思い出もある。
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/02/blog-post_26.html
今ではすっかりご無沙汰になった。なぜだか足が向かない。きっとさまざまな経験を“思い出カプセル”に閉じ込めたくなったのだろう。
いや、そんなセンチな話ではなく、銀座の方が居心地が良くなっただけの話である。単なる加齢だ。
先日、久しぶりに六本木に行った。わがオジサマバンドメンバーと打ち合わせと称して飲んだ後に生演奏で歌える店に流れた。
エルアミーゴという店だ。かれこれ50年近く続く老舗だとか。昭和感ムンムンの店の雰囲気が妙に落ち着く。
ギターで伴奏してくれる腕っこきが2人。なんと2千曲もレパートリーがあるらしい。おまけにやたらと上手だし、ハモリも素晴らしい。すべて即興なのに歌う客を陶酔させてくれる。
銀座にあるこういう路線の店にも行ったことがあるが、こちらは六本木っぽい空気をしっかり感じる。銀座とは毛色が違うオトナの空気だ。
30年ほど前にわけが分からないまま六本木で深夜までヘロヘロしていた時の気分が甦る感じだった。
店のオーナーと雑談を交わすうち、随分と共通の知り合いが多いことにも驚く。さすが老舗だ。そんなサロン的な気配が古くからアノ街で続く店の個性なんだと思う。
来ているお客さんもさすがに歌が上手い。知らない人のカラオケを聴かされるのは普通は苦痛だが、この日ばかりは生ギターのアレンジにも興味シンシンだったからかなり楽しめた。
バンドメンバーもギター演奏におけるポイントみたいな部分を熱く語り合っていた。次回のライブに向けて大いに刺激になったようだ。
ワイワイと過ごした後、どこにも寄らずにお開きになった。こういうフヌけたところが加齢、いや年の功である。
銀座に比べて夜が遅いのが六本木の街だ。お開きになった時間はアノ街では宵の口である。
わずかながら昔世話になった店も残っているのだが、結局すごすごと帰ってしまった
♪つまらない大人にはなりたくない♪と佐野元春ばりに気取っていた日々ははるか昔のことである。
でも楽しかったからまた行きたい。
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