2008年2月26日火曜日

クラブ活動

昨日は怪奇現象チックな話を書いたが、今日は別の意味でコワい?話。美しく化ける女性が主役だ。

夜のクラブ活動に足を踏み入れてしまったのは19歳の頃。ひとまわり以上年上のその道好きの人に、なぜだかしょっちゅう連れて行かれた。

なぜだかと書いてはみたが、その人に言わせると、「会社の経費にするのに、誰かと行ったことにしないとマズいんだ」とのこと。いま思うと結構真面目な人だったのだろう。

彼のホームグランドは六本木。軽く20年以上前のこと。今も残っている店もあるが、たいていは懐かしい存在。

当時、小さな店のチーママ的な位置付けだった女性が、いまは活気あふれる有名大型店のママさんだったりする。思い出したようにフラッと顔を出すと、さすがに長い付き合いだけに大仰に喜んでくれる。でも、四半世紀の付き合いだとか言われてしまうと、その店の若い女性陣から変な警戒をされてしまう。少し悲しい。

大学生ぐらいの年齢の頃は、当たり前だが、周囲に若い女性はいっぱいいるわけで、オトナの方々のクラブ活動に朝まで付き合わされるのは、何が楽しいんだろうと正直しんどいことが多かった。

そうはいっても、ホステスさんだけでなく、黒服さんやバンドマン達と親しくなって、お店がひけた後に飲みに行ったり、ゲームしたり、よく遊んだ。色んな経験をした。

時はまさにバブル景気に突入する直前。世のナンパ大学生がマハラジャとかワンレンボディコンだとかウカレモード全開で騒いでいる頃だ。年上のオジサンと夜な夜なクラブ通いをする変な日常が、アマノジャクの私としてはちょっと面白くもあった。

思い出すのは、恥ずかしながら、戻したこと、吐いたことばかり。気持ちが悪くなっても、若者特有の格好付けで、素知らぬ顔で、トイレに逃げ込み、何もなかったように遊びの輪に舞い戻る。いつも涙目だったはずだ。

私を同行する年上の友人は、とかくアフターが大好きで、こっちが眠かろうが気持ち悪かろうが遊ぶ遊ぶ。朝まで帰らない。おまけに彼はアルコールを受付けない体質。いつもトマトジュースかウーロン茶。ずるい。

タクシー代がもったいないので、彼の運転するクルマで送り帰される決まりだった。おかげで帰路、青山とか信濃町周辺は私にとっての吐き場だった。いまもあの辺に行くと条件反射で「ちょっと止めて」と言いたくなる。酸っぱくて苦い気分になってしまう。

でも得難い経験だった。六本木だけだったが、学生時代に何十回、いや3ケタ回も行っただろうか。貴重な時間だったと思う。

大学生といえば井の中のナントカ的な生きものだ。そんな私にとって、ひとつひとつの遊びや経験が視野や世界を広げることに直結していた気がする。いま思えば無駄なことなどなかったのだろう。

少しだけコワい思いもした。靴を持って裸足で明け方の某マンションからダッシュで脱出したこともある。ちょっと変な女性に監禁されかかったこともある。詳細は割愛。
全部自分が悪い。

ところで、酒場で働いていた人達から教わったことだけでなく、酒場に来ている大人達からもいろんなことを学んだ。

他のお客さんとも顔なじみになることも珍しくないが、酒場での男の姿は人間の本性がくっきりと出るようで興味深かった。

「居住まいの格好いい人」、「品性お下劣な人」。もちろん、真ん中ぐらいの人もいるが、印象的なのは、やはり対極の2パターンだ。

「居住まいの格好いい人」。是非そうなりたいものです。まず、姿勢がいい。リズムがいい。目配せ、気配りが出来る。威張らない、自慢しない。自分の世界があって、引出しが豊富。愚痴や悪口を言わない。長っ尻もしないし、慌てもしないなどなど。

一連の要素が揃っている人は、たいてい人相も悪くない。頭が悪そうな顔つきの人もいない。

上記した要素をそのまま逆にしたら、たちまち品性お下劣になる。必然的に人相も魅力的じゃない人が多くなる。

酔いに加えて、酒場独特の高揚感が人の生きざまをあぶり出す。こう書くと大げさだが、酒の席って結構そういうものだと思う。魔界だ。

だから人生修養のために酒場通いは必要だ。
と、結局は自己弁護につなげてしまった。

最近は、六本木より銀座方面が多い。どちらの街も夜の仕事は大変な様子。どんなジャンルの仕事も同じだが、勝ち組、負け組が鮮明になっている。真ん中がなくなっている感じがする。

クラブ活動というタイトルをつけたので、今日はサービスショットを掲載。了解をとって撮影したので、迷惑防止条例とかに引っかかるものではありません。

でもこれを見て気付いた。銀座と六本木のクラブ活動における大きな違いだ。「露わな太もも」との遭遇頻度だ。

今更気付いたがこの部分は随分違う。実に下らない定義だが、案外マトを得ているかもしれない。

客層とか、空気感とか、和装出現率とか、営業時間とか、システムとか、銀座と六本木を隔てる定義はあれこれあるが、新しい定義を見つけられたので、今日これを書いていたことも無駄ではなかった。

これからも人生修養に励まねばなるまい。

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