2022年5月20日金曜日

串カツ ソースの悦楽


私はソースマンだ。目玉焼きにウインナー、ハム、あじフライにカキフライもソースで食べる。それが至極当然だと信じて疑わない。

 

過去にも声高らかにソースマンとしての主張を書いている。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/11/blog-post_11.html

 

目玉焼きやあじフライなどはソース派と醤油派で論争になりがちだが、私は議論に加わる気もない。問答無用でソース一択だから醤油派に反論する時間すら無駄だと感じる。

 

と、エラそうに語ったがとくにソースに詳しいわけではない。その証拠にいわゆる二度づけ禁止をウリにする関西発祥の串カツのソースが専用ソースだったことを最近知ったほどだ。

 


 

串カツは西の食べ物だから若い頃に食べる機会はあまりなかった。今みたいに専門店がゴロゴロある時代ではなかったせいもあるが、お好み焼きのお好みソースみたいに専用のものを使っているとは気付かなかった。

 

普通のウスターソースでもなければ中濃ソースでもない。そんなことは誰でも分かるはずだが、単なるソース好きである私はビシャビシャと串をソースに浸せることが幸せでソースの違いを考えたことがなかった。

 

串カツ専門店ではそれぞれオリジナルのソースを作っているらしい。ウスターソースをベースに醤油や酢、砂糖やみりんなどを混ぜ合わせることで独特のソースになるみたいだ。

 

いままでそんな基礎知識を知らなかったことが恥ずかしいが、昭和の東京人なんてそんなものだ。若い時代に今ほど「食分野における西からの侵略」を受けていない環境で育ったせいである。

 

薄い衣にあのサラっとしたソースを合わせる関西の串カツが東京でも手軽に食べられるようになったのは15年ぐらい前からではなかろうか。

 

東京で串カツを食べるとしたらトンカツ的なしっかりした衣にドロっとしたソースを合わせるパターンが主流だった気がする。

 


 

もちろん、今もそっち系の串カツも大好きだしよく食べる。モツ焼屋あたりでサイドメニュー的に用意されている串カツはそっちだ。これはこれでウマい。ハムカツと共にホッピーなんかに合わせるとウットリする。

 

私はソースマンだからどちらも好きだ。どっちも美味しい。つくづくソースという一種日本独特の調味料の有難さを痛感する。醤油ばかりが日本の誇りみたいに扱われているが、日本のソースは世界的にみても希有な存在である。

 

「串だおれ」という人気の串カツチェーンがある。チマタのグルメ論評などとは無縁の大衆酒場だが、新橋の店舗にここ最近何度も訪ねている。ちょっとクセになっている。

 

タバコが吸える飲み屋を探して適当に入ったのがきっかけだが、串カツの楽しさにハマってお気に入りになってしまった。テーブルごとにソースは使い放題だから二度づけどころか五度づけ、十度づけだって出来るのが嬉しい



 

ソースでビシャビシャにした串カツを片手にレモンサワーやホッピーをグビグビ飲んでタバコが吸えるわけだから天国である。

 

モツ焼屋さんもそうだが串カツ屋さんも普通に美味しければ充分である。アッチの店がどうだコッチの店がどうこう等々語るジャンルではないだろう。

 


 

ミソだれのメニューもあるからソース攻撃の合間に変化を楽しめる。串カツメニューも豊富で怖いもの見たさのようにいろいろ頼むのが楽しい。値段を気にせず大人食いに徹することが出来る。

 

それにしても何でもかんでもソースで食べちゃう発想がこの手の串カツ屋の素晴らしさだ。紅ショウガ、カマンベールチーズ、うずらの卵などは串カツじゃなければソースとは無縁の食材だ。

 

エビやキス、ホタテなんかもきっと生きている時には自分がソースにまみれて食われてしまうとは想像出来なかったはずだ。先日は岩下の新生姜を肉巻きにした串が妙に美味しくてちょっと感動した。

 

そう考えると冒頭で書いたような目玉焼き、あじフライなどの「醤油派・ソース派論争」の不毛ぶりを痛感する。ソース圧勝だ。

 

「油を使ってるなら全部ソースでいい」。個人的な結論です。

 

 

 

 

 

 

 

 

2022年5月18日水曜日

寿司について


一番好きな食べ物を聞かれて「寿司」と答えることは多い。実際にお寿司屋さんにはちょくちょく出かける。ウンチクも人よりたぶんたくさん語れる。

 

と言いながら寿司を食べた後にはいつも何か口に入れたくなる。とくにジャンクな味がするもので口直しというか口壊し?をしたくなる。カップ焼きそばみたいなガツン系の味が欲しくなる。

 

ひょっとして寿司が苦手なのかと本気で思う。他の食べ物の時には食後に別な味を欲しがったりしない。寿司の時ばかりそうなる。体質に合わないのだろうか。

 

若い頃、お寿司屋さんに行った後に必ずマックに寄ってフィレオフィッシュを2つ食べるというヘンテコな習慣があった。魚繋がりのつもりだったのか我ながら謎だ。

 

そんな状況でも今も週に一度はお寿司屋さんの暖簾をくぐる。刺身をちょこっともらい気の利いた肴を23つつまみ握りを8貫ほど食べたら満足だ。ひょっとしたら握りを15貫ぐらい食べれば食後のジャンク食いをしなくなるのかもしれない。

 



 一般に寿司の中でもキングの扱いを受けているのがトロだ。私はトロがあまり好きではない。上質な赤身のほうが断然好きだ。好みの味のヅケがあればなお嬉しい。

 

コースで食べさせるイマドキのお寿司屋さんが大の苦手なのだが、“本日のハイライト!”のようにトロが自慢気に出てくるのがイヤだからである。かといって事前に「トロは苦手です」と伝えるのもアマノジャクオヤジみたいで気が進まない。

 

やはり好きなものを好きなように注文してこそ寿司である。好みに偏りがあろうが同じものばかり食べようがちっとも悪くはない。カウンターで食べる寿司とはそういうものだろう。

 

寿司ネタにもいろいろあるが、やはり古典的というか地味ながら確実に美味しいネタが結局はウマい。貝類でいえば赤貝ばかりがスター扱い?されているが、私は断然アオヤギ派である。

 



 味はもちろん食感がシャリとの相性抜群だと思う。ツブ貝やホタテ、はたまたアワビあたりはシャリとの相性が良くない。生のトリ貝の握りも好きだが、食べられる時期がかなり限られるのが残念だ。

 

貝類の中でも古典的なネタの代表が煮蛤である。“煮ハマ”を置いてあるお店はさほど多くないが、逆に常備してあるようなら昔ながらのキチンとした仕事をしている店の証だとも言える。

 


 

ツメを塗りすぎると甘ったるいだけだが、バランス良く仕上げられていると貝の凝縮された旨味を堪能できて最高だ。数ある寿司ネタの中でももっとスター扱いされて然るべきネタだと思う。

 

ツメ問題をついでに語れば穴子の握りなどでもやたらとベットリ塗られちゃうことが多い。あれは興醒めだ。ちょこっと塗るぐらいじゃないとネタの味が無くなる。

 

穴子の握りだけでなく穴きゅう巻きなども同じ。シャコの握りも同じ。板前さんに「ツメは少しにしてください」と一言伝えるのが賢明だ。

 

穴子は風味が命だろう。ツメ問題は大事なポイントである。私の場合、ツマミとして穴子を焼いてもらうことも多いのだが、ツメは別な小皿に入れてもらうこともある。

 

なんだかクドクド語ってしまった・・・。

 

このブログで何度も書いてきたが私が一番好きな寿司ネタは海老だ。茹でた車海老である。それこそ江戸の頃は大スター級の扱いだったのが海老の握りだ。

 


 

色合いの鮮やかさだけでなく火を入れてこそ甘味と旨味が強まるアノ味わいは生の魚が食べられなかった当時、他のネタに比べて抜きんでた存在だった。

 

今の時代は安い回転寿司で出てくるぺらぺらの怪しい海老のせいで茹で海老の地位は下落している。私はあれを謎エビと呼んでいるのだが、謎エビのせいでトバッチリを受けたマトモな車海老が不憫で仕方ない。

 

別に高い店じゃなくてもキチンとした保守的な仕事をしているお寿司屋さんなら茹で海老の握りを食べて外した気分にはならないと思う。ボタン海老も甘海老も美味しいが“ナマ連合”に押されっぱなしの茹で海老のことは応援したくなる。


安い回転寿司屋が悪いわけではないが、そっち系の店の影響で間違った認識をされているのがエンガワだ。ヒラメなどの縁側である。


身肉ではなくヒレを動かす外周部分に当たる。コリッとした食感と独特の旨味が美味しいネタだが、ヒラメ一匹につき握りにするなら3~4貫分しか取れない部位である。




回転寿司で出てくるエンガワもあれはあれで美味しいが、あちらは海の深いところに住む巨大な別な魚を使っている。昔から食べられてきたエンガワとは異次元のものだ。さすがに普通のヒラメやカレイのエンガワのほうが繊細な味がする。


大衆店ならともかくちょっとしたお寿司屋さんで注文する場合は「エンガワちょうだい」ではなく「エンガワある?」が正しい表現となる。そのぐらい貴重なネタだ。とはいえ、以前、若いオネエサンに食べさせたら「回転寿司のエンガワのほうが好き」と言われた。


打ちのめされたような気がした。


そんなものである。

 

寿司といえば巻きものも外せない。穴きゅうやネギトロ、トロタクなどは酒のアテにつまむのも悪くない。トロが苦手な私でもネギやたくあんが加わると食べたくなる。

 


 

欲を言えばトロは刺身を叩いて作ってくれると嬉しい。あらかじめ削いであるすき身でも構わないのだが、その場で刺身を叩いてもらうとその場限りの手作り感が強まって贅沢な気分になる。気分だけでなく食感や味の深さの点でもすき身とは一線を画す。

 

巻きものの中で不当に低い扱いに甘んじているのがかんぴょう巻きだ。これまた古典的なネタだが、わざわざお寿司屋さんで食べるものではないと思っている人が多いのではないか。

 

出前の寿司の桶の端っこでついでのように佇んでいる風情がいけないのか、はたまた駅弁なんかにもナゼか付け足しのように参加している節操の無さのせいか、かんぴょう巻きを愛する人の話はあまり聞かない。

 

かんぴょうは植物の干物だ。寿司以外で口にすることは滅多にない。でもどこのお寿司屋さんにも必ず置いてある。自家製で作っているお寿司屋さんだって多い。

 

いわば寿司を語る上で外せない一品である。その理由は寿司飯との相性だろう。普通の炊きたての白米と合わせてもウマいのだろうが酢飯との相性は絶妙だ。

 


 

ということは「シャリがウマい店」ならかんぴょう巻きはゼヒ食べるべきという方程式が成り立つ。当たり前だが寿司の命はシャリだ。そうはいいながらウマいシャリで握ってくれるお寿司屋さんは思ったより少ない。

 

もちろん、これも私の個人的な思い込みかも知れないが、世の中のマイルド化にともない寿司飯も昔より随分と頼りない感じに変化してきたように感じる。

 

ネタを引き立たせるためにシャリの味を弱くするのは分かるがそれも程度問題だろう。酢飯感やコメの旨味をまるで感じないやる気のないシャリを出す店は多い。そんなシャリでかんぴょう巻きを食べても確かに何の感慨もない。

 

シャリのウマい店なら俄然かんぴょう巻きがイキイキと躍動するように感じる。かんぴょうを見くびっていたことを反省したくなる。大袈裟だがそんな感じだ。

 

かんぴょう巻きにはワサビをしっかり入れてもらうのが基本だ。俗に「鉄砲巻き」だの「さびかん」だのと呼ばれるが、そんな知ったかぶった言い方で注文するのはヤボである。

 

「かんぴょう巻きちょうだい。ワサビしっかり入れてね」。これが正しい。お寿司屋さんでシメに食べるのに最適だ。しっかりワサビでピリっとリセットできる。

 

今日は調子に乗って自分好みの寿司の食べ方をウダウダ書いてしまった。

 

こういう話をお寿司屋さんに連れて行った若いオネエサンに語るとウンチクオヤジとして嫌われる確率が高いことを申し添えてオシマイにします。

 

 

 

 

 

 







2022年5月16日月曜日

女子と行くメシ



 私は花の?独身男だから女子と食事に行くこともある。別に独身じゃなくても行くだろうが、花の独身男(クドい)である私はどこにも誰にも何の気兼ねもなく大手を振って行ける。

 

そんなことを声高に叫んでいるからきっと独身のままなのだろう・・・。

 

女子を連れて食事に行く場合、店選びはちょっと厄介である。相手との関係性にもよるが、向こうはこちらを「こなれたオジサマ」だと思っているからデニーズに連れて行くわけにはいかない。

 

私の主戦場は当然ながらオヤジメシである。店の名前がローマ字表記ではない店だけである。漢字か平仮名、もしくは漢字と平仮名が混ざった表記の店になる。平たく言えば和食系全般になる。

 

お寿司屋さんはちょっと厄介だ。板前さんが目の前でこちらの様子に注意を向けている。会話は丸聞こえである。おまけに馴染みの店でスカした顔で女子を口説こうものなら、後日ひとりで訪ねた際に小っ恥ずかしいったらありゃしない。

 

私は父親と母親がイタリア人だから女子と食事をする際は相手を口説かないといけないと思っている。これは親の遺言でもある。だから数十年それを実践してきた。したがってお寿司屋さんに連れて行けるのは既に口説く必要がなくなった女子だけである。

 

お寿司以外の和食、それもカウンターで板さんにガン見されないで済む店といえば、まずはカッチリした料理屋さんが思い浮かぶ。女子連れの場合、個室を取っておけば無難な選択になる。

 

掘りごたつの席で偶然のフリして相手の足先に自分の足先で触れるなどというイタリア人ならではの行動もお茶の子さいさいである。

 

そういえば「お茶の子さいさい」って言葉を使うのはいつ以来だろう。すっかり聞かなくなった。もう死語になっているのだろうか。まあいいか。

 

普通の料理屋さんも悪くないが、嫌いな野菜を食べなくて済むという点では鰻屋さんが最適かも知れない。すっかり高値が定着して非日常食みたいになってしまった意味でもご馳走イメージがあるし、オジサマ特有のウンチクを語るにもちょうどいい。

 


 

私の祖父と祖母はポルトガル人だから、戦国時代にポルトガル人が日本人に鉄砲を伝えたように私も若い世代にウナギのなんたるかを伝えないとならない。伝道師としての役割を担っているわけだ。

 

鰻屋さんにはひとりでもふらっと出かけるが、ひとりだと困るのがう巻きを注文できないことである。白焼きも食べたい、鰻重は外せないとなるとボリューム的にう巻きは厳しい。

 


 

だいたいオジサマ世代はタマゴを摂り過ぎてはいけないから、う巻きは一切れぐらいで我慢する必要がある。女子に4分の3ぐらい食べてもらえば私の健康も守られるわけだ。

 

うざくのウンチクを語り、肝の苦さに大人の厳しさを教え、関東風と関西風の蒲焼きの違いを説き、気付けば物知りなオジサマに女子はメロメロである。

 

と、実際にはそんな状態になっていなくても勝手にそう思い込んで勝手にハッピーな時間を過ごす。私自身ウナギが大好きだから正直に言えば相手が誰であろうとハッピーなのは確かである。

 


 

和食以外で考えるなら中華料理が無難だろう。カジュアルな店ではなくちょっとした高級店なら女子としても未体験のメニューをあれこれ味わえる。私のイタリア人やポルトガル人としての要素を満たすにもちょうどいい。

 

エビはチリソースだと思い込んでいる女子に淡い味の塩炒めを勧め、こちらもよく分かっていない料理を「こんなの食べたことないでしょう?」と知ったかぶりをして、温めた紹興酒とフカヒレの姿煮を口の中でマリアージュさせる醍醐味を伝える。

 

和食や中華の安心な点は、フレンチやイタリアンで聞いたことのない名前の謎の料理について女子から質問されてオドオドする心配がないことに尽きる。自己防衛である。

 

和食系の店で筆で書かれたお品書き一覧の難しい漢字を読みこなすのもオジサマ族の得意ワザである。玉蜀黍、軍鶏、鱶鰭、栄螺、等々サラッと読むことで物知りなオジサマに女子はメロメロである。

 

と、実際はまるでそうじゃなくても勝手にそう思い込んで勝手にハッピーな気持ちになれる。まさに自己承認欲求が歪んだ感じで満たされるわけだ。

 

と、ここまで書いてきて自分の脳天気ぶりにちょっと呆れる。

 

キリがないからこのあたりでヤメにします。






2022年5月13日金曜日

デミとんかつ、えびめし、ホルモンうどん

 

今治をあとにしてしまなみ海道経由で岡山に向かう。相変わらず朝メシ代わりに地元の謎のまんじゅうを食べてスタート。

 

四国と本土に点在する島々を橋で結んで繋いでいるのがしまなみ海道だ。晴天の中、ヨソ見運転をしながら日本の原風景みたいな眺めを楽しむ。

 

BGMは「瀬戸の花嫁」で決まりである。聞くところによればこの名曲の作詞者は瀬戸内海方面に行ったことがないのにあの詩を書き上げたらしい。私もバンド活動では作詞を手がけるから見習いたいものだ。

 

しまなみ海道はいわば高速道路だからそのまま走って行けば案外早くに本州側の尾道に到着する。途中の島々に寄り道して村上水軍の時代に思いを馳せたりするのが正しい過ごし方だろう。

 


 

今回は大三島に降りて樹齢2700年という大木を見にいった。大木すなわちパワースポットだ。エネルギが-もらえる気がする。

 

日本総鎮守と名乗る大山祇神社のご神木だ。随分と由緒のある神社のようで宝物館も見応えがあった。頼朝や義経、義仲といった鎌倉時代のスター?達が寄進した刀剣や甲冑がゴロゴロ展示してある。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を毎週見ている私はかなり興奮した。

 


 

その後、周辺で絞りたてみかんジュースを飲み、大三島名物らしい「神島まんじゅう」を頬張る。白餡と皮の部分のバランスが絶妙な逸品だった。近所にあったら毎日買いたくなる味。

 

相変わらず甘味摂取だらけで既に午後である。しまなみ海道の終点・尾道市に入って何か食べることにする。娘がインスタをチェックして周辺の店を調べる。

 

で、食べたのが今シーズン初のかき氷である。イチゴがぶりぶりトッピングされたうえにクリームチーズがヤケッパチみたいに加えられていた。

 


 

絶品だった。上野広小路にあるかき氷の名店「くろぎ」にも匹敵しそうな新世代かき氷だ。親子でムホムホ言いながら食べる。満足のひとときだった。

 

その後、高速に乗り直し倉敷に向かう。とくに目的はなかったが四国山陽方面は初訪問だという娘には倉敷の風情を見せるのが間違いないという選択である。

 



泊まったのは「文化財の中に泊まる」をウリにするアイビースクエアだ。大浴場も綺麗で美観地区のすぐそばだったから便利で快適だった。

 

そして、この日も夜の6時過ぎに一食目の食事である。毎日行列が出来るという人気店「かっぱ」に向かう。岡山独特のトンカツをデミソースで食べさせる人気店である。

 




 トンカツはあくまでソース!と普段から息巻いている私だが、この店のデミトンカツには参りましたの一言。実に美味しかった。見た目よりアッサリと上品で深みのあるソースが固めに揚げた衣に合うし、絶妙な火加減の豚肉の甘味を引き立てる感じだった。

 


 

クリームコロッケのタルタルソースも正統派路線で丁寧に作られた感じにウットリする。行列の出来る混雑店なのに店側の対応は丁寧で料理自体もじっくり丁寧に作られている印象だった。近所にあったら毎日でも行きたい。

 

というわけでこの日も食事らしい食事はこの一回だったから翌日の帰国便を待つ空港では謎のドカ食いをしてしまった。

 

ホテルの朝食をあえてパスして早めに空港に向かう。娘との旅では前回の福岡、前々回の札幌と2回続けて帰りの飛行機に乗り遅れるというシャバダバな実績があるから時間に余裕を持って行動した。

 

空港内のレストランなんて・・・というイメージを払拭するようなウマいものにありつけたのがラッキーだった。岡山B級グルメ祭りである。

 

作っている人は一生懸命だからB級と呼ぶのは気がひけるが便宜上そう表現することにする。前の晩のデミとんかつもそうだが、いにしえの郷土料理とは違う現代のご当地人気メシを知るのは楽しい。

 





 えびめし、蒜山焼きそば、ホルモンうどんである。見た目は何となくビミョーだがどれもかなり美味しくてうなりまくってしまった。

 

えびめしは味を表現するのが難しい。ドライカレー的な風味もあるが主役はソースの味。少し甘めの複雑な味わいがコメ好きの私には最高だった。焼きそば、うどんとも味付けが他のものとは似ていないのが特徴的だ。

 

ホルモンうどんは味噌ベースに醤油やダシその他の調味料で味を整えているらしい。ホルモンの独特なブヨっとした甘味も相まって飽きずにどんどん食べ進められる感じだった。

 

近所にあったら毎日でも行きたい。

 

思えば昔からの郷土料理とは一線を画したご当地B級グルメは日本中に無数に存在する。頭が固い前時代的な発想の私は、たとえば岡山といえば「ままかり」を食べに行くようなパターンが多かったが、今後はその土地土地のイマドキの名物をひたすら食べてみたいと思った。

 

というわけで久しぶりに空港で真面目に時間を気にしたので帰りの飛行機に無事に乗ることが出来たのが今回の旅の一番のトピックになった。


なんじゃそりゃ。。。






 

 

 

 

 

 

2022年5月11日水曜日

スイーツ祭りと鯛祭り


連休中は貯まっているマイルの消化を兼ねて愛媛、岡山に出かけた。娘との2人旅だ。減った体重を維持したい私とダイエットに励む娘の利害が一致してバカ食いを避けて過ごした。

 

とはいえ、スイーツを気が狂ったように食べたので幸せな時間が多かった。最近すっかり甘党になった私だが、コロナの後遺症には糖尿病もあるらしいのでちょっとビビっている。

 


 

羽田空港ではいつも決まって「ずんだシェイク」を飲む。ずんだ餅のアノずんだである。この店のシェイクは絶品で羽田といえばコレである。朝飯代わりにシェイクで空腹を落ち着かせる。

 

松山空港でレンタカーを借りてまずは道後温泉の繁華街へ。愛媛といえばみかんだからそれ系のスイーツをあれこれ食べる。道後名物の坊っちゃん団子も「保存料や何ちゃらを使っていないホンモノ」というフレコミの逸品がバラ売りしていたので立ち食い。

 




 

みかんジュースの飲み比べも味わい、コンビニの店頭にあった蛇口をひねればジュースが出てくる怪しい一杯も飲んだ。さすがに生のみかんジュースはどこで飲んでもウマい。身体中が黄色くなりそうなぐらい飲んだ。

 

一休みに入ったカフェでもエグイい見た目のパフェを食べる。愛媛はイチゴも名産らしいのでみかんに飽きた口をイチゴで整える。

 


 

道後温泉を散策した後は宿泊する今治に向かう。ドライブの途中で「はっさく大福」も食べる。はっさくの酸味と白餡のコンビネーションが絶妙だった。

 


イチゴ大福を筆頭にフルーツ入りの大福が人気だが、最近はキウイとか酸味の強いフルーツを白餡で包んだバージョンが特に美味しいと思うようになった。

 

結局この日は朝から甘いモノだけを食べ続けて夕方になった。宿泊先の今治国際ホテルでの夕食がいわばこの日の一食目である。実にヘンテコな食生活だ。

 

ホテル内の日本料理レストランに鯛づくし懐石というコースがあったので一人分はそのコースを頼み、あとはアラカルトをあれこれ注文した。

 


 

朝からスイーツだけを食べていたから何を食べても泣くほどウマかった。瀬戸内海の鯛はさすがに絶品。東京人としては悔しい限りだが、鯛をはじめとする白身魚は西の方に軍配が上がる。

 

甘味が強く味が濃い。プリっとした食感も鯛ならではの醍醐味だ。刺身はもちろん煮ても焼いてもしゃぶしゃぶにしても美味しい。

 




 

コースで出てきた鯛飯が炊き込みご飯だったので、別注で刺身を使った鯛飯も注文。出汁醤油に卵黄を溶いたタレをご飯に乗せた鯛にかけて味わう。至福そのもの。滋味という言葉がピッタリだった。

 


 

他にも鯛の握りなども注文してアルコールもしっかり摂取してようやく大人の自分に戻る。酒の肴に注文した鯛の白子と鯛の卵の煮付けも最高だった。いずれも鯛の香りがしっかり感じられる味わいで、大袈裟に言えば日本人に生まれたことに感謝したくなる味だった。

 



 

さんざん食べ散らかしたが、さすがに魚だからさほど膨満感も無かったのが幸いである。食後の腹ごなしには歩いて今治城のライトアップを見に行った。

 

お堀に海水を引いているのが特徴の水城である。老後の趣味を日本中の城めぐりにしたい私にとっては昼間にじっくり見学したかったのだが、今回は夜の外観だけで我慢する。お堀からほのかに潮の香りが漂っていたのが印象的だった。

 


 

今治で泊まったのは翌日のしまなみ海道ドライブのためだ。次の日も朝からスイーツ攻めのあげくに一食目が夕飯というヘンテコな流れになってしまった。

 

スイーツばかり食べてちょっとゲンナリ気味になってから味わう普通の食事は妙に美味しいという真理?を知ってしまったので、悪趣味のようなそんな食べ方を今後も続けてしまいそうでちょっと問題だ。

 

 

 

 

 

2022年5月9日月曜日

明治屋がある幸せ

 

子供の頃、母親にくっついてスーパーマーケットに出かけることが好きだった。知らないものがいっぱいあるし美味しそうなお菓子やジュースを眺めているだけでも幸せだった。まさに眼福の時間だった。

 

買い物袋を持つ報酬として毎回チョコレートを一つ買ってもらった。自分の部屋の秘密の引き出しにチョコが少しずつ貯まっていくのが喜びだった。

 

時々、小腹が空いているとチョコではなくスーパーの店先で売っていた押し寿司を一つ買ってもらった。たいていバッテラだった。確か280円だった記憶があるから大昔の話ではある。

 

さて、スーパーでの買い物といえば今ではすっかりネット専門だ。Amazonフレッシュ、楽天西友、イトーヨーカドー、ライフなどいくつも会員登録して使い分けている。

 

ネットスーパーの買い物はやたらと便利だが「眼福」という要素が無いのが退屈だ。購入履歴から日常的に買うものを注文したり、その時に足りていないモノを買うのが中心でウィンドウショッピング的な楽しさはない。

 

ネットスーパ-の検索窓に適当な商品を書き込んで探せば見たことのない新商品にも出会えるが、臨場感という点ではちっとも面白くない。

 

仕方ないから時々散歩の途中で大きめなスーパーに立ち寄ってウロウロと品物を眺めたりする。ネットスーパーでは見当たらない商品を見つけると嬉しくなる。

 

用も無いのにスーパーに出かけると余計なモノを買ってしまいがちだが、それこそが日常の喜びそのものである。ちょっとした秘密の宝物を発見したようなワクワク感がある。

 

私の職場から歩いて行ける距離に高級スーパーの本家・明治屋がある。高いモノが多いので節約のために頻繁に入らないようにしているのだが、前を通るとついつい引きこまれる。

 

眼福な商品がいっぱいあって楽しい。普通のスーパーとはもちろん、成城石井あたりと比べても品揃えが随分違う。独特の世界だ。

 


 

最近、何度も買ってしまったのがカツサンドが人気の「まい泉」とあんパンの本家である「木村屋」がコラボした「あんバターサンド」である。初めて見つけた時には鼻の穴が全開になるほど興奮した。

 

そのまま食べるよりもレンジでちょとだけチンするとバターが溶け出して反則技みたいな美味しさになる。悪魔的である。カニを食べている時と同じように無言になる。無言というより無心だ。うっとり味わう。言葉はいらない。

 


 

衝動買いで見知らぬモノを買うのも楽しい。高いといっても洋服やバッグを買うわけじゃない。主婦的な感覚なら理解不能の行動なのだろうが、私には主婦感覚は1パーセントも無いので必要のないモノまで買ってしまう。

 





 パンに塗るきなこ、かりんとうあられという謎の菓子、枝豆ポタージュスープである。なんだか謎めいたライナップである。トライ&エラー?を気にせずこういう物珍しい商品を買うのは素直に楽しい。

 

レトルトも高級路線の商品がアレコレ揃っているからついつい手を出してしまう。賞味期限が長いという魔力のせいで自宅にあるストックを考慮せずに買い込んでしまう。

 

レトルトカレーについては何年もかけて随分研究したから今はカレー以外の商品に目が向く。ビーフシチューあたりだとニンジンがエラそうにゴロゴロ入っているのでそっち系は避ける。

 




 

明治屋オリジナルのハヤシライスだけでなく「資生堂パーラー」の冠付きのハヤシが目に入れば迷わず買ってしまう。レトルトカレーにちょっと飽き気味だからご飯の共としてビーフストロガノフも見つければ必ず買う。

 

それぞれ値段が高いのは分かっているが、値段表示をじっくり見ちゃうと罪悪感に襲われるのでなるべくそこは見ないようにしている。

 

で、買い物カゴにその他の怪しいお菓子などもあれこれ詰め込んでレジに持っていって総額を見て倒れそうになるのがいつものパターンである。

 

ムダ使いである。でも私はゴルフもやらないし銀座のクラブ活動もセミリタイア中だし、海外旅行にも行ってない。このぐらいの散財は鼻で笑ってやり過ごしている。

 

 

 

 

2022年5月6日金曜日

バンド活動の楽しさ


引っ越しと体調不良をきっかけに7キロも痩せたせいでちょっと動きがラクになった。今の状態で7キロのおもりを身体に付けて動き回ることを考えるとツラそうだ。なんとか維持したいものだ。

 

とはいえ、今の状態を維持するのは太ることに比べて100倍難しい。相当頑張らないときっと夏頃には冷やし中華の食べ過ぎでデブ復活という事態になる気がする。

 

気付けば今年も1年の3分の1が過ぎた。やたらと時間の経過が早く感じる。娘との同居が始まったことですっかり生活パターンが内向きになってきた。


このまま老け込んでしまうのもイヤなので積極的に動き回ろうという気分もある。女子の生足を覗き見しながら食事をするような艶のある時間も激減している。頑張らないといけない。

 



 コロナ禍のせいでストップしていたバンド活動も再開することになった。中核メンバーで時折話し合いをしていたが、いつもダラダラ飲んで終わってしまうので、一念発起して3年ぶりのスタジオ練習をやってみた。

 

例年、年の終わり頃に行うライブのために3月ぐらいから始動していたのだが、今は既に5月である。年末あたりにライブを開催するにはギリギリのタイミングだ。

 

今までは最初の2ヶ月ぐらいはカラオケボックスにギターを持ち込んで酒を飲みながらウダウダやっていたのだが、初回からスタジオ入りである。演目も何もまったく決まっていないのだが、やはりスタジオで集まるとその気になるから不思議だ。

 

初めてのオヤジバンドライブは10年前だ。アッという間の10年だったが年月は確実に私を劣化させている。高い声は出ないしバテるのも早くなった。ちょっと鍛え直さないとマズい感じである。



 

今年ライブをやるとしたら3年ぶりだ。シッチャカメッチャカにならないようにリハビリを兼ねて過去に演奏した楽曲を中心に演目を決めようという基本方針が決まる。

 

今まで披露した数十曲のレパートリーの中から中核メンバー3人のお気に入りや思い入れのある楽曲を選ぼうと検討したが、候補として出てくるのは過去にやったことのない曲ばかり。

 

私以外の2人は腕っこきのアコギ弾きだから即興でいろんな曲を奏でる。それいいね、それやろう等々、ついついイマドキのヒット曲などを調子に乗って演目候補に挙げる。

 

こういう時間がバンド活動の面白さである。耳慣れた曲でもアコギアレンジで試してみると雰囲気が変わって面白い。あれこれ試しているうちに我がバンドの重要課題?であるウケ狙いの小ネタの候補まで出てきた。

 

我がバンドの特徴はMCも台本をつくってお客さんと一緒にワイワイガヤガヤ楽しむことである。演目の合間にちょっとした演奏を伴う小ネタをいくつか入れるのもお約束だ。

 

そんな部分のアイディアが出てくるのもスタジオ練習ならではだろう。本番を想定していろいろ試すことでダラダラと酒を飲みながら議論するより実践的なやり取りが出来る。

 

コロナ禍があったことで長年なんとなく続けてきたバンド活動の楽しさや有り難さを改めて感じる。無心になって没頭できる趣味という点でも貴重だが、友人達で集って何のシガラミの無い状態で子供のように音楽を楽しめるわけだから、そんな時間が持てることは幸せなことだ。

 

まだ今年のライブが実現できるか微妙な状況だが、メンバーで集まってジャカジャカやりながらアーダコーダとワチャワチャする時間を今後も続けたい。

 

ヘンテコな言葉ばかり並んだまとめになってしまった。