2024年3月18日月曜日

教えたがり


「昔話を得意になって語る人は未来をあきらめた人」。テレビか何かで聞いたフレーズだ。確かにそんな側面はあるだろう。今より躍動的だった頃の思い出はいつだって輝いている。私も加齢とともに回顧話をする機会は確実に増えている。

 

回顧ネタといっても単に今と昔の違いを力説しちゃうのは別に未来をあきらめたウンヌンとは別次元である。イマドキを生きる人々に昔の現実を知らせるのも先人の努めだ。年の功とやらが身に付いたのなら語るべきだろう。

 

その昔、街中にはズラっと電話ボックスが並んでいてそこには数え切れないほどのピンクチラシがベタベタ貼ってあった。今の若い人は知らない。個人的にはつい最近だったような気もするが、あれはとっくのとうに絶滅したようだ。

 

思えばずいぶんと世の中が寛容だったのだろう。子供も普通に使う電話ボックスにエロ満載の小型チラシが貼ってあったわけだからたいしたものである。コンプラという言葉も無かった時代ならではだ。

 

人気ドラマ「不適切にもほどがある」の影響で昭和の世相に改めて注目が集まっている。アナログかつ脳天気だったのは確かだ。パワハラ、セクハラという言葉も無かったし、SNS的全盛の密告社会みたいな窮屈さは感じなかった。

 


良し悪しは簡単に決められないが、私はあの時代に若者だったせいで個人的には今の時代には息苦しさも感じる。

 

自転車の信号無視や一時停止違反にも青切符が切られる法改正が実現するそうだ。いやはや統制の嵐はどんな分野も例外ではないようだ。時代の変化をつくづく感じる。

 

何事にもおいても揚げ足とりや重箱の隅つつきみたいに世間様が人の行動を監視するようになったのが今の時代だ。逆説的に言えばそれだけバカが増えたのだろう。

 

その昔であれば「いわずもがな」の常識で収まっていたことが通用しなくなり世間からアウンの呼吸も消えてしまい、いちいちルールという名の規制が必要になってきたのかもしれない。

 

こうした流れが結果的に人々から自分で考えて判断する力を奪い、ひいては「お上は絶対である」みたいな強権国家に繋がっていくような怖さを感じる。お上にとって国民はバカでいてくれるのが最もコントロールしやすいわけだからイマドキの気弱な全体主義みたいな空気はちょっとブキミだ。

 

なんだか話が大袈裟になってしまった。

 

今日は私の「教えたがり」について書くつもりだった。回顧話ついでに若い人に昔のことを教えたがるのが歳を取ってきた人の悪いクセである。私もそうだ。

 

さすがに昔の自分の武勇伝みたいな自慢話にはブレーキをかけるが、事実としての「昔はこうだったんだ」的な事象解説をついつい力説してしまう。

 

世代がまるで違う相手だから石原裕次郎や美空ひばりの話をしたところでちっとも関心を持たれない。せいぜい「山口百恵は大人っぽかったけど引退したのは21歳の時だった」とか、「カップ焼きそばUFOはもともとピンクレディーの歌とのメディアミックスで売り出された」といった小ネタにフムフムとうなずかれるぐらいである。

 

ほろ酔いになって「教えたがり」のクセが出てしまうのは食べ物をめぐるウンチクである。寿司や鰻、はたまた関東と関西の違いみたいなテーマを滔々と語ってしまう。面白そうに聞いてもらえることも多いが、おそらく無理やり面白そうな様子を作ってくれているのだろう。

 

江戸のウンチクも私が語りたがるテーマの一つだ。東京は昔はベネチアみたいに川だらけの水運の街だったとか、参勤交代で単身赴任の男ばかりだったから蕎麦や寿司や天ぷらといった屋台外食産業が賑わったとか、吉原の遊女のウンチクなどを気づけば熱く語ってしまう。

 

年寄り特有の押し付けがましさではあるが、私の本音は「東京に暮らす以上はそのぐらい知っておけ」である。もちろん聞かされている若い人にも10に1つぐらいは参考になる話もあるだろう。でも大半はきっと「だからどうした?」と思われているかと思うと切ない。

 

中学や高校の頃、ちっとも先生の話を聞いていなかった私だ。あの頃、まったく聞く気のない生徒に向かって必死に授業をしていた先生たちの気持ちが今になって分かる。反省しても遅いが今なら「先生ごめんなさい」と素直に謝れる気がする。

 

 

 

 

2024年3月15日金曜日

下ネタを取材する


今日は下ネタが苦手な人は読まないことをお勧めします。とか言って私のスケベ武勇伝を書くわけではない。他人の下ネタ体験談を引き出すことが趣味?になっていることについてだ。

 

真面目そうな顔、清楚ぶった顔をして過ごしている女性だって案外アバンギャルド?な体験談を持っている。そういう話を引き出すことが私は大好きである。もはや趣味である。

 

男性陣の体験談にはあまり興味はない。スペクタルな話を聞き出せても羨ましいだけである。女性から聞く話だとやはり萌え萌えだ。相手は妙齢の女性であれば誰だってOKである。

 



自分と親しい関係にある人はもちろん、ちょっとした知り合い、飲み屋のオネエサン、何ならそこに居合わせた初対面の人だって構わない。過去のスケベ体験を語ってくれるなら大歓迎である。

 

もう何年も前にワイ談のコツみたいな話を書いたことがある。なぜか今でも定期的に読まれているネタだが、相手からムホムホ体験話を聞き出すにはそれ相応にテクニックも必要になる。そんな技術論?を解説した話だ。

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/08/blog-post_19.html

 

あからさまに物凄い体験談を勝手に語りだす人はいない。ジャブを当て続けて徐々に扉を開かせるのが大事になる。別にそんな体験談なんて隠し立てするほどのものではないよという流れを作るのがポイントだ。

 

詳細は上に貼った過去記事を参照してもらうとして、せっかく聞き出してきた幾多の凄い体験談を私の頭の中だけに保管しておくのもモッタイナイので今日はいくつか披露することにしよう。

 

ここで活字を読んだところでピンとこないだろうが、私が聞いた段階ではその当事者が目の前にいるわけだから臨場感バツグンである。美人サンから聞き出した話ならヘンテコなアダルト動画を観るよりもワクワクできる。

 

高校時代、放課後に校舎の非常階段の踊り場で先生とコトに及んでしまった話とか、混雑する流れるプールで密着するふりをしてコトに及んだ話などは序の口である。序の口といっても目の前にいる人の実体験だと知れば萌える。くどいか…。

 

痴漢体験シリーズもわりと耳にした。普通は怖さと不快感だけだが、中には痴漢からの攻撃に心ならずもヘナヘナにされてしまった話は複数の女性から聞いた。

 

中でもオモチャ攻撃の話には驚いた。その痴漢は指サック状の電動でブルブルする小型のオモチャを持参していたらしくそれで攻撃された某女子はたまらず撃沈したそうだ。

 

笑ってしまったのが痴漢に協力してしまった女性の話。高校時代にやたらと巧みな?痴漢に遭遇してそれなりに反応してしまったら調子に乗った痴漢が自らの暴れん坊将軍を握らせてきたそうだ。

 

普通ならそんなものはブキミなだけだが、その女子高生は何と「気持ち良くなってもらえたら嬉しい」という意味不明な心理状態になってしまい条件反射的にそれを激しく動かしてしまったとか。心理学的に実に興味深い体験談である。

 

ちなみにアダルト動画の世界では「そんなアホみたいな展開になるわけねえだろ!」みたいな設定がよく見られる。私も長年そんなバカげたシチェーションモノを笑って観ていたのだが、実社会には意外に多くの「そんなアホみたいな展開」は発生しているみたいだ。

 

アダルト動画のヘンテコなシチュエーションは案外男たちの願望ではなく、誰かの実体験に基づいて作品化されているのかもしれない。そう考えると実に夢がある話である。

 

海の家のバイトの青年が簡易シャワー室に入ってきてコトに及ばれてしまった話とか、クラブ(昔のディスコのほう)で目があったイケメン白人にトイレに連れ込まれてドッカンドッカンされたとか、チープなアダルト動画で展開するようなシーンを実際に体験した女性は存在する。

 

最近聞いた衝撃体験談の一つが「初体験は小学生」という話である。それ自体はイマドキ珍しくないのかもしれないがこの話は特別だった。相手は結構なオジサンだとか。通学路の交通整理をしていた顔見知りのオジサンだったとか。

 

ある日、そのオジサンに誘われ公園のトイレに連れ込まれコトに及んでしまったという。純粋に犯罪である。アダルト動画でも倫理上作品化しないぐらいのエグい話だ。

 

ところが、よくよく聞いて見ると被害者のはずのその女子は当時の心境を「ワクワクして興奮した」という。オッタマゲである。もともとオジサン好きで今もうんと歳の離れた男性にしか興味がないのだという。いやはや恐るべしである。

 

この体験談をなにかの拍子に親に話してしまい地元界隈で結構大きな騒動になり、交通整理のオジサンはそれ以来姿を見せなくなったという。そりゃそうだ。おそらく逮捕されたのだろう。

 

なんだか事例を上げているとキリがない。まだまだいろんな凄い話を聞かせてもらった。世の中には随分と秘め事があるようだ。もちろん、そんな話が普通に披露されるわけもなく、私のような敏腕取材記者!?が活躍することでオモテに出てくることになる。

 

人から上手に話を引き出す。仕事上、若い頃から鍛えてきた分野だ。ワイ談を聞き出す分野で活かされていると思うと正直複雑な気分にもなるが、それはそれで良しである。今後もスクープを求めて活動しようと思う。

 

 

 

 

 

 

2024年3月13日水曜日

トランプさんの食事

「もしトラ」が「ほぼトラ」になってきたことでアメリカ大統領選の行方が何かと話題だ。トランプ返り咲きの公算が強くなってきたからメディアもさまざまな角度からその影響を取り上げている。

 



わが「富豪記者ブログ」もこれに触れないわけにはいかない。もっとも政治経済の影響なんてヨソにまかせて彼の大食漢ぶりの問題や健康への影響を考えてみることにする。

 

トランプさんの大好物はマックのハンバーガーとケチャップをぶりぶりかけたステーキだとか。実に素晴らしい。巨万の富を築いた男のくせにマックを愛するあたりがアメリカ人っぽくて好感が持てる。

 

かつて側近が明かした話によるとビッグマック2つとフィレオフィッシュ2つ、それにポテトとチョコシェイク。これがトランプさんの定番だったらしい。実に王道である。新参メニューには目もくれず古典的なビッグマックとフィレオフィッシュを選ぶ点が素敵だ。

 

メディアでさんざん批判されたせいで、その後はサラダ中心のヘルシーメニューで減量に成功したとも言われている。でも、ワガママそうなオッサンだからそんなのはフェイクニュースで今もマックをむさぼっていると私は信じている。

 

ケチャップドバドバステーキにしてもマックの話にしても大統領になってからオモテに出てきた話である。少なくとも70歳ぐらいの時にそんな食生活をこなしていたわけだから尊敬に値する。それでもアメリカ大統領という激務をこなしたわけだから凄い。

 

巷にあふれる健康的な食生活のススメみたいな話を無視してもまったく問題ないという“逆教科書”的な示唆に富んだ話だろう。偏食人生を歩んできた私にとってトランプさんの食生活の話を聞くと勇気が湧いてくる。

 



フィレオフィッシュの下のパンとダブルチーズバーガーの上のパンを外してドッキングさせる「フィレオダブチ」の美味しさをぜひトランプさんにも知ってほしいと願う。きっと彼なら強力な理解者になってくれるはずだ。いや、ひょっとするとあの邪道な組み合わせを編み出したのはトランプさんかもしれない。

 

家庭人を卒業してからの私の食生活はなかなかヒドいものだ。第一に好きなものしか食べない。ファストフードはもちろん、コンビニ飯もバンバン食べる。もはや全身が化学添加物で構成されている状態かもしれない。遭難して死体になっても防腐剤のおかげでいつまでも腐らなくて済みそうだ。

 

先日のベトナム旅行から帰国した際も、家に着いて最初に食べたのが吉野家の牛丼特盛だった。普通のオジサンなら海外から戻った直後はお茶漬けとか味噌汁とかでほっこりするのだろうが、どうも私の場合はヘンテコだ。

 

その日の夕飯はこれまたウーバーの宅配で「なか卯」を利用したし、翌日は朝からコンビニパン、それもタルタルメンチカツサンドという若者専用みたいなものを選んだ。その日の夜こそ蕎麦屋で鴨焼きとせいろ2枚というヘルシーメニューだったが、翌日からまた「ロクなもんじゃない」シリーズである。

 

朝からウーバーの宅配で2種類のドーナツとソーセージエッグマフィン、夕方はコンビニのおにぎりと袋麺の即席焼きそばだった。この数日間で食べた野菜は牛丼に入っているタマネギと蕎麦の薬味ぐらいである。

 

次の日の朝はコンビニのツナサンドとたまごサンド。ツナはマヨネーズだらけだし、たまごサンドはいまや毒物とも言われるマーガリンぶりぶりである。夜は銀座の料理屋さんでトリュフソースがたっぷりかかったゆで卵、ウニと卵黄とトリュフソースのグラタン、からすみビーフン、エビマヨにメンチカツである。

 




 普段はもう少しマトモな食事をしているが、旅行疲れを言い訳にこの週は私の日常の中でも特にヒドい食べっぷりだった。一応、毎朝サプリと青汁は飲んでいる。ついでに血圧やコレステロール対策の薬、血をサラサラにする薬も飲んでいるのでそれを免罪符だと思っている。

 

来年にはいよいよ還暦だというのにこんな食生活ではヤバいと心の中ではいつも感じている。でも改善に向けて頑張ろうと思うたびにトランプさんの顔が脳裏をよぎってしまう。

 

もし、このまま大過なく70歳ぐらいまで元気に暮らせたらそれはそれで画期的なことだ。その際には「食生活は健康と無関係」という学問というか流派でも立ち上げて教祖になってみるのもアリかもしれない。その時はトランプさんを勝手に名誉顧問にしちゃおうと思う。

 

 

 

 

 

2024年3月11日月曜日

ホイアンの夜


前回からの続きです。


古い街並み全体が世界遺産になっているベトナムの古都ホイアンはなかなか楽しいところだった。大事に保存されている歴史的建造物が集中的に固まっていて、それがカフェやショップとして活用されている。

 

ランタンの灯りが名物で夜になると中心地を流れる川の周りが幻想的な景色に変わる。どこを切り取っても絵になる街だと思う。

 




想像以上の観光客の多さに辟易としたがそれを差し引いても行く価値のある場所だと感じた。宿泊したのは一応五つ星の「ベルマリーナリゾート」。徒歩5分ぐらいで歴史地区まで行けるのが便利だった。

 




庭やプールも快適で広めの部屋を取ったので快適な時間だった。ベランダも巨大でタバコも吸い放題。のんびり過ごせた。ハノイもそうだが、ベトナム旅行の利点の一つがホテル代の安さだろう。12万円程度でちょっとしたホテルのスイートクラスの部屋が確保できる。

 

社会主義国家だけにサービスの質にちょっとビビっていたのだが、まったく問題なく皆さん親切で人当たりもソフトな印象だった。これから発展していくうちにスレてしまわないことを祈りたい。

 




円がすっかり弱くなってしまった今、ベトナムの物価の安さは実に有難い。20年ぐらい前まではアジアへの旅は財布に優しかったことを思い出した。世界的観光地ホイアンでもそんな傾向は同じ。観光客向けのキレイな高級レストランでも日本に比べれば3分の1程度の値段だった。

 

前回の更新でベトナム名物「フォー」があまり好きではないと書いたが、ホイアンの名物はフォーよりも「カウラウ」という汁なし麺。これは何度も食べた。

 




チャーシューが乗った和え麺である。タレが甘辛くフォーよりもしっかりした味付け。パクチーは混ぜずに上に乗っているだけなので簡単に除去できるのも良い。若い頃ならこれだけ食べていれば満足できそうな味だった。

 

ホイアン周辺の名物料理としてはこれ以外に「ホワイトローズ」と呼ばれる蒸し春巻き的なものと「揚げワンタン」があるとのことなのでそれぞれ食べてみた。

 




両方とも生春巻きに使われる例のライスペーパーがポイントだ。ホワイトローズは簡単にいえば蒸し餃子っぽい感じで、揚げ春巻きはそれこそ餃子チックな一品だった。つけダレの味が決め手だからそれ次第で印象は変わる。アジアっぽいタレの甘辛味が好きな人なら満足しそうな感じだった。

 

私はコメが大好きだが、あくまで粒感が好きなのでライスペーパーや米麺にはあまり興味がない。というわけでベトナム版チキンライスに関してはどこで食べても満足した。

 




シンガポールの海南鶏飯、タイのカオマンガイなどアジア各地にチキンスープで炊いた似たような一品がある。ベトナム版もかなり美味しかった。聞くところによるとこのスタイルのチキンライスはベトナムではホイアンが本場だとか。確かに鶏肉の旨味、ご飯の味加減も納得の逸品だった。


その他はベトナム名物のバインミーと呼ばれるサンドイッチにもトライしてみた。フランスの植民地だった名残りの料理でフランスパンの中にアジアっぽい味付けの肉各種と野菜を挟んで味わう。


フランスパンがそれ用なのか、意外に固くないので見た目以上に食べやすかった。帰国後にこの画像を撮った人気店の情報を見ていたら、昨年、集団食中毒事件を起こしていた店らしい。知らずに食べて幸せだった。




東南アジア方面に行ったら欠かせないのがマンゴスチンだ。何でも揃うわが国でもこれだけは気軽に味わえない。見つけても1個が200円、300円という法外な値段だ。

 

アジアでは1キロ(20個ぐらい)で数百円で買えるし、そこら辺の道端で簡単に買える。ホイアンでも同じ。天秤棒を担いだオバサンからも買える。今回も露天で買ってホテルの冷蔵庫で冷やして朝食ビュッフェ会場に持ち込んでモリモリと食べた。

 




私にとって東南アジアはマンゴスチンとスイカジュースとマンゴシェイクである。ヘンテコな表現だが、これら抜きに旅は出来ないと言っても大袈裟ではない。今回も暑い日にはスイカジュースやマンゴシェイクで生き返った。

 



魅惑的なホイアンだが、想像以上の人の多さには驚かされた。それこそ世界中からの観光客で溢れかえっていて、ランタンが灯り始める直前の夕方には歩くのも大変なほどだった。


コロナ禍の頃が嘘のように世界中の人々がノーマスクでワイワイ楽しんでいる光景はそれだけでインパクトがあった。いろんなウイルスが飛び交っていたはずだが、帰国後数日経っても体調はバッチリだから「コロナも遠くなりにけり」である。

 



陽が落ちるとホイアンならではの眺めに癒やされる。なかなか他では見られない光景だろう。人の数こそ多いものの独特な情緒を味わえた。日本から近いところにこんな「ムーディーなアジア」?があったことを実体験出来ただけで行った甲斐があったと思う。

 





ホイアンを目指すならハノイまで直行便で飛んでそこから国内線で1時間のダナンを経由するのが便利だ。日本からハノイまでは行きが5時間半、帰りは何と4時間ちょっとだった。


その昔マメに通ったバリ島までは10時間ぐらいかかったからそれに比べればやたらと安近短である。オススメだと言えます。




2024年3月8日金曜日

ベトナムの旅


 

ベトナム旅行に行ってきた。娘との二人旅である。娘の大学卒業記念という名目である。貯まりまくっているANAマイルを使って無料航空券がスムーズに取れたベトナムが目的地になった。

 

これまで40近くの国や地域を訪ねてきた私にとってもベトナムは初訪問の地だ。中年になってからは横着になって知らない土地に行く機会が減っていたから結構ワクワクしながら出かけてみた。

 

行き先は首都・ハノイとダナン経由での古都ホイアン。世代的にハノイだダナンだと聞くとベトナム戦争をイメージしてしまう。若い頃にベトナム戦争関連映画を見過ぎたせいかもしれない。

 

首都ハノイに着いたのは夜の11時過ぎ。ホテルに向かう道から見える街の景色はとにかく暗い。首都とはいえ夜の12時近くになると開いている店などほとんど無い。社会主義国っぽさを痛感。

 

ホテルは旧市街に近い「デユ・パルク」。旧日航ホテルだとか。暖房便座にウォシュレットまで付いていたのと室内喫煙OKというあたりが日系の名残り。

 

朝食ビュッフェの評判が良かったのもこのホテルを選んだ理由の一つだ。品数豊富で真っ当な日本食もあったし、麺コーナーではベトナム名物「フォー」も作ってくれる。

 




ベトナムのグルメ代表みたいなフォーだが、実は私はこの麺があまり好きではない。今回もホテルの朝ビュッフェでアリバイ?のように食べただけだった。きっと米の麺が今ひとつ口に合わないのだろう。

 






ハノイ旧市街はフレンチコロニアル様式の古い建物が立ち並び独特の風情を醸し出していた。アジアの様々な国を旅してきたがこの街の雰囲気は他のどこの都市とも似ていない。やはり知らない場所の見知らぬ景色にキョロキョロすることは旅の醍醐味だと感じた。

 

「ベトナムっぽさ」を感じる独特の景観を見るたびにコロナ禍ですっかり錆びついてしまった旅情に浸る感覚が甦ってきて、元気なうちにもっと旅に出ようと気持ちを新たにした。

 


チャリを使った人力車「シグロ」にも乗ってみた。二人で乗るとさすがに重いのだろう。感想はただただノロい。早足で移動したほうがマシかもしれない。でもノンビリと街中を見ながら進む時間はなかなか味わえない体験だった。

 

ベトナム名物の一つが「エッグコーヒー」だと聞いてこれまた初体験してみた。ベトナムのコーヒーはコンデンスミルクを入れるのが定番らしく、どこで頼んでもちょっとこってり風味だ。そんなベトナムコーヒーに卵黄まで入れちゃったのがエッグコーヒーである。

 




卵黄とコンデンスミルクを泡立ててコーヒーに入れるスタイルだ。聞いただけで気持ち悪い。でも飲んでみると案外ウマい。コーヒーというよりスイーツに近い感覚だろうか。味はちっとも気持ち悪くない。でもナゼか飲んだ後しばらくするとちょっと気持ち悪くなった。

 

ベトナム滞在中、何度も違う店でエッグコーヒーを飲んだが、そのたびにちょっと気持ち悪くなった。でも不思議と中一日開けばまた飲みたくなる謎の飲み物だった。

 

ハノイからダナンまでは国内線で1時間ちょっと。ダナンは「伸びゆくアジア」を感じさせる高層ビルもチラホラあって近代的なイメージだ。ダナン近郊にもリゾートがたくさんあるのだが、今回はダナンからクルマで小一時間の距離にある古都ホイアンに滞在した。

 




ダナンでは戦争博物館を見学したり賑やかな街を散策して市場を覗いたりした。ダナン周辺も空港から至近距離で便利だが、個人的にはダナンに滞在するよりホイアンまで移動したほうがベトナムっぽさを堪能できる気がする。

 

今の季節のベトナムは本来は夏の始まりでしっかり暑いはずだったが、旅の前半では季節外れの寒い日が続いた。後半は南国的暑さになってスムージーやらスイカジュースやら現地のビールをグビグビ飲んだ。

 



私が気に入ったのがサイゴンビアの「スペシャル」という銘柄。スッキリ爽やかで歩き疲れて乾いた喉に何とも心地良い味だった。軽さの中にもキレがあって近所で売っていたら買い溜めしたいと思ったほど。

 

長くなってしまったので、ホイアンの話と食べ物の話は次回の更新で書くことにする。

 

 

 

 

2024年3月6日水曜日

今日も過去モノ

 今日も更新できなかったので過去モノです。金曜から通常頻度の更新に戻る予定です。


一盗二婢三妾四妓五妻

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/09/blog-post_16.html


枯れる

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/06/blog-post_15.html

2024年3月4日月曜日

アーカイブ

 旅行に出ていて更新が追いつかないので過去モノを2つ載せます。


止まり木の人

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2015/07/blog-post_6.html


魯山人

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/08/blog-post_24.html