2018年7月13日金曜日

特打、水風呂、映画、美術館


それにしても暑い。死んじゃう人がいるのも分かる。少し歩いただけでフラフラする。

私はデブだから汗っかきだ。必然的にクーラーをバンバン稼働させる。しかし、汗ばんだ身体がクーラーで冷やされるとダルくなってしまう。デブの悪循環である。

昔よりもクーラーが苦手になりつつある。なんだかオジイサンみたいだが、長い時間クーラーが効いた部屋にいると、外に出た時に妙にホッとする。ワガママなものである。

夏になると私の変態趣味が始まる。バッティングセンターである。自分でもバカだと思うが、暑い日にバッティングセンターで必死に打ち込むのが楽しい。


家を出る前に水風呂を溜めておく。炎天下の中、自宅から30分ほど歩いた所にあるバッティングセンターに向かう。到着した段階で汗ダラダラだ。

調子の悪い時で100球、やる気満々な時は200球ほど打ち込む。しっかりボールを見極めるためにメガネを持参してバッティンググローブまで用意する。

打ち終わった後はしばし放心状態である。そのM的なヘトヘト感が一種の快感だ。廃人のような顔で休憩したあとは、ぐだぐだなゾンビのような姿で歩いて帰宅。そして水風呂にドボンである。

水風呂に浸かりながら、週刊誌やコンビニコミックの「黄昏流星群」を読む。至福の時間だ。そのうち、さすがに寒くなってくるから風呂温度を普通に戻して追い炊き。

結果、冷浴と温浴を繰り返したような爽快な気分になる。総仕上げは風呂上がりのビールだ。一人暮らしならではのバカげた楽しみである。

暑いときの独り者の楽しみとしては映画も捨てがたい。キャラメルポップコーンを頬張りながら誰に気兼ねすることなく過ごす時間も魅力的だ。


最近では絶賛上映中の「万引き家族」や役所広司主演のヤクザ映画「孤狼の血」を観た。映画の感想はどちらも「普通」だった。

それはさておき、イマドキの映画館の進化が印象的だった。音響が良くなっていることに感心したが、肝心の座席も昔とは比べものにならない。

上の画像は日比谷にできたミッドタウンの中の映画館にあるプレミア席だ。千円追加するとこんなラクチンシートで過ごせる。千円で富豪気分が味わえるからオススメだ。

これこそ「おひとりさま」仕様だろう。隣席との間隔が開きすぎているからデート向きではない。

映画館といえば、暗がりの中で横に座る連れの女性の膝や太腿に手を伸ばそうとするのが紳士のマナーだが、こういう座席だと手を伸ばそうにも届かない。映画に集中するにはとても良い環境である。


先日はガラにもなく美術鑑賞にも出かけた。ギンギンギラギラと太陽が照りつける今の季節は、まぶしすぎる太陽光のせいで眼も疲れてしまう。

美術館の静けさと適切な照明の中に身を置くと気分がリセットされるような感覚になる。

バッティングセンターはもちろん、映画も美術館もすべて「おひとりさま」行動である。なんだか友達のいない淋しい人みたいな行動パターンだが、これはこれで私にとって充電の時間だ。

まあ、そんな気取ったことばかり言っていると、まっとうな恋愛なんかに無縁な人になっちゃいそうでチョット心配だ。

2018年7月11日水曜日

増え続けるサプリ


このブログを書き始めた頃は40歳そこそこだった。10年以上が過ぎて、健康への意識はそれなりに変わってきた。

なーんにも考えずに済んだ若い頃って、いま思えば極楽だった。その頃はその有り難さに気付かないわけだから随分とモッタイない話である。


この10年で気付けばすっかりサプリ愛好家になってしまった。効果はよく分からない。気休めかもしれない。でも「病は気から」である。

最近ラインナップに加わったのが「精製ナットウ菌培養物」である。週刊誌で読んだ「医者が飲んでるサプリ」みたいな特集に安易に影響されて飲み始めた。

血液サラサラ系である。脳血管がつまりそうな人には予防効果があるとか。信じる者は救われる的な精神でしばらく飲んでみようと思う。


大ヒット商品の「えんきん」も2か月前ぐらいから飲み始めた。目がかすむ、ピントが合いにくいといった症状を改善するらしい。

わがオジサマバンドのメンバーである医薬品メーカー男は「気のせいだ」と素っ気ないことを言う。実につまらない男だ。

で、2か月使ってみた私の率直な感想は「効き目アリ」である。否定派の人々はプラセボ効果だなんだとブツブツ言うのだろうが、私自身は気に入った。しばらく飲み続けようと思う。

レギュラー陣であるセサミン、DHA、プロポリス、ビタミンC、リジンといったサプリに加えて上の二つが追加されたわけだから、すっかり健康オタクみたいである。

おまけに飲み合わせを考えて、ある程度別々に飲むようにしているから、その都度ちゃんと水も摂取できる。

水分不足で尿管結石になった経験がある私にとっては水も大事である。あの七転八倒はもうこりごりである。

10年ぐらい飲んでいる青汁も継続中だ。粉末状の商品を水に溶かす“製作作業”を会社の女性社員にお願いしている関係で平日しか飲まなかったのだが、これも最近になって改善した。


週末もサボらないように自宅用に飲みきりサイズの青汁を常備するようになった。普段飲んでいるものより美味しいから身体に良いのかどうか不安である。

なんだかこんな事を書いていると、健康管理の見本みたいだが、すべては「野菜を食べずに生きていく」ことが目的である。

日常の暮らしの中で摂取できる野菜なんてたかが知れている。必要な栄養素を摂るには尋常じゃない量を食べる必要がある。

マズいものを大量に食べるほど切ないことはない。そんな奇特な人になどなりたくない。

メインの料理に添えられる付け合わせの野菜なんて彩りのためだけに存在する。1年365日、あれを毎回毎回100%残しても、私が摂取している青汁とサプリで充分にカバーしてお釣りがくる。

根拠はないけどきっとそうだ。

50年以上にわたって野菜を親の仇みたいに思って生きてきた私だが、ここ数年、飲み屋さんで冷やしトマトや水茄子の浅漬けを自ら注文してしまうことがある。



正直に言うと、何かを裏切ってしまったような複雑な気分になる。鬼畜のように口汚く罵っていた相手に急にすり寄るような居心地の悪さを感じる。

でも、この季節、こんなものが結構ウマい。マカロニサラダを「サラダ」だと信じて疑わなかった30年前に比べれば人として少しは進歩したのかもしれない。

2018年7月9日月曜日

大学無償化を考えてみた


今日は少し固い話を書きます。

子育て世代以外には関心が薄い政策が、いわゆる大学無償化だ。政府が閣議決定した「骨太方針」に盛り込まれたものだが、年収380万円未満の世帯の教育費を支援する仕組みだ。

住民税非課税世帯(標準世帯で年収270万円未満)であれば、国立大の授業料、入学金は全額免除、私立大でも一定額までが免除される。

年収300万円未満の場合は、非課税世帯の3分の2、年収300万~380万円未満は3分の1の支援が受けられるという3段階の支援策になっている。

大学無償化は、昨年の衆院選で安倍自民党がとって付けたように公約に掲げた政策だ。「人づくり革命」の一環という位置付け。

貧困の連鎖や格差の固定化という世相のなか、意欲のある若者に高等教育を受けさせることは国の将来にとって重要だ。その点に異議はない。お説ごもっともである。

「貧しい家庭の子にも高等教育を!」と言われれば反対の声は起きにくい。いわば“総論賛成”が世の中の空気だ。かといって、“各論”の部分となると問題は山積みなのが現実。

年収380万円を境に支援に壁が生まれる問題は大きい。ボーダーラインを少し超えるような年収の世帯からすれば、支援のカヤの外になるわけだから不公平感は大きい。

また、無償化される世帯の学生に支給される奨学金の在り方にも疑問が残る。学業に専念できるようにとの趣旨で、一般的な生活費まで手当てされる見込みだが、予定されているのは給付型奨学金。すなわち返済不要のカネだ。かなりの厚遇だと思う。

生活まで面倒みてもらえるのは年収270万未満の世帯の学生だが、この特典を受けられるかどうかギリギリの年収水準の家庭なら、あえて稼ごうと頑張らずに低い収入を維持するほうがトクだと考えるのが普通だ。

乱暴な言い方かもしれないが、勤労意欲、労働意欲を削ぐ話になりかねない。まあ、そこまで言うと批判したいがための書きぶりになってしまうのだが。

支援される学生は勤勉でいてもらわなければ困るが、その点は厳格な成績チェックなどが実施されるらしい。ただ、あくまで大学側のサジ加減という危惧も否定できない。

学生不足に直面する大学のなかには、せっかく入学した生徒に脱落されたら商売あがったりという考え方をするところも出てくるかもしれない。

少なくとも「税金の使われ方を厳密にチェックする」という意識を営利を追求する民間の大学に持たせることは簡単ではないはずだ。

生活保護の例を持ち出すまでもなく、給付金的な支援制度にはインチキがついてまわる。残念ながらそれが現実だ。

支援を受ける当人がインチキを企むだけでなく、運営する側のチェックがズサンであれば、いとも簡単に莫大な税金が無駄になる。

エラそうに書いているくせに対案があるわけではない。ただ、既にここで書いたような問題点は各方面からも指摘されている。頭脳明晰な官僚ならムダ抑止の観点から二重、三重のチェック機能や実効性の上がる制度の骨子を固められるはずである。

これまでの議論は世帯年収ありきで進んできたように思えてならない。それでは「働くのがイヤだから大学に行く」というモラトリアムな若者を増やしかねない。

あくまで学生本人の就学意欲の判定を明確にルール化することが大前提だろう。その上で世帯年収に応じた段階的な支援制度を作り、結果的に無償になる世帯も出てくるのが筋の通った話だ。

奨学金に関しても成績に応じた内容にするのが当然。画一的に返還不要にするという発想は単なるバラマキだろう。

「安倍総理の肝いりだから」。今後法案作りに励む官僚の人々にこの一点で思考停止されたら困る。そんな忖度で物事を進めたらムダ遣いの温床になりかねない。

しっかり税金を納めている人からすれば、大学無償化問題は「自分には関係のない話」と片付けてしまいがちだ。ただ、制度自体が自分に無関係だろうと、そこに使われるカネは自分達が納めた税金である。安易にコトが進むのはたまったものではない。

2018年7月6日金曜日

死語の世界


♪ダイヤル回して 手をとめた~♪
不倫ソングの決定版「恋に落ちて」の歌詞だ。とてもナイス?な描写だが、若い人にはピンとこないらしい。

昔の電話機を知らない人にとっては「ダイヤルを回す」は死語である。テレビも同じ。「チャンネルを回す」という表現も無くなった。

自分が普通に使っていた言葉が死語になっちゃうのは複雑な気分だ。ジジイ宣告みたいでイヤだ。まあ仕方がない。

籠球 排球 蹴球。これは死語と言えるか微妙だが、すっかり聞かれなくなった。バスケ、バレー、サッカーのことである。

中学生の頃に知った言葉だ。生徒名簿の生徒の名前の横にそれぞれの部活が記載されていたのだが、一文字だけ「籠」とか「排」と書かれていたので意味不明だった。

漢字表記にすると古めかしいイメージだが、見方によっては斬新でカッチョ良くも思える。テニスの「庭球」はどことなく優雅だし、バドミントンの「羽球」も可憐な感じだ。

ちなみにホッケーは「杖球」なんだとか。ちょっと冴えない。ゲートボールみたいなイメージである。ゲートボールを調べてみたら「門球」らしい。直訳やんけ!とツッコミたくなる。

脱線した。死語の話を書こうとしていたんだった。

サッカー用語のオウンゴール、ゴールデンゴール方式は、かつては自殺点、サドンデス(突然死)だったが、縁起が悪いから変更された。

野球の場合、「死球」や「併殺」を今も普通に使う。「デッドボール」とカタカナにするとアチラから来た言葉のようだが、あれも単なる和製英語である。

サッカー業界は国際基準で用語を統一することに神経を使っているようだ。野球よりサッカーのほうがどことなく垢抜けた感じがする理由の一つかもしれない。野球派の私としては少し口惜しい。

スポーツから話をそらす。

「キュロット」が死語になりかけていると聞いた。女子の服のことだ。スカートのように見えてパンチラにならないアレである。今はガウチョとか別の呼び方らしい。

スパッツも今はレギンスと呼ぶのが普通らしい。新しい感じを求めると呼び方まで変わっていくのだろう。

タートルネックを今も「とっくり」と呼んでしまう私からすればついて行けない話だ。まあ、ついて行く必要もないが。

ジーパンなんて死語の最たるものだろう。「ジーパン刑事」を知る世代としては何となく残念な気分だ。ジーンズですら古いらしい。「デニム」。こしょばゆい?響きだ。

チョッキもしかり。ベストならともかく「ジレ」とか呼ばれているのを聞くとチンプンカンプンだ。

ズボンも死語である。パンツと呼ぶのがいつの間にか普通になった。ヘタをすると「ボトム」とか呼ばれている。

私の世代にとってはパンツは下着のイメージだ。ズボンプレッサーをパンツプレッサーとは言わないのだから“ズボンの復権”に期待したい。

他にも最近私が実際に使った言葉で変な反応をされたのが「アベック」と「細君」と「タメ」である。ほぼ死語らしい。

時代がどんどん私を置いてけぼりにするようでチョッピリ切ない。

「今日は半ドンだから、マブいアノコとシャコタン飛ばしてBまでしちゃうぜ。バッチグー!」

海に向かって大声でそんなことを叫んでみたい。

2018年7月4日水曜日

抹茶ティラミス かき氷 モンブラン


近頃のコンビニスイーツはやたらと美味しくてビックリする。あれじゃあ街のケーキ屋さんは商売あがったりだろう。

私はそこそこ「スイーツ男子」である。家でテレビを見ながらお茶と甘味でホゲホゲする時間が大好きだ。

我が家の冷蔵庫には「こしあん」を常備している。小皿にちょろっと盛って小さいスプーンでちろちろ食べながらお茶を飲むのが最高だ。ヘタなお菓子より単なるこしあんをストレートで食べる方が間違いがない。

さて、先日、頂き物のお菓子をやたらと気に入って自分でも取り寄せてみた。その名も「備前焼みるく饅頭」である。


さほどポピュラーではないらしく、ネットで探すのに少し手こずった。白あんとジャージー牛乳の風味が絶妙に混ざり合って食感もしっとり。絶品である。

甘味が好きとはいえ、わざわざそのためにどこかに出向くほどのマメさはない。でも、女子高生の娘にせがまれると喜んでアチコチに出かける。

先日は入間まで出かけた。埼玉の向こうの方である。アウトレットパークで父親にあれこれ買わせたい娘が、パーク内のスイーツ屋にもあたりをつけていたようで「抹茶館」という店で甘味ざんまい。

京都で人気を集めている店の関東初出店だとか。枡に入った宇治抹茶ティラミスが名物らしい。



甘さ控えめで品のある味わいだった。正直言えば私はもっと下品に甘い方が好きかもしれない。そこは好みの問題だ。日々、いろんなスイーツを食べている女性には上品さが斬新なんだろう。

別な日、学校が早く終わったという娘から「かき氷が食べたいから付き合え」との指令が下る。私の職場から遠くない目白にある甘味処「志むら」が目的地だ。

午後のひととき、仕事をさぼって娘と合流する。この店のかき氷は昔から地元で有名だったのだが、近年はSNSやメディアのせいで簡単には入れないほどの人気店になってしまった。


期間限定の「つぶつぶ夏みかん」である。いやはや素晴らしい。酸味を中和するために氷の中には適量の練乳が潜んでいた。絶妙だった。

黒蜜きなこ味などの私が好きなかき氷も捨てがたいが、期間限定だとついついレア感に誘われてしまう。

この日、娘は「生イチゴ」を頼んだ。他にもメニューにはそそられるラインナップがあったのだが、さすがに氷ばかりを大量には食べられないから2人で2品で我慢する。当たり前か。


さてさて、今の世の中は愛煙家にはツラい状況である。喫茶店なのにタバコが吸えないクソったれみたいな店も珍しくない。

レストランもダメ、路上もダメとなると、食後の一服という私にとっては、呼吸するのと同じぐらい当たり前のことも制限される。

とある日、銀座8丁目のインド料理屋で食事。ああいう強い味を楽しんだ後の一服は欠かせない。でも、タバコを吸える場所がない。

仕方なく銀座通り沿いにある「カフェパウリスタ」に入る。明治時代にルーツを持つ我が国喫茶店業界の大名跡?である。

この近辺で食事した後に立ち寄ることが多いのだが、目的は食後の一服である。単なる喫煙所として使うのは申し訳ないので、いつも甘いモノをオーダーする。


この日はモンブラン。良くも悪くも味は普通である。でもその普通な感じに独特な安心感がある。いわば昔っぽい味だ。

郷愁を誘う感じにすっかりヤラれてしまうようになったが、甘いモノに関しても同じだ。SNS映えみたいなオシャレ~な一品よりもオーソドックスな一品に魅力を感じる。

そんなことを書いていたら無性に「冷やし白玉汁粉」が食べたくなってきた。

2018年7月2日月曜日

高級サムギョプサル 美ら菜苑


サムギョプサルといえば韓国料理の定番だ。味付け肉を焼く一般的な焼肉とは違い、そのまま焼いた豚の三枚肉の厚切りをミソや各種和え物なんかをトッピングしてサンチュやエゴマの葉っぱに巻いて食べるヤツである。

なんだか回りくどい説明になってしまった。

いつのまにか日本にも専門店が増えてきた。私もイマドキのJKである娘にせがまれて何度か出かけている。若者向けの価格帯の店が多いようだ。

一般的に“牛肉一番主義”みたいな風潮があるせいか、豚肉料理といえば大衆路線が大半で高級路線は少数派だ。

牛肉よりも豚肉が好きな私にとっては、1ランク下に位置付けられているような豚肉を取り巻く環境が気の毒で仕方ない。

スペシャルな豚肉はもっと賞賛されて然るべきだと思う。

で、スペシャルな豚肉を出す店に行ってきた。銀座7丁目にある「美ら菜苑」がその店。ありそうでなかった「高級なサムギョプサル」を出す店だ。



この店は、「美らしゃぶ亭」という極上豚しゃぶを出す店の姉妹店である。わが母校の後輩が経営者なのだが、お世辞抜きで抜群にウマい豚しゃぶを出す。何度も使わせてもらっている。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/04/blog-post_18.html

この春オープンした「美ら菜苑」はサムギョプサルやポッサム(蒸し豚)などを中心に野菜にもこだわった店。韓国料理と沖縄料理が融合したようなメニューが並ぶ。

店内は高級感があり、ゆったりした個室もいくつもある。サムギョプサルがウリの店なのにゴージャス系という斬新な路線だ。



肝心の肉は沖縄産の銘柄豚をいくつも揃えている。安くはない。1人前3千円~5千円ぐらいだから、高級焼肉屋の牛肉も顔負けである。ただし、甘味、ウマ味たっぷりの極上豚である。

正直、ナムルっぽい具材をトッピングして葉っぱに巻いて食べるのが惜しいぐらいである。まあ、それは野菜嫌いの私の感覚である。

野菜をビュッフェ形式で食べさせるのも特徴だろう。こだわりの野菜が大量に用意されている。肉に混ぜたり巻いたりする野菜はより取り見取りだから女性には刺さるやり方だろう。


サイドメニューもアレコレある。肉ばかりバンバン追加しちゃって破産しそうな場合は、上手にサイドメニューも取り入れるのがオーダーのコツかもしれない。

この日は幻の豚として知られるアグーの肉を使ったギョウザを食べた。マッコリもウマかったし、他にも気になる一品メニューが揃っていた。


「高くてウマいのは当たり前、安くてウマいのがエラい」。これは一つの真理ではあるが、安くてウマい店の多くは、味以外のいろんな面でシャバダバな部分があるのも確かだ。

高くてウマいを単に当然だと片付けるのも短絡的だ。店のしつらえやサービス、くつろげる雰囲気なども含めて納得できれば、大いにアリだと思う。

豚肉1人前だけの値段で大衆酒場に2回行けるなどと計算しているようでは、富豪への道のりは険しい。

2018年6月29日金曜日

交際クラブに入ろうか

目立った進展がない様子の紀州のドンファンの事件。ワイドショーの関心も徐々に他に移ってしまっている。

ボッキュンボンの若い妻、愛犬イブちゃん、デヴィ夫人等々、世間の関心を集める素材にコト欠かないから、動きがあり次第、再びブーム?が再燃するはずだ。

さて、ドンファンさんのおかげで、がぜん注目されているのが「交際クラブ」だ。多くの人がその存在は知っていても詳細がよくわからない世界である。

インチキだ、サクラばっかりだ、デリヘルのボッタクリ版、美人局だろう等々、知らないものに対してはそんなネガティブイメージもつきまとう。

ところが、ドンファン氏が交際クラブをベースに数々の美女とネンゴロになっていたという話が広まるにつれ「ホントに可愛いコちゃんをゲットできるみたいだ」という変な安心感?が生まれているらしい。

というわけで、「交際クラブ」をネットで検索してみた。出るわ出るわ。情報があふれている。入会金、セッティング料金はいろいろだが、男女ともに身元がわかる登録制ということが共通している。

自分の個人情報をさらしてまで登録したくはないが、そんなことを気にしない人にとっては実に簡単な仕組みだ。でも、家庭がある人や勤め先が風紀に厳しかったら二の足を踏むはずだ。実際はどうなんだろう。

男女ともに、そういう場所で知り合ったことは隠すから、実際の体験談を聞きたくてもなかなか難しい。ネットに体験談が出回っているが、あんなものは業者作成のヤラセだろう。

もう15年ぐらい前になるが、仕事で付き合いのあった当時50歳ぐらいの税理士さんが、銀座に拠点のある交際クラブに登録して奮戦していた話を聞いた。

その頃は、あまり興味がなかったのでテキトーに聞き流していた。いま改めて詳細を尋ねてみたいが、その人は2年ぐらい前に若年性痴呆が進んじゃって施設に入ってしまった。残念ながら取材不能である。

ここはひとつ、私が身をもって体験してここで報告したいものだが、そうもいかない。なんとなく躊躇してしまう。

結婚相談所ならともかく、ソッチ系の場合は、はっきり言って肉体関係を前提にした「交際」を有料で斡旋してもらうのが特徴だ。夢見がちなロマンチストである私としては、ストレート過ぎる感じが気に入らない。

セッティングしたらその後は個人の交渉でというスタイルだ。体裁上は管理売春にはならないのだろうが、平たくいえば売春の斡旋には違いない。

別に気取ったことを書く気はないが、どことなくワクワクできない。いや、何だかんだいっても風俗へ行くよりはワンクッションあるからワクワクするかもしれない。

ウダウダ書いている私だって、正直に言えば、個人的に知り合った人と真剣交際というより、ソッチの関係での付き合いを持ちかけることはある。現役の男だし、独身だし、その女性が魅力的なら伏してお願いしたい時だってある。

ぶっちゃけて言えば「チップ」を渡すこともある。人並みにスケベ心を持っているいっぱしのオジサマである。そんな状況になっちゃうこともある。

気の利いたサービスには御礼も必要だろう。心付けを包むのと同じような感覚と言ってもいい。飲みの席に付き合わせて遅くなったらタクシー代を渡すのと感覚的には似たようなものだ。

とりあえず“お金ありき”には抵抗があるが、結果的に相手が何を目的にして、どう思っているかはこっちは知るよしもない。

考えてみれば、いまハヤリの相席居酒屋にしても、パパ活を目的にしている女性と知り合えば同じことだろう。

相席居酒屋に限らず、今の時代は、若い女性と中高年男性を引き合わせる飲み会や食事会などを定期的に開催している飲食店の話をよく耳にする。

そこで展開されている駆け引きや交渉?は、交際クラブのそれと違いはないのかもしれない。

その昔、私が10代後半だったころ、「夕ぐれ族」という斡旋組織が話題になった。俗に愛人バンクと呼ばれて社会問題化したのだが、当時イケイケだった私は世の中のオッサン達の行動が理解不能だった。

あれからウン十年、今の私はバリバリのオジサマだ。当時のオッサン達の気持ちがある程度は理解できる。そこまでして奮戦したがっていた肉食的男気に敬意を表したいぐらいだ。

なんだかすっかり交際クラブ支持者みたいな書きぶりになってしまった。

いろいろと相手にしてくれる人がいなくなったら登録しちゃうのかもしれない。そうなったらここでその事実を白状できるかどうか。。。

ビミョーである。