2020年2月19日水曜日

ナゼか漢検を受ける


先週末、何を血迷ったか「漢検」を受けてきた。漢字検定である。



娘にそそのかされて、というか、娘に「そんなもんチョロいぜ」と言ってしまった手前、受けないわけにはいかなくなり、親子一緒に2級の試験を受けに行った。

合格ラインは正解率8割だとか。娘は余裕だったみたいだが、私は7割に満たない程度で惨敗である。

読みに関しては100%出来たが、実際に漢字を書かされる設問が多かったから合格ラインには届かない。書けるつもりで書けないもどかしいものがいくつかあった。

一番のショックは「勃発」の「勃」が書けなかったことである。「勃起」の「勃」である。毎日のように口にしている言葉なのに、いざ書こうとしたら微妙に思い出せない。



悔しいったらありゃしない。「勃」が書けないなんて男として生き恥をさらしている。反省だ。

他にも旧字はダメだと分かっていたのに「蛍雪」と書くべきところをを「螢雪」と書いてしまう意味不明なミスを犯すなど完敗である。

さて、ここからは言い訳だ。私は漢字には強い方だ。なんてったって書きもの商売である。30年以上も書く仕事に携わってきた。

しかし、ここ20年以上、書くという作業はキーボードを叩くことになってしまったから、若い頃はすらすら書けた漢字がすぐに出てこない。

ついでに言うと、新聞業界は独特の送りがなを使うので、厳密にいえば正しくない用法でいつも漢字と向き合ってきた部分もある。

おまけに普通に書ける漢字も、殴り書きが習性になっているから、はねる、とめる等のキチっとした部分が曖昧になりがち。

ササっと書いても流し書きみたいになっちゃうと不正解にされてしまう。いちいち消しゴムで消してキチキチ書き直す作業に追われた。これに随分時間を取られた。



お手上げだったのは「部首」の問題。部首なんてこの40年以上まったく意識したことはない。中学高校時代ですらこんなものを習った記憶がない。そんなはずないか・・・。

この質問を見ても「何ですのん?」とポカンとしてしまった。当てずっぽうに答えたら半分は正解だったが、部首なんて基本から勉強し直さないと全然分からない。

一応、試験前に問題集を買ってはみたが、ちゃんと活用するほど開かなかった。やはり真剣に勉強しないとさすがに正解率8割は厳しい。私のようにナメてかかると痛い目に遭う。

ただ、過去問を10年分ぐらいしっかりこなして、部首の勉強を数日は真剣にやれば、オジサンオバサンだって合格は可能だろう。

問題はその「努力」をちゃんと出来るかどうかである。高校生の頃、参考書を買うだけで満足しちゃった人は多い。まさに私のことだ。



今回も受験申込みをして問題集を買った段階で、妙な達成感?があった。「こんな歳になって漢検を受けてみる自分」に満足していたのだろう。

バカである。

でも、とっても楽しい時間だった。これは予想外だった。いまさら試験というものを真面目に受ける機会はなかなか無い。

試験官の合図で答案用紙を開いた瞬間のアノ独特な緊張感にグっときた。必死に集中して設問を解いていく作業は結構刺激的だった。

シャープペンに消しゴムである。これまた日頃は使わなくなったアイテムだ。カリカリと解答を書いていく作業が新鮮だった。日頃ヌタヌタした?暮らしぶりの私の心が洗われていくような気がした。

脳トレには非常に良い。たかだか1時間程度だったのだが、試験が終わったら仕事の時とは違う心地良い脳ミソの疲れを感じた。

娘が不合格になってくれれば一緒に再挑戦するのだが、私ひとりではモチベーションが上がらない。

娘の鼻をあかすために、こっそり準一級を受けようかと考えたのだが、準一級の過去問を見たらまるで無理である。

準一級はちょっと異質な世界みたいだ。試験内容が専門家向けというか、あまりにもマニアックである。

日常的に役に立つというレベルでは2級の勉強をしたほうが賢明だと思う。

思いつきで1回受けたぐらいで終わりにしないで、きっちり合格を目指したい気持ちも一応は持っている。

問題はそこから先のモチベーションの維持だ。ヌタヌタした暮らしにどっぷり浸ってしまった私にとっては険しい道である。



2020年2月17日月曜日

追悼ノムさん 昔のパリーグ


カネヤンに続いてノムさんも亡くなってしまった。今年は高木守道も亡くなった。プロ野球の往年の名選手の訃報は淋しい。

星野仙一もいない、衣笠もとっくに天国に行ってしまった。昭和の野球少年人とっては感慨深い。



今日は昔の人の固有名詞だらけだが、内容を考えて敬称抜きで書きます。

長嶋茂雄が引退する頃に野球に熱中し始めた少年の頃の私は、当時の野球選手の一挙手一投足に目を奪われた。

テレビに映るのは巨人戦ぐらいだからセリーグの選手は画面で見られた。でも、パリーグの動向は新聞やニュースでチョロッと紹介されるだけだった。

子供の私から見ると、まさに謎めいた世界だった。そのパリーグでロッテを率いたカネヤン、南海を率いていたノムさんといえば、子供心に恐そうなオッサンだなあという印象だった。

西武ライオンズが創設された頃、選手としては晩年のノムさんがメンバーに加わった。あの頃既に40歳を軽く越えていたノムさんの動きは俊敏とは程遠かった。

西武は新球団だったが、看板である東尾や田淵は既にベテラン。そこにノムさんまで加わったわけだから、寄せ集めみたいなチームだった。その後の黄金期が信じられないような草創期だった。

パリーグといえば、張本が打って福本が走って、鈴木敬示や山田久志が投げ、カネヤンは誰かを蹴っていた。

スマートじゃない野武士みたいな選手ばかりだった印象がある。阪急の長池、米田あたりは記録は凄いのに知名度は無かった。実に気の毒だ。

Amazonプライムのオリジナル番組「プロ野球そこそこ昔話」をご存じだろうか。漫才のナイツが司会で、金村義明がサブ司会みたいなポジションで、2030年前の野球界の裏話を展開する番組だ。



全部で15回ぐらいのシリーズだが、毎回、ややディープなゲストがトークに参加して、ほぼずっと野球そのものからは脱線した話ばかりが繰り広げられる。

元近鉄の栗橋茂、元広島の高橋慶彦、元ダイエーのカズ山本など濃い面々のヘンテコ話や武勇伝がやたらと面白いので、野球好きな方には強くオススメする。

巨人の左のエースだった高橋一三もパリーグに移籍した途端にパリーグの人みたいな顔に変貌した。逆に巨人に移籍してきた張本はすっかり優等生の雰囲気を醸し出し始めた。

速球王としてバリバリだった阪急の山口高志の顔もごっつくて、セリーグの速球王だった中日の鈴木孝政のシュッととした風貌とは異質だったことを思い出す。



白仁天というコワモテの選手もいた。ロッテの主力打者で、その後、韓国に戻ったら姦通罪か何かで刑務所に入ったというオチまであった。

南海時代の江本のヒゲもパリーグ的だったし、ロッテの村田兆司や有藤の顔なんかも、これぞパリーグ顔といった風情だった。

かの江夏豊だって、選手時代後半のあのオッソろしい雰囲気はパリーグという舞台だからこそ輝いたように思う。




いまでこそスタイリッシュな感じの日本ハムのユニフォームも、かつては信じられないぐらいダサかった(ゴメンなさい)し、西武に身売りする前の太平洋クラブライオンズのユニフォームのヘンテコぶりも衝撃だった。

あの頃、パリーグの試合は信じられないほど観客がいなかった。ちなみに北海道に移る前の日本ハムの本拠地は後楽園球場。巨人と一緒である。とはいえ、巨人戦の年間指定席を持っている人には日本ハムのチケットもタダでついてくるという状況だった。

私の祖母が後楽園の年間指定席を持つほど熱烈な巨人ファンだったので、オマケでついてくるニッポンハム戦のチケットを持って、時々観戦に出かけた。当然のようにガラガラだから横になって見ていたことを思い出す。

平成に入ってからのプロ野球界の変貌ぶりは驚異的だと思う。パリーグの球団も経営努力の結果、満席も普通のことになった。

いま思えば昭和の球団経営って何だったんのだろう。実に不思議だ。パリーグの猛者たちがふてぶてしい風貌で野球に取り組んでいた背景にはいろいろな大人の事情もあったのだろう。

昭和50年代あたりの野球の話を書き始めるとキリがない。このテーマで意気投合するオッサンと酒を飲んだら朝まで延々と議論できそうな気がする。

2020年2月14日金曜日

つけ麺の問題点


ラーメンには特別こだわりがないから、黙々とサッポロ一番を食べていればいいのに、さすがに時々はお店のラーメンが食べたくなる(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2020/01/blog-post_8.html)。

ラーメン屋さんで食べる場合、私の好みはオーソドックスな醬油ラーメンか味噌ラーメンだ。塩ラーメンは本場・函館でもさんざん食べたが感心したことがない。サッポロ一番塩ラーメンが一番だと思う。

ラーメン好きな人、ゴメンなさい。

我がバンドメンバーにマメにラーメンブログを更新している男がいる。ラーメンの寸評よりどうでもいい脱線ネタを楽しみに読んでいる。


彼のブログを読んでいても、最近のラーメン業界はつけ麺の勢力がグングン強まっているのが分かる。



いつからそういう風潮が強まったのだろうか。私が食べ盛りだった昭和の頃は、つけ麺はあまりポピュラーではなかった気がする。

先日、東京駅近くの商業ビル地下のラーメン名店街みたいな一角で、つけ麺の人気店に入ってみた。その日は中途半端な時間だったので、行列はなくスムーズに食べられた。

有名な大勝軒の流れを汲む店らしい。チャーシューメンが食べたかったのに、雰囲気にのまれてつけ麺を注文。

正直イマイチだった。麺も美味しい。スープも悪くない。でも美味しく感じないのはナゼかと真面目に考えてみた。

で、気付いたのが「ヌルい」という理由だ。当たり前の話だが、私にとってはこれが致命的だ。つけ麺にちっとも惹かれない理由がようやくわかった。

冷たい麺を熱いスープに何度も何度もくぐらせるわけだからスープはアッという間にヌルくなる。

ラーメンに限らず、食べ物のウマいマズいを決める大きなポイントが「正しい温度かどうか」である。

たとえば、ヌルい餃子にヌルいビールが出てきたら十人に十人がマズいと感じるだろう。

ハンバーグやカレー、シチューにグラタン、すき焼きに天ぷら、ウナギに焼鳥等々、どれもヌルかったらちっとも美味しくない。

ざる蕎麦やざるうどんにしても、冷たい麺には冷たいツユが基本だ。その点、つけ麺の多くが冷たい麺に熱いスープである。この組み合わせが美味しくない元凶だろう。

「あつもり」を頼めば問題ないのだが、あれはあれで麺がくっついたりしてスムーズではない。

四国名物・釜揚げうどんのように熱い湯の中に麺を浮かべて出せばいいのかもしれないが、そんなつけ麺はあるのだろうか。

友人のラーメンブロガーによると「スープが冷めちゃう問題」に関しては、途中でスープに焼き石を投入して熱さを復活させる店もあるらしい。

なかなか感心なサービスだとは思うが、そういうサービス自体、イマドキのつけ麺の欠点を店側がちゃんと認識している証のようにも思える。

私は結構な猫舌である。そんな私がつけ麺のヌルさが気になるわけだから、世のつけ麺ファンは、味変ならぬ温度変が気にならないのだろうか。



こちらは時々無性に食べたくなる新橋「ほりうち」のチャーシューつけ麺。チャーシューが親の仇みたいに入っている一品だ。

ここまで来るとチャーシューが基本で麺は付け合わせみたいなものだからヌルくても気にならない。いわば洋食屋のハンバーグの横にちょこっと添えられている味の無いパスタみたいに冷めていてもヘッチャラだ。

まあ、これは特殊な例だろう。寒い季節にはどうしたって普通のラーメンが恋しい。こちらは東池袋「大勝軒」で食べたチャーシューメンだ。



何の変哲もないオーソドックスなラーメンだが、ホッコリする味だ。昔ながらのラーメンに昔のようにコショウをふってズルズル食べるのが落ち着く。

得体の知れない調味料や味変のためのアレコレを投入しなきゃならないようなラーメンとは違う潔さが嬉しい。

ラーメンの好みなんて百人いれば百種類に別れるだろうから私がウダウダ書いたところで始まらない。

単に私が保守的オヤジだということなんだろう。

ちなみにこちらは自宅から徒歩数十秒の距離にある人気店「はしご」のダーローメン。中央区界隈にいくつか店舗がある。この日食べたのはチャーシューが入った醬油ラーメンだ。



この店、ドロドロしていないサラっと系の担々麺がウリの店だ。まるで好みではなかったので近距離なのに敬遠していた。

でも、普通の醬油ラーメンも評判が良いと知って改めて食べに行ってみた。普通に美味しかった。こういうラーメンで私は大満足だ。

きっと加齢も影響している。それだけは認めたくないのだが・・・。




2020年2月12日水曜日

浅草 エメラルダス グリルグランド


時々行きたくなるのが浅草だ。わが家の先祖はもともと浅草界隈の人だったから、私のルーツでもある。

電車で行けば割とすぐに着くのに先日は船で行ってみた。ウチからだったら浜離宮乗り場から乗船すれば済むのに、ヘンテコな形の船に乗りたくてわざわざお台場の乗り場まで行った。



アニメの巨匠・松本零士デザインのエメラルダスという船である。アニメには興味がないのだが、普段、隅田川沿いを散歩してる時にしょっちゅう見かけていたので気になっていた。

奮発して座席指定が出来るスペースを確保した。富豪である。飲み物4杯付きだから4杯しっかり飲めば高くはない。

普通の隅田川クルーズの船と違って妙にワクワクできる。小旅行気分を味わうには我ながら良いチョイスだったと思う。



4050分の航行中、随所で名所案内の音声テープが流れる。東京の素顔を垣間見るようなルートをゆるゆると進むから退屈せずに楽しめた。

浅草に着いてもとくに予定はなく、ただぶらぶらと散策。浅草は10年ぐらい前に比べるとシュール?かつ怪しい部分が減って、すっかり綺麗な観光地になった。

それでも適当に歩けば、昭和レトロを実感するような路地や謎めいた洋品店や定食屋が目を楽しませてくれる。

歩き回れば腹が減る。浅草にいるからには洋食を食べたい気分になるから、この日は人気店・グリルグランドに足を運ぶ。




肉の旨味、タマネギの甘味が絶妙なバランスのメンチカツをツマミにビールをグビグビ。悶絶という言葉しか浮かばない。

続いてはくりぬいたパンを器にしたパンコキール。分かりやすく言えば、マカロニグラタンのマカロニ抜きの部分、すなわちホワイトスースのみである。

チーズフォンデュかと思えるほどのしっかりしたチーズの風味にベシャメルソース的ホワイトソースがミックスされている。白ワインに合わせて味わうと、これまた悶絶である。



こちらは海老とカニのクリームパスタ。イタリアンのパスタとは別次元のニッポンの洋食屋さんならではの味付けが嬉しい。これまた白ワインに良く合う。やはり悶絶。

グリルグランドといえばハヤシライスは外せない。ワインのコクが強いデミグラスソースが個性的で「大人向けの本気の洋食」といった感じである。



この日はオムハヤシにしてみた。とろとろオムライスにドバドバとハヤシソースがかかっている。見ただけで悶絶。

オムはとろとろ、チキンライスも丁寧に仕上げられた優しい味わいだ。ハヤシソースの味が強めだから、オムライスをメインに味わいたいならベーシックにケチャップ版を味わうのもアリだろう。

欲張りな私はライスを単品でもらってハヤシソースをオムハヤシからすくい取ってミニハヤシライスにしてみた。



これまた素直に美味しい。オムハヤシも抜群だが、個人的にはここの個性豊かなハヤシソースは白ご飯に合わせるのがベストだと思う。

洋食屋さんに行くと腹八分目で抑えることが絶対に出来ない。昔からの習性である。洋食屋に行った後は必ず太田胃散のお世話になる。

お寿司やウナギも大好きだが、結局のところ、いわゆるニッポンの洋食というジャンルが私にとって一番のご馳走だ。常に悶絶しまくるのがその証だ。

ビックリするほどウマい寿司やウナギも幾度となく食べてきたが、真っ当な洋食屋さんのデミグラス、ベシャメル、タルタルといったヤバいソース達をまとった料理のほうが勃〇するほど興奮するのは確かだ。

お寿司屋さんや鰻屋さんでは酩酊するまで飲むことも多い。酒中心になってしまうパターンだ。それに比べて洋食屋さんではアルコールは二の次だ。

極論すれば洋食の店なら酒無しでも楽しめる。そのぐらい食べることを優先するのが私の洋食愛の証だと思う。

毎日でも食べたいのが本音だが、そんなことをしたら間違いなくデブデブロードまっしぐらである。

変な話、余命宣告を受けたら、きっと毎日毎日洋食ざんまいの日々になると思う。









2020年2月10日月曜日

ウナギで健康


外食は不健康、家メシは健康。これって誰もが思っている常識である。外食ばかりの私としては由々しき問題である。

外食はそんなに不健康なんだろうか。毎日のように塩分過多のラーメンをスープまで飲み干し、油ギトギトの揚げ物にソースをドバドバかけて食べていればダメだろうが、外食イコール悪者と短絡的に決めつけるのはどうかと思う。

家メシだって、安いスーパーで怪しげな挽肉を買ってきたり、怪しげな野菜をロクに洗わずに使ったりすれば上等な外食より不健康だろう。何をどう作ったとしても、濃い味付けにしちゃえば身体には悪い。

お寿司やウナギなら変な油を使うわけじゃないし、素材そのものを食べるわけだから、王道的な注文の仕方を守っていれば、かえって健康的だと思う。



強いて言えば、ウマい外食はついつい酒を飲みすぎるという点で不健康である。まあ、その点だけ気をつければ世間が言うほど悪いはずはない。

この画像は茅場町にある喜代川で白焼きをツマミに獺祭の飲み比べをした時のもの。冷酒のツマミ№1はウナギの白焼きと決めている私にとって至福の時間だった。



この店は白焼きも蒲焼きもウマいのだが、うざくが個性的で必ず頼みたくなる。細かく刻んでいないところが特徴で、これまた酒のアテとして最高だ。

中央区に引っ越してきて半年以上が過ぎたが、土地柄だろうか、美味しい鰻屋さんが近隣にいくつもあるのが嬉しい。

下の画像は「ぎんざ神田川」で撮った。銀座と築地と東銀座の中間ぐらいに位置する店である。白焼きと大丼である。なぜかこの店では一番大ぶりのウナギはお重ではなく、丼で出てくる。

見栄を張って一番上等なヤツを頼むとこれが出てくるわけだ。丼はお重より格下だと決めつけてはいけないわけだ。




もちろん、普通の鰻重でも充分ウマいので、ちょっと少食になりつつある私としては、見栄をはるのをそろそろヤメようと思う。

こちらの店はツマミもいろいろあって、半個室風の掘りごたつの小上がりがいくつもあって快適に過ごせる。

すっかりバカ高くなってしまったウナギだが、こちらは高級店の中では比較的リーズナブルだし穴場だと思う。

ウナギは専門店で食べるのが間違いないのだが、大衆割烹や料理に力を入れている居酒屋でもメニューに用意されていることがある。

そんなウナギもついつい注文してしまうのが私のクセだ。煮込みや刺身や珍味をツマミに酔っ払って、最後に鰻重が出てくるなんて極楽である。

専門店に比べれば劣る。たいていはタレがベタっと甘めで、運が悪いとどことなく生臭かったりする。

それでも食べてしまう。そこにウナギがあるならば胃袋に納めないと気が済まないのがウナギニスト、ウナガーとしての努めだ。



こちらは自宅から近い中央区某所にある鳥福という大衆割烹で食べた鰻重。吉田類が来そうな風情のオジサマ好みの渋い店だった。

店に入ったら、しっかり吉田類が来訪した時の写真が飾ってあった。さすがだ類!

疲れちゃって誰かと話しをするのも億劫な日には、入ったことのない渋い大衆割烹に陣取るのは悪くない。

馴染みになった店だと愛想の一つ二つも言わないと収まりが悪いが、一見の店だと誰に気兼ねすることなく仏頂面で過ごせる。

そんな時の締めに食べた鰻重。ウマいマズいを通り越して、何だか甘ったるい味が身体に染みこんで癒された。

外食が健康か否かを語るつもりが、ただただウナギへの偏愛ぶりを書くだけになってしまった。

2020年2月7日金曜日

バカには敵わない


交渉事において大事なのは理論武装だろう。知識の多い方が有利になるのは当たり前の話。

とはいえ、こんな常識が通用するのは「理屈対理屈」で交渉が進む場合に限っての話だ。

どんなに理論武装してもどんなに知識が豊富でも敵わないのが「感情的かつ無知な人」である。

弁護士さんによると、法律絡みの紛争時に交渉当事者がインテリであればあるほど、話を進めやすいという。

用語ひとつとっても理解が早いし、なによりも法律などの趣旨を感覚的に知っているため要点を絞り込むのが比較的簡単だとか。

これに対して、日常生活のなかで法律的なことにまるでタッチしない人々の中には「理屈より感情がすべて」というパターンが少なくない。

たとえば相続を例に取ると、遺言が公正証書だろうがお構いなし。「なんでアイツの方が多い」、「オレは認めない」、はたまた「こんな遺言でっち上げだ」ときりがない。おまけに心底そう思っているから厄介である。

公正証書の意味や法的位置付けを理解している人であれば、たとえ納得できなくても「公正証書まで用意されたら仕方ない」という意識が心の奥底に芽生えがち。

直情型の人の場合、公証人だろうが弁護士だろうが民法だろうが、雨が降ろうがヤリが降ろうが関係なし。「絶対ダメ」の一点張り。

結果、法律的には正当な立場であるはずの相手方が白旗をあげてしまう。まさに摩訶不思議な結末になったりする。

私もこれまで裁判を始めいくつも紛争事を経験してきた。法学部を出て、法律的な言葉が飛び交う環境で仕事をしてきたから、そういう課題にうまく対処できそうなものだが、実際は逆である。

しょせんは中途半端な経歴だから、いわばインテリもどきである。中途半端に裁判官や弁護士の言い分に納得したり頷いたりしちゃう。簡単に言いくるめられてしまうタイプだと思う。

その昔、不動産絡みのちょっとした揉め事の当事者になった際に、理屈も常識もいっさい通用しない無知な人と対峙してヘトヘトになったことがある。

あの時に学んだのは「無知は最強」という困った真理である。イヤミでも何でもなく感心した。「無知を前面に押し出して感情のまま一方的に主張し続けること」こそが最強の交渉術だと実感した。



随分と前振りが長くなったが、安倍首相の処世術?はそんな最強戦術に近いものがあるような気がする。

モリカケ問題にしても「桜を見る会」にしても理屈の外に身を置くことで逃げ切っている。

理屈対理屈という土俵に上がらないわけだから、攻める側も思うように戦えないというヘンテコな事態に陥っている。

思想家の内田樹さんの評論を読んで、つくづく安倍政権の強さというか、フニャフニャぶりの実相をみたような気がした。

安倍首相の振るまい方を愚者戦略とみなす内容だ。とても分かりやすい例えを用いた考察なのでゼヒ読んでいただきたい。



2020年2月5日水曜日

大箱店の意味 築地すし好




自分で言ってしまうが、私は寿司に関してはイッパシである。若い頃からB型気質を活かして「分かっている客」になろうと努力してきた。

客修行?も随分と頑張ってきた。恥もかいてきた。お金も使ってきた。普通のオジサンというカテゴリーの中ではかなり詳しい方だと思う。



そんな自負が邪魔になることも多い。一方的な思い込みが強くなってしまう。そのこだわりも大筋間違っていないとは思うが、柔軟性に欠けるようになる。

大箱のチェーン店のようなお寿司屋さんを闇雲に敬遠している点もその一つだ。

「すしざんまい」なんてどこの店舗も連日大賑わいである。マズかったら人気は保てないわけで「ああいう店はチョットね・・・」などと一刀両断に片付けてしまうのは問題だろう。

昨年、引っ越してから築地が徒歩圏になったので、いわゆる大箱チェーン系のお寿司屋さんが目に入る機会が増えた。

なかでもやたらと目に付くのが「築地すし好」だ。都内にあちらこちらにあるが、築地銀座界隈ではやたらと見かける。

で、築地にある「総本店」に出かけてみた。感想は「さすが。なるほど」である。あれなら人気が出るのも当然だ。

いつの間にか、敷居が高くなってしまった寿司の世界を手軽にキチンと、かつ非常に分かりやすく楽しませてくれる。

凝りまくってワケが分からなくなった店だらけになったラーメンの世界と似ているかもしれない。

街中の昔ながらの中華料理屋で、オーソドックスなラーメンを食べる時には余計なウンチクは考えない。それが普通だ。

寿司屋にしても、身構えて職人さんと対峙するような空気の店と、築地すし好のような店では過ごし方や気分もまったく異なる。

やたらと多彩なメニューも写真たっぷりで客の立場としてはラクチンである。値段だって良心的だ。飲み物だってやたらと豊富だし、季節ごとにニクいツマミだって勢揃い。

頼み方が分からない、値段が分からない、大将が恐かったらイヤだ等々、世間で言われる寿司屋をめぐるネガティブな部分がすべて解決している。

店は綺麗だし、サービスもヘタな個人店より遙かに丁寧、カウンターに並ぶ職人さん達も紳士的だ。

言ってしまえば一つの完成形なんだと思う。もちろん、シャリの味、握りの加減、〆モノの加減、煮詰めやガリの味付けを始め、難癖つけようと思えば気付く点はいくつもある。

ただ、それを越えた総合力はさすがだと思う。おまかせ一辺倒のイマドキの得体の知れない寿司屋で、店の都合を一方的に食べさせられたあげくに3万も4万も取られるなら、断然、こういう路線の店でのびのび食べる方が正しい。

ヘタに寿司にこだわりを持って生きてきたせいで、いま私が出かけるお寿司屋さんは顔なじみになった小体なお店ばかりだ。

小ぶりなお店の場合、誰とも話をしたくない時や疲れている時、考えごとがある時は行きにくい。そういう時は、こういうキチンとした大箱系の店の隅っこでボケっと過ごすのはアリだと思う。




この日は、ふぐの薄造りや刺身類の他、カニの身もしっかり添えられていたカニミソなどをつまみ、握りも炙り系を頼んだりして、思った以上に満足できた。

思い込みだけで闇雲に大箱を避けちゃうような感覚は、かえって我が身を窮屈にするだけだと改めて感じた次第。

フラットで柔軟でノンポリ?ぐらいのほうが変化のない日常にチョットした楽しみを加えられるのかもしれない。