2013年4月26日金曜日

距離感


お隣の国でちょっとした問題が起きているそうだ。

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2013042200162

日本人観光客が激減しているらしい。そりゃそうだろう。正直に言えば、もっと減っているかと思った。

ここ何年か前の韓流ブームに違和感を覚えていた人は多い。もちろん、作られたブームだからさほど強固に定着するとは思えなかったが、ちょっと考えれば、今のような空気になることは誰でもわかる話だ。

ここ何年もの間、アチラの俳優や歌手なんかに無節操にギャアギャアと入れ込み、アチラの国を舞い上がらせ、勘違いさせちゃった日本人にも問題があったのだろう。君子は淡交精神じゃないとダメだ。変に冷え込んだ昨今の状況はこれまでのトンチキぶりのツケと言ってもいいだろう。

私自身、陶磁器を目的とした韓国への旅を何度もしてきた。ひょいっと行ける距離だし、それなりにウマい食事も楽しめて気軽な旅の目的地として重宝していたが、うっとおしい韓流ブームの到来とともになぜか行く気をなくした。韓流ブームの反動による関係冷え込みによって尚更行く気にはならない。

日本と朝鮮半島との様々な事情を考えれば、そう簡単に蜜月状態になることは難しい。善し悪しとかそういう次元ではない。それが純然たる現実だ。

人間の狭量さと言ってしまえばそれまでだが、攻撃的な対応を続けられれば、冷静な大人の対応にも限界はある。どっちがどっちという話ではなく、どちら側にもそういう根がくすぶっている限り、スッキリというわけにはいかない。

世界中、どこの国でも隣国とはあまり仲が良くないみたいだ。近すぎるから余計なことまで気になったりする。市井の人々の近所付き合いと同じレベルなのかもしれない。

大事なことは結局、距離感の保ち方につきるのだろう。

今日は、イマドキの嫌韓問題を書くつもりではなく、「距離感」がテーマだった。

軌道修正。

つくづく最近は、人間のセンスは距離感の保ち方に尽きると感じることが多くなった。そう思うほど、距離感に関してイラつく場面が増えたような気がする。

仕事上の付き合い、知人、友人、家族、親戚はもちろん、まったくのアカの他人まで、日常生活のあらゆる場面で人との関わりは避けられない。

人と人が快適に過ごすためには「気配り」とか「配慮」が欠かせないわけだが、これって突き詰めれば「距離感の取り方」に他ならない。同義語と言ってもいい。

パワハラ、セクハラ、イジメに離婚、虐待に至るまで、距離感が間違っていることが
根本的な理由だ。

もちろん、言うは易し・・・で、適度な距離を心がけても相手の受け取り方によって印象は変わるから難しい。

配慮したつもりが薄情と呼ばれることもあるし、献身的な行いが鬱陶しいと一蹴されることもある。

要は相性にもよるのだが、問題は「ピントのズレた自分勝手」を恥ずかしいことだと認識できるかどうかだろう。

私自身、エラそーなことは言えないが、少なくとも、その時々や場面に応じて、相手との距離感が適切かどうかを自問自答するような人間でいたいとは思っている。

なんか書きぶりが大げさになってしまった。

距離感と言ってもさまざま。場の空気の読み方しかり、文字通り、物理的な身体の間隔もそうだ。ヘンテコな人が結構多いことに驚く。

電車の座席の感覚の取り方、道ばたの信号待ちで立っているときの距離感、列に並んでいるときの間隔、歩きながら道ですれ違う時の距離感でも「なぜだ!」と言いたくなるほど、見ず知らずの人に近づかれることがある。迷惑な圧迫感に時々たじろぐ。

だだっ広い大浴場、ましてや混雑していないのに、妙に近くで湯に浸かり始めるオッサンなんかに遭遇すると、蹴っ飛ばしたくなる。私にはソッチの趣味はない。異性だけで充分だ。

物理的な距離がつかめないということは、周囲に気が回っていない何よりの証だ。ご当人はお気楽だろうが、お友達にはなりたくない人種だ。

見知らぬ人はともかく、面識のある関係だと、物理的な間隔、距離というより、お互いの関係性を勘違いしているパターンにイラつくことがある。

シラけた雰囲気を読めないで打開することをちっとも考えない人、相手の都合を斟酌することなく時間を浪費させる人、相手が不快になるポイントを察知できない人、自分の価値観が相手と寸分違わないと思い込んでいる人等々、例を挙げればきりがない。

親しくもないのに、やたらとスキンシップをとってくるオッサンも困る。やたら肩をたたいたりして親密な様に振る舞われても困ってしまう。

相手が美しい女性なら、顔見知りでなくてもドシドシ触ってもらいたいが、オッサンのタッチは迷惑極まりない。

とはいえ、女性のいる飲み屋で、馴染みでもないネエサンにドシドシ触られるのは苦手だ。膝に手を置かれたり、腿をこちらに寄せてきたり、わざとらしくて不快だ。

10代、20代の頃なら素直に喜んだかもしれないが、こっちは立派なオッサンである。どこか清楚というか、おしとやか系に惹かれる。

とかいいながら壇密が好きなんだから果たして本当のところはどうなのだろう・・・。いやいや、やっぱり節度ありきだと思う。

飲み屋さんついでに言えば、銀座のクラブなんかで「開店○×周年記念」とかの祝い事によく遭遇する。ああいう場面でもオーナーママさんの「客との距離感」はさまざまだ。

あくまで控えめにアピールするパターンとドッカーンとアピールするパターンのどちらかだ。

その店のお客さんがどちらの路線を好むか次第だから、善し悪し云々ではないのだろう。でも、客が主役なのか店が主役なのか、客との距離感という意味で、店ごとの個性があって面白い。

個人的には「私が、私が」的にドッカーンとアピールされるのは苦手である。「グイグイ来る」のが仕事だろうから仕方がないが、さりげなくスマートに接してもらわないとついつい足は遠のく。

家族との距離感だって、家族という言葉の呪縛ですべてお構いなしになるのはダメだ。私の周りでも破綻しないで長々と夫婦関係を維持している人々は、総じて適度な距離感を保っている。

元は他人同士だからそれが最低限のマナーだろう。子供との距離感もしかり。成長とともに一人の人格が育ってくるわけだから、距離感に無頓着だと無用なトラブルを招く。

あれこれ書いたが、好きな人には、くっつきたくなって追っかけ回して辟易とされるパターンが私の実際の姿である。

そんなもんだ。


2013年4月24日水曜日

躍り食い


食べることへの貪欲さを象徴しているのが「躍り食い」だろう。なんとも凄い発想である。

「ワカメ酒」と並んで人間のあくなき欲求追及の究極の形だ。

生きたままのモノを食すことを禁じている宗教もあるそうだし、国だか都市によっては躍り食いそのものを残酷だとして禁止しているところもあるらしい。

まあ、そんなことを言っても、生牡蠣に代表されるようにナマの貝類なんかは世界中で好まれているのだから、あまりストイックになっても仕方がない。


ということで、「いさざ」の躍り食いを体験してみた。いさざとはシロウオの別称だそうだ。春告魚とも呼ばれるらしい。地域によっては躍り食いが名物になっているとか。

いつも出かける高田馬場の鮨源で、「今日は何か変わったものはあるかのう」と尋ねる私。職人さん達の目がキラッと光る。

で、登場したのが可哀想な可憐な小魚である。

躍り食い自体が、味わいというより、喉ごしだけを楽しむものだ。いや、その行為自体を喜ぶものだろう。だからウマかったのマズかったの、そういう次元ではない。

口の中でプルっと動いたりするのを感じながらゴクリと飲み込んでみる。う~ん不思議な感覚である。

食道から胃に落ちていくシロウオ君。きっと胃酸を浴びて悶え苦しみながら死んでいくのかと余計な想像が頭をよぎる。

ならば口の中で成仏させてやろうと、ムシャムシャ噛んでみた。わりと弾力があって食感としては悪くない。ポン酢と合わせればウマいと表現しても良い。どんどん調子にのって、噛んだり飲んだりする。

小鉢の中で泳ぎ回っているシロウオを箸で追い回しても、1匹ずつしか確保できない。そんな金魚すくいみたいな時間も楽しいが、食べるなら5,6匹まとめて口に放り込みたくなる。


お猪口を借りて、まとめて入ってもらった。そこにポン酢を垂らして一気に吸い込むようにズズズと口に入れる。

なんか口がムズムズする。でも悪くない。まとめて成仏してもらう。なんかクセになりそうな感覚だ。

調子に乗って、ロックで飲んでいた芋焼酎の中で泳いでもらうことにする。人間、一線を越えると残酷になるものだ。


氷の冷たさのせいか、元気だったシロウオ君は仮死状態に陥る。焼酎と共に味わう。酒に漬け込んだ魚のようで珍味の完成だ。

その後、底に沈んだ一匹を忘れてしばし放置していたのだが、発見してそれだけ取り出して味わってみた。焼酎の味が染み渡っていた。気の毒だが焼酎で調理された独特の味がした。

ここまで書いてみると、随分と自分が残酷な生き物になった感じがする。こと細かく描写するからいけないのだろう。

サラッと、「シロウオの躍り食いを楽しんだ」とだけ書いておけば食通っぽい感じなのに、あれこれ書けば書くほど話が残酷になっていく。

ワカメ酒を体験しても、アレコレ細かく描写してはいけないと心に刻むことにする。

さてさて、心が繊細な私だ。躍り食いの後は、なんとなく罪悪感に襲われる。貝類とか動いているイカの足だったら生きたまま食べてもちっとも気にならないのに、シロウオ君には目も口もあったから、どうも気になる。

死んだ後、エンマ様の前でスクリーンに映し出される私の生前の行動。そのなかに喜々としながら躍り食いをしている自分の姿が映し出される。エンマ様が下す処罰は、私自身が魔物達に生きたまま囓られるパターンだろう。

酔ったまま、そんな妄想に襲われる。なんて小心者なんだろう。だったら食わなきゃいいのにと思うが、既にまた味わいと思い始めているのだからタチが悪い。

そういえば、子どもの頃に何度も見た悪夢がある。自宅の庭で殺しちゃった小さな虫に復讐される夢だ。


「ツマグロオオヨコバイ」という虫だ。バナナ虫とか呼ばれるそこらへんで葉っぱに乗っかっている虫だ。春になるとアチコチで見かける。

私はコイツが大の苦手だ。悪夢に出てきた主役はコイツである。

奈良の大仏ぐらいのバカでかいサイズになったバナナ虫が私を睨んでいる。身動きも出来ずにワナワナ震える子どもの私。

5回ぐらいそんな恐ろしい夢を見た。「プリンセスプリンセス」のベーシストとして武道館のステージで演奏する夢ですら3回ぐらいしか見ていないのに、巨大バナナ虫に襲われる夢はもっと見ているわけだ。

ということで、シロウオが巨大化して私に復讐する夢を見るような気がしてならない。きっと焼酎の海の中を泳がされた私が、ヘロヘロになったところでガシガシ食われてしまうのだろう。

困った問題だ。

2013年4月22日月曜日

長嶋茂雄


3月の終わりにBSで放送された異色の映画を録画しておいた。

先日ようやく見た。ぶっとんだ。

なんと表現したらよいのだろう。なんともまあ凄い映画だった。感動というより、何度も金縛りにあったような気分になった。

これまでの人生でいろんな映画を見たが、「インパクト」という意味では一番だった。

「ミスタージャイアンツ 勝利の旗」という昭和39年に公開された映画だ。主演はもちろん長嶋茂雄だ。半世紀を経たいま国民栄誉賞をもらうアノ長嶋さんの映画である。

昭和38年のシーズンをベースに巨人の主砲に君臨する長嶋青年の苦悩と努力を描いた実にオッタマゲの映画だった。

セミフィクションというべき手法なのだろう。実際の昭和38年シーズンの動向も盛り込みながら、野球人・長嶋がしっかり役者としても演技している。

なんとも大らかなシーンが満載でビックリした。試合後、駐車場で長嶋を待ちかまえる少年と仲良くなって少年の家までクルマで送ってあげる長嶋さん。

自宅の塀にイタズラ書きを書きまくる近所の子ども達とニコニコ語り合う長嶋さん。映画に刺激されて実際に真似されたらどうしようという心配はなかったのだろうか。

合間合間には、売り出し中?の王選手も登場して、軽快にベタなセリフを連発する。

川上監督もしっかり長セリフを棒読みして渋さを発揮する。その後の「川上VS長嶋の確執」など想像も出来ない師弟関係だ。

藤田元司、広岡達郎あたりのその後の大御所も、長嶋の同僚として出演。照れくさそうに演技をかます。ちょい役で西鉄の中西太も出てきた。

みなさん青年である。映像が綺麗に保存されているせいで、妙にリアリティーがある。でも伝説の人々が若者のまんまで動いている。実に不思議な気分に陥った。

共演陣がまた凄い。長嶋ファンのタクシー運転手役に伴淳三郎、長嶋の世話を焼くオバサン役に淡島千景、銀座のバーで酔っぱらって長嶋に絡むのは水戸黄門で知られる西村晃。

球団広報として長嶋と語り合うのはフランキー堺、そのほかに淡路恵子、沢村貞子、宝田明、仲代達矢、草笛光子、三木のり平、加藤大介といった大スター軍団が登場する。

真面目に見ようと思ったわけでなく、正直、暇つぶしに録画したのだが、見始めたらまさに身を乗り出して鑑賞した。絶対にこの録画は消去できないほど貴重だ。ブルーレイディスクに保存して後生大事にしようと思っている。

入団6年目ぐらいの長嶋さんだ。まだまだ伝説のスターになる前の伸び盛りの頃だ。そんな頃からそんな映画の主役を務めていた事実が凄い。タダモノではない。

野球ぐらいしか娯楽がなかった時代とはいえ、今の時代、スポーツ選手がどれだけ活躍したってこんな映画は生まれないだろう。

「ミスタージャイアンツ」という呼称は、てっきりベテランになった長嶋さんに付けられたものだと思っていたが、入団5年やそこらで既にそんな称号を手にしていたとは驚きだ。

まあ、レンタルビデオ屋にも無さそうな映画の話を書き続けても仕方がない。

長嶋さんである。

昭和49年10月の後楽園球場での引退セレモニー。テレビの前に釘付けになったことを覚えている。私が小学生の頃だ。

長嶋ファンの祖母が涙を流す。野球少年になり始めたばかりの私も大事件なんだと必死にテレビを見た記憶がある。

全盛期のバッティングは覚えていないが、あの華麗な守備はおぼろげに覚えている。子どもが基本として教わるような動きとは異質な流れるような身のこなし、大リーガーの華麗さとも違う「長嶋流」のリズミカルな「形」の美しさは誰にも真似できないレベルだった。

引退後すぐに監督になった長嶋さん。いきなりリーグ最下位という屈辱に沈む。

私の「長嶋像」は実はその頃の印象が強い。後楽園球場の年間指定席まで持っていた祖母に連れられ、頻繁に試合を見に行ったのがあの年だった。

いつもピッチャー交代で出てくるのは新浦。これがまた打たれる。代打で出すのは「原田」。これまた凡打ばかりだった。子ども心に「なんで新浦?」「また原田?」とイライラしながら長嶋監督にブーブー文句を言っていた。

その後、加藤初、張本なんかの加入、小林繁も踏ん張って初優勝した時の長嶋さんの笑顔がまた素晴らしかった。

その後、勘ピューターなどと揶揄されながら監督業を続けたが、突然の解任劇。野球界から距離を置き、カールルイス相手に客席から「ヘイ!カール」と大騒ぎしたり、旅番組で意味不明の解説をしながら、巨人復帰待望論が異様に熱を帯びていったことは記憶に新しい。

私自身は、高田選手のファンだったし、年齢的に長嶋ファンという位置付けではない。それでもアノ人は別格であり、軟式とはいえ野球をかじったモノとしては、崇拝の対象として見ていた。

大学生になって、神宮球場で見た六大学野球。敵チームには長嶋一茂がいた。対峙するピッチャーは私のクラスメートだったのだが、ヤツはいとも簡単に一茂に打たれた。でも「長嶋さんの息子なら仕方ない」と妙に納得したことを覚えている。

その後、なぜか長嶋一茂を偶然目撃することが重なった。ある時は六本木のレストラン、ある時は繁華街の路上で。彼はいつも綺麗な女性を連れていたのでムカついたが、「長嶋さんの息子なら仕方がない」と自分に言い聞かせていた。野村監督の息子であるカツノリだったら、きっとそう思われないだろう。

おっと、話がそれた。長嶋監督である。

そして「33番」を背負って颯爽と現場復帰。

「長嶋監督」といえば「背番号33」をイメージする人が多いようだが、私は断然「背番号90」の監督時代が好きだった。

「33番」として伝説的な監督返り咲きを果たした時には、長嶋さんは大袈裟ではなく野球界では神聖不可侵な「神」になっていた。侵してはいけない別格な存在になっていた気がする。チームもFAの恩恵でアホほど補強をして常勝態勢になり、面白味に欠けてきたような印象がある。

「90番」の頃の長嶋さんはまだまだ俗っぽい長嶋さんだった。凡人達が平気で批判したり野次ったりしてもムッとしてくれそうな俗っぽさがあって、それがまた魅力的だった。チームも弱かったし、その状況と奮戦している長嶋さんが野性的で格好良かった。

私の祖母が生前宝物にしていた写真がある。90番時代の長嶋さんをどこかのホテルのロビーで発見して、狂喜乱舞して2ショットの写真を撮ってもらった時のものだ。

強烈に腕を引っ張られて困惑する表情の長嶋さんと喜色満面の祖母が対称的で何とも面白い写真だった。

いま、長嶋さんを発見したとしても、「神」だからあんな強引なお願いはなかなか出来そうにない。

長嶋さんが「神」になっていく過程とその時代を段階的に共有できたことは幸せなことだと思う。


2013年4月19日金曜日

セクシーな歌


もう10年以上前の話だが、大ベストセラーとなった歌集で知られる歌人と食事をご一緒したことがあった。

俗っぽい世間話しかしなかったのだが、目つきというか、眼差しが常に強烈な好奇心に溢れているような印象があった。

歌を詠むことを生業にする人だから、目で捉えて脳で分析する能力が凡人とは違うのだろう。

もちろん、その世界で一線に居続ける以上、どんなときもアンテナをピンと張っているのだろうから大変そうである。

思いつきで戯れ言を綴るのとはワケが違う。言葉を生み出す人の大変さは想像を絶する。好き勝手にブログを書くだけでも表現に苦心する私からみれば、詩人とか歌人と呼ばれる人は宇宙人に近い。

ナゼこんなことを書き始めたかというと、Facebookにで面白い都々逸(どどいつ)をいくつも目にしたから。

常に江戸っ子のべらんめえ調で活動している母校の先輩がFacebookでいくつも傑作を紹介していた。詳しくは知らないが、俳句とも短歌とも違う、庶民の粋を表わした世界のようだ。

ウィキペディアで調べてみたら、江戸末期に都々逸坊扇歌という寄席芸人によって大成された口語による定型詩で、七・七・七・五の音数律が基本だとか。

主に男女の恋愛を題材としたために「情歌」とも呼ばれたそうだ。


●嫌なお方の親切よりも 好いたお方の無理が良い

こんな感じである。

思えば、この手の音律は、寅さんが映画で使っていた。

●テキヤ殺すに刃物はいらぬ 雨の十日も降ればよい

●信州信濃の新ソバよりも わたしゃお前のそばが良い

このテンポの良さ、七、七、七としっかり言葉を使い切ってから五文字で落とすスッキリ感が心地よい。

子どもの頃、教科書に載っていた明治維新の際の決めゼリフも都々逸らしい。

●ざんぎり頭を叩いてみれば 文明開花の音がする

都々逸というジャンルとかルールを知らなくても身近な標語のように浸透しているようだ。

いろいろ興味を持ってネット上で、粋な都々逸をアレコレ探してみた。

面白いもので、これまで私自身が好きで使ってきたフレーズも「都々逸」がルーツだったものがいくつもあった。

●恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす

●立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は 百合の花

俳句や短歌と違って、前半部分の言葉数の多さが情景描写の詳しさにつながり、口にした時の勢いも手伝って独特の威勢の良さにつながる。

はまったら面白そうだ。老後の趣味はコレにしようかと思い始めている。こういう楽しみをモノにできたら粋の極みだと思う。
真面目に考えようか。

他にもいくつか目についた色気のある都々逸を紹介したい。


●逢うたその日の心になって 逢わぬその日も暮らしたい

●君は吉野の千本桜 色香よけれど きが多い

●冷めたお湯から あがれぬように 冷めた恋から抜け出せぬ

●夢に見るよじゃ惚れよがうすい 真に惚れたら眠られぬ

●次はいつかと問う君の目に 答えられずに抱きしめる


いやはや艶っぽい。声に出して読むと妙に楽しい気分になる。

個人的にはもう少しエロティックな路線が好きだが、歌にするとどうしても上品になってしまうのだろうか。

とかいいながら傑作を見つけた。女性側の目線で読むと実にバンザイである。

●たった一度の注射が効いて こうも逢いたくなるものか

詠んだ人のセンスに完全脱帽である。

冒頭で書いたFacebookで紹介されていたのも逸品だった。

●あなた思うと眠れないのに 逢えば寝かせてもらえない

最高である。こういうのをスラスラ詠める人を尊敬する。「そういう人に私はなりたい」って感じである。

数年したら「趣味は都々逸です」「特技も都々逸です」と言えるような人間を目指そうと思う。


2013年4月17日水曜日

浮気


緊急時の通信手段の一つにしようと使い始めたFacebookだが、いまでは日常のオバカ話を載せたり、友人達の近況をチェックしたり、完全にお遊びツールになっている。

聞くところによるとFacebookのせいで浮気がバレたとか、仕事をさぼっていたのがバレたとか物騒な話も多いらしい。

友人が自分の書き込みを誰でも閲覧できる状態にしてあったことをひどく嘆いていた。

離婚経験者である彼には、何年も会っていない娘さんがいる。別れた元嫁と暮らす娘さんが、離れて暮らすオヤジのエロバカぶりを間違いなくチェックしていたであろうことに気付いて意気消沈していたわけだ。

私も2年前にFacebookに本格参入?した当時、閲覧制限機能を知らずに「フルオープン」状態でぬけぬけとヤバい話を載せたりしていた。

思い出すだけでもゾッとする。

イマドキの社会はデジタル化のせいもあって、何かと危なっかしい。まあ、危ないというニュアンスは男世界の感覚である。いろんなことがバレてしまうという意味である。

携帯やメールの履歴から浮気がバレた云々の話は珍しくない。面倒な時代である。それ以外にもカーナビの履歴だって侮れない。

「名古屋出張」のはずが「湯河原の温泉旅館」が目的地に設定されていれば言い逃れは至難のワザである。

ポケットにクシャクシャにして突っ込んでおいた洒落たレストランのレシートとか、クレジットカードの控えなんかも鬼門である。無造作に扱っていると、「何月何日何時何分に何人で」まで分かっちゃうことがある。

その手の「お客様控え」をキチンと処分しても、毎月1回郵送されてくる「カードご利用明細」なる記録を覗き見されたらイチコロというケースもある。

どんな時でも注意力と神経を最大限使っていればクリアできるはずだが、人間、なかなか徹底できないのがツラいところだ。

1泊でゴルフ」に行ったはずなのに帰宅後の洗濯物があまりに綺麗だったので、隠密旅がバレた知り合いがいる。こういうのはセンスの問題だと思う。脇が甘すぎる。

疲れた顔して帰宅して、さも大変だったかのような顔をしながら、スーツを脱ぎ、シャツを脱いだら、肌着を逆さまに着ていたことで浮気がバレたヤツもいる。ツメが甘すぎる。

どうせ頑張るのなら、もっと真剣に取り組まないとイカンと思う。

私だって草野球に行ったふりして、違うトコで違うコトをした時には、帰宅前に公園でユニフォームを泥水と混ぜて汚しておいた。夜の公園でのあの姿は不審者以外の何者でもないが、それがルールである。

いろいろな匂いを何とかするため、一人深夜の炉端焼き屋に立ち寄って、わざわざ煙にいぶされながら、首筋にモツ煮込みを少しだけ塗ったこともある。それがマナーである。

色っぽい夜を迎えそうな時には、あえて一番古い下着を履いていく。それが正しい男の姿?だと思う。

バレてしまう最大の原因はただひとつ。普段と変わったことをするからである。

かの吉田茂は言ったそうだ。

「ウソも真剣につけば真実に変わる」。

なかなか含蓄のある言葉だ。

とか何とか言って、必死の思いで男道を歩んでいる世のオッサン達だが、涙ぐましい努力の陰で、自分のほうがコロッと騙されている場面も多いみたいだから残酷だ。

男のアホさの一つは「浮気するのは男で、女は浮気などしない」と漠然と思い込んでいる点である。

さっきも書いたように、相方の様子の変化に敏感なのは女性のほうである。男は相手の髪型や持ち物が変わっても気付かないような注意力散漫な生き物である。

生理学的に女性と男性では目に見えているものが根本的に違うらしい。勝負にならないわけだ。

嫁さんから見れば、ダンナの色気づいた変化など一夜にして見破るのだろう。

逆に見破られないようなら、まるで相手にされていないことを意味する。そういう場合は、さっさと離婚した方が身のためだ。

「女は浮気しない」という変な思い込みに加えて「相手の変化が目に入らない」という鈍感さが男たちの特徴だから、女性側が男をダマくらかそうとするのは至極簡単だろう。

これって実に悲劇的である。大惨事だ。喜劇だ。

いや、もしかして幸せなのかもしれない。相手のことを疑わずに生きていられれば幸せだ。

世の中、知らないで済ませた方がいい話だらけなのかもしれない。

ちなみに、今日はFacebookの話をマクラに、「都々逸」の話をアレコレ書こうと思ったのに、まるで関係のない話をダラダラ書いてしまった。

精神錯乱なのかしらん。

2013年4月15日月曜日

恐るべき食い物


東京生まれの東京育ちの場合、「粉モン」に対する意識が低いのが一般的だ。私だけの特徴だろうか。

お好み焼、たこ焼きといった食べ物は、「ソースマン」である私としてはもっとガシガシ食べても良さそうだが、滅多に味わう機会がない。

嫌いではない。ソースが主役である以上、むしろ好きなはずだ。でも食べない。ナゼだろう。やはり、生きてきた過程で接点が少なすぎた。大袈裟だがそれが真実である。

時々、お好み焼屋に行っても、気になるのは焼きそばである。「そばめし」なる逸品をメニューに見つけたら、ガシガシ食べる。お好み焼どころではない。「タンスイカブラーソースマン」としての実態だ。

先日、入りたかった北海道料理屋が満席で、仕方なく通りすがりのお好み焼屋に入ってみた。まるで脈略のない場当たり的な店選びだが、店に入るなりソースの焼ける香りに興奮した。

残念ながらメニューにそばめしはなかったので、お好み焼とたこ焼き、その他を注文してみた。

入ってみて気付いたのだが、その店は、すべて自分でやらないといけない店だった。東京人としては上手に焼かれたお好み屋をテーブルまで運んで欲しいのだが、全部自分でやれと言われた。

運良く、一緒にいた人が関西出身だったので、事なきを得たが、私と同類の東京人同士だったら間違いなく店を出たはずだ。

だいたい、お金を払って食べに来ているのにナゼに自分で調理せなアカンのやろ。不思議である。

関西の人ならば焼き方に一家言持つ人が多い。店に任せちゃいられない気持ちも分かる。でも、東京の人は自宅にお好み焼マシーンやたこ焼き機械を所持していることは極めて稀だ。自分でやれって言われても難儀なこっちゃである。




お好み焼なら何となく作れそうだ。ボウルに入ったキャベツとか具を汁と一緒に混ぜ合わせて鉄板に置いて形を整えればいい。引っ繰り返す時に緊張するぐらいでクリアできそうな気がする。

先日、人生で初めて自宅でオムレツを作ってみたのだが、「人生初」なのにモノの見事に成功したほどのセンスたっぷりの私である。恐れることはない。

問題はたこ焼きである。テーブル上の鉄板の隅にたこ焼き専用コーナーがあって、そこで作りやがれと、これまた客に作業させる仕組みだ。

あの丸いボール状の形を作った経験など無い。意味不明である。タコはともかく、紅ショウガの量の加減や汁の投入量など皆目不明である。

そっちは関西出身の人に全権委任して私はお好み焼を担当した。問題のお好み焼だが、私の悪いクセで店で一番高い「ナンチャラスペシャルモダン焼き」なる一品だったので、普通とはちょっと焼き方が違うらしい。

具を焼くタイミングや添えられてきた生卵の扱い方にコツがあるらしく、店のオバハンがあれやこれやと説明してくれた。

「だったら、やっておくんなせ~」。

心の中で叫びながら小心者の私はフムフムうなずく。でも結局、最後の卵問題の時は、オバハンがしっかり手を出してくれた。

「だったら、ハナから作って来いや~」。

オバハンの手際の良さを誉めちぎりながら心の中で叫び続けた。

一方のたこ焼きは芸術的に仕上がっている。率直に言って感動した。あの得体の知れない汁とタコがキッチリと「食べ物」に変身している。

普通の人なら、こんなテンヤワンヤを楽しいイベントとして喜ぶのだろう。

食べ終わった後、歯に青海苔をつけながら爽やかな笑顔で、「楽しかったね、ダーリン!」とか「ハニーの焼き加減、絶妙だったぜ」とか、壮大な共同作業を成し遂げたかのような高揚感に包まれるのだろう。

私の感想は、ただただ「疲れた」だけである。作るだけでイッパイイッパイだった。

最後にふりかけるカツオ節や青海苔もエアコンの風向きのせいで、私の500万円ぐらいする一張羅のスーツにぶんぶん飛んでくるし、「楽しかったね、ダーリン!」というセリフも聞こえてこなかった。

肩は凝るし、汗はかくし、油臭くなった。修行みたいな世界だと感じた。関西には何かと負けたくない気持ちがあるが、完敗である。

それにしても、あそこまですべてを客に作らせる飲食店も珍しいのではないか。他に思い当たるジャンルはない。すき焼き、しゃぶしゃぶ、鍋物は自分で管理が必要だが、あれはあれで火を通すだけで「造形」まで気を配る必要はない。

お好み焼、恐るべしである。

2013年4月12日金曜日

障害を持つ子ども


コレを食べたとか、アレが食べたいとか、タヒチに行きたいとか、そんなことばかり綴っているこのブログだが、今日は久しぶりに真面目なテーマを書こうと思う。

障害を持つ子どもの話だ。この春、下の子が小学校に入学した。生後まもなくダウン症と診断され、目の前が真っ暗になったのも束の間、その後、大きな病気をすることもなく、元気にランドセルを背負う日を迎えた。


進学問題ひとつとっても、いちいち悩む課題が多い。幼稚園、小学校と一口に言っても、障害を持つ子の場合、健常児と共に通えるのか、専門の療育機関に委ねたほうがいいのか、親としては未知の経験だけに判断がつかない。

わが子の場合、地元の保育園と特別支援学校幼稚部との併行通園という形を取らせてもらった。社会性を学ぶという意味では地域の子ども達と混ざり合って過ごさせたい。かといって、専門機関による発達支援にも頼りたい。

どちらがいいとか悪いとかではなく、どちらにすべきなのか判断がつかなかったのが実情である。

そんな思いを保育園と支援学校がフォローしてくれた。有難かった。区立と国立という行政の区割りの中では関係性の薄い組織同士が頻繁に情報交換を行い、時には先生方が双方を行き交う場面もあった。

お役人がどうとか縦割り行政がどうとか、普段の仕事では斜に構えた姿勢で批判記事を書いたりする私だが、子どものおかげで障害児教育に情熱を持つ大勢の人達に出会った。素直に感銘を受けた。心の底から尊敬する。凄いことだと思う。

いっぱしの中年になって、世の中のことを分かったかのような顔をして生きてきたことが恥ずかしくなる経験をたくさんした。

ほんの数年だが、学ぶ場面ばかりだった。

それにしても、障害児の療育活動に情熱を持つ人達に共通するのが「人相」の素晴らしさである。人間、ウン十年も生きてくると出会う人達の人相が気になるようになる。

多分に個人的主観になるが、その良し悪しだけで相手を判断する基準になる。卑しい顔付き、傲慢な顔付き、強欲な顔付き、薄弱な顔付き等々、例えればキリがない。人柄の良さ、誠実さが人相に滲み出る人はやはり魅力的だ。

美人だの美男子だの、そういう次元とは違う。人としての生き方の根源を考えさせるような「良い人相」の人々が、少し変わった子どもを授かった私に色々なことを教えてくれた。

色々と教わったはずなのだが、私の場合、煩悩ばかりでちっとも進歩しない。実に情けない。これは謙遜でもなんでもない。

まあ、無理したところでボロが出るだけだから、自分なりの考えに従って、自分なりの考えで消化していくしか道は無い。

話を戻す。

「大船に乗った気持ちでいてください」。具体的な事例などを交えて口癖のようにそんな言葉をかけてくれる先生がいた。羅針盤の探し方も分からない親にとっては救い主のように見えた。

短い言葉でも人の心をパッと照らす力を持っていることを思い知らされた。

オベンチャラでもない、中途半端な同情でもない、根拠のないその場しのぎの楽観論でもない「力のある言葉」に何度も助けられた。

人に恵まれ、無事に育ってきたチビだが、地元の保育園では、年を重ねるごとに周囲の子どもについていけなくなった。発育のペースが違うわけだから不憫に感じる場面が増えた。

進路の選択に際しては、普通学校の特殊学級という選択肢もあったが、より専門的な特別支援学校を選んだ。保育園の頃から親切に遊んでくれた地域の子ども達と関わり続けられたら彼にとっても幸せだったのだろうが、諸々の事情で断念した。

彼らの療育、進路などについて、何が良いとか悪いとか軽々に断定できないが、選択や判断の難しさは常について回る。正解が無い世界だから迷うばかりだ。

さまざまな情報の中で混乱もした。共闘関係であるべき父親と母親が敵対関係になってしまうお粗末な事態も頻発した。不徳の極みである。そのへんはカッチョ悪い話なので割愛する。

さて、特別支援学校の小学部に入れてもらったチビは、大きめな制服に身を包んで新しい友達と関わり始めた。

入学式では、君が代斉唱の際も得意の?ダンスを始めてしまうヤンチャぶりを発揮していたが、それ以外の場面ではおとなしく着席していた。

来賓挨拶では自発的に深々としたお辞儀を繰り返すなど、自分の置かれた状況の理解力やそこそこの自制心が育っていて嬉しい気分にさせてくれた。

新入生はわずか4人。2年生とセットで編成されたクラス全体でも8人という世界で学び始める。

正直に言えば、もっと大勢の子ども達に囲まれて刺激を受けさせたいという気持ちが無くなったわけではない。でも、これも流れである。良い流れになることを祈るばかりである。

特別支援学校の入学式は小学校だけでなく、中学部、高等部もセットで行われた。新入生、在校生が一同に揃うその式典では、それこそさまざまな「個性」が垣間見えた。

ダウン症の場合、生後まもなく宣告を受ける。いわば親にとっての衝撃と葛藤の始まりは最初の段階からだ。容姿の点でも、早い時期から他の子どもとの違いに気付かされる。

障害の中には、小学校入学時とか中学入学時点など相応の年齢になって初めてそれを判定されるケースもある。

幼いうちは障害に気付かないまま、大きくなるにつれ、学校や医療機関からその可能性を指摘され続け、ある段階になって決定的な宣告を受ける。それはそれで親の葛藤なども複雑さを増すようだ。

もちろん、生後すぐに事実を知ることと大きくなってから知ることと、どちらが良いというレベルの話ではない。

それでも、子どもの状態を見ながら「まさか」とか「信じたくない」という気持ちに踏ん切りをつけるのに時間がかかるのは想像するだけでキツいことだと思う。

先日、友人からお子さんのことを打ち明けられた。まさにそうした流れの中で何年もの間、さまざまな葛藤と付き合ってきたらしい。

気の効いた言葉を語れるほど経験もなく、また、状況を詳しく知らないからもっともらしいことなど何も言えなかった。

それでも彼が抱えてきた心のユラユラした部分が、「誰かに話す」ことでほんの一瞬でも息抜きになっていればいいと思った。

自分自身、未知の体験に遭遇した当時、それを外に伝えることが出来ず、その閉そく感で苦しかった記憶がある。

その後も、「誰かに話す」という単純なことだけでも決して無意味ではないことに気付いて随分救われた。

そうしたテーマを外に向かって話す行為はかなり億劫なことでもある。理解者ばかりではない現実も厳然と存在するし、聞かされる側だって億劫に思う人もいる。

明るく笑って話すのもシックリこないし、重苦しい話にもしたくない。自然な流れでサラッと伝えるのはなかなか難しい。

でも、だからといって内に籠もってしまうのは精神衛生上よろしくない。やはり、ほんの少しだけ気合いを入れて話し始めてみることが大事だと思う。

私の場合、子どものダウン症という現実を宣告されてしばらく経った頃、一人のシスターにお世話になった。その病院の看護婦長も経験されたご高齢のシスターが話を聞いてくれた。

やり場のない感情に悶々としていた時期だったので、恥ずかしながら、「話す」というより、むしろ「毒づく」と表現した方が的確な感じだった。

気付けば小一時間ほど一方的にまくしたてていた。「言ったところではじまらない」、「言ってもムダ」と心底思っていたクセに、機関銃のように思いの丈をぶつけてしまった。甘えさせてもらった。

話し終わった後で、少し気分が楽になったことに自分自身で驚いた。話すことで考えが整理できるというか、覚悟を決める準備が整うような感覚があった。

立派なことや目新しいことは何も言えないし、書けないが、ひとつだけ言えるのは
「話す」ことが大事だということ。

単純なことだが、案外と効果がある。内向的になって苦悶するよりも建設的で意味のある行為だと思う。

最近、出生前診断のことが大きなニュースになっている。障害を持つ子ども達やその親としては、やるせない気持ちにさせられる場面も多い。

一応、数年だが、それなりの葛藤と向き合ってみた者としては、後に続く人達に「話す」ことの大事さだけは伝えたい。

きっと味方はいるし、理解者も見つかる。少しだけ勇気を出して「話す」ことから始めていただきたい。

話すことで輪は広がり、意外な発見や得難い経験にもつながっていく。必要としていた情報が入ってくるきっかけにもなる。

難しく構えずに、ただ単に身近な人に話を聞いてもらう、気持ちをぶつけるといったことで、潰れそうな気持ちを少しでも楽にしてもらいたいと思う。

2013年4月10日水曜日

おい、グラパレ!


「おい、小池!」という衝撃的な呼びかけで一世をを風靡?した指名手配ポスターを覚えているだろうか。警察というお役所のセンスとしては秀逸だった。


そうはいっても、この小池氏、結局は捕まらないまま死亡していたことが判明してポスターの効果はよく分からないままだった。

でも、インパクトは充分だった。私が小池氏だったら、いたたまれなくなって自首したと思う。

今後も指名手配犯には「コラ、小池!」とか「出てこい、小池!」とか、そんな二番煎じで世の中の関心を集めればいいと思う。

まあ、そんなことより、あのポスターのせいで全国の小池性の人々の迷惑は相当なものだっただろう。私ですら、旧友の小池君を常に「おい、小池!」と呼んでいた。

さて、こんな話を書き始めたのは、まさに「おいっ!」と叫びたくなるような事件?に遭遇したからだ。

事件などと書くと変に期待されそうだが、一般的にはとても些細なことである。でも、私にとっては充分に事件である。

このブログでも何度も書いてきた私のアイドル?であるピラフがメニューから消えてしまった。大事件である。

場所は九段下のホテルグランドパレス。今年開業40周年を迎える老舗ホテルだ。ここの1階にあるカフェレストラン「カトレア」のピラフが事件の主役だ。

近くの学校に通っていたせいで小学生の頃から親に連れられて通った。ヒマな母親連合のおしゃべりタイムに子ども同志で付き合わされただけなのだが、ピラフを食べていれば貴公子のようにおとなしく座っていた。

その昔は、チキン、エビ、ホタテの3種類から選べたように記憶している。基本はコンソメやバター風味の昭和の洋食系ピラフである。ポイントは「シャトーソース」である。


エンジ色というか、茶褐色というか、どちらも的確ではないが、画像の通りの色合いの奥深い味わいのソースがピラフと一緒に供される。

チョビっと垂らしても良し、ドバッとかけちゃっても良し。すでに充分な味をまとったピラフに複雑なウマ味を加えてくれる。

その後、メニューはエビとホタテだけになった。私はエビがゴロゴロ入ったピラフにシャトーソースをぴちゃぴちゃ加えて食べるのが大好きで、事あるごとに食べに行っていた。

そんな私の心の友であるエビピラフがメニューから消えてしまった。ホタテのピラフ・シャトーソースは残ったのだが、エビピラフ消滅である。

おい、グラパレ!

まさにそんな感じである。

ホタテの香りはあまり好っきゃないねん!

だいたい、あのエビ自体は他の料理にもドバドバ使っているのだから、ピラフもエビかホタテの選択制にすれば済む話だ。数十年来のファンにとっては実に残酷な話である。

新しいメニューにエビピラフが載っていない衝撃にしばし茫然自失。めまいがした。血圧も上がったはずだ。泣きたくなった。ちょっと大袈裟だ。でも、ほんの5秒ぐらいだが本当にそんな感情に支配された。

そうはいっても、ピラファーである私としては泣いてばかりもいられない。しげしげとメニューを睨んでいたら新たなるピラフを発見した。

「シーフードピラフ・ニューバーグ風」だとか。

ニューバーグ?誰やそれ?って感じだが、ピラファーの矜持としては四の五の言わず味わってみるしかない。



やってきた新ピラフは、例のホタテと例のエビとここのピラフには書かせない大ぶりカットのマッシュルームとカニがミックスされていた。味付けもグランドパレスの基本通りである。

「エビ、ちゃんとあるやんけ~!?」と心の中で叫びながら貴公子のようなふりをして心を静める。

アノ官能的なシャトーソースではなく、見慣れぬソースがセットで出てきた。これがニューバーグなんちゃらのアイデンティティのようだ。

見ての通りホワイトソースである。クリーム系である。この店の人気メニューのグラタンに使われているホワイトソースとかぶっているような気がしないでもない。

ピラフにチョビっとかけてみた。悪くない。一般的には美味しい。でもアノ官能的なシャトーソースのオトナな味ではない。

初めてシャトーソースをかけてピラフを食べてみた人なら、ウムムという表情で目を丸くする可能性が65%ぐらいはあるが、こっちのホワイトソースだったら、普通にうなずくぐらいだ。目を丸くする確率は17%ぐらいだろう。

あくまで個人的な主観であり、数十年にわたる思い出というエッセンスが加わった思い込みのせいで、私に言わせればシャトーソースの圧勝である。

お店の名誉のために付け加えると、この日の同行者は、新しいソースを絶賛していた。ソースだけでも充分ワインの相手がつとまるという印象だそうだ。

ふ~んである。

グダグダ書いてみたが、シャトーソースは今まで通りホタテのピラフには用意されている。機会があったらシーフードピラフにそっちのソースを付けてくれとお願いすれば済む話だ。

いや、頑張って今までのエビピラフを作ってくれと懇願してみるのが先だろうか。

却下されたら、ホタテのピラフとシーフードピラフを両方注文して、シャトーソースだけ使ってシーフードピラフを食べてしまえばよい。

そんなどうでもいい想像を頭の中で必死に展開しながら、「事件当日」を混乱の中で過ごした。

我ながらかなり変な人だと思う。間違いなく、あの時間は、たかだかピラフに頭の中のすべてが支配されていたわけだから異常である。

きっと平和なんだろう。春だし…。

2013年4月8日月曜日

珍味晩餐


ウツウツした気分になりがちな冬が終わり、深呼吸が心地よい季節がやってきた。中国からの変な物質のせいで、深呼吸するたびに少しビビるのも確かだが、冬より春は気持ちがよい。

冬が終わると唯一残念なのが、珍味の季節も終わるということ。流通技術の発達で今では一年中ウマいものが食べられるし、キモ系に代表される珍味も季節を問わず楽しめる。

それでもやはり珍味は冬の「季語」である。




画像は順番にツブ貝のキモ、ノドグロの肝、ホタテの卵巣だったか。だいぶ前になるが、南国潜水旅に行く前に「珍味と熱燗」を堪能したくなって銀座・九谷に出かけた。

ここの店主は珍味をアレコレと作り出すことを楽しんでいるようで、ふらっと入ってもいろいろな珍味がある。数日前に予約しようものなら物凄くたくさんの珍味が待ち受ける店だ。

握り自体も十二分にウマいものを食べさせてくれるのだが、ついつい珍味中心で飲みすぎてしまう。

本格的な春の到来を前に、珍味晩餐を催すことで「また次の冬までさようなら」みたいな覚悟が定まる。この日はまだまだ真冬の気温だったので熱燗が染みた。

熱燗も春が深まり、初夏の頃になればあまり飲まなくなる。そういう季節感みたいな趣が日本人の食文化の楽しさであり、奥深さなんだろう。



珍味といえば魚卵も必須である。上の画像はブドウエビとボタンエビのタマゴ、下の画像はマスコだ。北海道直送のネタを揃える店だから、いとも簡単にこういうものが出てくる。ウッシッシである。

私の場合、慢性的に尿酸値やコレステロールが高いから、珍味攻めに務めた日の翌日はなるべく珍味には目を背ける食生活を励行している。

1週間以上、南国に滞在する直前だったので、この日は珍味丸出しOK?の日だった。南国潜水旅行では、茹ですぎパスタやチャーハン、鶏肉料理ぐらいで過ごすから、珍味攻めが重複する恐れはない。

そんな理由もあって、画像以外にもフグの白子、アワビの肝やウニやイクラなど身体に悪いものをパクついた。煩悩の塊みたいな食生活だ。

幸せな時間だった。

さて、魚方面の珍味以外に私をトリコにするのが鶏肉方面の珍味である。

豊島区某所にある某焼鳥店に常備してある白レバの刺身やその他の珍味を一時期、最低でも一週間に一度は食べていた。

店が住まいの近所にあったせいで、ヘビーローテーションだったのだが、引っ越したせいで縁遠くなり、しばし「白レバ難民」になって困っていた。



この画像は、大塚にある極上焼鳥の店「蒼天」で食べた逸品だ。

上が刺身盛り合わせ、下は燻製盛り合わせである。白レバの刺身もスモークも味わえるのだから天国である。トロッとした甘味が口の中で広がって身震いするほどウマい。

黄色いボール状のものはキンカンのスモークだ。生育途中のタマゴである。いわば卵黄の赤ん坊みたいなものだ。軽く燻製されているだけなので噛めばドロッと禁断の味が溢れる。

串焼きもいろいろな変わった部位を用意してあり、それぞれニコニコしちゃうほど美味しい。


定番のレバ串がこれまた絶品で、エラそーに勿体ぶって供されるフレンチのフォワグラなど敵ではないと言えるぐらい最高だ。

それにしても「ウヒョ~」と唸ったり、「ヨッシャー!」と叫びたくなる味のものってどうして全部が全部カラダに悪いのだろう。

珍味類はその最たるものだ。きっと、肝だの卵巣だのタマゴまで食われてしまう魚や鶏の恨みの念が関係しているはずだ。怨念によって、食った側の人間をジワジワ攻撃しているのだろう。

「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」。尾崎もそんなことを歌っていたから、私も珍味達の怨念に負けないようにしようと思う。

2013年4月5日金曜日

能天気な話


実は今日の分で、このブログも1000回目の更新となった。我ながらびっくりである。王選手だって1000本もホームランを打っていないのだから凄いことである。罰当たりな例えでスイマセン。

皆様、今後もよろしくお願いします。

好き勝手なことを1000回も書き続けた記念に今日も能天気な話を書こうと思う。

今年は旅に出たい欲求がいつにも増して強い。数年ぶりの潜水熱の高まりも理由だ。

先日行ってきたフィリピンに続き、ゴールデンウィークはインドネシアのスラウェシ島で「毛むくじゃらヘンテコ魚」の撮影に励んでくる予定だ。

夏頃にはハワイにも行こうかと思案中だし、金も無いのに遊ぶことばかり考えている。贅沢な話だが、そんな呑気な状態なのに何だかしっくりこない。

もっと刺激的な場所というか冒険心を満たすような場所に行きたい。潜水旅行に限定せず、画期的な場所に身を置いてドキドキしてみたい。そんな感じだ。

小学生の頃に図鑑で見て以来ずっと憧れていたグランドキャニオン。ハタチの頃、初めて現地に行った時、とことん感動して興奮した。あのビビビっとくる感覚を味わいたい。

最近、身辺に大きな変化があったので、人生の節目を実感するのにふさわしい「イベント」を企画しないと気が済まない。

そんな一方的な発想の中、大型書店で「秘境の旅」とか「世界遺産の旅」とか、そんなものをしこたま買い込んでみた。

知らぬ間にANAのマイルが物凄く貯まっている。スターアライアンスの他社便も含めれば選択肢は無限大である。遠距離だろうと僻地だろうとへっちゃらだ。

さんざん考えて候補地として絞ってみたのが、アフリカとキューバだ。

アフリカの掌に包まれると人生観が変わるらしいし、キューバはハバナ産の葉巻工場を見学するだけでもスペシャルな思い出になりそうだ。

調べてみたら、アフリカは香港からダイレクトに入れるし、キューバだってカナダやメキシコに入っちゃえば意外に気軽に行ける。

アフリカで野生動物の咆哮をバックに星空を眺める。う~ん、実にロマンチックで哲学的な気分に浸れそうだ。

キューバの酒場でダイキリとかモヒートを片手にカリブ海の波音を聴く。う~ん、これまた実に開放的で文学的な気分に浸れそうだ。

両方とも行ったことがない点も魅力的である。これまで、ちょこっと足を踏み入れた場所を含めれば30以上の国や地域を訪れたが、アフリカ自体が未体験である。

正確に言えばエジプトには行ったが、あそこはアフリカイメージではない。ラクダばっかり。おまけに大半を水中散歩に費やしてしまったから「アフリカの大地にいる自分」という状況は未体験だ。

とかなんとかウダウダ書いているが、アフリカかキューバに行こうと一人勝手に盛り上がっていたのもわずか数日だった。

ガイドブックを読みあさっていたら、どうもどちらの行先にも特別なウキウキを感じない自分に気がついた。

いつかは行きたいが、もっと別な場所が自分を呼んでいる気がして、再度座禅を組み、滝に打たれながら熟慮を重ねてみた。

そして浮上したのがタヒチである。正直に言えば、だいぶ前に録画しておいたBS番組のタヒチ特集を見て、一気に気持ちが傾いただけだ。

タヒチである。南太平洋の楽園だ。昔から生きたかった場所だ。今まで何度も計画したのに縁が無かった場所である。

初めての新婚旅行の時、タヒチが最有力候補地だったが、カリブ周遊の旅を選んだので断念。二度目の新婚旅行の時は、相手がイタリア行きを主張、私が南米に近いカリブのリゾート行きを主張して対立。結果的に地球一周ルートを使って両方行ってしまうという荒技を考案したりしたのでタヒチを選ぶ余裕がなかった。

別に新婚旅行で行くための場所ではないのだが、やはりまとまった休みが必要だし、腹をくくらないと行けない感じがある。それ以外にも、マイルを貯めて行きにくい場所であったり、私のフランス語嫌いもあって、いつも憧れのまま終わっていた。

ボラボラやモーレアの雄々しい山々を背景に美しいラグーンが広がる光景は、幾多の南国リゾートを旅してきた私にとって是非とも身を置きたい場所である。

南国楽園旅の集大成みたいな場所だ。いや、まだガラパゴスとかコモド島とかも行ってみたいのだが…。

水中写真撮影を本業?とする私だが、なぜかタヒチでは、水中ではなく、浅瀬のラグーンの水のきらめきや神秘的な山に落ちる夕焼けとか、どちらかといえば水中以外の景観を写真に収めたいと思っている。

本当に行くことになったら、慌ててスケッチ教室にでも通って、あの景色をパステル画で描いてみたいと思うほどタヒチには妙に強い思い入れがある。

もう20年近く前に亡くなった私の祖父も晩年、「ボラボラ島には一度行ってみたかった」と語っていた。そんな先祖の思い?を実現するためにも私はタヒチに行かねばならない。

こうやってどんどん大義名分という名の言い訳を積み上げていくのが私の悪いクセである。

世界中から観光客が訪れるタヒチだが、地図を見ればわかるように、実は日本から行きやすい場所に位置している。「南国リゾート」を30年ぐらい研究?してきた私としては、どう考えても行かねばなるまい。使命みたいなもんだ。

こんな風に思い始めたらもうダメだ。間違いなく今年中に実行することになりそうだ。秋頃がベストシーズンらしい。今年の誕生日はタヒチで酔っぱらっている予感がする。

成田からの直行便の他、ホノルルからも定期便がある。ホノルルまでマイレージの無料航空券で飛んで、そこから「聖地」を目指すとしよう。

カメラやレンズも揃え直そうか。映画「南太平洋」も見てみよう。ゴーギャンのことも勉強するとしよう。物価が高いようだから、カップ麺もたくさん用意しないとなるまい。

今月末に出かけるインドネシア旅行の宿も半分しか決めていないのに、心はすでにタヒチに奪われてしまった。

でも、まだずいぶん先の話である。やっぱりクック諸島に行こうとか、タンザニアのザンジバル島がいいとか、キリのない逡巡を繰り返すのだろう。ちなみに、ザンジバルはロマンチックすぎて「男一人では行ってはいけない場所」と言われているそうだ。誰か連れて行くしかない。そんなところに付き合う人はなかなかいないだろうから困ったものだ。結局はいつものバリ島でお茶を濁すことになったりするような気もする。

実に能天気で平和な日々である。


2013年4月3日水曜日

飄々と 般若心経?


人間関係で悩んでいる30代の知人と話をする機会があった。本人としては大変そうである。社会生活の中にはさまざまな壁が存在するが、その多くが人間関係だろう。

そうはいっても、率直に言って、そんなものは苦悩したところでどうにもならないから放っておけばよい。

なんだか投げやりだが、そんなもんだ。

若い頃に戻りたいと思わない理由はそこにある。悩んでも仕方がないことで悩むのが若者だ。ご苦労なことである。心底、同情したくなる。

そのうち感度が鈍ってきてラクになるのだが、若いうちはそれこそ生きるか死ぬかみたいな顔で悶々としている。

私だって人並みに人間関係の壁には難儀してきた。信頼できる人と徹底的に争ったり、親戚に裏切られたり、いろいろな裁判を経験したり、何度も?離婚したり、そこそこバタバタしてきた。

そんなことを繰り返しているうち、人間関係に過度の期待などしなくなる。諦観とか達観というほど大袈裟なものではないが、「そんなもんだ」という感覚の幅が広くなる。

壁にぶつかった時、誰かのせいにしたり、恨んだりしているうちは大変だ。疲れてしまう。エネルギーの浪費だ。

エネルギーが弱くなってくると、今度は自分のせいにし始める。自分がダメだから、自分がだらしないから・・・等々、一見、ご立派だが、ウツになったりして、これまたあまり感心しない。

何かで悩んでいる時に自分を責めたところで始まらない。「エエ恰好しい」に過ぎなかったりする。壁にぶつかったら、自分を弁護してやるぐらいでいいと思う。

人のせいにしない、自分のせいにもしない。となると、その先は結局、「流れ」のせいにするしかない。運命というか、そういう流れなんだと割り切るしかない。

流れに逆らって泳ぐことが不可能なように、流れや渦に巻き込まれたらジタバタしないでやり過ごすことが賢明だろう。抗ったところで流れに勝つことは至難のワザだ。

まあ、エラそうに書いてはいるが、人間は煩悩の塊だから簡単に割り切れるものではない。達観しているつもりの私も時々ウツウツとしてしまう。

それでも、慌てず騒がず飄々と過ごすしかないのだと思う。

「飄々と」。最近、この言葉が凄く好きになってきた。

そういえば、映画「寅さん」で前田吟が演じた「ひろし」の父親役(志村喬)の名前が「瓢一郎」だった。ひろしと不仲だった瓢一郎が、さくらとひろしの結婚式に現われる。

誰もが名刺をもらってもその名前の読み方がわからず、結婚式の司会者まで新郎の父親挨拶の紹介で「・・・う~一郎どの」と読み上げる始末。

そのシーンの志村喬の縁起が絶品だった。仲違いしていた息子への思い、自分の父親としての心情を切々と、それこそ「飄々と」語る。あの名優の演技を予想して山田洋次監督は「瓢一郎」という役名を考えついたのだと思う。

私も今度子どもを授かる機会でもあったら「瓢一郎」と名付けたいものだ。女の子だったら「瓢子」でいいや。「ひょうこ」。う~ん、変な名前だ。でも飄々と生きていけそうで悪くない。

なんか話が変な方向に行ってしまった。


さてさて、今日はネットで見つけた素敵な文章を載せてみたい。

この画像は、あの仏教の代表的教典である般若心経だ。この教典の大胆な現代訳が一部で広まっているらしい。

もともとはニコニコ動画か何かに投稿されたものらしいが、そのアバンギャルドな感じが反響を呼んでいるそうだ。


--------------------------------------

   般若心経 若者言葉


超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

2013年4月1日月曜日

コメに悶絶


最近、すこぶる調子がよい。よく寝られるし、変な二日酔いも減ったし、胃の調子も悪くない。

先日、半年ぶりに胃カメラを飲んできたのだが、いつも見てもらっているドクターいわく「かなり良くなってますね~。80点だね」とのこと。

80点である。合格どころか、最高点みたいなものだ。ウッシッシである。

体調がよいと食べ物も美味しく感じるから不思議だ。健康の有り難さをつくづく感じる。

胃カメラを飲んだ日は朝から何も食べられなかったので、検査が終わった昼頃にはスーパー空腹モードである。

そのクリニックの胃カメラは、特殊な眠り薬のような鎮静剤を使うので、終了後もフワフワと宙に浮かんでいるような気持ち良さが残っている。

最大限の空腹とフワフワ気分の相乗効果である。画期的なモノを食べに行く必要がある。

画期的なモノといっても、私の場合、しょせん炭水化物好きのタンスイカブラーである。特別なモノを食べようというわけではない。

「松屋の牛めし特盛り」もしくは「伝説のスタ丼・肉増し」でもガッツリ食べに行こうかと思ったが、せっかく空腹で銀座一丁目あたりにいるわけだ。そういう安直かつ無思想かつ非哲学的かつシュールな一品で終わりにするわけにはいかない。

で、フラフラと帝国ホテルにたどり着いた。バイキングを死ぬほど食べようか、いやそれだと太りすぎる。地下にある「ラ・ブラスリー」のピラフにしようか、いや、あれよりウマいピラフがあるはずだ。

しばし逡巡する。

以前、このホテルで一夜を過ごした時、ルームサービスで有り得ないぐらいウマいピラフを食べたことを思い出した。おまけにその時一緒にいた人にピラフの大半を食べられてしまった。

その時のことを思い出す時、私の頭の中ではいつも決まってコメが金ピカに光り輝いているほどピラフは美化されている。

ルームサービスを作っているのは、きっと1階のカフェだろうと勝手に判断して、いそいそと「パークサイドダイナー」に向かう。


シーフードピラフを注文する。この画像のブレが私の空腹と興奮を表わしている。ムシャムシャ食べてみた。ちゃんと美味しい。でも、あの日のルームサービスピラフとはまったく別物である。その点に深く落胆する。何かが違う。こういう落胆は実に切ない。充分ウマいピラフを口に運びながら私の心はネズミ色である。

部屋で食べたあのピラフは、どこで食べられるのだろう。良く考えればあれほどの規模のホテルだから、ルームサービス用の厨房は別にあるのだろう。

結局、「憧れのルームサービスピラフ」は私の記憶の中で今後も美化し続けることになりそうだ。

そうか、泊まって食べれば良いわけだ。そのうち実行することにしよう。

さて、コメついでにもうひとつ、先日食べた異常なまでに官能的だった「スーパー邪道メシ」の話を書いてみたい。


場所は、いつも出没している高田馬場の老舗寿司屋「鮨源」である。この店の「エロティックな一品」の代表格が「イカうに鶏卵」である。

正式名称は知らないが、その名の通り、新鮮なイカと上等なウニと健康な鶏の卵の黄身だけを和えた一品だ。ワサビと醤油で味のバランスを整えて堪能する。誰だって笑顔になるエロい味だ。

官能的な味をまとったイカを食べ終わるとソースというか、タレというか、卵黄ウニ和えだけが小鉢に残る。これに寿司飯を一つまみもらってグチャグチャ混ぜて食べるとこれまた最高である。

とある日、いつもように「グチャグチャ混ぜ飯」を食べようと思ったら、板さんが「ちょっと待っておくんなせえ」と低い声で囁いた。

不敵な笑みを浮かべて、私の「残り汁」をどこかに持って行ってしまった。裏でこっそり食われてしまうのか、心配になった私の心拍数は上昇する。


10分ぐらい経っただろうか、私の大事な「残り汁」は、光り輝くコメをまとった異質な一品として帰ってきてくれた。

「ウニ卵黄リゾット風焼きめし」である。あの残り汁に加えて白ワインとかカキのお吸い物で使うダシ汁なんかも加えて手短に炊き込んで、そして炒めたみたいな話だった。

それはそれは反則級のウマさだった。本来なら単にシャリに乗せられてすました顔で威張っているのがウニである。それがいろんなモノとミックスされ火攻めにあってグチャグチャにされて主役の座から引きずり下ろされて呆然としている感じ。

寿司の世界では究極的な邪道かもしれない。しかし、邪道にこそ驚きと感動が隠れているのも事実である。コメの奥深さ、お寿司屋さんの奥深さを改めて感じた。

コメ万歳である。

なんだかピラフと寿司だけ食べていれば私の残りの人生は幸せなような気がする。