2013年4月3日水曜日

飄々と 般若心経?


人間関係で悩んでいる30代の知人と話をする機会があった。本人としては大変そうである。社会生活の中にはさまざまな壁が存在するが、その多くが人間関係だろう。

そうはいっても、率直に言って、そんなものは苦悩したところでどうにもならないから放っておけばよい。

なんだか投げやりだが、そんなもんだ。

若い頃に戻りたいと思わない理由はそこにある。悩んでも仕方がないことで悩むのが若者だ。ご苦労なことである。心底、同情したくなる。

そのうち感度が鈍ってきてラクになるのだが、若いうちはそれこそ生きるか死ぬかみたいな顔で悶々としている。

私だって人並みに人間関係の壁には難儀してきた。信頼できる人と徹底的に争ったり、親戚に裏切られたり、いろいろな裁判を経験したり、何度も?離婚したり、そこそこバタバタしてきた。

そんなことを繰り返しているうち、人間関係に過度の期待などしなくなる。諦観とか達観というほど大袈裟なものではないが、「そんなもんだ」という感覚の幅が広くなる。

壁にぶつかった時、誰かのせいにしたり、恨んだりしているうちは大変だ。疲れてしまう。エネルギーの浪費だ。

エネルギーが弱くなってくると、今度は自分のせいにし始める。自分がダメだから、自分がだらしないから・・・等々、一見、ご立派だが、ウツになったりして、これまたあまり感心しない。

何かで悩んでいる時に自分を責めたところで始まらない。「エエ恰好しい」に過ぎなかったりする。壁にぶつかったら、自分を弁護してやるぐらいでいいと思う。

人のせいにしない、自分のせいにもしない。となると、その先は結局、「流れ」のせいにするしかない。運命というか、そういう流れなんだと割り切るしかない。

流れに逆らって泳ぐことが不可能なように、流れや渦に巻き込まれたらジタバタしないでやり過ごすことが賢明だろう。抗ったところで流れに勝つことは至難のワザだ。

まあ、エラそうに書いてはいるが、人間は煩悩の塊だから簡単に割り切れるものではない。達観しているつもりの私も時々ウツウツとしてしまう。

それでも、慌てず騒がず飄々と過ごすしかないのだと思う。

「飄々と」。最近、この言葉が凄く好きになってきた。

そういえば、映画「寅さん」で前田吟が演じた「ひろし」の父親役(志村喬)の名前が「瓢一郎」だった。ひろしと不仲だった瓢一郎が、さくらとひろしの結婚式に現われる。

誰もが名刺をもらってもその名前の読み方がわからず、結婚式の司会者まで新郎の父親挨拶の紹介で「・・・う~一郎どの」と読み上げる始末。

そのシーンの志村喬の縁起が絶品だった。仲違いしていた息子への思い、自分の父親としての心情を切々と、それこそ「飄々と」語る。あの名優の演技を予想して山田洋次監督は「瓢一郎」という役名を考えついたのだと思う。

私も今度子どもを授かる機会でもあったら「瓢一郎」と名付けたいものだ。女の子だったら「瓢子」でいいや。「ひょうこ」。う~ん、変な名前だ。でも飄々と生きていけそうで悪くない。

なんか話が変な方向に行ってしまった。


さてさて、今日はネットで見つけた素敵な文章を載せてみたい。

この画像は、あの仏教の代表的教典である般若心経だ。この教典の大胆な現代訳が一部で広まっているらしい。

もともとはニコニコ動画か何かに投稿されたものらしいが、そのアバンギャルドな感じが反響を呼んでいるそうだ。


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   般若心経 若者言葉


超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ
もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。

見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。

味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。

揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。

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