2013年4月15日月曜日

恐るべき食い物


東京生まれの東京育ちの場合、「粉モン」に対する意識が低いのが一般的だ。私だけの特徴だろうか。

お好み焼、たこ焼きといった食べ物は、「ソースマン」である私としてはもっとガシガシ食べても良さそうだが、滅多に味わう機会がない。

嫌いではない。ソースが主役である以上、むしろ好きなはずだ。でも食べない。ナゼだろう。やはり、生きてきた過程で接点が少なすぎた。大袈裟だがそれが真実である。

時々、お好み焼屋に行っても、気になるのは焼きそばである。「そばめし」なる逸品をメニューに見つけたら、ガシガシ食べる。お好み焼どころではない。「タンスイカブラーソースマン」としての実態だ。

先日、入りたかった北海道料理屋が満席で、仕方なく通りすがりのお好み焼屋に入ってみた。まるで脈略のない場当たり的な店選びだが、店に入るなりソースの焼ける香りに興奮した。

残念ながらメニューにそばめしはなかったので、お好み焼とたこ焼き、その他を注文してみた。

入ってみて気付いたのだが、その店は、すべて自分でやらないといけない店だった。東京人としては上手に焼かれたお好み屋をテーブルまで運んで欲しいのだが、全部自分でやれと言われた。

運良く、一緒にいた人が関西出身だったので、事なきを得たが、私と同類の東京人同士だったら間違いなく店を出たはずだ。

だいたい、お金を払って食べに来ているのにナゼに自分で調理せなアカンのやろ。不思議である。

関西の人ならば焼き方に一家言持つ人が多い。店に任せちゃいられない気持ちも分かる。でも、東京の人は自宅にお好み焼マシーンやたこ焼き機械を所持していることは極めて稀だ。自分でやれって言われても難儀なこっちゃである。




お好み焼なら何となく作れそうだ。ボウルに入ったキャベツとか具を汁と一緒に混ぜ合わせて鉄板に置いて形を整えればいい。引っ繰り返す時に緊張するぐらいでクリアできそうな気がする。

先日、人生で初めて自宅でオムレツを作ってみたのだが、「人生初」なのにモノの見事に成功したほどのセンスたっぷりの私である。恐れることはない。

問題はたこ焼きである。テーブル上の鉄板の隅にたこ焼き専用コーナーがあって、そこで作りやがれと、これまた客に作業させる仕組みだ。

あの丸いボール状の形を作った経験など無い。意味不明である。タコはともかく、紅ショウガの量の加減や汁の投入量など皆目不明である。

そっちは関西出身の人に全権委任して私はお好み焼を担当した。問題のお好み焼だが、私の悪いクセで店で一番高い「ナンチャラスペシャルモダン焼き」なる一品だったので、普通とはちょっと焼き方が違うらしい。

具を焼くタイミングや添えられてきた生卵の扱い方にコツがあるらしく、店のオバハンがあれやこれやと説明してくれた。

「だったら、やっておくんなせ~」。

心の中で叫びながら小心者の私はフムフムうなずく。でも結局、最後の卵問題の時は、オバハンがしっかり手を出してくれた。

「だったら、ハナから作って来いや~」。

オバハンの手際の良さを誉めちぎりながら心の中で叫び続けた。

一方のたこ焼きは芸術的に仕上がっている。率直に言って感動した。あの得体の知れない汁とタコがキッチリと「食べ物」に変身している。

普通の人なら、こんなテンヤワンヤを楽しいイベントとして喜ぶのだろう。

食べ終わった後、歯に青海苔をつけながら爽やかな笑顔で、「楽しかったね、ダーリン!」とか「ハニーの焼き加減、絶妙だったぜ」とか、壮大な共同作業を成し遂げたかのような高揚感に包まれるのだろう。

私の感想は、ただただ「疲れた」だけである。作るだけでイッパイイッパイだった。

最後にふりかけるカツオ節や青海苔もエアコンの風向きのせいで、私の500万円ぐらいする一張羅のスーツにぶんぶん飛んでくるし、「楽しかったね、ダーリン!」というセリフも聞こえてこなかった。

肩は凝るし、汗はかくし、油臭くなった。修行みたいな世界だと感じた。関西には何かと負けたくない気持ちがあるが、完敗である。

それにしても、あそこまですべてを客に作らせる飲食店も珍しいのではないか。他に思い当たるジャンルはない。すき焼き、しゃぶしゃぶ、鍋物は自分で管理が必要だが、あれはあれで火を通すだけで「造形」まで気を配る必要はない。

お好み焼、恐るべしである。

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