2008年4月30日水曜日

いまこそ「おでん」

暖かくなってきた。冷やし中華のノボリを立て始めた店もある。これからの季節、まっさきに日陰の存在になるのが「鍋」だろう。熱燗に鍋という組み合わせは、なんだかんだ言っても寒い季節の定番だ。

毎年、この季節になると、アマノジャクの私ががぜん、気になるのが「おでん」だ。おでんも冬の定番だが、冷たい生ビールとおでんの組み合わせも捨てがたい。

というより、冬場は混んでいてなかなか入れないおでん屋さんに比較的入りやすくなることが私にとって大きなポイント。

突然、ふらっとその日の気分で店を選びたい性分なので、いつも飛び込みで店を覗く。
真冬のおでん屋さんは、このスタイルだと途端に敷居が高い。入れない。すごすごあきらめるか、変な時間帯にしか行けない。

だいたい、おでん屋さんに行くのに事前に予約するという行為が苦手だ。こんな性格だから、ハヤリの店には行けない。

前振りが長くなった。銀座の美味しいおでん屋さんに2日続けていった。最初は「おぐ羅」、次の日は「力」。

おぐ羅を訪ねたのは6時半頃。ふらっと覗いたらなんとか入れそう。私が席にありつけた直後に結局、満席になったが、飛び込みで入れたのだから季節の変化に感謝だ。

かつおの美味しい時期だけに迷わずに定番のタタキを頼む。ポン酢と薬味たっぷりのこの店のたたきは、カツオを食べ終わった後におでん鍋からアツアツの豆腐を入れてもらうことが真の目的。豆腐投入を見越して薬味を残し気味にしておくことがコツだ。

おぐ羅の特徴は、「おでん屋なのに高い」ということ。知らないと戸惑うかも知れないが、知っていれば驚かない。値の張る一品料理をカウンター越しに勧められるが、断るのもヤボとばかりに調子に乗っていると高く付く。でも納得の味が多いから私的には大好き。

この日、タケノコの煮物、カニミソのカニ身あえ、それ以外にも旬の酒肴を頼んだ。みんな美味しい。そして何より、この店は燗酒が絶品。白鹿だか白鷹だったかいつも忘れてしまうが、その1種類のみ。ただ、錫だかのやかんで都度都度お燗をつけるこの味が最高で必ず飲みすぎる。

おでんはアジを使ったつみれや、ゴボウのくせにやたらと柔らかく、中に鴨肉が詰めてあるおでんがトクにおすすめ。まあなんでもうまい。

翌日の「力」。こちらも冬場は風情のあるカウンター席はとっとと埋まってしまう。この店、とってつけたような今風の装飾で無理矢理日本情緒っぽさを演出している店とは一線を画し、造作も本格的、正しい日本料理屋風のしつらえ。いい感じで鄙びていて情緒タップリ。

肝心の味の方は、こちらもさすがに銀座のおでん屋。まっとうな一品料理が数多く揃う。特製のアジのタタキは、酢じめしたうえで軽く炙られたアジをおろしポン酢タップリで味わう。毎度頼んでしまうほどクセになる味だ。

おでんは、まさに上質なお吸い物系の優しい味。関東おでんが好きな人には物足りないだろうが、いくらでも食べられそうな味わい。ここには、古典的なおでんだねのほか、トマトなんかもあって楽しい。

一本から頼める牛すじの土手煮なんかをつまみに焼酎をグビ呑みして、締めに優しい味わいのおでん。実に穏やかな時間が過ぎていく。

さて、この2店。両者とも最後のお楽しみにとして「汁かけご飯」がある。双方ともおでん鍋の絶品スープが主役になるわけだが、これに関しては「おぐ羅」に軍配が上がる。

おぐ羅のそれは、茶めしに刻みネギを載せておでん汁をかける。力は、白ご飯におでん汁だが、風味づけの刻み海苔が多くて、スープの味わいを弱めてしまう。

おぐ羅の汁茶めし、どんな上等な食べ物にも勝る旨さだ。最高のB級グルメ、いやA級だろう。

2008年4月28日月曜日

浦島太郎の気分

今年は、久しく没頭していなかった水中写真撮影に真面目に取り組もうと、最近の撮影機材動向を調べはじめてみた。もう10年ほど前に揃えたいまの水中撮影機材が完璧だと思っていたため、最近の事情にうとくなっていた。

調べてみて唖然。大げさではなく革命がおきていた。デジカメの進化が水中撮影にも大きな変化をもたらしている。ヤバイ!まったく浦島太郎状態になってしまった。

いずれ一眼レフのデジカメが手頃になったら機材を一新しようと思ってはいたが、意表を突かれたのは「コンパクトデジカメ」、いわゆるコンデジの台頭だ。

フィルムカメラしか水中に持ち込まれていなかった10年ほど前、シャープでビビッドな作品をものにするには、一眼レフ以外はあり得なかった。コンパクトカメラを使う発想はカメラ派ダイバーにとって考えられなかったのが実情だ。

ところが、最近のコンパクトカメラは、デジタル化という魔法によって、一昔の一眼レフを凌駕しそうな機能を持っている。

当然、小型で軽量、水中にもっていくための防水ケース(ハウジング)もコンパクトで、肝心の専用水中ストロボもコンパクトなものがいくつも登場している。

驚いたのは、5年ぶりぐらいに買ってみた水中写真の専門雑誌に出ていたデータだ。

アマチュアの水中フォトコンテストで使われた撮影機材の変遷が、自分の浦島太郎化を更に実感させた。

佳作を含む優秀作品のうち、実に65%がコンパクトデジカメによるものだという。残りの3割強は、デジタル一眼とフィルム一眼が半々程度だという。10年前、いや5~6年前でも優秀作品については、銀塩一眼レフ利用が7割ほどを占めていたはず。私の撮影機材セットが過去の遺物になりつつある。ショック!

おまけに雑誌に掲載されていたそれらの優秀作品を見ると、コンパクトカメラで撮影されたとは思えない作品ばかり。私がその昔、大げさではなく、死ぬ思いで接近撮影したような被写体もいとも簡単に撮影されている。撮影データを見るとコンパクトカメラ専用ハウジングに水中用のクローズアップレンズを装着してあるとのこと。最新の光学式ズームにクローズアップグッズを付ければ、被写体までの距離は相当稼げる。参った!

ほんの数年で浦島太郎になってしまったわけだが、これも、われわれが苦労に苦労を重ねてやたら面倒な段取りを踏んで水中撮影に取り組んできた歩みがあってこその進化だと思うことにした。

10年以上前のわれわれ物好きダイバーの撮影姿は、きっと間もなく前時代的なものになるのだと思う。でも、その姿を見て、あんな用意をしなきゃ撮影できないのならナントカしなきゃと思った各種メーカーが、現在のお手軽水中写真環境を整えているのだと思うことにする。

さてさて、愚痴を書いてもきりがない。富豪記者を名乗る以上、とっととイマドキのコンデジ水中セットを購入することにしよう。その使い勝手、仕上がりを見た上で、さっさと全機材をデジカメ対応に買い換えることにしよう。
頭痛がするほど出費がかさみそうだ・・・。

写真は順番にカリブ海・ボネール、マレーシア・シパダン島、メキシコ・コスメル島、沖縄・本島読谷沖で撮影したもの。



2008年4月25日金曜日

長生き税

長寿医療制度の問題が騒々しい。そもそも後期高齢者医療制度という名称があんまりとのことで、急きょ名称変更に至ったわけだが、名前を変えたところで中身は一緒。ぐちゃぐちゃ状態の年金制度の整理・立て直しも済まないうちに、高齢者の年金から新たな負担を差し引くというもの。

高齢者の感覚では、「長生きするのは罪」と言われているようなもの。いわば「長生き税」だろう。首相自身が説明不足だったと釈明するほど、制度の周知がなされていなかったわけだが、この手の国民に追加負担を求める制度って、なんとなく、こそっと導入されるような傾向がある。

法律は建前上、立法機関である国会によって誕生する。とはいえ、実際の作業は官庁が請け負う。知恵者揃いの官僚は、当然、省利省益を考えてあれこれ自分達が運営しやすいようにメリットを盛り込む。

以前、税制上のビミョーな新制度が突然登場した経緯についてある国会議員に取材したことがある。彼の口から出たのは、「法案の中にこそっと役人が盛り込んでたんだよ」。国会議員としてちょっと情けない話。「政」と「官」の関係を見直さない限り、“官僚制社会主義国家”といわれる現状は打開できないだろう。

今回の「長生き税」もそうだが、国民負担を新たに求める制度は、官僚サイドから見れば「とりあえず導入ありき」であって、導入前に話題になったりするのを避けようとする傾向がある。導入時はこそっと、そして“小さい”制度としてスタートさせ、その後大きく育てればいいという感覚だ。

消費税の時もそう。世界中で最も低い水準の税率で導入し、おまけに滅茶苦茶な免税・非課税制度を設けたことで国民のアレルギーを抑えようとした。あれについては、政治レベルでの妥協が大きかったが、根底にあるのは、「小さく産んで大きく育てる」発想だ。

税制のなかには役割を終えたものも多いが、なぜか廃止・撤廃されずに存続しているものも珍しくない。たとえば地価税。地価暴騰抑制のため導入された制度だが、土地の値段が暴落しはじめた頃に廃止されるのかと思いきや「当分の間、課税を停止する」という改正が行われ、現在も立派に制度としては一応存続している。またいつでもスタートできるわけだ。

社会保険や税金の各種制度は、いったん導入されれば、その後は導入時ほどの議論はないまま負担増が決まりやすい。

今回の長寿医療制度も、いまになってさかんに野党陣営が糾弾しているが、導入後に騒いでもちょっと迫力が感じられない。テレビでよく見る鬼の首でも取ったような顔で与党を攻めるセンセイ達の表情は、「なんだかなー」って感じだ。

2008年4月24日木曜日

オーバカナル 銀座

東京に飲食店はまさに星の数ほどある。特徴があるわけでもないが、何気なく魅力的な店も結構多い。かしこまらず、かといってがさつすぎずに快適に過ごせるような店は貴重だ。

女性をともなっている場合、この手の店は、やはり和食系だと単なる居酒屋になってしまいがちなので、西洋料理系が多い。若かりし頃よく使ったこの手の店と言えば「ラ・ボエム」を思い出す。

そこそこ美味しいものが食べられて、お酒もきちんと揃っているのだから、使い勝手はよいが、その特徴のなさゆえ、つい素通りしてしまう。

こんなことを思ったのは、銀座のオーバカナル(AUX BACCHANALES)にボーっと座っていたとき。カフェとビストロの中間的位置付けのこの店、都内にいくつもある。

紀尾井町のニューオータニの麓にある店と、銀座店しか行ったことはないが、思えば、このお店、使い勝手がいい。

さて、銀座店での話。天気の良かった某日夕方、冬には閉められていた道路沿いの窓サッシは全開で、オープンカフェ状態。店内中央に陣取りながら、ボーッと外を眺めていたら、正面に位置する泰明小学校の校舎にからまるツタの緑がいい感じ。適度な借景になって「銀座の春」を感じるシチュエーション。

店の前を行き交う人々は仕事終わりでホットした表情のサラリーマン、出勤準備で険しげな顔で美容院へ急ぐオネエサン方など多種多様。

夕方5時過ぎから7時くらいは、銀座の「せわしい感じ」を実感できる時間帯だ。新橋寄りの銀座エリアでは、戦闘前の独特な気配が漂う。こういう雰囲気をビールやらシャンパン片手に俯瞰できるのもこの店のオツなところだ。

銀座店に限らずどこのオーバカナルも食事もしっかり摂れる。メニューリストにあまり面倒なものはなく、分かりやすくて真っ当な食べ物にありつける。

ワイン方面に合いそうなものが多いが、個人的には、紀尾井町より銀座店の方が味がマイルドな気がする。

鴨や羊、豚、魚介類など。頼みたいものが無くて困っちゃうという事態にはならない。全体的に量も多いのが良心的。

フレンチ系の食事は基本的に苦手な私だが、狭くて窮屈なビストロや閉鎖的なグランメゾンで肩が凝る思いをするのだったら、この手の店の方が居心地はいい。飲み屋気分でマッタリできる。


こぼれ話1。この日、2件目に立ち寄った酒場で、作家の伊集院静さんと遭遇。狭い通路で向き合ってしまった。すれ違いざま、低い声で「失礼」と去っていった姿がやたらと格好良くてちょっとシビれた。最近、彼の作品を読んだばかりで、その登場人物が格好良かったせいもあって妙に印象的だった。モテる人特有のオーラに敬服。


こぼれ話2。この日、3件目。久々に立ち寄った某クラブ。酔い覚ましのつもりでゼロカロリーコーラを注文。結局コーラのみで退散。しかし、お勘定は普段と一緒。せつない。

2008年4月23日水曜日

野村證券 インサイダー M&A


株なんてものは、何かしらのインサイダー情報を持っている人間しか儲からないのが大人の常識だ。もちろん、1日中パソコンとにらめっこして、一定の法則に基づいてデイトレードしていれば、それなりに儲けは出るのだろうが、一般的には多少なりとも有利な情報を握った人だけが潤う。

インサイダーだらけとは分かっていても、野村證券社員による今回の事件には呆れる。あんなベタなことがまかり通るなら、誰だって子どもを証券会社に就職させたくなる。

逮捕された野村證券の中国人社員は入社直後からインサイダー取引に手を染めていたそうだから、事件そのものが氷山の一角と考えられる。

今回の事件で、とんだトバッチリといえるのがM&Aという商行為だろう。大企業のM&Aの中枢で起きていた事件だけに、M&Aそのものへのネガティブイメージが懸念される。

上場会社がM&Aによって業務基盤を強化したり、M&Aされることで成長発展が望めることになれば、当然株価にはね返る。M&Aは市場へのインパクトも大きい。この中枢情報が第三者の私腹を肥やすことに悪用されたら、この商行為自体が怪しげに思われてしまいかねない。

わが社では、60年に渡って中小企業経営者や会計事務所業界に対して専門新聞を発行してきた。この関係で、中小企業や会計事務所の事業承継がスムースに運んでいない実態に身近に接し、そのサポート依頼も年々増加しているため、主に中小事業者のM&A支援を積極的に行っている。

後継者のいない経営者の苦悩は、当事者にとって非常に深刻。これまでは、中小企業であれば廃業という選択肢が一般的だったが、これが厄介。すべてを処分するために逆に大借金を抱えて引退後を過ごす悲惨な事例も珍しくない。

M&Aがスムーズに運べば、従業員や事業用資産も引き継がれるし、オーナー経営者は、憂いなくまとまったリタイア資金を得られる。

今回の野村證券のインサイダー事件は、こうした観点からも罪が深い。M&A周辺事情にビジネスライクなマネーゲームといった誤った印象を与えてしまいかねない。

M&Aには「事業承継難民」とさえ呼ばれる中小企業経営者の苦悩を解決する手段としての社会的使命があり、むしろこういう側面こそ強調される特徴だと思う。

乗っ取りだのホリエモンだの、何かとネガティブイメージがつきまとうM&Aだが、中小企業レベルでは、実に有意義な経営選択手法として機能していることを声を大にしていいたい。

ちなみに、わが社が関わるM&A関連情報も当然ながら非常に厳格な情報管理が徹底されている。当たり前なのだろうが、副社長である私にも情報は開示してもらえない。

以前、某会計事務所のM&A完結後、当事者の一方が私の知人だったことが後になってから分かった。わが社が支援していた案件だったことを当事者から聞かされたわけだが、秘密保持が何より大切な問題だけに、バツは悪かったものの、わが社の“品質”を体感できたのでいい経験だった。

2008年4月22日火曜日

お笑い「躍進中国」

北京オリンピックに向けて何かと騒々しい。聖火リレー問題しかり、現地の公害問題しかり、食の問題だってくすぶっている。

何かにつけて、急成長する中国を持ち上げたがる知識人は多い。私の周りでも、政治家や経済人の多くが、やたらと中国ヨイショ組。オリンピックも勇んで見にいく予定の人も多い。

中国の躍進って、そもそも日本の資金援助(ODA)が無ければ成り立たなかったのだから、その部分を棚に上げ、やたらと持ち上げる風潮には正直違和感を覚える。もっと乱暴にいえば「あほらし」。

ODAには無償資金供与だけでなく、いわゆる貸付け部分も多い。以前、某中国通の有力代議士に言われたことがある。

「おたくらマスコミは、中国へのODAを何かと批判したいようだが、貸してるだけで返してもらう分もあるのだから勘違いしては困る」。返してもらうのだからいいじゃないか的発想って結構エグイ。これまた「あほらし」。

巨額な資金を貸すという事実自体が、すこぶるメリットの大きな援助だという感覚が欠落している。

資金を借りたくたって簡単に借りられない中小企業の心理からすれば、無利子だの低利だとかでジャンジャンお金を貸してくれる相手は神様のようなものだ。
一般人の健全な感覚だと、躍進中国に対して「スポンサーはこっちだ」と言いたくなる。

チャイナスクールと称される外務省の中国シンパ組は、長い年月をかけて、狡猾にシンパとしての道を極める。シンパ、言い換えれば手下ともいえる感覚が醸成され、結果、中国へのODAがドシドシ決定される。

おまけに中国各地で湯水のように使われるODA予算の多くが、日本からの資金援助で行われていることが現地の人々に周知されていない。これまた「あほらし」。

こうしたアホ話は、昨今のODA批判の流れでようやく問題視されるようになった。とはいえ、日本の資金で作った施設にその事実の表示を積極的に要求しはじめたのは最近になってから。日本の対中外交のズサンさを示すものといえよう。

最近では、こうした広報要請の動きが「感謝の押しつけ」として逆に中国からお叱りを受けているらしい。わけの分からない話だ。

ところで、財務省が先日、国の財政状況が「夕張以下の水準」と言い出した。まったく笑ってしまう。事実上の破産状態なのに世界有数の援助大国であることには変わらない。夕張以下が本当なら、オリンピックを開けるぐらいリッチな国から援助してもらいたいものだ。

以前、ODA問題をビートたけしさんが著書で指摘していたことを思い出す。

「会社はつぶれかけてるのに、調子に乗ってリンカーンを買った土建屋と同じ。自転車に乗らなきゃいけないのに、見栄張って銀座に行ってツケで飲んでるようなもの」。
まさにそんな感じ。

「税金の使い道」。古くて新しいテーマだ。一連のムダ遣い糾弾ネタはマスコミが思い出したように書き立てるといったイメージしか持っていない人が多いが、そろそろ国民それぞれが真剣に考えないと結局痛い目に遭うのは国民自身ということになってしまう。

2008年4月21日月曜日

絵に描いたようなダメな店

適当に入った鮨屋で貴重な体験をした。ダメな店の典型をまじまじと見ることが出来た。

入りたかった店に2件ふられて飛び込みで入った池袋の鮨屋。怪しげな繁華街のビル1階、しっかりした店構え。外からチラッと見えた店内の様子もいたって普通に見えた。

入ってみると、板前さんに元気がない。開店前なのかと思ったほど。「元気がまるでない鮨屋」。これだけで大ハズレ。この時点で、出てきてしまえば良かった。反省。

そしてカウンターの端に腰をおろす。なんか臭う。地方都市で何十年も改装をせずに細々と続いている場末のスナックの臭いだ。

後ろを振り返ると水槽があった。なかにはアジやカワハギが泳いでいる。ネタの鮮度を強調したいのだろうが、水槽の水がやたらと汚い。間違いなく逆効果だ。

ホワイトボードにお勧めが書いてあった。結構、通好みの品揃え。のれそれや殻付きウニ、活のボタン海老やツブ貝。

元気のない板前さんにアレコレ尋ねる気にもならず、書かれているラインナップからいくつか注文する。まずくはない。生臭くもない。でも元気がない板前さんに出してもらうと食べる方も元気がなくなる。

しばらくすると外出していたらしき親方然としたおじさんが戻ってきた。当然、客への挨拶や愛想はない。元気はありそうだが、活気はない。

この親方、つけ場に立って、なにやら仕込みをはじめた。私が座っている場所の前あたりが定位置らしく、さっきの元気のない板前さんよりはましだろうと期待する。

すると大きな音量で着メロがなった。親方の携帯だ。当然のように電話に出て、フツーに会話をはじめた。こりゃダメだ。

同席者の手前、いまさら退店するのも微妙な感じで、この日はこの店と心中することにする。

バイトらしき若者が出勤してきた。ボーっと店に入ってきた若者に対し、親方が客がいるにも構わず「あいさつしろ」と叱っている。
もう少しで「お前こそ」と言いそうになる。

続いて親方は、ぴちぴちと活きのいいボタン海老を仕入れてきた入れ物からネタケースに移しはじめる。でも、それが乱暴。ネタケースの中で、跳ねまわり、しめ鯖やイカなどのネタが置かれているエリアにまで侵入。でも散乱したまま放っておかれていた。乱雑。

握りも少し食べた。まずくはないが、うまくもない。味覚と気分は密接に関係する。私の場合、この店では、どんなものもうまくは感じないだろう。

お値段は想像の通り。立地、値段、ネタを考えると、ここで書き連ねた部分がすべて修正されたら、間違いなく人気店になるだろう。

絵に描いたようなダメな店を興味深く観察できたので、それなりに意味のある時間だった。ダメな店って客の目線から言えば、結構単純なことの積み重ねで、ダメになっているのだと思う。でも、その単純なことが当事者には直せなかったり、気付かない。

と、偉そうに書いてはみたが、そう考えると自分の日頃の態度、生活習慣などが、他人からはダメ認定されているのかもと気になりはじめた。気をつけよう。

2008年4月18日金曜日

中村征夫さん、水中撮影

このブログでも何度か水中散歩と水中撮影の話を書いてきたが、実はここ2年ぐらいの間にダイビングへの執念というか情熱が薄れてきていた。そろそろやめちゃうんだろうなと思っていたのが本音。

20年以上の間、手なずけてきた趣味を終えてしまうのはもったいないような気がしたが、自分のモチベーションが上がってこないのでは仕方ないと考えていた。ところが、先日、あるテレビ番組をきっかけに、そんな気持ちが吹っ飛んだ。今年もヘルニアと相談しながら潜りに行くことに決めた。

きっかけになった番組は「ソロモン流」というドキュメント。毎回一人の人物に密着して生きざまや日常を追いかける番組だ。3月だったか、この番組に登場したのが、水中写真家の中村征夫さん。

水中写真家という肩書きを使ったが、木村伊兵衛賞や土門拳賞などを受賞している一流のカメラマンだ。

20年ほど前に水中写真に興味を持った私が、熱心に読みふけったのが、当時ダイビング専門誌に掲載されていた中村さんのエッセイ。ユーモアあふれる文章で、海の生きものへの愛情や自然への畏敬の念に満ちあふれており、文章からにじみ出る人柄に魅せられた。

クリエイティブの世界は、その作者の人間性が少なからず投影される。水中写真にしても同じだと思う。中村さんの作品にはどこか優しさが漂う。

エッセイでは、海での体験、レジャーダイバーの危険な部分、海を通した子育ての経験談などいろいろなテーマが取り上げられていたが、中村さんの文章には、「上から目線」がまったくない。実に穏やかで視線がフラット。テレビ出演の際の語り口も同様だ。何気ないことのようで結構すごいことだと思う。

ミーハー的なことが一切嫌いな私が、以前、一度だけ、中村さんが主宰しているホームページに書き込みをしたことがある。内容は、内緒だが、本人から心のこもったご自身の体験談を交えた意見をいただいた。

そんな中村さんの大がかりな個展が4月29日から日本橋三越で開催される。詳しくは公式ホームページへ。

http://www.squall.co.jp/

ソロモン流という番組で印象的だったのは、東京で取材されているときの顔と、ミクロネシアの海辺で取材されているときの表情がまるで違っていたこと。これが、私が再び潜水旅行に行くことを決めたきっかけでもある。

暖かい南国だから表情が生き生きしていたという単純な話ではなく、真冬の東京湾に撮影に行く中村さんを追っかけていたシーンでも彼の表情は輝いていた。現場にいるときの顔、没頭しているときの顔という意味で、実にいい表情をしていた。

番組では、その一方で、中村さんがハリ治療に通う姿も捉える。60代を超えたベテランダイバーの身体はかなりの負担にさらされており、40代の私が潜水行きをおっくうがるなんて、まさに10年早いと思った。

さて、中村さん話はさておき、私の潜水計画だ。ここ10年ぐらい、いわゆるマクロ撮影に主眼をおいて潜っていた。接写レンズを使って小魚に接近して撮影するものだ。

このドアップの魚は顔の直径が3センチ程度の魚。肉眼で見るよりファインダー越しに見えるその迫力が楽しくて接写は面白い。

2番目は20センチぐらいのアデヤッコという魚。こちらは超接写ではないが、顔中心に写し込むことで、口の周りの微妙なグラデーションがくっきり描写することが出来る。

マクロ撮影の特徴は、海の透明度が悪くても写真の仕上がりに影響が少ないということと、動き回らないで被写体と向き合えることだろう。オジサンダイバーには向いているかもしれない。

でも、いま私が撮りたいのはワイド写真。以前、このブログでも紹介したフィッシュアイレンズの魚眼効果を使った広々とのびやかで気持ちのいい写真が無性に撮りたい。


計画しているのはフィリピンのセブ空港からクルマで3時間ぐらい走ったモアールボアール(MOALBOAL)。10年前に一週間ほど滞在したのどかな場所。近くにあるペスカドール島周辺は浅瀬のサンゴがピキピキに元気だったので、改めて攻めてみたい。

なにより夜遊びなんか出来ない田舎だということが大きい。最近は、夜遊びをもくろみ、都市近郊の海で中途半端なダイビングをしていたから、次回こそ水中撮影に没頭して心を清めようと思う。

2008年4月17日木曜日

痩せそうな焼肉

六本木にある「綾小路」という店に行った。
京都の割烹風の佇まいで、内装も極めて日本的。店内は全室個室でしっぽり系。

この店、こんな造りだが業態は焼肉屋さん。
国産の等級の高い肉をあれこれ揃えている。
一般的にイメージする焼肉屋さんとは一線を画し、接待やお忍びデートにも使える店だろう。

焼肉屋さんにしてはワインも多めに揃っており、その他、定番の焼酎なども困らない程度にそこそこの種類が用意されている。

アラカルトもあるが、雰囲気などから考えてコース料理が基本だろう。少しずつ色々な種類が一人づつ盛られて運ばれるため、焼肉奉行が出る幕はないし、ガツガツと焦げるのを心配することもない。自分のペースが保てることが何より快適。

定番の前菜が、ユッケの湯葉巻き。ワサビをつけて醤油で味わうと途端に和食気分になって良い。

そのほか、やたらと鮮度がいいレバ刺しも出てくる。これが2切れ程度なので妙にありがたく感じる。

肝心の肉は肉好きには納得のレベルだろう。鮨屋で呑んでいる方が嬉しい私的には、ちょっとクドいが、一般的に極上レベルなのだろう。

前半戦はタン、ロース、カルビといった定番系が、一人に2切れずつやってくる。普通の焼肉屋で上とか特選とかの冠がついてくるような霜降り系だ。普通のたれとは別に2種類用意される塩で食べるとサッパリする。

野菜焼は店員さんが籠に季節の野菜を盛って選ばせてくれる。野菜好きには嬉しい趣向だろう。個人的には迷惑な趣向だ。お好きなものを選べと言われても、野菜に好きなものなどない。

箸休めで漬け物系が出たり、サンチュが出たりとチョロチョロ出されるものを食べていると結構満腹感は早めにやってくる。

そして、ハイライトだと思われる特選和牛2種なる皿が運ばれてくる頃には、ちょっと肉食がおっくうになってくる。この日は確か、ザブトンとミスジと言っていたような気がする。腰とか二の腕だったか良く分からないが、口の中で溶けるような肉質だったことは確かだ。

その後、ミノ、レバ、ハチノスといったホルモンが一切れづつ運ばれてきた。鮮度が良いことは見ただけで分かったが、胸焼けしそうだったので残してしまった。

肉が大量に食べられなくなると、寿命が短くなってきた証拠だと、どこかの偉い人から聞かされた記憶がある。近所のおじさんから聞かされた話だったかも知れない。呑んだあと、ヘベレケ状態だと、チャーシューメン大盛りが食べられる私だが、どうも牛肉には負けることが多い。昔さんざん食べた牛たちの呪いだろうか。

でも焼肉屋さんって、いっぺんに大皿でどかーんと出てくるからガツガツ食べられるのであって、一人2切れづつ、ゆっくり出されるとそんなに食べられない。

そんなかんだでこのお店、ダイエットはしたいけど焼肉も食べたいという人には使い勝手がいいと思う。

2008年4月16日水曜日

セックスと背骨の話

ヘルニアン生活を送っていると、いろんな情報を耳にする。意外にヘルニアで困っている人は多いし、実際に手術した人も多い。

人それぞれに腰痛に関する様々な持論があるようで、聞いていて参考になるし、面白い。ヘルニアに限らず腰痛持ちの多いことに改めて驚いたが、整体の専門家に言わせれば、人間が二足歩行をはじめたこと自体が腰痛の根本的原因だという。そんなこと言われてもどうにもならない。

最近聞いた変な話をひとつ紹介したい。セックスと腰痛の関係について。

単純に考えると、腰をフリフリするからセックスが腰痛と関係するかと思いきや、どうもそうでもないらしい。

だから、「オレはいつも下になっているから大丈夫」とか「いまだに自分ひとりでしているから大丈夫」などと安心してはいけない。

セックスの際、男性の終了時には「圧が抜ける」のだそうだ。なんとなく分かりやすい表現だ。炭酸飲料のフタを開けた瞬間の感覚かも知れない。プシュという感じ。ひょっとすると「ヌク」というスケベな言い回しもここからきているのかも知れない。

圧が抜けることで背骨の下、腰の中心あたりに負担がかかるというのが、この説を話していた整体師の解説。言われてみれば、ついうなずきそうになる。実際彼の所に来る「お盛ん系」の患者さんは、共通して腰の真ん中の痛みを訴えるという。

中学生や高校生なんか、サルのなんとかみたいに常日頃、プシュッっとさせているのだから、若者はみんな腰痛になっちゃうじゃないかと反論してみたが、若者の肉体的パワーと中高年のそれとは大違いといわれて、仕方なく納得。

そもそも人間の背骨はもろいものだそうで、本来なら10~20キロ程度の力というか重さを加えただけで壊れてしまうらしい。周辺の筋肉を始めとするいろいろな要素が「圧」となって、生きている身体の中では背骨は頑丈に成り立っているのだそうだ。

要は大きな役割を果たしている「圧」がプシュッと抜け過ぎることが問題なんだという。

話はそれるが、呑みすぎた晩や二日酔いの朝にゲップ目的でゼロカロリーコーラをよく飲む。一度で飲みきれずに、何度かに分けて飲むが、何度も開け閉めしていると、キャップを開けた際のプシュッという音は弱くなる。徐々に炭酸が抜けるのに比例して中身の味も劣化する。

「圧が抜けすぎると中身が劣化する」。中高年のセックスはコーラのペットボトルのようなイメージなのかもしれない。よく分からない方向に話をそれてしまった。

ところで、この説を唱える整体師いわく、セックスの回数が年齢相応であれば問題ないとのこと。ただ、その適正回数自体に個人差があるので、「腰に優しい回数」を決めることは難しいそうだ。

少なくとも、中高年が恒常的に週に2,3回以上していては、まず腰痛になることは間違いないと彼は自信満々に断言していた。そりゃそうだ。そんな中高年は私の周囲にはいない。

腰痛の原因はヘルニアだと言い張る私にも、彼は疑いの目を向ける。そんな色っぽい理由で腰痛になっているのなら、私だって、悪い気はしないが、事実は本人にしか分からない。

残念ながら、私の場合、「圧」はたっぷり残っている。と思う。

2008年4月15日火曜日

JALの姿勢

日本航空と全日空が国内線の高級指向でしのぎを削っている。その名も「ファーストクラス」の名称でさかんにゴージャス路線を宣伝する日航だが、個人的には、最近のこの戦略自体が日航の迷走ぶりを示しているように思う。

そもそも日航と全日空は、2004年までは国内線上位座席として「スーパーシート」を設定していた。ところが、JASとの統合後、日航がとった戦略は、スーパーシートの廃止というもの。変わって差額わずか1000円の「クラスJ」を導入。少し広めの座席で、その他のサービスは一般座席と基本的に同じ。スーパーシート愛用者にとってはびっくりの判断だった。

対する全日空は、スーパーシートをより充実させたスーパーシートプレミアムを導入、富裕層や経営幹部クラスの出張ユーザーを手厚くもてなす戦略をとった。いま、日航の殴り込みに対して「プレミアムクラス」を導入して対抗している。三国連太郎、佐藤浩市親子がテレビCMで競演しているアレだ。

2004年以降、経営者や富裕層のJAL離れは子どもの頭でも想像がついたが、結果ももちろんその通りになり、いまになって慌てて上級座席をいささかオーバー気味に復活させた格好だ。

いきさつを考えると結構みっともない話。
JALがスーパーシートを廃止して、クラスJのみに一本化したとき、そのお粗末な発想に唖然とした人々にとっては、「なにを今さら」的な微妙な空気が確実に存在する。

上客やヘビーユーザーに一度そっぽを向いた事実は消えない。何かと深刻な経営問題が囁かれる日本航空だが、こうした迷走ぶりをみると、なんか頷けてしまう。

やたらと「ファーストクラス」のサービスを積極的な広報で自慢しているJALだが、逆に導入路線の飛行時間がわずかなことを考えれば、その内容は過剰サービスにも映る。

逃げられちゃった層の客を取り戻そうと、やけのヤンパチ状態に思えるのは私だけだろうか。

2008年4月14日月曜日

くいだおれとハッピーリタイア


独特な風貌の人形で有名なレストラン「くいだおれ」が今年7月に閉店するニュースがあちこちで話題になっている。

閉店を発表した記者会見で、例のくいだおれ人形の今後が未定とされたことで、一種の争奪戦の様相を呈してきた。

たかが人形、されど人形で、大阪名物だけに獲得できればその事実が発表されるだけで、獲得主にとっては格好の宣伝材料になる。今後もオークションのように価値が暴騰していくことは間違いない。

ニュース報道によると、4月初めの閉店発表から10日あまりで、くいだおれ人形の譲受け希望は100を超えたそうだ。飲食業界だけでなく、業種を問わず申し込みがあるようで、なかにはどこかの自治体が町おこしか何かの目的で手を挙げているらしい。

こうした過熱ぶりを見るにつけ、閉店を上手に発表した「くいだおれ」の経営陣の知恵に感心する。その後、過熱する人形争奪戦を想定していたと考えるのがビジネス上の常識だろう。

場合によっては、全体の構想をプロデュースしているコンサルタントがいたとしても不思議ではない。閉店、すなわち廃業前のブラッシュアップ(磨き上げ)として巧みな戦術だ。

昨今、一般的になってきた中小企業レベルでのM&Aでは、重要なポイントになるのが、譲り渡す側のブラッシュアップだ。いかに自社を魅力的に演出するか、いかに付加価値を感じ取ってもらえるかは、M&Aの最終合意価格に大きく影響する。

とかく曖昧な管理体制が珍しくない中小同族会社の場合、オーナー経営者の、いわば“個人勘定”のような部分が多い。常勤していないオーナー一族関係者への報酬とか公私の区別が曖昧になっている不動産など上げだしたらキリがない。それ以外にも、慣例で続いている非効率的な雇用や支出など様々なしがらみが中小企業には存在する。

M&Aを計画、実行する前段階で顧問税理士に依頼して、こうしたドンブリ部分を整理するのが理想的だが、税理士自体がM&Aに消極的だったり、無知だったりすると、そのこと自体がM&Aにブレーキをかける要因になってしまう。税理士のタイプ自体も問題だが、税理士が相応のネットワークを持つM&A仲介機関に関わっているかも大事な課題だ。

中小企業庁の調査によると、中小企業の経営者が事業承継に困ったときに相談する相手は、トップがダントツで税理士となっている。

もっとも税理士といっても、税金や経理関係の専門家であってM&Aの専門家ではない。M&Aの際に重要になる企業の内部数値には精通しているので、ついつい頼りになる存在と認識されるが、やはりM&A仲介機関との連携の有無によって、経営者の良きパートナーとなるか否かが分かれる。

NP事業承継支援協会は、税理士業界に半世紀以上関わってきた業界の老舗新聞社が母体となって、全国1300名の理事税理士によって構成する組織。承継問題で悩んでいる経営者にとっては、間違いなく頼れる存在だと思う。

「くいだおれ」の例をみれば分かるが、ひっそり廃業するのであれば、人形フィーバーは当然起こりえない。経営者のリタイヤ後のキャッシュフローと密接に関連する話だ。

上手な戦略によって事業の幕引きをすることで、経営者のハッピーリタイヤは実現する。そのためにはパートナー探しがなにより重要だ。

2008年4月11日金曜日

ヘルニアンその後

慶応大学病院に行った。椎間板ヘルニアの今後についての話をしようと出かけた。さすが大病院、受付から診察券交付、問診票記入などなどの流れがシステマチックに粛々と進む。でも事務スタッフの人数の多さが印象的。あれじゃあ儲からないなどと余計なことを考えて診察室へ。

運がいいのか悪いのか、それまで腰痛だけだったのが、数日前から左足が痛み出し、普通に歩けなかったので、医師にちょっと大げさに伝えた。

あれこれやりとりを続けたものの、結局は、しばし様子見という面白くない結論になった。排尿障害とか、歩けないほどの筋力低下であれば、すぐに手術するらしいが、私程度では、手術は強く希望しないとやらないようだ。

その日から、足の痛みはより強くなって、杖がないと歩くのも不自由になってしまった。
その後、たまに訪ねる杉並区内の整体に行った。

この整体、何度行ってもよく分からない。あまり身体を強く触ることはない。なんか全身の波動をはかって、バランスの崩れているところを調整していく。腰痛に限らず、なんでも見てくれるが、ものによっては一発で痛みが無くなる。

この日も1時間ほど頑張ってもらって、だいぶ楽になった。一日おいてまた行ったら、かなり復活。足の一部に痛みはあるが、しびれはほぼなくなった。

ヘルニアの厄介なところは、画像診断などでバッチリとヘルニア状態でも、症状が出ていない人が多いということ。要は健康バリバリ元気いっぱいの人でも、画像を撮ると立派なヘルニアンだったりすることが珍しくないらしい。

私の場合も、足のしびれ、痛みはヘルニアの症状の可能性が高いらしいが、普段悩まされている腰痛自体は、ヘルニアに関係ないかもしれないと一部の医者や整体のおじさんが指摘する。そんなこといわれても困る。

ピークの時の足の痛みは普通じゃないレベルだった。あの状態が頻発するようなら手術も考えるが、ある程度だましだましいけそうなら、その方が良さそうだ。ヘルニアとの付き合いは長くなりそうだ。

素敵なヘルニアンとして生きていく上で、有益な情報があればお寄せいただきたい。

2008年4月10日木曜日

愛人、マンション、その先に

先日、知り合いの“武勇伝”を又聞きした。知り合いといえどもさほど親しくないので、本人に真相は聞いていないが、要は愛人にマンションを買ってあげたという話。

漏れ聞こえてきたのは、女性の方から。仕事もやめさせられて、完全に囲われた際に、かなり豪華なマンションを買ってもらったので、大層幸せだという話。

ちょっと前時代的な話にも聞こえるが、この武勇伝のヌシはまだ40歳代後半。親から引き継いだ福祉関係の事業を手掛けている。

女性が「買ってもらった」と認識しているマンションは、はたして誰のものだろう。名義はダンナの方なのか、女性なのか、はたまたダンナが経営する会社名義という可能性もある。

まだ20代のその女性の視点では、「自分が好きに暮らせるマンション」であれば、確かに「買ってもらった」と考える。でも、名義までその女性のものにすることは常識的に考えられない。

仮にそうだとしたら、早々に税務署から「不動産購入のおたずね」と称する文書が舞い込んでくる。登記データを随時チェックしている税務署からすれば、一般的なルーティンワークだ。

返答がなければ「怪しい」として電話などでチェックが入る。一応、おたずね文書に回答しようにも、資金出所を細かく記入させられるため、20代の女性では、理路整然とした説明は難しい。

仮に女性名義であれば、莫大な贈与税がかかることはいうまでもない。

ダンナ個人のポケットマネーかダンナの会社マネーのいずれかが投入されたと見るのが妥当だろう。

ダンナ側からすれば、個人、法人名義にかかわらず、今の御時勢ならちょうど良い投資物件の購入ぐらいの感覚かも知れない。

会社名義の場合、そこに住まわせている住人から適正な家賃を取っていないと、「営利追求を目的とする法人として経済的合理性がない」などの理由で問題になる。タダで住まわせているのであれば、相場家賃との差額が経済的利益の供与という理屈になる。

こうなると雇用関係のない女性に対してでなく、ダンナである経営者へのみなし給与という話になる可能性が高く、その分の所得はりっぱに申告もれという話になる。

もっと厳しく考えれば、マンション購入自体が、経営者の個人的目的であれば、購入金額すべてが経営者のために支出されたものという見方も出来る。

この場合、役員賞与認定はさすがになくても、購入資金が経営者への貸付金として処理すべきとみなされる。市中金利相当分を会社が取ってなければ、その分は、ダンナの所得計算上、申告もれになる。

世の富裕層には、この手の“武勇伝”は多い。メディアや各種情報でもこうした話はいくらでも出てくる。マンションまで行かなくても、クルマを買ってやっただの、店を出させタダの結構よく聞く話。

でも、一連の話の裏側に必ずつきまとうのが税金の話。かといって書店に並ぶ税金解説書には、この種の話はまず取り上げられない。

オーナー社長向けの専門新聞「納税通信」では、この手の微妙な話を頻繁に取り上げるため、ツボを知りたいオーナー経営者から結構アツい支持を得ている。

“武勇伝”にお心当たりのある方には一種のバイブルとしておすすめ。

2008年4月9日水曜日

上諏訪、韮崎、清春芸術村

先週末、毎年恒例のお花見旅行に大阪の知人が招待してくれた。今回は、長野・上諏訪温泉が目的地。

新宿駅発の特急あずさで2時間ちょっと。車窓からは刻々と関東の春景色が移り変わっていく。都心では散りゆく桜も八王子あたりでは、まだまだ元気で、そこから甲府に近づくとまさに満開の見頃となり、長野方面に近づくにつれ、七分咲き、五分咲きと桜色は乏しくなっていった。関東も広いことを実感。そして上諏訪についたら、桜はつぼみすらない状態。そりゃそうだ。最低気温1度だとかで、夕方以降はかなり寒い。

上諏訪温泉でのお宿は「鷺ノ湯」。歴史のある宿のようで立地は抜群。部屋についている露天風呂の正面には諏訪湖が広がり、真っ正面に夕日が落ちる。

温泉は茶褐色の源泉が豊富にあふれており、温度も程よく高得点。といっても宴会が基本目的みたいな旅行なので、あまりゆっくり浸かっていられなかった。

食事は広間での宴会料理だったので、寸評するほどではないが、場所柄、野菜、山菜が多くて健康になってしまいそうな感じだった。

宴会のあと宿の近くのカラオケラウンジを借り切っての狂乱の二次会を経て、ぐったり就寝。

翌日は、バスで桜を求めて山梨方面に移動。ここで素晴らしい桜に遭遇できた。まず訪れたのが韮崎インターから10分程度の所にある「わに塚の一本桜」。樹齢は300年ほどらしいが、じつに優美かつ野性味にあふれ、青空とのコントラストが抜群の景色。

東京周辺なら、この一本の木を目当てに数時間は渋滞するのではないかと思われるが、ここはそこそこの人出で、記念写真を撮るにもポジション取りに苦労しない程度。

次の目的地はそこから30分程度移動した武川村にある「山高神代桜」。国の天然記念物でもあり、日本の三大桜のひとつだという。樹齢は実に2000年。かなり傷んでおり、保護プロジェクトも大がかりらしい。

樹齢2千年と聞いただけで感動する。土器を浸かっていた人々を始め、平安、鎌倉、室町、江戸それぞれの時代に生きた人々が愛でたのかと思うとロマンを感じる。

この神代桜も勇壮な古武士のような佇まいだったが、周辺の桜も素晴らしかった。なんといっても見る向きによっては、残雪の八ヶ岳がバックにそびえる。足元には黄色い水仙が一面に広がっていたりする。

足元から水仙の黄色、桜のピンク色、青空、そして残雪の白色が美しいコントラストをみせる。まさに絶景。予想以上の景観にノックアウトされた感じ。

その後、小淵沢インター近くの清春芸術村に移動してランチ。ぽかぽか陽気の中、鴨肉にワインぐびぐびの休日の昼らしいのんびりした時間を過ごせた。

この芸術村の中にある白樺美術館館長は日本画家の岸田夏子さん。かの岸田劉生のお孫さんだ。教科書に出てくる「麗子像」の麗子さんの娘にあたる人。

毎年恒例のこの花見旅行に昨年、一昨年は岸田さんも参加されたが、今年はスケジュールがあわず欠席。岸田さんは、桜の絵を専門に描いている関係で、春は個展などでてんてこ舞いらしい。

お会いできなかった代わりに芸術村の中に飾られていた作品を記念に盗撮してきた(スイマセン)。妖艶な桜だ。

絵画という形で散らない桜を手にすることも面白そうだ。いつの日か入手しようと決意した。

2008年4月8日火曜日

銀座 煙事

銀座7丁目にあるバー「煙事」に行った。店名のとおり美味しい燻製で知られたお店だ。以前、葉巻を楽しめるバーを銀座方面で探していたときにその存在を知ったものの、機会がなく訪ねたことはなかった。

ひょんなことからドアをくぐる機会に恵まれ、短い時間ながらこのお店の様子を垣間見ることが出来た。食べ物のメニューを頼んだところ、メニューはないとの返答。おやおや高飛車系の勘違いバーかと一瞬思ったが、バーテンさんの様子はそんなことはなく、いろいろあるのであえてメニューはないという趣旨だとか。

どんなものが用意できるのか尋ねれば、実に多彩なラインナップを教えてくれる。魚、肉、ごはんもの、麺類まで可能な限り客の要望にこたえるそうだ。それでもメニューがないと聞いただけで、帰ってしまうお客さんもいるらしい。要は客側が最低限の希望を持っていれば、快適に楽しい時間が過ごせそうなお店だ。

アルコールのラインナップもかなりのもの。日本酒や焼酎だって当然のようにある。ハードリカーももちろんゴマンとある。ビールも珍しいラインナップがサーバーからとても丁寧に注がれる。うまく使えれば相当遊べるお店だろう。

名物の燻製を盛り合わせで頼んでみる。ベーコン、鴨、卵、たくあん・・・。みんな実に丁寧にスモークされており、暖かいまま供されるためホッコリおいしい。どれも食べる価値アリ。そのなかでもチーズの燻製が印象的だった。単なるスモークチーズを連想していたが、暖かな状態でトロリ感もあって、シンプルな中にもしっかり個性があって、バーという酒を主役した舞台ではこれ以上ない酒肴として抜群だった。

そのほかタコの燻製もアルコールとの合わせ方で面白い味わい。そしてビックリだったのがオムライス風リゾット。オムライスならぬオムリゾットと呼ぶと雰囲気が伝わりやすいか。フォアグラ入りのクリーム系リゾットがふわっとしたオムレツにくるまれて、特製のソースをまとっている。官能的な味。単純明快にうまい。

今回はまだ暮れきらない早めの時間に訪れた。こんな時間の銀座といえば、個人的についつい鮨、割烹系和食の店ばかり行っていたが、この手の食べ物を夜の魔界へのスタートにするのもとても趣がある。聞くところによるとカレーや日本そばまで頼めるらしい。おまけに実にまっとうな料理水準だという。

とても穏やかで楽しい時間が過ごせた。素敵な女性とともに気取らずにいい夜を過ごしたい向きにはおススメ。

2008年4月7日月曜日

ヘルニアンな私

1年以上前から不調だった腰の具合が相変わらずすっきりしないので、先日、真剣に調べてみた。MRIを初体験して、出た答えは「椎間板ヘルニア」。

半年ほど前にレントゲン検査で異常なしと言われたことを、担当医に言ったところ「あんなものは被爆するだけで無駄」とまで言われてしまった。

知り合いのお医者さん達に、検査結果と自分の状況を伝えると、かえってくるアドバイスはまったくバラバラ。放置して様子見ろ派とさっさと手術してしまえ派に分かれる。手術は怖い、しかし放置してると重いタンクを背負う潜水旅行が出来ない。うーん困った。

最先端のレーザー手術は健康保険が使えずにウン十万円もするらしい。お金うんぬんより、効き目のない人も結構いるとかで、なんとも微妙な話だ。来年の確定申告で医療費控除うけられるのだろうか?加入している生保の手術給付金はどんだけ出るのか?思いは尽きない。やるせないモードだ。

この原稿を書いている段階では、専門の高度医療を行う大学病院への紹介状をもらっただけで、まだ本当の専門医の話を聞いていない。さてどんな結論になるのか、「富豪記者ブログ」が「ヘルニア記者ブログ」になってしまうような気がするほど、本人の頭はヘルニア問題が主役になってしまっている。

昨日あたりからは腰の痛みより、左足の一部が自分の思い通りに動かないような気配になってきた。いよいよ怪しい!

今後も折を見てこの問題をレポートしてみたい。

2008年4月4日金曜日

中年こそハマショー


浜田省吾といえば、ジーンズにサングラスで青春とか反体制的といったイメージが強い。そんな彼もデビューから30年以上が過ぎた。50代半ばを過ぎていまだ現役バリバリで全国のアリーナツアーを完売させている。

今週、彼の近年のライブツアーを収録した3枚組のDVDが発売された。発売当日、明け方までかかって全部見た。実は私、中学2年生の頃からファン歴30年近く。自分の成長段階に応じて一人のミュージシャンの軌跡を追ってこられたことはラッキーかもしれない。

それこそ、20年以上前は、怒りや葛藤が彼の歌の代名詞で、思春期の少年にはそれなりに刺さった。でも、軽薄ナンパが時代の空気だった80年中盤以降は「ハマショーのファンです」というセリフはちょっと格好悪い感じがして、隠れファンだった時期もある。

実際に家出するほど不満はなかったし、警察に追われるほどの悪事もしなかったし、経済的にも恵まれた方だったあの時代、ハマショーの怒りや不満がちょっとうっとうしかったのも確かだ。

「MONEY」というファンが大好きな曲がある。歌詞がすごい。

“純白のメルセデス、プール付きのマンション、最高の女とベッドでドンペリニヨン。~中略~まるで悪夢のように”ときて、カネがすべてを狂わせているぜ的な趣旨のサビが続き、最終的には“いつか奴らの足元にビッグマネーをたたきつけてやる”みたいな結論づけ。激しく重いです。

思春期の私は、そんな怒ってる暇があったら、最初から足元にビッグマネーをたたきつけられる「奴ら」の側になるんだと可愛いげもなく思いこんでいたので、この曲は好きではなかった。

それ以外にも反核とか国のアイデンティティを取り上げたような曲にも定評があるハマショー。確かにロックミュージシャンに必要なメッセージ性という意味で大事な要素であり、実に深い楽曲を完成させている。ただ、自分が大人になるに連れ、その重さがおっくうになり、ある時期を境にあまり聴くこともなくなっていた。

ところがここ5,6年ぐらいの間に再び好んで聴くようになった。理由は、彼の歌の世界に「突き抜け感」がはっきりしてきたことだろう。

等身大の40代、50代の男の世界とロックのとの融合は日本の音楽シーンにとって今後の大きな流れだろう。若者が主人公の恋愛モノ、葛藤モノばかりだった歌詞の世界は、中高年の日常や想いにも広がりはじめている。

20年、30年前から活動を続けるミュージシャン達が年齢を重ねるうちに必然的にオトナの世界を題材にするようになってきたわけだが、この分野において、ハマショーは実に味わい深い世界観を見せ始めている。

これまで固定されてきたハマショーのイメージとは微妙に違う「達観した大人の歌」が増えてきたことが近年の特徴だろう。中高年男性にこそお勧めしたい。

「花火」という曲では、“すぐに帰るつもりでクルマを車庫から出し、アクセル踏み込む”男が主人公だ。まあ無責任といえば無責任だが、この男、置いていった家族を思いながら、“すぐに帰るつもりで家を出て、もう5度目の夏の夜空に花火~”とうなる。せつない。でも妙に心根に響く。
すべてを置いて逃げ出しくなる大人の心情を、実行してしまった架空の男と重ねているわけだ。

ほかにも「陽はまた昇る」という曲では、それなりの年齢の男が主人公。この男は“今日まで何度も厄介なことに見舞われてきた”らしいが、“今もこうして暮らしてる。これからも生きていけるさ”といきなりの達観を見せる。そして、“オレがここにいようといまいと”明日の朝も陽はまた昇ると歌い続ける。

そのうえで誰かに歌いかける。要約すると、行く道はいくつもあるが、たどりつく場所はひとつだけだと。どの道を選んでも、その道を受け止めて楽しむしかない。最後には笑えるようにって感じで、妙にサバサバしたメッセージだ。すごく肩に力を入れて頑張れって感じの曲がロック系の世界には多い。生きざまで悩んだり、もがいたりする世界が美徳のようなロック系の世界で、50代半ばを過ぎたミュージシャンの達観が潔く感じる。

「君と歩いた道」と題するバラードでは、“もし15のあの夏に戻って、そこからもう一度やり直せたら、どんな人生送るだろう”といきなり年寄りっぽい「振り返り」からスタートする。アレコレと歌詞の世界は続き、結局最後は“もう一度やり直せても、この人生を選ぶだろう。君と歩いた道をもう一度歩くだろう”と締めくくる。

これまた達観だ。世のなかの中高年を見回してみると、後悔の固まりのような人が多い。それが現実だろう。だからこそ、悔いよりも現状肯定ができたら実に素晴らしいと思う。

まあファン歴の長さのせいで、つい熱く語ってしまいそうだからこの辺でヤメにする。

ちなみに、新作DVDのライブ映像の某シーン。NHKホールの最前線に陣取る私が写っちゃってました。大きな声で言えない方法で入手したチケットだったが、いい思い出が出来てしまった。

2008年4月3日木曜日

相続 争族 遺言の現実

いまの時代、何かと遺言の有効性が取りざたされている。信託銀行の遺言信託もすっかり普及し、それなりの規模の書店に行けば遺言関連本は百花繚乱だ。

万一の際、財産の整理や思いを伝えることはオーナー経営者なり、一家の大黒柱として当然。ただ、一部には誤った遺言万能論的な思い込みも存在する。今回は「遺言の現実」を取り上げたい。

モノの本に取り上げられているのは、自筆証書がどうしたとか公正証書なら云々といった解説がほとんど。肝心なのは、いざというときに遺族のいさかいを抑えられるかという点。

資産があって親族の構成が複雑なら、少なからず「争族」は起きるのが世の常。遺言があっても同じ。遺言は、流血の殴り合いを口喧嘩ぐらいに収める効果はあるが、決して万能ではない。

法律で定められた最低限の相続人の権利、すなわち遺留分に配慮しない遺言が残されていた場合、結果として、その部分を捻出するため、最終的には遺言に沿った分割など不可能になる。

遺留分に配慮して「財産の8分の1を遺贈する」と書き残したとしても、遺産総額の“分母”の認識が一致しなければ、いつまでもカタがつかない。遺産のすべてがキャッシュであれば遺産総額の分母は争いようがないが、遺産には評価額を算出しづらい不動産や美術品、各種の権利などがあるため、遺産総額の認識は相続人ごとに変わりかねない。

おまけに困ったことに相続税の申告にあたって用意されている各種の税額減額特例は、申告期限までに遺産分割協議が整っていることが条件になっているものが多い。すなわち、申告期限までに遺産分割に関する話し合いが決着していないと、みすみす税金が安くなる特例が使えなくなるわけだ。

こうなると遺言があっても、焦りもあって故人の意に反した遺産分割協議をしてしまうハメになりかねない。

結論から言えば「遺留分の金額を見定めたうえで相続人ごとに具体的な資産を特定した遺贈内容を記述する」。これが肝心。「みんな仲良く」とか「誰それを大事に」といった内容を記述したいところをグッとこらえて「具体的」かつ「特定」をキーワードにすることが大切だ。

「納税通信」「オーナーズライフ」では、こうした相続の現場におけるナマナマしい核心部分にスポットを当てることが多い。机上の理論バナシだけ頭に詰め込んでも、実際の相続の際には通用しないことが多いので、ナマの有益情報が必要な方は是非ご活用を。 

2008年4月2日水曜日

オークラとグランドハイアット

東京ホテル戦争などという表現が聞かれるようになって久しいが、確かにこの超巨大都市にしては、世界的な知名度のある高級ホテルの数はまだまだ少ない。

香港やバンコク、クアラルンプールなど活気あるアジアの大都市には、世界的チェーンホテルがてんこもりだ。都市としての規模の違いもあるのだろうが、やはり東京にはもっともっと進出してきてもおかしくない。

地価が下がってヨーロッパのブランドショップが続々と銀座に進出したように、世界の一級ホテルはもっと登場していい。日本のサービス業への刺激にもなるわけだから消費者としては大歓迎だ。

先日、ホテルオークラに行く機会があった。独特な路線を熱烈に支持する人も多いが、さすがに要所要所に限界を感じた。今現在のコアなファンの年齢層を考えると、近い将来のヤバそうな感じがプンプン漂う。

日をおかずに六本木のグランドハイアットを訪ねた。今風だ。好みはどうあれ、あれが今の東京の空気なのかと実感する。

シンプルモダンと表現すると単純すぎるが、気のせいか、東南アジアの都市に乱立するスノッブかつモダンなスタイリッシュホテルのノリと同じように感じた。

良くも悪くもすっきりしていて“濃厚さ”が足りない。個人的な好みを念頭に置いての寸評だが、年月が醸し出す臭いのようなものを感じない。

グリルレストランで人気の「オークドア」。スタイリッシュで賑やか、料理も美味しかったが、お店に入るまでの作りは高揚感をあえて感じさせないような感じ。エレベーターを降りて店の入口まで、ちょっとした距離だがあまりに無機質なことに拍子抜け。あのスタイルが「いまどき」なんだろう。

アマノジャクゆえに出来たての場所、話題のスポットをつい敬遠してきたが、ペニンシュラとかマンダリンとか、そろそろ誰も話題にしなくなったので、今更だがじっくり探検してみようかと思う。

でも東京土着人としては、悪く言ったもののオークラのあの空気は嫌いではない。帝国ホテルしかり、ニューオータニしかり、どことなく安心する。年月を経た良さをつい過剰に評価する癖があるのかも知れない。

ちなみに上記の“いまさら3巨頭”を持ち上げてまとめにするのは、あまりにも脳がないので、別なホテルの話。

目白台のフォーシーズンズホテルは素直に抜群の存在だと思う。もちろん、都心のホテルというカテゴリーからは外れてしまうが、椿山荘の庭園を背景にした眺望抜群の立地、シンプルモダンの対極のような重厚感のあるインテリア、行き交う人の少なさによる落着き感、デカ過ぎないために分かりやすい館内動線。そして、老舗とはいえないまでも既に15年以上の実績があるため、そこそこ熟成した雰囲気も出ている。

実にお洒落だと思う。初夏には蛍も飛んでます。

2008年4月1日火曜日

池袋 鮨 やすだ

池袋にある「鮨処やすだ」。一か月ぶりで行ってみた。相変わらず、この街に革命をもたらそう?と頑張っている。

まっとうな店が極端に少ない池袋で、あの仕事ぶりとネタの質をキープし続ければ、地元の鮨好きはこぞって訪れると思う。

この日もつまみをアレコレ楽しんだ。イサキ、金目鯛、関サバ。全部美味しい。鮮度だけでなく、〆たタイミングもいいのだろう。どれも旨味の頃合いがばっちり。〆たてでもなく、臭みが出てくる段階でもなく、程よい風味が好印象。

空豆を載せた皿に沢ガニを揚げたてでお供させたり、楽しげな演出もあった。この揚げたて沢ガニ、かなり美味しかった。

穴子の白焼きも素材の旨味がしっかり出ていて、抹茶塩で食べさせる洒落っ気が池袋的ではなくて嬉しい。沢ガニ用に出された岩塩とは別に抹茶塩を用意するような、ちょっとした心掛けは、やはり池袋界隈では貴重だ。

ウニをヒラメで巻いた酒肴も、それぞれが味の濃い素材だったため、想像以上に口の中に幸せが広がる。

アルコールの品揃えも、日本酒、焼酎ともに美味しいところが揃っている。蝶ネクタイを締めたウェイター氏がお酒に詳しいようで、尋ねれば酒肴にあう一杯を選んでくれる。

名前を忘れてまったが、この日は秋田のコクのある純米酒を勧められるがままに味わった。おまけに口開け。さすがにフレッシュ。ついついピッチよく飲んでしまう。その後、握りに移って後半になったら、そのシチュエーションに合わせたまったくタイプの違う旨い酒を勧められた。

ちょうど空いているときだったので細かい気配りをしてもらえたのだろうが、結構楽しい時間が過ごせる。

握りを食べたなかで特別美味しかったのが太刀魚。生で出す店はそう多くないと思うが、実に甘みタップリでおかわりしたほど。

そのほか、北寄貝、アジ、コハダ、本マグロの即席ヅケなどすべて美味しい。いわゆる超高級魚と呼ばれる魚もあるが、そうではない伊豆あたりの地魚のように普段は火の入った料理で登場することが多い魚に特徴があるように感じた。この手の魚の良さをとても良く引き出している。青魚、白身魚好きにとっては、魚の風味を満喫できるのではないか。

営業時間夜の6時から明け方まで。私は池袋の深夜に用はないが、あのレベルの味を深夜2時とか3時に味わえるのも面白い。

お勘定は安くはないが、その価値はあるように思う。