2015年1月30日金曜日

眼の話


それなりに年を重ねれば身体のアチコチが若い頃とは変わってくる。劣化である。

とはいえ、普通に暮らしていると身体の劣化を感じることは少ない。後ろ回し蹴りを繰り出す場面はないし、遠投記録に挑戦することもない。今ではすっかりピンポンダッシュする機会も減った。

身体を動かす場面など、ごくたまに組んずほぐれつする程度だから、自分の身体がお爺さんモードに近づいていることに気付かない。

「眼」だけは別である。こればっかりは普通に暮らしていても劣化を顕著に感じる。

有難いことに今までずっと裸眼人生を過ごしてきた。何年か前に視力低下を実感して眼鏡を作ったが、使うのはクルマを夜に運転する時ぐらいだ。仕事中も裸眼で問題は無い。

ところが、ここ半年ぐらいの間に視力が確実に落ちてきた。老眼も進んでいる気がする。美しい女性も美しくない女性もボヤけて見える。ウソです。

職場でパソコンに向かい、家では録画が溜まったテレビ番組を見て、風呂では週刊誌を眺めて、寝る前には文庫本を読む。

こういう暮らしだから眼が疲れるのは当然である。ただの疲れ目と年齢相応の老眼だけならいいのだが、一気に眼の能力が落ちてきた以上、変な病気だったらイヤだ。

ということで、真面目に眼科に行ってきた。
そういうお年頃である。

医者に行くのは、痛いの痒いのといった病的な症状が付きものである。「劣化」だけを理由に出かけるのは実に淋しい気分である。

昨年暮れに友人が眼科を開業した。このブログでもしょっちゅう書いている我がオヤジバンドのリーダーである。

場所は西新橋(内幸町)。真新しいオフィスビルの中だ。その名は「富永クリニック眼科」である。「眼科クリニック」と呼称しないところがニクい。

開業早々なので診察待ちの患者さんが溢れていることもなく、その分、じっくり診てもらえた。

目薬を処方してもらうだけでも時々行こうと思っているのだが、銀座8丁目あたりに歩いて行けちゃう立地だから、常に夕方の訪問になりそうで個人的には悩ましい・・・。

さて、診察に行った時の話だ。普段はアホ話か高尚な?音楽論を話している相手なので、お医者さんっぽいことを言われて少したじろぐ。

たじろいでいる場合ではない。私は「遊びに来た友人」、「暇つぶしに来たボーカリスト」ではない。「眼に不安を抱える気弱な患者」である。ちゃんと心配事をクリアにしないといけない。


結構真面目にアレコレ質問してみた。実に丁寧に答えが返ってきたし、最新兵器みたいな機械で私の目玉ごと撮影して、その場で画像を解説してくれた。

結果、「異常なし、疲れ目」という私にとってはパーフェクトな結果だった。白内障、緑内障とかの気配も無いらしい。眼精疲労と疲れ目が別なものだということも教えてもらった。

ただし、何年かぶりにちゃんと測ったら視力が思った以上に低下していたのでションボリである。

0.3程度しかないらしい。0.6ぐらいだと勝手に思っていたから随分違う。20代、30代の頃は1.0~1.2ぐらいだったから相当な劣化である。

状況に応じてメガネもちゃんと使う必要があるようだ。そりゃそうである。その程度の視力では裸眼のままだとさすがに眼が疲れる。

それにしても眼に自信があった人間としては突きつけられた視力の現実が切ない。淋しいかぎりである。

でも、ワッカのどっち側が開いているかを言い当てるお馴染みの視力測定を真面目にやってみた結果だから間違いはない。

今まで運転免許の更新の際には、ギャンブラーのように当てずっぽうで視力検査を突破してきたが、いよいよ年貢の納め時である。

眼だって50年近く使い続ければ劣化するのも仕方がない。

先日も古い知り合いの中年女性から「優しいのね」と言われたのだが、何のことはない。その人が気にしていたシミの存在がちっとも見えていなかっただけである。

まあ、そこそこの年齢になると見たくないことや見て見ぬフリをすることが増える。そういう時は裸眼でごまかし、ちゃんと見たいものは眼鏡に協力してもらおうと思う。

なんだかウジウジした話を書き殴ってしまった。

いずれにせよ、「富永クリニック眼科」は親切丁寧でした。

「富豪記者からの紹介です」と言ってもらえれば、「だから何だ?」とは言われないと思う。きっと2割増しぐらいニコヤカに対応してくれるはずだ。

2015年1月28日水曜日

物欲


ここ数年、意外に物欲がおさまっている。欲しい物はいくらでもあるが、実際に手に入れようと必死になるわけでもない。

先日もサイドレースのアンティークブラウンのイタリア靴に物凄く惹かれたが、なんとなく買わずに済んだ。新しい水中撮影機材も欲しいが、デジカメの進化が早すぎて面倒な気分のほうが勝っている。

「物欲」。人間の煩悩の中でも厄介なものである。でもとても大事な欲求だとも思う。欲しい物を手に入れようとするエネルギーは生きていく上でのモチベーションにつながる。

「人間の物欲はその収入が増すにつれて大きくなる」という言葉がある。可処分所得が大きくなれば、当然欲しい物の価格にも比例する。

サムライジャパンの4番打者・中田翔がランボルギーニを買ったそうだ。入団まもない頃にそこまでの欲求があったとも思えない。何億円もの年俸を手にしたことで生まれた欲求だろう。

私自身、ぐい呑み収集に病的に躍起になった時期がある。全国の窯場を訪ね、頻繁に作家の個展を覗き、ネットオークションまでせっせとチェックする日々だった。

懲り始めた頃に比べれば、収入に応じて年々欲しくなるものが高価になっていった。そして次から次に入手すると価格に対する感覚が麻痺していった。

1万円のぐい呑みなど興味の無い人には理解不能の金額だろう。でも、懲り始めると5万、10万のぐい呑みにも平気で手を出す。

人間国宝クラスの作家モノだと10万円でも買えないから、それなりの逸品を入手するために結構シンドイ思いもした。

そのせいで、可処分所得を増やそうという妙なモチベーションは上昇し続けていた。今は陳列スペースが限られたマンション暮らしになったこともあって異様な執着心はなくなった。

物欲をモチベーションや上昇志向の源として捉えると、物欲が弱まっている今の私はダメダメということになる。陶器類はもちろん、最近は「靴欲」も以前よりは弱まっている。

エネルギーが足りていないのだろうか。それはそれで困った話である。しぼんじゃってもマズいから、もっとギラギラすべきなのだろうか。

もっとも「足るを知る」ことの大切さは、人が穏やかに生きていく上で不可欠である。衣食住に不便のない豊かな国に暮らしているわけだから、その幸せに感謝しないといけない。

とか言いながら、現状肯定路線だけでは進歩はない。「物欲」と「足るを知る」。この二つの真理とどう折り合っていくかが難しい。

世界中の数々の調査では、人間の幸福度は収入よりも社会参加にかかっているというのが定説だ。

収入が増加しても幸福度は大して変わらないのに、人間関係をはじめとする社会性が充実すると幸福度合いは一気に上昇するそうだ。

確かに物欲にはキリがないから、収入が増えてもその収入に応じた欲望はとどまることがない。5億円のマンションを買った人は10億円のマンションを羨ましく感じてしまう。

一方、社会性、すなわち人や集団とのかかわりは、心の充実につながりやすい。

頼られる、助ける、共感される、尊敬される、感謝される、認められる、誉められる、期待される、賞賛される等々、こうした心の欲求がすべて満たされたら確かに物凄く幸福だろう。

位人臣を極めた成功者が、社会貢献活動にせっせと励むのも、結局は莫大な収入を得ることでは味わえない幸福感を求めてのことだろう。

私も社会貢献活動に突然躍起になっちゃうぐらい、莫大な収入を稼ぎたいものである。

なんか話がとっちらかってきた。

物欲の話である。

考えてみれば、私の大きな欲求である「旅行に行きたい欲」も一種の物欲だ。

快適に飛行機に乗って快適にホテルに滞在して非日常の場所に身を置きたいという行為自体が、その時間や空間や権利を「買う」ことだ。形のない「モノ」を手に入れたいという欲求だ。物欲の一種である。

なんだ、そう考えたら物欲が弱まっているどころか、年々強まっちゃって仕方がない。アフリカだって行きたいし、ガラパゴスにも行きたい。国内でも秘湯の宿なんかを攻めてみたいし、際限なく欲求は湧き出てくる。

物欲バリバリである。

結局そうした欲求って、それを実現させるまでの過程や実現が近づいた時の高揚感、その後の満足感が絡み合って豊かな気分につながる。

「心豊かに過ごす」というのは人間にとって最高の状態である。そのためには欲をしっかり持って、それを満たすための努力を惜しまないでいることが大事だ。

そんなモチベーションを高めたまま日々を過ごしていければ幸せだ。

2015年1月26日月曜日

中井貴一 アゲイン


いきなりだが「中井貴一」はバツグンである。中年になってからの存在感というか、味わい深い感じは文化財級である。ちょっと大袈裟か。

いままで何の気なしに彼の出演作品を見続けていたが、先日見た映画で改めて「中井貴一びいき」になった。

上映中の「アゲイン 28年目の甲子園」という夢を追い続けるオッサン達の映画が実に良かった。ウルウルしてジンワリした。


元高校球児が「夢の続き」に熱くなるという内容である。

マスターズ甲子園というイベントをご存じだろうか。かつての高校球児が世代を超えてOBチームを作り、聖地である甲子園で秋に開催される本大会出場を目指すというもの。

それだけで中高年にとってシビれる話だが、それを素材にした重松清の原作を元にした映画だ。

重松清に中井貴一である。そりゃあ退屈な作品になるはずがない。ついでに主題歌は私にとって神であるハマショーが担当。

もともとハマショー絡みで、この映画が作られると知って興味を持った。実際にはハマショー師匠の書き下ろした主題歌は映画のエンドロールの際に流れるだけである。

だから私がこの映画をベタ褒めするのはハマショーびいきのせいではない。純粋に作品が面白かった。オススメです。

野球をかじったことがある人、重松清の小説を読んでジンワリした経験がある人、若い頃の夢を懐かしく思う人、ついでに言えば離婚経験がある人、娘がいる人など、どれかに当てはまれば素直に楽しめて感動できる映画だ。

さて「中井貴一」である。50代半ばで枯れかけているオヤジ役である。甲子園を目指した高校生の頃は野球部のキャプテンだった設定である。

まさにハマリ役。元エースで少しヤンチャだったキャラの男は柳葉敏郎である。ニクいキャスティングだ。

柳葉敏郎の投球フォームの素人まる出しな感じは興醒めだったが、野球シーンはさほど重要ではない。中井貴一も柳葉敏郎も「娘」とのかかわり方に苦悩があるところが良かった。

元球児とその子供を描くとなれば、男の子が出てきそうだが、この作品では主要な役は「娘」である。そこがまたグッとくる。

中井貴一のデビュー作は30年以上前の映画「連合艦隊」である。正月休みにたまたまBSでのテレビ放映を見たが、中井喜一青年の演技はまだまだ「残念」な感じだった。

その後、大ヒットドラマ「ふぞろいの林檎たち」で演じたような真面目な青年のイメージが一般的だった。無器用系とでも表現したくなるような立ち位置だったが、気付けば幅広い役をこなしている。

エリートの役、頼りないオッサンの役、シリアス、コミカル何でもこなす俳優である。

映画「亡国のイージス」では謎の国の対日工作員という悪役をしっかり演じきっていたし、「壬生義士伝」ではドンくさい田舎侍が義のために様変わりする姿を見事に表現していた。

時代劇の中井喜一も魅力的だ。変な言い方だが、ガッチリ系ではない線の細さが逆にしっくり来る。

昨年公開された「柘榴坂の仇討ち」は見そびれてしまった。原作が素晴らしかったから主演の中井喜一の演技が混ざり合って間違いなく面白かったはずだ。DVD発売が楽しみである。

50代の俳優といえば役所広司や佐藤浩市、渡辺謙など素晴らしい人材がゴロゴロいるが、中井喜一のポジションはちょっと独特かもしれない。

野性的な感じやヤサグレた感じ、屈折した感じが無い「極めてフツーな感じ」が最大の特徴だろう。妙なリアリティがあるから見ている人が共感しやすい。髪型もあんな感じだし。。。

何かのインタビューで読んだのだが、彼は「大人の映画をもっと作るべきだ」と強く語っていた。まったくその通りだと思う。

アナ雪とか妖怪とかロボットとか、いまどきのヒット映画は子供向けのものばかり。仕方がないのか幼稚なのか、大のオトナまでがそんなものを観て喜んでいる。

高齢化社会なんだから、若者に媚びへつらうような作品ばかりではなく、オッサン、オバハンがジンワリするような作品をどんどん作って欲しいものだ。

2015年1月23日金曜日

恵方巻きと結婚指輪


目くじらを立てるような話ではないが、近頃うっとうしいのが「恵方巻き」の習慣だ。

まさに猫も杓子もって感じで至極当然のように騒いでいる。東京に生まれ育った中年男としては、まるでピンとこない。違和感バリバリである。

関西方面の習慣であり、それすらもさほどポピュラーな習慣では無いと聞いたことがある。

一説によると、芸者さんが黒々とした太い物体を一気に頬張る姿をダンナ衆が下品な意味ではやし立てたのが発祥という話もあるらしい。

それが真実だったら、老いも若きも有り難がって神妙な顔して恵方巻きを頬張る姿は底抜けにマヌケである。

江戸前を看板に掲げる寿司屋まで時流に乗せられて恵方巻きをせっせと作っている。なんだかな~って感じである。

恵方巻きファンの人には不快な書きぶりでスイマセン。

近年妙に普及したハロウィンの意味不明なバカ騒ぎに似ている。ここ10年程度で一気に広まった感じだ。

虎視眈々と国民的行事?の座を狙っているようなコスッからい商魂に引っかかっているような気がしてイヤだ。

素直に楽しんだ方がいいのかもしれないが、アマノジャクオヤジとしてはブツブツ言いたくなる。こうやって偏屈街道まっしぐらの晩年を迎えるのだろうか。

なんだか自分が狭量な人間に思えてしまうが、ブツクサ野郎も世の中には必要だと思って開き直ることにする。

クリスマスやバレンタインなども似たようなもの。無節操な盛り上がりが嫌いだが、そうはいっても、私自身も今までさんざんオイシイ思いもしてきたからエラそうなことは言えない。

一連のイベント系だけでなく、考えてみれば、結構いろんなところで商業主義に踊らされたもっともらしい風習が存在する。

結婚指輪などその際たるものだろう。昔から男が指輪をはめている姿に違和感がある。あくまで個人的意見だがカッコ悪いと思う。

今の私が指輪をしたくても出来ない状況だからひがんでいるのではない。

有資格者?だった頃も一度も指輪などはめたことがない。結婚式で必要になった際も兄から借りた指輪でごまかした。

まあ、そんなにこだわるなら、そもそも西洋式の結婚式などやるなという話である。なんだかんだ言って結局私もテキトーである。

この国に結婚指輪の習慣が根付いたのは戦後の話だ。それも高度成長期あたりだというから、せいぜい50年程度の話。

その程度の浅い歴史なのに、いまや結婚指輪は絶対的存在のように扱われている。30年ぐらい前にどっかの業者がブチあげた「給料の3か月分」というCMのせいで、相場まで出来ちゃったみたいだ。

男がチャラチャラとアクセサリーなどするもんじゃないという感覚で生きてきたせいで、結婚指輪にまで異物感を覚えちゃう。他人の趣味嗜好に口を出すこと自体が野暮なのだろうが、何となく気になってしまう。

以前、知人の情けない話を聞いた。浮気の際に指輪を外したついでに紛失して家庭争議に発展したというマヌケな悲劇である。

騒動のそもそもの原因は何だろうか。浮気したことか。いや、指輪のせいである。指輪という余計なモノがトラブルを招いた。と、私は思う。

そんな話を聞くと、指輪イコール不吉なモノだと思えてくる。

まあ、こんなフシダラなことばかり書いていてはアチコチから叱られそうだ。

首輪をしていない犬が保健所に引っ張られていくように、指輪反対派の私も社会秩序崩壊幇助罪?で逮捕されないように気をつけよう。

2015年1月21日水曜日

負けるなエビフライ


前回、食欲がないと書いたばかりなのに揚げ物の話を書く。

昨年の2月頃にこのブログでエビフライにハマっている話を書いた。年間100本ぐらいは食べそうだと息巻いていたが、結局は30本ぐらいしか食べなかった気がする。

今年はもっと頑張ろうと思う。

エビフライは切ない存在である。エビフライが嫌いという人に会ったことがないぐらい国民にとってポピュラーな存在なのに、主役として活躍する姿を見ることはまれだ。

エビフライ専門店。これもありそうで無い。どこかにあるかもしれないが聞いたことがない。

エビの種類や大きさで何種類ものエビフライを用意し、タルタルソース以外にも特製ソースを何パターンか用意するような店があったらゼヒ行きたい。

30センチぐらいの大エビのフライ、中ぐらいの車海老のフライ、フィンガーサイズのシュリンプフライ等々、考えれば結構バラエティーに富んだメニューになるはずだ。

サイドメニューにはトンカツを用意して日頃の復讐?を果たせば良い。それがトンカツ屋のサイドメニューに甘んじているエビフライにとっての意地だと思う。


とかいいながら、先日、エビフライをまたしても二番手として注文してしまった。反省である。

巨大エビフライで有名な店があると聞き、いそいそ水道橋まで出かけた。「かつ吉本店」がその店。丸の内、日比谷、渋谷に支店を持つ結構な人気店だとか。

お目当ては「天然特大エビフライ定食」である。2本で4千円。1本でも2千円という富豪的価格設定である。

東京ドームのそばの店舗は、民芸調の雰囲気でくつろげる。小上がり、テーブル席、大ぶりの円形カウンターなど座席の形態もいろいろ。酒のツマミになるような一品メニューもあって、宴会やシッポリ飲みにも問題ない雰囲気である。

さて、エビフライが目的だった私だが、くつろげそうな店の雰囲気のせいで、ちまちま酒も楽しみたくなり、気付けば初志貫徹どころかグダグダになってしまった。


結局、上等なヒレカツをメインにしてしまった。卓上にいくつか用意されているソースを見ていたら、ソースマンとしてのスイッチが入ってしまった。

エビフライは1本だけ別注。ヤツを主役にしてやろうと張り切っていたのに全面的に敗北である。


で、ヒレカツである。値段を考えれば普通の美味しさだった。衣がすぐに外れちゃう点がイマイチだが、火加減も良し、食感も良し。

そして特大エビフライである。上の画像ではエビのサイズを強調するためにタバコを並べてみたが、確かにデカい。

これが目の前に置かれるだけで幸福感に包まれる。一目見ただけで興奮できちゃうという点ではトンカツより勝っている。

味のほうは普通にウマかったが、タルタルソースが無かったから全然ダメである。ちょっと納得いかずに食べ終わったのだが、実はタルタルソースは忘れられただけだったことを後から知る。

ポン酢みたいなタレが出てきたから、疑いなく「非タルタル系」だと思い込んでいたのだが、おそらく給仕の人がミスしたようだ。

モーレツに残念である。近いうちにリベンジに行こうと思う。

いずれにせよ、エビフライラバーを自認する私が、ついトンカツの誘惑に負けてエビフライを二番手に押しやってしまうわけだから、何とまあトンカツってヤツは強力なオーラを放っているのだろう。

冒頭で書いたようなエビフライ専門店が出来たとしても、サイドメニューにトンカツを用意するのは危険だ。主役の座を乗っ取られかねない。

アーだのコーだのエビフライへの愛情を力説している私だが、結局はトンカツという神様を前にするとヘナヘナとひざまずいてしまう。

トンカツ恐るべし、エビフライ頑張れ。

そういうことである。どういうことだろうか・・・。

2015年1月19日月曜日

欲望を考える


人間の三大欲求は「食欲」、「睡眠欲」、「性欲」だと言われる。人間というより動物全般にとって生きる上で必要な要素だ。

食べない、寝ないが続けば死んじゃう。セックスもマメに励まないと死んじゃう。いや、これは死なないか。

性欲に関してはレジャー?としての意味ではなく種の保存を考えたら絶対に必要な欲求である。

まあ、三大欲求といっても、あくまで生き物の根源的な欲求であり、日常生活での強い欲求は「物欲」や「出世欲」などさまざま。

私などは「遊びたい欲求」専門だ。サボりたい欲や旅に出たい欲ばかりである。温泉での「入浴」も絶えず求めている。オヤジギャグですいません。

さて、今日のテーマは「食欲」についてだ。「性欲」を書き出したら原稿用紙5千枚ぐらいの論文になりそうだから、そっちの話は避ける。

最近、食欲が低下している。ここ3か月ぐらいで一気に様子が変わった。

もう何年も朝と夜の1日2食を基本にしてきた。夜の酒を美味しく飲むことが目的だ。さすがに午後の時間帯は空腹を感じることが多かったが、最近はまるで平気だ。

待望の夜が来ても、ビールを飲んでチョロッと刺身をつまんだあたりで、何だか落ち着いちゃってガツガツ食べないことが増えた。

加齢も理由の一つだろうが、それにしては極端である。いまでもその気になれば狂ったようにドカ食いが可能だから、加齢だけが理由ではない。

おそらく血圧の薬が原因だと思う。

血圧を下げる薬を飲み始めて3か月が経った。はじめの1か月はダルくなったり、不整脈が出ちゃって難儀したのだが、その後は身体に馴染んだようで適切にコントロールされている。

薬だから副作用もそれなりにある。そのひとつが「食欲不振」だ。私の場合、数ある副作用のうち運良く?食欲が弱まる効き目が発揮されているようだ。

ウン十年にわたる大盛り生活も終わりを告げようとしている。家で茹でるパスタも200グラムから120グラムぐらいに減少した。

さすがに時には激しく空腹を感じるが、そんな時でも不思議なことに食べたいものが頭に浮かばない。常日頃、ウナギだトンカツだと脳みそ全部が食べたいもののイメージで占拠される私としては異例の事態である。

でも良いことである。

自然のままにしていれば必ず痩せるはずである。でも、時々ストレス性ドカ食いに励むからちっとも痩せない。

「珍味」を食べたい欲求も大幅低下中だ。冬場になれば白子にアンキモを主食のように食べていた頃もあったが、最近はチョビっとで満足している。尿酸値なんてまるで健康人である。


この画像はイバラガニの内子だ。珍味の中でも私が特に愛する逸品だ。

つい先日、銀座のお寿司屋さん「九谷」で遭遇したのだが、以前ならもっと大量にもらったはずが、この程度で大満足してしまった。




イカのハラワタの刺身、筋子、毛ガニのミソである。数年前は目を血走らせ、鼻息荒くムホムホ叫びながら酒とともに味わっていたが、このごろは普通にウマいな~とつぶやく程度の反応になってしまった。

感激しない、心が動かない。こんな心理状態に陥ることは人として非常に問題である。人生を楽しむうえでは、何事にも大袈裟に心を揺さぶられていないとダメである。

そういう意味で、最近の食欲不振問題は私の今後の生き様に影を落としかねない由々しき問題かもしれない。ちょっと大袈裟である。


そういえば、先日、高田馬場のお寿司屋さん「鮨源」で珍味をめぐって新たな発見があった。アンキモを奈良漬けと一緒に食べるとウットリしちゃうという新事実である。

ここ15年ぐらいアチコチでさんざん珍味攻めをしていたが、ちょっとした食材の組み合わせだけで新たな喜びが見つかるという典型例である。

一般的に長生きする人は食が太いと言われる。先日テレビで見た長寿の島イタリア・サルディニア島の107歳のお婆さんはリゾット1人前とカツレツ1枚をペロッと食べていた。

今はなき私の祖父も80歳を過ぎてもステーキが大好物だった。60代半ばで亡くなった祖母が呆れるほどの粗食好きの小食だったことを思えば、食の太さは大事なことだと実感する。

あれこれ書いてみたが、結局のところ食欲が大幅に低下したことが良いことか悪いことかは結構判断が難しい問題ではある。



少なくとも、イカの塩辛を食べた後に小皿に残ったデロリンチョの部分に少しだけ寿司飯をもらって食べるようなヘンテコな小食男は店にとっては迷惑な客であることは確かだ。

2015年1月16日金曜日

あたみ石亭・桜岡茶寮

正月休みが明けた途端の連休を使って熱海に行ってきた。何となく湯河原と熱海にはちょくちょく出かけているような気がする。

温泉旅である。泉質にとやかく注文をつけたくなる年頃の私だが、熱海や湯河原は泉質以前に気軽にサクっと行けちゃうから大好きである。

泉質も悪くない。テキトーな宿はさておき、真っ当な旅館に行けばキチンと沸かし湯ではない源泉を味わえる。いつまでもポカポカしていられる塩味系の湯だ。

熱海の場合、新幹線なら東京駅から40分ぐらいで着いちゃう。それじゃあまりに旅行気分が味わえないので今回は気ままなドライブ旅だ。

冒頭の画像の富士山は、箱根ターンパイクからの眺め。新年早々なかなか縁起がいい景色を堪能できた。

泊まった宿は「あたみ石亭・桜岡茶寮」。老舗のしっぽり宿である。何年か前に石亭の本館に泊まったことがあるが、桜岡茶寮はその別邸扱い。より優雅な位置付けとのこと。

他の客と顔を合わせたくない有名人が好みそうな宿だった。誰からも逃げ隠れする必要のない私にとっては、あまり意味はないが、そんな隠れ家的、お忍び的な要素が値段に反映されているかと思うとビミョーである。


そもそもロビーというかフロントスペースが無い。玄関先に乗り付けたクルマを係のオジサンに預けて、そのまま石畳の小道を歩いて離れの部屋に案内される。

本館の石亭も全室離れの宿だが、別邸の場合はチェックイン、チェックアウトの際にフロントを通過しない点が特徴だ。

別邸には大浴場がない。ゆとりのある広さの客室露天風呂に源泉がバンバン掛け流しになっているので、それで充分だろうというのがコンセプトみたいだ。

もちろん、風情たっぷりの敷地を歩いて5分ほど行けば本館の大浴場に辿り着く。どうしても泳ぎたいオッサンとかはそっちに行けば問題ない。

ということで、別邸に泊まっていると本館の大浴場に散歩に行かないかぎり他の客とは顔を合わせない。

有名人でもお忍びでもない私にとっては、別邸を選ぶ理由はなかったのだが、まあ一時の富豪気分を味わえたからブツブツ言わないことにしよう。

総論としては、非常に良い宿だった。奇をてらったところはまるで無く、純粋な日本建築の落ち着いた建物の風情、部屋からの庭の眺め、食事、サービス等々何も問題ナシ。というか、とても快適だった。

いまどきの和モダンという路線も悪くないが、「昔ながらの100%ニッポン」を体現したような宿に漂う凜とした空気に素直に癒やされた。


部屋の露天風呂は、やや開放感に欠けていたが、それを補う広さとお湯の良さを堪能できた。

室内の脱衣所からつながる露天風呂の屋根部分には温熱機が設置され、湯船に向かう前の寒さを和らげてくれる。

源泉が熱かったので水で薄める。「加水された温泉」になってしまうが、薄めないと熱湯風呂状態だったので仕方ない。

それでも充分に気持ちよかった。湯冷めしなかったから温泉効果もバッチリである。相変わらずお下品系週刊誌なんかを読みながら葉巻をふかしてノボせた。

食事も全部美味しかった。このクラスの旅館になれば、マズいものが無くて当然とも言えるが、先付け、前菜の細かな品々も実に丁寧で幸せな気分になれた。


コケおどし的な演出や奇をてらった品が一つも無かった。裏返せば一品一品に相当自信があるからだろう。正統派中高年?である私は、そういうさりげない感じに妙に感激する。

刺身ひとつとっても、お決まりの?マグロが無かったことが嬉しかった。変な言い方だが、これって結構大事なことだと思う。

たいていの旅館が無節操にマグロさえあれば客が喜ぶと思っている。闇雲マグロである。あれは間違いだと思う。

そこそこの価格帯の宿を選ぶ客なら、ウマいマグロは日頃から口にしているし、それよりも地元の旬な魚を出されたほうが余程うれしいはずだ。

感じの悪い書き方になってしまうが、これって無視できないポイントである。山の中の旅館に行ってまでトロを食べたいとは思わないし、旅の楽しさの一つが馴染みのない土地の食べ物を味わうことだから、日本中にはびこる「闇雲マグロ」の習慣は改善した方がいいと思う。


この画像は、地モノの金目鯛の豆乳小鍋仕立て。出された料理のすべてがウマかったが、この料理がとくに印象的だった。

さてさて、印象的な品があったわけもないのに印象的だったのが朝ご飯である。なんか変な言い方ですいません。

鰺の干物をはじめ、ごくごく普通の品揃えだったのだが、煮物や味噌汁、もろもろの小鉢も全部ていねいな味付けだった。ふっくらしたウナギがちょこっと入った茶碗蒸しも絶品だった。

朝からヘンテコな料理を出されるより、上質なコンサバを徹底してもらったほうがオトナ男としては嬉しい。


30代後半になるまで干物など見向きもしなかった私だが、中年以降、伊豆方面の真っ当な旅館で干物観が様変わりするような逸品を味わううちに大好きになった。

いまでは、それっぽい宿に出かけると夕飯より朝飯のほうがワクワクする。もともと朝飯をしっかり摂るほうなので、旅館のスペシャル朝食だったら無尽蔵に食べ続けそうな勢いでかっ込む。

朝の弱い女性と一緒だったら、相手をいたわるフリをして、結局ふたり分をがっつり食べてゲップをブヒブヒしている。

ウダウダ書いたが、「高級旅館の楽しみは朝飯に尽きる」。これが結論だ。

2015年1月14日水曜日

銀座宮川 頃合いの良い店

ちょうどいい頃合いの店。これがなかなか難しい。シチュエーションにもよるが、大人の男がふらっと立ち寄ってリラックスしてくつろげる店を見つけるのは結構厄介である。

単に酒を飲むのであれば、小料理屋あたりでノンビリすれば済む。問題は酒がメインではない場合だ。

たとえば、インドカレーが食べたいけど酒もしっかり飲みたいとか、上等なトンカツを専門店で食べたいけど、アレコレ酒肴も頼んで酒も楽しみたいとか、そんなパターンだ。

メインはメインで本格的な一品を求めるくせに、それ以外のツマミでチビチビ飲むのも捨てがたいというワガママな状況である。

こういう願望に陥った時、それが御一人様状態だったら尚更ハードルは高くなる。インド料理屋で一人ダラダラ酒を飲みながら長っ尻になっている人など見たことない。

一人メシ、一人酒の機会が多い私は時々そんな困った事態に直面する。誰かを呼び出そうにもたいていは突発的だからコトはうまく運ばない。

私の大好物がウナギである。頻繁に食べたくなる。ウナギと言えば、上等な白焼きに冷酒を組み合わせてウットリしたい。

個人的に好きな鰻屋さんはいくつかある。でも、一人で気軽に入れるタイプの店ではない。

一人で気軽に入れるそこら辺の鰻屋さんの場合、酒のツマミが無かったり、あってもチューブから絞るニセモノワサビを平気で出してくるような居酒屋的なノリの店が多い。

その手の店でウマい白焼きを期待しても駄目である。

わかっているのに、ダメダメな鰻屋にも突撃してしまうのが私の悪いクセだ。「さすがにこの店は入っちゃ駄目だろう」と守護霊が囁いているにも関わらず、ウナギモードがマックスになると失敗する。

とある夜、新橋で会合を終えた後のこと。まっすぐ帰るはずもなく、どこに立ち寄るか考えていたら「ウナギが食いたい」一心になっていた。

新橋界隈では鰻屋さんに心当たりが無い。銀座に出ればいくつかあるが、御一人様がまったり出来る感じの店は京橋寄りの某店ぐらいしか思い浮かばない。

歩くにはチト遠い。仕方なくウナギを半分あきらめながら銀座に入る。寒いし、おでんでも食べようと歩いていたら、鰻屋さんを発見した。

しょっちゅう歩いていた通りなのに見落としていた。おでんの「やす幸」や蕎麦の「よし田」といったオッサンが喜ぶ店が集まっている通りである。

「銀座宮川」がその店。雑居ビルの地下にあった。ひっそり営業しているつもりは無いのだろうが、路面に出ている看板も小さめだから、今まで気付かなかった。

時間は9時半頃。案の定、座敷席にオッサングループが一組いるだけで空いていた。小ぶりな店である。妙に昭和っぽい雰囲気が漂う。

肩肘張らずに、かといって安っぽい感じとも違う。なんとも絵に描いたような「それっぽい店」である。

こういう偶然の発見が街をうろつく時の楽しみである。頃合いの良い店だと直感する。

この日は空いていたのでテーブル席に陣取ったが、カウンターもあるから、突然の一人ウナギ大会にも対応してくれそうだ。

酒のツマミはあまりない。でも、ウナギとともに焼鳥も看板メニューらしく、あれこれと1本から焼いてくれる。

レバ、ウズラ卵などをもらって、大根おろしもツマミ代わりに楽しんで燗酒をチビリ。酒の種類は少ないが、今どきめずらしく、ちろりに入れた酒が出てくるあたりがニクい。


そして白焼き登場。冷酒に切りかえる。さほど有名な店ではないようなので、過剰な期待はしていなかったが普通に正しく美味しい白焼きだった。

大満足である。こういう店を知ったことは偏執狂的ウナギラバーである私にとっては大いに価値がある。

おそらく家族経営だろう。ちょっとした目配りや気遣いがちゃんとしている。バイトの若造が気の利かない動きをする店より遙かに居心地が良い。

食べるペース、酒の減り具合などはさりげなく確認していたし、小皿やお茶を出すタイミングなど細かい点もきちんとしていた。

そういうソフトの部分を評価したくなる店が大人にとって快適な店だと思う。わざとらしくない適度な距離感で客をもてなしてくれるイキな感じが心地良かった。

最後に鰻重。これまた普通に美味しい。会社や自宅の近所のテキトーな鰻屋さんで討ち死にしたような気分を味わっている私にとってはオアシスみたいな店だ。

私の場合、ウナギを食べたい気分にも二通りある。片や高級専門店で、うざく、う巻きなどウナギ三昧の料理を人気銘柄の冷酒を飲み比べながらしっぽり味わうパターン、片や、もう少し力の抜けた店で夕刊紙でも眺めながら安い燗酒片手にノホホンと味わうパターンである。

年柄年中ウナギを食べたくなる私としては、当然後者のパターンのほうが多い。そういうノリの時に心強い店を見つけたことは新年早々ラッキーである。

問題は立地である。ウナギで上機嫌に酔った私にとって、腹ごなしの散歩をするには銀座は魔界である。要注意だ。

2015年1月9日金曜日

てびち&ソーキ


豚足(とんそく)は謎めいた存在である。批判を覚悟で書くが、ハッキリ言ってゲテモノである。世代的、地域的な要素もあるが、私自身、若い頃は当然のように敬遠していた。

「トンソク大好き~!」とか「トンソク食べに行こうぜ!」とか嬉しそうにハシャいでいる人を見たことはない。

どこかウラぶれた雰囲気というか日陰者みたいな位置付けである。まかり間違っても西麻布のオシャレなバーで菜々緒みたいな女子がかぶりついている可能性はない。

あくまでマイナーな存在である。

少なくとも、ちょっとした割烹や日本料理屋で出てくることはない。私自身、若い頃に台湾料理店で遭遇してギョっとしたことを覚えている。


そんな残念?な存在の豚足だが、沖縄に行くとまるで様子が変わってくる。エラそうにゲテモノ扱いしていた私も毎日毎日、豚足太郎になっている。

泡盛のつまみに豚足、沖縄そばのトッピングに豚足・・・。1日に何度も食べることも珍しくない。東京では食べる機会がないのに沖縄では中毒状態になる。

沖縄での呼び名はご存じ「てびち」である。「手引き」が変化したとか「食べたい」が変化したとか、語源には諸説あるらしい。不思議なもので「トンソク」という響きより「てびち」のほうが俄然食欲が湧いてくる。


沖縄のてびちは、煮物にしたり、それを沖縄そばに載せたり、塩焼きにしたり、唐揚げにしたりと、縦横無尽の活躍である。

東京人にとって驚くのがおでんの具にもてびちが登場することだ。私自身、その昔、那覇の怪しげなおでん屋でてびちのおでんに遭遇してオッタマげた。食べてみたらウマくてビックラこいた。

今回の旅でも、アチコチでてびちを味わったが、かつてないほど美味しい唐揚げに出会った。本島中部の美浜にある「きんぱぎんぱ」(金波銀波)という店の一品が最高だった。



下処理がよほど丁寧なのだろう。臭味などひとかけらも無く、衣のまとわせ加減、揚げ加減ともに完璧。付け合わせの塩を一振りして食べるも良し、ポン酢ベースのつけだれで食べるも良し、泡盛古酒をグビグビしながらアッという間にペロペロ食べた。

豚足をウマいのマズいのと語るのもどうかと思ったが、たかが豚足されど豚足である。「てびち」と名が付いた段階で単なる豚足ではなくなる。沖縄料理のスター!である「てびち様」になる。

豚の繋がりでいえば、「ソーキ」も不思議なヤツだ。豚の骨付あばら肉である。豚肉カースト?においては決して上位ではない存在だ。

これも割烹や日本料理店でお目にかかることはない。豚の角煮はあっても骨付あばら肉はどこかマイナーである。

そんなイジらしいソーキだが、個人的には高級日本料理店で出てくる角煮よりも数段ウマいと思っている。てびちも好きだがソーキのほうがもっと好きである。


ソーキといえば沖縄そばがポピュラーだが、地元の食堂に行けばソーキ汁も人気だ。単なるソーキ煮付けも泡盛のツマミに最高である。そばにトッピングするだけではもったいない。

今回の旅でもソーキそばを連日ワシワシ食べた。スマホで撮った画像をチェックしたら、たかだか3泊4日でソーキそばを5回も食べていたことが判明した。我ながら異常な偏食ぶりである。

その中でもっともインパクトがあったのが、那覇の外れで見つけた「やんばる食堂」という店のソーキそば定食である。

この店に行った日は、ホテルの無料朝食をパスして朝昼兼用で「沖縄っぽいものをガッツリ食べる」ことを目的にクルマでさまよっていた。

なんちゃら食堂と名乗っている沖縄の店は、たいていボリュームたっぷりで空腹太郎が狂喜乱舞する世界である。

その手の店を探してあてもなく車を走らせながらカーナビの画面に表示されたのが「やんばる食堂」である。

http://okinawa-shokudou.com/yanbaru/pc/

イメージ通りの店を発見して勝手に興奮する。昼にはまだ早い時間なのに結構混雑している。昼にはまだ早い時間なのに赤ら顔でホロ酔いのオッサンもいる。なんとも素敵な空間である。

やたらと豊富なメニューを前にしばし悩む。結局、無難にソーキそば定食を注文した。

無難な注文のハズだったのに、さすがは沖縄の食堂である。ソーキがゴッソリ載ったボリュームたっぷりの沖縄そばに、なぜか刺身と目玉焼きと味噌汁と大盛りライスである。

どう考えても意味不明かつ脈略もこだわりも何もない組み合わせである。でも空腹マックスだったので大歓迎だ。


拍手喝采である。那覇に住むことになったら、この店の近くに住まいを構えようと固く決意した。隣の席のオヤジが食べていたソーキ汁定食も凄いボリュームだった。

東京でボーっと暮らしていると豚肉といえばトンカツか生姜焼きぐらいである。ちょっとハッスルして豚しゃぶを楽しむぐらいだろう。

沖縄の「ソーキ&てびち文化」は豚好きにとってはタマランチンである。これを書いているだけで泡盛の香りと豚連合の味わいが脳裏に浮かんでくる。

なんだか、今回の沖縄旅行では「ソーキ&てびち」しか食べていないような書きっぷりになってしまった。

まあ、実際そうだったから仕方がない。思い出すだけでヨダレの海で泳げそうである。

2015年1月7日水曜日

沖縄 パワースポット

昔のことを書くと懐古趣味の偏屈ジジイみたいでイヤなのだが、年末に沖縄に行ってみたら、やたらと歳月の流れを痛感した。

初めての沖縄は小学生の時に家族旅行で出かけた海洋博。自分の意思で通い始めたのは大学生の頃だった。

ゆうに四半世紀以上前の話である。携帯も無い、インターネットも無い、おまけに知恵も経験も知識も何も無い頃だから、いちいち冒険気分に浸っていた。

「沖縄」が急激に本土の人間にとって身近になったのはここ20年ぐらいだと思う。

「島唄」が大ヒットして、安室ちゃんが大人気になり、その後は朝ドラ「ちゅらさん」が大ヒット。気付けば、東京でも至る所で沖縄っぽいものが目に付くようになった。

大学生の頃に潜水行脚を目的に沖縄に通い出した私だが、当時は泡盛もソーキそばも知らず、すべて現地で初体験して感激していた。


当時のことは便宜上、「島唄以前」とでも呼ぶことにしよう。

今でこそ沖縄民謡はそこらへんの居酒屋でも聴くことが出来るし、泡盛だって都内の品揃えの良い酒屋に行けば複数の銘柄が置いてある。

「島唄以前」は東京で沖縄っぽいモノに触れる機会は少なく、沖縄料理屋も今のような気軽なノリではなかった。若者には敷居が高い場末のスナック的な店が多かった。

大学生の頃に、沖縄の食べ物や泡盛にハマった私としては、そんな状況が不便で、結果的に安い航空券を探してしょっちゅう現地に飛んで欲求不満を晴らしていた。

古くからの沖縄ファンとしては今の状況は感慨深い。ついでに言えば流通革命とインターネットのおかげでレアな食品や泡盛だって簡単に手に入る。

島唄以前には、泡盛や沖縄そばや豆腐よう、ジーマミ豆腐なんかを大量に買い込んで帰京する飛行機に乗り込んでいたから隔世の感がある。

あの頃、沖縄本島に高速道路は無かったし、モノレールも無かったし、美ら海水族館も無かった。

超高級リゾートも皆無で、ムーンビーチや全日空系の万座ビーチ、日航系のオクマリゾートが上等だった時代である。私自身、若造ダイバーだったからヘンテコな民宿やペンションとは名ばかりの人の家に泊まっていた。

トイレが汲み取りの宿もあったし、エアコンやテレビは100円玉を投入して時間制限付きで使う仕組みだった。

光陰矢の如しである。

思い出すことはいっぱいある。

いまハヤりの「NTR」事件もあった。

潜水旅行の乗継ぎの関係で那覇のシケたホテルに一人で泊まっていた時のこと。同じ時期に女友達が沖縄に来ていたので、ちょっとだけ合流することにした。

そのコは彼氏と二人で沖縄に来ていたのだが、そこは南国!である。私も血気盛んだったから「NTR」である。お茶だけのつもりが一緒に酒を飲み、結局、朝食を仲良く食べていた。

そのコの彼氏は泊まっていたホテルの部屋を一人で破壊しながら彼女の帰りを待っていたらしい。そのコがその後どんな目に遭ったかは、忘れた。

まだアチコチが元気だった頃の武勇伝?である。

さてさて大幅に話がそれた。年末年始の沖縄である。クリスマスの頃に急に手配した割には、うまい具合にホゲホゲ快適に過ごすことが出来た。

那覇市内から北へ20~30分行った宜野湾にある「ラグナガーデン」に2泊、那覇の「ハーバービューホテル」に1泊の合計3泊の目的のない旅である。

いずれのホテルも、ここ10年ぐらいで増殖したイマドキのカッチョいい高級ホテルに押されているような位置付けである。

だからピークシーズンの直前でも手配できた。実に有難い。アマノジャクな私はこうした「いまさら感」が漂うホテルが嫌いではない。

東京でいえば、ホテルオークラや第一ホテル、山の上ホテルなどに惹かれる感覚だろうか。キチンとしているのに、流行の陰に隠れちゃってるような感じが好ましい。

いずれのホテルも、部屋は広めでバスルームも浴槽と洗い場が独立している程度のマトモさは保っている。

年末年始の休暇にシャワーカーテンがあるようなユニット浴室で不便な思いをするのなら自宅にいたほうがマシだから、この点は有難かった。

ラグナガーデンは本格サウナ付き大浴場もあったので、いい感じにサウナオヤジになれた。サウナの後のオリオンビールは最高である。

で、何をしていたかというと、ちょろっとドライブがてらマイナーな場所を観光したぐらいで、あとはソーキそばを食べていたか、泡盛を飲んでいたか、本を読んでいたか、寝ているかのどれかだった。

思い立って久高島にも行ってみた。本島南部からフェリーで20分で渡れる「神秘の島」である。小さな島全体が霊験あらたかなパワースポットとして知られている。


聖域だらけなので、いまも立ち入り禁止エリアがアチコチにあるらしい。新しい年を前にパワースポットで前向きな「気」を吸収したかったから足を踏み入れてみた。


とかいいながら、戻りの船の時間まで小一時間しか無くて、久髙島の港近くで借りたママチャリでぶんぶん走って終わってしまった。

そのほか本島中部の「普天間宮」にも行ってみた。古い神社で、特徴は地下洞穴にも社があって周囲をウロウロできる点だ。

洞穴見学は無料だが、届け出制なので、巫女さんに言って入口へ続く扉を開けてもらった。



この日は大晦日の午前中である。見学者は私一人。凜とした空気が漂う。陰湿な雰囲気はない。これまたパワースポットだ。独り占めである。トクした気分でしばし「気」を吸い込む。

初詣なんてものは大量の人出に面食らった神様が混乱しそうだから、大晦日に人のいない神社に出向いてじっくりと1年のお礼と新年の祈願をすればいい。

そんな身勝手な考えで行動したわけだ。とても清々しい気分になれた。祈りってものは、結局そこがポイントだろう。清々しい気持ちになることが大事だし、それこそが有難いものだ。

連日昼の気温は17度前後。散歩には最適。目的もなくホゲホゲするには最高である。人出の少ない場所を選んでおけばピークシーズンの喧騒とも無縁でいられる。



この画像は本島中部にある中城城跡。世界遺産なのにマイナー?な観光名所である。ご覧の通りほとんど人がない。日本各地にあるどうでもいい世界遺産(スイマセン)にまで人が群がっていることを思えば、ここは大いなる穴場である。

観光シーズンだったから首里城なんかに行っちゃったらテンヤワンヤだったはずなので大正解だった。

のんびり悠久の歴史に思いを馳せる一時を過ごせた。とかいいながらマンゴーソフトクリームを夢中に舐めていただけだった。

なんだか長くなったので次回「食べ物編」に続く。