2018年4月27日金曜日

居酒屋ぼったくり 記憶と味


変なタイトルだが、今日はそんな話。BS12で土曜の夜に放送されているドラマ「居酒屋ぼったくり」が最近のお気に入りだ。


姉妹が営む居酒屋が舞台の人情ドラマだ。どこでも食べられるようなモノを提供してお金をもらうから「ぼったくり」という店名なんだとか。

脇役のイッセー尾形ぐらいしか知らない。見たことのない俳優ばかりだから逆に新鮮だ。そんな地味な感じが良い。

出てくる食べ物も地味、ストーリーも地味。でもジンワリする。私はこういう番組が好きみたいだ。

昨年は大森南朋がいい味出していたドラマ「居酒屋ふじ」を欠かさず観た。どうってことのない食べ物が妙にウマそうで、ホッコリと酒を飲みながら見入った。

映画化もされた隠れたヒットドラマ「深夜食堂」も好きだった。小林薫が演じる店のマスターが渋くて、常連のヤクザ役を演じる松重豊も負けずに渋かった。


何の変哲も無い料理が人情話を彩っている。チマタのグルメっぽい風潮へのアンチテーゼのような潔さが観ていて心地良い。

ひょっとすると、こういう路線のドラマが着実に増えてきたのは「吉田類」の影響かもしれない。ちょっと突飛な解釈だが、ひょっとしたら当たっているかも。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2014/01/blog-post_24.html

話を戻す。先週放送された「居酒屋ぼったくり」では、印象深いセリフがあった。

「食べ物って何かしら思い出のタグがついてる」。

「みんなそれぞれ思い出の味のタグがあるんだろうなあ」。

確かにカレーライスを例にとっても、誰もが子ども時代の家庭のカレーに郷愁を感じる。

他にも、初めて食べて感激したもの、好きだった人と仲良く分け合って食べたもの、死んだオジイチャンが好きだったもの等々、何かしらの“タグ”が人それぞれにあるはずだ。

高校生の頃、バタバタと慌ただしい朝に母親が即興で作ってくれた「挽き肉炒めメシ」のことは今も思い出す。

今になって自分で作ることがあるのだが、超簡単なレシピを聞いても再現できない。似た味にはなるが、記憶の中のウマさにたどり着かない。

昔好きだった人がやたらと魅力的に思えるのと似たようなもので、味にも「思い出補正」がかかるのだろう。

他にもある。今はすっかり見かけなくなった「すあま」も私には思い出というタグが付いている。

高校生の頃、学校から駅までの帰り道にあった小さな和菓子屋で買って、悪友達とバカ騒ぎしながら食べた味が原点だ。

大福やまんじゅうより安かったから買っていたのだが、今となっては青春の味だ。記憶の中の味は実際の30倍ぐらい美化されている。

中年になってからも、時々、すあまを見つけると衝動買いをする。ウマくもなんともない。この先たとえスペシャル極上すあまに出会っても、思い出の中の味には勝てないのだろう。

私の場合、思い出の味の多くが、やたらと簡素なものだ。卵かけご飯しかり、夏の暑い頃にほかほかメシになめ茸をドッサリ乗せて麦茶を投入した冷し茶漬けも大好物だった。

漬かり過ぎて茶色くなったキャベツのぬか漬けを細切れにして、醬油まで垂らした上でお茶漬けにして食べた至高の一品や、湯で戻したビーフンを具材ナシでソースでカリッと炒めた一品など、“料理”とは呼べないようなものばかり思い出す。

わが実家の名誉のために弁解するが、一応、幼い頃からあれこれとちゃんとした食べ物、エラそうな?食べ物もしっかり食べて育ってきた。

でも、思い出すのは、やっつけで口にしたような粗食系だ。おそらく、それらを食べた時のいろいろな思い出が混ざり合って、記憶の中の味を作り上げているのだろう。

ちなみに、ブログのタイトルの呪縛によって、ご立派な食べ物ネタをしょっちゅう書いているが、大衆酒場でホッピー片手にマカロニサラダやメンチカツを頬張っている時間も至福の時でもある。



「地味で美味しそうな番組」を見ていると、ドラマに出てくるような居心地の良い料理屋を開拓したくなる。

気取らぬ料理を前にユルユルと肩肘張らずにホロ酔いになることは、人生が平和で安定していることの証ともいえる。

ちょっと大げさか。でもスタれた暮らしの中からはそんな気分は生まれない。

最近はすっかり私も草食化?が進み、飲み屋さんに行った際に、親の仇のように嫌いなはずの野菜まで食べる。ようやく真っ当なオトナになったのだとしたら遅すぎる気もする。


冷やしトマトにカネを払うという発想は、ほんの数年前までの私には無かった。今ではムシャムシャ食べている。

まだ私にも伸びしろがあるということか。

正直に言うと、マヨネーズに吸い付きたい一心で食べている。

2018年4月25日水曜日

銀座 同伴 オレの谷間


夜の街での「同伴」について書く。同伴出勤である。いうまでもなくホステスさんが客を連れて店に入ることだ。

早い時間帯に集客をはかりたい店側の戦略であり、ホステスさんにしっかり営業してもらう効果も狙った制度だ。

ホステスさんにはそれぞれ同伴回数のノルマがある。1ヶ月に2回とか4回とか、8回というノルマのホステスさんもいる。

ノルマ無しと言われて入店した新人さんも3ヶ月もすれば同伴ノルマを課されて奮闘し始める。

そのうち、同伴予定が無いなら来なくていいと、いわゆる出勤調整の憂き目にあう女性も少なくない。


銀座の夜6時頃は同伴の待ち合わせで街が賑わい始める。どこかで食事をして8時半にはご出勤というパターンだ。

7丁目、8丁目界隈のそれっぽい?飲食店は同伴客で賑わう。同伴客だけで埋まっているお寿司屋さんも存在する。そんな店に入ると、ある意味圧巻である。

いくつになっても男は単純だから、同伴にウキウキワクワクするお客さんは多い。その時間だけはお気に入りの女性を独り占めしているという一種のエクスクルーシブ感!?に浸っているわけだ。

不肖、私も同伴は何度もしてきた。20年ぐらい前のことを思い返してみると、確かに妙なワクワク感を味わった。

ホステスさんにとっては純粋に仕事だし、ノルマをこなすのに必死だ。こっちはこっちで店では出来ないようなクドキ話をどうやって繰り出そうか考えたりした。

あの頃は間違いなく今よりも純な気持ちがあった。そんな気持ちはいったいどこに行ったのだろう。。。

いまも時々、同伴に付き合う。もちろん、退屈で憂鬱だったらやらないわけだから楽しんでいるのは事実だ。でも、昔感じたワクワク感とは異質な気分で過ごしている。


いろいろな?義理みたいな同伴が多くなった。それ以外にも馴染みのオネエサンに延々と愚痴を聞いてもらったり、一人では入りにくい店に行きたいだけで強引に付き合わせたり、いわば“色っぽい気持ち”が鈍化している。

男たるもの、下心ブリブリで同伴するという魔界を漂ったほうが健康的である。もっとワクワクしないといけない。やはり初心にかえることは大事だ。

今よりもマメに銀座で飲んでいた頃は、ちょくちょく店前同伴もこなした。読んで字の如く、8時半ちょい前に店の前で落ち合って一緒に店に入るわけだ。

これでもホステスさんの同伴回数は1回にカウントされる。そのオネエサンがその日、他の客と実際に同伴出勤していた場合、店前同伴の客と合わせて1日で2回の同伴回数になるわけだ。ダブルである。

ホステスさんにとって店前同伴は一番嬉しい気遣いだろう。食べたくもない食事のために早めに支度する必要はないし、店に入る前にしこたま飲まされる心配もない。

モテたかったら店前同伴。 

オジサン達にとって、これは一種の真理かもしれない。まあ客側にしても義理立てしたいホステスさんに協力したいけど、気を使ってメシを食うのはゴメンだという時だってあるだろう。

メンドくさがりの人や、ウザッたく思われたくない人、はたまたイキなふりをしたい人なら、店前同伴はアリだと思う。


今日の画像は同伴メシの際に撮った画像だ。胸元ガッツリシリーズである。私にとっては嬉し恥ずかしシリーズともいう。

クラブの店内なら気にならない谷間攻撃も食事の店ではナゼか気になる。生々しいというか、一種独特のリアリティーで私の視線に迫ってくる。

これもまたエクスクルーシブ感である。この瞬間は私だけに谷間がサラされているというリアルな感じにたじろぐ。「俺のフレンチ」ならぬ「俺の谷間」だ。

でも私は紳士だから、財務省の事務次官みたいにヤボなことは言わない。心に秘める。

お店に入れば平気でガン見するのに、食事の席では純情な私は目が泳ぐ。財務省の事務次官よりよっぽど素敵な私である。

嬉しいけど目のやり場に困る。これだけ長く生きてきても、なんとなく挙動不審になってアワアワする。

ちょっとウソです。でも少しドギマギする。

じゃあ隠して欲しいのかと言われれば、そうとも言えない。男の哀しいサガである。

和服姿は別として、ホステスさんの多くが同伴メシの際の衣装を店に出勤した段階で着替える。すなわち、同伴メシの谷間ドッカン攻撃は、私だけがターゲットである。その事実に萌え萌えである。

谷間ドッカン攻撃に鼻の下を伸ばしながら食事を終え、お店に着いた後、そのオネエサンが胸元の開いていないドレスに着替えて席に着くことがある。

ちょっぴりガッカリしながら「あの谷間は、やっぱりオレだけの谷間だったんだ」と一人うなずく。

バカである。凄くバカだ。

それが男というものだろう。

2018年4月23日月曜日

オトナ食いは復讐か


疲労回復、滋養強壮、免疫力アップ、美肌効果、冷え性予防、目の疲労対策、血液さらさら効果、、、。こんな素晴らしい効能を持つ食べ物がある。

ウニである。ウニ、恐るべしである。


子どもの頃はウニをそんなに美味しいとは思わなかった。近所の安いお寿司屋さんからの出前ぐらいしか経験がなかったから品質はイマイチだったのだろう。

なんとなく生臭いような苦いような印象だった。ウニが苦手という人がいるが、多くが子どもの頃に食べたイマイチシリーズのせいだと思う。

大人になるにつれ、食べられるウニがランクアップして、気付けば大好物になった。時には“オトナ買い”ならぬ“オトナ食い”に励む。


先日もお寿司屋さんでウニが4種類あったから、ムホムホした顔で食べ比べした。エゾバフン、キタムラサキの2種類がムホムホ気分になれるウニだが、生モノだから食べるたびに風味が異なるのも魅力だ。

塩で食べたら大したことなかったのに醬油で味わったら抜群というパターンもある。

握りで食べる際も、海苔ナシか海苔アリかで大きく味の印象が変わる。

掴み所がない感じが“魔性の女”みたいで堪らない。つい追いかけたくなる。


寿司飯にウニを混ぜ混ぜして焼きおにぎりを作ってもらうこともある。表面は少しカリっと香ばしく、ほぐした中味はウニ特有のネットリ感が残って、これまた魔性の味がする。

冒頭でウニの効能を紹介したが、一般的には「不健康なもの」とイメージされることが多い。尿酸値が上がっちゃう性質が原因だ。

まあ、そんなことに神経質になっても、毎日毎日大量にウニを頬張る人なんかいないから、良い部分を意識した方が建設的だ。

抗酸化作用がある、免疫力を高めるなどと聞けば、罪悪感なしに楽しめる。ちなみにプリン体はイクラの10倍らしい。そういうことは聞き流せばよい。


ちなみに縄文時代の遺跡からもウニの殻やトゲが出土しているんだとか。日本人は古くからウニを愛している証拠だ。平安貴族の間でも高級嗜好品として人気だったそうで、尿酸値ウンヌンなんて話はヤボなだけだ。

先日書いたウナギの話もそうだが、どうも私が得意になって“オトナ食い”するものは、若い時代への復讐みたいな感覚が影響しているのかもしれない。

お坊ちゃん育ちだから、有難いことに食べ物に困ったことはなかったが、ウナギやウニを口にする機会はあまり無かった。

やたらと肉食好きな家庭だったから、すき焼き、しゃぶしゃぶ、ステーキなどには恵まれたが、魚っぽいものが主役を張ることはなかった。

お寿司屋さんやウナギ屋さんに連れていってもらった記憶もあまりない。出前の安物ウニしかしらなかったのも当然だ。

大学生の頃、北海道を旅して回ったときにバカみたいにウマいウニに遭遇した。まさに「知ってしまった哀しみ」である。一気にウニの大ファンになった。

とはいえ、上モノのウニは高い。学生の身分ではムホムホ食べられなかった。その後、安い居酒屋なんかで板のままドカンとウニを出してくれるような店にも行った。

ドッサリとウニが目の前に出てくるとニッコニコになるのだが、北の大地で口にした上モノとはやはり違う。憧れは募り続けた。


社会人になっても、若い頃はお寿司屋さんのカウンターは緊張の場所だ。値段が恐怖だったし、ウニよりイカだった。

連れていった女子が平然と「ウニください」などとのたまったら殺意を覚えていた。そんなものである。

それから10年、20年が過ぎ、いつのまにかお寿司屋さんで緊張感も無くホゲホゲする中年になった。同時にウニウニモードが爆発するようになったわけだ。

イタイケな若者だった私が憧れたウマいウニである。ドッサリ食べたかったウニである。もっと感激して正座でもしながら味わうべきなのに、塩が合うだの醬油じゃなきゃダメなのウザいことを言うようになってしまった。

初心に返らないといけない。昔を思い出してもっとウヤウヤしく味わうように心がけよう。

2018年4月20日金曜日

カジュアル靴の話


年齢とともに物欲はかなり収まったが、靴だけはいつでも欲しくなる。一種の病気だろう。

10年ぐらい前まで、ぐい呑み収集に躍起になったのだが、あれも確実に病的だった。多いときは50個ぐらい集まった。自分の口が50個あれば使いこなせたのだが、そんなはずもない。

ずいぶん処分して今では15点ぐらいしか残っていない。自宅でゆるゆると使っているが、新たに欲しがらなくなってから使用頻度自体が減った。

靴の場合、毎日必ず履くから、常に意識がそこに向かう。意識が向けば物欲が湧いてしまう。


先月、パリとローマに出かけた際、普段用のカジュアル靴をいくつか買った。娘との二人旅を楽しむために「靴なんか買わないぞ」と自分に言い聞かせていたが、ブレーキがかかったのはスーツ用の高級靴だけだった。

普段用のカジュアル靴は私の意識の中で別なモノみたいだ。靴は靴なのにカジュアル靴を「運動靴」と呼んでしまうせいで、ついつい余計なものまで買ってしまう。

フランスのメーカー「パラブーツ」のスニーカーなどを買った。いわゆる高級本格靴よりは安いが、いくつも買っちゃうと、総額ではエドワードグリーンだって買えるぐらいの散財になってしまう。

こういうのを無駄遣いと呼ぶ。だいたい、月曜から金曜まではスーツを着て、土日は家でホゲホゲしていることが多いから、カジュアル靴の出番は極端に少ない。

健康のために散歩に出るときはスポーツ用品店で買った運動靴だし、子ども達と会う時も洒落た靴など履かず、定番のクラークスのスリッポンである。


なのにカジュアル用の靴が増えていく。休みの日にはもっとアクティブに行動して、デートの予定でも作らないと小洒落た靴達の出番はない。

靴に対する物欲が異常に強まったのはここ10年ぐらいだが、思い起こせば青春時代にも靴に意識が向いたことがあった。

憧れたのはトニーラマのウェスタンブーツである。ジーンズにあわせて尖ったブーツを履くことにこだわった時期があった。


歩きにくかったし、時につま先が痛くなった。おまけに蒸れて不快なのに気にせず愛用した。ご苦労さまだった。カッコつけたい年頃には履いてみたくなるイケイケな靴だった。

今もショートブーツはいくつも持っている。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2017/01/blog-post_25.html

寒い時期にスーツにも合わせやすいものが多いが、普段用にもいくつがお気に入りがある。


左がスペインのカルミナ、右がイタリアのタニノクリスチーである。ウェスタンブーツが好きだった若い頃の名残りで、ついついブーツも欲しくなってしまう。

滅多に履かないから靴にとっては気の毒だ。わがオヤジバンドのライブの際に履いたぐらいで、靴箱ではなく納戸に仕舞い込んでいる。

高校の終わり頃からは、流行を気にしてワラビーもしょっちゅう履いた。80年代前半の懐かしい思い出だ。コインローファーかワラビーが色気づいた男子の定番だった。

裾がフレア気味のファーラーのスラックスにワラビーという組み合わせである。渋谷あたりの男子はみんな似たような格好だった。



ネットで調べてみたら、今もファーラーのスラックスが売られていてチョット感動した。

なんだか話がとっ散らかってしまった。

カジュアル靴が増えていく話だった。そうした靴をもっと履き倒すには、週末にアクティブに行動するだけでなく、職場にも時々カジュアルな服装で行くしかない。

スーツじゃなきゃいけない決まりもないし、実際にラフな服装で出勤している社員もいる。私の場合、服選びがメンドーだから毎日毎日スーツを着ているようなものである。

靴のためにイメチェンでもしてみようか。いや、それだと今度はスーツ以外の服装にお金がかかりそうだから悩ましい。

サマージャンボまで待ってみようと思う。

2018年4月18日水曜日

ブランド養殖ウナギ


ブログを書く人はブロガー、バイオリンを弾く人はバイオリニストである。ウナギを愛する私は、ウナガーなのかウナギストなのか。

ウナギストのほうが響きがいいからそれにしよう。ウナガーだと怪獣みたいである。

すっかり高値になってしまったウナギだが、富豪を目指す私としては気にせずにムシャムシャ食べないといけない。

牛丼屋や弁当屋の安いウナギに手を出したいところだが、ウナギストとしてはマトモな店で悠然と食べるのが正しい作法である。


お寿司屋さんでもウナギがあれば本能的に白焼きなどで出してもらう。この画像は目白の「鮨おざき」での一枚。天然モノのデカいウナギだ。

普通に鰻重にしたら採算が合わないらしい。ちょこっとした焼き物にしてコースの一部に組み入れたり、私のようなウナガーをうならせるための特殊兵器?として仕入れているみたいだ。

さて、今日のテーマは天然か養殖かである。魚に関するウンチクで必然的に出てくる話だ。どうしたって、自然界の恵みのほうが有難いから「天然」と聞いただけで喜ばないといけないのが世の中の習わしである。

ウナギの場合、老舗の専門店だったら、上等な天然物を鰻重で食べようとしたら、1人前1万円でも済まないだろう。さすがに常識的な値段とは言えない。

では、養殖が劣るのかといえば、決してそんなことはない。ここはニッポンである。技術力や知恵、情熱、創意工夫に関しては世界トップレベルの日本人が手掛ける養殖モノの中には天然モノにも負けないレベルのウナギも存在する。

だいたい、天然モノを闇雲に崇拝したところで、すべてがすべてウマいわけではない。天然だからこそ善し悪しの差も出やすい。

上質な養殖モノであれば、品質管理の成果で安定的に高水準のウナギが供給される。小さく痩せた“名ばかり天然”を変な値段で食べるよりよっぽど幸せな気分になれる。


養殖ウナギのブランドとして有名なのが「共水ウナギ」だ。私が今まで感動した店の中にもこのウナギを使っている店は多い。

正直言って、その他の養殖ウナギとの微細な違いは私の味覚では分からない。タレの味の好みもあるし、結局は職人の腕にかかってくる。当然、ノンブランドだろうとウマい店のウナギはウマい。

まあ、そう言ってしまえばそれまでだが、ある程度言えることはブランド養殖ウナギをわざわざ使おうと考える“意識高い系”の店であれば、ダメダメな確率は低いということ。

そんな公式が当てはまらないこともあるが、こればっかりは生き物を人間が調理するわけだから、絶対の基準はない。


先日、別な種類のこだわり養殖ウナギを出す店に行ってみた。銚子市にあるウナギ卸会社が手掛ける「坂東太郎」というネーミングのウナギだ。

卸会社直営の鰻屋さんが日比谷にある「炙一徹」という店。有楽町ガード下の煙モーモーの焼鳥屋ゾーンのそばに、ちょっとだけ上品な様子の店構え。

短冊やくりから、肝焼きといった串モノもメニューにあるから「夜の鰻屋」としても使い勝手が良い。


串焼きの他にキモポン酢やう巻きでグビグビとホロ酔いになった後で鰻重サマの登場だ。

脂の乗りが良いのにしつこくはない。美味しかった。上に書いた共水ウナギもそうだが、上等な養殖モノの特徴は脂の質の良さだろう。

脂の乗りが良くてもいつまでも口に残るような脂っぽさは苦手だが、評判の高い養殖ウナギは脂がスッと消えていくような印象がある。次の機会には白焼きを味わってみたい。

それにしてもウナギの価格高騰は日本の食文化にとって痛手だと思う。若い人には手が出ない状態だ。このままでは世界に誇る鰻食文化の衰退は必至だろう。

高校生の頃、渋谷でチャラチャラしていた私の楽しみが、450円ぐらいで食べられた「うな玉丼」だった。センター街の外れにあった大衆的な鰻屋さんでガッついていた。

たしか鰻重は1200円ぐらいだった。うな玉丼で我慢しながら、あと数年も経てば1200円ぐらい払えると大人になることを楽しみにしていた。

今の高校生にしてみれば、大人になったところで鰻重は身近な存在には程遠い。気の毒なことだ。

日本中の占い師さん総出でウナギの稚魚が湧いている場所を探し当てて欲しいと願っている。

2018年4月16日月曜日

何を言っとるんだ、チミは!


私の現在のポジションは副社長だ。年齢は50代前半だ。そう書くといっぱしの貫禄が備わっていても良さそうだが、言動は若い頃から進歩がない。

なぜこんなことを書き始めたかというと、昭和の人気映画「社長シリーズ」を見たのがきっかけだ。充分オジサマであるはずの私だが、昭和の社長サン達のイメージには遠く及ばない。


「社長シリーズ」は、ご存じ森繁久弥演じる社長さんがテンヤワンヤを繰り広げるシリーズだ。Wikipediaによると昭和31年から昭和45年にかけて全部で33作品も作られたらしい。

いま、BS11で毎週放送されているのだが、先日見たのが「社長道中記」と「続・社長道中記」だ。昭和36年の作品である。

私が子どもの頃、勝手に想像していた「社長像」は森繁演じる社長さんの雰囲気である。

三つ揃いの背広のベストの前ポケットに両手の先をツッコミながら、お腹を突き出してウッシシしている貫禄のあるイメージである。

「何を言っとるんだね、キミは」。仏頂面でそんな言い方をする。「キミは」が「チミは」と聞こえるぐらいが社長っぽい。

50代で経営陣のハシクレにいる私も、立場としては「何を言っとるんだね、チミは」が出来るはずなのだが、そんな重厚感はまったく無い。

キャラ的な問題ではなく、イマドキの50代では昭和の頃のドッシリ感は出せない。加東大介演じる専務さんのように「それはですなあ。。。」と悠然と構えた感じも出ない。

若ぶっているつもりはないのだが、それが今の時代ってものだろう。昔の人の熟成感というか、老成感は現在からは想像できない。

ビックリしたのが「社長道中記」が公開された当時の森繁さんの年齢だ。48歳である。古ダヌキのような風貌の加東大介さんでも50歳である。私より年下だ。卒倒しそうになった。

社長シリーズが始まった当初の森繁さんは43歳である。木村拓哉より年下である。唖然とする。40代で十二分に「昭和の社長さん」の雰囲気がプンプン出ていたわけだ。

以前、このブログで書いたことがあるが、昭和の大人気ドラマ「太陽にほえろ」のボス役を石原裕次郎が演じ始めたのは30代である。それを知った時も衝撃だったが、「社長シリーズ」の森繁さんにもビックリだ。


映画の中で描かれる昭和という時代の大らかさも魅力的だ。ブラック企業だの、うつ病だの、コンプライアンスだのといった言葉とは無縁な空気が漂っている。

そりゃあ当時だってもちろん厳しさは同じだろうが、無機質でギスギスした雰囲気ではない。戦後復興から高度成長していくエネルギーに満ちた大らかさが感じられる。

それにしても、戦後の焼け野原からたった10年で「社長シリーズ」のような喜劇が作られていたわけだから、当時の人の元気さに感心する。

私が見たのは昭和36年の作品。戦後わずか15年程度だ。既に丸の内は整然とし、銀座のネオンも怪しく光っていた。

復興のパワフルさに改めて感心した。15年なんてアッという間である。私自身、15年ぐらいなら「最近」という感覚である。

玉音放送から10年やそこらで、森繁社長は銀座のマダムとネンゴロになろうと奮戦している。実にたくましいと思う。

エネルギッシュな先人達のおかげで今があるんだと痛感する。

そんな小難しい話より、社長さんとマダムの話だ。

60年ぐらい前の映画なのに、銀座のマダムに気に入られようとアレコレ頑張る社長さんの必死さが可愛い。今と何も変わらない。あと一歩のところで必ず邪魔が入っちゃうのが最高である。

60年前のヒヒオヤジを見習って、私も猪突猛進しようと思いを新たにした。

その前に、「何を言っとるんだ、チミは」というパフォーマンスを優雅にこなせるように頑張ろうと思う。

2018年4月13日金曜日

銀座 色の道


今年ずっとサボっていた夜の部活を何となく再開した。やはり春の陽気のせいだろうか。




この冬は銀座の麗しき女性達からのお誘いも沈思黙考、泰然自若?でやり過ごし、ひたすら冬眠していた。とくに理由はない。一種のバイオリズムのようなものだろう。

ノコノコ通い始めたら、それはそれで愉快な気分になって、お人好しの私は百戦錬磨の手練手管に絡め取られるわけだ。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」をモットーにしたい私としては、それもまたいとをかしである。

シミったれた気分にならないことは大事だ。池袋の大衆酒場でホッピーとハムカツを楽しむのも快適だが、隣で呑んでいる見知らぬオヤジが明日にでも首をくくりそうな様子だったりすると、ゲンナリした気分が伝染しそうで危険である。

銀座の酒場には「負」の空気が漂っていない。勝ち組という言葉は好きではないが、そっち系の人が集まるわけだから、どこか上昇志向のような空気が漂う。

そういう空気の中に身を置くのは、まだまだ奮闘したい私にとってはエネルギーの充電につながる。

まあ、そんな綺麗事より素敵な女性にチヤホヤされて鼻の下を伸ばすのが単純に好きなんだろう。




以前は割とグビグビ飲んじゃって、調子に乗ってアフターに繰り出すこともあったが、今はさすがに眠さに負けてしまう。

アフターで盛り上がって、いい感じに発展しかけても、飲み過ぎたせいで「据え膳」を逃したこともある。

今はバカ飲みしなくなったので、そういう状況になっても臨戦態勢はバッチリなはずだが、それ以前に眠くなって帰っちゃうからムフフなハプニングは起きない。

諸行無常である。世の中、うまくコトが運ばない。まあ、だからこそ面白いのかもしれない。




考えてみれば、そんなもどかしさみたいな感覚もアノ街でぶらぶらする醍醐味なんだろう。

お世辞を真に受けて自分勝手に都合良く解釈したり、よからぬことを企んだり、女性陣相手にオジサマ達はあれこれと妄想を働かせる。

そんな妄想が現実になることは滅多にない。もどかしい話である。でも、もどかしいから楽しいという側面もある。

すべてが意のままだったら味気ない。ワクワクしない。色の道はその最たるものだ。

腹を探り合ったり、押したり引いたり、時にだまし合いのような駆け引きもある。だから面白いし、奥が深いわけだ。

と、エラそうに語ったところで、しょせん私も「あわよくば」を夢見るヒヒオヤジである。

わざわざ高い御勘定にも平気なフリをして、お世辞に浮かれ、同伴してと頼まれれば高いメシをご馳走して、結局、何も起きずに悶々と家路につく。

単なるMである。

昔々、若い頃にはるか年上の知人から「Mっぽい状況を楽しめるようになったらホントの大人だよ」と言われたことがある。

今の私はその言葉を噛みしめながら生きている。

2018年4月11日水曜日

デパスやらマイスリーやら



眠りの質が気になる。若い時のようにぶっ続けで10時間も寝られるようなファンキーな身体ではない。必ず1度はトイレに起きるし、全般的に眠りが浅い。

一番の問題は寝つきの悪さだ。しっかり酔っ払っていればストンと落ちるが、それ以外だと割と苦戦する。

逆流性食道炎のせいで、飲食後すぐに横になれないので、ホロ酔い程度で眠くなっても、無駄にテレビを見たり本を読んでいるうちに眠気が収まってしまう。

次の日の予定によっては安定剤の出番だ。デパスやエチゾラムが結構たくさんストックしてあるので、つい頼ってしまう。

睡眠導入剤のマイスリーを使っていたこともあったが、ボケの元凶という怖い噂を聞いて以来、安定剤で我慢している。

そうは言っても、去年あたりからデパスなどの安定剤も厚労省の基準が変わって医師からの処方に制限が加わった。

私のように「たかが安定剤」とナメてかかっていた人間が増えたせいで、事故などの問題も起きているようだ。

以前は、一度に100錠ぐらい出してもらえたが、今は1度に30錠が上限。たいして効き目が強くないから、気軽に飲んでいるが、やはり依存しすぎると何かと危ないらしい。

もともと、ボケるのが恐いというより、飲み過ぎて効き目が弱くなっちゃうのがイヤだから、なるべく服用しないようにしていた。

まあ、毎日のように飲むわけじゃないから気にしてもしょうがない。頑張っても寝つけない時は躊躇せずに飲んでしまう。

安定剤に頼らないようにするには、毎日ヘベレケに酔っ払うしかない。どっちが身体に有害かは悩ましい問題だ。

10年以上前、まだそうした薬に慣れていなかった時は、ヘベレケなのに多めに服用して世の中がぐるぐる回ったり、少し歩いただけで壁に激突したりコケたりして焦った記憶がある。

その頃は、もろもろの事情で家に帰らないことが多い時期だった。週末になるとほぼ毎週、熱海か箱根の温泉宿にこもっていた。

そんな状態だから酒量の割にはちっとも寝つけないで、酔ったまま睡眠導入剤や安定剤を飲んでいたわけだ。

いま思えば危なっかしい話だが、その時は単に深く眠りたいという気持ちだけで、薬を悪用している感覚はなかった。

でも、フラフラしたりグラグラしちゃう感じも、慣れるに連れて変に気持ち良くなっていたのも確かだ。どこか楽しんで服用していたのかもしれない。

危ない薬物に走っちゃう人も、きっと最初はそんな安易な非日常感を面白がって、そのうちエスカレートしてドツボにはまってしまうのだろう。恐い恐い。

先日、子ども達を泊まりがけで預かる際に「前に住んでいた家」に泊まる機会があった。いつもは、私の住むマンションに泊まらせるのだが、この時は諸々の理由が重なったせいでそういうことになった。

もとは私が設計から関わった家である。デザインや造作、インテリアもこだわって作った。

前妻サマのお宅になってから7年近くが経つが、基本的には変わらない。やはり寝泊まりするのは複雑な気分だった。

子ども達を寝かせた後、とっとと寝たかったのだが、静まりかえった家にいるとモヤモヤして眠れない。

別におセンチな気分になったわけではないのだが、何となく落ち着かない。安定剤や導眠剤があれば頼りたかったが、そんなものは手元に無かった。

結局、深夜3時過ぎまで寝つけず、朝は7時ぐらいから息子に冷やし中華を作るというオッタマゲな事態になってしまった。

肌身離さず持っている私の財布には、絆創膏やお守り、はたまた変な所が元気になる薬を忍ばせることがある。大事なのは、そんなものではなく、とっとと眠りに落ちる薬を常備することだと痛感した春の夜だった。

2018年4月9日月曜日

大谷翔平の父親になりたい


「大谷翔平、最高!」。この1週間そればっかり叫んでいる。昔の野球少年である私にとって彼はヒーローである。

歴史上の人物になることは確実だ。いまリアルに大谷のプレーを見ていることが、間違いなく数十年後には歴史の証言のように尊ばれる。

「ビートルズの来日公演をリアルに体験した人」。これってかなり自慢できる話だが、大谷もいずれそんな語られ方をすると確信している。


3年前、日米野球を見に行った際に撮った画像である。至近距離だった。私も立派に歴史の証言者である。

能力の凄さは当然だが、あの美しさは特筆モノだ。投げる姿、打つ姿ともに見事なまでに無駄が無い。美しいという形容詞で表現できる野球選手は滅多にいない。

神様に一つ願いをかなえてもらえるとしたら「大谷翔平の父親にしてくれ」と言ってしまうかもしれない。

両親が出しゃばってマスコミの前に出て来ないのも素敵だ。初勝利の際のコメントも球団広報を経由した控えめものだった。なかなか立派だ。

日本ハム球団にも拍手を贈りたい。ドラフトでの強硬指名から5年、あそこまで育成したことは野球史に残る仕事だろう。

そりゃあ、ポスティングシステムを使ってメジャー球団に高く売りつけようという思惑も一部にはあったのかもしれない。だとしても、球団経営は純粋にビジネスだから非難されることでもない。

それはそれで、とにかく完成度を上げて送り出して結果的に世界の野球ファンを興奮させているわけだから、アッパレなことだろう。

それにしても、ポスティングの入札金に上限が付けられたことは日本ハム球団にとっては気の毒だ。

松坂やダルビッシュの時は60億とも言われる移籍金がメジャー球団から日本の所属球団に支払われたのに、大谷は約20億
円。

その差は実に40億円である。いや、入札金に上限が設けられていなければ、過去最高金額で話がまとまったはずだ。そう考える日ハム球団は軽く50億円もの純益を損しちゃったわけである。

とはいえ、そんな高額だとアメリカの金満球団にしか移籍できなかっただろうから、二刀流をサポートしてくれる球団を選べなかった可能性も高い。“タラレバ”を語ったところで仕方ない。

この先もポスティングの移籍金は日本の球団に不利に変更されるらしい。20億円という上限ラインも撤廃され、米・メジャー球団と選手が結ぶ契約総額の15%という案も有力だとか。

5年30億円といった結構なレベルの選手の契約でも、日本の球団には4億5千万円しか入らないことになる。

なんだか、アメリカの外圧に押されまくっている感じだ。実に情けなく切ない話だと思う。

そうなれば日本の球団としては貴重なスター選手をポスティングで手放すことはなくなる。メジャーに移籍したい選手はFAの資格を得るまで身動きできないということ。

23歳の大谷のように伸び盛りの頃にメジャーに乗り込む選手がいなくなるわけだ。誰にとってもメデたくない話である。

アメリカへの弱腰という日本の体質が野球の世界でも同じだと思うと腹立たしい。

現に大谷だって、アメリカ側が一方的に作った年齢を基準としたヘンテコなルールのせいでマイナーの二流選手程度の年俸で契約させられている。

いわば屈辱的な制度の犠牲になっている。あと2年待てば大型契約が確実だったのに、カネより夢を選んだわけだ。そこもカッチョイイぞ!大谷。

まあ、そんなことより大谷選手にはケガのないようにバリバリとプレーし続けてもらいたい。

2018年4月6日金曜日

機微


昔を懐かしむ話ばかりするオヤジは嫌いだ。と言いながら私自身がそんな感じである。

毎週のように出かける焼鳥屋の大将とは、いつも昭和懐古録みたいな話で盛り上がる。

私より3歳ほど年上の大将は、高校を出てから料理の道一筋だったから、IT化が進んだイマドキの社会の仕組みがチンプンカンプンらしい。

だから話題にのぼるのは大らかだった昭和の話ばかり。ジュークボックスが懐かしいとか、駅の改札には職人技を持つキップ切りがいたとか、そんな話で盛り上がる。

確かにあの頃のキップ切りは凄かった。リズミカルにカチャカチャと音を鳴らしながら一心不乱に作業していた。キセルをしても何故かすぐに見つける。不思議だった。

駅といえば、タン壺もいつの間にか昔話になった。カー、ペッ!って下品な声でタンを吐き散らしていたオッサンがやたらといたから、駅には必ず用意されていた。

今は街中でカー、ペッ!がやりたくなっても吐き出す場所がない。皆さんどうしているのだろう。飲み込むしかないのか・・・。

あれもきっと喫煙率が高かった時代ならではの駅の標準装備だったのだろう。

先日、仕事で新たに取引した相手と書類をやり取りした際にも、改めて時代の流れを感じた。

個人情報がどうだの、反社会勢力との関係がどうだのといった画一的などうでもいい?書類に仰々しくハンコを押すのだが、あんなものも昔は無かった。

今更ではあるが、昔は大らかだった。善し悪しは簡単に判断できないが、平成という時代は徐々に世の中を窮屈にしていった時代なのかもしれない。

インターネットとスマホの登場で、何事も昔より遙かに便利になった。昭和礼賛みたいなタイプの人間でも、タイムマシンで昭和に戻ったら不便で不便で仕方ないはずである。私だってそうだ。

旅行を例にとっても大違いだ。電話帳より分厚い国際線の航空時刻表を取り寄せ、アチコチの経路を調べたり、英文が得意な人に作ってもらった手書き文書をFAXしていろんな手配をしていた。

あんな作業はもう絶対に出来ない。

飲み会やデートの待ち合わせだって、遅刻したらアウトである。連絡の取りようが無かった。

つくづく思うのだが、今の若造は固定電話しかなかった時代の切なさを知らない。これって残念なことだと思う。

女の子と話すつもりが、そのコの父親が電話に出ちゃった時の恐怖である。ああいうビビリかたや気まずさを味わってこそ人の道を知る。そういうものだ。

あの時代は「オヤジが電話に出ちゃっう事件」に象徴されるように、何事もスムーズに運ばなかったことが特徴だった。

アイドルの顔が見たければ明星や平凡を本屋に行って買わなきゃならなかったし、レコードを買うのも予算的に痛かった。

シングル盤なんて、たった2曲のためにレコード屋に足を運んでお金を出して手に入れたわけだから御苦労な時代だった。

レンタルレコードという商売が出てきた時は心底ありがたかった。今は音楽を無料で楽しめたり、画像や動画もネットで見放題だ。

確かに便利だ。昔の人間からすれば今の若者にうらやましさも感じる。エロ動画だって簡単に見られるし・・・。

でもその一方で、昔の若者が感じた独特のワクワク感みたいな感性が磨かれないようにも感じる。

こういうのが中高年のお節介かもしれない。でも、レコードやブロマイドを買いに行く時のワクワクした気分、なかなかエロ本が買えないドキドキした気分等々。そんな感性が鈍感になっちゃうのはもったいない。

まあ私だって、便利さやスムーズさを覚えてしまった今となっては、そっち側には戻りたくない。それは当然だ。でもあの頃、いちいち不便だったり、ギクシャクしたことが「大人の階段」そのものだった。

ちょっと大げさかもしれないが、“非スムーズ”だからこそ覚えたことはたくさんあったし、スムーズにコトが運ばないから知恵や工夫が生まれた面もあると思う。

すくなくとも「機微」みたいな感覚に対して今の時代より敏感だったのは確かだろう。

この頃、つくづく「機微」に敏感でありたいと願っている。

なんだかフニャフニャした話になってしまった。

2018年4月4日水曜日

豚野郎 焼きそば ささみチーズ


胃腸の調子が良いせいか、はたまた精神状態がヘンテコなのか、最近やたらとジャンクフードっぽいものが食べたくなる。

富豪を目指す立場としては、せめてキャビア丼やフォアグラ丼を食べるべきだが、ジャンクな気分の時は、牛丼屋のアノ出がらしのような肉のほうが魅力的である。



先日、「豚野郎」という恐ろしい名前の店でラーメンを食べた。正統派醬油ラーメンとは対極にあるギトギト系である。

普通のオジサマはこういうものは食べない。私もいつもだったら批判的意見しか浮かばないが、ジャンクな気分だったから、自爆覚悟で食べた。

最初の2口まではウヒョヒョ~って感じですすった。嬉しい味がした。ところがその後がキツい。やはり中高年がイキがって食べるものではない。ファンの人、スイマセン。。。あくまで若者向きの食べ物だろう。でも、1200円ぐらいしたから価格的には大人向けだ。ちょっと謎である。

いつの頃からか、物凄く脂っこいラーメンが世の中に普及した。嗜好品だからとやかく言えないが、中には異常なまでにベトベトしたやつもある。そういうものを食べたあとに、何かの事情で変死して司法解剖に回されたら、胃の中を見て解剖医が卒倒するはずである。



さてさて、東京では早々に桜が終わってしまった。桜の名所には屋台が付きものだが、屋台の焼きそばほどジャンク魂をそそられるものはない。ウマくないのを百も承知でついつい買い食いしてしまう。

温泉街のストリップみたいなものだ。若くて綺麗な踊り子はいないのに浮かれ気分で覗きたくなる感覚だ。

酔っ払った後にラーメンが無性に食べたくなったり、寿司屋の後にフィレオフィッシュが食べたくなるのも似たような心理かもしれない。


こちらは、たこ焼きでお馴染みの「銀だこ」の焼きそばである。ちょっと前に神楽坂で食べた。

神楽坂というイキな街でいい調子で飲んでいたのに、こんなものを見つけてしまったら食べないわけにはいかない。焼きそばの前ではイキも野暮も関係なくなってしまう。

それにしてもソース焼きそばという存在は、国民の大半が好物の割には日陰者みたいな存在で脚光を浴びることがない。

私のような“ソースマン”にとっては英雄的存在だ。私の個人的な思い入れだけでなく、得体の知れないベトベトなラーメンなんかより遙かに国民的な食べ物だと思う。

それなのにラーメンやお好み焼きのように愛好家がウンチクを語ることもない。ちょっと残念だ。「日本独自のジャンクフードの雄」として地位向上を目指して欲しいものだ。


話は変わる。キムパである。韓国式海苔巻きだ。その存在は昔から知っていたが、ちっとも興味がなかったので食べたことはなかった。

先日初めて口にして、ちょっとハマりそうだ。韓国海苔のウマさと具材のアッチっぽい感じがゴマ油風味をまとって妙に美味しい。

焼肉屋でチャンジャをつまみに焼酎を飲みながら肉も頬張って、こんなものまで食べたらカロリー摂取量がとんでもないことになるからクセにならないようにしないといけない。


こちらは毎週のように食べているササミチーズフライである。豊島区の要町と椎名町の中間にポツンと構えるシュールな?焼鳥屋の一品だ。

この店が移転する前から10年以上食べ続けている。私にとってのソウルフードになりつつある。

刺身でも食べられる鮮度のササミはバサバサ感は皆無で、注文を受けて一から作るから単純明快にウマい。日本で一番ウマいと思っている。いわば世界一かもしれない。

これにソースをドボドボして、生グレープフルーツサワーのツマミとしてかじっていると、チマタのグルメ的な話がすべて色あせて感じる。

いずれにしても、ジャンク系の食べ物は心身ともに元気な時に食べたくなる。今現在の私が平穏で平和な証だろう。

2018年4月2日月曜日

マイレージ エバー航空 ANA


基本的に飛行機は嫌いだ。正直に言って単純に怖い。待ち時間や搭乗手続きまでのじれったさも苦手だ。でも旅が好きだから割と頻繁に乗っている。

狭い席で圧迫されるとパニックになりそうだから、日頃からせっせとマイルを貯めてビジネスクラスの無料航空券を確保している。


ANAが加盟しているスターアライアンスのほうが他の航空連合より個人的に使い勝手がいいと感じる。だからいつもANAカードを使ってマイルを貯める。

クレジットカード利用額に応じてマイルが貯まるから、いまや現金払いが物凄くムダに感じるようになった。

養育費や子どもの学費なんかもカード払いできないものだろうか。時々遊んでくれるオネエサン達への小遣いもカードで払いたいものだ。

話がそれた。

通常の買物、飲食の他にもふるさと納税や自動車税もカードで処理している。

スマホに入れてある電子マネーもANAカードに直結させているから、コンビニでグミを買ってもタクシーをワンメーター乗っても、ラブホで休憩しても全部マイルが加算される。

ネットショッピングでも登録してあるのはANAカードだ。ネットスーパーから運ばれてくるネギや挽き肉もマイルの元になっているわけだ。

ついでに言えば、Amazonで手に入れるオトナのおもちゃだって私にとっては無料航空券の原資になる。飛びっこや各種拘束具?なんかもマイルを貯めるために仕方なく買っているようなものだ。

そんなもので手に入れた航空券で娘を乗せているのかと思うとチョッピリ複雑な気分になる。

ANAカード以外のクレジットカードも適当にポイントが貯まれば、すべてANAマイルに移行できるようにしてある。

ANA便だけでなくスターアライアンス加盟の航空会社のチケットに代えられるわけだから、これまでもルフトハンザ航空、オーストリア航空、タイ航空、アシアナ航空などを利用してきた。

今回のヨーロッパ旅行は行きも帰りもパリ便を使った。行きはANAの羽田発直行便が取れたが、帰りは台湾経由のエバー航空だった。

パリとローマの往復は、パリ市内に近くて便利なオルリー空港を使いたかったのでLCCのブエリング航空を利用した。高めの値段のチケットを買うと荷物制限も大幅に緩和され、隣の席を空けてくれる特典がついてくる。

さて、本題はエバー航空である。よく知らなかったが、死亡事故歴が一度もなく国際機関の評価が高く、サービスも充実しているらしい。


台湾の航空会社と聞けば、昭和の人間は何となくネガティブに捉えるが、今回初めて乗ってみたら実に良かった。

灯りを消しても天井に星がまたたいている。ムーディーである。ビジネスクラスのシートもかなり広めだった。



食事も丁寧にサーブされたし、シャンパンはKRUGが標準装備だ。大したものである。

パリから台北までの長時間フライトでは、日本の映画も結構用意されていた。高性能ヘッドフォンは他の航空会社よりも上質だった。

ちなみに、アイスクリームはバニラ以外の味もあったし、小腹が空いたら本場感たっぷりの牛肉麺を食べさせてくれた。


メインはトンボーロー定食。これがウマかった。ヨーロッパからの帰国便でこう言うものを出されると素直に感激する。

台湾での乗継ぎも非常にスムーズで、待ち時間1時間半程度で成田便に乗り継いだ。台湾の空港はゲートのそばに喫煙室があったから単純にエラい。

台湾発成田便では、わずか2時間半のフライトだったのに、あのディンタイフォン(鼎泰豐)の小籠包が出てきた。これは画期的だ。爆睡していた娘も寝ぼけながらこれだけは食べていた。


行きのANA便も充分快適だったが、シートが旧型だったので、今回はエバー航空のほうが好印象だった。

良いものを体験するとついついそれを基準にしてしまう。これはこれで問題だ。

ANA便だってフルフラットシートだったから充分快適である。サービスもきめ細かい。でも、小物を入れる場所がないとか、どうでもいいことでアーダコーダと言いたくなる。

贅沢は敵である。でも贅沢は素敵でもある。年齢を重ねるごとにワガママになるのは大人の悪いクセだ。若い頃の貧乏旅行精神を思い出さないといけない。

さて、今回のANA便で特筆すべきは音楽プログラムである。私からすれば世界一だと賞賛したくなった。


なんのことはない。わが師匠であるハマショー先生のチャンネルがあった。もうそれだけで拍手喝采である。

「パリ便でハマショー」。

なんかちょっと違う気もする・・・。