2017年5月31日水曜日

某月某日 ゲス


某月某日、某所で夜の8時半から暇になる。結構空腹。界隈の土地勘がないので途方にくれる。

気分はチキンライス。なぜか無性にチキンライスが食べたかったのでネットで近隣の店を調べてみるが、ピンとくる店が無い。

ふと、ジャンクなチキンライスを食べさせる焼鳥屋を思い出す。で、わざわざ銀座に向かう。クラブがひしめく7丁目の雑居ビル1階にその店はある。

高級焼鳥屋ばかりのこの界隈では珍しく「ごく普通の焼鳥屋」である。それはそれで貴重だ。ウマくないけどマズくもない。

わざわざその店を選ぶ時は、飲んだ後のシメにチキンライスが食べたい時だった。

3~4年ぶりに入ってみた。運良くカウンターは私一人。夜9時の銀座にありがちな光景だ。

まったりしながら生ビール、生レモンサワーをグビグビ。適当にツマミを食べたあとにチキンライス登場。久しぶりの対面だから期待に胸を膨らませたが、出てきたのは私の記憶とは違う一品だった。


マズいわけではない。かなり美味しい。でも、私が以前ガツガツ食べていたのは、もっと量も多くてジャンクな雰囲気が漂うヤツだった。

全体にマイルドになってしまった印象だ。以前はいつ食べても攻撃的な量のコショウが投入されていてヒホヒホ言いながら食べていた。

どちらかといえば、この日のチキンライスが正しくて、以前のほうが邪道である。にもかかわらずジャンク・チキンライスを求めていた私としては何となく寂しい。

人間の味覚がいかに気まぐれでワガママなのかを思い知る。

で、夜も更けてきた銀座である。部活をサボるわけにもいかない。久しぶりの店に顔を出す。

チキンライスの話題から洋食文化の話、北朝鮮情勢から国家戦略特区の話などをワケ知り顔で語る。でも、気づけばワイ談に発展。毎度のことである。

自慢じゃないが、ワイ談の引き出しはいっぱいある。オレは結構モテるんだぞとホラをふいて過ごす。最近の武勇伝?をモチーフにエロの道を高尚な口ぶりで力説。

気づけば日付が変わりそうな時間になっていた。相変わらず「馬車がカボチャに変わっちゃうから帰ります」とオヤジギャグにもならない決まり文句を口にして退散。

夜風が気持ちよかったから少し離れたタクシー乗り場を目指して歩く。通り沿いの長崎ちゃんぽんの店が目に入る。

「皿うどんにソースかけて食いたい」。悪魔のささやきが脳裏をよぎる。自制心と悪魔がせめぎ合う。

しばし立ち止まって店頭のメニューを凝視していたら、知り合いのオネエサンに肩を叩かれる。オネエサンも帰り道だとか。


夜食を食べる暇があるなら一杯おごれと言われて、成り行きで近くのバーに向かう。皿うどんなら600円で済んだはずだか、気づけば高そうなバーである。ビミョーだ。

そうはいっても、マッカラン片手にオネエサンとしっぽり盛り上がる。ついさっきまでの店ではガハハハオヤジとして過ごしていたのに、今度は二枚目路線を演じてみる。コロっと豹変した自分のゲスぶりに我ながら呆れる。「あわよくば精神」丸出しである。

ムーディー?な雰囲気の中、オネエサンは最近失恋して寂しいなどとグチをこぼす。こういう時は同調するのが一番である。私もマネする。

この頃は忙しくて色恋から遠ざかっている。一人の夜は寂しい。そんな趣旨の話を遠い目をしながら語ってみる。なんともセコい?言動である。

まあ、ウソを綺麗につくことがこの街のルールみないなものである。そんな日もあっていい。

なんだかんだ言って、そんなコスっからい偽装までしちゃうのは男の本性である。ゲスだろうと何だろうと、まだまだ男として現役でいようという情熱を失ったら終わりである。

などと、結局、自分に都合の良い解釈をしちゃうところがゲスなのかもしれない。

2017年5月29日月曜日

軽率な人 ヌルい仕事


「思ったことをそのまま口にする」。これは愚の骨頂だ。バカと利口の分岐点はいろいろあるが、こういう習性はその最たるものかもしれない。

私も人のことは言えない。割とボソっと思いつきでマズいことを口にする。反省しても後の祭りだ。

割と最近も、息子さんが頑張って受験に合格したと喜ぶ知人に対して「あの大学なら頑張らなくても入るでしょう」と失言してしまった。

その人のことが嫌いだったから、ついそんなことを口走ったのだが、結果的に見ず知らずの若者のことをクサしたわけだから弁解のしようもない。大反省である。

自分のことはタナに上げて話を続ける。

一般的には空気が読めない人や想像力が足りない人が平気で失言をする。本人は失態に気づいていないのが厄介である。愚かさも行き過ぎると痛々しく感じる。

先日、自民党の大西某なる代議士が「がん患者は働くな」という失言をカマして騒動になった。居酒屋の酔っ払いの会話でも非難されそうな発言を党の厚生労働部会というオフィシャルな場で言っちゃう神経に驚く。

震災をめぐって「東北で良かった」と発言した前復興大臣、博物館の学芸員を「がん」と呼んだ地方創生担当大臣、「長靴」発言でクビになったどっかの政務官もいた。

「選良」であるはずの国会議員のヌルさにはほとほと呆れる。防衛大臣や法務大臣も国会答弁でチンプンカンプンだし、選良の中でも上位の役職に就いている人間の劣化はかなり深刻だと思う。

ちなみに、だいぶ前の話だが、上で列記した中の一人と酒を飲む機会があった。その人の頭の中は選挙のことだけ。

「汚いジジイの食べカスが浮いている盃を喜んで飲み干すのが大事な仕事だ」といった話ばかりで、何かとトンチンカンだったことが印象的だった。

さてさて、なんだか無敵大王?みたいな雰囲気も漂い始めた安倍首相だが、先月の失言があまりメディアを騒がせなかったことが気になる。メディアの弱腰ぶりを端的に表していると思う。

例の森友学園問題で一気に流行語になった「忖度」をめぐる発言だ。役人による政権トップへの忖度の是非をきっかけに一種の流行語になった言葉だ。

銀座の商業施設のオープニング式典に出席した安倍さんは、自身の地元である山口県の物産をアピールする目的で「忖度していただきたい」と発言、会場の笑いを誘った。

森友学園の問題は、国有地が恣意的に安値で払い下げられていたのかという疑獄事件になる重大問題である。その渦中で問題視されている言葉をジョークに使うのはさすがに非常識だろう。

首相をはじめとする政権与党からの一連の失言や不祥事に対しては「一強のおごり」という論評が盛んだが、そんな高尚?な話ではない。単に政治家の劣化が原因だと感じる。

思いついたことをそのまま口に出すことは端的に言えば軽率そのもの。軽率な人間でも務まるほど彼らの仕事がヌルいのだとしたら驚きであり、恐怖でもある。

問題が相次いでも政権支持率は高いままだ。これについてもメディアは「政策重視の現れ」などともっともらしく論評する。果たしてそうだろうか。政治不信を通り越した「政治無視」がもたらした副産物でしかないように思う。

安倍首相をめぐって今度は加計学園の獣医学部新設をめぐる問題がキナ臭くなってきた。サミットでの不在中に沈静化を計りたい首相側と追及する勢力との間で水面下でどんな攻防があったのか興味深い。

今日は元嫁から先日言われた物凄い“問題発言”を面白おかしく書こうと思ったのに、まったく違う話になってしまった。。。

2017年5月26日金曜日

ワイン、コーヒー、誤解だらけ


世の中に染みついているヘンテコな固定観念をついついナナメから見てしまう。ひねくれているのか、アマノジャクなのか、偏屈なのか、おそらく全部だ。

ワインは優雅。これも意味不明である。なぜかワインばかりがオシャレとか優雅とかゴージャスを表すアイテムになっている。

「ホッピージョッキを優雅に傾け」という表現は日本中どこでも聞くことはない。でもワインの場合、安物だろうと途端に“優雅系アイテム”とみなされる。意味不明だ。

確かに上質なワインが希少かつ高級品であり、その世界が奥深いことは私でも分かる。そういう次元なら、そりゃあ優雅でゴージャスだが、テーブルワインレベルの安酒まで妙に有り難がっちゃう風潮はシャバダバだと思う。

そういう人々に限って、素晴らしい出来のワインでも日本製だというだけで目もくれない。フランスやイタリア産というだけで安物だろうと目を輝かす。

「並んでいる店だから並んでみる」みたいな感覚でラーメン屋に集う人や、ネット上のクチコミが絶対だと思っているグルメちゃんと同じ感覚だろうか。

そのモノの味や自分の好みに関係なく「情報を食べている」ようなヘンテコな風潮と、「ワインは正義」みたいに信じ込んでいる人の根っ子は同じだと思う。

私が子供だった昭和の頃は「ワインは別格」という価値観が世の中を支配していた。あの当時なら仕方ないが、これだけ情報やモノが豊富になった今になっても同じ感覚なのはどうなんだろう。

「牛肉こそ最高」、「肉といえば牛に限る」みたいな風潮も同じ。あれも昭和の悪しき固定観念の一つだろう。

昔は今ほどウマい豚や鶏が一般的ではなかったからかもしれないが、なんとなく違和感がある。歳のせいで牛肉が苦手になった私の意見なのでゴメンなさい。

他にも例をあげればキリがない。寿司屋における“トロ大礼賛”だって、いかに好みの問題とはいえ、脂を混ぜたトロ風のものまで人気があるわけだからケッタイに思える。

その他、私がいつもバスローブを羽織ってブランデーグラスを傾けているという一部の人の思い込みも間違っている。

おっと脱線した。軌道修正。

食後に当たり前のようにコーヒーが出てくるのも好きではない。まあ、これも個人的な好みなので気に障る人がいたらゴメンなさい。

バターぶりぶり、オリーブオイルぶりぶりみたいなこってり料理ならコーヒーで結構だ。エスプレッソなんか最高だ。

問題なのは、普通の日本的な食事や、ましてやご飯モノを最後に食べた後にコーヒーが出てくるパターンだ。首をひねりたくなる。

ワインと似た感覚かもしれない。なんとなくコーヒーは格上みたいな感覚が厳然と存在するように思える。

食後はお茶だろう。せめて紅茶だ。ほうじ茶バンザイである。

あれこれと書き殴ってみたが、読み返してみて気づいたのは、自分がいかにどうでもいい小さいことをウジウジと気にしているかという現実だ。

なんとも器の小さい人間である。もっとデンと構えて大らかに過ごさないとダメである。

チマチマしたことにイラつくのは歳をとった男の悪いクセである。

仕方がないから優雅な気分で安ワインを飲んで、立ち食いステーキをもったいぶって食べ、寿司を食べた後にコーヒーを飲んでみようと思う。

やっぱり気が狂いそうだからヤメよう。

2017年5月24日水曜日

帯広ぶらぶら


この前の週末、思い立って帯広に行ってきた。天気予報を見ながら晴天を見込んで行先に選んだのだが、やたらと暑かった。

31.4度である。5月の北海道で清々しい風に吹かれようとしたのにアチチチ状態だった。



庭園めぐりと温泉が主な目的である。暑いながらも新緑の美しさを堪能し、夜になれば涼しい空気の中で温泉を楽しめた。

お菓子の六花亭が管理している「六花の森」をはじめ「十勝ヒルズ」、「十勝千年の森」、「真鍋庭園」などをブラブラ巡ってみた。

たまにはこんな森林浴も楽しい。空気の美味しい所に行くと妙な呼吸法にせっせと取り組むクセがあるので、たぶん肺や気道関係がすっかり綺麗になったはずだ。



前回、十勝エリアに来たのは10年以上前のことだ。森林浴を楽しめる庭園施設は以前より増えたようだ。雄大な大地の眺めそのものをウリにするのは極めて正しいと思う。ヘンテコな施設を作り込むより遙かにマシだ。


この画像は昭和の頃に一世を風靡した「幸福駅」である。もう20~30年前に廃駅となったそうだがが、観光名所として奮闘している。

「愛国駅から幸福駅の切符」といえばウン十前の若者にとっては大人気アイテムだった。カップルで買い求めたり訪ねたり、そりゃあもう日本全国の男女がハシャでいた。

その後、どのぐらいのカップルが破局したり離婚したのだろう。そっちのほうが気になる。

さて、帯広といえば何はさておき「豚丼」である。あちこちに専門店が存在する。実にうらやましい。

東京にも専門店が増えるべきだと思うが、一向にそんな気配はない。豚丼に目がない私からみれば摩訶不思議としか言いようがない。


帯広駅からだいぶ離れたエリアにある「いっぴん」の豚丼だ。週末だったから帯広駅周辺の人気店を避けてここを選んでみた。

それでも10分以上待たされたから地元の人から熱く支持されている店のようだ。素直にウマかった。大正解。ムホムホかっ込んだ。

タレが甘すぎたり濃すぎる店も少なくないが、ここの味付けはちょうど良い。近所にあったら頻繁に通いたいが、ちっとも近所ではないのが残念だ。

泊まったのは十勝川温泉第一ホテル。以前も泊まったことがあるが、モダンな雰囲気に改装されていた。


小ぶりな露天風呂が付いている部屋に泊まった。十勝川温泉特有の茶褐色というか黒っぽい色のモール温泉が部屋まで引かれていてなかなか快適だった。

大浴場の露天風呂も良い感じだった。南国リゾートの海に溶け込むようなインフィニティプールのように池と浴槽が低い高低差で隣接しており開放感タップリ。

運良く外国の団体さんと遭遇しなかったので贅沢な気分で湯もみができた。

個室で食べる夕食も丁寧に作られていた。大型旅館にありがちな大味なサービスではなく、全体にキチンとしていてコストパフォーマンス的にもオススメだと感じた。

一番感心した点は朝食だ。一般的な旅館の朝食以外に豚丼が選べた。ワンダホー!である。私にとってはウッキウキだった。

普通の朝食も品数、味ともに充分満足できる内容だったが、日頃「ヘビー朝飯」を標準に生きている私にとって「朝の豚丼」は万々歳である。

朝だから小どんぶりにチョロッと盛られたやつが出てくるのかと心配していたが、しっかり盛りのガッツリ系だった。写真は取り損ねた。

こんなニクいサービスがある宿を私が悪く言うはずはない。「十勝川温泉第一ホテルはオススメだ!」。回し者みたいである。

最後に今回一番気分がアガった光景を載せておく。



帯広市街からさほど遠くない距離の音更町で遭遇した菜の花畑だ。ガイドブックや事前情報ではこんな光景に出会えることを知らなかったのだが、たまたま現地で「菜の花畑がまっ盛り」という話を聞いた。

スンバらしかった。一面の黄色である。花に興味の無い私でも興奮できた。

綺麗な空気と綺麗な景色。十勝エリアは何となくブラブラ散策するのに最適なエリアだと思った。

2017年5月22日月曜日

悩ましきフローズン


暑い季節が近づいてきた。今年も熱中症で死なないように気をつけないといけない。

気候と酒の関係は密接だ。冬にはたいしてウマくない生ビールが着実に美味しく感じるようになってきた。当然、熱燗の出番も激減。


先日行ってきたカリブでは、何とかの一つ覚えでフローズンマルガリータかフローズンダイキリばかり飲んだ。暑い気候との相性がバッチリである。

マルガリータはテキーラ、ダイキリはラムベースである。カリブ海のメキシコ側にいたわけだから、ラムとテキーラの本場である。ミーハーな私はどうしたってその2種類ばかり。

テキーラもラムも普段は見向きもしないのにフローズンのカクテルにすれば大好物に変わる。

映画「アナと雪の女王」の原題が「Frozen」だと知った時も、私の頭の中には南国でマルガリータを飲む光景が浮かんだ。当然、“少しも寒くないわ~”って感じである。


先日、銀座のシガーバー「コネスール」でトリニダッドのレジェスをふかしながらボンヤリする時間があった。なんとなくフローズンマルガリータを注文した。でも、そんなにウマいと思えなかった。気分屋で単純な私だから、こういうものは南国で短パン姿で飲むべきだと改めて思った。

ところで、フローズン状態のカクテルと言えば、一般的にマルガリータとダイキリぐらいしか思い浮かべない。実に不思議だ。

一応、フローズンハイボールとかフローズンギムレットなどもあるらしいが、ポピュラーな存在だとも思えない。私がカクテル方面に詳しくないせいだろうか。

フローズンのカクテルに詳しい人がいればオススメを聞かせていただきたい。

フローズンのカクテル、いわばお酒のシャーベットである。これからの季節にピッタリだ。甘味があればデザートにもなる。

そういえば、日本酒を凍らせた凍結酒なるものを何度か飲んだことがあるが、あれも立派なフローズンである。この夏は凍結酒にこだわってみようか。


この画像はメキシコのバーで撮った一枚。題して「意味不明」。いろんな種類があるのは分かるが、マンゴ味以外はどんな味だか想像も出来ずに難儀した。スマホで調べたら確か二番目のヤツは「梅干しっぽい味」とのことで頼んでみた。ほぼ梅サワーだった。フローズン梅サワー、悪くない。

考えてみればシャリキン仕様のホッピーも、焼酎をシャーベット状にしてホッピーを投入するわけだから、フローズンホッピーと名付けた方がカッチョいい。

さてさて、普段、バーに出かけるとマッカランをロックでチビチビやっているのだが、ホントは甘いカクテルが飲みたい。メロン味とかイチゴ味とか素直に憧れる。

でも注文できない。オトナの矜持というか、つまらない見栄というか、ダンディーを目指したい過剰な自意識みたいな余計な「邪念」が邪魔をする。


だから旅先の南国で赤や黄色のフローズンカクテルに異様に執着するのだろう。バリッとスーツを着てネクタイを首に巻き付けながらこんな色の酒を注文するのは結構な勇気が必要だ。

マルガリータやダイキリもプレーンのものならオトナの男がスカして飲んでもサマになるが、色付きのフローズンでストローが刺さっちゃうと途端にナヨナヨする。

「好きなモノを人の目なんか気にせず飲めばいい」。人様に対してはそんなセリフを平然と語るクセに自分は全然ダメである。

そろそろ脱皮しようと思う。

2017年5月19日金曜日

私のカツ丼物語


ドンブリは若者専用。そんな根拠のない思い込みのせいで損をしている。ドカ盛りのドンブリ飯をかっ込みたいのに、つい我慢することが多い。

酔っていれば深夜に牛丼の特盛りを平らげるくせにシラフだとナゼか丼モノから一歩引いてスカした顔をしている。

基本的に昼飯を食べないことも原因かもしれない。昼のドンブリならともかく、夜のドンブリが問題である。

夜はじっくり腰を落ち着けて食事をしたい。そんな思いが強いからドンブリの出る幕がない。


馴染みの焼鳥屋に行っても、その店で1番ウマいのが親子丼だと知っているのに、ついついレバーやナンコツの串焼き、ササミキムチあたりで焼酎をあおっている。

先日もあてもなく新橋を歩きながら豚丼のウマい店の前を通ったのに、夕飯が10分程度で終わっちゃうのは寂しいという理由でパス。その後、どうでもいい小料理屋に入って激しく後悔した。


天ぷら屋さんに行ってもホントは天丼を食べたいのに、分かったような顔をしてお好み天ぷらである。おまけに塩で食べさせられてイライラする。

こんなことで素直になれない自分がバカみたいである。いやバカだ。

カツ丼。その響きを聞いただけでヨダレが出ちゃうスーパースター的ドンブリだが、なかなか食べる機会が無い。

蕎麦屋に入ったら気取って蕎麦をたぐらないとヤボだと思っているし、トンカツ屋に行っても上等なヒレカツをじっくりと味わうことがオトナの嗜みだと思い込んでいるから、カツ丼をガツガツ食べるチャンスがない。


大衆酒場ではちょくちょく「カツ煮」を頼む。カツ丼のご飯抜きである。素直にカツ丼にしてもらえばいのに、それだと負けた気がする。これまた御苦労な思い込みである。

毎日でもカツ丼を頬張りたい。誰に向かって遠慮したり気取っているのかサッパリ分からないが、そんな簡単なことが実行できない。

おまけにカツ丼を食べない言い訳として「トンカツはソースに限る」と強硬に主張することもある。もちろん、筋金入りのソースマンとしてトンカツを塩で食べるのは絶対にイヤだ。でも、カツ丼のあの「卵とじ&蕎麦つゆ味」は別ものである。

ソースマンとして一部地域の定番であるソースカツ丼も幾度となく食べてきているが、やはり東京人にとっての正統派カツ丼といえば、卵とじのアイツである。

で、先日、日頃の欲求不満に耐えかねてカツ丼を食べることを目的に夜のトンカツ屋に出かけた。

場所は銀座の「梅林」である。隣の席では白人の観光客がトンカツ定食を前に喜色満面である。

そこへ私の注文したカツ丼がやってきた。「黒豚スペシャルカツ丼」2500円である。富豪を目指す私としては、この店に4段階用意されているカツ丼の中でも最上級の1品を注文した。


卵とじに加えて半熟卵トロ~リである。隣の白人が羨望の眼差しを送ってくる。いや、気のせいかもしれない。でも、心の中で「キミ達ビギナーにはまだ早いよ」とつぶやきながらムホムホと食べる。

幸せだった。

でも、別の日に銀座6丁目の「とん喜」で食べた凄くウマかったカツ丼の3倍もの値段を払うのはビミョーではある。

結論としては、チョット高いぐらいのカツ丼がベストだろう。そのぐらいだと、手頃なカツ丼よりは店の頑張りやこだわりを感じるし、なによりも、オトナのドンブリっぽいイメージになる。

結局、意味不明な見栄が邪魔して私の「カツ丼愛」はねじ曲がっている感じである。

2017年5月17日水曜日

「暇な女子大生」にエロを学ぶ


チマタで話題になっている「暇な女子大生」というツイートが面白い。単なるお下品日記かと思いきや、なかなか奥が深い。

高学歴エリート男にだけ萌える女子大生の「男食い日記」なのだが、ツイッターの文字数制限の中で実に端的にフェティズムを表現している。

ダラダラと長文のブログを続けている私からすれば、短い文字数で「フェチの深淵」を表現する彼女の才能は素直に尊敬に値する。

いわばハイスペックフェチの女性である。自分が努力しても受からなかった東大や京大卒のエリートだけに性的興奮を覚えるとか。

男の顔立ちや収入などは二の次。あくまで高学歴という部分だけがポイント。そんな男達の卑猥な姿に萌えるそうだ。

独自の用語も面白い。セックスすることを「優勝」と表現する。高学歴男子と結合した時の嬉しさは、何かで優勝した時のような満足感があるというのがその理由。

その逆に、萎えてしまった時の状態は「サバンナ」と表現する。分かりやすい。

エッチ系のツイートや日記はとかく武勇伝みたいなノリになりがちだが、彼女のツイートは時に謙虚さも感じる。素直に自らの嗜好を飾りっ気なく表現しているから小気味よい。

半年で19万人ものフォロワーを集めるほど注目されているが、大きな炎上騒ぎになったことは無いらしい。

批判や攻撃的な反応が寄せられても、結局はやんわりと論破している。大したもんだ。そもそもフェチ日記である。教科書的なくだらない批判を寄せる人の方がカッチョ悪い。

ちなみに私には高学歴フェチの傾向は無いが、性癖は十人十色である。この女子大生の主張する話も理解できる。まとめて彼女のツイートを読んでいると、妙にうなずけるし納得する。

ちなみに個人的に笑えたのは、

~山崎賢人(高卒)より黒田東彦さん(東大法学部卒日銀総裁)のほうが子宮が疼く~

それがフェチってものだろう。

東大、京大には興奮しても阪大とは「優勝できない」理由を、

~首都圏の東大至上主義の高校で育ち阪大に馴染みがない~ からであり

~洋物は綺麗だが身近ではなくヌケないという理論と同じ~ だと明確に語る。

男でもつい納得してしまう例えである。

ある日関係を持った東大卒財務官僚については

~一重の塩顔だったが、財務省補正により坂口健太郎に見えた~、~国家を牛耳っているのに体液が抑えられない、エッチ~ だと分析。

一般的にハイスペック男子がモテるのは、当たり前の話だが、この女子大生の場合、結婚だの恋人を求めているわけでなく、単に性癖として高学歴男子に興奮する。その点を素直に吐露しているのが清々しい。

~男が『看護師はエロい』と感じるのと同じように『東大卒はエロい』と感じる。普段バリバリ働いているエリートが私に舐められて吐息を漏らしている姿に興奮する~。

要はそういうことである。

男女を問わず、確かに性的興奮の対象として相手のスペックというかバックボーンみたいな部分に影響されることは多い。

看護婦さんしかり、婦警さんしかり、当人達にとっては大迷惑だろうが、制服系については昔から世の中のエロ本の題材にもなっている。

レースクイーンだモデルだ、はたまた女優だのアイドルだの、一般的に男目線を喜ばせる職種の女性も、いざそんな場面の相手だったら、たいていの男は普通以上に萌える。そんなもんだろう。

他にも、希少性のある仕事に就いている女性であれば、妄想男にとってはフェチの対象になり得る。

仕事がカタブツ系だったりすればその傾向は強まると思う。たとえば、いつもは白衣をまとって顕微鏡を覗きながら物凄く難しい分野の研究に励んでいる女性を例に取ると、やはりオンとオフのギャップが大きそうで「萌え~」である。

私自身は相手のバックボーンといっても、その人の過去のエッチな経験を聞き出して萌え萌えする「過去フェチ」なので、相手の仕事やスペック的なものにはさほど興味が無い。

いや、よく考えてみるとそうでもない。

自分が根っからの文系人間だから理科系のいわゆる「リケジョ」が相手だと妙に鼻の穴が広がる傾向はあるかもしれない。

実際、大学院卒の科学系の研究者とか女医さんとか、数学の高校教師とか、そういうポジションの女性から放たれる異人種的オーラ?にノックアウトされたことはある。

あの感覚は「暇な女子大生」と似たようなものかもしれない。視覚、聴覚、感触といったものとは違う脳のどこかが独特の興奮を覚える感覚だ。

そんな時の感性はSな部分とMの部分のせめぎ合いである。SとM、どちらも兼ね備えて初めて「エロ」である。

よく分からない話になってきたが、そういうことである。


2017年5月15日月曜日

ビキニが呼んでいる


今日も旅の続きの話ですが、後半はスペシャル画像?も出てきますのでご容赦下さい。

ボートと水中ガイドをチャーターして潜るスタイルはワガママな私には快適である。タバコも葉巻も吸い放題だし、スケジュールも全部マイペースで済む。


今回も深場はパスして流れもゆるやかな、いわば初心者向けと言えるようなポイントばかりで潜った。

すっかりヘタレだが、中高年ダイバーにとっては理想型だろう。疲れないし、死んじゃうリスクも激減だ。

でも、コストは結構かかるので、日によっては陸からエントリーできる手軽なポイントにも潜りに行った。

レンタカーを借りて海沿いを走って、シュノーケリングする人で賑わうビーチにも行ってみた。




青い空と青い海を見ながらタコスを頬張り、ただただホゲホゲする。命の洗濯である。中年になってからは何だかしょっちゅう命の洗濯をしている気がする。

海といえばビキニである。突然だがそれが真理だ。世の中のビーチリゾートからビキニが消えたら私は生きていけない。


ダイビングだの水中撮影だの分かったようなことを書いているが、こういう光景を目に焼き付けることこそがビーチリゾートの正しい過ごし方だと思う。

さて、そんなこんなでビーチにカメラを持って突撃である。浅瀬に小魚が泳ぎ、ヌルい水温が気持ちよい。


海の景観の中でも私がとくに好きなのは水面の輝きである。マスクとシュノーケルを付けてちょこっと沈んだまま水面の揺らめきを見ていると飽きない。

今までも「水面下」を写し取りたくてアレコレと撮影してきた。ここから先はちょっと脱線して過去に撮影した画像をいくつか載せてみる。画像はクリックすると拡大できます。



これはバリ島のリゾートでプールにプルメリアを浮かべて撮影した画像だ。一眼レフとフィッシュアイレンズで遊んでみた。


こちらはグアムに行った時にホテルの前のビーチで撮った画像だ。水中写真などというと大げさな感じだが、背が立つところでもこういう気持ちの良い写真は割と簡単に撮れる。

さてさて、話が脱線してしまった。

ビキニである。私が崇拝するビキニの話題に移ろう。

欧米人の女性の唯一の良いところは大胆な水着を着用することだ。日本人にも見習って欲しいと切に感じる。

浅瀬を泳ぐ魚を観察するより水着を観察するほうが楽しいに決まっている。



とても良い感じである。感謝である。これを撮影したのは午後も遅めだったので、太陽光の角度の関係で今ひとつ透明感に欠ける画像になったが、それでも私は嬉しい。



「水面とビキニ」。素直に美しい光景だと思う。でも盗撮である。こんなことで逮捕されないように気をつけないといけない。



この2枚はあくまで魚の写真を撮ろうと思ったら、ついでに人が写り込んじゃった画像である。左下や右下の魚を追いかけていたらたまたまお尻も映っちゃったわけだ。

仕方がない。


この一枚も白っぽい魚を追って夢中になってシャッターを押したら泳いでいた女性が偶然写り込んでしまった画像だ。

せっかくの魚の写真に人が写り込んでしまって興ざめだ。実に困ったことである。

と、くだらないことを書き綴ってしまった。他にもいろいろ撮れて!?しまったのだが、インターナショナル出歯亀野郎として糾弾されるのもイヤなのでテキトーにしておく。

ちゃんとモデルになってくれる人がいればもっと高尚かつ哲学的な画像が撮れるのだが、今回はモデルを引き受けてくれる人がいなかったので盗撮的画像しかない。

ということで、その昔、某所で撮影した盗撮ではない芸術作品?を一枚だけ載せてみる。こういう写真を撮るために何十年も水中撮影に励んできたのかもしれない。

半水面画像としては良い出来だと思う。エロくならないように爽やかさを意識して撮影した。作品タイトルは「お尻バンザイ」である。




2017年5月12日金曜日

コスメル島の水中


今日はメキシコ・コスメル島での水中写真の話。画像クリックで拡大できます。ちなみに、色っぽい画像は次回までお預けです。




30年ぐらいに渡っていろいろな水中写真を撮ってきたが、結局、この3枚のような分かりやすい写真を撮るのが好きなんだと思う。

撮影機材の進化や海の透明度の問題もあって、近頃の水中撮影は小さな珍しい魚を近接撮影する手法がポピュラーだ。

それはそれで面白いし、マクロ撮影ならではの微細な描写力に圧倒されることも多い。

私も同じく、マクロ撮影のメッカであるインドネシア・レンベ海峡あたりで泥地のような場所に潜ってケッタイな魚を撮影したこともある。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/05/blog-post_8.html

もともと水中写真にのめり込んだのはダイビングを始めて間もない頃に沖縄・久米島で潜ったことがきっかけだ。もう30年以上前の話だ。

その時の海は現地ガイドも驚くぐらい抜群のコンディションで、それまで伊豆半島でしか潜ったことのなかった私にとっては衝撃の一言だった。

初心者ゆえの勘違いで水深50メートルぐらいまで行ってしまったのだが、そこからでも水面に浮かぶボートがハッキリ見えたほどの透明度に圧倒された。

その時見た青々した美しい水中景観を写真に収めたくて撮影を始めたのだが、当時の安いカメラでは当然の如くちっとも綺麗に写せない。

悔しくてどんどん撮影機材を買い揃え、自分なりに勉強してそこそこの写真が撮れるようになったのだが、あくまで「広がりのある綺麗な海」を撮りたいというのが原点だった。

ヘンテコ魚を撮るのも面白いのだが、今回、引退覚悟?でコスメルの海に潜ったことで、ワイド系の爽快な写真をまだまだ撮り続けたいと思うようになった。



この2枚はカリブ海ではポピュラーなポークフィッシュ。単体よりも整列している姿が何となく幻想的である。今回はあまり大きな群れに出会わなかったが、この程度でもそれなりにフォトジェニックだ。

群れている魚を崩さないようにゆっくりゆっくり近づいて手が届くぐらい接近すればフィッシュアイのような広い画角のレンズが効果を発揮する。






いままで紹介している画像は実は全部、コンパクトカメラで撮影したもの。使っているのはオリンパスのTG-1およびTG-3。いまどきのコンデジはかなり優秀だ。

専用のプラスティック製の水中ハウジングに入れて、外付けの水中ストロボをセットして、フィッシュアイコンバージョンレンズを付けた状態で使っている。

その昔、デカくて重い一眼レフを、これまたデカくて重い金属製ハウジング入れて撮影していたことに比べると隔世の感がある。

関連パーツまで含めればそこそこのコストだが、あくまで本体のカメラは3万円程度で買えるシロモノである。昔の水中撮影環境を知る化石のような私にとってはアンビリーバボーだ。


これが今回持っていった機材だ。もともと撮影機材の準備や荷造りがカッタるくなってきたことも水中撮影からの“引退”を考えたきっかけだった。

でも、昔より遙かに手軽で小さくなったことだし、セッティングも以前より神経を使わずに出来るように進化しているので、この程度の労力は惜しんではいけないのだろう。

ワイドアングル以外にも、いわゆる標準画角の写真も捨てたものではない。超ワイドかマクロ撮影が幅を効かせている昨今の水中写真だが、綺麗な魚を普通の画角で普通に撮るのも楽しい。





この魚はカリブを代表するその名もクイーンエンジェルフィッシュである。30㎝ぐらいにはなる超絶的に美しい魚だ。私にとってカリブ海イコールこいつである。

どこかの水族館で見かけたことがあるが、海にいる野性の個体とは色合いがまったく違っていた。やはりナマが一番!だと思う。





今回も水中ガイドをチャーターしていたので、ワイド用とマクロ用にセットした機材を用意して、いずれか一方をガイドさんに持ってもらった。

接写系でまず紹介したいのが、コスメルのアイドル「スプレンディッド・トードフィッシュ」である。カタカナ表記するとシャレているが、和名は「ガマアンコウ」である。少し気の毒な名前だ。

20年前にさんざん撮影して、以前にこのブログで紹介したこともある魚だ。その際は、たまたまそのブログを読んだ学者さんから連絡をいただいて研究資料として画像提供したこともある。



やはり、以前にベストショットが撮れた経験があるせいか、ガマアンコウちゃんへの執着が昔ほど強くなく、今回はライティングに失敗した画像しか撮れなかった。反省。

続いては口内で卵を飼育することで知られるジョーフィッシュのカリブ版、ハゼの仲間、そしてケッタイなヤツである。

そこそこは撮れるのだが、コンパクトデジカメならではなのか、ややシャープさの点で一眼よりは劣る。私の腕のせいかもしれないが、個人的にはカメラのせいだと思うようにしている。







そのほか、ついでのような画像としてサメとイルカを載せる。

コスメルの人気スポットである「チャンカナブパーク」という国立の海洋公園のようなビーチがある。やたらと高い入場料を取るものの、シュノーケラーで賑わう楽しいビーチだ。手軽にダイビングも出来るオススメの場所だ。

ここではイルカとふれあえるアトラクションも用意されており、バカ高い値段で客を集めている。

イルカは海の一部を囲った生け簀のような場所で管理されている。タンクを背負って海のほうからその場所までエッチラオッチラ潜っていけば、網越しではあるが、無断でイルカと遊べる。


網の中に囲われたイルカを見て、可哀想だとか逃がしてやりたいとか、そんな市民運動家みたいなことを考えないといけないのかもしれないが、俗っぽい私としてはタダでイルカとコミュニケーションが取れただけで満足である。




続いてはサメである。ナースシャークというおとなしいヤツである。岩陰で寝ていたので撮影したり軽く突っついてみた。でも無視されたのでそのまま移動したのだが、しばらくして振り返るとヤツが凄い勢いでこちらに向かってくる。

怒っていたのか、からかいに来たのかは謎だが、突進されてビビり気味に腰が引けていたガイドのメキシコ人の姿がおかしかった。

というわけで、コスメルの水中写真でした。

次回はTバックのオネエサンを写した私らしい?画像をちょこっと紹介しますのでスケベな人はご期待下さい。