2010年1月29日金曜日

和装

年を重ねたせいなのか、銀座あたりの綺麗どころのせいなのか、理由はどうあれ和装に興味が出始めた。

着物にしろ浴衣にしろ和装というと面倒なイメージがあるが、その面倒な感じにちょっと惹かれる。着物を作った事が過去に一度だけあるが、1回ぐらいしか着ずに今はどこにあるかも不明だ。

20代の頃だったので面白がっただけで、すぐに仕舞い込んでしまった気がする。立派な中年になったいまこそ再チャレンジしてみたい。

一応、和装という範疇では私の場合、作務衣をいくつか持っている。旅行の際の必需品だ。温泉旅館にはとくに欠かせない。

姿勢や行儀の悪い私にとって、浴衣が崩れていく感じがイヤだ。朝起きた時にあられもない格好で帯だけがハダカの腹に巻き付いているのも美しくない。

その点、作務衣は快適だ。夏用、冬用と何種類か持っているが、時たま旅館の中で従業員と間違えられること以外は実に便利。

温泉宴会のあとでカラオケで大騒ぎしても着崩れないし、部屋の中でどんなアクロバチックなことをしようが崩れようがない。

作務衣ファンになったきっかけは、15年ほど前の京都旅行。祇園の旅館「畑中」で浴衣の変わりに用意されていた部屋着が作務衣だった。

腹回りがゴムではなく、ひもを締めて結ぶタイプ。大柄な私にとっては使い勝手が良く、満腹になっても調節しやすい、ちょっと界隈を散歩するにも浴衣よりもマシだったので一気に作務衣愛好家になった。

最近は小洒落た旅館が浴衣の変わりに作務衣を用意するケースが増えてきた。洋服しか知らない世代をターゲットにする以上、必然なんだろう。

西洋趣味中心だった私の祖父も節目には和服を着ていた。明治、大正の人達はどんなに先進的だろうと、いかに「モボ・モガ」だろうと和装と洋装を使い分けていたわけだから素直に格好いいし、うらやましい。

着物はリサイズがしやすい便利さも特徴だ。今風に言えばエコかも。そういえば私の実家には祖父が愛用していた着物が色々と眠っていたはずだ。大島なんかもいくつかあったはずだ。早めに我がものにしてしまおう。

大島の生地で作務衣に作り直すのも一考だ。私の男前ぶりがまたアップしてしまう・・・。

2010年1月27日水曜日

白黒ショー

白黒という言葉に妙に惹かれる。私だけだろうか。最近は聞かなくなったが、昔さかんに耳にした「白黒ショー」を連想してしまうからだろうか。

同様に「マナ板」という言葉にもなぜか反応してしまう。悪い癖だ。

話がそれた。白黒の話だ。新聞に掲載される写真は白黒が定番だ。一昔前にはわが社にも白黒フィルムが山のようにあった。

仕事の合間に遊びで撮る写真も当然白黒だった。被写体によっては白黒写真は結構面白い作品になる。カラーを見慣れた目には新鮮に映る。

ボーとしている人の顔もカラーなら「ただのボーっとした人」だが、白黒だと「哲学的に物思う人」に見えるから不思議だ。

水中写真を趣味にしていると、極彩色や微妙なカラーグラデーションが時たま鬱陶しく感じる。色の洪水に目がくたびれるのだろう。

15年以上前、マレーシアのマブールという島で2週間ほど水中撮影三昧をした。潜ることの他にすることのない島だったので、結局70本ものフィルムを消費した。

それだけ潜ってばかりいると、ちょっと変わった写真も撮りたくなるのだが、真っ先に浮かんだのが白黒水中写真。残念ながらそんな島に白黒フィルムが売っているはずもなく断念。

その後も水中撮影を続けているが、せいぜい4~5日の潜水日程だと普通のカラー撮影をするだけで精一杯。白黒フィルムを持参することもついつい忘れていた。

ところが、イマドキのデジカメには白黒モードが用意されている。わざわざ白黒フィルムなどを買わずともボタン操作だけで手軽に白黒撮影ができる。

12月のバリ旅行では、購入間もないデジタル一眼をアレコレ試すため、水中ではカラー撮影だけだったが、陸上では白黒モードを試してみた。



結構面白い。いま思えば、もっともっと白黒撮影をすればよかったと後悔している。バリあたりだと土着伝統的な独特な被写体が多いから、そのあたりを白黒で撮れば結構面白い写真が増えたように思う。

いま思いついたのだが、白黒で撮影した風景写真なんかを用意して、ついでにベレー帽でもかぶって芸術家風を装うのも一考だ。

そんな姿で女性に近づけば、ひょんな感じでヌード撮影に持ち込めるかも知れない。

最近どうもヌード撮影ばかり考えている。おかしいのだろうか。

※お知らせ・・・・ブログの更新は明日の分から週3回に変更します。一応、月、水、金を更新日にする予定です。

2010年1月26日火曜日

おでんバンザイ

いろんな店を探検したいと思っても、季節柄、寒さに負けておでん屋さんばかり訪ねている。

先日も、銀座の「おぐ羅」へ。錫のヤカンで燗付けする白鹿が私を呼ぶ。ここのヤカン酒は単純明快に美味しい。ただの白鹿なんだが名ばかりの吟醸や純米より遙かにウマい。

お燗酒は、たいていの店で下等な扱いを受けている。もったいないことだ。まあ杜氏さんが渾身の力を注いで作る酒が純米なり吟醸だから仕方ないが、燗のつけ方によっては,フツーの日本酒だって抜群だ。日本の冬を彩る絶品だろう(大げさ)。

そんなことを力説している割には、ほんの2杯、3杯でハイボールに移行してしまうのが私のいい加減なところだ。

しめ鯖やカニのカニミソ和えなんかをつまみながら、燗酒をズズッとすすっていると店の空気感も相まって実にホッコリする。

この店、独特の空気感が良い。騒がしい若者は皆無だし、銀座っぽいオジサンやオバサンが嬉しそうに楽しんでいる。

先日は、私の横で独特な雰囲気の3人組が喧々囂々。昭和の新聞人って感じの風貌。聞き耳をたてたら案の定、某日刊紙OBの集まり。マスコミ人特有のウンチクと武勇伝を持ち回りながら楽しそうに呑んでいる。

こういう濃ゆい感じも「おぐ羅」っぽさなのかもしれない。

奇をてらった料理は無いが、小骨一本見あたらないアジフライなんかはニンマリする味。安くない価格設定、いや相当に高い価格設定に比例するかのように普通の食べ物が普通以上に美味しい。

最近サボリ気味のダイエットだが、おでん屋さんで大根とかゼンマイとか食べていれば肉を頬ばるより断然有利だ。なるべく揚げ物系以外のネタを食べていれば安心だ。

この日、調子に乗って〆の炭水化物に手を出した。といっても、雀の涙ほどの分量なので大丈夫だ(?)。この店の人気メニューの「出汁かけ茶飯」だ。

薬味はほんの少しの刻み葱だけ。あとはだし汁を茶飯とともにすするだけ。どんなに体調不良だろうとどんなに満腹だろうと「ウマい」とつぶやける味だ。

また食べたい。

2010年1月25日月曜日

コーヒー一杯の・・・

小沢民主党幹事長の土地問題をめぐってメディアはまさに大騒動。やいのやいのと連日細かい話を必死に報道しているが、はっきり言ってすべてピンボケ。論点ずれまくりだ。

ひょっとすると、あえてピンボケになるようし向けられているのかも知れない。すべての根源はただひとつの制度上の問題に尽きる。国民が騙された形の悪法を俎上に載せなければ意味はない。

政党交付金制度がそれ。

「コーヒー一杯の政治」というフレーズをご存じだろうか。1994年、世の中で政治改革の議論がスッタモンダしている時に得意になって使われた言葉だ。

当時、不正の温床と言われた企業や団体から政治家個人への献金を廃止するかわりに、国庫から政党へお金を配りましょうという話になった。

政党交付金とか政党助成金といわれる制度だが、人口ひとりにつき250円を基準にした金額が毎年ばらまかれるようになったわけだ。その際、国民に理解を得ようと言う趣旨で盛んに使われたフレーズが前記の「コーヒー一杯の政治」。

いまや、こんな制度が存在していることすら知らない人も多い。税金を納めている人なら誰もが日本の政党にお金を寄付している形だ。支持政党があってもなくても、国会での獲得議席に応じて勝手に分配されている。

違憲論争も根強く、学者の多くが違憲という見解を示しているが、司法の世界では合憲とされて存続中。

問題は、肝心の「企業団体献金の廃止」がウソだったこと。事実上は何も変わっていない。

たとえば、「貧乏商事」が「金満党の富豪太郎」という政治家に献金しようとする。富豪太郎は「金満党衆議院選挙区支部」という組織の代表でもある。政党の支部という形だが、実際上は自分が完全支配している。

企業からの寄付は、政党や政党支部であれば受け取れるため、貧乏商事は金満党支部に寄付する形を取って富豪太郎に寄付をする。なんともバカげた話。日本中でこれがごくごく普通の行為として通用している。

一方、企業団体献金を廃止する変わりに導入されるはずだった政党交付金制度は、悪びれることもなくこれまで15年以上にわたって総額5千億円以上の血税を政党に垂れ流してきた。

極端な話、キャバクラでの飲み食い、芸者さんを呼んでの料亭会合、視察名目での海外旅行だろうと「政治活動に必要」という理由が付けば使い放題のカネだ。

納税者をバカにするにもほどがあるって感じだ。交付金制度そのものが国民をあざむいた形で堂々と成り立っているだけでなく、制度上のお粗末ぶりもひどい。

政党が解党しても助成金の返還義務がないというデタラメな部分はまさに異常だ。

いま騒がれている小沢氏の問題も、結局は、こんな欠陥制度が根源にある。検察サイドはゼネコンからのヤミ献金も視野に入れているようだが、結局は旧自由党解党時に曖昧になった政党交付金の流用であれば、刑事事件にまで発展する可能性は低い。

解党時に返還義務がないというお粗末な欠陥は、事ここに及んでも是正される見込みがない。政界に自浄作用を求めるのは難しいと分かっていてもヒドい話。

1994年、海部、宮沢、細川各内閣と渡ってスッタモンダが続いた政治改革騒動は記憶に新しい。シロウトである一般国民にとっては、漠然と「浄化」に期待が集まった。

あれから15年。当時の騒動は、結局「政治家による政治家のための政治改革であり、政治改悪」でしかなかった。

残念ながらそれが歴史の評価だろう。

2010年1月22日金曜日

老後の趣味

ふと老後はどんな趣味を持とうかと考える。現役世代から見ればピンとこないが、よくよく想像してみると、無趣味な年寄りになったら毎日毎日退屈の極みだろう。

リタイア後という前提で考えると、収入面の問題もあるので、そうそう金のかかることは出来ない。

趣味の代表格といえば旅行だが、当然、それなりの快適さを求めれば金のかかる趣味の筆頭になる。

読書なんかは現役時代、寸暇を惜しんでその時間を確保するからこそ嬉しいので、時間が有り余っていたら興味を失いそうだ。

酒さえあれば、などと強がっても、そんなに呑めなくなっているはずだし、胃腸も弱っている。

女性を追っかける意欲も常識的には無くなっている。囲碁だ将棋だという世界も中年の頃から始めていないと馴染めないだろう。

絵を描くほどのセンスはないし、合唱団で歌うのも人付き合いが面倒だ。ボランティアに励むほどいい人ではない。

私の一応の趣味は水中写真撮影に酒器集め、葉巻収集、ひとり旅あたりだろうか。

老後に続けられそうなものは無い。潜水中に心筋梗塞を起しそうだし、酒器集めは経済的にキツイうえに酒量を考えると使いこなせない。

葉巻はさすがに引退したいし、ひとり旅は、きっと自殺願望老人とか徘徊老人として通報されてしまいそうだ。

強いて言えば、水中撮影をきっかけにイジっていたカメラを陸上で使えばもっともらしい趣味になりそうだ。

デジカメの進歩でフィルム代、現像代が不要になった今、それなりの機材さえあれば写真撮影は、金のかからない趣味といえそうだ。

昨年暮れにバリ島に行った際、デジタル一眼レフに慣れるために陸上でも結構な枚数のシャッターを押した。

写真撮影で厄介なのは夜景とか夕日とか逆光とか一連の“光”の扱いだろう。フィルム時代なら36枚分すべてが失敗というケースも珍しくなかった。いや、思い込んでいたデータが間違っていればフィルムを何本使おうが全部失敗したわけだ。

デジカメだとその場でチェックして露出やシャッタースピードを調整すれば、シャッターを押すこと5回、10回分のテストで、その場面に適した撮影データがカメラ上でチェックできる。

上の夕陽の写真もそんな一枚。夕陽の名所に陣取りながら適当にシャッターを押して、出来映えをチェック、シャッタースピードを変えたり、あれこれ試しているうちに綺麗に撮れた。

ホテルのエントランスも夜の雰囲気が印象的だったので、スローシャッターを何段階も試したうえで撮ってみた。

手ぶれはしているものの、手持ちで撮ったにしては上出来だ。近頃ハヤリの手ぶれ補正機能のお陰だ。

この時はキャノンのデジタル一眼入門機であるEos・kissX3にトキナーのフィッシュアイズームレンズを着けて撮影。ちっとも凄い機材ではない。それでもイメージ通りの写真が撮れるから技術革新に感謝だ。

満月の夜、ホテルのビーチサイドレストランの気配を撮った一枚も何段階か試したうえで椰子の木に寄りかかって撮影。

この時ももちろん三脚など無い。手持ちだ。木に寄りかかってカメラを固定しただけでナントカなった。一昔前のカメラで通常のISO感度のフィルムしか無ければ絶対に撮れない写真が、イマドキのカメラなら簡単に撮影できる。

老後の趣味になりそうな写真撮影だが、老後を想像すると被写体の問題はある。異国に頻繁に行くわけでもないだろうし、もっと身近な被写体に興味を持てないと続かないだろう。

かといって、公園のハトを追っかけてもすぐに飽きそうだし、女子高生のパンチラを狙えばスケベ老人として逮捕されてしまう。

何気ない日常の中に美しいものを見出すようなセンスを磨かないといけないのだろう。

そんな訓練に励むのは結構大変そうだ。

いっそのこと、どなたかヌード撮影のモデルに立候補してくれないだろうか・・・。

2010年1月21日木曜日

公私混同

オーナー経営者の感覚は、それ以外の人にはなかなか理解されにくい。会社のお金にしろ、個人的なお金にしろ消費活動には一種独特の感性がつきもの。

先日、独立したての経営者と色々話をする機会があった。まさにオーナー初心者なので、「経費」の概念がよく分かっていない。

「会社のカネで車なんか買ってもいいんですか?」、「会社のカネで人間ドックやってもいいんですか?」。たとえて言うならそんな感じ。

勤め人感覚だと仕方ないのだろうが、車に限らず、家だって会社で買っても何も問題ない。社宅に関する税務上の規定がアレコレ用意されている以上、逆に安心だ。

経営判断として、そういう投資行動が可能ならどんどん実行すればいい。

オーナー企業では、経営者の「公私混同」がとかく問題にされがちだ。創業オーナー社長などは、もともと会社も自分も一心同体。感覚的に区別をつけられないのも無理はない。

オーナー経営者ではないジャンルの人から見れば、公私混同は単純に「悪」と映るのだろうが、そんな簡単な話ではない。

税金の専門紙、それもオーナー経営者側の目線を意識して編集しているわが社の紙面で、その昔、画期的な特集を組んだことがあった。ズバリ「公私混同こそ中小企業のパワー」。

税務署からすれば、目を剥きそうなタイトルだが、かなりの数の賛同の声が寄せられた。個人保証がつきものであり、まさに命というリスクまで背負わされているオーナー経営者の実像だ。

西欧諸国と違って、儲かっていても慣習的に破格の役員報酬を取ることが少なかった日本の経営者は、いわゆるフリンジベネフィットと呼ばれる「会社経費での経済的利益」を厚くしていった経緯がある。

新入社員と比べてたかだか5倍程度の年収で、すべてのリスクを負っている経営者は珍しくない。考えてみれば変な話ではある。

近頃やたらと勤め人保護の思想が手厚くなってきた労働関係法規にしても、経営者はカヤの外だし、いざというときのリスクの大きさを考えると従業員と年収を比較すること自体がナンセンスだろう。

必然的にゴルフとか車は社用が前提になり、福利厚生施設としての別荘だとか社長交際費だとかが充実してくる。

当然、「経済的利益」に敏感な課税当局は、一連の社長関連費用に睨みをきかす。結果、税務上の細かい取扱いがアレコレ誕生することになった。

逆にいえば、税務上の規定等々に違反しない範囲であれば、公私混同的行為は当然の行為とみなされているという見方も出来る。

少なくとも、税務署側に抗弁できる客観的な論拠なり資料などの証拠があれば、公私混同と指摘されそうな経費処理であってもビクビクする必要はない。堂々と経費処理すれば良い。

今度の税制改正でもスッタモンダしていた「特殊支配同族会社の役員給与の損金不算入」という制度がある。内容は省くが、この文言だけでも差別的だ。言葉の字面を見るだけで、いかに課税サイドがオーナー経営者を色メガネで見ているかが分かる。

色メガネ規制がキッチリあるのならそれはそれで逆に分かりやすい。規制に抵触しない範囲の行為やそれ以外のことなら堂々としていればいいわけだ。

公私混同的経費については、わが社の新聞でも注意点とかポイントを特集することが多い。あくまで経営者的感覚の対極にいる税務職員を納得させるためにはそれなりの準備は大事。逆にポイントさえ抑えれば無用な紛争も避けられるわけだ。

経営者向けの雑誌とか新聞は数多い。もっともらしい企画が満載だが、会社の財布と個人の財布という「二つの財布」の使い分けとか勘どころを掘り下げた企画を見ることは無い。担当編集者の目線が経営者的でない以上、当然そういう角度の媒体を作ることは出来ないわけだ。

富裕層向けのメディアも同様。高級嗜好品の消費行動を煽るような企画が満載だが、その根源である経営者の「二つの財布」までは発想が及んでいない。

5千万円の高級車を前にして、オーナー経営者が考えることは、「今期の減価償却はいくらになるのか、それによって節税効果がどのくらいなのか」。意外にそんな観点だけで決済するか否かを決めている。

2010年1月20日水曜日

エロを考える

とある商談の最中、ひょんなことから「エロ」について深く深く議論が進んだ。

成功した人、勢いのある人の多くがストレートにエロ全開だという話題で盛り上がった。

英雄色を好むといわれるように、バイタリティーとかエネルギーとかそういう活力って、結局そっち方面の欲求と比例するのだろう。

男子たるもの、エロ追求は一種の使命みたいなものだ。そうは言っても「エロの出し方」というか「エロの見せ方」は人それぞれだ。

フェロモンマシーンのようにまるっきりエロモード全開を隠さない人もいれば、表面的にはスケベなんか興味ないみたいなスカした人もいる。

勢いがあって、自信にみなぎっているような人は案外、「ストレートエロ」が多いような気がする。

そういう意味で「スカしたエロ隠し野郎」はダメな男に多いのだろうか。

私自身、東京人の悪い癖もあって、どちらかといえばストレートエロを展開するにはためらいがある。スカシ系だ。

一応、エロ話なんかは沢山引き出しがあるので、座を盛り上げるためにはいくらでもご披露つかまつる。それも実例ばかりだ。創作ではない。

そんなこと自慢してもしょうがないのだが、エロ話が得意だったとしても、そういう状況にたどり着くまでの実際の行動がなかなか難しい。ストレートエロとまでは言えない。ムッツリ系だろう。

時と場所を省みずに手を出したり、舌を伸ばしたりするようなストレートなスケベ太郎にはなりきれない。

気取っちゃっても何もトクは無いのに、なんか気取ったり臆病になる。紳士的という曖昧な言葉でゴマカシながら悶々としている。

アホみたいだ。女性から見れば実に御しやすいタイプだろう。

敏腕営業マンはナンパするのが上手という話がある。逆にナンパ上手だった若者は敏腕営業マンになるという話もよく聞く。ナンパで鍛えた雰囲気作り、話術、空気の読み方、押しの強さが営業の世界でモノをいうわけだ。

私の旧友にも学生時代、ナンパがうまかった男がいる。今彼は営業マンとして頻繁にヘッドハンティングされるほどの人物になっている。かつてグループで旅行した際、私が寝ている隙に私の連れを土下座までして食ってしまった男だ。

そのぐらいの人間じゃないと敏腕にはなれないのだろう。気付かなかった私も私だ。

そういう意味では、若い頃、ナンパをバリバリしてこなかった私は全然ダメだ。かといって、この歳になって路上で突然ナンパ修行をするのも無理だ。

「ストレートエロ」を発揮するように心を入れ替えてみようか。それが出来たらきっと壁だとか殻を破った違う自分が見えてくるのかも知れない。そんな自分を見てみたい。

先日大昔の映画を暇つぶしに見た。森繁の社長シリーズだ。森繁扮する社長が草笛光子演じるバーのマダムとアーだのコーだのやっているのだが、結局、口先だけの男はモテないという趣旨の話になる。

森繁社長もいいところまで行くのだが、肝心なところで意気地がなかったりする。森繁社長の敵対役の商事会社の重役はストレートエロ。ちょっとしたチャンスも逃さない感じ。

善し悪しは別にして、単純にスマートに見えるのはストレートエロ重役の方で、イジイジしている森繁社長はちっとも格好良くない。愛すべきキャラクターではあるが・・。

エロに対して気取ってしまうと、結局、滑稽な路線に収まってしまうというのが教訓だろう。

いい人に見られたい、ガツガツした男だと思われたくない、スケベ野郎だと思われたくない、、、等々、ついついそんな感情が言動を抑制する。考えてみればバカみたいだ。

いい人なんかじゃない、ガツガツしてまっせ、スケベで当然だい!などと堂々と言いながら頑張るほうが、ある意味スマートなんだろう。

今年はそういう点を意識して生きていくことにしよう。

2010年1月19日火曜日

事件の陰に・・・

小沢幹事長に対し「(検察と)闘ってください」というトンデモ発言をしてしまった鳩山首相。検察を含む行政府のトップとしての自覚の無さを露呈した格好だが、イジワルな見方をすれば、“はしゃいじゃった”のかも知れない。

小沢幹事長の問題で自分の偽装献金問題が一気に吹っ飛んだわけだから、内心は「ラッキー」などと思っているのかもしれない。

自身の偽装献金問題は、総理年頭会見や1月16日の党大会でも「決着済み」であることをやたらと強調している。具体的には「検察捜査で全容は解明され、処分決定で基本的には決着した」と発言している。

確定申告シーズンを目前にして、どうにも首相の発言内容が気になって仕方ない。政治資金規正法というジャンルにおいては、確かに首相の認識は的外れではないのかもしれない。

ただ、母親から巨額な資金が移動していた一連の問題は、政治資金規正法ではなく、税法違反という捉え方をする方が的確だろう。だとしたら「全容解明、処分決定で決着」という話はまったく成り立たない。

巨額な資金移動について、当初、首相サイドは母親からの借入金という逃げ口上を準備していたようだが、借用書ひとつ無いお粗末な方便が通用するはずもなく、結局、昨年末に、母親からの贈与であるとして、贈与税の申告を行った。

時効にかからなかった分の贈与税の申告はあくまで昨年暮れに行われたわけで、受理した国税サイドがその内容を精査するのは、まさに今月からという理屈になる。

鳩山首相は、ひょっとすると、税金は申告すれば終わりとでも思っているのだろうか。申告された内容に問題があれば、課税庁は必要に応じて税務調査を行い、内容の是正につなげる。悪質であれば、刑事告発もありえる。

すべては申告書が提出されてからはじまると言った方が的確だろう。

悪質かどうかの基準はケースバイケースだが、逃れていた税金の金額はもちろん、ハナからまったく申告すらしていなかった無申告事案などは、当然、国税サイドが優先的に睨みをきかせる。

無申告だった案件には、自動的に無申告加算税というペナルティー的な課税が行われるが、これについても“税務調査を予知して提出された申告書なのか否か”によって取扱いが異なる。

悪質なケースにかかる重加算税という罰則については、あくまで国税当局がその内容に応じて決定するわけだから、首相が言うように「処分決定で決着」というにはまだまだ早すぎるわけだ。

もちろん、国税当局がどう見るか、どう動くかによるわけだが、理論上は、これから首相サイドへの相続税・贈与税逃れに対する税務調査が行われることは充分あり得るわけだ。

数々の経済事件に絡んで、一種の突破口になってきたのが「税法違反での摘発」。かのロッキード事件もそうだったし、複雑な経済事件の解明途上では、課税処分という手法が全容解明のカギを握ることは珍しくない。

もちろん、税法違反自体も重大な背信行為であり、それ自体が捜査の着地点になることもある。

ちなみに民主党・小沢幹事長の一連の疑惑にしても、問題の土地購入資金について、小沢氏サイドは、タンス預金とか、父からの相続分といった説明に終始している。

タンス預金ならば、蓄財にあたって過年分の所得税処理は適切だったのか、相続した資金ならば、当時の相続税課税に漏れはなかったのか、国税サイドの資料等ですぐに分かるわけだ。

要するに贈収賄だとかヤミ献金といった生臭い資金じゃなかったとしても、場合によっては脱税という法律違反があぶり出されることも考えられるわけだ。

税金の専門新聞を発行していると、その手の“魑魅魍魎バナシ”がアレコレと集まってくる。ひねりのきいたビジネス情報としてお役に立つと思います。

2010年1月18日月曜日

不気味な組織

何が変かといえば、アレだけの大所帯になった巨大政権政党の内部から、自分の党の幹事長の不祥事を糾弾する声が上がらないこと。

もちろん、捜査段階であり「不祥事」だったのか否かの確定はできない。仮に小沢氏が主張する通りだとしても、あきらかに世間を騒がす疑いを招いたことは事実。少なくとも道義的な責任は免れない。

先週、前原国交大臣が「説明責任を果たすことが大切」と小沢氏の姿勢にコメントしたが、この「やんわり」ですら、一部メディアは「前原大臣、立つ」みたいな角度で取り上げたほど。

批判にすらなっていない当たり前の発言をしただけだ。それでも「あの小沢氏に意見した」みたいな空気になること自体が異常だろう。

その後、元秘書の現職代議士逮捕という事態になって「小沢おろし」が始まるかと思えば、そんな気配はさらさら無く、相変わらず民主党内部から実名での批判はほとんど聞かれない。

自民党が良かったとか、自民党に復権して欲しいという話ではないが、かつての自民党だったら身内の不祥事に対してもっと健全な対応がされていたように思う。

悪く言えば、足の引っ張り合いでしかないのだが、実力者の不祥事には別の実力者がしっかり糾弾するパターンはごく普通だったと思う。

実力者である田中角栄氏にしろ、中曽根氏にしろ、竹下氏にしろ、何か問題がおきれば、自民党内別派閥から確実にバッシングを受けていた。

山崎拓元副総裁の笑いなくしては聞いていられないようなエロエロスキャンダルですら、確か党内からずいぶんバッシングを受けていた。片や小沢幹事長の問題は、ヤミ献金の疑いもある洒落にならない内容なのに身内は皆さんシーンとしている。

ちょっと異常だろう。それじゃあ将軍様の国と同じになってしまう。

政治の世界に限らず、そこそこ人数のいる組織であれば内部からの批判なんて当たり前のことだろう。それが通用しない組織、すなわちおかしなことをおかしいと言えない組織は、普通の集団ではない。特定の教祖をあがめる教団だとか、そんなレベルだ。

民間の中小零細企業ならともかく、国を動かす政権政党という組織がそんな事態に陥っているのは気持ち悪いし、危険極まりない。

鳩山首相のウン十億円に上る母親からの「子供手当て問題」とそれに付随する脱税疑惑だって同じ。民主党内部から舌鋒鋭く違法性なりを指摘する声はちっとも聞こえてこない。

民主党の未熟さを象徴する状況だと思う。マトモなスタッフがいれば、それこそヤラセだったとしても党内からの厳しい声の発信を演出するはずだ。重鎮議員あたりに「首相や幹事長が辞任しないなら有志を集めて離党する」みたいな決死の辞任勧告みたいなパフォーマンスをさせて、それを受けた首相や幹事長が真摯に謝罪ポーズとその後の決意を語るみたいなシナリオだ。

そのぐらいの演出をすれば、自民党の追及は必然的に目立たなくなるし、民主党への注目度は今以上に高まる。

今のような内部から批判一つ出ない現状は民主党という組織が極めて不健全な組織だと認めているのと同じだろう。

先日紹介したリクルート事件を検証したルポを読んで間もないから、不謹慎な表現ながら検察とマスコミ、そして小沢氏側の駆け引きが興味深くて仕方ない。まさにギリギリの攻防だろう。

小沢一郎氏といえば、自らの離党をきっかけに自民党政権を終焉させ、細川連立政権を作って以来、新進党や新生党、自由党などを作っては壊し、「壊し屋」の異名を持つ。そんな小沢氏が悲願の政権交代達成後、その政権まで壊すことになりそうだから何とも皮肉だ。

2010年1月15日金曜日

リクルート

久しぶりに読書で興奮しまくった。「興奮しまくる」といってもエロ本ではない。ルポというか自伝というか、ノンフィクションの傑作だ。

その名も「リクルート事件・江副浩正の真実」(中央公論新社)。筆者は江副氏本人。あくまで江副氏サイドの一方的な視点で書かれたものだが、昭和史の一級資料と言っても過言ではない。

昨年10月発行なので新刊ではないが、大きい本屋さんなら今でも平積みされている所もある。

もう20年以上前の出来事だが、40代以上の日本人であれば誰もが当時の喧噪をリアルに記憶している。日本中を騒然とさせたリクルート事件の主役がリクルート創業者の江副浩正氏。

執行猶予付きの、いわば「白に近いグレー」という印象の有罪判決を受けた江副被告は、執行猶予が晴れて開けたタイミングで執筆を加速させたのだろう。その内容は表現にこそ抑制が効いているものの迫力満点だ。

メディアの暴走、検察の実態、司法制度の歪み等々がリアルなエピソードで語られている。筆者の立場になって読み進んでいたら、気の弱い私は気分が悪くなったり胃が痛くなった。

いま思えば歴史的な国策捜査だったのだが、あの頃の熱気のなかで、私自身メディアの報道を鵜呑みにして事件の価値判断とか善悪の印象を決めていたような気がする。今になってその事実が恐ろしく感じる。

情緒的かつ世論操作だけを主眼に“ストーリー”を展開したマスコミ。いつしかそれが世論となり、世論に応じないことでの権威失墜に神経をとがらせた検察。そして、立件されたら99%が有罪になる司法の実態。なんとも絶望的な気持ちになる。

有罪確定前の被告段階での人権無視の数々には背筋が寒くなる思いだ。刑務所よりキツいと言われる拘置所での長期拘留。その生々しい体験談は、冤罪が無くならない現実を象徴しているし、人間の普通の神経がいとも簡単に壊されてしまう恐ろしさを伝えている。

ちなみにこの本を読んだだけで、江副氏の卓越したバイタリティーに触れた気がした。なにしろ裁判だけでもおよそ20年。事件のきっかけとなった未公開株譲渡という行為から四半世紀ほども経っているにもかかわらず抜群の記憶力には驚かされる。

日記などの資料があったとしても前後の事実関係や印象、心の動きなどがこと細かく描写されている。並大抵の記憶力、分析力で無いことは一目瞭然。ただただ凄い。

記憶力以前に、これだけの本を書きあげようとする意欲、意思、情熱、姿勢、冷静さ。それだけで超絶的だろう。

事件への興味、江副氏への関心がまったく無い人にもぜひオススメする。

事件自体は風化して、江副氏も現実には過去の人になってしまったが、この本のベースでもある「日本社会の因習」は風化とは無縁だ。

2010年1月14日木曜日

マイレージ問題

「マイレージサービスは継続するらしい」。日本航空の倒産に絡んで私の関心はその一点だ。株主でもないし、今は付き合ってるコもいない。だから私の問題はあくまで貯めているマイルの行方だ。

とはいっても、貯まっていたマイルは、昨年春に妻子がハワイに行く時にたくさん使ったし、暮れに私がバリ島に行った時も特典航空券に消えた。現時点ではあまり残っていない。

ただ、JALのマイル残高が少なくても、瞬時にマイルに移行できるクレジットカードのポイントが大量にあるので、その処理にちょっとだけ悩む。

いまどきのクレジットカードのポイントは複数の航空会社と提携関係にあるため、簡単にマイルに移行できる。JALにこだわる必要はないのだが、私の場合、JAL以外の航空会社のマイレージ会員登録を面倒がっていたせいで、移行する先がJALしかない。

せっかく貯まった大事なポイントを安易に倒産会社のマイレージサービスに移行させて良いものか悩む。急に何らかの制限がついたら困ってしまう。さっさとANAカードに申し込まねば。

きっとここ数日でANAマイレージ会員の新規登録数は過去最高のペースで増えているんだろう。当然といえば当然だ。

そういえば、ANAはとにかく怒り心頭らしい。JALがそうしてもらえるなら、自分達の借入金だって銀行はチャラにすべきという理屈だ。

そりゃそうだ。同業者の一方が優遇政策を受けるのは不公平という感覚は当たり前だろう。腹を立てて当然だ。

もっとも、怒ってるのはANAだけではない。高いリスクを負って企業経営に努めるオーナー経営者達にとっても噴飯ものだ。

JALの経営陣は退任するだけで個人保証で破産するわけではない。減額されたとはいえ、企業年金が存続するんだからビックリだ。甘過ぎ。

もちろん、わけの分からない採算の合わない空港を日本中に作って不採算路線を増やし続けた政府の姿勢、アジアのハブ空港争いで無能ぶりを見せつけた国の航空戦略のお粗末さがJAL破綻の一因ではある。ほんの少しはJAL側にも言い分はあるのだろう。

まあそんな理屈はただの屁理屈ではある。ANAが黒字経営をしている以上、JALの放漫経営は重過失だ。そのツケが国民に回ってくるのは許し難い。

話がそれた。マイル問題だ。

その昔、アメックスのポイントを短期間で膨大に貯めたことがある。詳細は書けない部分もあるが、やりようによってはグングン貯まる。オーナー経営者にとってはポピュラーな話だろう。

当時、カード会社のポイントは無制限で航空会社のマイルに移行できた。今では年間移行制限枠が設けられているのだが、きっと私のような迷惑な客のせいでそうなったんだろう。

私の目的は、アメリカン航空のビジネスクラスでカリブの某島に行くこと。JALでは乗り継ぎが良くなかったのだが、JALとマイレージサービスで提携関係にあるアメリカン航空なら効率よく動ける。

アメックスカードのその他の特典を便利に使いこなしていた関係もあって、アメックスでポイントを貯めて、それをJALマイルに移行、そのうえでアメリカン航空の特典航空券に変えた。わらしべ長者みたいだ。

アメリカン航空に一度も乗ったことがなかったし、JALにも当時、あまり乗る機会がなかった。そんな私でも膨大な特典マイルをため込んで、悠々と快適にカリブ海の往復が可能だったわけだ

継続するにしても、今後、JALのマイレージサービスがどのように変化していくかは注意深くチェックしないとならない。

JAL問題に絡んで、もう一点気になるのが「株主優待券」だ。いまチケットショップにはJALの株主優待券が大量に持ち込まれているらしい。使えなくなる可能性があるのならタタキ売っちまえという感じだろう。

私も、国内旅行の際には株主優待券をフル活用する。日頃から株主優待券を安く手に入れたり、もらったりするようにしている。

1枚あれば片道普通運賃が半額になる。そんなことより、使い勝手がすこぶる良い。予約、購入は搭乗当日でもOKだ。例え1ヶ月前に予約しても、搭乗当日、空港に着いてから購入すれば良く、キャンセルしてもペナルティーはない。変更も自由自在。

思いつきでスケジュールを変えたくなる私のようなわがままな旅行者には最強のツールだ。上場廃止となれば、株主優待券がどうなっていくか微妙だ。少なくとも一般への流通という形は激減するだろう。

この部分でも、やはりANAにさっさと取り込まれておいたほうが得策だ。

もっと早くANAファンになっておけば良かった。

2010年1月13日水曜日

姪っ子とデート

姪っ子とデートをした。相手は中学3年生・15才。私の兄の子どもだ。

大人になった私が初めて遭遇した「血のつながりのある赤ん坊」がこの姪っこだった。抱っこしたり、あやしたりという当たり前の作業が私にとってすべて初体験だった。そのせいで、ある意味、自分に子供が生まれた時とは違う特別な印象がある。

当時独り身だったこともあり、頻繁に赤ん坊だった姪を見に行った。その後、何度も旅行に行くなど濃く付き合ってきたが、さすがに中学生ともなると何かと多忙になるらしい。先日のデートでは久しぶりにゆっくり一緒にいたので成長ぶりにビックリした。

お年玉代わりに洋服を買うことにして、会社にほど近い池袋パルコで待ち合わせした。

バーゲンまっ盛りで、姪が見て回る若い女の子向けのフロアには池袋的ケバケバギャルがたくさん。中年オヤジとしては息苦しい感じ。

黙って現金を渡しておけば良かったとも思ったが、貴重な経験なので一生懸命アレコレと観察する。ほんの数年で自分の娘もこういう場所で喜々として洋服を選ぶのかと思うと不思議な気分だ。

というより、赤ちゃんだった姪っ子が、いっぱしにウダウダ洋服を選んでいる姿がどうにも不思議で仕方ない。

叔父様である私にとって姪っ子は幼稚園児のままみたいなイメージがある。ケバい店員さんとアレコレ会話している姿が何かしっくりこない。

いくつかお気に入りを手に入れた姪は、当然ながら嬉しそうだ。そういう表情の感じは幼かった頃のままなのだが、結構辛辣なセリフも吐く。

「あの店、スポンサーと一緒に来ている客には異常に丁寧に接するのよ」。

なるほど。確かにあのときの私はスーパー甘やかしモードの顔をしていたような気がする。父親であれば少しは教育的配慮も考えるのだろうが姪っ子と叔父だ。店員にすれば私の姿はカモネギに見えたはずだ。

その後、お寿司屋さんに移動。高田馬場の鮨源に行った。5年前に私と姪っ子の2人で行った時のことを店長は覚えていてくれた。

5年前にはコーラだかジュースを飲んで、マグロだのイカだの普通のネタを食べていたような気がするが、さすがに15才だ。変わったものが食べたいという。

白子を軍艦の握りで食べたり、キモを大量にトッピングしたカワハギの握りとか、オヤジっぽいネタもガツガツ食べていた。私がツマミで注文したアンキモも喜んでつまんでいる。あと数年で酒のお供もしてくれそうだ。

結局15貫以上はぺろっと食べていた。ダラダラ呑んでいる私のペースに合わせて食べていたわけだから、一気に食べさせたら30貫ぐらいは楽勝なんだろう。

まあ私だって15の頃はマックのハンバーガーを9個食べた経験もある。肉も1キロ食べたこともある。姪っ子も育ち盛りだからひょっとするともっとワシワシ食べたかったのかも知れない。

その後近くのカラオケボックスに行った。イマドキの若者の歌を拝聴する。

歌の合間、姪っ子はマツジュンがすべった転んだみたいなアイドルのエピソードを一生懸命話している。ホロ酔い気分でそんな話に付き合うのも結構楽しい。

親バカならぬオジバカだ。
お義理もあるだろうが姪っ子の方も結構楽しんでくれたようだ。

少なくとも私の葬式ではこの日のことを思い出して悲しんでくれるだろう。それで良しとしよう。

2010年1月12日火曜日

脱税に成功した人

2月1日から贈与税の申告期間が始まる。今年は全国の税務署でイヤミが飛び交い、はたまた申告しない人がかつてなく増えるのは間違いない。

鳩山首相が母親からの巨額な資金援助について、昨年の暮れに贈与税の申告を行ったが、端的に言って「バレちゃったから申告しました」という構図でしかない。

当然、真面目に申告しようとする納税者のモチベーションはヘロヘロだ。

「バレてないからオイラも納めるのヤ~メた」と考える人がいてもおかしくない。むしろ、そう思うのが当然だろう。

この首相、以前にも株譲渡に関する税金の無申告がすっぱ抜かれた。こうも税金に関してフシダラな総理大臣は歴史的にも珍しいのではないか。

母親からの贈与は判明しているだけで12億円を超える。慌てて納めた贈与税は6億円にもなる。

無申告加算税や延滞税を払う総理大臣って実に不思議。罰則的加算税を納めたって貰ったお金の半分はフトコロに入ったわけだから、なんだかな~という感覚は否めない。

マスコミの論調もどことなく一件落着ムードだが、常識的に考えて時効になる以前の贈与はどうだったんだという疑問は残る。

母親からの資金贈与は2002年からという話になっているようだが、これにしても鳩山首相サイドがそう言ってるだけの話。

首相が政界入りしたのは1986年。資金贈与開始がいつからだったかによって、“逃げ切った税金”は途方もない金額になる。

なにしろ毎月1500万円だ。年間1億8千万円。10年で18億円。そのぐらい巨額な資金が無税で贈与されていた可能性が強い。そう解釈するのが自然だ。

ついでに資金使途は曖昧なまま。これまでの政治活動を脱税マネーが支えたのなら、首相ポストは脱税マネーで掴んだというハチャメチャな話。

年末、「朝まで生テレビ」を見ていたら、田原総一朗が興味深いことを言っていた。趣旨は「鳩山親子の資金提供問題はちっとも視聴率が取れない」というもの。

まさに大手メディアの感覚を代弁している。世間の受け止め方は「お金持ち一族がウマいことやった話」といった程度。贈収賄事件のように批判のマグマが湧き出るような気配はない。

贈与税というテーマ自体がピンと来ないのが原因だろう。これが大衆感覚に刺さるような題材だったらもの凄い怨嗟の声が上がる。

「鳩山首相だけが酒税をちょろまかして缶ビール1本100円で買えていた」とか「鳩山首相だけ消費税をごまかして、何でもかんでも5%安く買っていた」みたいな話だったら、メディアはもっとバッシングを続ける。

贈与税という馴染みのないジャンルで、ウン十億という馴染みのない金額の話だから非現実的すぎて大衆心理がポカンとしちゃっているのかも知れない。

ちなみに、年末ジャンボを9千円分も買ったのに900円しか当たらなかった私だ。毎年宝くじが当たるような首相の贈与話が気持ち悪くて仕方ない。

単なるネタミではない。事実上、脱税が簡単に通用してしまっている現実が許し難い。

「お金もらってたのは知りませんでした。バレた以上は税金払いますね」。

法治国家とは言えないこんなアホらしい現実を検察首脳はどう思っているのだろう。

2010年1月8日金曜日

カニで冷える

このところやたらと身体が冷える。季節のせいばかりではなさそうだ。カニが原因だろう。カニは身体を冷やす食べ物として有名だ。

医食同源の中華料理なんかだと暖め効果のあるショウガ汁やスープなどをカニ料理とセットで提供する。気取った習慣だなあと思っていたのだが、カニばかり食べていると本当に冷える。

せめてお供はお燗酒にすればいいのに、冷凍庫で冷やしたウイスキーでハイボールを作る始末。とことん冷える。おかげで最近は寝る前に葛根湯が欠かせないし、湯タンポまで愛用しはじめた。

ちなみに捻挫や打撲など炎症系の状態にあるときにはカニ食いが推奨されるらしい。そのぐらい冷えちゃう効果があるわけだ。それだけでなく、砕いたカニを湿布代わりに炎症を起している箇所に貼り付けるような治療法もあるらしい。カニ恐るべしだ。

冷え冷えのせいで、最近は下着までジジイイ臭くなってしまった私だが、それでもカニばかり食べている。年末年始も、毛ガニ、タラバ、ズワイなんでも来いとばかりに食べた。

生きてる毛ガニを買ってきて茹でてみたり、頂き物の缶詰や甲羅盛りまでムシャムシャと頬ばった。

ほじくった後の殻を茹でて、その出し汁で炊き込みご飯を作ったりもした。余すところなくカニ攻勢に明け暮れている。

さすがに飽きる時もある。それでもカニに目が行く。魚屋やデパ地下で見かけるとついつい購入してしまう。なんか取り憑かれているみたいだ。

カニに飽きた時は飽きた時で、自宅キッチンの魚焼機の世話になる。あとあと魚焼機を洗うのが面倒なので、ほぐした身や殻付きの身をホイルにつつんで全自動スイッチオン。これでホクホクした別モノの出来上がりだ。

スーパーなどで見かける安いタラバやズワイの脚なんかも、そのまま食べると臭みや水っぽさが気になるが、簡単全自動ホイル焼にすることで、一気に旨味や甘味がアップして結構満足できる。

正月のある日、自分で茹でたデカい毛ガニがあったのだが、さすがに飽きてしまい随分な量が残ってしまった。翌日、カニフォークで残り身をほじくりまくった。カニミソもあったので結構な量の「カニ身のカニミソ和え」が出来上がった。

このまま食べても良かったが、ホイル焼にしてみた。かなりイケる。ミソも香ばしくなってホンワカホクホクのカニになった。

余り物のカニも立派なごちそうになった。ホイル焼に気付いたので今後はカニを多めに買ってきてもムダにしないで済みそうだ。ウッシッシ。

ちなみにこのところ「かに道楽」に行っていない。そろそろ禁断症状が出そうだ。天下の「かに道楽」チェーンは東京の然るべき繁華街には進出しているのだが、なぜだかわが社がそびえ立つ池袋には存在しない。

新宿には3店舗ぐらいあるし、練馬にまであるのになぜだか池袋は外されている。ある意味キッチュな池袋にこそ「カニ道楽」が似合うような気がするのだが。

まあ池袋店が出来た暁には、連日通いそうだから今のままで良しとしよう。

2010年1月7日木曜日

富茂登

函館に何度も行ってるせいで「函館未体験」が少しづつ減っていく。昨年夏には、なぜか未体験だった夜景も見にいった。ロープウェーで函館山に登り宝石のような眺めにちょっと感動した。ハセガワストアの豚肉なのになぜか「焼鳥弁当」も昨年体験してしまった。

残りの未体験をあげるなら北島三郎記念館と地元ファーストフード「ラッキーピエロ」に行くことだろうか。

今回の初体験は、料亭「富茂登」。函館山の“ふもと”に立地することが店名の由来。ガイドブックとかでは定番の店だが、端的に言ってちゃんとした店らしい。

漁師料理とかいうワケのわかんない言い訳で雑な食べ物を出すような店が多い港町にあっては貴重な店。

基本はコース料理。かといって予約の際にアレコレ希望を伝えれば相談にのってくれる程度の柔軟さはある。

ホッケの西京焼きがウマいという評判を聞いたので、それを楽しみに出かけた。ついでに毛ガニとイカ刺しがあれば文句ないので、その他はおまかせにした。

料亭と名乗るだけに風情のある造り。実に渋い。雪がガンガン降っていてあまり外から眺めることは出来なかったが、間違いなく地元名士御用達だろう。

函館支店長が本社から来た重役を案内するような光景が目に浮かぶ感じ。

さて実際の印象は、ひとこと「丁寧」。これに尽きる。味付けや盛りつけも品がある。函館で豪快に魚貝攻め!というノリだとイメージが違うが、しっぽりと函館の夜を過ごすのなら実に快適で風流。

前菜、刺身類も文句なし。お椀の味付けも丁寧な印象。そして待望のホッケの西京漬けが登場。

ホッケという魚はどこにいっても低く見られている。ホッケでも食うか、ホッケしかないの・・等々。「でも・しか」系の魚だが、実に旨い魚だと思う。東京の居酒屋で干からびたボソボソのホッケしか知らなければ仕方ないが、北海道でマトモなホッケに出会うと心底感動する。

とはいっても、しょせんは開きにして豪快に焼くか、気の効いた店が刺身で供するのがせいぜいだろう。西京漬けで食べる機会などなかった。

元々が脂ののったしっとりした魚だ。西京漬けにすることで旨味が濃縮されたような感じで美味。奇をてらった味ではないが、西京味噌が強すぎず、魚本来のジューシーさが維持されていて飽きない味。取り寄せ注文をしたいぐらいの味だ。

ホッケより印象的だったのがイカそうめん。
函館ではまさに飽きるほど遭遇するイカそうめんが、ここでは異質な料理に変身していた。

特製ダレ、卵黄、シソの葉、大根おろし、なめこ、それに摺ったオクラのネバネバが加わる。これをグジャグジャとかき混ぜて口に運べば、イカそうめんの革命みたいな感じ。

函館のイカは新鮮で旨い。そのせいでイカソーメンも、醤油かソーメンつゆ、薬味はわさびかショウガ、せいぜい山わさびというパターンが定番。単純明快に食べるものでしかないのだが、「富茂登」の場合、さすがに料亭を名乗るだけあって独特なアレンジ。これはこれで大満足だった。

毛ガニも包丁の入れ方がやたらと丁寧で実に食べやすい。同じサイズの毛ガニでも包丁の入り方で食べられる量は自ずと変わる。ミソをたっぷりトッピングして幸福感に沈んだ。

この他に地元産のアンコウをふんだんに使ったアンコウ鍋が登場。予算から考えても質量ともに想像以上。さすがだ。

翌朝は上品路線と決別し、駅前の朝市でガッツリ系の朝食。ウニ、いくら、カニ丼だ。このほかにハラス焼き、ボタンエビの刺身、イカ刺しを頼んで朝っぱらから生ビール。

呑みたい気分じゃなくても、そんなラインナップが目の前に運ばれれば、どう頑張っても肝臓の活動開始を止めることは出来ない。

なんとなく、ガッツリ系の魚介攻めをしないと函館っぽい感じがしない。それが私の習性だ。今回はガッツリ、ワシワシ食べたのはこの朝食だけ。それ以外は上品路線だった。これも加齢のせいだろうか。

結局、いつもと同様、食べてばかりの旅だった。雪のせいで歩き回れなかったせいで、しっかり体重が増えた。上品だろうとガッツリだろうと体重は関係ないようだ。

2010年1月6日水曜日

函館 梅乃寿司 

年末の某日。函館に行った。毎年2~3回は函館に行くせいで、旅行という感覚が薄れてきた。今回も1年ぶりに訪ねたつもりのお寿司屋さんで4か月前にも訪ねていたことを指摘された。言われるまで忘れていた。ボケ老人みたいだ。



今回の函館はこの時期にしては珍しく一面の雪景色。五稜郭も真っ白、湯の川温泉エリアの浜辺も雪で真っ白だった。元町の教会群の雪景色もそれなりに見ごたえがあった。

函館の良さは何といっても、こじんまりまとまっているという点だろう。日本全国、飛行場がその土地の中心地からやたら離れてしまった昨今、函館空港の便利さは特筆モノだ。

市街地まで空港から15~20分程度で行けるし、私が常宿にしている湯の川温泉エリアには空港から5分もあれば着いてしまう。

思い立ったら午後にふらっと羽田に行っても明るいうちに津軽海峡を眺めながら温泉に浸っていられる。実に便利。

札幌なんかは、ちっとも札幌とはいえない立地の空港に降りてから電車で長距離移動。おまけに空港もバカでかいからゲートによっては空港内の移動も大変。

函館の場合、空港も小さいし、帰京する際も定刻の30分前に空港に着いたら時間が余っちゃって仕方ないぐらいだ。限られた時間で満喫するには、こういうポイントは無視できない。

さて、今回の函館も魚介攻めが目的。第一の目的は「梅乃寿司」だ。今回は雪景色を堪能しながらウマいものをアレコレ食べた。


画像はイバラガニの内子とタコのタマゴの醤油漬け。珍味好きには涙チョチョ切れだ。タラバの内子よりもクリーミーなイバラガニの内子はあまり出回らない貴重品。ネットリと官能的に口の中で広がる。結婚したいぐらい大好きだ。

タコのタマゴも味付けが繊細で美味。尿酸値だとかコレステロールといった言葉はこういうものを目の前にするとついつい忘れる。

お酒のメニューに「山崎」があったので、この日も懲りずにハイボール。相変わらず昼間からグビグビ呑む。健康の証し。呑める時は元気な証拠だ。健康を実感するためにどんどん呑まないといけない。

毛ガニのミソあえ、子持ちハタハタの塩焼き、イカ刺し、貝類の刺身などをちょろちょろつまみながら幸せな時間を過ごす。

新鮮な魚介類をただ漫然と提供する店が多い函館にあって、この「梅乃寿司」の仕事は別格だ。素材をいじり過ぎることなく、逆に最高の素材を最高以上の水準に仕上げるように手間をかけている。

火を入れることで甘味が増すホッキ貝にしても、状況に応じてあぶり方の火加減を使い分ける。淡泊で当たり前な味になりがちなタラバの脚身には、少し切り身を入れてそこにズワイガニのミソをトッピングする。

この画像のタラコもひと味違う。寿司飯に合う塩加減を店主自ら考えて仕込んでいるそうだ。タラコの概念が吹き飛ぶ感じ。活字ではうまく説明できないのがもどかしい。普通に出回っているタラコとはまるで別物。


続いては鮭類の中で食味が最高級といわれるマスノスケの握りとウニの握り。サケやウニの概念が吹き飛ぶ感じ。ウニも冬の一時期しか獲れない昆布森産の逸品。

私もそこそこお寿司屋さんめぐりをしている。ここ7~8年で北海道だけでも30件以上は覗いてきたと思う。そのなかでもこちらの店は極上だと思う。

ブログという情報発信ツールはあくまで勝手気ままな主観だけだ。だから私は飲食店の悪口を書かないようにしている。こきおろしたい店があっても実名では書かない。

一方で誉める分には迷惑じゃないだろうから一生懸命書いている。でも正直、誉めるほどじゃない店もいくつもある。

その点、「梅乃寿司」は本音で誉めたくなるお店。函館エリアでは安くないが、東京中心部と比べれば決して高くない。お店の人の感じも良く、店内の清潔感なども含めて誰にでも勧められる。

ホメホメついでに言えば、今回乗ったタクシーの運転手さんにも言われた。「あの店は我々タクシーに対しても非常に丁寧ですよ」。

そんな評判の店が悪い店であるはずがない。

2010年1月5日火曜日

「Wii」にやられた

本年もよろしくお願いします!

年末は函館や山中湖にちょろっと出かけた。それ以外は基本的にノンビリしていたのだが、今年の正月は「Wii」にやられた。

酔っぱらって「ウィーッ」って叫んでいたわけではない。テレビにつないで遊ぶイマドキのゲーム機だ。

持っている人にとっては、何を今更的な話だろうが、私にとっては相当なカルチャーショックだ。

小学校2年生の娘が欲しがっていることは知っていたが、安々と買い与えるような親ではない。こう見えても厳格なつもりだ(誰も認めてくれないが・・・)。

そうはいっても「Wii」は大人も楽しめるらしい。フィットネス系のプログラムが結構豊富だと聞いていたので、私自身ちょっと興味を持っていた。

年末のある日、家族サービスのつもりで帝国ホテルまでランチを食べに行った。バイキング料理を前に子どもにアレコレうんちくを語りながらグビグビ飲んでいたウザッたい私だ。

すっかり上機嫌になったのがそもそもの失敗。帝国ホテルを後にしてフラフラと銀座を散歩。ホロ酔い気分のまま運悪く博品館でおもちゃ見物。

いろんな店が閉まったあとの夜に酔っている分には問題ないが、昼間からホロ酔い散歩をすると衝動買い太郎に変身してしまう。非常に厄介な問題だ(昼から酔わなければ済むのだが)。

この日も気持ちが大らかになって、ついつい「娘のために」という大義名分を持ち出し、「Wii」のコーナーで店員にアレコレ尋ねた。

結局は大人がフィットネス系にバリバリいそしむには何をどれだけ揃えれば良いのかという質問に終始した。そしてカモ状態の私は店員に言われるがままに色々と購入してしまった。

5万円近くが吹っ飛んだ。マジでびっくり。子どものオモチャだと思っていたのだが、あまりに高い。レジに立ちつくす私。やっぱりやめたとも言えず、一気に酔いは冷めた。いろいろ揃えすぎたらしい。

値段のことをブツクサ言われた娘はすっかりイジケモードだ。考えてみれば、ねだられたわけでもないのに私が勝手に買ったしまった。なぜか叱られている娘も確かに気の毒だ。でもやっぱり、おもちゃにしては高い。

この手のゲーム類は本来大嫌いなのだが、今回ばかりは一生懸命いじってみた。想像以上に高かったので元を取ろうと意地になっている。ちょっと情けない。

でも必死にいじったおかげで、イマドキのこの手の商品の凄さを思い知った。もはや「テレビゲーム」「おもちゃ」というカテゴリーじゃないのだろう。今頃実感した。やはり実際に買ってみないと世の中の旬は分からないのだと痛感した。

「Wii sports」というソフトと「Wii fit plus」というソフトをアレコレ試したが、正月の休み期間中ずーと筋肉痛だった。相当な運動効果がある。画像はわが家の居間でトレーニングに励むわが家の女房殿だ、いや、松嶋菜々子が宣伝しているCMの画像だ。

闇雲に走ったり歩いたりするより、よほど気が紛れる。夢中になって身体を動かしてしまう。中年こそ使うべきだろう。

ジョギングやサイクリングといったまともなメニューに飽きたら、スキーやテニス、ボクシングなどのゲームで遊べば汗だくでヘトヘトになる。ダイエットにも良さそうだ。

私の筋肉痛の原因は。ボクシングゲームだろう。臨場感たっぷりだ。相手をぶっ飛ばした時の快感に結構はまる。なによりも熱くなれる。

それにしても、イマドキの子どもにはこんな進化した“おもちゃ”があるのかと思うと複雑な気持ちだ。

インドア派の子どもなんて気色悪いと思っていたが、下手に外で遊ぶより、「Wii」で遊ぶ方がよっぽど運動能力がアップするかもしれない。なんか微妙だ。

「Wii」が親子のコミュニケーション作りにも最適とか言う人がいるようだが、わが家の場合ちょっと事情が違った。主導権争いをめぐって正月三が日、娘と随分ケンカになった。

穏やかな親子関係が崩壊の危機だ。だいたい、この手の機械を操るには子どもの方が飲み込みが早い。もたつく父親は尊敬されない。

野球やテニス、ボウリングといった対戦ゲームで連戦連敗の私。これまで維持してきた父親の権威も怪しくなってきた。

穏やかだった去年までの親子の日々が懐かしい。