2011年10月31日月曜日

邪道メシと上海ガニ

相変わらず顔なじみになった店では邪道な食事をしている。だんだんとデリカシーとか羞恥心が消滅してきているのだろうか。




画像は上から、ツナごはん、イクラごはん、焼きおにぎりだ。

高田馬場の鮨源でお願いしたものばかり。週に一度は作られる本マグロを使ったツナが大好物なので、これがある日は必ず握りで食べる。それ自体が邪道ではある。

いつもは軍艦にしてもらって、ツナを山盛りにしてもらうのだが、この日は小どんぶり風にトッピング。イクラも同じ。この季節限定の生イクラをワンサカ食べるのには、どんぶりスタイルが最適だ。

まあ、ここまでは、邪道といっても特別不自然でもないだろう。問題は焼きおにぎりかも知れない。

炭水カブラーである私は、いつの日か寿司飯をお櫃ごと抱えて倒れるまで食べたいという野望を持つ。筋金入りのゴハン好きだ。

お寿司屋さんで、あれこれつまんで、そこそこ満腹に近づいてきた時に何を食べるか。食べたい魚はたいてい食べたし、玉子焼きも漬物もいらないなあ・・・。そんな気分の時には「シャリだけください」と言いたくなる。

シャリだけでもウマいが、焼きおにぎりにしてもらうと、酢飯の味が引き立ってこれまたウマい。

醤油とかつお節と少しの白ごまなんかを混ぜてもらってから焼いてもらうのもグッとくる逸品だ。素晴らしいネタがいっぱい揃ってるのに失礼な話ではあるが、こればっかりは仕方がない。ウマいんだからしょうがない。

これみよがしに、不思議ちゃんみたいな食べ方をするのもヤボなので、一応、注文する際には、周りの人に聞かれないようにコッソリ頼んでいるつもりだ。

いや、そう思ってるのは自分だけかも知れない。たぶんダメだろう。いつも酔っぱらいなので、ガハハハと品性のカケラもなくオーダーして喜んでいるのだろう。反省。

話は変わる。

今の季節、やはり上海ガニをワシワシ食べないとダメだろう。別にダメではないか。一応、カニラバーを宣言している私としては上海ガニは秋が深まれば食べないとダメな食材だ。

そんなこんなで、都内某所にある高級中華料理店にいそいそ出かけた。

店の名を伏せたのは、ちょっとしたアクシデントに見舞われたから。といっても、きっと店のせいではなく、私自身の体調だ。

食事の途中で気分が悪くなって、後半はまったく食べられなくなってしまった。不思議な体験だ。




紹興酒漬けの上海ガニをチューチューすって悦楽の世界に入り、フカヒレの姿煮にノックアウトされ調子よく飲んでいたのだが、突然、気分が悪くなって、そこから先のご馳走がまったく食べられなくなってしまった。

上海ガニの蒸し身、小籠包、鮑の煮物、黒酢の酢豚、特製チャーハン。こんな天国の晩餐みたいなラインナップが目の前を素通りしていく。

自分の身体に何が起きたのか、キツネにつままれたことなど一度もないのだが、まさにそんな感じだった。

カニアレルギーに突然なったはずもなし、危なっかしいカニを出すような店でもないし、何かのリズムが急に狂ったのだろうか。

素知らぬ顔して何度かこっそり洗面に行って嘔吐小僧になった。

いろいろ疲れ気味ではあったが、そんなことで突然変調をきたすのもおかしい。もしかすると加齢がなせるワザなのだろうか。

いつまでも若者時代と同じ感覚で行動していると、ひょんな弾みで身体が黄色信号を出すのかもしれない。ウルトラマンのカラータイマーが点滅するような感じだ。

たまたまアクが強いカニがそんな感覚を誘発したのだろうか。思えば前の日も、アホほど飲んで半分気を失っていたから、きっと守護霊?が注意喚起したんだろう。

そういうことにしておく。

そうじゃないと上海ガニが楽しめなくなる。でも、次回、上海ガニにむしゃぶりつくのが少しだけ恐かったりする。ああ情けない。

そういいながら、この日、次の店にも行った。結局、ノリノリでハマショーなんかを熱唱して深夜の帰宅。いかがなもんだろう。

そんな経験をすると、あらためて体調管理に思いを至らす。ウマいものを食べたり、陽気に酔っぱらったり、激しく熱唱するにも健康は欠かせない。

もっと落ち着いた行動を心掛けよう。

今日の段階では真摯にそう思う。

2011年10月28日金曜日

銀座のこだわり

食事にもいろいろある。漫然と食べる生活の一部としての食事。これが大半だ。そのほかには、わざわざ大枚はたいてウマいものを食べに行く食事、仕事や友人関係の付き合いでの食事、デートでワクワクしながら雰囲気も重視した食事、酒を飲むための食事、等々、パターンは数え切れない。

酔っぱらって満腹中枢が麻痺して食べる食事というパターンもある。飲みすぎて吐きまくって空腹になったから食べる食事なんていうのもある。

楽しみをともなう外食というジャンルでは、やはり食べる場所も重要な要素だろう。高級なイタリアンを池袋で食べたいと思わないし、上等なフレンチを池袋で食べたいとは思わない。池袋好きな人、スイマセン。

そんな池袋だって、日本語が通じないほどディープな中国郷土料理の店になら行く気になる。新大久保で寿司を食おうとは思わないけど、韓国料理なら食べに行く。

街の雰囲気は外食する側の心理に多分に影響する。

で、そう考えると「ハレの外食」の総本山は銀座だろう。この街の場合、料理のジャンルに関わりなく、「銀座で店を開いている」ことが一種のステータスになりえるのも事実だ。

実際、銀座の中心地であれば、ダメな店はすぐに淘汰される。ちゃんと成り立っている店であれば然るべき店だと判断できてしまう。

料理のジャンルを問わず、一流店と言われる店が銀座に集結している。フレンチだ懐石だと言った高級なジャンルだけでなく、焼鳥とかおでんとか、その種の日本のファーストフード系も然り。その道の名店と呼ばれる店はたいてい銀座に存在する。

喫茶店やショットバーも、銀座では一種独特な存在感を持つ店が多い。たかが喫茶店、されど喫茶店なんだろう。

そういう店の存在と矜持、それを支える客の侠気にも似たこだわりが面白い。

文化なんてものはこだわりがなければ生まれるはずもない。セントラルキッチンで管理された料理をブロイラーのように食べさせるイマドキのお手軽チェーン店では醸し出せない雰囲気があの街全体に残っている。それが文化につながっている。

ひとつの象徴が7丁目の「ライオン」だろう。端的に言えばビアホールだ。とはいえ、タダモノではないのは知る人ぞ知る存在。


決してオシャレでもないし、出てくる料理が最高の品質というわけでもない。それでも銀座7丁目というあの場所で、妙な風格のなか連日繁盛している。

築80年近くの大ホールの風情はまさに昭和のノスタルジーだし、生ビール注ぎの達人がいたり、なんだかんだとコダワリがつまっている。

さすがに生ビールはアホみたいにウマい。夏場は早い時間から入店待ちの列が出来るのも納得だ。


昭和っぽい感じ、ビアホールならではの料理。この2点を強く意識したメニュー構成も楽しい。画像はいにしえのナポリタンだ。たまに食べると悶絶する。

決して高い店ではないが、銀座という場所の特殊な感じを実感するには最適な場所だろう。あの街でありふれた店に入るのなら、こういう存在感の店でフガフガ飲む方が良いと思う。

話は変わる。

銀座っぽい食事と言って思い浮かぶのは何だろう。人によっては寿司だったり、フレンチだったりさまざまだろうが、私が漠然とイメージするのは、いわゆる「ニッポンの洋食」だ。シチューとかオムライスとか、その手の料理だ。


画像は「南蛮銀圓亭」のカニクリームコロッケ。「洋食」というジャンルのこの手の料理は私の大好物だ。タンシチュー、ハヤシライス、グラタン等々。許されるなら毎日、そんなものばかりで生きていたい。

でも、太っちゃってしょうがないから、こういう料理は自分の中で、何か特別な機会、特別な気分の時に食べるようにしている。

この日、オードブルをいくつも取って、シャンパンをグビグビ、オーナーらしき老婦人の妙なリズムのサービスも和む。ゆったりした店の造りも心地よい。

タンシチューも素直にウマい。ディナーのメニューからは除外されているオムライスも頼めばさっと作ってくれた。

隣では、某元首相夫人が友人らしき人達と楽しげに団らん。こんな客層の不思議な感じも銀座らしさと言えるのかも知れない。

安くはないけど、場所と雰囲気と食べたモノの質を考えれば納得する。この尺度が「銀座での尺度」だろう。私の場合も、あの街では常にその尺度で解釈するようにしている。

たかだかモヒート2杯で5千円もふんだくるバーにも懲りずに行っちゃうし、コーヒー一杯で平気で千円以上取られても笑っていられる。池袋だったら殺意を覚えるが、舞台装置うんぬんを考えたら、あの街の店に落とす単価はそういうことになる。

まあ、夜のクラブ活動の値段自体がもともと意味不明ではある。面白いものでアレはアレで、どんぶり勘定的なお勘定ではなく、一応、明細があることはある。いろいろと細かいチャージに分類されており、ボーイチャージなる科目もある。

黒服さんに愛想良くされたり、トイレの空きを確認してもらう作業もボーイチャージの一環だ!?。まあ、そういう無粋な話をしても仕方がない。そちら方面のシステムにあまり詳しくなるのも夢がないから、アホヅラしてボーっと飲むことにしている。

話がそれた。食事の話だった。おでん、焼鳥といったファーストフード系も銀座には名店が多い。


私が好きな「おぐ羅」も銀座ならではの店だろう。銀座以外では成り立たない店という言い方も出来る。客席が丸椅子の店としては客単価は相当高い。

それでも、今の季節は予約しないと入れないのが普通だ。日本酒も焼酎も種類はなく、奇をてらった料理があるわけではない。それでも、錫のやかんで燗付けをする日本酒は抜群にウマいし、料理も間違いない水準。

六本木や麻布方面の空気とは違う「銀座の濃い空気」に満ちている独特な空間は、はまる人にははまる。

この冬もまた、予約しないで訪ねていって何度も玉砕するんだろうと思う。


最後の画像は、おぐ羅の「だし茶漬け」。四の五の言わずに無言でかっ込む逸品だ。死ぬ直前に何か喰いたいかと聞かれたら、これを選ぶかも知れない。

2011年10月26日水曜日

冬がやってくる

「秋の日はつるべ落とし」。

あっという間に日が暮れる夕暮れの短さを表わす言葉だ。秋の一日というより、秋そのものがあっという間に終わっちゃうような印象がある。

夏とか冬は、いつまでも夏や冬のままのイメージがある。春と秋はさっさと終わってしまう感覚だ。不思議だ。

イヤなことばかり記憶に残り、良いことは忘れてしまう身勝手な習性がそんな感覚につながるのだろうか。

秋がもうすぐ終わってしまう。寒い気配がひたひたと忍び寄ってきている感じだ。恐い恐い。

それよりも、今年一年が、もう12分の10も済んでしまったことに愕然とする。ついこの間、紅白を見ながらしみじみしていたはずなのに不思議だ。

年齢とともに時間の経過を早く感じるのは脳の造りに原因があるらしい。この感じだと、間違いなく、死ぬ時には「人生なんて一瞬だったね」とか言いそうな気がする。

話がそれた。冬がやってくる話だ。

冬の到来には寒さのせいで「恐い」イメージがある。だいたい「冬将軍」という言葉があるぐらいだ。他の季節にそんな大袈裟な言い回しは無い。

軍曹とか大佐でも恐そうなのに、よりによって将軍だ。問答無用でやられちゃいそうだ。顔を想像するだけで冷酷そうな表情が浮かぶ。

というわけで、将軍を相手に何とか渡り合うために、今年もコートを仕立屋さんに注文してみた。

話に脈略がなくてスイマセン。

昨年、カシミア生地では普通は作らないトレンチコートをオーダーしたのだが、それに味をしめて、もう1着作ることにした。

正確に言うと、昨年作ったコートが気に入ったので、そればかり着ると傷むから、予備の役割でもう1着作ることにした。どうもお金がかかって仕方がない。

昨年は黒に近いチャコールグレーの生地だったが、今回はこげ茶にしてみた。チェスターにしようと思っていたのだが、襟を立てたくなるので、アルスターコートにした。

昨年同様、しっかりとロング丈だ。膝下20センチぐらいだろうか。今時のコートはみんな寸足らずみたいな長さでお尻が寒そうだから、あえてアマノジャッキーに徹してみる。階段で突っかかりそうになる程度の長さだ。

せっかくのオーダーだから裏地を遊んでみようと、金色とオレンジが混ざったような変なテカッった素材にしてみた。「派手ですよ・・・」という仕立屋さんの囁きは聞かなかったことにする。11月末には出来てくるだろう。

さてさて、寒い季節といえば、いつの間にか、冷え性になってしまったことが私にとってトピックのひとつだ。妙に冷えやすくなった。

若い頃はいつでも身体がポカポカしていた。それこそ冬といえばベッドで女性から足先を押しつけられたような記憶?があるが、最近は逆だったりする・・・。

厚手の靴下やスリッパも昔は縁がなかったが、最近は必需品だ。寒さが厳しくなるころには肌着も完璧なオッサン仕様を選ぶようになった。

長袖の肌着なんて自分の人生にはあり得ないと思っていたのだが、変われば変わるものだ。一度、自分の美意識というか、伊達っぷりを緩めると、とことん坂を転げ落ちるようになる。

今年あたり、キチンと仕切り直してみようか。

気取ったり、突っ張ったり、やせ我慢してこそ、男の様相は磨かれる。こればかりは年齢に関係なく、男である以上、心掛けたい姿勢だ。

アンチエイジングという言葉が昔から嫌いだ。妙に若作りして自ら広告とかに嬉しそうに登場する美容業界なんかの経営者の姿を見ると痛い感じがして目を背けたくなる。

アンチではなく、ウィズエイジングという考え方があるそうだが、それで充分だろう。私の髪も白髪が増殖中だが、キリがないから放っておく。アゴ髭なんか真っ白に近づいているが、それはそれで良いと勝手に思っている。

下半身方面で残念ながらチラホラ発見される白い毛は、面倒だが、さすがに退治している。そっちだけは「アンチエイジング頑張る」って感じで現役生活を続けなければいけない。しょうもない話でスイマセン。

今日のタイトルではないが、現時点の年齢を人生における実りの秋と捉えるか、後半戦、すなわり冬枯れと捉えるか、考え方ひとつで随分と変わってくる。

「冬がすぐそこ」、「秋はまだまだこれから」。同じ時間の在りようを語っても随分と印象は変わる。後者のほうがいい。

実りの秋をだらだらと続けたほうが楽しいに決まってるから、そうすることにする。

今日は、冬が近づいたから珍味の話を書くつもりだった。アンキモや白子が出回り始めて尿酸値が心配だという話でまとめようと思ったが、すっかり話の方向性がズレてしまった。

ボケちゃったんだろうか。

2011年10月24日月曜日

京都で満腹

食事の時間は京都旅行において重要な要素だろう。日本料理の本場のような場所で、ファミレスや居酒屋だけで終わらせては切ない。

かといって、天下一品とか餃子の王将とか、関西発祥のファーストフードばかりに頼るのもオトナとしては寂しい。

そうはいいながら、今回の旅では、「夜の真っ当な食事」のために、あえて昼飯はジャンク系にした。

本当は鯖寿司とか、にしんそば、うどん、湯豆腐あたりの京都っぽい軽めのランチにしたかったのだが、昼時にそんな感じだと夜は和食以外が欲しくなりそうだったので、意識してガッツリランチにした。


この写真は「虎杖(いたどり)」という店で食べた「豚しゃぶカレー担々麺」だ。鶏のセセリ焼きをつまみ生ビールをグビグビ飲んでいるところに運ばれてきた。

これ以外に「小海老カレーつけ麺」にも手を出してみた。ジャンク極まる味だ。午前中から生ビールをオカワリした。そんな感じの味。

別な日のランチは銀閣寺近くの天下一品ラーメンで餃子に生ビールにあのクドいラーメンを頬ばった。

和食ディナーのために、あえてジャンクランチに挑むという涙ぐましい、というか、バカみたいなマネージメント?によって、夜は夜でしっかり京都っぽさを堪能できた。




錦市場からほど近い四条通を少し入ったところに佇む人気料理店が「じき 宮ざわ」。ハモと松茸の吸い物の下の画像は、この店の名物である焼き胡麻豆腐。

クリーミーで甘味が強くて、熱くてデロデロと少しクドい感じ。なかなか官能的な味だった。

この店は大将はじめキビキビ働く板前さん達が皆若く、人気店としての勢いを感じる。料理自体はびっくりするほどの水準ではないが、キチンと丁寧に仕上げられている。

「?」と思う部分もあったが、価格帯からすれば納得できる店。徹底して客に食事を楽しんでもらおうという姿勢はエラいと思う。

徳利やぐい呑みも酒を変えるたびに選ばせてくれたし、器自体も趣味の良いものを揃えていた。

締めのご飯がこの店の特徴だろう。漫然と高コストの食材に頼るわけではなく、ベーシックな素材に演出を加えて楽しませる。

言ってしまえば、白米を単純に土鍋で炊いただけの話。季節の食材をふんだんに使った炊き込みご飯とかに比べれば地味すぎる一品ではある。それをほんの少しづつ3回に分けて供する演出のせいで実に楽しい気分になる。


米の炊けた具合を時間差によって楽しませる趣向だ。最初は汁っぽさや芯が少し残ったぐらいの状態、続いて、もう一段階締まってきた感じの状態で、そして最後に普通の炊きたて土鍋ご飯といった流れ。

食べ放題の自家製の漬物がアシストするので、「タンスイカブラー系コメラバー」である私などは、ワシワシと何度もオカワリをした。

若手職人が頑張るカウンター割烹を堪能したから、翌日は違う路線を攻めようと、もう少し規模の大きな老舗の料理屋さんに出かけた。

訪れたのは祇園にある「割烹なか川」。はもしゃぶ発祥の店だとか。はもは梅雨時が旬の高級魚というイメージだが、脂が乗ってくる秋が一番ウマいという話も良く聞く。

東京でうなるほどウマいはもを食べた経験がないので、専門店でその正体を吟味してやろうといそいそ出かけた。



はもしゃぶが来る前の料理も、さすがに高水準。カレイの薄造りはフグと見まがうかのような透き通る感じが色っぽかった。旨味もたっぷり。シャーベット状に冷やした吟醸酒がグビグビ進む。

ぐじ(甘鯛)と鰻と京野菜が同居した一品も旨味たっぷりで素直にウマかった。それ以外にも落ち鮎の煮物なんかを肴にグビグビ。個室でしっぽり、というか、ご機嫌になって酔っぱらってはしゃぐ。



メインのはもしゃぶは、それこそ初体験の味だった。キチンと骨切りされた切り身を仲居さんが鍋に投入。一瞬で丸まる。ほんの5~10秒程度しゃぶしゃぶしたら食べ頃。

優しい味のポン酢につけて温かいまま味わうか、鍋から引上げた直後に氷でシメて梅だれで味わう。

温かいままポン酢で食べるパターンは、京都の専門店ならではだろう。そればっかり頬ばる。

正直なところ、はもといえば「夏だから仕方なく食べるもの」と認識していた。おせち料理とか七草がゆのように、ウマいマズいではなく、縁起物に近いぐらいのイメージだったが、本場モノのせいで考えを改めた。昔から高級魚として珍重されてきた意味が少し分かった。

ついでにもう一軒、夜を過ごした店の話。


数々の小説にも登場し、文豪も通ったという料理屋さん「瓢正」。ここでは一人ふらっとカウンターでおまかせ料理を楽しんだ。名物の笹巻ずしは、最後の締めに3つ出てくると聞いたので、それ以外は完全におまかせ。

熱燗を頼んだ際、出されたお猪口がしっかり温めてあった。燗酒を冷まさない配慮だ。こういう風雅な気配りに遭遇すると、アホな江戸っ子としては「京都はさすがだ」とイチコロになる。


料理はしっかりした味付けで酒の相手としては申し分ない。鴨肉に添えられた八幡巻きのごぼうが物凄く柔らかく仕上がっていたり、細かい部分にプロの料理人の丁寧な仕事が見えた。

他の席の客が帰った後は、風情のあるカウンターで一人しっぽり。話し相手も居ないから、必然的に「寡黙な男」になってみる。

こういう時間が人生には大事だ。実にまったりと落ち着く。酩酊する。


名物の笹巻ずしがやってきた頃には、「寡黙な酔っぱらい」の出来上がりだ。残さず食べたが、正直、どんな味だったか思い出せない。少し情けない。多分相当美味しかったと思う。

今日は、結局、旅行中の食事記録に終始してしまった。スイマセン・・・。

でも、個人的には、いつかこの先、これを読み返した際に、旅路での行動をキッチリ思い出して懐かしく、嬉しくなるはずだ。楽しかった時間を閉じこめたような感じとでも言おうか。旅の楽しさって、ある意味、計画している時と、思い返している時がハイライトなのかもしれない。

そんなこんなで、いっぱい歩いたり、カロリー消費は結構激しかったはずなのに、旅行を終えたら体重が増えていた。代謝機能が枯れ果てているのだろうか。

2011年10月21日金曜日

オトナの眼

朽ち果てそうなオッサンにときめく「枯れ専(カレセン)」なる女性が存在するらしい。良い心掛けだと思う。

やはり男には歴史が必要だ。春や夏よりも秋のほうが実り多いのと同じで、熟女ならぬ熟男(じゅくお)こそが正しい男の姿を表わしている。

ちょっと力んでしまった。

いきなりくだらないことを書き始めたが、先週、日本を代表する枯れた場所に行ってきた。京都だ。あの街は観光業界における「カレセン」みたいな存在だ。


そこら辺にある無名の神社仏閣が平気で千年単位の歴史を持つ。江戸時代の建立などと聞くと、「なーんだ、新しいじゃん」と素通りしたくなるほど街中が枯れ?まくっている。

世界遺産もゴロゴロしているし、あえて言うなら街全体に歴史を背景にした妖気すら漂っているように感じる。

風流で文化的という意味での枯れた感じ、ポジティブな意味での枯れた感じは、他の都市を凌駕する。大人こそ修学旅行的な時間を過ごすべき場所だ。

今回は少しだけ仕事の用事を片付け、残りの時間は気ままな旅を楽しめた。ゆっくり歩き回ったのは何年ぶりだろう。確か40代になってからは初めてだったと思う。

今の年齢であの街をふらつくと、何が見えて、何を感じるのだろう。ちょっと大袈裟だが、そんな興味をもって出かけてみた。

実際に、ウロウロしてみて感じたのは、やはり自分の眼が向く対象が昔とは随分違ってきたということ。

壮麗な清水寺の威容とか、きらびやかな金閣とかではなく、大規模な寺の周囲に点在する塔頭の庭だったり、竹林のざわめきや苔の色合いなどに魅せられた。


ちょっと風流人を気取っているみたいで、小っ恥ずかしいが、本当にそういう風に感性が変わってきたのだから仕方ない。

若い時には京都っぽさをわざとらしく演出した店や施設なんかに有り難さを感じたが、この歳になると、わざとらしい感じが鼻についてしょうがない。

世界中の観光客、日本中の修学旅行生を相手にする土地柄、そういう演出も必要だろうから、あまり辛口なことは言えない。実際に意図的な京都っぽさの演出なしに観光客があれほどまでに集まるはずもない。

私自身も何だかんだ言って先斗町の細い道にひしめくそれっぽい店を眺めながら散策するとウキウキする。要は演出するなら、なるべくさりげなく演出して欲しいという話ではある。

クドクドと書いてしまった。


この写真は、若王子神社側の哲学の道でのヒトコマ。週末だったので、二年坂、三年坂あたりは人混みも凄いだろうと思って、こっちを散策。正解だった。

ちっとも哲学的なことは頭をよぎらなかったが、草の香り、水辺のきらめきを楽しみながら、ほのぼのとした気分で歩いた。

10月の青空の下、こんな道に佇めば、ささくれだった心も丸くなる。嬉しいひと時だった。

行ってみたかった場所が東福寺。京都駅に近い割には今まで未体験だったのだが、以前テレビドラマで東福寺の通天橋が印象的に使われているシーンがあり、一度この橋廊を歩いてみたかった。

http://www.tofukuji.jp/keidai/tuten.html

この橋から眺める紅葉は京都を代表する景色のひとつなのだが、紅葉シーズンには早く、夕方に近い時間帯だったので、訪れる人も少ない。実に気持ちの良い時間が過ごせた。

通天橋を堪能し、枯山水の方丈庭園を眺めながら和んだ時間を過ごし、周辺にある塔頭のひとつにも足を運んだ。雪舟が造った庭が自慢のその小寺では、他に観光客がいなかった。独占状態。

夕方の風が竹林を揺らす音、鳥の声、秋の虫の音色。聞こえてくるのはそれだけ。庭を眺めながらタイムスリップしたかのような時間を過ごす。

そのまま暗闇に包まれれば、かぐや姫を連れ去った月の使者が現れそうな雰囲気だった。

どうせなら本当に連れ去られてしまいたいような衝動に駆られた。ああいうのを、たおやかな時間とでも表現するのだろうか。今年一番心がやすらいだ瞬間だったと思う。

詩仙堂、曼殊院、その他には平安神宮の神苑など今回は庭ばかり見て歩いた。そういう気分だったんだろう。

行き当たりばったりの散歩にも励んだ。出町柳商店街で名物の豆餅を買ったり、近くの御所や同志社周辺の住宅街を散策したりした。

夕暮れ時の街の雰囲気は観光地を見ているだけでは分からない趣がある。商店街の肉屋で買った唐揚げを頬ばったりしながらぶらついてみた。

だから、毎日余裕で1万歩以上歩いていたのに体重が増加するハメになった。代謝機能に問題があるのだろうか。

そういえば、旅の楽しみである食事について書くのを忘れていた。次回も京都ネタで引っ張ることにする。

2011年10月19日水曜日

ラブレター

ラブレターについて考えてみたくなった。実に唐突だが、先週見に行ったフェルメール展に刺激されて、ついそんなことを思いついた。

先週後半は京都にいたのだが、そこで見たフェルメール展は、何よりもタイトルが秀逸だった。


「フェルメールからのラブレター展」である。もちろん、17世紀オランダの伝説的画家が書いた手紙を展示しているわけではない。手紙を書いている女性、読んでいる女性など作品の主題におかれた「手紙」というキーワードに起因する命名だ。

ただ「フェルメール展」と表示されるよりも色気がある。想像力を働かせる効果もある。事実、絵が描かれた時代に手紙が果たした役割や意味を考えさせられた。

当時、世界を股にかけていたオランダの船乗りにとって、手紙はかけがえのないものであり、気が遠くなるほどの時間を経なければ相手に届かないシロモノだった。

アジア方面に出した手紙が届くのが1年後、それに返事を書いてもらっても、届くまでやはり1年。結局、2年もの歳月が一往復に必要となったそうだ。

電子メール全盛の今、その時代の人々が味わったであろう、枯渇した感じや焦燥感、寂寥感、はたまた身が焦げるような感じは想像もつかない。たとえ味わえたとしても、そんな感情に耐えることは出来ないような気がする。

フェルメールの絵画自体の素晴らしさ、光と陰の卓越した表現もじっくり堪能したつもりだったが、見終わって思い返すと、絵画よりも時代背景と手紙の意味ばかりが印象に残ってしまった。

作品の中に描かれた人々が実際にどんな思いで手紙に向き合っていたのか、一体どれほどの切なさで一通の手紙を読みふけったのだろうか。そんなことばかり頭に浮かんだ。


平和な時代にノホホンと生きていることがつくづく有難い。いつ届くか、本当に届くのか分からない状況のなかで、隠した一通の手紙にすべてを託す極限状態を経験せずに済む時代に生まれたことを幸運だと思う。

手紙が人の思いを運ぶ限られた手段だったからこそ、手紙をめぐる悲しい話は切なくて仕方がない。

シベリアに抑留された人々が、越冬のために日本方面に飛ぶ鶴の足にこっそり手紙を巻き付けていたという話を聞いたことがある。

どんな思いだっただろう。普通に考えれば、そんなものが届くはずはない。それでもすべての思いを鶴の羽に託した気持ちを想像すると胸が痛くなる。

ちなみに手紙をつけた鶴が日本にちゃんと飛来した話もあるそうだ。しみじみ泣ける。

さてさて、私自身、最後に手紙を書いたのはいつだろう。改めて考えてみると、今年は一通も書いていない。それで済んでしまうお気軽な生き方を反省したくなる。

恋文ともなると、それこそ最後に書いた年代すら覚えていない。一応、電子メールという文明の利器によって大切な人に気持ちを伝えることはあるが、ちゃんと手紙を書く機会は無くなってしまった。

たいていの人がメールで簡単に要件を伝えられる世の中だ。一文字ずつ気持ちを綴る作業と、キーボードなり携帯画面を叩く作業とはやはりイメージが異なる。

もちろん、闇雲にアナログこそエラい、デジタルは安直でイカンと決めつけるのも時代にそぐわない。電子メールでも充分に胸を打つ内容を表現することは可能だし、実際にそんな内容のメールをもらえば、当然、消去などできずに大事に保管したりする。

いい歳した大人の男が絵文字とかデコメに凝るのは気持ち悪いので、私は一切、その手の機能は使わない。そうはいっても、こちらが受け取るメールは、いまやそうした飾り文字で大賑わいだ。あれはあれで面白い。不思議なもので、送り手の人柄や雰囲気をしっかり反映している。

そう考えると、心がこもっていないとか、味気ないとか、機械的で冷たいといった決まりきったメール批判自体が、既に時代遅れなのかも知れない。

実際に、あの大震災直後にもらったメールからは、しっかりと緊迫感が漂っているし、怒らせた時のメールは、どことなく読み返したくない雰囲気が滲み出ている。

歯が浮くような内容を書いてもらえば歯も浮くし、機械文字がベースとはいえ、状況や場面によって気持ちを通じ合わせる役割をしっかりと果たしている。

まあ、これほどまでに社会に浸透した以上、電子メールは、手紙とは別個の位置付けで人々の思いを運ぶ道具としてより重要なインフラになっていくのだろう。

さてさて、とっちらかった話をまとめに入ろう。

人生で5万通ぐらいラブレターをもらってきた私だ。少しは気の利いた考察をしてみたい。

ラブレターというか、恋文的メールを間違って違う相手に送ってしまった経験がある。誤送信だ。あの時の恥ずかしさは人生でもトップ3に数えられるぐらい強烈だった。

本来送るべき相手にも送り直したが、不思議なもので、誤送信した時点で、そこに書いた内容が二人だけの共有事ではなくなってしまった残念な感覚があった。

ラブレター、恋文の肝は、結局この「恥ずかしさ」と「秘めごと共有感覚」に尽きる。

関係ない人に見られてしまった時の恥ずかしさはもちろん、当事者同士だろうと、昔書いた恋文を突きつけられたりしたら死ぬほど恥ずかしいはずだ。

色恋沙汰とは、突き詰めれば「恥のさらし合い」そのものなんだろう。お互いを知り合っていく作業自体、恥ずかしいことの積み重ねだ。だからそれを言葉で表現する恋文は、恥ずかしさの集大成だ。

進んで恥をかける心理状態が、いわば熱にうなされている証拠だ。そして、気持ちを文字で残すということ自体が、安易な気持ちではないという覚悟にも似た感情を示す行為だ。

恥を隠さない、恥をいとわない。意識しているか否かに関係なく、恋文、ラブレターの意義は、そうした人間の素直な心を表現する点にあるのだろう。

ラブレターや恋文をめぐる逸話は、文豪とか国家の指導者とか、意外にも老境に達した人にまつわるものが多い。成熟した人間だからこそ表現できる情熱があるのだろう。

私の人生後半戦の目標は、年甲斐もない行動で人様から後ろ指を指される年寄りになることだ。恋文ぐらい毎日のようにスラスラ書けないとそんなジイさんにはなれそうもない。

精進してみようか。

2011年10月17日月曜日

ラブラブ活動と景気

縁は異なもの、と言われるが、考えれば考えるほど人の縁は不思議だ。地球上には60億だか70億の人間が暮らしている。そのなかで知り合うこと自体が確率論的にかなり珍しいことだ。

知り合って、言葉を交わす、ましてや親しくなる、恋仲になるなんて奇跡以外にその偶然性を説明する言葉がない。

不思議とよく出会う人がいる。あれもナゾだ。以前、新幹線に乗るたびに「久本雅美」と同じ車両に乗り合わせたことがある。ほんの2ヶ月ぐらいの間で3回も遭遇した。

なんかの因縁があるのだろうか。

自宅の前でやたらとすれ違うオバサンがいる。ありえないほどの頻度で出会う。会釈する関係になったほどだ。どういう因縁があるのだろう。

銀座の路上でしょっちゅう出会うホステスさんもいる。いつも路上でバッタリ。狭い世界とはいえ、あれだけの規模の街だ。人出も多い。頻繁に遭遇するのは不思議だ。そんなに私が規則正しくあの街をほっつき歩いているのだろうか。ナゾだ。

変な場所で予期せぬ知り合いと遭遇することほど慌てることはない。

高校生の頃、女子高生と一緒に夕闇に包まれ始めた代々木公園にいた。学校とはまったく関係ない場所で距離も相当離れている。そこで、なぜか恐い先輩に遭遇した。

先輩は出歯亀趣味でもあったのだろうか、一人で威張って歩いていた。こっちは女の子と一緒だ。物凄く恐い顔で睨まれた。

翌日、学校で私は先輩を訪ねた。なぜだか分かんないけど謝った。それまで口を聞いたことの無かった先輩は意外に優しく応対してくれた。それを機会に親しくなったから「縁は異なもの」である。

同じく高校生の頃、渋谷にあったレンタルルーム(懐かしい響きだ・・・)で別の先輩と鉢合わせした。後ろから蹴っ飛ばされて気付いた。ああいう場所で知り合いに会うのはさすがに恥ずかしい。

大人になってから、というか、そんなに古い話ではないのだが、ある時、仕事関係の知人と変な場所で遭遇した。

その人とは20年来の付き合い。もう70歳を超えている人だが、いろいろとお盛んな御仁だ。都内某所の某シティーホテルのエレベーターの中でバッタリ遭遇。

平日の夕方だ。それぞれが押した行先階のボタンは客室しかないフロアだ。パーティーだ、食事に行くんだなどという言い訳が通用しない。それぞれ同行者がいる。慌てた。ほんの3秒ぐらいの間で脳みそはフル回転する。

「挨拶すべきか、知らん顔すべきか」

「相手の連れは奥さんじゃないぞ、誰だ?」、

「他人の空似か、向こうはこっちに気付いているのか」・・・・・。

年長だし、お世話になってる知人だ。さすがにチラッと挨拶してみた。気付かないフリをされたが、相手の連れがその人を突っついて、私との挨拶を促す。

「こりゃ、どうも」。実に下手な演技で彼は私に会釈した。顔が赤い。どうも相手は先に私の存在に気付いていたのに無視を決め込んでいたらしい。

お互い不自然極まりないギクシャクした顔を作って別れた。かなり焦った。

その後、時を置かずにその知人から酒席に誘われた。とんだ奇遇にお互い慌てた話題で盛り上がり、ついでにその知人が「悪だくみ」に使っている都内のシティーホテル事情の講釈を受けた。

エッチ、いや叡智の限りをつくして頑張ってるみたいだ。70歳を超えてもバリバリらしい。ご立派だ。

ちなみに私と偶然出会った「会場」は「格下」と落ち合う際の定番なんだとか。おそるべし。

「格上のお相手とはどこで?」という私の問に対する彼の答えは「船の中だよ」とのこと。

尊敬することにした。

世の中の大人が全員、家庭外恋愛に励めば、景気なんてあっという間に上向くという話を何かの本で読んだ。ヨタ話の本ではなく、かなりお堅い経済関係の本に載っていた理論だ。

70歳を超えても血気盛んな知人の行動を聞くに連れ、本に書いてあった理論は実に正しいと痛感した。

民主党や自民党や財務省や経済産業省がどんなに知恵を絞るより、日本中の大人が家庭を顧みないラブラブ活動に励めば確かにバブル時代並みの活気が出るはずだ。

ということで、私も日本経済のために頑張らねばいけない。国家の繁栄のために日々一生懸命行動することにする。

2011年10月14日金曜日

ヌルい感じ

世の中、多くの分野で「マイルド化」が進んでいる。タバコやアルコール、はたまた人付き合いに至るまで、ほどほど感が重視されている感じだ。草食系男子なんていう情けない話も一例だ。

ショートホープとかハイライトを吸っている人はすっかり貴重な存在だし、アルコールだって、ハードリカー一辺倒という人は絶滅危惧種だ。若者の間では酒そのものを敬遠する風潮すらある。

クルマも同じ。国産車なんてミニバンみたいなファミリーカーばかりで、戦闘的なスポーツカーなんて滅多に見なくなった。

暴走族も予算がないから、原付バイクで走り回ることが珍しくないらしい。なんだかなあって感じだ。

キツい、ハードという感覚より、ソフトとかマイルドが好まれる世相だ。マイルドといえば、聞こえはいいが、一歩間違えれば、ヌルいとかユルいとか、そんなネガティブなイメージにつながる。

唐突だが、ソフトSMとかいう表現も気に入らない。「SだかMだかはっきりしろっ!」って言いたくなる。

SM方面に限った話ではない。自信がないとか、中途半端な感じを誤魔化す目的で「ソフト」という表現が都合良く使われている気がする。

マイルド、ソフト、すなわちヌルいとかユルい雰囲気が蔓延しているのは昨今の政治状況も同じだろう。

ドジョウとか言いながら謙虚な姿勢で信頼感を演出しようとしている野田首相。結局は凍結を決めた埼玉・朝霞の公務員宿舎問題について、わずか10分の視察で「腹を固めた」茶番にも呆れた。お粗末なヌルいパフォーマンスは、国民を愚弄する行為だと思う。

首相の先輩である鳩山、菅両氏は、沖縄の基地問題や自らの進退について、思いつきや場当たり的なヌルい言動で国民の信頼を失った。どうも政権交代を機に政治のマイルド化に拍車がかかっているように思えてならない。

懐古趣味みたいだが、その昔の総理大臣が醸しだしていた重みが懐かしい。田中角栄、福田赳夫、大平正芳、三木武夫・・・。虚像か実像かは知らないが、「正しい雰囲気」をちゃんと持っていたことは確かだ。

たとえ虚像だったとしても、立場に見合う雰囲気作りを怠っていなかったことは間違いない。虚像だろうが、適切なイメージ作りは大事だと思う。

野田さんのあの低姿勢ってどうなんだろう。人間として謙虚であることは大事だが、そこらへんのオッサンではなく、日本国内閣総理大臣だ。あのマイルドでヌルい感じでいいのか不安になる。

「正しい雰囲気」では決してないと思う。然るべきポジションにいる人は然るべき雰囲気を周囲に感じさせる必要があるはずだが、違うだろうか。

政治の世界だけの話ではない。民間の中小企業だろうと、トップがみすぼらしく威厳のカケラもなければ、社員は不安になる。

ただペコペコしてるだけのトップなら生き馬の目を抜く社会の中でいずれ立ち行かなくなるのは当然だ。

ヤクザがヤクザっぽい見た目でいることも、美人が美人としてのオーラを振りまくことも「正しい雰囲気」であり、そういう積み重ねが結局世の中を形作っている。


野田首相のマイルドでヌルい感じが意図的な戦略で演出されているのならともかく、ただ単に素の状態であるなら気持ち悪い。不自然、不必要な謙虚さは幼稚さの裏返しに過ぎない。

2011年10月12日水曜日

誕生日とシャンパン


先週、誕生日だったせいで、何かと有難い思いをした。ありがとうございました。

中年のオッサンになると、ハッピーバースデイ!などと大声で歌われたり、耳元で囁かれたりすると小っ恥ずかしくてしょうがない。

ボケッと生きていれば、放っておいても誕生日は来るわけだから、ことさらお祝いとか言われても照れくさい。

と、思っていたのだが、今年は自分の感覚が少し変わった。「放っておいても誕生日が来る」こと自体が喜ばしいことだ。万事順調じゃなければ、小っ恥ずかしい思いすら感じることは出来ない。

事故で死んじゃった人、大災害に見舞われた人、それ以外にも難題や厄介事に見舞われていたら誕生日どころではない。そう考えると、あちらこちらで祝ってもらえることは非常に有難い。

順調に節目を迎えると、自分がなんとか日々を凌げていることを確認できる。それだけで充分意味がある。やっぱりめでたいことなんだろう。

「いい歳して、誕生日なんてどうでもいい」。もう何年もの間、そんな白黒な人生みたいな府抜けたことを思っていたが、これからは毎年、単純に喜ぼうと思う。そのほうが人生が彩られる。

それにしても、誕生日なのにどうしてアチコチに呼ばれて散財してしまったのだろう。なんか変だ。こっちが出ばって行って、お祝いモードに浮かれながら財布は軽くなる。ナゾだ。

まあ、イタリアあたりでは、誕生日を迎えた人が周りの人に何かしらプレゼントを配ったりするらしい。喜びとか幸せをみんなに分け与えるという考え方だ。私もそんな感覚で我慢してみた。

普段からイタリア人のように、調子の良いことばかり言っている私だ。自分の誕生日を祝ってくれる人々には欧州流儀で幸せを分け与えていることにしよう。

そんなこんなで、ここしばらく随分とシャンパンを飲んだ。ワインがさほど好きではない私だが、シャンパンは好きなほうで、食前酒だけでなく、食中酒としてもずっと飲むことが多い。


もともと、カヴァとかスプマンテの安物でも平気で飲んでいたシュワシュワ好きなので、シャンパーニュ地方の正当なものなら銘柄を気にせず喜んで飲んでいる。

奥が深い世界だと思うから、あまり興味を奮い立たせないようにしている。新しい趣味にお金を投入するほど最近は余裕がない。

ルイ・ロデレール、バロン・ド・ロスチャイルド。最近、気に入ったシャンパンの銘柄だ。泡の細かさ、後味の爽やかさともに申し分なし。前者はシャンパンの教科書のようにバランスに優れていて無条件でウマい。一番好きな銘柄になったかもしれない。後者は辛口加減がピリピリとキツい感じがしたが、硬派な感じで気に入った。

この7月に行ったパリで、昼夜を問わず歩き疲れてカフェに座れば、バカのひとつ覚えのようにグラスのシャンパンを飲んでいた。

銘柄は様々だったが、安っぽいシュワシュワでも平気だった私が、「正当なシャンパンの天然な感じ」に改めて魅せられた。そのせいで最近は安いスパークリングワインを遠ざけるようになった。お金がかかってしょうがない。

誕生日前後の数日、「誕生日の幸せを分け与える」崇高な使命を帯びて、銀座でもあちこちの店を渡り歩いた。散財もしたけど、プレゼントシャンパンも結構いただいてしまった。

有難い限り。プレゼントされるシャンパンは自腹で呑むシャンパンより美味いのはナゼだろう。人間の味覚なんてそんなものかもしれない。とはいえ、タダほど怖いものはないから、今後のお礼参りの連鎖にしばし頭を痛めるのかもしれない。

ちなみに、わが国では、シャンパンはお祝い酒としてのイメージが強い。乾杯酒とでも言おうか。最初だけ飲んでおしまい、みたいな使われ方が多いが、もっと「グビグビ飲み続ける酒」として認識されていいと思う。魚でも肉でも合うし、レストランで選ぶ際にも赤白のワインのようにワケの分からないワインリストを前に悩むフリをしないで済む。簡単で良い。

アマノジャッキーとして生きていたい私としては、ワインリストを前にソムリエのウンチクを有難がるタイプではない。いい歳した大人なんだからそういうたしなみも必要だと思うが、なんかウザったくてイヤだ。

ワインを語る際の比喩表現が、いかにも西洋語の直訳みたいで小っ恥ずかしくてしょうがない。腐葉土の香りとか、なめし革の香りって一体何だ?「地面に落ちた枯れ葉の香り」って一体何だ?私は地面に落ちている葉っぱをクンクン嗅いだりしないのでサッパリだ。

このあたりのイヤミな感覚が「素敵なナイスミドル」になれない私の弱点だ。

実はその昔、こっそりワインの勉強をしようかと思った時期もあった。ところが、まだ知り合った頃の現在の鬼嫁のおかげ?でスパッとやめた。鬼嫁様はソムリエ試験に合格してまだ何年も経っていない頃で、私がウンチクのカケラみたいな話をしようものなら10倍ぐらいの話をされて実に鬱陶しかった記憶がある。

そんな背中がムズムズ痒くなるような話を聞くのなら、缶チューハイを陽気に飲んでいた方がよっぽど心地よい。綺麗な女性と和食屋さんのカウンターで燗酒をチビチビやりながら「ワカメ酒、させてくれませんか」などという上品な会話を展開していたほうが楽しい。

そういえば、ワカメ酒という概念?はあっても、「ワカメシャンパン」は聞かない。ゴージャスな感じで楽しそうだ。

そういうアホみたいなことを妄想してしまうところが天下無敵のスケベオヤジだ。ちょっと反省。

新しい歳を迎えたことだし、ワカメシャンパンの夢でも見ながら生きていこう。

2011年10月7日金曜日

煙人生

素敵な女性と親しい関係になろうとしても、たいていはケムに巻かれてオシマイだ。

逆に、女性関係で窮地に陥った時にも、私を糾弾する人を弁舌爽やかにケムに巻くように努力している

愛煙家歴30年ほどの私としては、そんな風に「煙」と日々密接に付き合っている。

強引な書き出しだが、今日は「煙」の話。

愛煙家としてのキャリアを思い返せば、きっかけは30年ほど前にさかのぼる。

15歳の頃だった。悪友達がオフザケでタバコを吸い出した。周りに流される真似っこになるのがイヤだったので、しばし悪の誘惑からは逃れていた。

そうはいっても、仲間うちの多くがプカプカ始めていたので、孤高のポジションは、たかだか半年ぐらいしか守れず、気付けばタバコに手を出していた。

「ちゃんと吸い込まないとカッチョ悪い。ふかしているだけのヤツはバカにされる」。タチの悪いことに、子どもの世界ではそういう変な認識があった。

半年遅れでデビューした私としては、そういうルールというか、不文律をはじめからクリアしようと頑張って隠れて練習した。今思うと本当にバカだ。呆れる。

いきなり、初心者がタバコを肺に吸い込んだらムセるのが普通だ。ところが、幸か不幸か、たまたまスムーズに煙を吸い込むことに成功したことが私の煙人生を決めてしまった。

初めて吸い込んだタバコの煙が肺を満たす。ムセなかった変わりに強烈なクラクラ感が私を襲う。ここで気持ち悪くなって吐いたりすれば良かったのに、クラクラは短時間で収まり、確実に「ぶっ飛んだ」私は、妙な快感と興奮を感じてしまった。

“あれから30年”。きみまろの漫談みたいだが、それから30年、ずっと煙を愛し続けてきた。

ちなみに現在、禁煙生活が3週間になろうとしている。ほぼ成功だろう。禁煙はあくまで紙巻きタバコの話で、葉巻はちょこちょこふかしている。厳密に言えば完全禁煙ではない。

過去にも何年かタバコをやめていた時期があったが、葉巻はやめなかったので、まったく煙と無関係になったことは、この30年間なかったことになる。


先日、たまに利用する香港の葉巻販売業者からお気に入りの葉巻を取り寄せた。キューバ産の「ファン・ロペス セレクション№2」だ。

キューバ産でも、コイーバやモンテクリスト、パルタガスなどの人気銘柄の陰で、ややマイナーな存在。そこがアマノジャッキーとしての私が惹かれる点でもある。

とあるサイトの論評では、この葉巻を「軽井沢の名水で煎れた珈琲のように清々しく、香りの良い味わい」と表現していたが、数あるキューバ産のロブストサイズの葉巻の中でも特にウマいと思う。

この逸品、日本での定価は1本2400円もする。100円マックが24コ食べられる計算だ。松屋の牛丼だって10人が食べられる。ポンポン買って気軽にプカプカできない値段だ。

海外の通販業者経由で買えば、キャンペーンとかでタイミングが合えば、日本の半額ぐらいで買うことは可能だ。それでも1200円だ。フィレオフィッシュが12個も食える計算だ。

そんなこんなで、エセ富豪としては悶々とするわけだが、今回はスーパー円高と業者のキャンペーンが加わって、かつてない破格値で手に入れることが出来た。

ただし、特別料金は50本入りのキャビネットにだけ適用されるため、他の銘柄も買いたいところを我慢して、ファンロペスだけを50本購入。

333ドルだ。買った日のレートだと日本円で2万5千円だ。1本あたり500円だ。ワンコイン弁当ぐらいの水準だ。

2400円が500円だ。これはバンザイだろう。毎日ふかしても50日も持つ。2日に1本なら100日だ。3日に1本なら半年近く無くならないわけだ。ウッシッシ。

オフィスに置いてあるヒュミドールと自宅にあるヒュミドールに半分づつ分けて仕舞い込んだ。お気に入りの逸品だ。面倒だが、ヒュミドールの湿度管理はちゃんとしようと思う。


職場では非常階段の踊り場に置いた私専用のアウトドアチェアが、葉巻休憩の憩いの場所だ。目の前に位置する某新興宗教団体の道場?に出入りする幸福そうな人達の顔を見ながら束の間のまったりタイム。

夜の街では、シガーバーにも行くが、最近は銀座でのクラブ活動の際にプカプカすることが多い。あの手の場所で、これ見よがしに葉巻をプカプカするキザなオッサンにはなりたくないのだが、何だかんだ言ってキザなオッサンになっている。

あの手の店は基本的に煙に優しい。タバコを吸う人も多いし、葉巻用の灰皿も常備してあるのが普通だ。たいていの店で葉巻自体を何種類か置いてあるから、持参し忘れてもなんとかなる。

だいたい、女性陣にヨイショされて調子に乗ったあげく、結局はケムに巻かれるのが夜の街での私の境遇だ。巻かれる煙はこちらで用意しておくのが紳士のたしなみだろう。だからいつもモクモクと煙まみれになっているわけだ。

なんか、うざったいオチになってしまった。

2011年10月5日水曜日

香りの魔力

匂いとか香りに昔より敏感になってきた気がする。これも年齢を重ねたことが影響しているのだろうか。

夏の香り、秋の香り、それぞれ当たり前のように感じ取っているが、そんな季節の移り変わりをあらわす香りが最近妙に気になる。香りだけでなく、季節の変化に敏感になっていること自体が、余生を本能的に察知しているのだろうか。危ない危ない。

秋の風の香り。私のボキャブラリーではうまく表現することができないが、なんとなく、鼻呼吸をめいっぱいしたくなるような香りを感じる。澄んだ匂い、少し湿った空気が鼻をくすぐる。雨が混ざった空気もまた「いとをかし」だ。

秋の生まれだから、秋を贔屓したくなるのが私の習性だが、実際に一年で一番、深呼吸したくなる季節だと思う。

金木犀の香りが加われば、まさに無敵だ。問答無用で機嫌が良くなる。イライラも収まり、無理難題も安請け合いしたくなるし、喧嘩していた人とも仲直りできそうだし、散財して財布が寂しくても大きな気になれるし、無性に大恋愛なんかもしたくなる。

このところ、夜遅い時間に、木々に覆われた公園や遊歩道のベンチに座って、夜風を感じている場面が何度かあった。夜風にのって金木犀が香る。はかなげに響く虫の声も心を穏やかにしてくれる。もの悲しさの一歩手前の風情が秋の魅力なんだとつくづく感じた。

なんかエセ兼好法師みたいになってきたから軌道修正。

香りとか匂いの話だった。

私が好きな香りは金木犀を筆頭に結構たくさんある。花で言えば、梅の香りやプルメリアの香り。食べ物で言えば、何といってもウナギだ。落語じゃないが、匂いだけで白米をわんさか食べられると思う。

ニンニクを炒めた匂い、酢飯を作っている時の匂い、鰹節や昆布で作られていく出汁の匂い、隣の家がなぜか深夜に肉を焼く匂いも好きだ。炊きたてご飯の匂い、新そばの匂い、屋台の焼きそばの匂いもたまらない。

食べ物を挙げ出すときりがない。

食べもの以外では何があるだろう。

上質の靴クリームで磨いている時の上等な革靴の香りもうっとりする。靴がピカピカになる喜びだけでなく、あの匂いを楽しむことが靴磨きに精を出す理由だ。

皮フェチというわけではないが、その手の趣味人、ボンンテージマニアの気持ちがちょっとわかる気がする。

ほろ酔い加減でふかす葉巻の香りもスンバラシイ。最近、頑張って紙巻タバコの禁煙に成功中なので、葉巻をふかす頻度が増えてしまった。

今の季節、散歩ついでに外でぼんやり楽しむ葉巻は最高だし、酒場でアホ話を力説しながらプカプカする葉巻もやめられない。

香水はあまり得意ではないが、お香の香りは大好きだ。これまで長年にわたる潜水旅行の合間に東南アジアで安い香木を物色したこともある。沈香に興味をそそられたこともあったが、散財しそうな気がして見て見ぬふりをしている。

沈香。チンコとは読まない。「じんこう」だ。ベトナム産を最高峰にインドネシア産も世界的に評価が高い。日本でも古来、権力者が手にしてきた沈香の逸話は多く、香りの持つ魔力は並大抵のものではない。

東南アジアでも、呪術師が精霊と交信する目的に沈香を焚いてきた歴史があるらしい。バリ島あたりに旅行したときに、沈香には手が出ず、白檀あたりで作られた小さな工芸品を買うぐらいしかできない私だが、いつか本物を手にしたいと思う。

香木、沈香は、もともと鎮静効果に特に優れていたことから、薬物的な位置づけもあるらしい。今で言うアロマなんたらの元祖みたいなものだったんだろう。

この冬、またバリ島行きをこっそり検討しているので、あらためて、香木も物色しようかと思う。

話が変わる。

手軽な香りという点では、そこらへんで売っているお香も捨てがたい。変に今風に媚びた香りだと、人口的、作為的すぎてすぐに飽きるが、あれこれ比べながら自分の好みの香りに出会うと嬉しくなる。


徳利、ぐい呑みばかり買ってしまう焼きもの収集の一環で、ついでに欲しくなるのが香炉だ。使い込むと香炉自体に香りが宿ってなんとも愛おしい存在になる。

妙に神経が疲れた時や、自宅で暇で暇で仕方がないときは、自分の部屋でお香を焚いてひとり喜んでいる。気のせいか、その後の眠りは深くなるようだ。

アロマオイルを温める作業よりよっぽど簡単でお手軽だ。イライラしがちでお疲れな人にはオススメです。

ちなみに、懲りずに続けている銀座のクラブ活動のきっかけになった店が6丁目にある老舗クラブ「M」。地下に佇むこの店は、階段を下りて店内に入った途端に香るお香の匂いが特徴的だ。

今もたまに顔を出してしまうのは、きっとその香りを嗅ぎたいからだろう。

とか言うと何となくカッチョいいから、そういうことにしておく。

でも、何年か前にその店で使っているお香をもらって家で焚いてみたことがあるのだが、「銀座の夜」的な香りがプンプンで、さすがに落ち着かなくなってすぐにやめた。

やはりTPOというか、その場その場にふさわしい香りじゃないとダメだ。

お香の話ばかりになってしまった。

ホントは好きな女性の首筋の香りとかについて力説したいところだが、このブログは上品を旨に哲学的なことしか書かないようにしているので、そのあたりには触れない。

でも、生物学的に人間は異性の耳の後ろあたりの匂いに惹かれるらしいから、首筋に近づきたくなるのは、至極まっとうな行動なんだそうだ。

妙に納得する。

話が脱線しそうだから今日はこの辺で。

2011年10月3日月曜日

京都

来週は京都に行く予定だ。一応、仕事で出かけるのだが、週末を絡めて遊んでくるつもりだ。

5年ぐらい前までは毎年、1~2回はふらふら京都に行っていたのだが、しばらくご無沙汰だ。まだ紅葉には早い時期だから、鬼混みしてないはずだし、のんびり秋風を感じながら散策しようと思う。

京都デビューは高校2年の時。ひとりでふらっと出かけた。今思えばなかなか風流な子どもだった。

素泊まりの民宿みたいな所に泊まった。相部屋になった人が北大の大学院生で、絵に描いたようなカタブツ君だった。「おじゃまんが山田くん」に出てくるガリ勉君みたいな感じ。毎日、彼は何かの学会を聴講し、私はただぶらぶら街をほっつき歩いていた。

夕方、お互いが部屋に戻って顔を合わせても話はまったくかみ合わない。それでも成り行き上、最後の日に私から食事に誘った。

居酒屋に入り、カタブツ君と世間話。ちっとも盛り上がらない。おまけにカタブツ君は居酒屋のメニューがちっともわからない。

「つくねって何?」「エイヒレって何?」いちいち質問攻めだった。親切な私は彼に色々とレクチャーしてあげた。

ほろ酔いになった彼は、珍しく、笑顔になって饒舌になった。

居酒屋を出た彼はまだどこかに行きたいらしい。学会の聴講だけで過ごしたカタブツ君が最後の夜にハイテンションになるのも仕方がない。

仕方なく、目についたノーパン喫茶に彼を誘った。私だって高校2年だ。そんなところに行った経験はわずかしかない。それでも、持ち前のサービス精神で突撃した。

店に入った途端、あられもないウェイトレスさん達の姿に彼はまっ赤になってしまった。席についても、まったく顔を上げられずに置かれていた週刊誌をめくっている。

「もっと見ないとダメですよ」と注意する私。それでも一切顔を上げられずに彼は過ごしていた。ひとりニンマリきょろきょろする私。むすっと黙り込む彼。変な光景だった。

あくる日、京都駅でカタブツ君と別れる時、彼は突然、私の手を強く握り、眼にいっぱいの涙を溜めてブツブツ言い始めた。

「こんなに楽しかったことはない。僕は一生この旅行とキミのことを忘れないよ」。ホントに涙がこぼれそうな顔で振り絞るように言ってくれた。

こっちは二日酔いでダルかったのだが、少しだけジーンときた。

いま、彼は何をしてるのだろう。もう50歳を超えているはずだ。偉い学者さんにでもなっているのだろうか。本当に私のことを覚えているのだろうか。なつかしい思い出だ。

その後もしょっちゅう京都に出かけた。祇園のお寿司屋さんに通い詰めて、すっかり常連顔して飲んでいたこともある。

とことんフシダラに過ごしていた30代前半のある時期には、京都のおかげで救われたこともある。当時、新宿・歌舞伎町をベースに乱れていた私をある人が京都に連れ出してくれた。

その人は伝統芸能の世界に生きる人で、旅先で文化や歴史の渦に巻き込んでくれた。
本来は文化的な人間である私?は、それをきっかけに日常を反省した記憶がある。悪の道?から脱出させてもらったような旅だった。

鯖寿司や白味噌の雑煮、せいろで蒸した冬の温かい寿司のウマさを知ったのも京都だった。10年以上前に泊まった祇園の宿で出された作務衣が気に入り、お土産で買って帰っていまだに温泉旅行の際には愛用している。

一時期はお香ばかり買いに行って、家中が混ざり合った変な臭いで満たされていたこともある。

大阪出張の際、さっさと切り上げて京都に向かい、真冬の雪に埋もれた三千院で一人、スーツのまま陶然と時を過ごしたこともある。

平日の夕方、私以外に誰もいない空間は恐いほど静かで、時折、木に降り積もった雪がザザッと落ちる音しか聞こえない。あの時間は妙に印象に残っている。意味もなく誰かと心中したくなったほどだ。今でもふと思い出すことがある。

なんか思い出話に終始してしまった。年齢を重ねるごとに、あの街の持つ空気の感じ方は変わってくる。久しぶりに行く京都だ。完全なる中年になった今の自分がどう感じるのかが楽しみだ。