2010年6月30日水曜日

水中写真 バリ トランベン セラヤ

思えば潜水趣味に手を染めてからもうすぐ25年になる。我ながらよく続いたと思う。

撮影機材をデジタルに一新したついでに、各種の機材も新しく調達してしまった。時代の流れとともに格段に良いものが出回っていてビックリだ。

水中で呼吸をする以上、何より肝心な機材がレギュレーター。安物は2~3万円で買えるが、まともな商品は10万円前後だろうか。まあ命綱だからケチってはいけない。

馴染みのダイビング機材屋の若いお兄ちゃんスタッフにウンチクをかましていたら、うまくおだてられて最高級レギュレーターを買ってしまった。ここ10年ぐらいの間で急に“高級ブランド品”になったATOMIC製のオールチタンだ。

http://atomicaquatics-j.com/index.html

30万円以上の定価が付いたトンデモない商品だ。結構割引してもらったが、自分の見栄っ張り具合に腹が立つ。まあ富豪を名乗る以上仕方ない出費だ。

レギュ以外では足ヒレ(フィン)も新調した。数千円も出せば事足りると思っていたが、私も立派な中年だ。脚力にも問題が出てきた。そのつもりでこれまた3万円以上もするアポロ・バイオフィンを選んだ。

マスクもアポロ製バイオメタルなんたらを買った。妙に高かったが、水中に向かう目的は単純に撮影だ。マスクはある意味一番気を使うべきアイテム。マスク越しにファインダーを覗く以上、バイオメタルなんたらの特性は抜群。

一連のニュー機材を今回のバリ島旅行で使ってみた感想は「今まで何を苦労していたんだろう」という一言。

何事もベテランになると、昔気質こそカッコイイみたいな感覚に陥る。道具類も伝統的な一品が最高と思い込む。でも、ダイビング機材などはさっさとと最新のものをオトナ買いすべきだったと深く後悔。

レギュレーターは想像以上に軽く、まったくアゴや口に疲労感を感じない。おまけに呼吸のしやすさも想像以上。定評のあるマレス製のレギュよりも吸いやすい。

動きすぎ、泳ぎすぎで水中で息があがった時の呼吸の楽さは特筆モノ。これは安全性という意味でも素晴らしい。

フィンがまた思った以上の推進力。ラクでラクで仕方ない。マスクも内容積が小さく目とファインダーまでの距離が一昔前の商品と大違い。

全部高かったが、高いだけのことはある。もう若くないのだから、上等な機材に命を預けた方がよいだろう。

それにしても、昨年あたりから始まった水中撮影機材の新調や一連の潜水機材の買い換えで相当にお金をかけてしまっている。

トヨタ・センチュリーが1台買えるぐらいのコストがかかった。

といっても新車ではない。10年落ちぐらいの中古のセンチュリーだ。回りくどい言い回しだが、新車の軽自動車が買えるぐらいはコストがかかってしまった。

遊びにしては高い。うーん。。。でもせっかく良い機材が揃ったし、今後は伊豆とか近場にも潜りに行こうと思案中。

さてさてバリの話。

今回専属の水中ガイドを任せた現地人はトランベン出身でこのエリアで10年ほど潜っている人物。1日4回の潜水でヘバっていたが、「良い仕事には良いチップ」みたいな私の呪文のせいで頑張ってくれた。

画像をクリックすると写真が大きく表示されます。




ソフトコーラルとかに潜むエビカニ系が好きなようでやたらと撮影させたがる。彼は金属製指示棒を駆使して、1センチや2センチ程度のエビやカニを突っついて撮影しやすい角度に誘導してくれる。

今回、じっくり撮影したかったのがピグミーシーホース。全長1~2センチのタツノオトシゴの仲間だ。

とある日、宿からクルマで20分ほどのアメッド方面へ。「リパ」というダイビングポイントが撮影しやすいらしい。水深12メートルの浅瀬でピグミーちゃんを探してもらう。

結局、3個体ほど見つかったので、撮りやすい個体にレンズを向ける。カメラを嫌がり、反対側を向いてしまうところをガイドさんが指示棒を使って向きを変えてくれる。


肉眼で見るよりもマクロレンズの望遠効果でファインダー越しに見ていた方がカワイイ。萌え~って感じだ。

先日(6月28日)と今日の水中画像は、マイクロフォーサーズ規格のオリンパス・ペン(E-PL1)で撮影したもの。オリンパスオリジナルの水中撮影用防水プロテクターにカメラを格納して撮影(http://olympus-imaging.jp/product/dslr/accessory/underwater/ptep01/index.html)。

外付けの水中ストロボはイノン製のS2000を2灯使用。肝心のレンズはマイクロフォーサーズ規格のライカ45㎜マクロ(LEICA DG MACRO-ELMARIT 45mm/F2.8)。

一部の写真は、プロテクター前面に水中着脱可能なイノン製クローズアップレンズを装着している。

ゴテゴテとアームやストロボをつけても、一昔前の撮影機材に比べれば相当な小型軽量化だ。画期的だ。画像の下に映っている100円ライターと比べればかなり小さいことがお分かりだろう。

今回泊まったリゾートでフランス人ダイバーにご自慢の撮影機材を見せてもらったが、あり得ないぐらい巨大で重かった。まあ彼らはその巨大で重い撮影機材を持っていること自体が誇りであり喜びらしい。実に前時代的だ。

見せてもらった撮影画像は「別に」って感じだった。

今回、オリンパス・ペンはマクロ撮影専用機にして、ワイド画像はキャノンのEOS-KISS・X3を使用。レンズはトキナーのフィッシュアイズームレンズ(AT-X 107 DX Fisheye)。

フィッシュアイのクセにズームも効くという画期的なこのレンズがある限り、撮影機材をすべてマイクロフォーサーズ規格に移行するわけにはいかない。

マイクロフォーサーズ規格のカメラにも間もなく魚眼レンズがラインナップされるが、あくまで単焦点だろうから、このトキナー製レンズは捨てがたい。



ギンガメアジが渦を巻くこの場面でも、フィッシュアイズームなら1本のレンズで雰囲気を随分変えることが出来る。

もともと私が水中写真を撮りたくなったのは、25年ほど前にダイビング雑誌で見た超ワイドアングルの沖縄・西表島の青い水中世界がきっかけだった。

ワイド画像はなかなか撮影が難しいが、その分、見ていて単純に気持ちのいい写真が多くなる。

小さな被写体を狙うマクロ撮影は透明度などのコンディションに左右されにくい。ただ、息をこらして必死にほふく前進をして、肩凝りガッチガチになりながら撮影する感じだ。時に激しく疲れる。

次回の潜水旅行は気持ちの良いワイド画像が撮影しやすい場所を候補にしようと思う。

2010年6月28日月曜日

SCUBA SERAYA RESORT バリ島 セラヤ

水中写真を撮りにバリ島に行ってきた。水中写真といっても魚なんか撮っても面白くないので、今回は「お尻」の撮影が目的だ。

今まで20年以上、水中撮影の経験を積んできたのは、この手の「お尻」画像を集めるためだ。


というのはウソで今回も懲りずに魚の写真を一生懸命撮影してきた。

当初は、バリ西部のムンジャンガン島エリアに行こうと予定していたが、出発直前に急きょ心変わり、半年前にも行ったトランベン周辺を目指した。

泊まったことのないホテルに滞在してホゲホゲとマイペースで潜りたくなったので、日本ではまったく情報がないリゾートを選んだ。

(今日の画像は画像をクリックすると大きく表示されます)。

「SCUBA SERAYA RESORT」(http://www.scubaseraya.com/)という宿がそれ。全部で12部屋しかないプチリゾートで、名前の通り、ダイビングするには何かと便利な造り。

もともと、このエリアはダイバー以外はやってこない僻地だが、ダイバーじゃない人でも1日か2日ぐらいノンビリ読書にでも励むには良いリゾートだ。

空港からは3時間近くかかる。でも水中環境は抜群。私自身、この周辺エリアには過去に5回以上来ているが写真派ダイバーには飽きない場所だ。

半年前のバリ旅行の際に、マクロ撮影に最適な小物探しの面白いダイビングポイント「セラヤポイント」に来た際に、小洒落たホテルを発見して覗かせてもらったのがこのホテルを知ったきっかけ。

その時の印象が良かったので、今回はるばる訪ねたわけだ。

JALのバリ便は遅めの午後発。午前中ちょろっと仕事して成田へ。さんざんツマミを持ち込み、「THIS IS IT」と「釣りバカ」を見ながらウイスキーの炭酸割りで酔っぱらう。

到着は夜の11時頃。さすがに3時間のクルマ移動はゴメンなので、この日は空港から1時間ちょっとの「ALILA MANGGIS」で1泊。

ALILAは一応高級リゾートなので、送迎用にチャーターするクルマも綺麗で快適。おしぼりや冷たい水も用意してある。長いフライトのあとのこうしたサービスが結構嬉しいので、10時間位しか滞在しなくても高級ホテルを選ぶ意味がある。

バリのチャーハン“ナシゴレン”とバナナパンケーキというトンでもない組み合わせの朝食をタンマリと食べてから目的地まで移動。この日もALILAのクルマを頼んでゆったりのんびりドライブ。


「SCUBA SERAYA RESORT」は、適度な広さの敷地に気持ちの良い芝生が敷き詰められ、ノホホンムードが漂う。客も騒々しくないヨーロッパ系のゲストが3~4組しかいなかったので、起きている時間も眠っているようなボーとした感覚で過ごせた。

そうはいっても、私がチェックアウトする日から2週間ほどは大混雑らしい。なんだか水中写真の大会だか何かで連日フルブッキングだそうだ。そんなものにぶつからずに助かった。ヨーロッパのダイバーの間では結構有名なリゾートだそうだ。



ヴィラタイプの部屋は清潔で快適。シャワーも熱いお湯が勢いよく出る。専用の小さい庭にあるバレブンゴン(東屋)が私の特等席。毎日ランチはここに持ってきてもらって食べた。

小さい庭スペースには露天風呂チックなバスタブがあったが、なぜか水しか出ない。意味不明だ。滞在中何度かスタッフがここに花びらを浮かべに来たが、お湯が出ないのに何がしたいのだろう。。。

まあこれで1泊100ドルちょっとだからアリだろう。レストランのメニューが少ないのが困りものだが、田舎だけにお値段は手頃。総合的にすこぶる居心地の良い宿だった。

「SCUBA SERAYA RESORT」の壁ひとつ隔てた隣には「Villa Markisa」(http://www.villa-markisa.com/)という小洒落たプチリゾートもある。トランベンエリアを訪れる日本人ダイバーは数多いが、この2軒のリゾートは穴場だ。

目の前のダイビングポイントも徒歩数十歩だし、英語の出来ない私でも何一つ不自由しなかったので、写真好きダイバーなら絶対気に入ると思う。

目の前のダイビングポイントは珍しい魚のオンパレード。今回も私一人に専用の水中ガイドをつけてもらったが、現地人ガイドはさすがに小物探しのプロ。被写体探しに困ることはなかった。








これらの画像はすべて宿の目の前の海で撮影したもの。とくにフリソデエビと呼ばれる極彩色の小さなエビは、まるで飼育状態。いとも簡単に居場所に連れて行ってくれる。養殖エビみたいなものか。

ちなみに今回は、現地人ガイドとコミュニケーションをスムーズに進めるため、撮影したい魚の英語名を勉強していった。このフリソデエビは和名自体も「振袖」に由来するシャレ者だが、英語名がまたいい。「ハーレクイン・シュリンプ」だ。なんとも優雅だ。

今日はこの辺で。。。

2010年6月21日月曜日

お休み

実はいま、バリ島で潜水中です。なぜか今頃休みを取って沈没中。ブログの更新も1週間ほどお休みします。

新しい撮影機材のテストを中心に潜っている予定。

それ以外では、はたして、バリの田舎でiPodが使えているか、どの程度便利で、どの程度費用がかかるものなのか、そのあたりもチェックする予定。

ではでは。

2010年6月18日金曜日

鶏に感激 ラ・ブラスリー

今日も食べ物の話だ。一生懸命になって食べ物の話を書いていると、自分があさましい人物になった気がする。きっとあさましいのだろう。

帝国ホテルの「ラ・ブラスリー」に出かけた。たまにはホテルメシも良い。お値段は高くても、ゆったり感と人的サービスの面で安心快適。

ラ・ブラスリーも分類上はフレンチレストランなのだろうが、適度なカジュアル感があって、仰々しくないところがよい。

シャリアピンステーキ発祥の店だけに、ついつい注文したくなるのだが、今回は今まで頼んだことのないメニューに挑戦。

ニシンのマリネ。素材の旨味を引き出すような酢ジメの加減にニコニコする。ゴテゴテしない単純な料理がウマいと幸せだ。

魚料理は鯛の塩釜焼を注文。サクラのチップの風味を適度にまとって全体にホッコリした味。日本式洋食ならではの素材の良さを活かした味。ソースが別に出てきたが、それもそのはず。個人的にはソースなしでも充分。


その他、あれこれ頼んだのだが、大感激だったのが、「ひな鶏のココット焼」。結構満腹モードに近づいていた時に出てきたのだが、延々と食べられそうなほどウマい。

鶏の旨味がつけ合わせのベーコンやマッシュルームの旨味と溶け合って滋味たっぷり。鶏好きなら感激できると思う。

一羽丸ごと深皿の中で調理され、ウェイターさんが手際よくさばいてくれる。肉の中では鶏が一番好きな私にとっては官能的な時間だ。

同席者達は満腹気味。私だって満腹だが、こういう鶏なら話は別。人の分まで平らげる。

デザートを食べるべきか迷ったが、私にとっては人の分まで食べた鶏がデザートだ。こういう感覚だから痩せない、いや太るのは当然だ。

今は亡きウガンダ・トラさんは「カレーは飲み物」と語っていたが、私もエンジンがかかると、スパゲッティやピラフがデザートになることがある。

洋食屋さんとか、ホテルバイキングなんかに行ってしまうと、ついつい爆発。お勘定に負けないように意地汚く食べているつもりはないのだが、ついつい食べ続ける。

胃も大きく食道も妙に広いという身体の構造的な問題もあって、脳に満腹指令が届くのに時間がかかるわけだ。

やはり珍味の小皿を舐めるとか、お寿司屋さんのカウンターでチョロチョロ注文するようなパターンじゃないと危険だ。

ドカンとした料理はドカンと大口開けて頬ばっちゃうし、ビュッフェみたいに食べ物が散乱していると、ついついすべてやっつけたくなる。

話がそれてしまった。

ただただ鶏がウマくて死にそうになったという話です。すいません。

2010年6月16日水曜日

銀座 九谷 夏の珍味

冬の主役だった珍味達は夏の到来とともに主役の座を明け渡す。アンキモや白子が冬の風物詩だけにそんなイメージがある。

昨年秋の尿検査で尿酸値が危険水域ブリブリだったので、ここ半年ぐらい、少しだけ珍味達を控えてきた。控えるといっても、ほんの一口残すようにした程度なのだが、ちょっとでも意識することは大事だ。

おかげで痛風発作はまだない。冬と春を乗り切った以上、もう大丈夫だ。

そんなわけで、夏なのに無性に珍味が恋しくなって、久しぶりに銀座の珍味屋に出かけた。

珍味屋と表現したが、レッキとしたお寿司屋さん。でも私にとっては珍味屋だ。半年ぶりぐらいだろうか。年齢とともに時間の経過に関する感覚がおかしくなっているので、1年ぶりぐらいかもしれない。

7丁目、外堀通り沿いにある「九谷」がその店。北海道に系列店があって、北海道出身の職人さんが北海道直送品を美味しく食べさせる珍味屋さんだ。

鮮度の良い生ものを乗っけただけの北海道寿司屋とは違って、いわゆる江戸前系のネタも取りそろえる。鮮度抜群のものに加えて手の込んだ料理も手がけるのだから良い店だと思う。

もっと頻繁に通いたいが、この店で珍味三昧に過ごしちゃうと健康上非常に危険なので、それを言い訳にたまにしか顔を出さない。

もちろん、珍味抜きでも相当水準の高い食べ物を楽しめるのに私の場合、どうしてもそっちに走ってしまう。


マコガレイの肝とボタンエビの卵だ。

この肝、甘味抜群だった旬のマコガレイの刺身に感激していたら真打ちのように登場。ポン酢に自家製ラー油を少々。モミジおろしの代わりにラー油だ。食べてみると、肝がかなり濃厚なので、結構悪くない取り合わせ。

二日酔いだったが、焼酎ロックでクイクイ。

ボタンエビはこの店の自慢のひとつで、20センチぐらいありそうな最大級のサイズ。緑色のタマゴは軽めの塩漬け状態。このままで堪能できる。

濃厚な時鮭があったのでムシャムシャ食べたのだが、刺身よりも嬉しい一品が、時鮭のスジコ。ウヒョヒョだ。なまめかしい味。

茹でて間もない毛ガニ特有のゴールドカラーのカニミソももらう。ヒョヒョヘ~って感じだ。

どうして肝とかミソとかタマゴの味はあんなにエロティックなんだろうか。

このわたと一緒にイバラガニの内子の登場だ。とことん珍味、珍味。珍味のワールドカップ状態だ。

黒紫色したタラバの内子ですら東京で目にする機会は少ないが、オレンジクリーム色の麗しいイバラガニの内子は北海道でもなかなかお目にかからなくなっている。

東京の中心地・銀座でイバラの内子に出会えること自体、珍味好きには至極幸福だが、この日は偶然にも、塩漬けにする前のまるっきりナマの状態で登場。

やはりナマは一番だ。ナマに勝る快感はない。ほんの少し、醤油をポタポタと垂らし、じゅるじゅると味わう。生卵的エロティックさに打ちのめされる。

ちょろちょろと小皿に盛られた珍味を舐め舐め過ごしていると、画像のようにカウンターの私の居場所は小皿オンパレードになる。こんな感じに皿の並んだ風情は“珍味屋”と呼ぶのにふさわしい。珍味バンザイだ。

相変わらず、握りをもらう頃には酩酊だ。何を握ってもらったかいつも忘れてしまう。寿司のプロに対して不謹慎だと反省するのだが、いつも同じパターンだ。

このお店、内装も明るく洒落ていて、窮屈感もない。接待とかデートにも使いやすい店だと思う。

私の場合、珍味に没頭する悪い癖があるので商談相手とか口説きたい女性を連れて行くのは避けたほうがいいように思う。

2010年6月14日月曜日

やす幸

久しぶりに銀座の「やす幸」に行った。何年ぶりだろう。今回は、1階奥の個室を体験した。4人ぐらいなら余裕のある広さでなかなか快適。

変な表現だが、注文の仕方によっては“日本一高価なおでん屋”にもなり得るのがこの店だ。その分、味は良いし、銀座っぽい雰囲気も色濃い。結構情緒があって好きだ。

そもそも銀座あたりの飲食店になると雰囲気や空気感もお勘定の範囲に含まれるのだろう。京都・祇園あたりの料理屋なんかもそうだが、「あえてそこで過ごす時間」を選ぶ以上、あまり細かい値段のことは気にしてはダメだ。

ネット上のグルメサイトでは、そうした「空気感もお勘定に影響する店」は総じて評価が低かったりする。

「美味しいけどコスパがいまいち」とかなんとか書かれたりする。トンチンカンな話だ。そういう批評をしたい人は、チェーン店の居酒屋で安いおでんをすすっていればいいのだと思う。

随分偉そうなことを書いてしまった。まあ「富豪」を名乗る(目指す?)以上、このぐらいのことは書かないといけない。

なんだったっけ。そうだ「やす幸」で飲んだ日の話だ。この日は、個室だったので、コース料理を注文。

スズキだったか刺身が少々。少々ってところが良い。アレコレ食べたいのだから刺身がドカンじゃあ困る。3切れぐらいで充分。美味しかった。

前菜盛り合わせのような幕の内風セットが登場。酒肴盛り合わせみたいな感じ。ホタルイカの塩辛とか、牛タンの酒蒸しとか一品料理メニューに並んでいるツマミ類が盛り合わされている。どれもウマい。

やはりおでん屋さんで気の効いたツマミを食べる以上、お燗酒で決まりだろう。使い込まれたこだわりのやかんで絶妙な温度に燗をつけたお酒がコップに注がれる。ウヒョヒョって感じだ。

焼き魚も食べて、適当な頃合いでおでん登場。個室のテーブルにコンロが設置されているので、冷めずに食べられる。幸せだ。

この日の顔ぶれは、日頃、胃腸が悲鳴を上げている中年オヤジの集まり。薄味の優しいおでんにしばし癒される。さっきまで盛り上がっていたエロ話も忘れてフガフガズルズルとおでん汁をすする。

最後はおでんの汁かけご飯をちょろっと食べる。うっとりだ。

思えば、10年、20年前は、カルビだ、イタリアンだとガッツリコッテリの日々を過ごしていた。おでんの汁かけご飯をちょろっと食べてうっとりするような感覚はなかった。

確実に“人生後半戦の味覚”なんだろう。でもこういう滋味あふれるものを喜べるようになるのなら加齢大歓迎だ。

おでん屋さんで充分酔ったのに、その後、クラブ活動、スナック活動と動き回る。週末でもないのに相変わらず酩酊する。

深夜のタクシーで帰宅。へたくそな運転手のせいで酔っぱらいモード増長。ゼロカロリーコーラを一気飲みしてゲップを連発してスッキリして寝た。

いい日だった。

2010年6月11日金曜日

iPad


iPadを一生懸命使っている。一生懸命という表現は大げさではない。あの手のデバイスは私にとって不得意分野。正直言って嫌いだ。

でも嫌いとか言ってはいられない。昔から機械音痴で、いまだにパソコンも苦手な状態を悔やんでいるので、ああいう今後普及しそうなものは最低限使っておこうと思う。

まあ、そんな力んだ感じが既に時代から取り残されている証拠だろう。もっと「フツーな感じ」でサクサクいじってないといけない。

自宅のパソコンは、メールとインターネットが中心なので、iPadに取って代わりそうだ。

とはいえ、iPod用の音楽の整理やデジカメで撮影した写真の整理にはパソコンが必要。なんとか趣味や遊びのために活用しているが、この分野が得意になればもっと効率的な作業が出来るのだろう。頑張らねば。

そんなこんなで、なんとなく、iPadを自宅のパソコンでiTunesに接続してみた。iPod用に貯めている約1千曲の音楽は自動でiPadにも移植された。ふむふむ。だからどうなんだろう。

続いて、デジカメ画像もiPadに移植してみた。パソコン上で整理してあるフォルダを選択して移植作業が出来るのだが、この手の操作性が非常に分かりやすくて感心する。かなりのメカ音痴である私でも悩まずに出来た。

音楽に続いて、写真も移植できた。だからどうなんだろう、とまたまた思ってみたのだが、移植した水中写真画像をアレコレとiPad上でいじっていたら「スライドショー」の機能を発見。

BGMも簡単に選べる。もちろん、移植した1千曲の中から選択できる。そんな作業も実に簡単。あっと言う間にいっぱしのデジタルフォトフレームに変身した。

近いうちにバリ島に行くのだが、iPadを持っていけば言葉の通じない現地人水中ガイドに直接画像を見せながら説明が出来る。「こんな魚を見たい、こういう魚を探せ」といった指示がBGM付きでできるわけだ(別にBGMの必要はないが)。

画像が綺麗な点がiPadのウリのひとつらしいが、確かに写真を見るにはかなり優秀な機材だと思う。スマートフォンの小ささは魅力だが、画像鑑賞という点では、大きい方が嬉しい。

一般的なアプリについては今後の充実が待たれるが、ちょこっと触っただけで文字が拡大できる点は、まもなく老眼人生がはじまる私にとっても有難い機能になるのだろう。

今後、高齢者ばかりの社会になっていくわが国では、必然的に現在の活字媒体の文字サイズが大きな問題になるはず。

そういう意味では、iPadは確実に高齢者に優しい。デジタル的便利さよりも文字サイズの柔軟性という原始的な一点のみで紙離れに一層拍車をかけることになると思う。

2010年6月9日水曜日

小久保、中内・・・。

古い話を蒸し返してファンの人には気の毒だが、1997年にプロ野球界の脱税汚染が世間を騒がせた。多くの選手が刑事訴追されて裁判で有罪になった。

代表格といわれたのが今だ現役で活躍するホークスの小久保選手。脱税コンサルタントに他の選手を紹介して謝礼まで受け取っていたこともあって事件の主役と目されていた。

執行猶予こそついたものの現役選手が刑事事件で有罪判決を受けるというのは異常事態。その昔の「黒い霧事件」では、刑事訴追までされなかった選手でも球界から永久追放処分されている。それに比べれば当時の小久保選手達にくだされた一定期間の出場停止処分は大甘処分として批判が多かった。

今日、このテーマを書き始めたのは、当時のダイエーホークスの中内正オーナー代行が先日、脱税で逮捕されたことがきっかけだ。

私の記憶が正しければ、中内氏は小久保の謝罪会見でも同席して怒った顔を見せていた。同じ大学出身と言うことで目をかけていた小久保選手の犯罪にショックを受けていたかのような印象がある。

10年以上が過ぎ、自分自身が脱税で逮捕というのはなんともシュールな話。ダイエー創業者・中内功氏からの贈与を認識しながら、借りた金のように見せかけて税金を免れたというのが報道されている内容だ。

税金の世界で仕事をしていると、今回の騒動が何かと気にかかる。逃亡や証拠隠滅の恐れがある場合に基本的に逮捕されるわけだが、贈与税とか相続税の脱税での逮捕という話はあまり聞いたことがない。

逮捕劇の裏に何があったのか気になる。本人があくまで借入金と言い張っていたのなら、どのような根拠で国税はその壁を崩したのだろう。

一部報道によると一部は実際に返済もしていたらしい。だとしたら、それを偽装とみなされた経緯はなんだったんだろう。

現在、わが社のベテラン記者が周辺事情を鋭意取材中だが、この時期にこんな話題がマスコミで取り沙汰されるのには何か特別な事情があるのかもしれない。

「贈与税の脱税」といえば、何と言っても鳩山前首相の“総額12億円にのぼるママからの資金提供”が思い浮かぶ。

月曜のブログでも書いたが、本人は修正申告して解決済みのつもりでも、最終の判断は国税や検察当局にかかっている。

有名人である中内氏の贈与税脱税が話題になれば、必然的に「じゃあ鳩山はどうなんだ?」という疑問は多くの国民が感じる。

ついでにいえば、「民間人は贈与税脱税でしょっ引くのに政治家はお咎めなしなのかい?」という声が少なからず出てくる。

捜査当局が前首相の問題をまったく取り上げるつもりがないなら、あえてそんな批判にさらされるリスクを負いたくないはず。

そう考えると、この時期の中内氏の逮捕劇には、捜査当局サイドの何かしらのメッセージが込められている可能性は否定できない。

ちょっと強引かもしれないが、うがった見方をすれば、そんな論法も成り立つ。

まあ、中内氏の場合、仮に事件の内容が悪質で意図的な脱税だとしたら金額も巨額であり、単純に「逮捕」はあり得る。当局への挑発的態度や抗戦モードが強かったのであれば見せしめ的な逮捕もあり得る。

はたして、事件にはどんな背景があるのだろう。近いうちにわが社の新聞でも特集する予定だ。

2010年6月7日月曜日

風化させるな

晴耕雨読。一般的にはなかなか叶わない夢だが、資産家の鳩山前首相にとっては簡単な話だろう。

世の中を引っかき回したうえに「国民が聞く耳を持たなくなった」ことを理由に政権を放りだした鳩山前首相。次期衆院選には出馬せず、引退後は農業に携わりたいそうだ。うらやましい晴耕雨読。

首相退任後に影響力を行使してはならないという持論を貫くのは結構だが、どうにもスッキリしない。

世の中は既に菅首相の動向にスポットライトが当たっており、前首相は一気に過去の人。政治的に死んだことは事実だが、そのまま放置されていいのかは、ちょっと疑問が残る。

沖縄・米軍基地問題の混迷を思えば辞任は当然だ。むしろ逆に続投が許されていたなら、政権公約とか首相の言葉というものがデタラメでも構わないというお粗末な先例を残しただけだろう。

政治家の仕事は歴史が評価するといわれる。鳩山前首相にも功と罪があるのだろうが、何よりのトピックスは脱税疑惑だろう。しつこいようだが、この問題を風化させてはいけないと思う。功の部分をすべて消し去る汚点だ。

毎月1500万円、総額12億円にのぼる母親からの資金提供を「知らなかった」で通した前首相。相続税、贈与税に苦悩する納税者を根本的に愚弄した話だ。

前首相は修正申告を済ませたことで落着済みというスタンスだが、決してそんなことはない。修正申告ですべておさまるならマルサは不要、税務署など必要なくなる。

ばれたから慌てて申告しても、国税の調査はそれをもって免罪符とはしない。すなわち前首相の脱税疑惑も国税が動く気になれば、これからでも立件はあり得るわけだ。

あくまで税法上の時効がくるまで司直がどう判断するかは未知数だが、国税当局内部に「強硬派」が多いのは事実。ひょっとすると“ただの人”になった途端、前首相への強制捜査という事態が起こりえるかもしれない。

鳩山前首相の脱税疑惑で問題なのは“贈与税はバレてから払えばいい”という空気が生まれてしまったこと。実際、このまま更なるお咎めなしという事態になったら、誰もが、わざわざ積極的に贈与税申告などしなくなる。

「見つかってから加算税付きで納めりゃいんだろ?」。罰せられないならそういう空気が蔓延するのは当然ともいえる。

現職総理大臣がしでかした税金の不始末。間違いなく歴史に残る不祥事だが、本人の退場とともに風化させてはいけないテーマだと思う。

2010年6月4日金曜日

朝の闘い

先週わが家の嫁様が尿路結石で入院あそばされた話を書いたが、その続きを書く。

いったん痛みがおさまったので、1週間後の手術日を決めて退院、だましだましとはいえ主婦復活。必然的に主夫活動にいそしんでいた私も気が抜けてしまった。

気が抜けたついでに3年ぶりに厄介な持病が出てしまった。私の天敵「扁桃腺炎」である。子どもの頃は扁桃腺が腫れることなどなかったのに、大学生の時、突然、扁桃腺炎と付き合うようになった。

喉が腫れるだけだろ?などと言われると悲しい。結構しんどい。私の場合、こいつがやってくると39度、40度ぐらいの熱が出て、全身関節痛、脱水症状寸前まで行ってしまう。

今回はやや軽度。38度ぐらいの発熱で2、5日程度で復活できたからバンザイだ。ひどい時は4日ぐらい熱が下がらない。他の病気になっちゃうんじゃないかと心配する。

大体1年か2年に一回ぐらいの頻度で襲ってくるのだが、今回は3年ぶり。3年に1度ぐらいなら付き合うしかない。

3年前は、本厄だったか後厄だったせいもあってか実に半年間で3度も扁桃腺炎に襲われ、そのうち2回は入院するハメになった。

扁桃腺炎で入院などというと大げさ馬鹿野郎みたいに聞こえるが、ひどい時は呼吸にも支障が出るので仕方ない。入院していると点滴のお陰で回復が早い。とはいえ、通常回復まで4日かかるのが3日になる程度の違いだ。

そのために個室を取って入院するのは著しく経済的合理性に欠ける話だが、その辺は富豪なので許してもらおう。

変な話、「風邪で会社を休みます」という表現より「入院しちゃったので会社に行けません」と言った方がなんとなく収まりがいい。少しは同情もしてもらえそうだ。

さてさて、今回は軽症だったので、なんとかやり過ごし、私の回復とともに再び嫁様が入院。私の扁桃腺炎が嫁様の入院と重ならなかったのでホッとする。かぶってたらと思うとゾッとする。

それにしても普段は一人で寝ているせいか、二人の子どもと川の字で寝るのは思ったより大変だった。

よほど私が好きなのか、二人とも熟睡しながら妙に擦り寄ってくる。擦り寄ってくるだけなら可愛いのだが、キックやパンチ、あげくにカカト落としも繰り出してくる。

仕方ないので股間に枕を挟んで大事な箇所を防御しながら寝る。熟睡できるはずもない。

目覚ましは5時45分だ。異常だ。早すぎる。娘が7時頃家を出るので余裕を持って逆算すると妙に早い時間になってしまう。

ご飯を炊いて、味噌汁を作って、ぬか床から漬物を出して、七輪で魚を焼かないとならない。大変だ。戦場みたいだ。

というのはウソで、実際はレンジでチンするだけだが、一応、子どもの食事の世話をする。洗い物もする。ゴミ出しもする。忘れ物チェックも手伝う。

そしてちょっと離れたバス停まで送る。一匹片付いたら下のチビだ。まだまだサルとか犬レベルなので面倒だ。こいつはまだ何も自分で出来ない。

食事だって私が口に運ぶ。トイレに何度も連れて行く。テレビの子ども番組を見ながら一緒に歌わされたり踊ったりさせられる。

着せるものも私が選んで着替えさせる。歯磨きもさせられる。保育園に持っていく着替え一式も用意する。保育園との往復ノートにもアレコレ記入する。

時たまひっぱたきながら手なずけて、なんとか準備OK。靴を履かせて出発。雨の日はレインコートを着させて保育園まで連行する。

保育園ではロッカーに着替えをセットしたり、前掛けを用意したり、連絡帳に○を書いたり×を書いたり保母さんと「あらまあ、いやだわあ」とか言いながら少し世間話をする。

これが終わると間もなく9時だ。朝なのにもうヘトヘトだ。会社は自宅から15~20分程度なので、息つく暇なくバタバタモードのままデスクに到着。

まったくダメだ。こんなテンぱった状態でまともに脳みそが活動するはずはない。

やはり出勤前にはゆっくり座禅を組んで茶室で茶を点てて精神統一するような余裕がないとダメだ。そうでなければ良い仕事など出来るはずもない。

そんなこんなで、扁桃腺はおとなしくなったものの、咳はいつまでも止まらず、鼻水は出っぱなし、頭痛は慢性化。

絶不調だ。

2010年6月2日水曜日

「寿司・てんぷら」

食べることは好きだが、グルメというほど食べ物に詳しくない。わざわざ遠方まで話題のレストランを覗きに行くことはないし、しょせん、日頃の行動範囲の中でごくごく主観的にアレがうまいとかコレが食いたいとか思っている程度だ。

一応、店選びには自分なりのこだわりというか、嗅覚みたいな基準がいくつかあるのだが、それだってごく普通の基準だ。

店の入口付近が綺麗かどうか、普通に挨拶をしてくれるかどうか、変な匂いがしないかどうか、皿やコップが清潔かどうかなどなど。

一見問題無さそうに見えて、なんとなく敬遠したくなるのが看板のお品書きだ。

二枚看板とか三枚看板といえば聞こえはいいが、「寿司・てんぷら」とか「ウナギ・てんぷら」とか、その手の看板を掲げている店を前にすると何となく尻込みしたくなる。

「そば・丼もの」ぐらいの看板なら気にならないが、寿司やてんぷらやウナギというスターが一堂に会しているようだと、どれも中途半端な料理なんだろうと思ってしまう。

地方を旅している時に、何か食べたくなって見回すと、たいてい“オールスター看板”が目に入る。「カレー・ラーメン」とか「スパゲッティ・各種定食」とか、まるで思想を感じさせない看板が結構ある。

こだわって何かを食べたい人より、日常の一食として何か食べようとしている人の方が100倍以上はいるだろうから、看板を掲げる以上、何でもかんでも表示したい気持ちも分かる。

気持ちは分かるのだが、看板表示で専門性をうたうのか、それともゴチャゴチャ表示を選ぶのかは、ある意味大事な一線だと思う。

わが家の近所に昔からある「カツ丼、天丼を出前で持ってくる住宅街のまずいソバ屋」が息子の代になって「本格手打ち蕎麦専門店」に変身した。看板も筆文字タッチで「蕎麦」のみ。丼ものもなくなってしまった。いわば“一線”を越えて大原則に戻った感じ。

この蕎麦屋が商売上成功するかどうかは未知数。ただ、ハタから見ている限り、職人さんの矜持を見るようで面白い。

まあイマドキの格好つけたおそば屋さんの場合、蕎麦以外は作れないから蕎麦一本で勝負というビミョーな店もあるから厄介ではある。

もっともらしいことを書いたが、看板表示ひとつで店の善し悪しを語られたら店の人もたまったものではないだろう。
よくよく考えれば牛丼屋だって牛丼とは畑違いのカレーや鰻丼をメニューに揃えているし、わざわざ看板にアレコレ表示したい店はサービス精神旺盛な店という見方も出来る。

実は私自身、過去に「寿司・焼鳥」という一見するとトンでもなく節操のない看板を掲げた店にいやいや入ったことがある。ところがどっこい両方美味しかった。オヤジサンが焼鳥担当、息子さんが寿司職人としっかり役割分担が出来ていてそれぞれが水準以上だった。

そうはいってもそんな奇跡みたいな店は滅多にない。やはり「一枚看板」の店で“余技”として路線違いのものを出してくれるのが安心できる。

先日、このブログでもよく取り上げる高田馬場「鮨源」でてんぷらを注文してみた。

過去にもアジフライだとかエビフライだとかホッキバターとかは注文しているが、てんぷらは初めて。大箱の部類に入る店だし、宴会も受付ける規模だから珍しいことではないのだろうが、私の中では「高級寿司店でてんぷらを注文する」という行為は妙に落ち着かない。

落ち着かないのだが、物は試しと車海老、シャコ、ハモで注文してみた。

生きている車海老を使うんだからそりゃウマい。エビミソもしっかり味わえるてんぷらは貴重だ。シャコやハモだって寿司用のネタを揚げるのだからマズいはずがない。しっとりしたオスのシャコを使ったてんぷらが特にうまかった。

一般的には塩でサッパリというイメージの軽めの衣なのだが、てんぷらにはベチャベチャ天つゆをまとわせるのが私の流儀なの、遠慮せずに天つゆズブズブで味わう。幸福だった。

寿司屋でてんぷら。基本的には邪道だろう。でも店の規模やネタの揃え方、常連さんリピート率等々によっては、お寿司屋さんほどてんぷらを味わうのにもってこいの場所はないと思う。

生で食べられる魚がゴロゴロしているわけだし、それこそ蕎麦屋でてんぷらを食べるよりもネタの鮮度、種類という点で圧倒的に有利だ。

こういう意味での邪道なら悪くない。

ちなみに私が「寿司てんぷら」デビューをした当日、近くの席で一人で10尾以上海老の天ぷらを食べていたお客さんがいた。

恐るべし。世の中には気付かない真理がまだまだ無数にありそうだ。