2010年6月2日水曜日

「寿司・てんぷら」

食べることは好きだが、グルメというほど食べ物に詳しくない。わざわざ遠方まで話題のレストランを覗きに行くことはないし、しょせん、日頃の行動範囲の中でごくごく主観的にアレがうまいとかコレが食いたいとか思っている程度だ。

一応、店選びには自分なりのこだわりというか、嗅覚みたいな基準がいくつかあるのだが、それだってごく普通の基準だ。

店の入口付近が綺麗かどうか、普通に挨拶をしてくれるかどうか、変な匂いがしないかどうか、皿やコップが清潔かどうかなどなど。

一見問題無さそうに見えて、なんとなく敬遠したくなるのが看板のお品書きだ。

二枚看板とか三枚看板といえば聞こえはいいが、「寿司・てんぷら」とか「ウナギ・てんぷら」とか、その手の看板を掲げている店を前にすると何となく尻込みしたくなる。

「そば・丼もの」ぐらいの看板なら気にならないが、寿司やてんぷらやウナギというスターが一堂に会しているようだと、どれも中途半端な料理なんだろうと思ってしまう。

地方を旅している時に、何か食べたくなって見回すと、たいてい“オールスター看板”が目に入る。「カレー・ラーメン」とか「スパゲッティ・各種定食」とか、まるで思想を感じさせない看板が結構ある。

こだわって何かを食べたい人より、日常の一食として何か食べようとしている人の方が100倍以上はいるだろうから、看板を掲げる以上、何でもかんでも表示したい気持ちも分かる。

気持ちは分かるのだが、看板表示で専門性をうたうのか、それともゴチャゴチャ表示を選ぶのかは、ある意味大事な一線だと思う。

わが家の近所に昔からある「カツ丼、天丼を出前で持ってくる住宅街のまずいソバ屋」が息子の代になって「本格手打ち蕎麦専門店」に変身した。看板も筆文字タッチで「蕎麦」のみ。丼ものもなくなってしまった。いわば“一線”を越えて大原則に戻った感じ。

この蕎麦屋が商売上成功するかどうかは未知数。ただ、ハタから見ている限り、職人さんの矜持を見るようで面白い。

まあイマドキの格好つけたおそば屋さんの場合、蕎麦以外は作れないから蕎麦一本で勝負というビミョーな店もあるから厄介ではある。

もっともらしいことを書いたが、看板表示ひとつで店の善し悪しを語られたら店の人もたまったものではないだろう。
よくよく考えれば牛丼屋だって牛丼とは畑違いのカレーや鰻丼をメニューに揃えているし、わざわざ看板にアレコレ表示したい店はサービス精神旺盛な店という見方も出来る。

実は私自身、過去に「寿司・焼鳥」という一見するとトンでもなく節操のない看板を掲げた店にいやいや入ったことがある。ところがどっこい両方美味しかった。オヤジサンが焼鳥担当、息子さんが寿司職人としっかり役割分担が出来ていてそれぞれが水準以上だった。

そうはいってもそんな奇跡みたいな店は滅多にない。やはり「一枚看板」の店で“余技”として路線違いのものを出してくれるのが安心できる。

先日、このブログでもよく取り上げる高田馬場「鮨源」でてんぷらを注文してみた。

過去にもアジフライだとかエビフライだとかホッキバターとかは注文しているが、てんぷらは初めて。大箱の部類に入る店だし、宴会も受付ける規模だから珍しいことではないのだろうが、私の中では「高級寿司店でてんぷらを注文する」という行為は妙に落ち着かない。

落ち着かないのだが、物は試しと車海老、シャコ、ハモで注文してみた。

生きている車海老を使うんだからそりゃウマい。エビミソもしっかり味わえるてんぷらは貴重だ。シャコやハモだって寿司用のネタを揚げるのだからマズいはずがない。しっとりしたオスのシャコを使ったてんぷらが特にうまかった。

一般的には塩でサッパリというイメージの軽めの衣なのだが、てんぷらにはベチャベチャ天つゆをまとわせるのが私の流儀なの、遠慮せずに天つゆズブズブで味わう。幸福だった。

寿司屋でてんぷら。基本的には邪道だろう。でも店の規模やネタの揃え方、常連さんリピート率等々によっては、お寿司屋さんほどてんぷらを味わうのにもってこいの場所はないと思う。

生で食べられる魚がゴロゴロしているわけだし、それこそ蕎麦屋でてんぷらを食べるよりもネタの鮮度、種類という点で圧倒的に有利だ。

こういう意味での邪道なら悪くない。

ちなみに私が「寿司てんぷら」デビューをした当日、近くの席で一人で10尾以上海老の天ぷらを食べていたお客さんがいた。

恐るべし。世の中には気付かない真理がまだまだ無数にありそうだ。

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