2010年10月29日金曜日

人は見た目

先日、「真面目」を旨に頑張っていくと書いてみたが、この秋から着るものにも真面目になってみようと決意した。

不真面目な服を着ているわけではないが、ここ数年、かなり無頓着になっている。このままではいけない。やはり、ちゃんとした人は身なりもちゃんとしている。見習おうと思う。

若い頃は着るものにはウルサイほうだったのだが、いつの間にかファッションを意識しすぎる男が格好悪い存在に思えてきて、あえてテキトーな服を着回してきた。

30代後半ぐらいまでは、毎年香港あたりまでわざわざ出かけてスーツやらシャツなんかを一度に軽くウン十万円単位で調達してきた。

バーゲン時期ばかりだったのが富豪っぽくはないが、あそこのセールは笑っちゃうほどの値引率なのでついつい恒例行事にしていた。

ある日、そんな思いをして洋服を選んでいる自分がバカバカしくなった。イタリアのブランドなどデザイン優先で品質が悪いものが少なくない。そんなものに大枚はたく事が疑問に思えてきた。

石田純一じゃあるまいし、軽薄な感じがするし、洋服にこだわる男が途端にナヨナヨ男に思えてきた。結果、「男は中味で勝負だ」などと勢い込んで、テキトー状態に陥った。

テキトーな服をさらっと着こなしているほうが男らしいし、無頼派を気取っているようでひとり悦に入っていたが、そんな自己満足はチョット情けない。せいぜい若い頃だけ通用する話だ。しょせん世間は「あの人ヨレヨレね」という見方しかない。

そして立派な中年になった今、世の中を見回すと、然るべき人々は然るべき身なりをしていることがやけに目につく。何だかんだ言っても「人は見た目」だ。

屁理屈をこねようが、四の五の言おうが、突き詰めれば「人は見た目」だ。こればっかりは真理だろう。

そう思った途端に自分の身なりが気になる。安物を平然と着回していることが急激に許せない気分になってきた。この辺の突然の熱の上げ方がB型特有の性格なのかもしれない。

考えてみれば、日々着用するスーツ類は男にとっての制服であり戦闘服だろう。大事な道具のひとつだ。道具にこだわり、道具を大事にすることは真っ当な大人のライフスタイルの基本だ。

思い起こせば、少年時代、野球部のユニフォームの着こなしにも自分なりのこだわりがあった。ストッキングの出し幅、アンダーシャツの丈の長さ、スパイクのデザインまで全部自分なりの美学を持っていた。

テニス少年だった頃も、「FILA」より「TACCHINI」にこだわり、ソックタッチをぶりぶり塗って、リストバンドの色にさえ執着した。

少林寺拳法に励んだ頃は道着の丈、襟の長さ、帯の結び方にもこだわっていた。ダイビング用のウェットスーツも若い頃は随分こだわりを持って作った。

随分話が飛んでしまった。日常の「制服」の話だ。30代前半の頃ですらカシミアのオーダースーツを作ったこともある「オシャレだった自分」はどこかに消えてしまった。

こんなことではいけない。もっと真面目に「制服」と取り組むことにする。“セルフ親父改造計画”を実行しないといけない。


先日、手はじめにワイシャツをオーダーしに行った。そこそこ上等な生地を選んであれこれ注文してきた。結構楽しい。

ボタンホールの糸の色で遊んだり、腕時計の分だけ袖周りの太さを変えてみたり、手作り感が妙に愉快だ。出来上がりを気に入れば頻繁に通いそうだ。

別な日、スーツもオーダーしてきた。裏地をピンクにしようかとか、ボタンの色を全部変えようかなどと変なことを考えたが、結局勇気を出し切れずに普通に発注。「真面目」過ぎたかもしれない。

また、別なテーラーには近いうちにコートをオーダーしに行く予定だ。どうせだから中途半端な生地はやめて一生モノでも作ってみようと計画中だ。

ネクタイも大量に新調してみた。仕舞い込んである高価な時計やらバックも引っ張り出してみようと思う。

“然るべき人”みたいな身なりになれば、なんとなく自分の緊張感が高まるような相乗効果もあるだろう。それっぽい仕事にもつながると期待しよう。きっと姿勢も良くなるに違いない。

姿勢が良くなれば長生きも出来そうだ。そう考えるといいことずくめだ。

問題はこの決意がいつまで持つかという点だろう。決意はもちろん、経済的にもなかなかハードルは高い。衝動的に水中撮影に出かけたり、ホームサウナを買ってしまうような私だ。欲しいものは山ほどある。

自宅で使うマイ箸もマイ味噌汁椀も傷だらけになってきたので新調しないといけないし、“細かな物欲”は天井知らずだ。困った困った。

身に付けるものにウン十万もかけていたらその他の面白いことにお金がかけられなくなる。悩ましい問題だ。

やはり宝くじを買いに行こう。

2010年10月27日水曜日

銀座のクラブ


どこの世界もそうだが、銀座のクラブも相当厳しい状況みたいだ。あの世界は、大げさではなく日本経済の鏡みたいな意味合いを持つ。景気が良ければ大繁盛、その逆もまたシビアだ。

今の時代、景気が全体的に上下するというより、業種業態によって浮き沈みが激しいのが実態だ。羽振りの良い人達もいるが、夜の世界が全体的に浮上するような規模の広がりはない。

暑からず寒からず気持ちの良い某日の夜、銀座をほっつき歩いて思ったのだが、やっぱり人が少ない。零時を過ぎたタクシー乗場にしても5分と待たずに順番がくる。

この日、某和食店で食事をしながら、おかみさんと無駄話。話題は夜の店の現状。おかみさんいわく繁盛しているのは有名な3店ぐらいだという。

8丁目の「T」、「G」、6丁目の「M」。わざわざ頭文字にする必要もなかろう。「サードフロア」、「グレ」、「麻衣子」の3店だ。もちろんそれだけではないのだろうが、この3店の頑張りはよく耳にする。

「サードフロア」以外は私も時々覗くが、確かにスカスカだったことは無い。それでもパンパンに混雑していることが以前より減っているように思う。

繁盛店の秘密って何だろう。綺麗な女性が大勢いることだろうか。まあそれも要素だろうが、それだけだったら安いガールズバーだっていいわけだし、有名店以外でもいくらでもそんな店はある。

結局、店全体のマネージメント力に尽きるのだろう。黒服さんをはじめとするスタッフの目配りや記憶力しかり、客を受入れて退店させるまでの段取りの良さ、そうしたポイントを理解している客側の空気などさまざま。

うまく表現できないが、何度か通うと、随所に「なるほど」と感じる場面がある。逆にいえば、何度通っても「オイオイ」と文句を言いたくなることがない。この部分が簡単なようで難しいポイントなんだと思う。

銀座でクラブを名乗る以上、たいていの店が強い自負を持って客をもてなしてくれる。働いている人それぞれがそれなりの矜持を胸に抱いているわけだが、店全体のマネージメントはそうそう簡単ではない。

客が店の空気を作るというか、店を育てていく部分も確かにあるだろうが、客という存在はいたって気まぐれだ。気に入らないことがあれば“ニッコリ笑って二度と来ない”のが実際だろう。

文句を言ったりアドバイスをする客はごくごく少数派だと思う。銀座のクラブに限った話ではない。サービス業はすべてそうだし、「顧客」によって成り立つ仕事なら何でもそうだろう。わが社だって、発行する新聞につまらないミスがあれば簡単に読者に見限られる。

大体、新聞も雑誌も顧客のことを「読者」と称していること自体が不遜な話ではある。お客様である以上「読者様」と呼ぶべき所が一種の呼び捨て状態になっている。

メーカーや販社が「お客様相談センター」なら新聞社は「読者係」とか「読者サービス部」だ。“様”をつけるような発想がない。この点は大いに考えないといけない。

おっと、話がそれた。

先日、食事の後に銀座の某クラブに寄り道。まだ新しい店。スタッフも頑張っている。気分の良い店だが混雑する気配無し。結局、1時間半ぐらいの間、他のお客さんは登場せず。

その後、てくてく歩いて「麻衣子」へ移動。一転して盛況。フロアは満席で、シックな雰囲気のカウンターバーエリアでしばし待つ。

20分ほどでフロアに移る。一斉に客が退いたようで珍しくがらんとしていたが、ものの15分ぐらいで再びほとんどの席が埋まる。

狭い店ではないため、黒服スタッフの数も多い。とはいえ、段取り良く動いているのか人数の多さを感じない。こうした何気ない部分、目立たない部分がうまく機能しているのが繁盛店の秘訣なのかもしれない。

そんな観察なんかせずに魅惑的な女性たちと艶やかな会話でもすれば良さそうなものだが、口を開けばしょーもないワイ談になってしまうダメな私だ。

2010年10月25日月曜日

お燗酒

すっかり秋も深まった。こういう空気のなか恋しくなるのが「燗酒」だ。日暮れがすっかり早くなったので、アル中モードに入るのも早くなってしまった。

私の場合、燗酒はチンチンに熱いのが好みだ。チンチンが熱いのではない。

ぬる燗も悪くないが、口元でアチッとなって肩をすぼめるぐらいが嬉しい。

猫舌な私だ。必然的にチビチビと飲むことになる。なんか貴重なもの、有難いものを押し戴いている気分になる。のど元を過ぎて食道を通過する際のジンワリ感がたまらない。

熱い燗酒の良さは、短時間で大量の酒を摂取しないで済む点にもある。ぐいっと勢いよく飲めば当然、急ピッチで酔う。ゆるやかにホロ酔い気分を楽しめるからアツアツ燗はオススメ。

熱燗がウマい季節になると、歩調を合わせるかのようにアンキモとか白子なんかが登場する。ウヒヒーって感じだ。


先日、お寿司屋さんでジンワリ熱燗に浸ったときの画像。白子も食べたい、カワハギのキモも食べたい、でも身体に悪いと逡巡した際の結論だ。白子ひとつとカワハギひと切れだ。ちょびっとだけ食べるのは決して貧乏が理由ではない。健康のためだ。

カワハギの肝を刺身でくるむ。ジュンワリジュワジュワと肝が舌の上でとける。モミジおろしとポン酢をまとった白子がジョワジョワンと口の中で弾ける。幸福だ。

ちょびっと食べると、健康面への罪悪感もない。ちょこっとなら、尿酸値、コレステロール系に悪かろうが気にならない。食べたのは「ほんのちょっとだけ」と安心できる。

ただ、ちょびっとしか食べないでいると、その後も生イクラやウニとかキモ類を平気で注文してしまう点だ。

「ほんのちょっと」が5種類とか6種類になると結局、“成人病へようこそ・不健康大会”という事態になる。


この日は高田馬場の鮨源を止まり木にアルコール注入。ここに寄る時は、夜の席が入っていない日だ。ほろ酔いになっても街へ出ずに帰宅するパターンがほとんど。だから気も張らず、ゆるゆると過ごす。

キモや魚卵系ばかりじゃ身体に悪いと思ったので、カキをお吸い物風にして出してもらった。滋味滋味。満足満足。

次の日、ひょんなことから知ったのだが、カキはプリン体が非常に多いらしい。私の尿酸値がまたまた危険だ。

「貝はヘルシー」という思い込みだけでカキと付き合ってきたが、大いなる間違いだった。

考えてみれば、カキのあの味は、そこらへんの貝とは別モノだ。やはりウマいものには罠がある。

はたして珍味系でヘルシーな酒のつまみはこの世に存在するのだろうか。誰か教えて欲しい。

お燗酒を呑む機会が増えるこれからの季節、私にとってわが社の資金繰りと同じぐらい切実かつ重大なテーマだ。

2010年10月22日金曜日

真面目

最近「真面目なこと」にちょっと惹かれる。子どもの頃から「真面目なこと」にあえて逆らうことがカッコ良いみたいなおバカ行動をとってきた私だが、さすがに人生の折り返し地点を過ぎてからは真面目なことの尊さを実感する。

そう書くと何か大げさな感じだが、真面目路線の良さを痛感したチョットしたきっかけがある。

薬物服用がそのきっかけだ。薬物などと表現しちゃうところがダメだが、このところ胃腸の調子がよいのは真面目に薬を服用し続けているから。ここ数年の中では絶好調だ。

パリエットという知る人ぞ知る飲み薬がある。胃酸を抑える錠剤だ。5年以上前から逆流性食道炎と付き合っている私にとって救いの薬だ。

これまでも頻繁に処方されていたが、数日服用しただけで済ませていた。今回は、胃と大腸の内視鏡検査を受けた9月中旬から一日も休まずに1ヶ月以上飲み続けている。

真面目に飲み続けてみようと決意してから挫折しないで継続中。たかだか1錠の錠剤を寝る前に飲むだけだから、わざわざ自慢するような話ではない。

でも、1日も忘れずに真面目に続けている自分がだんだん可愛くなってきた。

「真面目な僕」。なんか新鮮だし、いい気分だ。

おかげでこの1ヶ月、胸焼けから解放されている。真面目な行動へのご褒美だ。胸焼けを起しやすい黒酢の錠剤も改めて飲み始めた。おまけに脱毛予防の薬もサボらなくなった。青汁もしっかり飲んでいる。いい子ちゃんだ。

でも若い頃ってどうして「不真面目」を目指すのだろう。今思えば恥ずかしい限りだ。キリスト教系の学校に通ったから物心ついた頃からミサに出たり、賛美歌を歌ったりしたのだが、そういう厳かな場面になると決まって悪ふざけをした。

神父さんに泣かれたこともあるし、選抜されてせっかく入った聖歌隊はクビになった。高校生になっても停学になったり、頭を坊主にさせられたり、正門横のマリア像を脚立に上ってゴシゴシ掃除する罰則を何度も経験した。

大学生になっても単位の大半が「可」だったし、サボることが美徳みたいに錯覚していた。朝帰りが続いて祖父から「泥棒稼業にでも入ったのか」と言われたこともたびたびだ。一生懸命やっている友人達をからかったりしていた。若気の至りというか、心底バカだった。実にもったいない。

まあ今でも自分ことを「真面目」と断言するほどの自信はない。若い頃よりはマトモだろうが、相変わらず、不真面目な酒の飲み方もするし、不真面目な話題でバカ騒ぎもする。人が見ていなければタバコのポイ捨てもしちゃうし、なぜか不真面目なおもちゃ屋さんにも出入りする。

ここではその程度のことしか例示できないが、それ以外の悪さも大したことはない。可愛いものだ。一応、刑事事件になるような分野には手を出していない。

待ち合わせ時間はキッチリ守るようになった。運転マナーもすこぶるおとなしくなったし、運転中はNHKのFM放送ばかり聞いている。自宅の玄関に盛り塩を置くようになったし、風水だってほんの少しは気にするようになった。

朝帰りはしないし、休日は良きパパを演じているし、タバコだって自分の部屋でしか吸わない。娘と風呂に入ってもお尻をなでなくなった。

原則として女性にウソをつくことも滅多にない。女性を口説く時はもちろん、“エロ道”を探求する場面になってもいたって真面目だ。いつも真剣に頑張っている。

“不良のススメ”だの“チョイ悪”礼賛みたいな風潮はいつの世にもあるが、あれはあれでキチンと真面目に過ごしてきた人に少しぐらい脱線した方が楽しいということを説いているだけの話だ。

もともとチョイ悪だった人にチョイ悪をすすめたところで大悪人になるだけだし、やはり「ちゃんとした大人」という心棒は守らないといけない。その方が格好良い。

これからも「ちゃんとした大人」として「精一杯真面目に」いろいろな方面?で活躍してみようと思う。

2010年10月20日水曜日

雑感

久しぶりに六本木に行った。高校生の頃はちょっと背伸びして遊びに行く街だったが、いまでは縁遠い場所になった。

いつの間にか目抜き通りにパチンコ屋が登場し、オッパイパブなんかが進出した頃から、昔の思い出が壊されるような気がして、なんとなく足が遠のいた。

ロアビルあたりは待ち合わせのメッカだったが、今では向かいのドンキホーテにその地位?を奪われたような格好だ。

先日、ドンキの並びに立派な「喫煙所」を見つけた。JT直営なんだろう。小綺麗な空間にいっぱい灰皿が置かれ、椅子もあってしばしくつろげる。

考えてみれば、こういう場所はJTしか運営できない。すっかり少数派になった喫煙者のためにアチコチにつくってもらいたい。

週末、近所を娘と散歩中に見知らぬオバサンがにこやかに声をかけてきた。道に迷ったのかと思って、親切に応対しようとしたのだが、オバサンの用事は私の歩きタバコへの注意だった。ちょっとビックリ。

おまけに「子どもの前で何ですか」と言われた。そんな時代だ。こういう経験をするとタバコがやめられない。意地でも吸い続けようと思ってしまう。

六本木の喫煙所の話に戻る。そこでは案内役の女性まで待機して、灰皿を変えたりして働いている。無料喫煙所にしては手厚い。しかたなく、缶ジュースを買ってしまった律儀な私だ。

喫煙所と名のつく場所にロクなものはない。大体が閉鎖的な密閉空間。空港内の変な部屋なんかその典型だ。そこに集う人達の表情は見るからにダメな人って感じ。私も同様だ。ああいう場所に行くと、さすがに禁煙しようかと思う。

思い返してみると、ほんの15年ぐらいで喫煙環境は激変した。15年ぐらい前はアメリカの飛行機でもタバコが吸えた。早めに搭乗手続きして必死に喫煙席をキープしていた記憶がある。

当時、カリブ海方面に良く行っていたので、喫煙席確保は大事な課題だった。その後、全席禁煙に移行し、猿マネの日本の航空会社もすぐに追随。それでもアジア系の航空会社は結構長い間タバコOKを続けた。

マレーシア航空、ガルーダインドネシア航空、フィリピン航空などなど。このタイミングに合わせて私の潜水旅行はすっかり東南アジア方面に限定された。

その後、世界的圧力に負けてすべての航空会社が全席禁煙に移行したが、そんなわけで、いまでもこうしたアジア系の航空会社にはどこか感謝の気持ちを感じる。昔の友人みたいな感じでついついヒイキしたくなる。

話がそれた。六本木の話だった。旧友が働いている店を覗いてきた。「黒薩摩」という店。銀座にもある。全国の郷土料理を小洒落た店で手軽に提供するチェーン店のひとつだ。

銀座店には以前にも行ったことがあるが、六本木店の方が料理の手作り感が感じられた。ああいう価格帯で、それなりの雰囲気で、あのぐらいの味なら、個人店が争うのはなかなか大変だろう。

この不景気のなか、ひっきりなしにお客さんがやってくる。激安店には行きたくないタイプのお客さんは、こうしたお店が受け皿になっているのだろう。

頼んだ料理も思った以上に美味しい。鶏のタタキ、豚肉料理、さつま揚げのほか、カツオの刺身もバッチリだった。つけ合わせとか前菜代わりの生野菜がまたシャキシャキしてウマい。これなら流行るのも良く分かる。

どちらかといえば、チェーン展開している路線の店を毛嫌いしがちな私だ。職人の志が感じられないとか、団体客ばかり優遇するからイヤとか、アナログこそ風流など、あくまでちっぽけな要因で判断している。それもケースバイケースだろう。

大手資本がチェーン展開すれば、それなりの強みは当然あるわけだし、用途によっては重宝する存在になる。面白味はないものの間違いはない。

そう考えると個人店が生き残っていくのは相当大変なんだろう。脱サラした友人が遠からず飲食店をオープンすべく奮闘中だ。

このご時勢に勝負をかけるわけだから、荒波に漕ぎ出すようなものだろう。それなりの個性というか、ウリは大事だ。ポイントをどこに置くのだろう。

まあ門外漢の私がどうこう言える話ではないが、相手は長年の友人だ。随分と貯まってしまった備前や唐津のぐい呑みでも開店祝いにドサッと進呈することにしよう。

今日は何を書きたかったのだろうか。まったくまとまらなかった。

2010年10月18日月曜日

エコエコうるさい

相変わらず世の中、エコだエコだと騒々しい。前にも書いたような気がするが、どうもエコ絶対みたいな最近の風潮が気にくわない。

なんとなくノセられている人が圧倒的多数だろう。常識的な節約は大昔から奨励されているわけで、横文字にしてさぞ時代の潮流みたいに騒ぐのが気持ち悪い。

大げさに言えば、新興宗教的というかイデオロギーみたいな広まりかただ。もっと言えば「エコ」を建前にした商業主義に煽られているだけ。バレンタインデーとかハロウィンパーティーと変わりはしない。

先日、スーパーのレジで「袋は入りますか?」と聞かれた。どう見たって私は手ぶらだ。買った商品をどうやって持って帰れと言うのか。ああいうのをバカと呼ばずに何と言ったらいいのだろう。

語呂合わせじゃないが、エコの押しつけは純然たるエゴであり、迷惑な話。やりたい人だけやってろって感じだ。

どうも感情的になってしまった。エコ推進派の人には悪いが、本心からそう思う。

プリウスとかあの手のクルマも好きではない。「いい子ちゃんぶりっこ」を前面に押し出したデザインがイヤラしい。クルマに乗ること自体が環境に悪いのだから、本気でエコエコ騒ぎたいなら、クルマなんか乗らなければいい。


エコの語源は、いにしえの恐怖マンガ「エコエコアザラク」ではなく、「エコロジー」だ。私の知り合いにエコの語源は「エコノミー」だと思っていた人がいたが、あながちマト外れだとも思えない。

エコノミークラスのエコノミーだ。経済的とか効率的というニュアンスではなく、階層別で言うところの最下層といった意味合いでのエコノミーだ。

光熱費が払えないからエアコンつけずにガマンしているような人をエコ推進派とは呼ばない。その場合のエコは、ネガティブなイメージでのエコノミー階層でしかない。

節約は大事だが、貧乏ったらしいのは避けていたい。そういう意味でエコノミークラス的な切なさを連想させる「エコ」がうっとおしい。

エセ富豪を白状してしまうようでイヤだが、もちろん私も飛行機移動の際にエコノミークラスを利用することがある。ちっとも嬉しくない。養鶏場のブロイラーみたいで苦痛だ。

あれで満足したらいけないと思う。頑張って常にアッパークラスを居所にしたいというモチベーションは大事だ。向上心ってそういうものだと思う。足ることを知ることは大事だが、健全な向上心は別な話だ。その手のモチベーションが文明を作って技術を発達させてきたことは間違いない。

話が突飛な方に行ってしまった。週明け早々グチばかりになってしまった。とにかくファッションとしてのエコはどうにかならないもんだろうか。

どうせなら、昔の武田久美子が愛用した“貝殻ビキニ”とか、「はじめ人間ギャートルズ」に出てくる女性の格好みたいに、着るものまでとことんエコ路線が広がって欲しいものだ。

エコのせいで街行く女性の露出度がアップするなら、私もエコ推進派にさっさと宗旨替えをする。

なんでそんな結論になるのだろう。。。

2010年10月15日金曜日

コレステローラー

「コレステローラー」。妙にカッコイイ響きだ。ロックンローラーみたいだ。永ちゃんとかハマショーみたいだ。

コレステロールの摂取過剰に注意しないといけない私だが、ついつい毎晩のように「コレステローラー」だ。

アマノジャクを美徳とする場面では、「アマノジャッキー」を名乗り、体重を減らしたいときは「ダイエッター」になる私だが、その正体は「コレステローラー」なのである。

血液検査の結果を見たドクターは「脳こうそくになって身体が自由に動かなくなっちゃいますよ」などと恐ろしいことを言う。仕方がないから、そのドクターを誘ってイクラを沢山食べてきた。

ドクター同行ならコレステロール摂取もきっと大丈夫だろう。二人でムシャムシャと食べる。この季節ならではの生のイクラだ。ドクターも満面の笑顔だ。これでコレステロールうんぬんはしばらく言われないで済みそうだ。


私の肝臓、すなわち、γ-GTPに関してもうるさく注意するドクターだ。仕方がないので二人ではしご酒。しこたま呑んだ。ドクター同行ならきっと問題ないだろう。お互いかなり酔う。

この日、1軒目の食事は銀座の「さ久ら」で寿司。その前の週にもお邪魔した。8丁目のビルの地下にシッポリ佇む穴場だ。

カウンターだけの小箱だが、窮屈感はない。まだ30代の若い大将が切り盛りする。そのせいか、どこかモダンな雰囲気があるが、モダンすぎて落ち着かない様子とは違う。いい塩梅だ。


画像はシラスを沖漬け風にしたツマミ。シラスさんもコレステローラーの敵なのだが、日本酒と合わせたら抜群。私のバッグに常備してある備前のマイぐい呑みと並べて眺めてみた。見ているだけで心が穏やかになる。幸福だ。

行くたびに「もっと頻繁に通おう」と決意するのだが、ついつい間隔が開いてしまう。お姉様方にニコニコしてもらえる店なら一晩で2~3軒は回れるが、食べる店となるとそうはいかない。どうしても1軒だけだ。

身体は一つ。食べたいものはアレコレある。銀座にばかり出るわけでもない。どうしてもご無沙汰状態が長くなってしまう。まあ、だからこそ訪ねるたびに新鮮な気分で楽しめるのかもしれない。


軽く火の入った甘鯛の握りに少し酸味のある温かいだし汁をかけた逸品が出てきた。刺身や珍味の合間にこういう一品料理は嬉しい。“日本料理!”という味わいだ。変に洋風にアレンジする創作系とは違って実に真っ当。

黙っていても美味しいものを出してくれるが、小さいお店だけにその日の食材を聞いてアーダのコーダのいいながら状況に応じてワガママなオーダーも可能だ。

「カキバター」などとジャンクな注文をしても、この店らしい味付けでアレンジしてくれる。カキの風味がバターに負けない程度の微妙な味付けで、素直に舌鼓。バターコッテリもウマいが、カキの旨味がバッチリ引き出されている。


結局、料理の決め手は丁寧さとセンスなんだろうとつくづく実感。

話がそれてしまった。今日のテーマは「コレステローラー」だった。

9月24日付のこのブログで書いたシッポリ系の料理屋さんにも、ちょこちょこ行き始めた。銀座7丁目、数寄屋通りにある「O」。割烹というジャンルか小料理屋と表現すべきか良く分からないが、気のきいたウマいものを食べさせてくれる素敵な店だ。

先日、自家製の塩辛を食べた。塩辛などとあなどってはいけない。私にとって、塩辛のウマい店はそれだけで貴重だ。

市販の塩辛はたいていマズい。港町の海産物屋で仰々しく並べてあっても納得できるのは10個に1個もない。

「O」で出された塩辛はワタの旨味が凝縮されていてバンザイ。持参していたマイぐい呑みに燗酒を注ぎ、めくるめく官能の世界に浸る。イカワタさまさまだ。

イカの塩辛もコレステロールの塊らしい。だからウマい。

モツのピリ辛炒めもコレステローラー向きの一品だった。自家製コロッケも食べた。鮎の一夜干しも食べた。健康そうなイメージがある干物も実はコレステロールやプリン体が多い食品だ。だからウマい。

結局、最後に特製皿うどんも食べた。ソースもじゃぶじゃぶ投入。「麺、揚げ物、ソース」うっとりする組み合わせだ。遠からずアンコウ鍋も始まるらしい。アンキモが私を呼んでいる。コレステロール注入のためちょくちょく行かねばなるまい。

結局、食べることが好きな人間なら誰もがコレステローラーだろう。そうじゃない人はベジタリアンか虚弱体質の人ぐらいだ。

秋も深まってきた。白子とか珍味系の活躍するシーズンだ。コレステローラーとして忙しくなりそうだ。

2010年10月13日水曜日

永田町散歩

秋晴れの気持ちの良い某日、霞ヶ関、永田町方面を野暮用を兼ねてフラフラしてきた。新しくなった議員会館のリサーチのほか、某役所内にある某大臣室にも潜入してきた。

仕事の関係で以前から付き合いのある某大臣には就任祝い名目でハヤリのデジタルフォトフレームを持っていった。私が今欲しいものの筆頭格だ。SDカードを差すだけで、かなり綺麗な画像がアレコレ楽しめる。

http://fujifilm.jp/personal/digitalphotoframe/dp1020sh/index.html

進呈ついでに私自身がいじってみたかったので、渡したその場で中身を出して二人でいそいそと組立ててみる。

組立てるというほど難しいものではない。それでも、なかなか電源が入らない。不良品かと悩む。よく見るとフレームを支える支柱を差し込む部分に電源コードを突っ込んでいた。

機械に詳しくない二人がいそいそといじっていたので結構ダメダメだ。普通はもっと簡単だろう。

大臣室ともなれば、国旗がデンと置かれ、執務机も重厚でデカい。そういうシチュエーションで最新のオモチャをドタバタいじっているのは結構マヌケなシーンだ。

そうこうしているうちにデジタルフォトフレームはなんとか機能し始める。テスト用に用意していった私が撮影した水中画像とか変な画像を映してみる。

想像以上に綺麗だ。パソコンの画像とはひと味違う。さすがにフジフィルムとシャープの共同開発品だ。やはり私も欲しくなった。

大臣室もこの時期は分刻みのスケジュールだ。国家のために働く官僚を待たせて、写真鑑賞会をいつまでもしているわけにもいかない。長っ尻はせずに退散。

昭和初期っぽい重厚な大臣室とは異なり、新しくなった議員会館は、まだ未完成部分はあるものの、基本部分は稼動し始めている。イマドキの建物だけにパッと見は高級感もあるが、よくよく見ると質感はイマイチ。豪華だと批判を浴びない程度に作ってある。

それでも共用スペースなんかにはカッシーナの家具が使われているらしい。ちょっとムカつく。


議員それぞれの個室は今までの2・5倍の広さ。議員執務室、秘書執務室の他に10人ぐらいが入れる会議室スペースがある。

前の議員会館が小さ過ぎたから、やたらと立派に感じたりもするが、ビジネスホテル程度の造作だし、あの程度の部屋なら問題ないようにも思う。甘いだろうか。

議員会館の新装以来、永田町周辺の賃貸ビルから政治家の個人事務所が続々と撤退しているらしい。議員会館が広くなったことに加えて、政党助成金がガタ減りした自民党関係者が相次いで個人事務所を閉鎖しているそうだ。賃貸ビル経営者にとっては大不況到来だろう。


地下通路はこれまでより広くなり、一見、未来都市的な感じ。動く歩道もあって、地下鉄の改札にも直結。首相官邸や議事堂をはじめ、このあたりの地下は場所が場所だけに脱出用の秘密迷路みたいな造りになっている。といっても、いざというときに絶対に迷いそうではある。

お土産さんも新装オープンしたものの、菅直人まんじゅうとか、国会ねじれ餅みたいなシュールな品揃えは変わらない。今度、読者プレゼント用にいっぱい仕入れてみようか。結構ウケルかもしれない。

税金関係のメディアを発行している以上、税金で運営されている施設のリサーチは大事な仕事だ。そんな屁理屈?でウロウロさまよってみた。万歩計をつけておけば良かったと思うほど歩いた。不審者みたいだ。

小泉進次郞議員とすれ違って、ちょっとキュンとする。結構ミーハーな自分が恥ずかしい。

2010年10月11日月曜日

閉所恐怖症

狭いところが苦手だと感じ始めたのはいつ頃からだろうか。どうも最近その傾向が強い。エレベーターもなるべく避けている関係で、高層ビルで夜景を見ながらディナーなんて状況には縁がない。

先日、脳のMRIを初体験してきた。まいった。死ぬかと思った。大げさではなくまるでダメダメ。

腰とか肺のCTは何度も受けているが、脳は初めて。MRI検査はCTに比べて妙に時間も長い。20分もの間、動かずに頭を覆われて得体の知れない機械音の中で過ごす。

閉所恐怖症気味なので、解放感のあるMRI機器を持つクリニックを紹介されたのだが、それでもキツかった。

頭全部が密閉されるのではなく、左右は一応開いている最新鋭の機械らしい。それでも顔面の数センチ先に顔を覆うようにヘッドギアのような器具を付けられ、その上から大きな機械が覆い被さる。

最初の10分ぐらいは耐えた。そのうち、冷や汗、動悸が始まった。一生懸命エロいシチュエーションを思い起こしたりしたのだが、ジワジワと呼吸も苦しくなってきた。

さすがに限界とばかりに一応頭を動かさないように注意しながら両手をヒラヒラふってみる。技師さん気付かず。パニックが近づく。限界点到達。顔を覆う機械をバンバンたたいて「もうダメ~!」と叫ぶ。すっかり過呼吸モード。

技師さん気付く。マイクを通して「あと3分ガマンできますか?」とさらりと聞いてくる。「ウー」と意味不明の叫びを上げる私。

技師さんやってくる。「そのまま近くで何か話しかけてくれ~!」とほぼ絶叫する私。
「あと2分です。頑張れ!」と技師さんの声。手を握って欲しかったが、技師さんがオッサンだったのでガマンする。

「あと1分!」。技師さんも必死だ。ギブアップしたら最初からやり直しだ。はじめに鎮静剤を打つかどうか聞かれたのだが、断ったことを死ぬほど後悔する。

ボロボロになって検査終了。絶対あの時の私の血圧は200オーバーだろう。ヘロヘロ。思った以上に過酷だった。20分のうちの後半5,6分のパニックでホントにフラフラになった。

実はMRI検査の前の問診段階で、ずいぶんと脅かされたことも心理的な負担になったようだ。器具の上で目をつぶって直立しながらバランスを調べる際に、随分ゆらゆらしてしまった。

私のデータを見ながら医者がいう。「小脳に病気がある人だとこんな数値になります」。そんなこと言われた直後に頭密閉大会だ。

マヌケついでに財布に数千円しか入っていなかったことに気付かず、会計が足りずに待っていてもらった運転手さんから借用する始末。恥ずかしいやらヘロヘロだわで、まいったまいった。結果は今週中に出る。無事を祈る。

昔、カリブの小さい島に渡るとき、8人乗りぐらいのボロいプロペラ機に乗せられたことがある。でかい荷物も自分の膝の上に載せなければならず、息が詰まる空間で30分ほどパニック寸前で過ごした。

「天国に一番近い島」という言葉の意味を実感した記憶がある。

思えば、真冬の夜、寒さしのぎにフトンに頭から潜り込むだけで、必要以上に苦しさを感じるし、ダイビングでも洞窟系の場所は、たとえ名所だろうとパスする。

エレベーターが満員になりそうだったら目的階じゃなくても降りちゃうこともあるし、子どもを驚かすつもりでかぶってみたお面のせいで気分が悪くなったこともある。

自宅に置いてある小型のサウナだって、前面がガラス張りの商品だったから購入した。小窓しかないようなら絶対ダメだろう。

閉そく感とか圧迫感とかがまったく平気な人がうらやましい。何とか克服したいものだが、年々ダメダメぶりが進んでいるように感じる。

どこかが変なのだろうか?。今度、脳の検査でも受けてみようか・・・。

2010年10月8日金曜日

ダウンちゃん大暴れ

運動会シーズンだ。わが家のダウンちゃんは5月に特別支援学校の運動会があったのに、秋には併行通園している保育園の運動会もある。親にとってはちょっと困る。先日、仕方なく撮っても見もしないビデオを抱えて出かけてきた。

激しく二日酔いだったので、朝からの参加はキツい。それでも自宅から徒歩3分の距離なので、あせあせとアウトドア用の折りたたみチェアを持って出かけた。

年が明ければ4歳になるわが家のダウンちゃんは、まだまだ頭の回転は1歳半レベルだろう。それでも1年前に比べて格段に進化しているので親として素直に喜ばしい。

目立ちたがり屋なのか、マヌケなのか、ヤツは随所で観客の笑いを誘う。上手に音楽に合わせて踊る時も、ひとり友達の輪から別の場所でダイナミックに躍動する。ジュリアナのお立ち台にのぼっていたバカを思い起こさせるような目立ち方だ。

園庭一周の徒競走は第3コーナーを回ったところで勝手に終了する。玉入れにいたっては、途中から敵チームの中に入って、勝手に助っ人モードだ。

まさにやりたい放題。普段、生真面目に厳格に秩序を正しく守って生きている?私にとっては結構恥ずかしい。

感心したというか驚いたのが、まわりの園児達の様子だ。有難いことにウチのチビのヘンテコ行動に対して、ことさら反応せず、そういうもんだとばかりに普通に接してくれている。

おこがましいことを覚悟で言えば、障害児との共同生活を経験している子ども達の順応力に驚いた。ひとりひとりの違いを自然に受入れている。

幼稚園の先生達からは、ウチのチビによって他の子達もみんな学んでいるという話を何度か聞かされている。こちらへの配慮でそう言ってくれているのだろうが、アイツもアイツでそれなりに「世の中にはいろいろな人がいるぞ」という教材になっているらしい。有難いことだ。

この日は、特別支援学校幼稚部の先生もわざわざ見学に来てくれた。有難い限り。支援学校と通常の保育園の併行通園自体がまだまだ新しい取組みらしく、わが家のチビは研究材料として一応大事な役割を担っている形だ。

インクルーシブ教育という言葉をご存じだろうか。国連が定めた障害者権利条約に関連して謳われている考え方で、障害のある子どもを含めたすべての子どもが同じ環境で学ぶことを目指すもの。

日本は障害者権利条約に署名はしたものの、先進国としては少数派の未批准国である。したがって、まだ条約に拘束される段階ではないが、これまでの政府の議論ではおおまかにその方向に進んでいることは確かだ。

すべての子どもが小さいうちから、ともに過ごすことで他者との違いを自然に受入れるという考え方だ。現在の学校教育の課題解消にもつながるという側面からも期待されており、政府が掲げる「共生社会」のひとつのカギになっている。

結果的に、偏見を減らし、障害者の社会性向上、ひいては障害者の労働力なども大幅に向上させる可能性もあるわけだ。

もちろん、理念自体は素晴らしいが、推進に向けた動きの中で、養護学校や特別支援学校を罪悪視する風潮が少なからずあることが気になる。普通学校、普通学級こそ絶対みたいな考え方だ。

確かに障害の種類や程度によっては、親としては、普通学校に通わせたい、なぜ自分の子どもが排除されるのかという怒りを感じるのだろう。みすみすチャンスの芽を摘まれる感覚なのだろう。

「障害児の親歴4年弱」の私には理解できていない点も多々あるのだろうが、普通の保育園と特別支援学校の併行通園を実践させてもらっている立場から見れば、言いたいことは山ほどある。

端的に言えば「中途半端な一律化」がもっとも危険だと思う。特別支援学校のおかげで救われている子ども達だっていくらでもいる。普通学校にこだわったあげく、学校内で逆に差別感にさいなまれている子どもだっている。

もちろん、逆に普通学校に通ったほうが伸びる子が大勢いるのも事実だろうし、どちら側の視点で見るかによって意味合いは大きく異なる。

政権交代後の昨年、政府は「障がい者制度改革推進本部」を設置し障害者政策全般の見直し作業を進めている。一説によるとインクルーシブ教育への移行を急いで決定したいという動きもあるらしい。

ノロノロ、ダラダラは勘弁だが、拙速が一番恐い。拙速から生まれるものはたいていバランス感覚に欠けた制度でしかない。

この問題は書き始めるとキリがないのでこの辺で。

2010年10月6日水曜日

烏骨鶏のタマゴ

胃カメラと大腸カメラを楽しんだ(9月17日の当ブログご参照)際に採取した血液検査の結果が出た。だいたいいつもと一緒だ。

急激に悪化した数値はない。尿酸値も痛風発作寸前だが、現状維持だし、γ―GTPも高値安定ですぐにどうにかなるような水準ではない。

今回はいつも高めの「総コレステロール」の数値が緩やかに上昇していたが、これだって日本の標準値が国際的に厳しいという指摘もあるぐらいだから、気にしすぎるレベルではない。

とはいえ、医師いわく「年齢的にそろそろ意識しはじめろ」とのこと。確かにどう逆立ちしたって中年オヤジだ。20代、30代の頃と同じ感覚でいたら、血管も疲れてボロボロになりやすいだろう。

だから一応、コレステロールを意識することにした。

コレステロール問題にとって、最大の敵、というか愛すべき存在?がタマゴだ。タマゴであれば例外なくコレステロール業界では数値を上昇させる役割だ。

イクラしかり、タラコしかり、ピータンや明太子、ウズラの串だって同じ。敵と呼ぶには忍びないが、摂りすぎに気をつけることにしよう。と決意してみる。


とかいいながら、話のタネに「烏骨鶏の卵」を取り寄せた。幻の逸品だ。霊鳥とか不老不死の食材とか言われるアレだ。

とある高級食材通販にほだされて注文してしまった。なんと8個で4千円。さすがにたじろぐ。1個500円の生卵だ。

バカげた値段だが500円は500円だ。つまらない喫茶店でマズいコーヒーを飲めば飛んでいく値段だ。一度経験しておくには悪くない。この程度の投資で、きっと向こう10年はネタとして語るのだろうから、考えようによっては悪くない。

思ったより小ぶり。小さいせいで「500円」という事実が重くのしかかる。


割ってみた。悩ましい色加減だ。特徴としては、黄身の周りの「デロデロ」がほとんど感じられない。あの痰壷に入れる痰みたいなデロデロが嫌いな私にとっては、それだけで好印象。

当然、生卵かけご飯にしてみる。いつも「デロデロ」を極限まで捨てて生卵かけご飯を作る私だ。デロデロを感じない烏骨鶏様は、まさにこのために生まれてきたのだろう。専用醤油を加えてかき混ぜ、固めに炊いたご飯にそーっと優しくかけてみた。


邪念を振り払い、集中して五感を研ぎ澄ませて味わってみる。本当は10秒ぐらいで豪快にかっ込んで食べた方がウマいのだが、エセ富豪としてはチョビチョビ食べてみる。

感想は「甘い」、「後味が非常に爽やか」。この2点に尽きる。普段の生卵かけご飯に比べて10倍ウマい。そう考えると適正価格といえるのだろうか。

その後、オムレツも食べてみた。火を入れすぎずに仕上げたプレーンオムレツだ。ほんの少しのケチャップと少量のウスターソースで食べるのが私の好みだ。これまた甘味が際立っていた。

文句の一つも付けようかと思っていたが、軍配はヤツに上がった。素直にまた食べたい。

そんなに素晴らしいタマゴならわが家に常備すべきだが、コレステロールの関係で断念している。あくまで経済的な理由ではない・・・と強がっておく。


そんな合間に夜は夜で日本酒を片手にイクラ三昧の日々だ。コレステロールは上昇しっぱなしだ。

写真は高田馬場・鮨源でのヒトコマ。「久保田」の25周年記念原酒とやらを升酒にして、この時期だけの生イクラを肴にグビグビした。

素の状態の生イクラにチョロッと醤油を垂らして味わう。生卵が口の中で散弾銃のように破裂する感じ。エロティックな味わいだ。冷酒も進む。

血管や肝臓が緩やかに滅んでいく私だ。

2010年10月4日月曜日

タバコの話から・・・


10月だ。タバコが値上がりになった。しかたなくキッパリやめていたタバコを吸い始めた。これも国家のためだ。

今回のタバコ値上げは、いままでの大蔵省(財務省)主導ではなく、厚生労働省の主導だと聞く。そこが気に入らない。杜撰な厚労行政を棚に上げて、「健康のため」という“無敵のお題目”によって値上がり。

実は9月からチラホラたばこを吸い始めていた。しっかりやめていたのに、いろいろなストレスのせいで、ちょっと手を出したら、ほんの3本目ぐらいから「ウマいなあ~」としみじみ感じてしまった。

すでに1日1箱を軽く上回るヤバい状況に陥った。

早めに葉巻だけの生活に戻ろうと思っていたのだが、値上がり前にあせってヤメるのも「富豪」っぽくない。値上がり初日にカートン買いをしてこその私だ。

そんな下らない理由をつけてダラダラ吸っている。何とかしないと禁煙の場所が多くて不便でしょうがない。値上げ騒動が収まったらやめようと思う。

それにしても、民主党政権は増税オンパレードだ。もともと、左っぽい人々の集まりだから富裕層を敵視した相続税増税は既定路線だが、一般大衆の財布にも情け容赦なく手を突っ込み始めそうだ。

結局、ソ連とか中国とかと同様、「変な平等」を目指すには、いっぱいお金を集めて、いっぱいバラまかないと低所得者層を喜ばせられないという理屈なんだろう。

子ども手当なんてサギみたいな話の典型だ。はじめっから満額支給なんて無理とばかりに半額支給に路線変更。小沢首相が誕生すれば実現したはずの満額支給は結局オジャン。半額水準が既定路線になってしまった。

そこまではまだしも、ここからがインチキ。もともと所得税の扶養控除を廃止することの見返り的要素で登場したのが子ども手当だ。

扶養控除の廃止は既に決定しており、来年から無くなる。見合関係にあったはずの子ども手当は半額で決着。インチキそのもの。

政府与党は、子ども手当を半額しか出さない代わりに子育て支援のための政策に予算を振り替えるとかの方便をタレ流している。

月給50万の約束で入社させた社員に対し、いざ給与支払の際に25万円のキャッシュを渡し、残りは適当な自社商品なんかの現物支給でお茶を濁すようなもの。


子でも手当以外にマニフェストで強調していた高速道路の無料化も結局どこかにいっちゃたような感じだ。マニフェストは「約束」だと思っていた国民をバカにした話。

クルマついでに言えば、軽自動車、商用車の税金も増税になる予定だ。これも「何だかなあ」とため息が出る。

エコガー減税で補助金をバラマキ、大々的に購入を煽っておいて、それが終われば一気にクルマを買った人達への増税攻撃。いやはや品のない話。

エコカー減税という美辞麗句を並べて、クルマを売りまくった裏で、増税対象者を事前に増やしておこうという作戦だとしたら経済ヤクザレベル。

政権交代に国民が期待したものって何だろう。端的に言えば、それまでとは違う「大胆な政策」だったのではないか。

いま民主党政権を眺めてみると「大胆な言い訳」、「大胆な詭弁」、「大胆な居直り」ばかりが目に付いてしまう。

2010年10月1日金曜日

石垣島のつづき


石垣島の話のつづきです。

台風が日本列島の近くにあったので、石垣滞在中は、四六時中、神に祈りを捧げて好天を期待した。

地元ケーブルテレビの天気予報では、冒頭の画像のように「まったく心配なし」でも、いざ潜りにいく際には平気で雨が降ってきたりする。ホントに南国の天気予報は当たらない。

逆に雨の予報でも晴れの場合があるので、気にしていてもしょうがない。それでも風向きや波の高さなどは気になる。ホテルにいる間はずっと天気予報画面を環境映像のように映していた。


それにしても、この画像のようなファンキーな情報を出すヒマがあったら天気予報の精度を上げてもらいたいものだ。でも「泡盛喉ごし指数」は毎日私にとっては正確な予報だった。

今回泊まったホテルは日航八重山。沖縄本島の日航アリビラあたりに比べるとお粗末で、ビジネスホテルレベルだろう。言っちゃ悪いが倒産会社の直営ホテルという残念ムードが漂う。サウナ付き大浴場があることぐらいが評価できる点だ。まあツインのシングルユースで1万円なら文句も言えない。

このホテルを選んだ理由は、ダイビングショップがある川平地区まで出やすい立地にある。川平地区は繁華街がないため、夜の酒が楽しみな私は石垣市内に宿泊したい。クルマで川平までぶっ飛ばせば20分チョットなので、連日私が借りていたリムジンで通った。

私が借りたリムジンは、ロールスとかマイバッハより少し小さいサイズで「日産マーチ」というエンブレムが付いていた。1日あたり3千円という格安で借りられた。

市内から川平への道中は、鳥やセミの大合唱が物凄い。朝の早い時間には轢死したカエルや小動物の死骸が転がり、実にトロピカルな雰囲気。たまに珍しいクイナ(鳥)を見かけたりして楽しい。

ダイビングショップは老舗の「海講座」。オーナーはマンタポイントの発見者でもある。年輩のお客さんも多く、チャラ男ダイバーを見かけない点がいい感じ。英語が出来るスタッフがいるため、近くのリゾート「クラブメッド」の外国人客も多い。

私の滞在中は、ちょうど衝突船の中国人船長が石垣島に拘留されていた。せっかくだから日の丸を抱えて尖閣諸島まで潜りに行こうかと思ったのだが、マンタと近場のサンゴの魅力は捨てがたい。

しかたなく、検察首脳に連絡して、厄介な衝突船の船長をなんとかするよう頼んでおいた。


ダイビングが終われば酒の時間だ。石垣市内には選ぶのに困るほど飲食店がある。衣装と化粧は綺麗なホステスさんが揃う店だっていくつもある。

今回呑んだ店で良かったのは「一仙」という焼肉居酒屋と「すし太郎」という店。前者は石垣牛や県産のアグー豚の各部位を美味しく食べられる他、郷土料理も揃えているので便利。大枚はたいて頼んだヤシガニがまずい冷凍物でミソがスッカラカンで参った以外は良い店だった。

上の画像は「すし太郎」で頼んだガザミ。マングローブに住むワタリガニ系の逸品。手前に百円ライターを置いて大きさが分かるように携帯で撮ってみた。

この店、名前こそ北島三郎が経営しているみたいだが、メニューも豊富で味も良い。マンボウやイロブダイの刺身も美味しく、郷土料理も丁寧な味付けで文句なし。

そんなこんだで楽しかった石垣島の旅。マンタ以外の水中写真を並べたので、見てやって下さい。

(画像をクリックすると拡大表示されます)