2020年3月30日月曜日

高級と大衆


別荘を持つのは面倒な人に人気なのがリゾート会員権だ。エクシブとか東急ハーヴェストあたりが有名だ。

会員権を買えば、全国の系列に安く泊まれる仕組みだ。余裕のあるシルバー層がばんばん買うらしい。

確かに高級ホテルや高級旅館に泊まろうとしても、自分で調べたり手配するのがメンドーな人にとっては、一定水準以上のサービスが約束されている会員制リゾートは便利だろう。



このブログでも何度かエクシブの話を書いているが、先日、東急ハーヴェスト系の熱海にあるシャレオツなリゾートに泊まる機会があった。

熱海というか伊豆山にある東急ハーヴェストクラブの「VIALA」という上級ラインのほうである。富豪みたいである。

会員制リゾートの宿泊券や優待券は案外出回っていて会員じゃ無くても普通に泊まれる。私も知り合いから回ってきた優待券のおかげで格安で利用できた。

やはり富豪ではない・・・。



上級ラインだけあって全体に高級感が漂っていた。さすがに大資本の経営するリゾートだけに、急ごしらえで無理に高級感を取り繕ったような宿とは一線を画している。こういう点が安定安心を求めるシニア層に人気がある理由だろう。

部屋も広く落ち着いたデザインでのんびりくつろげる。海を一望するテラスが心地よく、テラスの端には露天風呂もある。

部屋付きの露天風呂は水道水の沸かし湯というパターンも多いが、ここはちゃんと温泉がドバドバ出ていたから贅沢な湯浴みが楽しめた。



大浴場も行ってみたのだが、なんだかスタイリッシュ過ぎて風情の点でいまいちだった。部屋風呂でダラダラがベストな過ごし方だと思う。

最近はこういう類いの宿に行く機会が多くて、しっぽりとした高級純和風旅館に久しく行っていない。

個人的にはそっちの路線が好きだから、何かと観光業が厳しい今こそ、応援のためにもふらふら出かけてみようかと思っている。

さて、富豪記者ブログというタイトルの呪縛でそれっぽい話を書いたが、最近は会合も減ったので一人ぶらっと大衆酒場に行く機会が増えた。

一人ぶらっとといえば寿司屋というパターンが私の定番だったのだが、アニサキスアレルギー発覚以来、疲れていたり寝不足の時は寿司を敬遠している。



だいたい寝不足である。だからビビってお寿司屋さんに行けずに大衆酒場でモツ焼を頬張ってオシマイという非富豪的な時間を過ごすことも多い。

バイスサワーを飲む機会もやたらと増えた。タレ焼のモツに合わせてグビグビ飲むのが最高だ。レバカツや煮込みといった味の強いモノをさっぱりさせてくれる効果もある。



大衆酒場で注文する食べ物は世の中のグルメ評論とは無縁なのに、大人の男なら誰もが大好きである。

あの安っぽい雰囲気のマカロニサラダが良い。変に凝ったマカロニサラダはいらない。ベタなマカロニサラダこそ私を幸福にする。

普段は七味をあまり使わないのに大衆酒場に行くとジャンジャン振りかけたくなるのも不思議だ。一種の法則みたいなものだろう。



ホッピーだってよくよく吟味すればウマいかどうかビミョーである。にもかかわらず大衆酒場の空気がアレを崇高な存在に変える。私はもっぱら黒ホッピー派である。

大衆酒場に女性連れで行くことはない。あの世界はオジサマのオアシスだから一人で行くか男同士で出かけるのが正しい。

女性を連れて行くにしても、やはりよほど親しい間柄じゃないと落ち着かないはずだ。それこそズブズブの関係ぐらいじゃないとダメだと思う。

ホッピーを飲みながら、そんな相手が欲しいなあと思う今日この頃である。

2020年3月27日金曜日

カネキッチン シャングリラ 麺と麺


麺類が嫌いな人っているのだろうか。聞いたことがない。誰もが好きだという意味ではスーパースターみたいな存在だ。

麺の歴史は一説によると4千年前の中国だとか。日本では遣唐使の頃に伝わったらしいので、1500年近くの歴史があるわけだ。

そんなウンチクはともかく。私も麺類は好きだ。イタリア旅行に行けば毎食必ず麺類が欲しくなるし、香港・台湾あたりに行っても朝から夜までズズズっと麺を堪能する。

先日、私の旧宅、すなわち、元家族が暮らす家に行ったのだが、近くにミシュランにも載ったウマいラーメン屋があると知っていそいそ出かけてみた。

豊島区の東長崎駅近くの「カネキッチンヌードル」という店がそれ。ビミョーな立地にそんな人気店があるのか半信半疑だったが、確かに美味しかった。




特製ラーメンと白醤油ラーメンだ。ストレート麺と縮れ麺を使いわけていたことにもこだわりを感じる。

基本のラーメンは醤油系の正統派のようだ。ゴテゴテクドクド系のラーメンが流行っているようだが、間違いなくウマいのは基本から逸脱していない正統派なんだと実感した。

続いての麺はパスタだ。某日、ひょんなことで東京駅に隣接するシャングリラホテルのイタリアンに行く機会があった。



ホテルの入口には検温器が置かれ、ちょっとビビったが今の時期は仕方ない。イタリアンレストランは「ピャチェーレ」。眺めの良い洒落た店だ。

いつもはシャレオツな世界に背を向けがちな私だが、時にはこういう雰囲気優先の場所に身を置くのも悪くない。少し気分も上がる。



ランチコースで出てきたトマトソースのパスタだ。いわゆるイタリアのパスタの味。バリバリのアルデンテの麺がトマトソースをまとう。日本のウマいパスタとは旨味の部分で微妙に違うが、これはこれで美味しかった。



こちらはクスクスのようなリゾットのような一品。アワビの風味が効いていて食感も心地よく飽きない味。

こういう店は雰囲気を楽しむのが基本だろう。本当は大盛りパスタを3種類ぐらいガツガツ食べて終わりにしたいがそうも行かない。

というわけで、メインの羊やらデザートも頑張って食べた。普通に美味しかった。




さきほど書いたラーメン屋さんとこちらのイタリアンが世間でどう評価されているのかを知りたくて食べログをチェックしてみた。

奇しくも2店とも「375」という高評価だった。グルメサイトはあてにならないとはいえ、評価人数の多い店に限れば真ん中あたりのランクはともかく、下位と上位は参考になると思う。

もちろん、サイトでの評価が高くなくても美味しい店はいっぱいあるし、その逆も然りだ。サイトの評価に振り回されるのは感心しないが「食べログの3.7あたり」は一応間違いのない店といったところだろう。

ちなみに私が大好きな中野駅近くにある「パスタキッチン」という店が、食べログではシャングリラのイタリアンに負けている。

いやはや納得がいかない。まあ、ジャンルが微妙に違うといえば違うのだが、やっぱりグルメサイトなんて気にしてはいけないと思った。

よく分からないオチになってしまった。

2020年3月25日水曜日

たまには真面目な話


新型コロナに対応するための経済対策が検討されているが、一つの目玉みたいになっているのが現金給か商品券の給付だ。

金額は2万円ぐらいから10万円といった話も飛び交っている。こういう話に付きものなのが「所得制限」だ。

すなわち、一定以上の収入のある人は特典から除外するという措置だ。経済的メリットがある政策のほとんどが、所得制限の呪縛に囚われている。

金持ち冷遇ともいえるこうした措置は、対象となる人の数が少ないだけに反発の声がお上にとどくことなく、多勢に無勢で当たり前に実行されている。

いま議論されている追加経済政策では、相も変わらず所得制限ありきで話が進んでいるようだが、迅速にお金を行き渡らせるために所得制限を設けるべきではないという声も強い。

すなわち給付対象者の線引きに時間がかからないで済むから所得制限を無しにすべきという理屈だ。

「所得制限ありき」がそもそもの制度設計の根っこにあるわけだから、仮に所得制限が設けられなかったとしても、あくまで緊急事態だからという例外的な考え方でしかない。景気への刺激という意味ではお粗末だと思う。

現金給付だと貯蓄に回ってお金が回らないという批判もあるが、それこそ一定収入以上の階層の人たちならば、給付された現金をせこせこ貯めずに使うはずだ。

景気刺激策としてはお金持ちにお金を使ってもらうという当たり前の発想が必要なのに、なぜかそういう議論にならないのが不思議だ。

金持ち優遇は悪。凝り固まったそんな思想は経済活性化にとって害悪だ。金持ち冷遇が国の元気を失わせるのに、そういう論調を暴論と決めつけるのは単なる思考停止だろう。



なんだか大真面目に書いてしまったが、今回の追加経済対策の議論でも永田町と国民の目線がズレているように思えて仕方がない。

消費税減税ひとつ取っても「一度減税したら元に戻すのが大変」という実にテキトーな理由がもっともらしく流布される。

何じゃそれ!?というトンチンカンな話だ。基幹税たる所得税や法人税だって過去に何度も増税と減税を繰り返してきた。

消費税だけ例外視するのは消費税を聖域化しようとする官僚や政治家の勝手な思惑でしかない。期間限定の減税法を作れば済む話だ。

消費税減税をやるとバンバンお金を使うために外出してくれという“外出奨励策”になっちゃうからコロナ対策に馴染まないという声もある。

これも実施するタイミングだけが問題であり、消費税をイジらせないためだけの詭弁でしかない。

消費税が8%から10%に増税されたことで、昨年10月~12月のGDPは前年同期比でマイナス7.1%という惨状となった。

これは消費税が景気にいかに密接に関わっているかをを表しているわけで、大胆な税率引き下げが実行されたら景気浮揚にダイレクトにつながるのは明白だ。

歴史的な経済危機の可能性があるにもかかわらず、消費税をアンタッチャブルな存在にしようという頑なな政府の姿勢を見ていると、すでに10%からの更なる増税シナリオが練られているのではとうがった見方をしたくなる。

それこそ、いずれコロナ問題が収束した段階で、経済復興名目で消費税増税を打ち出してくるのでは、などと気分の悪くなる想像をしてしまう。

来週後半あたりには追加経済政策の概要が明らかになってくるはずだから、実効性のある内容になっていることを願うばかりだ。

2020年3月23日月曜日

肉の脂身


ここ数年、赤身肉の美味しさが見直されているのは良い風潮だと思う。私が若者だった頃は霜降り肉こそ御馳走で、赤身肉の地位はかなり低かった。

年齢とともに霜降り肉がクドく感じるのは当たり前だが、昔の大人達は頑張って霜降り肉と戦っていたのだろう。



いまも接待の場などでは“霜降り神話”のせいで、厄介な事態になることは珍しくない。

しゃぶしゃぶやすき焼きの店に行けば、上位メニューは霜降り肉である。赤身肉はお手頃価格でメニューの下の方に書かれている。

接待する際も、される際もその店のメニューの下位のものは選ばない。そんな世間のマナーというか、くだらない見栄のせいで、誰も嬉しくないのに霜降り肉がデーンと登場し、皆が内心でゲンナリする。

接待の場に限らず、デートの時も同じ。つまらない見栄のせいで、上位メニューを頼みがちだ。

赤身のほうがハッピーなのに、下位メニューを頼むと、デート相手にケチケチ野郎だと思われそうで、ついつい霜降りを頼んでしまう。

“焼肉屋さんあるある”も同じ。普通のカルビと上カルビ、特選カルビといった三段階用意されているとする。間違いなく高い方が脂っぽい。

ロースやタンも同じ。さっぱり食べたいから注文しているのに、特上なんかを頼んじゃうとベチャっとした脂っぽい肉が出てくる。



見栄を張れば張るほど脂まみれになる仕組みだ。

私自身、かなり見栄っ張りだ。「シミッたれた野郎だ」「シケた奴だ」と思われるのはチンチ○出しで皇居一周マラソンをするぐらい恥ずかしい。

そのせいで、若い人と焼肉屋に行っても、ついつい「上」「特選」といった肉を頼んでしまう。で、自分では食べない。バカみたいだ。

子供の頃は、すき焼き鍋に塗りたくるアノ真っ白な牛脂まで喜んで食べたのに、今は脂っぽい肉にめっきり弱くなってしまった。

さて、実はここまでは前振りだ。今日の本題はトンカツの脂である。

さんざん書いたように牛の脂っぽい感じが苦手でも、豚肉に関しては脂身も好きだ。豚しゃぶだったら脂身の多いバラ肉を好むぐらいだ。

トンカツに関しては元々ヒレカツ派だったのだが、ここ最近はロース派に宗旨替えしていた。

BSでも放送されていた「東京とんかつ会議」で、評価の基準をロースカツに絞っていたことに影響されたせいもある。

それに加えて、私がほぼ毎回トンカツに合わせる芋焼酎のロックに豚の脂身が実によく合うことも理由だ。

ところが、先週月曜にここで書いた銀座三越内のトンカツに引き続き、新たに開拓に行った人気店でもロースカツがクドくて困ってしまった。

訪ねたのは人形町にある人気店「かつ好」。モダン民芸風の洒落た構えのお店だ。初めての時は最上級の一品を食べるようにしているので、数多くあるメニューの中から「別格ロース」を注文した。

トンカツが来るまで、ナンコツからあげとエビフライ1本をツマミにビールをグビグビ。芋焼酎に切り替えたタイミングで別格ロースカツがやってきた。



揚げかたもバツグンで、衣も正統派で美味しい。さすが人気店が「別格」と名付けるだけのことはある。

と思いきや、脂身が多くて困り始める。加齢のせいですっかりだらしなくなってしまった。

肉の端っこに脂身がくっついているパターンが普通のとんかつ屋さんの普通のロースカツだが、この日食べたのは肉全体に脂身がミックスされている感じ。

先週月曜のブログで書いた銀座「あんず」でもそうだったのだが、こだわりの高級トンカツ店では上等なロース肉を注文するとこういうパターンになることが多いのだろうか。

以前、トンカツの人気店をずいぶんとめぐった頃は、ヒレカツばかり食べていた。ロースには目もくれなかったのだが、あの頃のほうが私の審美眼?というか“ウマいものアンテナ”がキチンと作動していたのかもしれない。

もちろん、若い頃なら喜色満面でムホムホ食べたはずだから、こればかりは店の責任ではない。自分の好みに従って上等なヒレを頼めばよかったわけである。

近いうちに「別格ヒレ」を食べに行かないと気が済まない。

2020年3月18日水曜日

ちょっとだけ富豪


この春はタイに旅行に行く予定だったが、こんな状況だからパスして変わり映えのない日々である。まあ、変化がないことが幸せなのだが、家にいる時でもちょっとした楽しみを見つけることは大事だ。

家メシも然り。たまにはヘンテコなアレンジで楽しむのも悪くない。レトルトカレーにしても一度に2種類を使うと贅沢な気分に浸れる。



私が最近ハマっているのがカレーとハヤシの合い掛けである。食いしん坊的には一度に2種類の食事が出来た気分になって嬉しい。

わが家にはレトルトカレーのストックがいっぱいあるだけでなく、お気に入りのレトルトハヤシを求めていろんな種類を買い過ぎてしまったので、一度に2つ消費するのが定番になってしまった。

ちょっとだけ富豪である。

話は変わる。わが家からほど近い銀座1丁目界隈は全国の県産品を置くお店が揃っている。いわゆるアンテナショップだ。

沖縄の県産品を大量においているのが「わしたショップ」。数時間ウロウロできるぐらい何でも揃っている。食品類も充実しているので、時々買い出しに行く。

なぜか定期的に沖縄そばを無性に食べたくなるので、このお店が近所にあるのは有難い。

沖縄そばはソーキやラフテーのような豚肉がしっかりトッピングされていないと食べる気にならない。この店にはそうした調理肉も数多く用意されている。



大どんぶりに2玉の麺、そこにソーキなどをドッカンとトッピングすれば、簡単にゴージャス沖縄そばが味わえる。

ちょっとだけ富豪である。

紅ショウガやコーレーグースも投入してずるずると楽しむ。私にとって至福の時間である。

家メシにおいて一番の贅沢がワガママ食いだろう。以前ここでも書いたが、デリバリーのピザの生地だけをまるまる残すとか、ケンターッキーのチキンの衣と皮を剥いでサラダチキンみたいに食べるとか、ワガママというか罰当たり食いである。



トンカツの衣を半分ぐらい剥いじゃったり、ラーメンの麺を大量に残したら、お店に対して失礼千万だが家なら平気である。

お天道様は見ているかもしれないが、そこは心の中で深く反省しながらワガママなことが出来るのが家メシの良さだ。

まあ、私の場合、気ままな一人暮らしだからそんなことが出来るのであって、家族と同居していたらさすがにマズいだろう。子供がいたら教育的な面からも最悪である。

またまた話は変わる。

先日、布団カバーやシーツ、枕カバーといったリネン類を新しく買ってみた。肌触りの良さでアレコレ選んだ。

単なる日用品の購入という話だが、これが意外に日々の暮らしを充実させる。大いにリフレッシュ効果があることを痛感した。

新調したリネンの肌触りだけで、寝室にいる時間が間違いなくハッピーになった。思った以上に気分が上がったから、そう考えると安い買い物だと思う。



ついでにマクラも買ってしまった。ここ数年、眠りの質を気にするようになってマクラをしょっちゅう買っている。この半年でも4つぐらい買っただろうか。マクラ難民である。

神経質なつもりはないのだが、ちょっと快適なマクラを見つけると、使っていたマクラが気に入らなくなってしまう。キリがない。

今回買ったマクラも1週間ぐらい使ってみた。悪くない。でも、まだまだ上はあるはずだと思うと、また違うのを買おうかと考えてしまう。

ちょっとだけ富豪である。




2020年3月16日月曜日

免疫力アップ!


新型コロナ騒動で世の中がドンヨリしている。敵が見えないから仕方がないが、何でもかんでも自粛するのもどうかと思う。

飲食業も大打撃を受けているから、普段は混雑している店もすんなり入れる。戒厳令や外出禁止令が出ているわけじゃないから、正しく注意しながら外食もどんどんしようと思う。




銀座三越の中に美味しいトンカツ屋さんがあると聞いて訪ねてみた。食べログでも高得点をマークしている「あんず」という店で、混んでいるかと思いきや、私が訪ねた時間は少し中途半端だったこともあってガラガラ。

場所柄、結構な値付けのメニューもある。一番高いやつは4千円近い。ロースかヒレか迷ったがこの日は黒豚のロースを注文する。

トンカツの他にビールのアテにエビフライ。タルタルソースをたっぷり付けたエビフライはビールのお供に最高である。

肝心のトンカツは,、画像では分からないがとにかく脂の部分が多過ぎ。オジサマにはちょっと厳しい。豚は脂身に魅力があるのはわかるが、程度問題だろう。ヒレにしておけばよかった。

2種類あったトンカツソースはどちらも美味しかったし、キャベツのドレッシングもいろいろあって楽しい。サービスもきっちりして心地よいお店だったから、次回はヒレを狙って行ってみたい。




別な日、久しぶりにレバ刺しが食べたくなって、銀座にある「こしま屋」に行った。馬肉専門店だ。上等な馬のレバ刺しが常時食べられるのは貴重だ。

数年前までは牛や豚のレバ刺しが当たり前のように楽しめたのがウソのような昨今、堂々とレバ刺しを堪能するには馬である。

牛のレバーよりさっぱりしているが、鶏のレバーよりはガッツリ感がある。実にウマい。ニンニク醤油で食べたいのに始めからごま油がまぶされているのがちょっと残念。

この店はジンギスカンのように鉄板で馬肉を焼くのが特徴。主に鍋が多い馬肉料理の中では個性的だと思う。何を頼んでも外れがない。馬肉は食後が重くならないのが嬉しい。

この日もすんなり入れたし、私が帰る頃でも満席になっていなかったから、やはり街全体で人出が減っていることを実感した。

お次はラーメン屋さんだ。八丁堀にある人気店「七彩」に初めて行ってみた。自宅からも勤務先からも近いので気になっていたのだが、今の時期なら空いているだろうと、週末、開店時間に合わせて行ってみた。




注文を受けてから麺を打つのがウリらしいので、まあまあ待たされるのだが、さすがに麺はとても美味しかった。ファンはきっとあの麺が目当てなんだろう。

煮干しと醤油の二つのスープを味わったが、どちらも普通に美味しい。チャーシューも普通に美味しい。とにかく麺がすべてだと感じたので、夏になったらゼヒ冷やし系を食べてみたいと感じた。

開店時間だったからすんなり入れたが、その後はしっかりお客さんが列を作っていた。週末は極端に人出が少なくなるオフィス街に立地する店としては凄いことだろう。コロナ禍も関係なしって感じだった。

いま大事なことはウイルスに対抗するために免疫力を高めることである。ウマいものをしっかり食べてハッピーな気分になることは免疫力アップの手っ取り早い方法だ。

そんな観点で、これからも闇雲に家にこもらず、正しく注意しながら美味しい店を攻めたいと思っている。

2020年3月13日金曜日

遊びは大事


「この人は遊ぶために仕事をしている」。そんなことを人から言われた。なんだか小バカにされているように感じたが、よく考えれば当たり前である。

何のために仕事をするか。深く考えたことはない。アドレナリン欲求だの自己実現だの世界平和だのと立派なことを言う人もいるが、突き詰めれば生きるためである。

では、生きるって何か。おおむね衣食住や家庭形成が中心か。だとしたら、それぞれ楽しみながらこなすのは当たり前だろう。

衣食住。オシャレにうつつを抜かすのも結構だし、食い道楽も最高だ。住まいにこだわりを持つことだって素敵なことだ。楽しむためには遊び心抜きでは退屈なだけ。

家庭しかり、真剣に子育てするにも遊び心は必要だ。要は生きている上のすべての行動に「遊び」の精神はついて回る。

趣味だって衣食住の延長みたいなもので、人それぞれ自分が楽しいと思うことに夢中になればいい。

暴論みたいな繋げ方だが、極論すれば生きることは、いかに上手く遊べるかを追求することじゃないだろうか。



なんだか言い訳みたいな論法になってきたが、そういう点では私はそれなりに一生懸命遊べてきたと思う。

一生懸命遊んだということは、一生懸命生きてきたということだ。そういうことにしておかないと私の立場がない・・・。

マセガキ気味だったかお酒の楽しみは早くから覚えた。タバコも同じ。いつのまにか葉巻にまで詳しくなってしまった。

割と早くから色気づいたせいで、学生時代は随分とデートっぽいことに励めたし、大らかな昭和の頃は大らかにムホムホ遊んだ。

かなりヘンテコな世界も覗いた。そのあたりはさすがにここでは書けない。大人になってからも、一応“道ならぬ恋”とやらに励んだこともある。

一方でちゃんと家庭も持ったし、ちゃんと子育ても楽しく経験した。ちゃんと離婚の大変さも身をもって体験した。まあ、これは楽しくはなかったが。

趣味も30年以上前にハマった改造四駆でのオフロード踏破を皮切りに、その後もクルマは好きだったから、これまでに30台ぐらいは乗り換えてきた。

陶磁器収集に精を出し、全国の窯場巡りに熱中したこともある。オタクのようにはまったのだが、結果的にそれなりの教養につながったわけだからムダではなかった。

マニアックなレベルまで極めたつもりのダイビング・水中撮影は、家が買えるぐらいお金もつぎ込んだ。後悔はしていない。私の人生に潤いを与えてくれたのは確かだ。

旅行にしても国内海外を問わずアホみたいに行ったほうだろう。国内は山形県以外は全道府県に出かけた。別に山形が嫌いなわけではない。たまたまだ。

海外は40カ国近くに足を踏み入れた。チラっと覗いてきただけとはいえ、数多くの国の空気を吸ったことは少なからず私の血肉になっていると思う。

草野球に熱中した時期もあったし、短い期間だがカヌーを買って遊んだこともあった。中年になってからもオヤジバンドを10年近く続けている。

そう書いてみると「遊ぶために仕事をしている」のは確かだろう。でも仕事をしてきたから遊べたのも事実である。

不労所得があったわけではない。働いた分がそっくり“遊び心”に投下されたようなものである。

だから財産なんてちっともない。貯金だって老後が不安なレベルだ。アリとキリギリスでいえば、キリギリス側に近いことは確かだ。でもキリギリスはちっとも働かなかったわけだから私とは違う。

長い年数ではないが、寝る間も惜しんで働いた時期もあるし、仕事を通しての喜びや感激はもちろん、負の面も含めていろんな局面を体験したことで、いっぱしの中年として生きている。

グダグダ書いたが、無意識のうちに「楽しむ」をモットーに生きてきたことは確かだだろう。せっかくの人生、難しい顔して退屈な時間を過ごすのはもったいないと心から思っている。

いま、日本中、いや世界規模でドンヨリ感が広がっている。ウイルスという目に見えない敵のせいである。

正しく怖がるのは当然だが、闇雲にジッと沈んでいても仕方がない。いろいろ環境が変わってしまったが、その中で楽しいことを探すようにしたい。

いまこそ遊び心が大事だと思う。







2020年3月11日水曜日

おやすみ 昔の歌

今日は都合で更新は休みますので、アーカイブを一つ。

9年前から昔を振り返るのが好きだったみたいだ。。。

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2011/03/blog-post.html

2020年3月9日月曜日

チューしたい気持ち


前回は「ハグしたい気持ち」をツラツラ書いたので、今日はチューの話だ。キスと書くのは何となく恥ずかしいからチューと書く。

私が子供の頃は、キッスという言い方がまだ残っていた。いま聞くとどこかイヤらしい気がするのは気のせいだろうか。

かのロックバンド「KISS」もデビューが今の時代だったら日本では「キス」と呼ばれていたはずだ。



さて、チューである。接吻である。接吻という言葉は比較的新しいらしく、江戸時代は「口吸い」と呼ばれたそうだ。「くちすい」。どこか色っぽい響きだ。

若い頃は私もチューをしまくっていたが、さすがに中年以降はそんな機会は減った。仲良しの嫁さんでもいれば、毎朝お出かけのチューをするのだが、我が人生にそんなシーンはない。

人間がチューをする起源は諸説あるらしい。相手の鼻と自分の鼻をこすりつけてお互いを知ろうとした原始人時代の名残りという説や「ツバをつける」と同じ意味で、自分の所有を主張するために相手の口に相手の口にツバをつけたことがきっかけという話もある。

他にも、幼い子供に親が食べ物を嚙み砕いて口移しで与えたことがルーツという説があり、これが一番しっくりくる起源だと感じる。

まあ、そんな真面目な話はどうでもいい。

ウソかホントか、女性の唇は男性よりも神経の数が多く感度が10倍は違うという話を聞いた。

ホントだったら羨ましい。男性の皆様、若かりし日のチューの気持ち良さを思い出していただきたい。あの10倍も気持ちよかったらそれだけで爆発してしまったはずである。

そんなに気持ちよかったらもっともっと男達のチューを受け止めてくれればいいのに、たいていの女性は簡単にチューをしてくれない。実にもったいない話だと思う。

私の初めてのチュー体験は15歳の冬だった。神宮外苑の絵画館広場前のベンチに陣取り、寒い中で長い時間タイミングを探ってようやく達成?した記憶がある。

私にもそんなウブな頃があったかと思うと、その後のフヌケた人生の歩みを反省したくなる。

あれからウン十年。思えば愛に満ちたチューもあったが、強引なチュー、ウソっぱちのチュー、おざなりのチュー、インチキみたいなチュー等々、初心を忘れた悪質なチューも多かった気がする。

年頃の娘を持つ親になってみて、ようやく反省と悔悟の日々である。自分の娘が悪質チューなどされようものなら、相手の男を八つ裂きにしたくなる。

人間はつくづく身勝手な生き物だと思う。

大学生の頃、ひょんなことから東京のキススポット特集という雑誌の企画のモデルをやったことがある。

結構なバイト代をもらえると聞いて引き受けたのだが、あの経験が純粋だった私を変えてしまったのかもしれない。

公園のベンチやデパートのエスカレーター、表参道の街角、羽田空港など5,6箇所でチューをした。途中から緊張もドキドキも無くなってしまった。

たった1日でスレた男に転落である。若者にとって神聖であるはずのチューを軽く扱ってしまった報いである。

今になって「正しいチュー」をしたくても手遅れである。相手がいないという以前に、中年男のチューはスケベな感じが滲み出て美しくない。

チュー文化が成熟している西洋ならば中年や老年夫婦のチューも絵になるだろうし、映画でも美しく描かれているシーンを見たことがある。

チュー後進国である日本では、なかなか難しい。映画「失楽園」での役所広司みたいなカッコいいチューは希有な例だろう。

そういえば、昨年大ヒットした映画「ボヘミアンラプソディー」では凄く印象的なキスシーンがあった。

フレディ・マーキュリー役の俳優が、マネージャー役の俳優から唐突にチューされる場面だ。ゲイの世界へ踏み込むきっかけになったような描かれ方をしていたシーンだ。

フレディ役の俳優の表情が実に情感豊かだった。驚きと喜びが混ざり合った表情で、揺れる感情を消化できていないもどかしさに満ちていた。

そっち方面に興味のない私でも鳥肌が立ったシーンだ。チューという行為の崇高さを如実に表していたと思う。

チューとは本来そういうものでなくてはならない。

なんだか話がまとまらなくなってしまった。








2020年3月6日金曜日

ハグしたい気持ち


ハグをする場面がなくなった。まあ、この歳になっってアチコチでハグしまくっているヤツはいないだろうから当然ではある。

外国映画を見ているとハグのシーンが多くて羨ましい。別に異性間である必要は無い。親子間も同じ。日本人はあんなスキンシップはしない。


時々、キザな友人と会うとハグをされる。あれはあれで悪くない。絆の確認みたいな感覚になる。

握手とは違う大面積でのぶつかり合いが「俺たちは敵対していない」というボディーランゲージになる。

異性とのハグはなかなか難しい。親密な仲なら問題ないが、そうでない場合には単純にセクハラになりかねない。

銀座のオネエサンにハグされることはあっても、あれは営業活動だから「俺たちは敵対関係になるかも知れない」という疑心暗鬼は消えない。

考えてみれば親密な仲の女性とハグすることも意外に少ないかもしれない。すぐにエッチラオッチラ愛の確認行動に移行しちゃうから、ハグだけという状況は成立しにくい。別れの時やしばし離れることになった時の空港や駅のホームでハグが繰り広げられる程度だろう。

そういう私も若い頃に羽田空港で「別れのハグ」を結構長い時間やってしまった経験がある。年上の情熱的な女性だったので、ある意味こちらはなすがまま状態だった。

懐かしい思い出だ。まだバブルの時代だった。世の中が活気に溢れていた頃だ。空港でのあのひと時は今井美樹の歌が流れてきそうな雰囲気だった。

あの人は今どうしているのだろう。もう還暦が近いわけだ。ビックリである。そういう私も磯野波平と同じ歳になってしまった。

それより前の高校時代にもひょんなことから長時間ハグを世間に晒したことがある。もう40年近く前のことになる。

高校2年になる直前だったか、友人達とスキー旅行に出かけた。男女混合である。ある晩、一人の可愛らしい女のコと私は買いだし名目で抜け出した。雪道の散歩だ。

まだ純情だった私だが、そうはいってもスペクタルな展開に期待していたのだが、女のコの身の上話をずっと聞かされただけで色っぽい雰囲気はゼロ。

複雑な家庭事情を語っていた女の子は、そのうちメソメソし始めて、最後には私にしがみついて大泣き状態に突入した。

形としてはしっかりハグである。高校生の私は変なところがトンガリそうになったが、ハグ相手がわんわん泣くので人の目が気になって仕方なかった思い出がある。

ハグにも歴史ありって感じだ。

いま私にとってのハグは娘と息子とのテレパシー交換みたいな位置付けだ。

割としょっちゅう会ってはいるのだが、一緒に住んでいるわけではない。だから別れ際にはかなりしっかりとハグを交わす。

私の中では、娘や息子に「元気でいろよ、身体に気をつけろよ、悪いコトするなよ、いつでも応援しているぞ、大好きだぞ」といった感情をすべてグイグイ注入するような行為である。

だから結構な力が入るし、少しばかり時間も長めかもしれない。有難いことに、一応、嫌がられる素振りはされたことがない。いや、我慢してくれている可能性もある。

変な話だが、一緒に暮らしていたらハグなどしないはずだ。別々に暮らしてるせいで、ハグという副産物を得られたのだろう。ビミョーである。

でも、ハグした時に身体全体で感じる圧というか重みを受け止める感覚は得がたい。大切な人の大切さを実感できるから、いつまでもハグし合える関係を維持したいものだ。

ちなみに、今日の画像はその昔、カリブ海のリゾートで撮影したもの。記録を見たら1993年だった。27年も前だ。写真の二人も今やアラフィフ、アラ還か。なんだか複雑だ。

 

2020年3月4日水曜日

トンカツの誘惑


すっかり食が細くなったなあ、重たいものが食えなくなったとか言いながら、トンカツにはつい手を出す。

わざわざ有名店、人気店を訪ねるほどの意欲は無くなったが、割と頻繁にトンカツをむさぼっている。

コンビニで売っているトンカツ弁当はいつ揚げたか分からないから食べる気はないが、カツサンドだったら喜んで買ってしまう。カツが大ぶりでパンがひしゃげちゃいそうなフォルムに萌える。



レンジで20秒ほど温めればかなり美味しい。若者向けに作られた商品だと思うが、私の味覚は日に日にお子様モードに進化?しているので嬉々として頬張ってしまう。

ウーバーイーツで何かを注文するときもついついトンカツ系に目が向く。オリジン弁当のカツカレー、なか卯のカツ丼などジャンクっぽいトンカツも食べてしまう。

デリバリー専門の「かさねや」という店のカツ丼がかなり本格的で、前の住まいにいる頃から時々配達してもらう。



ちゃんとしたトンカツ専門店に行けば良かったと後悔することも多いが、モノグサ太郎としては安直なトンカツも押さえておきたいわけだ。

先日、東京駅近くにある「平田牧場・極」という店に豚しゃぶを食べに行った。豚しゃぶは食後の胃袋が重くならないので大好物なのだが、たいていの店は別注メニューに単品のトンカツが用意されている。

トンカツ愛好家としては、ついトンカツも頼むのだが、この日は標準のトンカツの他に、メニューには無いナントカ豚のナントカという部位のトンカツがあると言われた。当然そっちも追加で注文してしまった。



結局、トンカツ中心の宴になってしまい、あとで太田胃散のお世話になった。でも、このトンカツは旨味と甘味が極上だった。

3500円という値段のせいもあって妙に気分が上がった。ヘンテコな喜びである。ちなみに銀座にあった6千円のトンカツを出すトンカツ割烹が閉店していたのは少し淋しい。

話がそれた。

平田牧場は日本橋にある別な店で、肉はウマいけど衣がイマイチだと感じたが、こちらの店は揚げかたもバッチリだった。

ソースぶりぶりで食べるのがトンカツの正しい食べ方だから、いまどきのハヤリみたいな塩で食べるパターンは苦手だ。

そんな保守的な私でも卵とじならニンマリする。ソースの魅力には少し劣るが、塩で食べるなどという「間違った感じ」に比べれば大歓迎である。



こちらは銀座にあるカウンター割烹「そうな」で食べたカツ煮だ。カツ丼の上だけバージョンである。カツ自体が抜群に仕上がっているのに艶めかしいタマゴをまとうわけだから贅沢な一品だ。

ハイボールに合わせたら天国にいるような幸せな気分になれる。

こんな話をツラツラと書いていたら、トンカツ探究心がムクムクと強まってきた気がする。今の住まいの近隣エリアではトンカツ探訪をしていないので、今後、ウマいトンカツ探しに精を出してみようと思う。

2020年3月2日月曜日

クスリ漬けの日々


更年期とやらのせいだろうか、やたらと不調である。1か月ぐらい前から右肩が痛いし、手の指も強めに握ると痛い。ピアノが弾けなくて困っている。もともと弾けないが・・・。

魚をなるべく控えめにしているのに、焼鳥屋で飲んだ夜にも全身アチコチが痒くなる。決まって夜の遅い時間にかゆみが強まる。ついでに言えば以前より腰の痛い日も増えた。

で、ダメ押しみたいに私を襲ってきたのが花粉症である。これまでも花粉の季節に多少は目がしょぼしょぼすることはあったが、いよいよコップの水が溢れたらしい。

某日深夜、両方の鼻が詰まって呼吸が苦しくなって目が覚めたのがきっかけだ。運良く自宅に点鼻薬があったので助かったが、それ以来、鼻にシュッシュと吹き込むヤツが手放せなくなった。

何もしていないのに急に鼻水がタラ~っと流れる症状もある。いっぱしである。花粉症を甘くみていた報いが今頃になって私を苦しめている。



アレルギー薬や各種対策グッズに手を出し始めてから何とか落ち着いた。夜遅くに身体のアチコチがかゆくなる症状も薬を飲み始めたら治まった。かゆみも何かのアレルギーだったのだろう。

今は気軽に病院に行くのも恐い。だから花粉症かどうかをキチンと調べたわけではない。でもとにかく鼻がキツい。

当初は熱まで出た。今の時期の発熱にはビビったが、咳やその他の症状が無いから純粋に花粉が原因だろう。鼻炎で発熱することは珍しくないらしい。

4万円近くもする空気清浄機も買ったし、いろんなスプレーやらメガネやら対策グッズを随時購入中だ。大散財である。

それにしても世の中の花粉症の人々は毎年こんな壮絶な闘いを繰り広げていたのかと思うとビックリする。

わが国のGDPだとか各種の生産性に甚大な被害を与えているのは間違いない。私が慣れてないせいもあるのだろうが、とにかくダルくて仕方ない。

アレルギーの薬を13回飲み始めた。なんだか毎日毎日すごい量の薬と付き合うようになってしまった。

アレルギーの薬とは別に、毎朝、血圧を抑える薬、逆流性食道炎の薬、ハゲ予防薬に加えて、ビタミン剤、プロポリス、リジン、ノコギリヤシのサプリを服用している。

帰宅後はコレステロールの薬の他、ナットウキナーゼ、セサミンなんかのサプリを欠かさない。太田胃散もしょっちゅう飲む。

一応、飲み合わせの問題を気にして朝も夜も何回かに分けて飲んでいるから割と面倒な作業である。

職場では青汁も頑張って飲んでいるし、薄ら寒いと感じたらすぐに改源と葛根湯も飲んじゃう。

もっと言えば、ハゲ予防薬は飲むだけでなく、朝と夜に頭皮に塗るヤツも10年ぐらい使っているし、ローヤルゼリーとかユンケル系のドリンクにも頻繁に手を出す。

ヘパリーゼやウコンの力もちょくちょく飲むし、ドサクサ紛れに言うなら女性とネンゴロになる時に怪しい薬?を頼ることも無くは無い・・・。

なんだかこう書いてみると、かなりの「クスリ漬け」である。健康オタクなのか、騙されやすいタイプなのか、神経質なのか、いずれにせよ、あまり誉められたものではない。

一気に全部やめてみたら一体どんな状態になるのかちょっと気になる。意外に何も変わらないのかもしれない。

たかだか1泊で出かける際にも、薬やサプリはちゃんと持参する。小分けにして準備するのがちょっと面倒だが、生活習慣になっているからサボるほうが落ち着かない。

これも一種の中毒である。ヤク中である。薬やサプリにがんじがらめにされている気分だ。トンチンカンな話だと思う。