2016年3月30日水曜日

香港漫遊記


香港には5~6回は来ているが、最後に訪ねたのは12年ほど前。まだ娘がヨチヨチ歩きの頃だった。

その時は、娘が熱々の料理に指を突っ込んでヤケドしてしまい、救急で病院に行った。黒人の哲学者のようなお医者さんに親切に診てもらったのが懐かしい。

あれから10年以上が過ぎて、今回は娘との二人旅だ。料理に指を突っ込むことはなくなったが、親以上にワシワシ料理を食べるようになった。

ということで、美食都市香港を満喫しようと思っていたのだが、ホテルのラウンジサービスのせいで私の計画はことごとく頓挫してしまった。

前半に訪ねたマカオのホテルでもそうだったのだが、香港のホテルでも、いわゆるクラブラウンジ的なサービスが受けられた。

「タダなら食べなきゃ損だ」がモットーの娘は朝も昼も夕方もラウンジで提供されるお菓子や軽食を食べまくる。結局、いつも満腹状態でマトモなレストランに行く機会がなかなか作れなかった。

香港の宿はインターコンチネンタル。昔のリージェントだ。海沿いに建つ夜景を眺めるには最高の立地のホテルである。その昔、ここのロビーでジャッキー・チェンに偶然遭遇した思い出のホテルである。冒頭の画像は部屋からの眺めだ。

ホテルのクラブラウンジは朝食ビュフェ、アフタヌーンティー、カクテルアワーそれぞれで豪華にアレコレとウマいものが並ぶ。無料で食べ放題である。


とくにアフタヌーンティーの時間が魔物?で、女子が狂喜乱舞しそうなスイーツが数多く用意され、チャーシュー饅頭や水餃子といった点心も並んでいる。おまけにそれぞれがやたらとウマい。

毎朝、遅めの朝食を食べて散策に出かけ、疲れていったん戻ってきたタイミングで「スイーツ&点心攻撃」である。午後の遅い時間にそんな過ごし方をするから夕飯のタイミングを逃すわけだ。

それでも、絶対に食べたかった「ガチョウのロースト」だけは死守?しようと、満腹状態の娘を連れて出かけたのが老舗の「鏞記」(ヨンキー)である。

その昔、香港に来るたびに必ず訪れたロースト系料理をウリにする有名店だ。プラムソースにつけて食べるガチョウのローストが名物。


私の舌が肥えたのか劣化したのか、かつてほど感動しなかったが、香港といえばローストである。満腹だったはずの娘にブリブリ食べられてしまい、ドカ食い出来なかったのが少し心残りである。

香港を始めとする中国南部はロースト系の料理の本場だとか。この手の食べ物の代表格といえば「蜜汁叉焼」である。甘い味付けのチャーシューだ。

蜂蜜を塗って焼き上げるのか、焼き上がったものに蜂蜜を塗っているのかは知らないが、私にとって香港といえば「蜜汁叉焼」のイメージだ。


この画像はガチョウの名店「鏞記」で出てきた「蜜汁叉焼」である。味は良かったが、ジューシーな部位よりパサパサの部位が多くてイマイチ。満腹だったはずの娘にジューシーな部位をどんどん食べさせたので、これもまた私としては心残りである。

日々、大したあてもなくブラブラしていたのだが、香港初心者の娘に体験させたいことはいろいろあった。街のラーメン屋的な大衆麺料理屋に連れていくのもその一つだ。

とある日、例のごとく満腹だと言い張る娘をそこら辺の麺屋に連れていった。漢字メニューしかないようなローカルな店である。

汁ナシか汁アリか、具材が肉類なのかワンタンなのか程度しか解読できないので、テキトーに注文する。



牛すじが載った汁ナシ麺とワンタン麺が出てきた。素直にウマかったので満腹だったはずの娘がワシワシ食べる。おかげでガツガツ食べられなかった父親としては少し心残りである。

そして最終日、相変わらずラウンジでマカロンや点心をつまんでしまい、夜になっても空腹にならない娘を連れて遅い時間にホテル内の高級中華料理店に連れて行く。

「欣圖軒」という店だが、ミシュランの二つ星を取ったこともあるらしい。1回ぐらいは高級中華を体験させたいという親心?である。

そうはいっても、二人とも空腹バリバリ状態ではない。注文しすぎないように注意していくつかの料理を味わう。


鴨のローストと「蜜汁叉焼」を半分づつ盛ってもらう。両方とも絶品だった。とくにチャーシューは目ン玉ひんむくほどウマかった。当然、満腹の娘もガツガツ食べる。




こちらは海老のすり身料理と鶏の煮込み料理とチャーハン。チャーハンはサーモンと卵白が主役。パラパラの仕上がりが素晴らしかったが、アスパラがごつごつ入っていたので、野菜嫌いの娘はあまり食べなかった。ようやく私にドカ食いのチャンスがめぐってきたが、私は娘以上に野菜嫌いな
ので結局残してしまった。ちょっと心残りである。

そんなこんなでマカオ・香港6日間の旅が終わったわけだが、スマホケースやドラッグストアで売っている小物だとか、アバクロなどのカジュアルファッションばかりに興味を示す娘のおかげで、高い買物をさせられることがなかったのが助かった。

四六時中べったりだったから父親の買物もほとんど無し。高い靴なんかを衝動買いする機会がなかったことも私の財政運営上はラッキーだった。

なにより毎日いろいろな話が出来たのが幸せだった。父親の考え、娘の思いそれぞれを伝え合うことが出来たのが一番の収穫だ。私の人生の中で最高の6日間だったと言っても過言ではない。普段一緒に暮らしていないせいで、自然とお互いが一生懸命に時間を共有したような感じだ。

旅行のあと家に戻った娘は、楽しい時間が終わったことが悲しくて少し泣いたそうだ。なんともまあ可愛いエピソードだ。こっちまでウルウルしそうになる。

あと1年2年経って、娘が「オヤジ、ウザい!死ね!」などと言い出す日が来てもヘッチャラだと思えるほど良い関係性を確認できた気がする。

いつか自分が死んじゃう時に走馬燈のように脳裏に甦る光景は今回の旅だろうなあと思っている。

2016年3月28日月曜日

マカオと中国パワー


マカオと香港に行ってきた。

「富豪」を目指すうえではマカオのカジノでVIP扱いされるほどギャンブルざんまいの日々を過ごすべきだが、世の中そう単純ではない。

今回は娘との二人旅である。カジノだらけのマカオでエッグタルトを求めてさまよい、ファストファッションの買物に付き合ったぐらいである。実に健全な休日だった。

マカオのカジノの売上はラスベガスを上回るそうだ。中国パワーの凄さを物語る話だ。実際に今回見てきたマカオの発展ぶりは驚異的だった。

ラスベガスも単なるギャンブルタウンからファミリーでも楽しめるエンターテインメントタウンに変貌を遂げたが、マカオも同様で、市街地から橋を渡ったエリア全体がレジャータウンとして開発されている。


街全体がテーマパーク状態と呼べる規模で、キンキラキンの巨大ホテルが乱立し、それとともに各種の劇場やシアター、巨大ショッピングセンターがゴロゴロしている。

カジノに行かなくても退屈しない一大レジャーランドがいくつもある感じ。おまけにアチコチで同様のテーマパーク的施設がガンガン建設中だった。あと10年もしたら世界でも希な桃源郷が出現するはずだ。

今回泊まったのはホテルオークラである。グッチャグッチャに派手なテーマパークホテルも検討したのだが、中国人団体客の乱痴気騒ぎを予見?して、あえてシットリ系を選んだ。

とはいえ、ホテルオークラもギャラクシーというレジャーランド内に位置しているため、ホテル内は静けさが心地良いが、ホテル棟を一歩出れば、ギンギンギラギラのカジノやショッピングモールに連結している。おかげで退屈知らずに過ごせる。


運良く部屋をアップグレードしてもらってやたらと豪勢なスイートに通された。中学生の娘にとっては教育上非常によろしくないことだが、ワガママオジサマである私には最高である。

広すぎて不便なほどの客室が有難いだけでなく、水回りにはジャグジーもあるし、サウナまであった。極楽である。


こんな部屋を体験してしまった娘の将来がマジで心配である。あくまでこの状況は普通じゃないことを5分に1回ぐらい話して過ごす。

オークラが入っているギャラクシーという施設から徒歩圏内にヴェネチアンというこれまたド派手なレジャー施設がある。複数のホテル、カジノ、巨大ショッピングモールがあるのだが、ここの凄さがマカオのハイライトだろう。


中国人の観光客でごった返すホテルの派手さはこの画像の雰囲気でもお分かりだろう。ラスベガスで成功したレジャー施設がマカオにも進出したそうで、名前の通りコンセプトはヴェネチアである。

ホテル併設のショッピングセンターは300店もの規模。まさに何でもかんでも揃っている。おまけにヴェネチアの街を再現した造りが圧巻で、迷子になるほど広い範囲にインチキヴェネチアが作られている。


ヴェネチアだから運河も広範囲にわたって再現されている。もちろんゴンドラもぶりぶり往来している。ゴンドラツアーには中国本土から来たと思われるオサンオバハンが殺到。なかなかシュールな、いや印象的?な光景だった。

人工的なレジャーランド的な楽しみとは別に、ポルトガル統治時代の街並の美しさもマカオの特徴だろう。

旧市街に点在する名所はそこはかとなく昔のヨーロッパ風のたたずまいで、ぶらぶらと散策するだけで楽しい。お隣の香港には無い風情が味わえる。




そんな街を歩きながら、得体の知れないジュースやお菓子を手に親子二人で他愛のない会話を交わす時間がとても楽しかった。

マカオ名物のエッグタルトは、ヤケドするほど熱々の状態で売られていた。味のほうは熱くてよく分からなかったが、私にとってはそれも一つの想い出である。

今回の旅では、父親の威厳?をキープするためにアレコレ奮闘したのだが、私のケッタイな語学能力?を娘が尊敬してくれたことが収穫だった。

昨年、中学生の英語スピーチコンテストで東京代表に選ばれた娘としては、父親の代わりに現地でのコミュニケーションに奮闘する気でいたようだが、旅先でのチマチマしたやり取りには苦戦していた。

その点はハチャメチャな言語を駆使して世界を旅してきた私のほうが一枚も二枚も上手である。

ジェスチャーだけで複雑な要求を通したり、状況によっては日本語のままで相手を説き伏せる私の謎の能力?を目の当たりにした娘にとっては、父親が不思議な生き物に見えたかもしれない。

長くなったので香港の話は次回。

2016年3月25日金曜日

1427回目


このブログは今日で1427回目の更新になる。足かけ9年、よくもまあ続いたものだと思う。

「よっぽどヒマ人なんだろう」というご指摘はさておき、結局私は何かを書き殴っているのが好きなのだろう。

これを書くことでお金をもらえるわけでもなく、地位が上がることも名誉を得るわけでもなく、もちろん、モテることもない。

既に習慣になっているので何気なく続いている。どことなくジム通いみたいなものだろうか。いや、あれは自分の身体が鍛えられる効果があるからちょっと違う。

マラソンみたいなものか。あれもゴールする喜びや達成感というモチベーションがあるから全然違う。

このブログで私の何かが鍛えられるはずもなく、達成感みたいなものとも無縁だ。

結局、日記である。いや、日記はもっと内省的なはずだから、誰かに面白おかしく読んでもらいたいと思っている時点で違う。

趣味か?それが一番しっくり来る。

実は、今日これを書き始める段階では、「このブログは趣味だ」という着地点はまったく考えていなかった。書くことによってそういう結論になった。

適当に書いているうちに勝手に自分の中で整理されていく感じが、こういう雑文を書くうえでの面白い部分だ。

もちろん、書き始める前から起承転結がイメージできている話もあるが、半分以上は単にテーマだけ決めて書きはじめる。

仕事で記事を書くのとは違って、チャッチャと勢いで書こうとするから着地点は書いている時の気分次第になる。

脳ミソには程よい刺激もあるだろう。私にとってはボケ防止の効果もあるのかもしれない。

で、実は旅行に出ていた関係で更新が出来ておらず、今日は過去「1426回」の中からオススメ?のアーカイブを載せてお茶を濁させてもらいます。


まずは世の中に溢れる仮面夫婦についての考察。


★仮面夫婦
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2013/07/blog-post_17.html


続いては、「寅さんには大事なことがいっぱい詰まっている」ことを力説した話。


★名言 
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/10/blog-post_26.html

2016年3月23日水曜日

お寿司屋さんで過ごす時間 銀座「よしき」


お寿司屋さんのカウンター。日本人にとっては当たり前の光景だが、これって世界に誇るべき日本の食文化の形だ。

目の前にいる職人さんとやり取りしながらメニューに関係なく好きなものを状況に応じて出してもらう。究極の外食スタイルだと思う。

大食いの人と小食の人が一緒にいてもそれぞれが楽しめる。酒を飲む人と飲まない人が一緒でも成立する。もちろん、一人でポツンと過ごすのもアリだ。

「一人まったりお寿司屋さんで過ごす時間」。私がこよなく愛する時間である。ひょっとしたら趣味と言えるかもしれない。

ゆっくり飲みながら過ごすと1時間半から2時間ぐらいは腰を落ち着ける。昔々、寿司が江戸のファストフードだったことを思うと長っ尻である。

とはいえ、今は江戸時代ではない。まっとうなお寿司屋さんでしっかり飲んで食べればそのぐらいの時間はかかる。極端に長居しなければ野暮というほどでもあるまい。

でも、1時間半ぐらいが頃合いだろうか。2時間は少し野暮ったいだろうか。銀座あたりで綺麗どころの「同伴」に付き合ったり、オッサン同士で難しい話をしながら過ごせば2時間ぐらいになるパターンが多い。

“ひとり寿司”だったら1時間~1時間半ぐらいが無難なところか。なんともよく分からない。

もちろん、時間の長短だけで野暮だのイキだのを論じても仕方がない。食べる量、注文するモノによっても時間のかかり方は変わる。

長っ尻の野暮太郎である私だって、下町の某寿司屋に行く時はいつも1時間ちょっとで終わりにしている。

別にイキを気取っているわけではない。その店に行くのはあまり酒を飲みたくない気分の時なので、ビールの他には熱燗を小さい徳利で2本。食べるのは小鉢のツマミを2つ。刺身をちょこっと。あとは握りを7~8貫で終わりである。

それ以外の店では、もう少しダラダラ飲んでしまうので2時間ほど居座ってしまうことが多い。

先日、ゲスの極みならぬ野暮の極みで、久しぶりに訪ねたお寿司屋さんで4時間もダラダラ過ごしてしまった。反省。

その日、顔を出したのは銀座の「よしき」というお店。実に5年ぶりに出かけてみた。
特別な理由はないのだが、何となく行きそびれたまま行きにくくなっていた。


昨年の後半、何度か覗いたのだが、その都度、満席で断念。この日思い立って電話してみたら運良く空いていたので5年ぶりに訪問。

靴を脱いで上がる掘りごたつ式のカウンターがくつろげる。広くない空間だからこその「おこもり感」が快適だ。

一人で切り盛りしているのは30代後半の大将だ。有難いことに以前からこのブログ
を読んでくれており、おかげで5年の空白があるにもかかわらず色々な話で盛り上がらせてもらった。

お互い5年もあればいろいろある。完熟オジサマである私はともかく、大将は30代だ。30代の5年は何かと面倒で厄介な時期だろう。

で、アーだのコーだの話しながら飲み食い。気付けば4時間である。さすがに長過ぎ。すっかり野暮太郎である。

大将の年齢からすれば円熟という言葉は当てはまらないだろうが、5年の歳月はこの店の味を進化させていた。

もともと美味しいお店だったから再訪したくなったのだが、5年前に比べて洗練度が増したというか、てらいが無くなったというか、うまく表現できないがスッキリした印象があった。

まあ、5年前もそんなに頻繁に食べにいったわけではないのでエラそうに語るのはそれこそ野暮である。でも何となくそんなことを感じた。

日本酒もわんさか用意されていて、ウマい肴もアレコレあるからしっかり飲んですっかり酔ってしまった。

5,6年前に初めてこの店を訪ねた時に印象的だったのが海老の握り。土佐酢で締めた車海老である。一般的な茹で海老とはまるで風味が違う独特の一品だった。

今回、久しぶりの海老の握りを楽しみにしていたわけだが、以前より確実に進化していた。まさにバッチリな塩梅だった。食感、味付け、シャリとの相性すべてのバランスが抜群でおかわりした。

なんだか海老のことしか書いていないが、海老の握りのレベルを思えば他のネタも美味しくないはずがない。

次回はせめて2時間をメドに出かけようと思う。居心地が良いとすぐに長居しちゃうから気をつけないといけない。

そんなことより、行きそびれて5年も経たないように気をつけようと思う。

2016年3月18日金曜日

娘との関係  厳選洋食さくらい


さすがに目の中に入れたら痛いだろうが、娘の可愛さは特別である。親バカなどと言われるが、親がバカにならなくてどうする!というのが私の持論だ。

先日、娘が泊まりに来た。いつもは手のかかる息子とセットでやってくるのだが、今回は一人で来たので、ぶらぶらと夜の街を散歩することにした。

最近、私が下町で飲み歩いているという話をしたら、娘はそっち方面に行きたいと言い出した。もうすぐ15歳になる娘にしては恐いもの見たさのような感覚だろう。

というわけで、夜の上野のガード下あたりを散策。ディープゾーンである。ここのモツ焼はウマいぞ、こっちの餃子はデカいぞなどと娘にとってはちっとも参考にならない解説を繰り広げながら歩く。

夕飯は御徒町と湯島の中間にある「厳選洋食さくらい」を選ぶ。前々から気になっていた店だが、食べ盛りの子供を同行していればアレもコレも注文できる。ドカ食いモードで訪問。

いやはや、実にウマい店だった。娘とデートしているウキウキ気分のせいでそう感じたわけではない。東京の洋食屋さんには割とうるさいつもりの私が心底感服した。注文したすべてがウマかった。






トリッパのトマト煮込み、カニクリームコロッケ、ナポリタン、ビーフシチュー、チキンドリアである。

これ以外にもイカ墨の煮込み料理や鳥の照り焼き丼もオーダーした。

二人で食べるには気が狂ったような品数だと思われそうだが、その理由はメニュー構成にある。この店のエラいところは大半のメニューがハーフサイズで注文できることだ。

画像のナポリタンもシチューもハーフである。ちょっとずつ洋食屋さんっぽいものを味わいたい場合には最高である。客の立場に立った素晴らしいサービスだ。

シチューのソース、コロッケのベシャメルソースの上質な味わいは数ある東京の洋食の名店の中でもトップクラスだと思う。

付け合わせのマッシュポテトやポテトサラダもテキトーな店のそれとはまるで次元が違う。本気でウマい店は付け合わせもウマいという方程式を再認識した。

その後、家に帰って映画を見たり、旅行の計画を練ったりしながら過ごす。思春期の女の子にしては珍しく父親と一緒のベッドで寝たいと言ってくれるのが嬉しい。そんなことを言われるのもあとわずかだろう。

ひょっとしたら同じベッドで寝ることなど人生で最後の機会かもしれないなどとセンチなことを考える。でも、娘の年齢を考えたらあながち大げさではない。幼かった娘がそこそこの年齢になり、大人になる前の数年間って貴重な時間なのかもしれない。

翌日の夜、娘を送り帰したついでに元嫁と久しぶりに長々と話し込んだ。私にとっては、動悸、息切れ、めまいがしそうな時間?なのだが、子供達の教育問題についての意見交換である。

結果的には建設的な議論が出来たから良しとしよう。基本的に元嫁と話が噛み合うことはないのだが、子育て問題なんて正解があるわけではない。

それでも意見をぶつけ合えば、少しは参考になる部分もあるだろうし、たとえ、その場で否定されたことでも、こちらが強く主張したことは相手の脳裏に残るものである。

女親と思春期の娘の関係は時に微妙な軋轢を生む。男親として少しばかり介入することが娘にとって役に立つなら、そういう時間を作ることも大事だろう。

娘のことについて、「一緒に暮らしていないんだから分かるわけがない」、「時々会っているだけだから本当の姿を見ていない」などと元嫁サマからはアレコレ言われる。

そんなことは百も承知である。こっちだって、毎日一緒に過ごしていた時とは娘への接し方は多少なりとも変わったはずだ。子供がいながら離婚したこと自体が既に子供にとっては絶対悪である。それを分かった上で、ダメ親なりに必死に父親像を模索しているつもりだ。

元嫁に言われるまでもなく、娘と私はお互い“エエ格好しい”の状態になっている部分はある。でも、それって別に悪いことではない。相手に良く思われたいと願って少しばかりの演技をしたり、時には打算のような感情が生まれるのは人間にとってごく普通のことである。

娘にとっても、そういうことを大人になる前に経験して学ぶことは意味のあることだと思う。同居していようがいまいが、親子だろうが何だろうが、全部が全部“素”のまんまで接しているほうが不自然かもしれない。

離れて暮らすようになって3年半、親の勝手な都合で心を痛めることになった娘との付き合い方、絆の深め方などに腐心してきた。それだけを考えてこの数年を生きていたと言っても大げさではない。

“オイシイとこ取り”と非難されようとも、娘の逃げ場所のような存在でいようと強く意識して過ごしてきた。当たり前の話だが、父親がいなくなったわけではないことを徹底して伝えてきたつもりだ。

幼子に毛が生えた程度だった娘も3年半が経って、まだまだ子供とはいえいっぱしの口をきく年頃になった。母親に言えない話や人間関係の悩み、はたまた恋バナまでするようになった。

この3年半は決して空白期間ではなく、娘との関係を新しい段階に引き上げる時間だったと思い込むようにしている。手前味噌だが、そこそこそれが出来ているという自負もある。勝手な親の都合の良い思い込みかもしれないが、そう思わないとこっちも滅入ってしまう。

思春期の娘の本心なんて結局は分からない。でも、ともに笑い、泣き、はたまた腹を探り合ったり、意見をぶつけ合ったり、そして心から共感しあったりしている。とても嬉しく有難い話である。

今日は洋食の話を書くつもりが、久しぶりに心情吐露系の書き殴りになってしまった。大脱線である。

2016年3月16日水曜日

気持ち悪い話


今日はちょこっと硬い話です。「記者」などと名乗っている以上、1年に一度ぐらいは真面目な話も書いてみよう。

「国連」。子供の頃は何だか凄い組織だと闇雲に思っていた。世界全体を適切にリードする崇高で権威ある存在といったイメージが刷り込まれていた。

日本は小さい国だし、敗戦国だし、何となく西洋社会のほうが立派に見えてしまうという典型的な幼稚な島国根性がそんな「誤解」の原因だったのだと思う。

昨年、史実が曖昧な南京事件関連資料を国連の一機関であるユネスコが世界遺産登録した愚挙は記憶に新しい。

そしてまた、国連の女性差別撤廃委員会とやらが日本にイチャモンをつけている。慰安婦問題に関する日本政府の取組みが不充分だとの最終見解なるものを発表した。

言うまでもなく、慰安婦問題は、昨年暮れに日韓両政府の間で「最終的かつ不可逆的に解決した」ことは周知の事実である。

当事者である主権国家同士が公式に合意して世界に発信している事柄にもかかわらず、よく分からない組織にウケ狙いであざといパフォーマンスをされたような感じだ。

慰安婦問題はさておき、同委員会は、わが国の民法が規定する女性の再婚禁止期間や夫婦別姓などについても見直すように勧告している。

どの国にもそれぞれの伝統に基づく家族制度、家族観があり、世界レベルで画一化する性格のものではない。

それぞれの国に「国柄」がある。国柄とはその国の風俗、習慣、文化などその国を成り立たせている特色である。この部分は、グローバルスタンダートか否かで語る話ではない。

夫婦別姓問題や再婚禁止期間に異論や批判があるのは当然だが、それはそれで自分たちの国の中で、国柄に合わせた議論によって改善すればいい話。国連のナンチャラ委員会にブツブツ言われることではないと思う。

びっくりポンというか、開いた口がふさがらないのが、同委員会が皇室典範にもイチャモンを付けようとしたことだ。

すなわち、男子による皇位継承を定めているのは女性差別であると勧告する予定だったという。いやはや、実に思慮の浅い人々が集まった委員会である。

女性天皇の問題は、神道における各種儀礼が絡むこともあって、国民的議論が避けられない複雑な案件だ。女性差別うんぬんとは次元が違う。

こんなことを短絡的に指摘しようとする連中だから、それ以外の改善要求も、いかに場当たり的で底の浅い発想に基づくものかが分かる。

右翼的なことを言うつもりはないが、日本という国は、世界にも希な貴重な伝統をつないできた特殊な国だ。文化的背景を無視するどころか、国の尊厳を脅かしかねない低レベルの屁理屈には毅然とした姿勢で対峙すべきだろう。

国連は世界各国の分担金で運営されているが、日本の負担金はヨソの国より遙かに高額である。1位の米国がしょっちゅう滞納することを思えば、実質的に日本が支えているといっても過言ではない。

にもかかわらず、第二次大戦の戦勝国によって結成された経緯のせいで、いまだ国連憲章には日本を敵国と位置づける条項が残っている。

この「敵国条項」を平たく言えば、安保理の決議無しに武力攻撃を受けても日本は文句を言えない立場に置かれているということ。ずいぶん一方的な話である。

敵国扱いをやめない組織にせっせとカネを運んでいるスットコドッコイぶりが残念ながら国連と日本をめぐる実態だ。

外務省が何をしているのか詳しくは知らないが、最前線であるはずの国連大使のポストは外交官にとって名誉職なんだとか。いわば一丁上がりのポストだ。

そんな呑気な貴族趣味のような外務省の姿勢も日本がコケにされる一因だとしたら堪ったものではない。

我々の納めた税金が国連を支えるために湯水のごとく使われるのは不愉快だ。国が貶められる結果になるのなら、この上ない税の無駄遣いである。

2016年3月14日月曜日

神田「その田」 御徒町「ぽん多本家」


相も変わらず下町散策を続けている。先日は、30年前に亡くなった祖母の出生地周辺をウロウロしてみた。

その帰りに「谷根千」に足を伸ばし、谷中霊園をブラブラしてから肩こりがとれなくて困っている。何か乗っけてきてしまったのだろうか。くわばらくわばら。

さて、3月の東京の下町といえば、東京大空襲を忘れてはいけない。終戦の年、ひと晩で10万人以上が亡くなった空襲は3月10日のこと。一説によると「地球史上最大の大量虐殺」とも呼ばれる。

今では知らない人も多いが、ぴんぴんしている私の母親でも記憶に残っているほど最近の話である。風化させてはいけない負の歴史だと思う。

さてさて、話題を変える。今日も食べ物の話。

神田で食べたフグと御徒町で食べたトンカツのことを書く。何の脈略もなくて恐縮です。


フグの楽しみはヒレ酒に尽きる。元も子もない話だが、最近つくづく痛感する。ポン酢をまとったフグ刺しを口に放り込み、味の余韻が消えないうちにヒレ酒をすするアノ幸せは例えようがない。

アノかぐわしさ、アノ満ち足りた気分、まさに至高の瞬間である。心の底からニッポンのオッサンでいることを神に感謝したくなる。


この日は神田にある「その田」という店に旧友と出かけた。三代目として板場に立つ男は中学高校の同級生である。中学時代は野球部の仲間として迷惑をかけまくった相手だ。

「これからを担う若旦那」だとばかり思っていた彼も考えてみれば50歳である。ちっとも若旦那ではない。

旧友と飲んでいると、十代の頃のアホバカ時代に戻ってしまう。きっと三代目の彼のことも60歳になろうが70歳になろうが「これからを担う若旦那」だと思い続けるのだと思う。




白子焼き、焼きフグ、唐揚げである。こういう品々をヒレ酒で味わうわけだからウヒョウヒョである。若かりし頃はフグの魅力が分からなかったが、やはり年の功である。滋味バンザイだ。

中高年だから分かる喜びの裏側には、中高年だからこその悲しさもある。すなわち、すぐに腹がいっぱいになることだ。

最後の雑炊はもちろん、その前のメインイベントのようなフグちりすら苦しくて食べられなくなってきた。実に残念である。

いっせいにドカンと出されれば勢いでワシワシ食べられるのだろうが、さすがにフグの宴でそんなことは有り得ない。

「少しずついろいろな物をゆっくりと」。王道和食の基本的な食べ方だが、最近、このパターンだとちっとも食べられなくなってしまった。

今の私の大いなる悩みであり課題だ。

ということで、ドンと出される食べ物は相変わらずドカドカ食べられるので、ドンと出てくる代表のようなトンカツの話に移る。

上野というか、御徒町にある「ぽん多本家」に出かけた。今年になってから、すぐそばの湯島散策に励んでいる以上、この店に行っていなかったことが気になって仕方がなかった。

人気店だし、いつも混んでいるのだが、運良くさらっと入れた日があった。


まずはエビクリームコロッケである。カニでもエビでもチキンでも構わないほど、私はクリームコロッケが大好きである。

変な言い方だが、クリームコロッケに高い値付けがされていればいるほど無性に食べたくなる。

正確に覚えていないが、この店でも2千円以上はしたはずだ。さすがにウマい。揚げ加減が完璧だ。ビールを延々と飲めそうな感じ。


こちらは真打ちのトンカツである。湯島にある「蘭亭ぽん多」もそうだが、ここもヒレとかロースといった分類はなく、単に「カツレツ」である。

脂部分を取り去ったロース肉だ。ヒレ派の私でもこのパターンは好きだ。ジューシー過ぎることなく、豚の甘味、旨味を味わえる。

ボリュームもあって嬉しい。バカうまでも量が少ないと侘びしい気分になってしまう。豚との相性が抜群の芋焼酎が無かったので、冷酒とともにガツガツ食べる。

さすがに評判の高い店だ。レベルの高いトンカツに大満足だった。メイン料理の他に気の利いたツマミが2品ぐらいあれば頻繁に通いたくなるが、あくまで食事に徹しているようで、それだけが残念。

ということで、オチも何もありませんが、下町にはウマいものが溢れているのは間違いない。

2016年3月11日金曜日

香川照之の人間性



今日は俳優・香川照之の話を書く。

3~4年前にもこのブログで書いたが、彼とは小学校、中学、高校と同じ学校に通った。

東大に進むようなちゃんとした学生だった彼と、アホバカ連合の中核?だった私とはさほど付き合いがあったわけではない。

とはいえ、小規模な学校だったため、幼い頃から面識はあったし、彼がボクシングマニアだとかフランス語クラスのエースだったとか花札が好きだとか、彼の母親が我が憧れの桜田淳子ちゃんの母親役を演じたから羨ましいとか、どうでもいい記憶だけは結構ある。

俳優業に進むうえで、末端のADの仕事を経験することから始めて着実に細かい仕事を重ねて実績を積み、近年ではマルチプレーヤーとして大活躍である。

数年前、歌舞伎の世界に挑戦することになった時に、ひょんな事から後援会的な作業をほんの一部だけ手伝ったのだが、その際に改めて触れた彼の男気については過去のブログでも書いた。

香川照之の男気
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/03/blog-post_14.html


香川照之の挑戦
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/06/blog-post_08.html


先日、ひょんな事とひょんな事が重なり、4月から始まるドラマの撮影現場に彼を訪ねる機会があった。

TBSの日曜劇場「『99.9―刑事専門弁護士―』という作品で、嵐の松潤とタッグを組むことで注目されている。訪ねたのは撮影初日、都心のとあるオフィスビルだ。


実は、このドラマのロケ場所などをめぐってあれこれ偶然が重なって、彼と何度か連絡を取り合った。で、ひょんな経緯で現場を覗かせてもらったわけだ。

松潤や榮倉奈々より岸部一徳をナマで見られたことに興奮した私のヘンテコぶりはさておき、今日は「香川照之」のエラい部分を書きたい。

ドラマの撮影初日は何かと現場には固さがあるそうだ。そんな日に旧友がノコノコやってくるなんて迷惑な話だろうが、彼の気配りの凄さは並大抵のものではない。

集中力を高めて演技した直後の待ち時間にずっと私のバカ話に付き合ってくれたし、ちゃんと休まないとならない昼食休憩の際も、40年前の学芸会の話で盛り上がった。

これを読んでくださっている皆様は、そんな話ではなく、松潤がカッコ良かったのか、榮倉奈々の顔は小さかったのか、といったエピソードを期待しているのかもしれない。

残念ながら私が書きたいのはそんなことではない。私が声を大にして主張したいのは「香川照之」の人間性の素晴らしさである。心底頭が下がる思いをした。

はたして、逆の立場だったら、緊張するはずの撮影初日に部外者である旧友に細かな気配りができるだろうか。なかなか難しいと思う。

単に愛想良く応対するぐらいがせいぜいだ。それだって充分立派なことだが、彼はそれに加えて何かと余計なこと、面倒なことまで自ら動いて差配してくれた。

この日、突然訪問するまでのやりとりにしても、こちらの事情を瞬時に読み取ってくれた。学業優秀だったことは百も承知だが、それとは別の地頭の良さを痛感させられた。“忖度の達人”とでも呼びたくなる。

「人のふり見て我がふり直せ」。50歳を過ぎた男が今更ながらそんな大事なことを思い知らされた。

旧知の仲とはいえ、親しく交わっていたわけでもないのに相手が有名人になった途端に、さも親しげに接近するのは野暮の極みだと思う。

そんな感覚で勝手に一ファンとしてテレビなどを見ていた私だが、彼の男気に改めて直接触れたことで、野暮と言われようとも今後はもっと応援したいと思った。

この日、あれこれ話す中で、既に亡くなっている同級生の話になった。それを思えば、お互いに日々仕事があって、酒が飲めて、この歳になって旧交を温めながら自分たちのルーツを熱く語れることは幸せだと彼は語っていた。

まったくその通りである。

それ以外にも、あれこれ語り合う中で彼の口からは「ありがたい」というフレーズが頻繁に出てくる。仕事のこと、人との関わりなどすべてに一貫する姿勢だ。

人気者になっても天狗にならない彼の人間性は、周りにいるスタッフや出演者の態度からも読み取れた。結局は、日頃の姿勢が今のポジションにつながった部分が大いにあるのだと感じた。

ホレてまうやんけ!

そう言いそうになったが我慢しておいた。

「香川照之って物凄く男気があって立派な人物だ」。これから会う人会う人にいちいち拡声器のように言いふらそうと思う。

100人に伝えたって、その100人が誰かに伝えてくれれば、浅くとも広く静かに広まっていく。ポジティブな口コミは大事だ。

このブログをお読みいただいている皆様もどうか口コミ拡散の一翼を担っていただけたら有難いです。

有名人と知り合いであることを自慢するバカ。ロケ現場に行ったことを嬉しそうに語るバカ。そう言われても全然構わないので、あくまで香川照之は大した男だと声を大にして言いふらそうと思う。

2016年3月9日水曜日

海苔の旬 巻き寿司 高田馬場 鮨源


野菜や果物、魚にいたるまで一年中なんでも揃っているが、やはり「旬」を意識することは大事だ。

そんなことを感じたのは「海苔」のせいである。この冬はお寿司屋さんで巻き寿司を注文することが多かった。


海苔の旬は冬。ウマい海苔にあたると、何でもかんでも巻いてもらいたくなる。旬の海苔は世間的にもっと評価されていいと思う。

お寿司屋さんでホゲホゲ飲んでいると、つい寿司そのものが二の次になってしまう。刺身や酒肴でホロ酔いになってしまう。

野暮である。

握りを食べながら飲めばいいのに、昔からの習慣でなぜかそれが出来ない。米と日本酒は相性バッチリなはずなのに我ながら不思議だ。

で、巻き寿司である。固定観念というか先入観のせいで、ツマミ的な位置付けで、飲みながら食べることが多い。調子に乗って食べると結局、普通の握りには到達できないこともある。

カッパに鉄火。巻きもののルーツである。「クンタ・キンテ」みたいなものだ。分からない人、ゴメンナサイ。

カッパにはすりゴマをぶりぶり混ぜると独特の美味しさだし、鉄火も赤身さえ上等ならストレートにウマい。

応用編もいろいろだ。

マグロの赤身と梅干しとミョウガを混ぜ合わせて巻き寿司にするのもアリ。赤身と梅は想像以上に相性が良い。サッパリ系が好みならオススメだ。

冒頭の画像はトロタクで一献の図である。ネギトロが手に入れた巻き寿司業界No.1の座?を虎視眈々と狙っているのがトロタクである。

タクアンの味次第だが、ネギの辛味やエグい感じよりタクアンの甘味が品性を感じさせる?ような気がする。


この画像、パッと見はよく分からないが、マグロの中落ちと明太子をあえて巻いてもらった一品。ネギトロやトロタク的な「お馴染みのマグロの脂の味」が口に広がったかと思いきや、明太子の食感とピリっとした風味が追いかけてくるような感じ。

普通の握りではトロが苦手なのに、他の素材とミックスして巻いてもらうとガツガツ食べてしまう。

今日の画像はすべて高田馬場「鮨源」で撮った。毎週のように訪ねるので、今までもアレコレと試させてもらった。タルタルソースを軍艦巻きで食べるという不届きな注文にも応じてもらった。


これもこの店で知ったウマい巻きもの。穴子を巻き寿司にする場合、キュウリとセットにした穴きゅうが一般的だが、こちらは「穴なら」である。穴子と奈良漬けで巻いてもらう。漢字で書くなら「穴奈良」である。なんだか文化的な雰囲気?である。

鰻重には奈良漬けが付きものだが、穴子もウナギの親戚?だから組み合わせとしてはバッチリだ。


こちらは「ツナサラダ巻き」だ。元々はお通しで時々出ていたツナサラダを軍艦巻きにしてもらって食べ始めたのがきっかけだ。

上等なマグロで作るツナである。そこらへんのコンビニフードとは十段階ぐらい違う美味しさ。いまではツナファンが増加ししたため、週に一度は特製ツナサラダに出会える。

変な話、毎日あるわけじゃないという点が美味しさの何割かを占めているかもしれない。普段は軍艦で食べることが多いが、巻いても美味しい。


このスゴい食べ物は、巻きものの王者のような、その名も「十二単衣」と名付けられた太巻きを作っているところ。ここから巻き簀でグルリンポっとするところだ。

結構な頻度でお土産として注文が入る。文字通りはタネは12種類。寿司飯はなんと3合である。大量だ。

これは自分で食べるというより、作っている過程を眺めているのが楽しい。はみ出すこともなく、崩れちゃうこともない。綺麗に太巻きに仕上がっていく。見ているだけで満腹になりそうなほどだ。


先日、初めての巻き寿司を体験した。「アンキモ巻き」である。アンキモは冬の珍味として欠かせない存在だが、米と一緒に食べようという発想はなかった。

アンキモをつぶした状態でネギを散らして巻く。アンキモそのままだと食感がヘンテコだろうが、つぶしていることでネットリ感が出てなかなか美味しい。

こってりクリーミー系なので、シメの巻きものという感じではない。酒のツマミとしての巻きものだ。珍味好きなオッサンが日本酒とともに味わうには最高だ。

今日は海苔の話をあれこれ書こうと思っていたのに結局、酒の話で終わってしまった。

とにかく冬の海苔はウマい。念仏みたいにそんなことをブツブツつぶやくと、いつのまにか暗示にかかって普段よりも尚更ウマいと感じる。

2016年3月7日月曜日

吉良邸 江戸東京博物館


そろそろ冬ともオサラバである。散歩にいそいそと出かけたくなる季節だ。日頃、運動不足だから、せめて散歩ぐらいしようと週末はブラブラと街を歩くことが多い。

家の近所だと刺激が足りないから、普段なじみの無い場所を目的地にすることが多い。

若い頃は、若者っぽい街に出没したが、今では下町散策が楽しい。こういう行動パターンの変化も一種の加齢である。

15才の頃、テニスラケットを小脇に抱えて青山ベルコモンズあたりでカシスアイスを食べていたのだが、今では老眼鏡を片手に巣鴨で塩大福を頬張っている。

オトナになったもんだ。いや、オトナも通り越して老境に入りそうな感じだ。

華麗なる転身、いや加齢なる転身である。

さて、先日、両国界隈を散策してきた。その昔、隅田川を挟んでいた武蔵国と下総国が橋で結ばれたことで両国という地名が生まれた。何かの受け売りである。

両国を目指したのは相撲が見たかったわけではない。かつての「本所松坂町」、かの吉良上野介の屋敷跡に行ってみたかったからだ。


子供の頃からの忠臣蔵ファンとして、吉良邸の跡地を訪ねていなかったことは痛恨の極み?である。

赤穂浪士たちのふるさとである兵庫県赤穂市には何度も行った。浪士たちが主君・浅野内匠頭とともに眠る東京の泉岳寺にも何度も出かけた。

にもかかわらず、討ち入りの現場である吉良邸を無視していたのは問題だ。ということで、いそいそと訪ねてみた。

討ち入り当時は2550坪という広大な敷地だったそうだが、現在、記念公園として残されているのはわずか30坪ほどのスペース。小さな社と吉良さんの像が置かれている程度。

大小は問題ではない。紛れもなくこの地で四十七士の討ち入りが行われたのかと思うと「萌え萌え~」である。吉良さん、ゴメンナサイ。。。

周辺は普通の住宅地。一軒家やアパート、マンション、商店が並んでいる。公園になっている場所を除く2520坪の部分は、普通の人が普通に暮らしているわけだ。

「オレんち、昔は吉良邸でさあ、大石内蔵助とかが襲いに来ちゃったんだぜ」と知り合いに自慢できるわけだ。かなりカッチョイイ話だと思う。

吉良邸を後にしてふらふら歩いていると「与兵衛鮨」発祥の地という看板があった。華屋与兵衛といえば関西の押し寿司の向こうを張って江戸前の握り寿司を作り出した人だ。

自分が毎週のように食べている握り寿司が生まれた場所である。小さな看板があるだけだが、そこに立っているだけで妙に感慨深い気分になった。

その後、お相撲さんの力塚や鼠小僧の墓で知られる回向院を散策する。両国橋から隅田川も眺めてみた。動力のない船で往来するしかなかった時代を思えば、ここに橋が架かったことは革命的大事件だったんだろう。

そんなことアレコレ考えているだけで脳が活発に動く。いろんな妄想が浮かぶ下町散歩は私にとっての「脳トレ」みたいな効果もあるわけだ。


その後、江戸東京博物館に行ってみた。20年以上前に出来た時から興味はあったもの、この日初めて足を踏み入れた。

今まで一度も来なかったことを反省しちゃうほど面白かった。思っていた以上に見応えがある。まあ、こういうものを面白く感じられるのも加齢のおかげかもしれない。

普段、生粋の東京人として、東京のウンチクみたいなことを語りたがる私としてはこういうところでキチンと勉強しないといけない。



江戸城の精巧な縮小模型で忠臣蔵の発端となった「松の廊下」をしげしげ眺めた。ブチ切れした浅野さんが吉良さんに襲いかかった因縁の場所だ。

他にも江戸時代の街などが再現された模型に見入ったり、当時の暮らしを思い起こさせる資料や展示物がテンコ盛りだった。


江戸時代だけでなく、明治、大正、昭和へと変遷する街の歴史が分かりやすく展示されている。デカいから散歩の歩数も稼げるし、思った以上に「名所」である。

この日、両国の街を歩いていたら、ちゃんこ屋がやたらと目についた。「霧島」「寺尾」といった今では懐かしい名前の店を眺めるのも楽しかった。

地元の不動産屋も武蔵丸を起用して「いい部屋に“住もう”」というシュールなキャッチフレーズでPRしている。なんか良い感じだ。

東京に暮らしていれば、電車に乗ってチョチョチョイっと名所に行くことができる。マメにあちこちを散歩しないともったいないと感じた次第である。

2016年3月4日金曜日

穴子 乃池 谷中 


水準以上にウマいお寿司を食べるためにはそれなりの予算を覚悟しないといけないー。私がずーっと信念のように思っていることだ。

先日訪ねた店でそんな信念が覆された。思い込みに縛られていた自分のトンチキぶりを今更ながら痛感した。

探せば手軽で上質なお寿司を食べさせる店はいっぱいあるはずだ。店の立地の問題もあるのだろうが、ちゃんと探せばあるところにはある。


穴子寿司の名店として昔から有名な「乃池」という店がある。場所は谷中。谷中といっても千駄木駅が近い。最近人気の「谷根千」エリアである。

http://www.sushi-noike.com/

昨年から住み始めた文京区の小石川エリアから谷根千方面が案外近いことに気付いてちょくちょく散歩に出かけるようになった。

「乃池」の名前は青年時代から知っていた。土地勘がなく馴染みのない場所だったので行く機会がなかったが、週末の散歩中に発見。店の外で待っている人もいる繁盛ぶりだった。

で、平日の夜ならすんなり入れるだろうとふらっと訪ねてみた。

老舗だの名店だの本物の江戸前だのといった形容詞が付く店は、ピンと張り詰めた空気、コワモテの大将がギロっと客を一瞥するようなイメージがあるが、この店はまったくそんな気配とは無縁だ。

一見でも気楽な気分で座っていられる。お店の人も感じがいいし、昔ながらの真っ当な街場のお寿司屋さんという感じである。

熱めの燗酒で穴子の肝煮と筋子の西京漬けでチビチビ飲み始める。お店に漂う空気は凜とし過ぎることもなく、ゆるゆると五臓六腑が喜びはじめる。

穴子のつまみはタレかワザビを選べるようで、ワサビバージョンを注文。正しくウマい。正統派江戸前の店らしく盛りも多めだ。

店の壁にかかっている短冊を見ると、塩辛やタコのふっくら煮、とこぶしの煮たヤツなどニクい品揃えが揃っている。穴子で有名な店ということは、それ以外の“江戸前仕事系”も期待できそうだ。

ちなみに、高級路線の寿司屋で穴子がマズい店はまず無い。薄っぺらでパサついて冷たくなっちゃったような穴子が出てくるのは、主に住宅街の出前専門の志の低い?店ぐらいである。

イマドキはわざとらしくゆず皮を散らしたような穴子も出てくるが、ああいう余計なことを除けば、一定レベル以上の店の穴子はたいていは美味しい。

私自身、アチコチのお寿司屋さんでウマい穴子はさんざん食べている。名店の誉れ高いこの店の穴子に満足しないはずはない。

ということで、変な言い方だが、穴子には特別な期待はしていなかった。想像通りにウマいはずだ。

それよりも、その他の握り寿司に興味シンシンだった。斬新に仕上げているもののネタは鮮度だけでシャリの味も弱いカッコばかりの?イマドキの握りはではなく、正統派の握りが食べたかったわけだ。

お店のホームページに載っていた握り盛り合わせの画像がどうにもビミョーに感じていたので、正直チョッピリ不安もあった。

銀座・六本木あたりの高い店ではない。手軽な価格帯の店らしい。穴子ばかりが絶品で、その他はごく普通の「手軽なご近所出前寿司レベル」?かもしれないなあなどと考えていたわけだ。

結果は大満足。私の不安など失礼極まりない話だった。逆になぜ穴子寿司ばかり注目されるのか不思議に思ったほど。

まずは穴子の話。冒頭の画像はお店のホームページから拝借した。ウマそうだ。いや、実際に非常にウマかった。私が訪ねた日もツマミの他にこれだけ注文するお客さんもいた。

見た目よりクドさは無く確かにいくらでも食べられそうだ。この日は穴子を2貫食べたが、3~4貫ぐらい食べられそうな感じだ。でも、さすがに穴子ばかりでは面白くない。

ヒラメも鯛も実に加減の良い昆布締め。ジンワリと旨味が口に広がり、燗酒との相性もバッチリだった。

寿司飯もウマかった。やはり寿司というからには正しく酢の味を感じたい。最近は赤酢を使って少し濃い色のシャリを使う店も多いが、色ばかりで味が弱い残念なパターンもある。

もちろん、ネタの味とのバランスを考えて作られているのだろうが、個人的には酸っぱいぐらいの寿司飯が好きだ。

この日、この時期には珍しい生のトリ貝も食べた。こちらも酢で洗った風味が貝そのものの味を引き立てる効果を発揮していてとても美味しかった。

海老やタマゴも正統派路線。タマゴは厚切りか薄切れのどちらがいいかを尋ねてくれた。この日は薄切りを注文。シャリとタマゴの間には、さりげなくおぼろがまぶしてある。こういう老舗っぽい一手間を見ると嬉しくなる。

なんだか関係者かのようにベタ誉めしてしまった。居心地、味、値段それぞれバッチグー!だったから近いうちにまた行こうと思う。

2016年3月2日水曜日

銀座のクラブ 夜の部活


ブログを書き続けていると、どんな内容の投稿が多くの人に読まれたのかが気になる。

管理ページを見ると過去の記事の閲覧数やどのようなキーワード検索で辿りついてもらったかなどが分かる。


過去掲載分の中で大勢の人に読まれているのが「銀座ネタ」である。夜のクラブ活動についての話だ。あまり固有名詞を書くこともなく、ウダウダと持論を展開しているだけだが、あの世界はどこか閉鎖的な雰囲気があるせいか、なんとなく興味を持つ人が多いのだと思う。

いくつか例示してみる。

なんとなく仕組みというか段取りみたいなことを書いた話
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/02/blog-post_17.html

続いて女性陣の「目つき」を大真面目?に考察した話。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2011/07/blog-post_27.html

酔っ払いの戯れ言みたいな話だが、あの世界の面白さは「結局よく分からない」ことに尽きるのだろう。よく分からないから興味が湧いて、よく分からないから覗きに行きたくなる。

さて、よく銀座のママさんやカリスマホステス?さんが雑誌やネットの世界で「出来る男」や「モテる男」を語っている。

ママさん自身の商売上の成功体験だったら読ませてもらいたいが、「男のあるべき姿」みたいなテーマで得意気に語られているとちょっと興醒めだ。

こんなタイプがスマートだの嫌われるタイプはあんなタイプだとか、その手の話である。

「約束を守る」「空気を読む」「人の悪口を言わない」「自慢話をしない」といった極めて当たり前の話ばかり。

銀座のママさんという看板とそれっぽい画像とライターの書きぶりが相乗効果を発揮してそれなりの読み物に仕上がっているだけ。

金満ぶりをひけらかすことをクサしておいて、その一方で「ケチケチしている男はダメ」とか言われると、それこそ片腹痛い。

秘すれば花ではないが、あまり得意になって「男論」を主張するのはカッチョ悪いと思う。そんなことは大人なら誰でも知っている。知っていても出来ていないだけで、いちいち「なるほどね~」とうなずくような話ではない。

それこそ逆に「女のあるべき姿」を尋ねられたら「得意になって男の良し悪しを語らないこと」を真っ先にあげたい。

なんだか辛口になってしまった。

夜の街でしょっちゅう惑わされている中年男の場当たり的な感情論なのでご容赦願いたい。


銀座のクラブ活動とひと口に言っても、モノ凄いお金持ちの豪遊もあれば、惰性やルーティンで出かける人、付き合いで渋々出かける人、背伸びしてピーピーしながら飲んでいる人もいる。

ただワイワイと騒ぎたい人もいれば、延々と自分の話を聞いてもらいたいだけの人もいる。愛人探しだけが目的でそれ以外は興味なしというご立派?なツワモノも珍しくない。

それぞれの人にそれぞれのクラブ活動の姿があるわけだ。

私自身、過去にもアレコレ書いてきたが、ごくごく平たく言えば「楽しいから」出没する。より突き詰めていうなら「華やいだ気分になるから」飽きずに出かけていくのだと思う。

最近はちょっと御無沙汰しているが、暖かくなればゴソゴソと動き始めるのかもしれない。

ということで、今日は何年も前に書いた話を中心に過去の「銀座ネタ」を改めて載せてみる。

まずは、銀座の客はMじゃなきゃ務まらないという話。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/01/blog-post_25.html

次は、ボトルをめぐる“攻防”の話
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2014/03/blog-post_26.html

続いては、個人的に思い入れのある6丁目の店の話
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2012/12/blog-post_7.html

最後は5年以上前に書いた黒服の意義を書いた話
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2009/07/blog-post_10.html