2010年12月29日水曜日

ダウンちゃん活躍

久しぶりにわが家のダウンちゃんの話を書く。

まもなく4歳なのだが、相変わらずしゃべれない。ただ、だいぶ意思の疎通がはかれるようになった。もっとも、彼特有の言語というか、つたない単語の発声を聞き分けられればそれなりに通じ合えるレベルだ。

誰にでも通じる言葉は「おわり」と「おいしい」と「パパ」と「バイバイ」ぐらいだ。

「ジュースちょうだい」は「うーす、っだい」だし、「おかえりなさい」は「うーりー」だし、「テレビ見る」は「びーぴる」だ。

それでもほんの少しづつ正確な発音に近づきつつあるから良しとしよう。

ダウン症の特徴としては、穏やかとかひょうきん、はたまた頑固とかが一般的に言われている。

わが家のチビはあまり穏やかなほうではないが、確かにひょうきんだし頑固だ。

問題は頑固な点だ。なかなか根性が座っている。私にたたかれようともイヤなことは徹底して拒否しようとする。

でもここが勝負?どころだ。健常児であろうとそうでなかろうと、年齢的には「しつけ」に本腰を入れないといけない時期だ。

最近は、両親それぞれが怒る場面が増えてきた。彼もそこそこ頭を使っているようで、分かっていないフリをするぐらいの知恵がついてきたから困りものだ。

「この子にはどうせ分かんない。仕方ないか」。障害児を持つ親としてついつい陥りがちなこうしたあきらめ感を逆手に取ろうとしっかり計算している。たいしたもんだ。

ガマン比べだ。

時に憂鬱になる。時に絶望する。時に無性にやりきれなくなる。正直そう思うのだが、最近ふっと気づいた。

「これって結構幸せかも」。

しつけに悩む、しつけに苦労するということ自体が喜ばしい。強がりでも綺麗ごとでもない。確かにそう思える時がある。

しつけに時間と手間がかかっても、根比べしているうちにチビが負け?を認めて、そのしつけを身に付けてくれる。出来なかったことが出来るようになる喜びは健常児である娘の時よりも大きい。

少し前までは、帰宅すると靴ごと部屋に上がっていたのに、ごく自然に自分で靴を脱ぎ、コートを脱ごうとするようになった。食事の時も皿を左手で押さえて中味がこぼれないように調整できるようになった。
意味もなく私に噛みついたり、私の顔をかきむしることもなくなった。

風呂の際も、脱衣所で頑張って服を脱ごうとするし、トイレの後に必死にパンツを履こうとしている姿なんか、ほんの1年前には想像できなかった。

思っていた以上にスローペースではあるが、少しずつでも進化しているわけだから有難いことだと思う。

世の中にはもっともっと重度の障害を背負いながら頑張っている人が大勢いるし、そもそも「しつけ」自体が叶わない状態の人だっている。

合併症も無く自由に身体が動かせるわが家のチビは、しつけをすればなんとか応えてくれる。これって間違いなく幸せなことだろう。

ついでに書いてしまうが、先日、わが家のチビのおかげで非常に嬉しい思いをした。正直、感激してちょっと泣いた。

冒頭でも書いたが、チビの得意言語の一つである「おわり」にまつわる話だ。彼の通う保育園の保護者から聞かされた。

保育園の仲間は大体が4歳児。みんないっぱしだ。派閥に分かれて争いごとも起きるらしい。口が達者になってきた年頃だから激しい口喧嘩に発展することもあるとか。

そんなとき、会話も出来ないわが家のチビがノコノコ入ってきて一生懸命「お~わ~り~!」と語りかけるんだという。

子ども達のケンカはいつも彼の「お~わ~り~!」で終息するそうだ。

そんな話を保育園の保母さんではなく、ほとんど付き合いのない親御さんから聞かされた。

今年一番嬉しい出来事だった。

健常児しかいない保育園に通わせるようになった時、さすがに「迷惑をかけるんだろうなあ」、「あいつが行ってもいいのかなあ」みたいな感覚がそれなりにあった。今もそういう感覚はある。

でも、この話を聞いた時、「あいつが行っても良かったんだな」、「あいつも社会の中で役に立ったんだな」という感傷的な気分になり、思わずウルウルしてしまった。

もともと「福笑い」みたいな顔をしたわが家のダウンちゃんだ。そんなあいつが平和を唱えている姿を想像したら感激する。

生まれてから、わずか数日後に医師からダウン症の宣告を受けた彼は、気の毒なことに頼みの親に落胆され、失望され、本来ならバンザイして喜ばれるはずなのに、おめおめと泣かれたりした。

そんなことを思い出すと“平和の使者”みたいに頑張っているあいつに対して申し訳ない気持ちになる。生まれてきてくれた時に大喜びして迎えてあげられなかった代わりに、せめて精一杯いろんなことを教えてやりたいし、体験させてやろうと改めて思う。

厳しくしつけてやろう。それが彼自身の将来に確実にプラスになるはずだ。

でも、なかなか厳しくなりきれない甘甘な父親だ。


※※今年の更新はこれで終わりです。皆様よいお年を!。来年は1月5日から再開予定です。

2010年12月27日月曜日

クルマを変えて演歌を唄う

今日は本題に入る前に一昨日のテレビ朝日の「忠臣蔵」に触れねばなるまい。先週ここで散々書いたから感想を書いてみる。

見るだけ損した。率直な感想だ。脚本になんの目新しさはないし、やはり「正和」の大石内蔵助はどうにもミスキャストだった。「檀れい」が嫌いだという私個人の特殊な理由という次元ではなく、全体に腑抜けた作品だったと思う。

ちょっとだけ出てきた北大路欣也とか松平健の存在感が抜群だっただけに、大石役のヘナチョコ感が目立ってしまった。実は私、田村正和が昔から好きななのだが、ひいき目に見ても全然ダメ。正月休みはレンタルビデオで昔の重厚な役者さんの忠臣蔵を見直そうと思う。

さてさて本題に入る。

自分自身の今年のトピックスを考えてみた。
今年は四半世紀にわたる趣味である水中写真撮影の完全デジタル化が実現した。お金もかかった・・。

突然の「靴欲しい病」に感染し、ジョンロブを始め、クロケット&ジョーンズ、ステファノ・ブランキーニ、サントーニ、ステファノ・ビ等々ご立派な高級靴所有者になってしまった。こちらも大散財だ・・・。

それより大きな買い物もあった。

クルマを2台も買ってしまった。

ちょっと富豪っぽい響きだ。

そんなことを書くと金満ブリブリみたいだが実際は違う。

もともと2台所有だったのだが、たまたま今年、両方を買い換えた。といってもそれぞれ30年ぐらいの?長期ローンを組んでセコセコ購入したので家計上の固定費的には激変ではない。

イギリスぐるまとドイツぐるまだ。といってもロールスロイスとかマイバッハを買ったのではない。もっと庶民的だ。1台は鬼嫁用なので実用性だけで選んだ。

ドイツぐるまなんてやたらと燃費がいいので、乗り換え前のクルマよりトータルコストは安くつくかも知れない。

以前は今よりもクルマに対する執着が強かったので、2~3年に一度は買い換えていた。正直、リセールバリューの高い車を短期間で替えていた方が経済的には得なこともある。

今回買い換えたきっかけは、持っていたクルマがそれぞれ5年モノと6年モノになってしまって、そろそろ手放さないと売値がつかなくなりそうだったから。

はっきりいって、経済効率のためだ。次に購入するクルマの頭金ぐらいは作れないと買換えが難しくなる。

売り時を考えると長く乗りすぎたとも言える。

さてさて、一気に買い換えたのでクルマ世界の技術革新にやたらと驚かされた。いつの間にかカギを差し込まなくてもドアロックは解除されるし、変なボタンを押すとエンジンだってかかってしまう。

馴れるまで結構たじろいだ。

ハンドルがヒーター機能で温まるようなオッサンには嬉しい機能もあるが、わけの分からない機能も多い。

バックする際にはコンソールのモニターに後方の画像が映し出される。でも正直、あんなものに頼ると距離感がまったく掴めないので危なくって仕方ない。

イギリスぐるまでは、コンビニの駐車場に止まっていた自転車をなぎ倒して、あわてて逃げたし、ドイツぐるまでもガードレールと激しくキスをしてしまった。

バックモニターとやらは正直不要だと思う。その考え方自体が古いのだろうか。

2台ともCDチェンジャーがついていないことに慌てたが、iPod対応コネクターとやらが装着されていたのでバンザイだ。

昔は12連奏チェンジャーとかを装着してウホウホいっていたが、イマドキぐるまはiPodに収録されている1千曲以上の音楽をコントロールできるのだから実に有難い。


最近は、クルマの中で熱唱するために演歌フォルダを作成し、涼しい顔をしながらうなっている。信号待ちの周囲の眼が気になるので、なるべく口元を動かさずに歌うことが得意になってきた。

腹話術歌唱法とでも名付けようか。

運転中にうなっていると、なぜか肝心のサビのあたりで信号待ちで停車する。しかたなく思索にふける哲学的な男のふりをして鼻の下から口までを手のひらで覆い隠して伏し目がちに歌い続ける。

我ながらケナゲだと思う。

うたっているのは五木ひろしや森進一あたりの古典的ナンバーだ。それにしても「北の螢」は名曲だ。


♪もしも私が死んだなら
胸の乳房をつき破り
赤い螢が飛ぶでしょう♪


やはり阿久悠は偉大だ。ああいうドラマチックな歌が書ける作詞家はもう出てこないのだろうか。

三善英史の「雨」。これまたシットリ系だ。仕事帰りに運転している時はこの歌を歌いながら、業務モードをリセットする。

あとは五木ひろしの「夜空」とか「待っている女」にしびれている。作詞はかの山口洋子。銀座の伝説的クラブ「姫」のママさんだった人だ。

やはり昭和の演歌はドラマチックで情緒があって素晴らしいと思う。

それにしても若い頃は筋金入りの演歌嫌いだったのに、どうして中年になると率先して演歌を聴くようになるのだろう。

それにしても、どうして車を買い換えたテーマなのに画像が森進一なんだろう。

クルマの話はどこにいってしまったのだろう。

なんか支離滅裂でスイマセン。

2010年12月24日金曜日

クリスマスと忠臣蔵

クリスマスイブだ。だからどうした。うっとおしい。こんな感覚も加齢のせいだろうか。

街のイルミネーションの綺麗さは認めるが、正直、せわしなさを痛感させられるようで苦手だ。もうすぐキンキラが終わってくれるかと思うとホッとする。

私だって若い頃はクリスマスにときめいたこともあった。クリスマスソングを編集したお手製カセットテープを得意になって作ったり、そんな流れで海までドライブだってしたもんだ。

大きなツリーの下でチューしたことぐらいあるし、気取ったホテルでせっせと交尾活動に励んだことだってある。

でも、やはり日本人の12月といえば「忠臣蔵」だろう。やっぱり赤穂浪士に尽きる。

明日、テレビ朝日のドラマスペシャルが忠臣蔵だ。小学生の頃からの忠臣蔵ファンである私にとっては、結構楽しみだ。

ストーリーはだいたい分かっている。それでも一生懸命見てしまう。それが12月の正しい日本人の姿だ。

今回のドラマは大石内蔵助に田村正和、吉良上野介に西田敏行だ。うーん、どうだろう。

なんか逆のほうが似合う気がする。正和じゃチョット疲れてるしニヒル過ぎ。なにしろ実年齢が67歳だ。大石は討ち入り時には45歳だったのでビミョーな感じだ。かえって吉良役のほうがいい味出しそうな気がする。

まあ斬新なキャスティングではある。非常に大きな問題は、“かんしゃく持ち浅野”の未亡人である遙泉院を「檀れい」が演じることだ。

なんの恨みもないのだが、私は「檀れい」が強烈に苦手だ(ファンの人、スイマセン!)。あの人を見ると条件反射でチャンネルを替えちゃう習慣があるので、ドラマを見ながらそのクセが出ちゃうと困る。

忠臣蔵での遙泉院といえば、討ち入り前夜に訪ねてくる大石とのやり取りが見せ場だ。

端的に解説すると、最後の最後まで「仇討ちなんかするもんかい」という態度の大石に対して、浅野公の未亡人として「あんたそれでもキンタ○付いてんのかい」とキレる場面だ。

吉良サイドのスパイが遙泉院のそばにいることを察した大石が機転を利かせて討ち入りの予定をスッとぼける。私の大好きなシーンのひとつなのだが、「檀れい」か・・・・。うーん。

忠臣蔵といえば役所広司と佐藤浩市による映画が公開されたばかりだ。結構評判が高いみたいだ。時間を作って見に行きたい。

昭和50年のNHK大河ドラマ「元禄太平記」にハマって以来の忠臣蔵ファンである私は、小学生の頃、親にせがんで赤穂まで旅行にも行った。顔の輪郭部分だけくりぬいてあるシュールな大石の絵が描かれたハリボテで喜んで写真を撮ってもらったぐらいだ。

泉岳寺にも何度か行った。内容は忘れちゃったが随分と関連本も読んだ。

ここ数年、密かに期待しているのが、「吉良さん、お気の毒」という設定での忠臣蔵だ。だれかアマノジャクなプロデューサーがドラマなり映画化してくれないだろうか。

実際にそういう角度からの歴史観も根強く存在する。そりゃそうだ。何の因果か知らないが、お上の裁きに逆ギレした失業者達が、お上にケンカを売らずに、吉良さんに逆恨みをして寝込みを襲ったわけだ。脚色の仕方によっては面白い作品になると思う。

吉良側からみれば赤穂浪士は、荒くれたテロリスト集団でしかないわけで、隠居した爺さんとしてはぶったまげた話ではある。

まあ、そんな映画を作ったら、配給会社も監督も出演者も、日本の伝統を愛するコワい顔の各種団体から総攻撃を受けるだろうから実現は難しいかもしれない。

まあそれはさておき、クリスマスの夜に「コテコテのニッポン浪花節ドラマ」をぶつけてくるテレビ朝日の粋な編成に乾杯したい。

「メリー・忠臣蔵!」

2010年12月22日水曜日

格差って何だ?

富裕層への課税強化を政策に掲げていたアメリカのオバマ大統領。議会対策などもろもろの理由で路線転換。先日、富裕層に対しても所得税減税を継続する法案に署名した。

片やわがニッポン。先週まとめた来年度税制改正大綱で、べたべたな大衆おもねり路線の富裕層大増税を決めた。

富裕層といっても年収2千万円超の月給取りが主なターゲット。給与所得者、すなわちサラリーマンのわずか0.4%しかいない階層をイジメて悦に入っている。

結局、来年の統一地方選のための選挙対策。このところ地方選挙で連戦連敗の民主党だけに実にわかりやすい政策だ。

オバマ大統領の判断も端的にいえば議会対策だが、野党・共和党が訴えていた景気対策としての中堅・高所得者層減税に乗っかった格好だ。

「お金持ちにお金を使ってもらって景気を牽引する」。わが国では、こういう単純な理屈がどうして大きな声として盛り上がってこないのだろうか。

これも一種の情報操作だろう。そう思っている人は想像以上に多いはずだが、メディアも金持ち優遇というレッテルを極端に恐れるあまり、こうした角度からモノを言わない。

「みんなの党」・渡辺喜美代表の父親で“ミッチー”の愛称で人気のあった故渡辺美智雄氏などは堂々と金持ち優遇論を語っていたが、それこそが経済通の本音だろう。

米国の政策はそのあたりの機微が理解できている。相続税だって廃止するほどの英断に踏み切った国だ。活力とパワーを考えるとわが国とはまさに対称的だ。

「金持ちは敵だ。みんなで平等に貧乏を目指そう」という民主党の政策が色濃く出た来年度税制改正だが、そんな思いを強くしたのが、そもそもの税制改正の目的だ。

雇用拡大などと並んで絶対的な柱に位置付けられたのが「格差是正」。一見何でもない言葉にも見えるが、よくよく考えれば実に抽象的かつ情緒的だ。

そもそも、この国に存在する格差ってそんなに大きいのだろうか。主要先進国、いや先進国以外の国々に比べても格差が大きいとは正直思えない。

識字率の高さなんておそらく世界一だろうし、進学率にしても高校進学率は確か95%を超えている。大学進学率ですら50%超だ。

生活保護受給世帯が増加中とはいえ、行き倒れなどニュースになるぐらいの珍しさだ。

リッチマンにしても、宮殿のような豪邸に住み、遊んで暮らせるようなスーパーリッチがどれだけいるのだろうか。

テレビの豪邸拝見みたいな番組を見ても、先進諸外国のスーパーリッチあたりと比べれば可愛いレベルだろう。

経済大国という割には、超が付くスーパー豪邸だけが建ち並ぶような街が存在しないことだけでもその証しだろう。

民主党が言う「格差是正」の定義って何だろう。結局闇雲に「金持ちを減らせ」といっているだけに聞こえる。

旧社会党系の残党が牛耳る集団の正体見たりだ。

税制改正大綱をまとめた某大臣は嬉しそうに「格差是正の目的に対してきちっと手当が出来た」と語っていたが、どういう理念あっての政策なんだか大いに疑問だ。

古今東西、文化、芸術、消費行動すべてにおいて牽引役となったのは高所得者層であり、資産家層であることは間違いのない事実だ。

低所得者対策は確かに政治課題だが、ブラブラしているプー太郎とか、努力すらしない階層までひっくるめて「弱者」といって哀れむ発想が気持ち悪い。

不労所得には特別な課税も用意されている。それとは別に必死に努力して頑張って人より稼げるようになった人に対してだって累進課税という仕組みで多めに税金が取られる。

そもそもそういう大原則がありながら、新たに追加して収奪のごとき発想で税金を更に取ろうとする発想って、嫉妬や逆恨みに基づく実に不健康な考え方だ。

社会経験のない小役人や司法試験しか頭になかったお勉強ちゃんや市民運動家あたりに政治をまかせると、結局こういう意味不明な屁理屈政策のオンパレードになる。

私も早く本物の富豪にならねばなるまい。「金満党」を結成して魑魅魍魎達と闘おう?

2010年12月20日月曜日

喉が爆発

このブログ、たいてい2回分くらいはストックを用意しているのだが、先週から体調不良で何も書けていない。

で、今日はネタがないです。

ただの風邪だと思っていたのが、久しぶりに扁桃腺に行っちゃったみたいで、木、金、土、日と酒を飲んでいない始末。といっても薬漬けだからきっと肝臓は大忙しだ。

この3日間、タバコも7本ぐらいしか吸っていない。優秀だ。

ヘロヘロだ。

問題は1週間も調子が悪いのにまったく痩せないことだ。

代謝が劣っているというか、代謝自体がもう完全に退化しているのだろう。

2010年12月17日金曜日

銀座・萬久満 冬の珍味

先日、知り合いに招待されて銀座の「萬久満」という料理屋さんに行った。日航ホテルの並び、外堀通りのビルの6階に佇む小粋なお店。

聞くところによると元々は長い歴史を持つ大きな料亭だったそうだが、現在は3代目が自分ひとりで切り盛りできる規模で仕切っているそうだ。

魚も珍味も旨いし、上等な肉もある。シメにはご主人手打ちのそばも楽しめる。すべてが真っ当に美味しい。焼き魚は客一人一人に好きなものを選ばせてくれる。

おかげで釣りキンキの煮付け、柳ガレイ、ウナギの白焼きを少しずつ食べられた。画像を撮らなかったのが残念だが、間違いなくウマいものを食べさせてくれる実に銀座的なお店。

この日もそうだったのだが、今の季節はやはり珍味に惹かれるし、黙っていても珍味が登場するので、「尿酸値太郎」である私にはたまらない日々だ。

ということで、最近私の身体に染みこんでいった珍味のいくつかを書いてみる。

銀座のお寿司屋さん「九谷」を訪れた際には、アンキモをあんこう鍋風の温かバージョンで出してもらった。


熱いだし汁の中で旨味が凝縮した肝サマが泳いでいる。心も身体もポカポカする感じだ。一緒に泳ぎたいぐらいだ。

このお店は北海道出身の大将が北海道色を前面に押し出しているのが特徴。常時フレッシュな毛ガニのミソはあるし、特大ボタンエビもレギュラー。東京では珍しくカニの内子を用意していることも多い。

わざわざ北海道まで珍味旅行をしにいく私にとっては貴重な店。


北海道の正月料理といえば「いずし(飯寿司)」だ。旬の小魚を米や麹などであえた発酵系珍味で、年末年始にはあちらのスーパーなんかでは、パックになったものまでゴロゴロ出回っている。

この画像のオレンジ色のカラスミ様の上に写っているのがそれ。確かこの日の魚はニシンだっただろうか。酢絞めの魚が好きな人なら万人受けする味。酸っぱさよりも旨味が引き出されてまろやかな味わい。

東京では米や麹をまとっている本来のいずしの姿では、臭い系の鮒ずしの仲間だと思われて敬遠されるらしい。こちらでは身にまとっていたはずの麹などを落として魚の姿だけで出しているそうだ。

酸っぱい系の珍味は、キモとか卵ではないため、健康面では優等生だろう。日本人の健康長寿のイメージはそもそも発酵食品がその源だから大いに食べるべきだろう。


この画像は同じく銀座のお寿司屋さん「さ久ら」で食べたコハダのつまみ。珍味というジャンルではないが、今の季節、熱いお燗酒に合わせるとウットリする。

コハダを細かくしてもらって、刻んだガリと大葉をあえてゴマをパラパラ。実に単純だが、握りで食べるコハダとはまるで違った風味が味わえる。

サッパリ爽やか系のつまみは私の健康面では貢献度大だが、珍味業界ではやはり主役にはなりえない。

珍味といえば、やはり「ジュワジュワジョワーン」と口の中に官能光線が乱射されるような存在であって欲しい。

そういう意味では、15年ぐらい前に高田馬場の鮨源で初体験した禁断の味(ちょっと大げさ)を紹介しないわけにはいかない。


今でも大好きだが、我が身の健康を考えるあまり、同行者がいる場合に限って注文している。横から一口だけもらって喜んでいる。

単純に言えばウニとイカを和えた逸品なのだが、そこに鶏卵の黄身が加わるのがポイント。

上等なウニと上等なイカという素材自体も大事だ。ミョウバンがきついウニでイカ和えを作っても変な苦みが強まってしまう。

この店の上等素材で作る「ウニイカ生卵和え」は極上だ。今まで食べさせた人は十人中十人が悶絶した。ワサビや醤油を好みで混ぜてしばし陶然とした時間が過ごせる。

これさせあれば日本酒を一升ぐらい呑めちゃうような錯覚に陥る。


この時期、カワハギの刺身を肝醤油で出す店は多いが、先日は肝と身をぐじょぐじょと混ぜ合わせたツマミにしてもらった。際限なく酒が呑めそうな味がした。

さてさて、冬の珍味といえば欠かせない白子。先日のブログでも書いた「スーパーフライ」と名付けた白子フライを相変わらず食べている。画像はかじった後の断面図。


白子にソースというと実に不気味だが、白子をフライにするとこれがまた絶妙にマッチするから不思議だ。

考えてみれば、アジフライもエビフライもソースが定番だが、あれもフライという衣がなければソースとは合わない食材だ。

まさに衣の魔法だ。

私をトリコにするスーパーフライもそのまま食べるよりソースを使ったほうが格段にウマい。ソース様様だ。

サクッと衣をまとった白子はホクホクジュワジュワと湯気を立てながら艶めかしく身をよじる。野性的な黒い液体が茶褐色の衣を剥がして白く柔らかな白子にまとわりつく・・・・。そんな官能的な味だ。

書いているだけで食べたくなってきた。

2010年12月15日水曜日

カシミアでトレンチコート

「いいオトナなのに」などというフレーズの“いいオトナ”って何歳ぐらいを指すのだろうか? 25歳とか30歳ぐらいのことだろうか。

「いい年したオッサン」といえばどうだろう。35だろうか、40だろうか。どう逆立ちしても私は「いい年したオッサン」なので「オッサン道」をいかに極めるかを日々考えている。

呑みすぎてもゲロを吐かなかったり、深夜にラーメンを食べないようにしたり、ここ数年ちゃんと正しいオッサンになってきた気がする。

中味が腐ってきている?のだから見た目はキチンとしないとなるまい。その一環で以前にも書いたが、最近はすっかり靴マニアになってしまった。中毒のように新しい靴のコレクションが増加中だ。

ジョンロブまで買ってしまった。どうしよう。カードの請求が心底恐い。

とりあえず英国靴の質実剛健な良さ、イタリア靴のエロティックな味わい双方がよく分かった。

そうはいっても、今だにクラシカルな英国靴に傾倒しきれずにエロティックのほうも気になるようでは若者気分が抜けていない。いや、オッサンだからこそ、そっちにアンテナが反応しちゃうとも言える。

どっちでもいいか。

着々と進行中の「見た目しっかり計画」、正しく言えば“オヤジ扮飾計画”。靴だけちゃんとしてもしょうがない。

先日、コートの仮縫いをした。親切なテーラーさんが会社までやってきてくれた。


10年、20年単位で愛着が湧くような本気コートを作ってみようと思いついてから随分と時間が経ってしまった。もう真冬なのにようやく「着工」だ。

画像は実際に使用する生地。

昔に作ったカシミアコートは仕立てが悪く、どうにもしっくりこなかったので、今回は細かく仮縫いもしてもらうことにした。

スーツではなくコートの場合、イージーオーダーで済ませるケースが多いが、コートだって細かい点をアレコレ調整したほうがいいに決まっている。

と、えらそうに書いたが、コートの仮縫いなど経験したことはない。やってみて分かったのだが、あまり注文する箇所は多くない。

とはいえ、ベルトの長さやベルト穴の位置や数、襟の微妙な広さを仮縫い生地で調整できたから良しとしよう。

問題は裾の長さだ。最近の男性用コートは短めばかりだ。アマノジャクの私としては時代遅れといわれようが長さにこだわってみた。

階段の上り下りの際にけつまずくぐらいの勢いでイメージしてみた。

仮縫い生地を羽織ってみた。妙に長い。魔女だとか、悪の惑星からやって来た司令官みたいだ。

勇気がないのでホンの少し短くしてもらうことにした。それでも膝下20センチぐらいはありそうだ。どんな感じになるのだろうか。少し不安だ。

今回のコンセプトは「カシミアなのにトレンチ」という点。カシミアコートといえばチャスターとかステンカラーばかり。だからわざわざトレンチにしてみた。アマノジャッキーとして必要な心構えだろう。

テーラーによってはカシミアトレンチを受付けてくれないところもある。逆にその点がそそられた。邪道かどうか詳しくは知らないが、せっかくだから普通ではないほうがいい。

トレンチといえでも私は兵隊じゃないので肩章というか肩ベルトは無しにした。背中のヨークや襟周りは通常のトレンチスタイルだ。“ポケット貫通”も本家同様に注文した。

コートのボタンを閉めたままスーツの内ポケットのものが取り出せる仕様だ。ポケットの中にものを入れる袋部分と内側へ手が届く貫通部分で構成されているスタイルだ。

カシミアの生地も頑張って密度の濃い上等な素材を選んでみた。カシミア特有のヌメヌメとしたテカりは黒色が一番強調されるように思うが、そこはアマノジャク協会会員である私だ。濃い目のチャコールグレーにしてみた。

裏地も悩んだが、結局おとなしく?ワインレッドの生地を選んだ。もっと激しくハジけた色を選びたい気もしたが、10年後を考えたうえのコンサバ思考だ。

でも実際に見せてもらった裏地はサンプルで見た時とはサイズが異なるせいか、そこそこ派手。ちょっと不安だ。

要約すると、あまり一般的ではない発注の仕方で、長さも裏地にも不安があるということだ。

不安だらけだ。大丈夫だろうか?

1月中旬の完成まで悶々としていよう。

2010年12月13日月曜日

ノスタルジックな抵抗感

今日のタイトルは、なんとなくロマンチック?な響きだが、いま私を悩ませているテーマだ。いや、大げさに言えば日本中がこんな感覚に陥っているような気がする。

ソフトバンクの孫さんが雑誌のインタビューで語っていたが、国を挙げて電子系、IT系分野への注力に邁進しなければならないことが明確なのに、因習にとらわれて物事が進まないのが現状の閉そく感の根底にあるのだろう。

明治維新後、工業立国を目指して重厚長大産業の育成に努力したわが国は、なんとか現在のポジションを得るに至った。時代の大転換の渦に巻き込まれて、今からは想像も出来ない葛藤や軋轢だらけで時代が作られてきたわけだ。

「龍馬伝」とか「坂の上の雲」でNHKがさんざん流しているあの時代の空気は、実際に凄まじかったんだろう。多分、大多数の人が漠然とした不安、恐怖、そして抵抗感を感じていたはずだ。

急激な路線転換にニコニコついていける人は単なるバカか偉人のどちらかなのかも知れない。

農業保護の重要性はコメが大好きな私にとっても切実な問題だが、そうはいっても国の政策遂行という枠における優先順位とは別な次元だと思う。

学校教育現場でも教科書の内容など昔と変わらず農業的視点の素材が目立つらしい。一方で先進技術、電子立国に向けた人材育成につながるような戦略的な取組みは遅々として進んでいないという指摘もある。

情報格差で国力はもちろん、人々の生活レベルの優劣が決まってしまう時代だけに思い切った舵取りは待ったなしに必要なはずだ。

なんか大げさな話になってしまった。

私自身の「ノスタルジックな抵抗感」が今日のテーマだった。

新聞事業、紙媒体を軸としている仕事をしている以上、時代の急激な変化は物凄く恐いことである。

端的に言って斜陽産業に携わっているわけだから、四の五の屁理屈をこねているうちに会社自体が無くなってしまっても不思議ではない。

いま、天下の大新聞社でさえ、赤字が当然の構造不況だ。黒字が出ていても、しょせん不動産関連収入で本業の赤字をごまかしているようなパターンが主流だ。

こんな事態を10年前に切実感を持って感じていた人は少ない。大きなうねりの渦中にあることを実感する。

わが社でも現在、アレコレと生き残り策を模索中だが、現状の嘆かわしい低迷状態も思い返せば「ノスタルジックな抵抗感」が原因にあることは確かだ。

主力商品しかり主力部門しかり、長く続けている会社であればあるほどそのイメージは硬直化する。主力だと思っていたものが冷静に見ると足を引っ張る存在になっていることなど珍しくない。

コスト削減も同じ理由で遅れる。看板事業だから、長年の慣習だから、長い付き合いだから・・。さまざまな浪花節的要素が決断を遅らせる。

わが社でも最近、何十年単位で付き合いのある取引先をいくつも変えた。ただ、変える決定を下すまでの逡巡の時間が大いなるムダを垂れ流していたことも事実。

これまで実行してきたコスト削減策を見返すと、当然効果は確実に出ている。ただ、同時に実感するのが「すべて手を付けるのが遅かった」という後悔。

同様の改善策を2~3年早く実行していればどれだけ今が楽だったか、つくづく思い知らされる。

後手後手に回ってきた理由は単純に「ノスタルジックな抵抗感」にあるのだろう。私自身、社内の組織変更やリストラなどを検討する際、つい自分の歩んできた“畑”に関しては思考停止に陥ってしまうことがある。

その事業部門の現場責任者ならともかく、全体像をトータルに俯瞰できないようなら経営者失格だ。おセンチな感傷みたいな気分で転換を避けたら会社やその仕事自身がホントに無くなってしまいかねない。

なんだか自分に一生懸命言い聞かせているのか、単なるグチなのか分からなくなってしまった。

2010年12月10日金曜日

銀行と豚

最近イライラすることが多い。こんなご時勢だから仕方ないが、いろいろと思うようにいかない。

私をイラつかせる原因は様々だ。好意を寄せる女性に上手にあしらわれたり、体重が減らないとか、タバコがやめられないとか結構いっぱいある。

強制的に目に飛び込んでくる「壇れい」のCMにもイライラする。

そういう問題以外に最近私が憂鬱になるのが「銀行折衝」。ほんの5~6年ぐらい前までは無借金経営だったわが社も、ご多分にもれず、このところ銀行の世話になる場面がある。

財務担当役員も兼ねている私だが、長年の無借金経営のせいもあって、はっきり言って銀行折衝がヘタだ。なんかやりこめられている気がする。

銀行さんも商売だから、こっちの無茶が通るはずもないが、それにしても結構なご商売だと思う。

セーフティーネットとか緊急ナンタラ制度融資とか、不況のせいでメニューは増えたみたいだが、それによって守ってもらっているのは中小企業ではなく、銀行そのものなんだろうか。

まあグチっていても始まらない。なんとか業績を浮上させて、億単位の金を全部小銭にして銀行員様に取りに来てもらうように頑張ろうと思う。

某日、イライラついでに無性に腹が減ったので「トンカツ」を食べることにした。

とんがった神経をなだめるには揚げ物様の出番だ。いっぱい食べたかったので、無理やり会社の人間を同行させて揚げ物三昧だ。

銀座にある「平田牧場」で、さんざん飲み食いした。一品料理、つまみ類もいろいろあるが、何だかんだ言ってメニューが豚オンパレードなのが嬉しい。

メンチカツをつまみに飲む生ビールは最高だ。豚の味噌漬焼きをつまみに飲むハイボールも最高だ。そんな感じで若者みたいに飲んで食べる。

カキフライも頼む。揚げ物大会だ。ソーセージやベーコンもつまみにする。

結構ヘビーだ。豚豚しい感じ?だ。肉汁の宴とでも言おうか。何となく身体から脂がしみ出そうな勢いで脂を摂取する。

中年男だ。カサカサしても良くない。乾燥肌をかきむしって血だらけになるのもイヤだ。そんな屁理屈を言って脂分を過剰摂取。


その後、金華豚棒ヒレカツと特厚ロースカツを注文。上質な豚が絶妙な加減で揚がっている。満腹中枢を気絶させてムシャムシャ食べる。

不思議なもので、これだけ食べるとイライラがスーっと引いていく。すっかり上機嫌。胸焼け防止薬も飲んであったし、ニコニコと夜の散歩。

クラブ活動で単純明快にはしゃいでみる。漫才師並みに機関銃のようにしゃべりまくる。

何かを必死に叫んで諭して訴えていた。内容はすっかり忘れてしまった。

ストレス発散といきたいところだが、そんなことで発散されるようなストレスなんてストレスではない。

世間一般にストレス発散と表現されることは、しょせん「気晴らし」に過ぎない。

気晴らし完了、深夜に帰宅。ゼロカロリーコーラをがぶ飲みしてゲップをして素に戻る。

なんか最近揚げ物ばかり食べている。
胃腸の調子が絶好調なんだろう。このところ逆流性食道炎も暴れずに済んでいる。

胃腸が好調ならきっとストレスなんか無いのだろう。そう思い込んで踏ん張っていこうと思う。

2010年12月8日水曜日

賢者の言霊  社長のミカタ

世の中に溢れる経営者向けの説教的ビジネス書がどうも好きになれない。作っている人間が経営者でなければ、どうしたって「経営者目線」とは異なる仕上がりになる。

昨年、わが社が創刊した経営者向けの月刊紙は、その点に特に配慮をしながら編集作業にあたっている。

抽象的な精神論を力んで掲載するより、社長さんにとって有益で実践的な情報を提供するほうがとっつきやすいし、実際そうした内容に徹しているため、着々と発行部数は増加中。


タイトルは「社長のミカタ」。経営者にとっての“味方”でもあり、経営者独自の“見方”を掲載しているという趣旨だ。

経営者階層の方々からの直接購入の他、経営者をお客さんに持つ各業種の営業職の人々から顧客配布ツールとして利用してもらっている。

人気コーナーが「賢者の言霊」。著名経営者の金言をエピソードとして紹介する欄だが、このコーナーへの問い合せが結構な数に上っている。

先日も全国ネットの某ニュース番組から紹介したいという連絡を受けた。ダラダラと著名経営者の評伝を読まされるより、その人の発した生きた言葉こそが求められているのだと思う。

いくつか過去の掲載分を紹介したい。

●「慎重とは急ぐことなり」
ヤマハ発動機創業者・川上源一


●「1日にメシは4回食え。3回は食事で、1回は読書」
    日本ツーリスト創業者・馬場勇


●「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」
   阪急東宝グループ創業者・小林一三



それぞれ味わい深い言葉だと思う。経営者が現場に求めているものがすべて当てはまる。「大胆なスピード感」、「教養と知識」、「基本を疎かにしない地道な努力」。すべて大事な要素だろう。

これ以外に印象的だったのが日清食品創業者でカップラーメンの父と呼ばれた安藤百福氏の言葉だ。

●「遅い出発とよく言われるが、人生に遅すぎるということはない」

ごく当たり前のようでいて、その背景を知ると説得力が格段に違う。安藤氏はそれまで手がけてきた事業が46歳の時に破たん、それからわずか2年後、48歳の時に畑違いの即席メンを完成させたという。

その負けん気、バイタリティーは想像を絶する。ヤワな中年としてボンヤリ生きている私にとって実に刺激的だ。

中年になるとついつい何事に対しても分かったような顔をしてしまう。分別顔とでも言うのだろうか、自分自身の狭くて小さい感覚の中に閉じこもって固まってしまう。

ここで新鮮な発想と新鮮な心を持てるかが、中年以降の人生が盛り上がるか否かを決めるのだろう。

先日、漠然と暖めている新しい仕事について協議する機会があった。同じような構想を抱いている妙齢の女性を紹介してもらい、初対面にもかかわらず数時間にわたって考えを披露し合った。

その仕事、テーマとしては実は「エロ方面」だったのだが、大真面目に初対面の男女がケンケンゴウゴウと意見交換。端で見ていたら不可思議な光景だったかも知れない。

まだブレストの入口みたいな段階なのだが、そんな一歩ですら踏み出さなければ何も始まらない。それこそ遅すぎることはないし、自分の凝り固まった固定観念を打ち破るいい機会だと思う。

まあ、本業の大ピンチをさておき、そんな構想にかまけてばかりではいけない。それはそれ、これはこれでケジメをつけて邁進しないとなるまい。

そんな時、冒頭で紹介した『社長のミカタ』・「賢者の言霊」コーナーの最新掲載原稿が回ってきた。


●「社長と副社長の距離は、副社長と運転手の距離よりも遠い」
        元帝人社長・大屋晋三


自分の名刺の肩書きを「副社長」ではなく「“福”社長」にしようかとシャレで考えているようなフラチな私だ。

やっぱり最後の最後、後ろに誰もいない「社長」という重いポジションとは随分緊張感が違うのだろう。

反省しないといけない。

2010年12月6日月曜日

おでん国見

旧友がおでん屋の主人になった。12月2日に開店。試運転の日に覗いてきた。浜松町にある「おでん国見」がその店。

場所は浜松町駅、大門駅にほど近い雑居ビルの地下。店主の人柄を表わすかのように、地下の店でありながらオープンな雰囲気。変な隠れ家感や窮屈感はない。

旧友はおでんの修行にこれまで25年ぐらい費やしてきたツワモノだ。大阪で10年近く、その後は東京で死に物狂いで酒とかおでんの研究に励んできた。

私とは中学、高校、そして大学まで一緒だった間柄だ。おでんと酒の研究のせいで年々肥満化していく姿を目の当たりにしてきた。あの過酷な日々もすべてこの店のためだったのだろう。

10代の頃は良く言えば北大路欣也のような風貌だった彼も今では小錦に似ている。その雄大な腹の中には20ウン年の修行が詰め込まれているわけだ。

「修行」にもいろいろある。名店に丁稚奉公するのも修行だし、客としてあちこちで味覚と肝臓を鍛えることも立派な修行だ。

彼の場合、後者の“修行”しかしていないのだが、常人とは比較にならないほどの“鍛錬”に励んできた甲斐あって、おでん鍋の前でネタを愛でる姿はもはや貫禄だ。

スマートな北大路欣也におでんを盛ってもらうより、私はニコニコした小錦から供されるほうが嬉しい。そのほうが美味しそうだ。

六大学のなかでもとくに厳しいことで知られる応援団生活を送り、社会人時代は世界的大企業を主戦場としていた彼だが、一念発起して今回の開業に至った。

私が訪ねた日は正式オープン前だったので、細かい論評はできない。おでんがウマかったことは確かだが、沖縄出身の料理人さんがいるため、一品料理がちょっと面白い。

テビチの唐揚げを試食したが、下処理がキチンとしているのだろう。かなり上等な出来映え。沖縄の居酒屋あたりではポピュラーになったが、まだまだ東京では珍しいメニュー。コラーゲンたっぷりだし、女性受けしそうな味だった。

肝心のおでんにもテビチがラインナップされている。個人的に沖縄に行った際には、ついつい頼んでしまうメニューなので、私としてはこれを目当てに通うことになりそうだ。


ホール部分にはカウンターとテーブル席、それ以外にも奥まったスペースに6~7人は余裕で入れるお籠もりスペースもある。そっちには私が開店祝いに持参した備前焼の大壺を置いてもらった。

ぐい呑みも結構な数を持っていった。旧友の好みや店の方針も聞かずに勝手に進呈したのでどう扱われようが構わないが、どうせならバンバン使ってもらおう。

器だって“実戦”で働いてこそナンボだ。割れたら割れたで追加進呈すればいい。そうなれば繁盛している証しだろう。

オープン当初はバタバタ、もたもたするだろうが、こなれてきた頃の店の様子が興味深い。

店の行く末は未知数だが、彼の選択した道が彼自身の風貌に呆れるほど似合っていることは確かだ。

●おでん国見

港区浜松町2-2-5 地下1階
電話03-6459-0596

2010年12月3日金曜日

海老蔵に税金?

それにしてもウザったいのが「海老蔵」のニュースだ。世間知らずの歌舞伎役者とチンピラが酔っぱらったあげくにケンカしただけの話。日本中で大騒ぎする話だろうか。

ノリピーの話題なら覚醒剤事件だからまだわかる。清水健太郎の素晴らしく懲りない逮捕劇のほうがよっぽどニュース性がある。

それよりも秋篠宮殿下相手に「早く座れよ」と暴言をぶった民主党・中井議員のトンチンカンぶりのほうが大事件だろう。

海老蔵騒動はどうこう言っても「酔っぱらったチンピラのケンカ」だ。連日繰り広げられる報道ぶりがつくづくアホらしい。

どっちが先に手を出したとか、全治何カ月だの、嫁さんがオロオロしてるだの、下世話な素材ばかり取り上げられ、連中の「悪さ」を糾弾するような雰囲気が少ない。

おかしな話だ。

報道によると海老蔵と相手側双方が被害届を出したらしい。被害届を出すということは警察が動くという意味である。

端的に言い換えれば「税金が使われる」わけだ。

声を大にしていいたい!

「バカに税金を使うな!」。

考えてみて欲しい。六本木あたりでたむろするチンピラに近づいて、泥酔したあげくボコボコにされた。格好悪いから、さも“事件”に巻き込まれたかのような空気作りのため、警察に被害届を出して、「役者生命を脅かすほど顔に重傷を負った悲劇」を演出しようとするお粗末な魂胆が見え見えだ。

六本木だから麻布警察署だ。被害届を出されたおまわりさんの顔が目に浮かぶ。「クソ忙しいのにいちいちケンカ沙汰を事件にするな、バカ」って感じだろう。

ちなみに、好きで山に入って遭難して捜索されれば、あとから費用を請求される。電車に飛び込んで自殺した人の遺族にだって賠償請求が来る。

水中写真家が本業?である私だって、海で漂流、遭難という事態になれば捜索費用でウン百万円も請求されるのはイヤだから、ちゃんと、それ用の保険に加入している。

すべて自己責任だから仕方のない話だ。

海老蔵のために動いた警察コストは、クドクド言うが、紛れもない税金である。酔っぱらいの自己責任で起きた騒動なんだから、かかった費用はしっかり弁済してもらいたい。

ちゃんと税金を納めているから声を大にして言いたい。

バカに税金を使うな!

2010年12月1日水曜日

血液型はB型

血液型をアレコレ語るのもどうかと思うが、そうは言ってもそれなりに性格的傾向はあるみたいだ。

私の場合、生粋のB型。家族みんながB型だ。実際に興味を持ったことは徹底的に集中するという意味ではB型っぽい要素が強い。

確かに国語の成績は優秀でも徹底して数学は零点だったことを思うと、うなずいてしまう。数学の零点などまったく気にならない点が特徴的だ。興味のないことには本当に意識が向かない。

趣味もいろいろあるが、一度ハマると凝り性の本領発揮だ。その反面、ピンとこない遊びからはすぐに引退する。

30代の頃だったか、突然思い立ってカヌーを買った。カヌー教室にも何度も通い、友人も巻きこんで爽やかなカヌーイスト人生を歩もうと企んだのだが、なんかピンとこない。ググッとこない。結局すぐにカヌーは邪魔になってしまった。

先日も書いたのだが、最近突然、病的に「靴磨き」に邁進している。凝り性要素が大爆発だ。血液型のせいだろうか。かなり変だと思う。皮フェチにでもなってしまったのか。

娘の靴、嫁さんの靴にとどまらず、革製品なら何でも磨きたくなってしまった。この前の週末なんか、おだてられながら鬼嫁のハンドバックを3つも磨いた。補色までして生まれ変わったバックの臭いをクンクン嗅いで悦楽の時間を過ごした。

当然、自分の持っている靴はとっとと磨き上げちゃったため、もっと上質な皮の靴を買おうと衝動買いモード一直線。磨きたいから靴を買うみたいな感じだ。


わが家の玄関横にはコートと靴の収納に困らないように小部屋が作ってある。必然的に靴の収納スペースは豊富なのだが、そういう余計なスペースがあると、靴はもちろん、グッズに関してもついつい置き場所を気にせず買ってしまう。

靴とともにいろいろとクリーム類も増えてきた。ブラシ類も増殖中。靴磨きに励み始めるとわが家の玄関は散らかり放題になってしまう。

靴クリームの香りにすっかり魅了されている。シンナー中毒になる若造の気分が分かる気がする。せっせと磨いてツヤツヤと輝きだすとウットリする。ヤバい趣味だと思う。週末は玄関に居座っている時間が妙に増えてしまった。


職場に靴マニアの中高年社員がいるのだが、彼は家族全員の靴を毎週磨いてらしい。楽しんでいるうちに当然の仕事として義務にさせられたそうだ。

危ない。私も「家族全員の靴磨きをさせられるオヤジ」に突き進んでいる。

一応、女子どもの増長を抑えるために安易に引き受けないようにしているのだが、奴らは言葉巧みに私に作業をさせる。どうも釈然としない。

誉められると舞い上がって疑いもせずにせっせと作業に励んでしまう。お人好しだ。

変な業者に消火器とかを売りつけられるバカがいるが、あれと似たようなものだろう。

そんなこんなで最近やたらと靴に強い興味を持つようになった。良い靴が欲しいのか、良い靴を磨きたいのか、ちょっと微妙だ。

ひょっとすると磨きたいから靴を買うという変な循環になっているのかもしれない。



結局、英国製とスペイン製、そしてイタリア製の靴を買ってしまった。上質な皮の香りに陶然とする日々だ。ペットを飼い始めたような愛おしさがある。やはり病気だろうか。

私の場合、何かのストレスがかかると一気に何かに没頭する悪いクセがある。ストレスなんかを理由にするのは格好悪いが、過去にもいろいろ経験がある。

今回の「靴欲しい病」と「靴磨きたい病」も深層心理の何かが私に指令を下してしまった結果だと思うようにする。

とっとと精神衛生を向上させないとカード破産に陥りそうだ。