2017年7月31日月曜日

高い居酒屋 安い居酒屋


居酒屋がある国に生まれたことは幸せだ。ウマいものが食べられて酒は何でも揃っている。日本人にとっては当たり前の形態だが、世界的に見れば珍しいシステムだろう。

海外の場合、レストランと飲み屋はそれぞれ別個のものだ。繁華街に居酒屋が溢れている光景は日本ならではの一種の文化と言える。

昔の赤提灯は、ちょろっとしたツマミが用意されているだけだったが、イマドキの居酒屋はファミレスを凌駕するほど何でも置いてある。


先日訪ねた新橋の某居酒屋で食べたウニのパスタだ。ダイニングバーと呼んだほうがふさわしそうな店だったが、とにかくメニューが豊富で驚いた。



刺身盛り合わせの質も良かったし、牛タン焼きも上等だった。ツマミは無数にあるし、リゾットやチャーハンまで用意されていた。

日本酒、ワイン、焼酎も迷うほど揃っていたし、サービスもちゃんとしていて繁盛しているのも納得。

帰るまではゼヒまた来たいと思っていたが、御勘定を見てビックリ。どう考えてもヘンテコな値段である。ボッタくられたかもしれない。

何かの間違いだったと思いたいが、私は人並み以上の見栄っ張りだから確認も出来ずに作り笑いでお支払い完了。

ふっかけたくなるほど金満オヤジみたいな顔して過ごしていたのだろうか。それはそれで問題である。

銀座8丁目交差点にほど近い新橋1丁目の某店。機会があったら再訪してビビりながら過ごしてみるのもいいかもしれない。

高い居酒屋もあれば安い居酒屋もある。それぞれに魅力がある。高い店は専門料理店並みのウマいものが気軽に味わえる。安い店はそこにいるだけでホゲホゲした気分になれる。


カレー風味のマカロニサラダである。時々これが無性に食べたくなってわざわざ出かける。シュールな街・巣鴨の某居酒屋である。

日々、富豪のフリをして過ごす私にとって、エセ富豪としての鎧兜を脱いでグダグダできるオアシスである。一人酒以外で使ったことは一度もない。

BGMはいつも昭和の歌謡曲である。桑名正博の「セクシャルバイオレット№1」を聴きながらマカロニサラダである。バンザイだ。

ここで飲むホッピーやサワー系の割りモノ系は「シャリキン」で注文できるのが嬉しい。割りモノ焼酎の人気銘柄であるキンミヤ焼酎を凍らせている状態を「シャリキン」という。

席に着くなり私の第一声は「黒ホッピー、シャリキンで」である。これを合図に弛緩した時間が始まる。


カウンターの隅の席だとビミョーな本や新聞を手にとってボンヤリ過ごせるから最高である。モツ煮やメンチカツをツマミに「トマト割り・シャリキン」に切り替える。

トマト酎ハイやらトマトホッピーみたいなメニューがここ数年の間に世の中に広まってきた。最初の頃はブキミに感じたが今では結構好きになった。なんとなく身体に良いことをしている気持ちになる。


この日はシメに鉄板ナポリタンを注文してみた。シャリキンのトマト割りを飲みながらトマトケチャップの味を楽しむなんて実にオシャレである。まるで食通だ。色合いだってイタリア人みたいで素敵だ。

正直言ってナポリタンはたいしてウマくない。気の利いた喫茶店で食べた方がウマい。でも、弛緩した酔っ払いにとっては「居酒屋でナポリタン」という図式こそ意味がある。

自由の象徴というか、突き抜けた世界観に辿りついた境地とでも言おうか。。。何だかとっても大げさである。

というわけで、平和である。

昔、一緒に暮らした女性から20年ぶりに突然メールが来てアワアワしたぐらいで、最近は平和な日々が続いている。

結構なことだ。

2017年7月28日金曜日

うんこドリル エロい言葉


3000を超える例文のすべてに「うんこ」を使った漢字ドリルが大ヒット商品になっている。


勉強に飽きちゃう子供にはうってつけだと思う。自分が子供の頃にあったら嬉々として使ったはずだ。

言葉遊びつながりで話題になっているのが「エロ語呂日本史年号」という本だ。エロい言葉を使って年号を暗記させようという画期的な参考書?である。

「な、入れさせてよ(710年)、ヘイ、女教師!(平城京)」、「イチゴパンツ(1582年)見て、本能ジンジン変な気分(本能寺の変)」といった具合だ。


うんこもエロも実にステキだ。しょせん、人間の興味なんて下ネタ方面に集中しがちだから、こういう商品の開発は正しいアプローチだろう。

と、いっぱしの前振りを書いたが、今日は徹頭徹尾、くだらない話を書こうと思う。

エッチな言葉、エッチな文字の話である。

「猥」、「淫」、「姦」。こんな文字を見るだけで何となく落ち着かない気分になる。文字フェチではないが、文字が引き起こす妄想パワーは結構凄いと思う。

「雨に濡れる」、「性格が悪い」。ごくごく普通の言い回しだが、一文字だけ取り出すと途端に怪しくなる。

「濡」、「性」。文字ヅラだけで中学生男子だったら鼻の穴がふくらむ。文字の力はなかなかのものだ。

「酒池肉林」。この言葉を知った思春期の頃、漢字四文字だけを見ているのにエロ本を覗いちゃったような感動を覚えた。

私がスケベ過ぎるのだろうか。いや、思春期の少年なんてそんなものだ。「完熟桃」という文字だけでムホムホしちゃう。

ついでにいえば「一触即発」にもグっときた。さすがに今はオジサマだから何も感じないが、猿のようだった少年の頃は変な親近感?を覚えた。

漢字だけではない。カタカナにも怪しい響きは無数にある。


「マンゴスチン」である。滅多に果物など食べない私が大枚はたいてでも食べたくなる果物の女王である。

でも、文字ヅラがエロい。声に出して口にするのが少し恥ずかしい。「マンゴスチン」である。マンゴスチン!

私が変なのだろうか。

そりゃあ「マンゴー」「マントヒヒ」も充分にエロい。ヒヒ親父としてはとくにそう思う。

それでもマンゴスチンは別格だ。チンまで付いちゃっている。大胆不敵だ。

「マンツーマン」、「マンホール」も結構怪しい。そんなことを感じて生きている人は少数派かもしれないが、ついつい気になる。

ついでにいえば中華食材の「チンゲンサイ」や沖縄のお菓子「ちんすこう」も素敵だ。グッジョブ!である。

以前、メキシコのとあるダイビングスポットの名前を聞いて悶絶したことがある。その名も「マンチョネス」である。

マンチョネス!

スペインやメキシコあたりなら地名でも珍しくないのかも知れないが、マンゴスチンでモジモジする私にとっては平身低頭したくなるほどの威力だ。

以来、私が親しい人とワイ談をする際には必然的に使いまくる言葉になってしまった。

キリがない。

ちなみに、最近ちょっとばかり不満なのが「ショーツ」という言葉の台頭である。いつのまにか「パンティー」に取って代わって定着した。

下着業界の思惑なんだろうか。ショーツだと何となく味気ない。だいたい私だって普通に口にすることが出来る。口の中に入れるという意味ではない。口に出して言えるという意味である。

ショーツは普通に言えるのにパンティーは恥ずかしくて言えない。

パンツだったら言えるのにパンティーの「ティー」の部分が妙に恥ずかしい。不思議な感覚である。私だけではないはずだ。

ブラジャーも同じ。ブラと口にすることに抵抗はないが「ジャー」を付けようとするとちょっとゾワゾワする。

「とっととブラやパンツを持って消え失せろ」とは言えるが、「ブラジャーやパンティーを持って消え失せろ」とは言えない。

くだらないことをダラダラ書いてしまったが、結論としては「ティー」「ジャー」という音の響きにこそエロの奥深さが隠れているのだろう。

意味不明でスイマセン。

2017年7月26日水曜日

かき氷 野菜


真夏になると高級プレミアムアイスではなく、コンビニで100円で売っているベーシックなかき氷のほうが嬉しい。ベタベタした冷たさではなくシャキシャキした冷たさが恋しい。


某所で食べたかき氷。1200円もした。アホみたいな値段だ。最近はゴージャス系のかき氷が世の中に増えた。美味しいことは喜ばしいが、程度問題だろう。氷は水を固めたモノである。さすがに1000円オーバーはオヨヨである。

以前、会社のチャリをこいで頻繁に出かけていた目白の和菓子処「志むら」。夏は絶品かき氷が名物なのだが、2年ぐらい前から常に大混雑状態で疎遠になってしまった。


最近目白にオープンした寿司屋の親方のインスタを見ると、しょっちゅうここのかき氷を食べている。仕込みをサボって並んでいるのかと思いきや、午前中に攻めればスムーズに入れるらしい。

ビミョーだ。午前中からかき氷モードにはなりにくい。悔しいが今年も「黒蜜キナコかき氷」や「アンズのかき氷」を食べずに終わってしまうのだろうか。

さて、夏といえば「もろきゅう」である。もろみを付けることが名前の由来だが、私はつい最近まで「キュウリをモロに食べる」からもろきゅうと呼ばれていると思っていた。バカである。

野菜嫌いの人生を歩んできたせいかもしれない。キュウリをもろにかじるなんて背筋が凍りそうな恐怖体験だと信じて生きてきた。


でも、ここ1,2年、キュウリの丸かじりを時々実践するようになった。加齢のせいだろうか。画像のような梅きゅうを自らオーダーして食べることも増えた。

歳のせいだけが理由ではない。野菜は私の天敵だが、どうも昔より野菜の味が向上したような気がする。

昭和40年代、50年代に子供だった私の記憶では、キュウリやトマトは青臭くてただただマズかった。あの頃は大量消費地である東京にテキトーな商品が溢れていたのだと思う。

今でこそ、グルメっぽいものを有難がる風潮や生産者のこだわりがクローズアップされているから、あまりにヒドいものは駆逐される。

いわば私の子供時代は、まだまだいろんな面で後進国だったのだろう。今と違って都会人ほどヒドいものを食べる機会が多かったのかもしれない。

なんでもかんでもモノに溢れる東京だからこその盲点である。モノが多い分、インチキみたいなモノも溢れていたわけだ。

この季節は飲み屋で冷やしトマトを注文することもある。野菜嫌いの風上にも置けない行動だが、妙にウマく感じて我ながら驚く。

加齢のせいにするより野菜の味が変わったことが理由だと信じたい。

ネギも昔より好きになった。ネギの味が昔に比べて変わったとも思えないから、こればかりは私の味覚がようやく年相応になったということだろう。ちょっと悔しい。


池袋の某所で食べたネギラーメンである。こんなものを自ら進んで注文するわけだから、野菜嫌い同盟の皆様から糾弾されそうである。

マズかった。中途半端に野菜に魂を売り渡した罰かも知れない。ネギは辛いし、大量の冷たいネギのせいでスープが妙にヌルくなっちゃって残念な感じだった。


こちらは上野の某居酒屋で食べた「甘エビかき揚げ特大サイズ」である。甘エビもあったが、主役はタマネギだった。甘エビの部分よりタマネギが素直に美味しかった。

なんだか気付かぬうちに野菜にテゴメにされているような感じだ。

昔は、ペヤングなどのカップ焼きそばを作る際に「かやく」、すなわち乾燥野菜を入れずに麺だけを食べていた。今ではお湯を捨てる際に蓋にくっついちゃったキャベツまで余さずに麺と混ぜ合わせている。

野菜を親の仇のように憎んで半世紀を生きてきた。ハガネの意思で歩んできたつもりが、気付けばすっかり野菜どもの陰謀にハマってしまった。

敗北感バリバリである。

2017年7月24日月曜日

連ドラ 年齢 Bm問題


松本清張の名作「黒革の手帳」がまたドラマ化された。銀座のママさんが主役の悪女モノの話である。夜の街を舞台にした作品は何となく見てしまうので、今回も自動録画設定をした。


主演は武井咲ちゃんだ。あまりに若いし、ちょっと悪者感に乏しい。実年齢は24歳だとか。さすがにそれじゃあ厳しいだろう。

まあ、想定視聴者層の年齢は私よりずっと若い世代だろうから仕方がない。それよりも銀座のママさん相手にサヤ当てを演じるのが高嶋政伸や江口洋介という点が驚きである。

青春モノやトレンディードラマのイメージが強い彼らも気付けば銀座で飲み歩くヒヒ親父の年齢である。そう考えたら私がヒヒ親父として生きているのも世の中の必然である。

ホントにアッという間に人生後半戦である。見回せば年下の人ばかりである。池袋の街を歩けば年上らしき人を見つけるのが難しくなってきた。

六本木や渋谷に行っても同じだ。人混みの中でボケっと人間観察をしても年下ばかり。私が銀座に飲みに行っちゃうのは、あの街ではまだまだ若造っぽさを味わえるからかも知れない。

と、言い訳みたいな話になってしまった。

割と連続ドラマを見るのが好きなのだが、妙にハマっているのがテレビ東京の「居酒屋ふじ」である。なんだか掴み所のないちょっとシュールな感じが良い。


飯豊まりえちゃんというヒロイン役のコが愛くるしい。特別美人じゃないし、圧倒的に可愛いいというタイプではない。何となくいい感じだ。

この「何となくいい」が大事である。テレビ東京には「何となくいい」としか言いようのない不思議な番組が多いから、このドラマもそういうジャンルに分類されるのだろう。

稚拙なテレビ評論はさておき、今の私にとって大重要テーマが「Bm問題」である。ビーマイナーである。ギターのコードだ。

ギターをイジりはじめて3年が経ったのだが、これまで「Bm」から逃げていたツケに苦しんでいる。

ギターを始めた人の多くが挫折すると言われているのが「F」コードだ。押さえかたがややこしいので、ちゃんと音が鳴りにくい。

当然、私も「F」で挫折しかけたが、随分前に何とかクリアした。普通の人なら「F」が弾ければ「Bm」は楽勝らしいのだが、私の場合、「Bm」が出てくる曲を避けたり、少しだけ似たような音でごまかしていたせいで、今更ふーふー言いながら練習している。

単発では普通に鳴るのに、コードチェンジで「Bm」が出てくると途端にヘンテコになる。老眼のせいだと自分を慰めたのだが、老眼鏡をしてみても結果は同じだった。

でも、人生後半戦の段階でこんな気分になるのも悪くない。年齢とともに何かを学んだり基礎的な練習に励む機会は減ってくるからボケ防止にもピッタリだと思う。

ギターを衝動買いして3年。ヤメなかったことは自分でもエラいと思うが、3年ヤメなかったということは、3年も続けているという意味である。だとしたらもっと上手に弾けるのが普通だ。

謙遜でも何でもなく、キャリア3年のギター経験者が「Bm」で苦悩しているのは、ありえない話である。ちゃんとしないといけない。

今年に入ってからギター教室には一度も行っていない。休会中である。8月からまたちょこちょこ通おうと思っているのだが、すぐに億劫になる悪いクセが邪魔をする。

女性の尻を叩いているヒマがあったら、もっと自分にムチを打たねばと思う今日この頃である。

2017年7月21日金曜日

見栄っ張りは美しい


見栄を張ることはバカみたいだ。でも、私はちょっとした見栄っ張りが嫌いではない。男たるもの、くだらない見栄を張ってこそナンボだと思う。

見栄といっても変な自慢話はいけない。ちょっとした“頑張り”みたいな心持ちのことである。

牛丼屋で並ではなく特盛りを注文したり、おっぱいパブで女の子にせがまれるドリンクを断らない程度の“頑張り”である。そういう局面でセコセコしちゃうのはイキではない。

バカと言われればそれまでである。実際にバカだと思う。でも、男として生きている以上、適度に突っ張ったり、カッコつけるのは必要なことだろう。

ラーメン屋さんでついつい「全部載せ」を頼んだり、カツ丼が食べたかったのに蕎麦屋だからついついザル蕎麦も追加注文するような見栄はいじらしく美しい?と思う。

マクドナルドでポテトのSを頼むと負けたような気がする。要はそういう精神性!が男には大事だと主張したい。

見栄を張ることと自慢は似て非なるモノである。見栄はある種の自己満足の世界だ。誰も気づいてくれないような部分への小さなこだわりみたいなものである。

自慢はことさら人様にアピールするから醜い。持っているモノや経歴を自慢されるとウンザリする。さりげなくない行為はたいていヤボである。

まあ、そんなエラそうな事を言いながら、このブログでは、ウニやカニや鰻を食べまくった自慢みたいな話を延々と書いているから人様のことは言えない。

先日も80歳にならんとする我が母親から文句を言われた。時々、このブログを読んでいるようで、私の暴飲暴食ぶりを「世間様からひんしゅくを買うからヤメろ」とのこと。困ったものだ。

それはさておく。

ついでに言えば、自慢にもなっていないヘンテコな話を自慢げに繰り出すヤツも困ったものだ。

俗に言う「寝てない自慢」なんか実にお粗末だと思う。忙しさアピールも度が過ぎると単なるマヌケだ。アンタがトロいから寝る時間が無くなったんだろうとツッコミたくなる。

今日はメシすら食ってないんだぜ。こういうのも同じ。タイムマネージメントが出来ない人だと思われるのがオチ。

同情を引こうと思っているのだろうか。だとしたらマヌケだ。人は人のことでそう簡単に同情などしない。

考えてみると見栄とヤセ我慢は同じ意味なのかもしれない。財布の中身が寂しいのに気前よくおごっちゃうことと、パンツが見えそうなミニスカートの女性からあえて目をそらすことは高尚な心持ちという点で同じだ。

そういう卓越した精神性こそがイキな男には必要だろう。友達になるのならそんなカッコイイ?男に限りたいものだ。

なんだか屁理屈をこねくり回しているような感じになってしまった。

ちなみに私自身、日々くだらない見栄を張って過ごしている。バカだと思うが、そんな自分がイヤではない。

アイスクリームはなぜかダブルで頼むし、ラーメン屋で普通のラーメンを頼むことはない。何かしらトッピングを加える。

女性を見ればカッコつけるし、体重を聞かれればウソをつく。仕立ててもらった国産生地のスーツに「ゼニア」のラベルを貼らせたこともある。

どれも大した話ではない。でも、そんなちょっとしたバカみたいな“頑張り”が自分というものを成り立たせている根っ子なんだと思う。

これからどんどん歳を取って偏屈な人間になっていくはずだが「自慢は控えて見栄を張る」をモットーに生きていきたい。

2017年7月19日水曜日

ウニとカニと温泉


函館に行ってきた。目的はウニとカニと温泉だ。このブログでも過去に何度書いたか分からないぐらい函館にはちょくちょく出かけている。

羽田から1時間程度で着く。空港から市街地や温泉地が至近距離。モノグサな私にとってこれだけで魅力的だ。

流通事情が革命的に進化した今の時代、ウマい魚といえば東京である。高く売れる東京に良いモノは当然集まる。

北海道までわざわざ出かけても、ヘタな店で食べたらロクな事にはならない。そんなことを書くと夢も希望もないが、それが現実だろう。

もちろん、味覚なんて気持ち次第で変わる。旅に出た高揚感でフツーのものもウマく感じる。それもまた真実だ。


ミソたっぷりの毛ガニである。数量限定先着順で2980円だった。身入りも抜群の中型サイズだったからラッキーである。こういう掘り出し物は港町・函館ならではかもしれない。

朝市の外れにある「海光房」という店で食べた。幅広く海鮮料理を揃えるこの店は、朝からメニューすべてがオーダー可能。その便利さに惹かれて、以前から朝や昼に訪ねている。



この日は宿の朝飯をパスして11時過ぎからブランチ。ホッケやズワイガニの刺身、生ウニやイクラやタラコの醬油漬けを肴にヒレ酒ならぬ甘エビ酒をグビグビした。

前の日に生ウニはしっかり食べたので、昼飲みのシメとしてウニ釜飯を頼んでみた。函館といえば生ウニをてんこ盛りにしたウニ丼が定番だが、函館エキスパート?を自称する私としては、定番以外にも手を伸ばしたくなる。



ウニ釜飯、なかなかウマい。磯の風味タップリで気に入った。やや上品な味わいだったので、後半は残っていた生ウニを混ぜて、醬油をチョロッと足して味わう。幸せの一言である。

今回、宿は2カ所。1泊目は「湯ノ川プリンスホテル渚亭」。2泊目は「望楼NOGUCHI函館」。前者は私にとっての定番の宿で、海に面した部屋付きの露天風呂がムホムホ気分にさせてくれる。

7月の函館といえば、夜になるとイカ釣り船の漁り火が海をまぶしく照らす。風呂に浸かりながらそんな光景を眺められるのがこの宿の魅力なのだが、残念なことに昨年あたりから記録的な不漁とのことで、今回は暗い海しか見えなかった。


明るい時間帯にはこんな素晴らしい眺めで湯浴み出来たから文句は言えない。老朽化が目立ってきたこの宿、今回は改装工事中でシャバダバな面もあったが、来年の夏にどのようにリニューアルするか楽しみだ。

もう1泊した「望楼NOGUCHI函館」は、いわゆるイマドキのカッチョいい系である。函館らしくないというか、若者ウケしそうなモダンな高級旅館だ。

函館マニア?としては以前から1度は滞在しようと思っていたのだが、ようやく実現。カップルで行くには良さそうだが、家族連れや一人旅だと収まりが悪そうな印象だった。



部屋は広く、大きな展望風呂も快適。チェックアウトが12時という点も有難い。朝市でドカ食いした後に宿に戻ってひとっ風呂が可能だ。

話が前後するが、最初の夜に出かけたのが「うに むらかみ」である。函館の相場から見れば安くない店だが、ウニはもちろん、それ以外もちゃんとした正しい魚介類が味わえる店だ。

ウニはミョウバンを使っていない上モノを扱っている。この日も解禁まもないエゾバフンウニをはじめウマいウニが揃っていた。


この画像、全部ウニである。生のエゾバフンウニ、ムラサキウニの他は殻付き焼きウニとウニの塩辛、佃煮、醬油漬けなど珍味オールスターである。



この店のメニューはこんな感じ。タマランチンである。上モノのウニは東京に集まっているのは確かだが、一工夫したウニ料理を豊富に揃えるこの店に来ると「わざわざ函館に来て良かったぜ」と叫びたくなる。

画像以外にも、ウニ入りの卵焼きやウニとトウモロコシのかき揚げなどをツマミに冷酒をクイクイした。こんな店が近所にあったら間違いなく成人病で早死にすると思いながら酔っ払う。


シメはウニイクラ丼である。どんなに満腹だろうと秒殺ぐらいの勢いでペロっと食べてしまう。どうして身体に悪いものほどウマいのだろう。

5年前だったら、この後ふらふら歩きながら函館名物の塩ラーメン屋に入ってしまうのがお決まりのパターンだったが、最近はそこまでのパワーは無い。

さんざんウマいものを食べたのだが、異常なドカ食いが出来なくなったことで加齢を痛感させられる旅となった。

変な結論になってしまった。

2017年7月14日金曜日

トレーダーヴィックスと自分史


人に歴史あり。半世紀以上生きていれば私にもそれなりに歴史はある。こんなことを書き始めたのは、とあるレストランに久しぶりに出かけて感慨にふけったからだ。


ホテルニューオータニにあるトレーダーヴィックスである。もう40年以上前からある。ポリネシアン風の独特な風情がウリだ。

http://www.newotani.co.jp/tokyo/restaurant/vics/index.html

イマドキのグルメ評論というか、グルメヒエラルキーみたいな世界とは別次元に位置しているような存在の店だ。そんな感じがアマノジャッキーな私にはすこぶる居心地が良い。

本家アメリカでもそれなりに由緒のある店として位置づけられている。ラムベースの人気カクテル「マイタイ」の元祖をウリにしている。ハワイのホテルもそう言っているので実際のところは分からない。

http://tradervics.com/our-brand/

私が初めてこの店に行ったのは中学生の頃。悪友の父親に招待されてナゼか二人きりで語り合った。

一種独特な雰囲気に圧倒された。お坊ちゃん育ち?だったから、そこそこ高級なフランス料理店やステーキレストランには行ったことはあったが、この店のエキゾチックな感じは未知の世界だった。

第一印象の強烈さはその後も影響するもので、すっかりファンになった私は、生意気にも大学生の頃には時々デートに使うようになっていた。

もちろん、店内奥に位置するレストランは値段が張るので、バーコーナー専門だった。南国リゾートを思わせるカクテルが数十種類も用意されている。イラスト付きのドリンクメニューを眺めているだけで楽しい。

名物のスペアリブを囓りながらここでグビグビ飲むのが若き日の私にとって憩いの時間だった。

世の中にスノッブなカフェバーブームが到来しようと、バブル時代にバブリーな店が登場しようとも、私のスペシャルな場所はこの店だった。流行に無縁の泰然自若な感じが好きだ。

その後、大人になってからはレストランもたびたび使うようになった。シーザーサラダを初めて知ったのもここだった。座席横でボーイさんが作ってくれるこの店の名物の一つだ。

なぜか会社のむさ苦しいオジサンと行ったこともある。大事なデートにもよく使った。誰といつ何回ぐらい行ったのか記憶が曖昧なのがチョット残念ではある。

いずれにしても、常に楽しい気分の時に出かけた店であることは間違いない。20代、30代、40代それぞれの時代ごとに何度も何度も楽しい時間を過ごした。

ちなみに、大学生の頃のとある夏の日、旅先のニューヨークで偶然トレーダーヴィックスを見つけた。かの名門・プラザホテルの中にデンと構えていた。

幼く見られがちな東洋人であり、実際に幼かったから場違いな視線を感じたが、そんなことは気にせず過ごした。勝手が分からないニューヨークでアウェイ感とは違う安心感があった。懐かしい思い出だ。

その数年後、トランプさんがプラザホテルを買収した際に、「自分のイメージには合わない」という理由でトレーダーヴィックスを閉鎖してしまい、ホテル・レストラン業界で非難ごうごうだったらしい。

あのオッサン、当時からゴーマンだったわけだ。

ウンチクが長くなってしまった。


この日、この店に行ったのは娘の誕生祝いが目的。甘甘パパとの二人ディナーである。楽しげな店だし、無数にあるカクテルの多くがノンアルコール仕様で注文できるから好都合である。

娘を連れてこの店を訪れる日が来たことが妙に感慨深かった。中学生だった私を初めて連れてきてくれた悪友の父親もその悪友自身も既に亡い。光陰矢の如しである。

この日は、スペアリブやシーザーサラダ、ラムローストや妙に高い焼きそばをワシワシ食べながら、父娘水入らずでいろいろな話が出来た。


父親の学生時代の話をやたらと聞きたがる娘に若気の至りみたいな話を正直に披露する。

今の娘とちょうど同じ年の7月にドンチャカ宴会が見つかって停学処分を食らった話などで盛り上がる。

そのバカ騒ぎ宴会は、わが男子校チームと某女子校チームの団体戦だったのだが、何の因果か、女子チームは、いま娘が通っている学校の面々だった。

つくづくアホな父親を反面教師にして欲しいと思う。

さてさて、私が大好きなこの店の「ポリネシアンパブの元祖みたいな雰囲気」は、娘の目にはどう映ったのだろう。

イマドキの女子高生がイメージする「お洒落なレストラン」とは違うだろうが、将来、思い出の一コマに残ってくれたら有難い。

娘の人生はまだまだ入口から少し入ったぐらいである。どんな道を歩むかは分からないが、節目節目に楽しく過ごせて記憶に残るような場所を見つけて欲しいものだ。

2017年7月12日水曜日

白い毛の問題


とりあえずハゲ散らかさずに生きている。有難いことである。ひとえに自助努力の賜だ。

40歳を過ぎれば禿げ上がる覚悟で青年時代を生きていた。実際に10年以上前にはドイツ製のカツラを発注したこともある。

頭の型も取って契約書にサインもした。結局、もう少し踏ん張ろうと思い直し、30万以上の手付金を放棄して育毛に励んだ。

おかげで年齢相応程度に何とか髪の毛を維持できている。そんな涙ナシでは語れない私の毛髪問題だが、昨年あたりから白髪が妙に増えてきた。

目立つヤツは抜いてしまうが、白いとはいえ毛である。毛量全体を支える一部だからそうそう抜くわけにもいかない。大事だし・・・。

かといって白髪染めに手を出すほどでもない。髪を染めちゃうほど私の美意識は高くない。なるべく自然体で過ごしていたい。

白い毛が特定部分に集中していれば染める気にもなるが、私の白髪は全体にポツポツ登場している。さすがに全部を染めるのはメンドーだ。

白髪混じりのカッチョいいオジサマは世の中に大勢いる。あれはあれで悪くない。貫禄を感じる。

ただ、あれも全体の3割ぐらいを白髪が占めるから収まりが良いのであって、ポツポツと白いのが混ざっているぐらいだと、何となく侘びしい雰囲気が漂う。

ハゲ問題も禿げていく途中段階が何かと問題である。禿げ上がってしまえばユル・ブリンナーやブルース・ウィルスの完成だ。

そこに至るまでの「ハゲの途上」とどう向き合うかが大きなカギだと思う。

きっと白髪問題も同じだ。ポツポツある状態から、当たり前に混ざっている感じに移行するまでの段階が勝負どころ?なのかもしれない。

さて、白い毛の問題は髪だけではない。

一時期、得意になって生やしていたヒゲを剃ったのは白いのが異様に増えたからだ。どうも私の場合、髪の毛よりも他の部分の白髪率が高い。

鼻毛なんて大げさではなく半分ぐらい白い。運転中によく引っこ抜いているのだが、白いのが多くてビックリする。今これを書きながらついでに鼻毛を引っこ抜いてみたが、5本中2本が白い。

先日は腕毛?にも白いヤツを発見した。腕時計を外そうとしたら白いヤツが2本もいた。スネ毛に白いヤツは混ざっていないので実に不思議だ。

申し訳程度に生えている胸毛にも時々白い毛を見つける。腕とか胸のムダ毛が白いと何だかとても年老いた気分になる。

肝心のアッチの毛、すなわち下の毛も残念ながら白いヤツらが増えてきた。「キミのこの部分はもう役割を終えたんだよ」と宣告されているようでムカつく。

10年以上前に初めて1本見つけた時は、単なる突然変異だろうと気にも留めなかったが、その後、チェックするたびに見つかるようになった。

引っこ抜く作業と隠れて生えてくるヤツらとのイタチごっこは続いたが、ここ1~2年は闘うことをあきらめた。追っつかない。

以前はこちらからは見えない場所にコッソリ生えてきたからまだ可愛げがあった。それこそ棒や袋の部分の陰になるあたりで見つからないように生息していた。

そんな控えめな様子に「敵ながらアッパレ」と感じていたのだが、いつの頃からか、ふと視線を落とせば堂々と目立つところに登場しはじめた。

図々しさを覚えたら手遅れである。もはや不法占拠状態が当たり前になり、お手上げである。あと10年もしたら総白髪状態になりそうで恐い。

というわけで、最近の私は、肝心な場面を迎えても「灯りは消してね」「もっと暗くして」などと少女のようなセリフを口にするようになってしまった。

2017年7月10日月曜日

ウナギスト いづもや 志満金


慢性疲労症候群、プチうつ病、男性更年期など、近頃は昔と違ってやたらと病名が増えた気がする。実際はどうなんだろう。

もちろん深刻に体調が悪い人は気の毒だ。治療が必要な場合もあるだろう。それとは別に、ただなんとなくダルい、活気が出ない、疲れが取れない等々の症状をいちいち病気扱いしたらキリがない。

世の中のオッサンの大半はたいていバテている。ダルいのは普通だし、疲れが取れないのも普通だ。私もそうだ。最近はダルダル大王だ。

とはいえ、血液検査の結果はフツーだし、あくまで年齢的なものだろう。若い頃と同じように元気ハツラツなのは松岡修造ぐらいだ。普通のオジサマ達はみなさん息も絶え絶えである。

私自身、とっとと夏バテみたいな感覚に陥っている。実にだらしない。でも仕方ない。徐々に身体が老人状態になる準備をしているのだろう。

そんなシンキくさい話はさておき、夏バテにはやっぱりウナギだ。気のせいかも知れないが、気のせいの「気」は大事である。活気、元気、根気、精気、やる気等々、すべて気がベースだ。

ウナギの場合、気のせいではなくホントに目に見えて効果が出たこともあるからバテている時には有効だろう。

目に見えた効果、すなわち私の一部分が“あばれる君”になったのは遙か昔のことではある。

高校生や大学生の頃にはウナギを大量に食べると、妙に?元気になってしまうことがあった。若いから常に元気だったのだが、ウナギパワーは確かに別モノだった。

今の歳になればウナギをしこたま食べたところで何も変化は無い。まあ、そのほうが何かと平穏である。

ただ、表だって実感しなくたった今でも、きっと身体の奥の芯のような部分にはエネルギーが充填されていると信じている。


日本橋「いづもや」で食べた鰻重だ。ここではシメの鰻重の前に、白焼き、生醤油焼き、魚醤焼きといった酒の肴に最高な鰻料理を出してくれる。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2015/03/blog-post_9.html

このお店では、鰻重のウナギの量がやや上品なことが私にはちょっと物足りなかったのだが、久しぶりに訪ねたら嬉しい変化があった。

以前は3段階だった鰻重のラインナップが6段階に増加。それに伴い「ご飯がちっとも見えないぐらいウナギが敷き詰められた鰻重」を堪能できるようになっていた。

運ばれてくる時はフタ付きである。フタを外した瞬間にこの景色が目に飛び込んでくるわけだ。バンザイ三唱である。

白焼きや魚醤焼きなどもブリブリ食べてからのテンコ盛り鰻重である。ウナギざんまいだ。至福の時間である。

10代の頃ならこんなにウナギを食べたら翌朝はビンビン物語だったはずだ。つくづくオジサマで良かったと思う。


こちらは神楽坂にある「志満金」で食べた鰻重である。ウナギの画像はどこで撮ってもたいして変わり映えがしない。でも撮りたくなる。後日、目で食べ直す感覚だろうか。

女性との秘め事を画像や動画に残しちゃう発想と同じかもしれない。あれも、後日見直すことでランデブー気分を視覚と脳の中で味わっているわけだ。

話が脱線した。

白焼きをわさび醤油で味わい、口に残る風味が消えないうちにキリっと冷えた酒をあおる。私にとっての「至高の食」はその一瞬に尽きる。


「冷酒に合うつまみコンテスト」で22年連続1位の座に輝いているのがウナギの白焼きである。コンテスト開始以来、1度たりとも1位の座から陥落したことがない。

まあ、私の頭の中だけで開催されているコンテストなので、権威や知名度はゼロだ。審査員も私だけである。

間違いなく連続1位記録は延々と続く。

アホみたいな話でスイマセン・・・。

2017年7月7日金曜日

トロロ緊縛プレイ


私の歯ぎしりはかなり凄いらしい。仕方ないからマウスピースをハメて寝ている。横で眠る美女達への配慮である。

ウソです。自分の歯がボロボロになると困るので使っている。ゴム製だと使っているうちに穴が空いちゃうから、プラスチック製を愛用している。

でもこれがすぐに壊れる。手の中で間違えて握ったら割れるし、ベッドの上で踏んづけても割れた。しょっちゅう作り直す。


3割負担の保険適用では半年に1度しか作れない。富豪なら自費で10個ぐらい作り置きすればよいのだが、セコい私は律儀に半年待つ。

毎度毎度型を取るのがイヤだから自分の歯形の石膏を歯医者さんから持ち帰って保管している。素敵なインテリアみたいだ。

やはり、ウマいものを楽しく食べるためには歯は大切だ。一応、3ヶ月に1度は歯医者に行ってクリーニングとエアフローなる作業を頼んでいる。

結構コストがかかる、でも仕方がない。昔は虫歯になっても放置し続け、いざ治療の段階で七転八倒するのが常だったから、あの惨劇を思えば今の真面目な習慣は大人の嗜みとして必要だ。

話は変わる。

身体が夏バテになりたがっているようで、何となくダルい日が多い。疲れが取れにくくなっている。意識して元気になりそうなものを食べる機会が増えた。


パッと見は目玉焼きにしか見えない画像だが、実は月見とろろである。ワガママが言える飲み屋さんで時々注文する。

「トロロだけちょうだい。卵黄も乗っけてね~」。こんな感じで頼むと“目玉焼きモドキ”がやってくる。

ちょろっと醬油を垂らしてデロデロと混ぜ合わせて一気に飲み込む。トロロは飲み物だ。ちょこちょこ食べていたら口の周りが痒くなるだけだ。

そういえば、子どもの頃、空き地で拾ったガビガビのエロ漫画本に凄い描写があった。緊縛された女性にトロロを塗りたくって身悶えさせるシーンである。

大人になったら自分でもやってみようと決意したのに、あれから数十年経ってもまだ実行していない。そろそろ誰かに頭を下げて頼んでみよう。

あの頃はそんな「塗り物系」のエロ漫画をやたらと見かけた。ハチミツを塗りたくってペロペロとか、水飴をタラ~リたらして・・・とか、ロクなもんではなかった。

そういえば「バター犬」の話も最近すっかり聞かなくなった。あの当時だけ一時的にハヤった変態プレイだったのだろうか。

いまも「バター犬」で充実した日々をお過ごしの女性がいらしたらゼヒご一報いただきたい。記者として取材したい。

いずれにせよ、あの当時、フラチな漫画で描かれていたそっち系の世界は少年の目にはかなり刺激的だった。

無修正アダルト動画が花盛りの今とは違う怪しげな妄想に脳を鍛えられて大人になったような気がする。

いかんいかん、話がそれた。

疲れを感じると不思議と大衆酒場の“野性的”な食べ物が欲しくなる。上品路線の食べ物よりガッツが出るような気がする。


新橋の居酒屋で食べたハムカツだ。「勝つ」を連想させる言葉の響きだけで元気になるような気がする。でも、効果はまったくない。

大衆酒場のジャンクな雰囲気の中で肉肉しいものを食べると、その野性的な趣のせいで元気になったような錯覚を覚える。

次はモツ煮や得体の知れない肉の塊やハツ刺し、マカロニサラダを並べてホッピーをグビグビした際の画像だ。水道橋の「でん」という店。


このワイルドな風情が良い。「ワイルド=元気」である。実際には出がらし?のような部位を食べてもエネルギーが充填されるはずもない。

ホッピーもついつい濃い目で飲んでしまう。結局、したたかに酔って肝臓が疲れる。ダルい感じはちっとも改善されない。

疲れを取りに行ったつもりが疲れを増加させる。ミイラ取りがミイラになるという典型的なパターンだ。

そして今日もまた得体の知れないドリンク剤をグビグビ飲んで身体の疲れをごまかしている。

ついでに言えば、年に1度の七夕なのにロマンチックな話ではなく「緊縛トロロ」の話を書いている自分に呆れる。

2017年7月5日水曜日

ビタシグ


職場の隣にあったコンビニが潰れちゃったので何かと不便だ。もう30年ぐらい使っていたから急に無くなるとやたらと困る。

なかでも大問題はタバコだ。今まではすぐに買いに行けたのに今は300メートルほど離れた別のコンビニに行く必要がある。

潰れたコンビニは職場から5メートルの距離。実に60倍も離れたところまで行かねばならない。60倍の労力である。

こういう不便さをタバコをやめるきっかけにしたいところだが、その気が無いから困ってしまう。

今の時代、喫煙者は世間から疎まれる存在だ。極悪人みたいな扱いだ。ここ2~30年で一気に風向きが変わった。

先日、興味深いニュースを見た。長野県の調査によると高校1年男子の喫煙率が激減しているそうだ。15年前は18.6%だったものが0・3%にまで減ったらしい。

18.6%といえばほぼ4人に1人だったわけだが、今では喫煙者は皆無に近い。0.3%なんて新潟のトキより珍しい存在かもしれない。どんなヤツだか気になる。物凄いアマノジャクなんだろう。

筒井康隆の昔の短編に「最期の喫煙者」という名作がある。確か警察や軍隊を投入されても秘密基地に立てこもってタバコを吸い続ける男の話だ。最後は珍獣みたいに剥製にされて展示されちゃう。

最近の嫌煙ファッショを思うと、なんだかそんな時代が着々と近づいているような気がする。

で、何が書きたいかというと「ビタシグ」である。電子タバコの一種だが、天然成分とビタミンだけのクリアな蒸気を吸えるというシロモノだ。

https://vitacig.jp/

ひょんなことで試してみたのだが、悪くない。普通に美味しい。煙もボワボワ出るし、何より充電不要という点が素晴らしい。

電子タバコもいくつか試したことがあったが、充電という作業がウザったくてすぐに手放した。

ビタシグの場合は、500回ほど吸うと煙が出なくなってオシマイになる。使い捨てだ。パイポみたいな気軽さだ。

いろんな味のフレーバーが揃っている。好みの問題だが、個人的にはバニラがお気に入りだ。

ただ、実用性では「マックスメンソール」という日本限定発売の商品がオススメ。メンソールだから人工的な香りを感じない。


強く吸えばボワボワと煙は出ちゃうのだが、香りがないから周りの人には何かをスパスパしていることが分かりにくい。

これなら電子タバコもダメな場所だろうとこっそり使えそうだ。弱めに吸えば煙はほとんど出ない。

煙が出ないような吸い方では物足りないのが普通だが、マックスメンソールだけは他の種類のビタシグより刺激がかなり強い。弱めに吸っても喫煙者が求める「スーハーした感じ」を味わえる。

電子タバコ類も飛行機では使えないが、長時間禁煙を強いられる路線などではこっそりスーハーしている人もいるような気がする。

ビタシグの場合、タバコ本来の成分が無いからニコチン欠乏状態になればタバコの代わりにはならない。でも、いざという時に「煙を吸ってスーハーできる」のは心強い。

タバコを吸えない場所でイライラしないための気持ちの保険みたいな使い方が出来る。これって喫煙者にとっては結構重要なポイントである。

先日も喘息持ちの人とカラオケボックスに行ったのだが、ビタシグをスパスパしていたおかげで、割と快適に禁煙タイムをやり過ごすことが出来た。

喫煙者をただ闇雲にイジめるだけでなく、喫煙者がとりあえず共存できるようなスグレモノがどんどん開発されることに期待したい。

2017年7月3日月曜日

目白 鮨 おざき


昔なじみの寿司職人さんが独立して店を構えた。

なんだかそう書くと自分が爺さんになったような気がする。若者が使わない言い回しの典型だろう。“人生後半戦”を痛感して複雑な気分だ。

いきなり話がそれた。

その職人さんと知り合ったのはもう15年ぐらい前だろうか。私が30代で彼は20代だった。お互いもうオジサマ世代である。

10年ぐらい前からは何となく担当みたいな感じになってもらいアレコレとワガママを言わせてもらっていた。

6月の終わりに目白にオープンした「鮨 おざき」が彼の新しい店だ。目白駅から程近いビルの3階に構える。


目白駅界隈は私の職場から徒歩圏内なので、以前はよく飲食店探索に励んだ。とはいえ、山手線の駅の中でも地味な存在の場所ということもあって、なかなかシックリくる店が見つからなかった。

こだわりのあるお寿司屋さんも探したのだが、私の調査不足もあって、個人的には池袋と並んで“寿司不毛の地”といった印象がある。違ってたらスイマセン。

そんな街にオープンした店だから今後が実に興味深い。

駅に近いとはいえ、路面店ではない。ビルの3階という飛び込み客が入りにくい立地である。いわば「そういうタイプの店」である。

それなりの値段でこだわった寿司や料理を出す。イマドキの「おまかせ一辺倒」みたいなインチキっぽい路線ではない。客の好みや希望に応じて柔軟に対応してくれる。

頑固一徹みたいな偏屈な職人ではないから、正統派路線のワザをベースに邪道と思えるようなこともサラリとこなしてくれる。

店の造りも適度な上質感が漂う。L字型のカウンターで席数は8(9だったかも)。間隔にゆとりがあるので窮屈感は無い。私が開店祝いに無理やり置いていった備前焼の壺も素敵だ!

安さ重視で店を探す人にはオススメしない。でも、銀座あたりのカッコばかりつけている店よりは安い。

目白界隈は下落合や目白台など保守的な富裕層が多い地域である。新参の店には見えない壁もありそうだが、ブレずに真っ当な仕事をしていれば道は開けるはずだ。



築地から仕入れる魚以外に漁港直送品も多い。ウニは常時3~4種類の一級品を揃えて食べ比べできる。時には私が大好きなイバラガニの内子もある。

特筆すべきはシャリだ。コメの輪郭をハッキリ感じるような粒立った食感だ。柔らかいコメが嫌いな私にとっては最高だ。

ここ2~30年の間に東京のお寿司屋さんのシャリはマイルドになった。マイルドといえば聞こえがいいが、没個性というか味も素っ気もないシャリが当たり前になってしまった感がある。

確かにシャリの個性が強すぎるとネタの味を壊しちゃうが、それでも「ごはん」ではなく、あくまで「シャリ」である。お店の個性の見せ所である。


「鮨 おざき」のシャリはアルデンテ?っぽいしっかりした食感に頃合いの良い“酢飯感”がちゃんと感じられてウマい。

そのまま食べても良し、炭火で焼きおにぎりにしてもらってもウマい(そういう邪道な注文はしてはいけない・・・)。

先日は今シーズン初のシンコも食べた。ぶどう海老も食べた。皮を少し炙ったイサキも美味しかった。




7月いっぱいはオープン記念ということで、「富豪記者を見ました」と言えばスペシャルサービスが受けられる。かもしれない・・・。