2007年10月31日水曜日

熱海の効用

ちょっと偏屈気味のアマノジャクという性質が私の特徴だ。その昔、スピルバーグ監督の大ヒット映画「ET」を、周りがあまりに絶賛するもので見る気にならず、20年後にレンタルビデオをこそっと借りて、見終わった後感激して号泣した経験もある。

東京・六本木といえば、背伸びしたかった中学生の頃から足繁く通った街だ。でも変なアマノジャク精神のせいでミッドタウンはもちろん、六本木ヒルズにも今だ足を踏み入れていない。おまけにそれが自慢だったりする(ちっとも自慢にならないが・・・)。

いまや六本木とか麻布という響きに何故だか「素敵さ」を感じない。銀座は別格だが、新橋や神田、神楽坂や麹町という響きの方がスマートに感じてしまう。とくに根拠はない。上手く説明できないが、感覚的にそう思う。

前振りが長くなったが、そういう意味で「熱海」である。今更ながら熱海だ。名前の響きからして今風ではない。夕日を見ているような何となく切ない響きがある。おじいさんのため息のような響きもある。

福山雅治とか叶姉妹とかエビちゃんとかは熱海には絶対行かなさそうだし、ヒルズ族とかもきっと行かないと思う。そこが熱海の魔力であり魅力だ。イケメンやゴージャス系の人、流行に敏感な人などが目を向けない、これぞ隠れ家にピッタリだ。

なんといっても立地がいい。品川から新幹線に乗ったら40分かからない。ヒマな平日に午後から新幹線に乗って、温泉旅館の日帰り入浴を楽しんで、暗くなってから東京駅に舞い戻り、ワンメーターちょっと移動して湯上がりに銀座で痛飲なんてこともお茶の子さいさいだ(実際にやったことあります)。

平日なら多くの旅館がひとり客を受入れてくれる。突発的なひとり旅で何度も訪れたのが大観荘。個人的にすごく好きな宿だ。

今風ではない。建物も古い。でも昔の日本建築の落着き感は、流行の和風モダンとやらに比べて格段に癒される。庭の松の木も実に風流。大観荘にも新館があるが、廊下や壁のつくりは和風とはいえ当然近代的で、個人的には旧館の方が好きだ。どの部屋も広く、室内にマッサージチェアもあり、たいていの部屋から相模湾が見渡せて、命の洗濯にもってこい。

大浴場は3カ所。すべてにサウナがある点が、「スーパーサウニスト」の私にとって好都合。部屋での夕食も一品一品運ばれ、殿様気分。まずかったことは一度もない。

仲居さんはさまざまだが、熱海を代表する老舗旅館だけに、色々とわきまえている仲居さんが少なくない。このあたりが、新興旅館との違いだろう。

一人旅の客に対しても接し方が自然で、こちらが発する「しゃべりたくないオーラ」や「今はムダ話するぞオーラ」をきちんと読み取ってくれる。

なんか宿の回し者のような誉め方だが、この旅館に限った話ではないが、大人なら老舗の魅力にはもっと目を向けた方がいい。

新しいものを追っかけるのがマスコミの仕事だが、それに乗っかって踊らされて、海のものとも山のものとも分からない旅館や飲食店に大金を捨てるのなら、伝統と定評という情報に頼った方がましだ。

最近、都心に増えてきた外資系ホテルの宿代に比べれば、日本のちゃんとした旅館の方がずっと値ごろ感がある。

次々に大箱旅館が廃業してイメージが悪化し、全般的な客足が減った熱海だって、志のまっとうな旅館は、しっかり繁盛しているし、繁盛しているところは、それを支える品質がともなっている。

ちなみに熱海駅前のコンビニは、妙に下着とか靴下とかのお泊まり系商品が充実している。着替えなどもっているはずのない突発性熱海行き症候群の御同類は結構存在するようだ。

ある旅館のお女将さんの証言。「平日の夕方にふらっとお見えになって、朝8時頃の新幹線で会社に向かわれる社長さんは結構いらっしゃいますよ」。

そんな社長とは個人的にお付き合いしてみたい。

2007年10月30日火曜日

ぐい呑み賛歌


骨董の世界では「備前の徳利、唐津の盃」という決まり文句がある。取り合わせの妙を例えたものだが、骨董に限らず、現代作家の作品でも、確かにこの組み合わせは悪くない。

唐津焼。佐賀県の伝統的な工芸品で、同じ佐賀の有田・伊万里焼と異なり、釉薬を使いながら土そのものの味わいを活かした素朴かつ艶っぽい焼物だ。

唐津の盃の良さは、藁灰を主とした釉薬が焼成段階で微妙に景色に変化をつける点だろう。

基本的には、暖かみのあるベージュ系、乳白色系の肌合いだが、焼成過程で、鉄分などが器の表面に溶け出し、青や黒のアクセントが加わり、独特の景色を作る(写真参照)。

お酒を注げば、濡れた盃の中は美しく光る。まさに小宇宙。飛び込んでみたい衝動に駈られる。

盃と書くと小さなお猪口のようなイメージなので、ここからはお猪口と区別する意味で「ぐい呑み」と表現したい。

真っ当な料理店は器にも気を配っているが、酒器という点では、なかなか感心できるものに出会うことはない。

酔っぱらいに乱暴に扱われることを思えば仕方ないが、器好きにとっては、ちょっと淋しい。なかには、ぐい呑みをたくさん詰め込んだカゴを持ってきて、好きなものを選ばせるお店があるが、妙チクリンなぐい呑みばかり揃っていることが多く、かえって興醒めする。

そんな私が実践しているのが、「マイぐい呑み」の持ち歩きだ。私にとってビジネスバッグを持ち歩く目的自体が、ぐい呑みの運搬である。あたかも重要書類でも入っていそうな雰囲気のバッグでも、中身は、ぐい呑みだけだったりする。

桐箱に入れて持ち運ぶわけにもいかず、保護用の巾着袋に入れて酒場にお供してもらっている。たまに酔ったついでに店に置き忘れるが、紛失した経験はない。

磁器と違い土っぽさがウリの唐津とか備前などの陶器は使い込むほどに色合いなどに味わいが出てくる。「酒を染みこませる」という名目でぐい呑みを使った後に、軽く布巾で拭くだけのモノ好きも器好きには少なくない(私もだ)。

いまは閉めてしまった文京区内の某寿司店に通いつめていた頃、あまり気に入らないまま購入した志野焼(美濃焼の一種)の大ぶりのぐい呑みを店に置かせてもらったことがある。お客さんにどんどん使ってもらって器がどのぐらい変化するかを見極めるのが目的。

2年ほど店に預けっぱなしにして使い込んでもらった。結果、購入した当時の堅い感じが失せ、実にとろっとした器に変貌していた。ざっと計算して約700日。毎日酒を何杯も注がれ、日によってはお客さんが2回転したこともあっただろう。嬉しい酒のときには軽やかに、辛い酒のときには痛いほど握られ、ぐい呑みにとっては激動の日々だったようだ。

今ではその志野焼、すっかり私のお気に入り。バッグに入れて持ち歩かれることはなく、自宅で悠々と鎮座するグループに昇格している。

でもやっぱり、自分自身の手で、気に入ったぐい呑みを味わい深く激しく変化させてみたい。肝臓との相談はこれからも続きそうだ。

2007年10月29日月曜日

銀座のやせ我慢

たまに顔を出す銀座の寿司屋。40代半ばを過ぎた大将のたたずまいが良く、出てくる料理も安定感がある。

ある時、大将が「ウチもようやく店の前に出してあるメニューを引っ込められるようになりました」と嬉しそうに話していた。

どこの繁華街もそうだが、雑居ビルの地下とか階上にある店は、ビル入口付近にメニューを表示していることが多い。確かに客にとって、有り難いし、その店の価格帯も想像がつく。

こうした表示をしている店は、多くがチェーン店や大衆路線の店で、そうでない場合には比較的新しい店であることが多い。

銀座で、それも地下や階上の寿司屋であれば、一見の客を集めるのは大変だ。大衆路線ではなくても、それなりの雰囲気のお品書きを入口あたりに掲示する。この掲示が不要になったということは、しっかりと客を掴んで回り始めたという証拠。大将が喜ぶのもうなずける。

見栄とか粋には苦労がつきもの。この路面掲示の件も同じ。掲示を続ければもっと繁盛する可能性があるわけだから、嬉しさの一方で、やせ我慢にも似た気持ちも強いのだろう。

改めて銀座(新橋寄り)のネオン街を見回すと、店名だけひっそり灯らせる店ばかり。なかには、連日超満員という店もあるだろうが、実際には多くの店が新規の客を欲しがっている。銀座に漂う空気は独特なやせ我慢が醸し出していることに気付いた。

思えば客もやせ我慢ばかり。お勘定を見て、びっくりした顔を見せるのは格好悪いし、値切るわけにもいかないし、本音はアタフタしても涼しい顔をしている。

やせ我慢VSやせ我慢。そんな構図だから妙に楽しいのかもしれない。

2007年10月26日金曜日

理想の税金


アル中気味の人やチェーンスモーカーのお決まりの言い訳は「その分税金をたくさん払ってる」。

クルマ好きならガソリン税を人より多く負担しているわけで、贅沢品なり嗜好品が好きな人は、当然、関連する税金を人より多く納めている。

さて、私。タバコだけでなく、キューバ産葉巻も自宅のヒュミドールに常に数十本は保管するレベルのシガー愛好家であり、アルコールは毎晩摂取し、そこそこクルマも好きとあって、いわゆる間接税高額納税者を自負できる。

間接税の親玉といえば、消費税だが、こちらの負担もきっと国家に結構貢献している。

以前から、1年間に負担する消費税の総額を記録しようと考えているが、家計簿をつけるより煩雑そうなので実現していない。もっとも、1年間の収入から、貯金などの手元に残る金額を差し引いた金額には、原則として消費税がかかっていると考えると、「オー!!」という金額になる。

この考え方は、支出に占める家賃や教育費(消費税が非課税)のウェイトが大きい人だと変わってくるが、1年間で2千万円くらい“可処分”してしまう人なら、ざっと100万円は納税していることになる。消費税導入時、1円玉の煩雑さが話題になった消費税だが、積もり積もれば相当な支出になる。

とはいえ、富裕層には、消費税アレルギーが少ないのも事実。所得税や相続税など個人にのしかかる税金は、たいていお金持ちを差別する仕組みになっているのに対して、消費税は一律の税率であることがその理由だ。

大富豪でも貧乏な人でも税率は同じという点について、不公平感を指摘する向きもあるが、そもそも購入するものの値段自体に格差があるのだから、十分公平だと思う。

105円の回転寿司を食べる人と銀座の寿司屋で万単位の支払いをする人とでは、当然同じ寿司でも消費税の負担額は大きく変わる。十分資力に比例するわけだから一律税率でまったく問題はない。

そう考えると、逆に段階的に税率が上がる所得税や相続税の方が変だ。消費税という制度がすっかり定着していること自体が、ある意味その証だろう。

10年以上前だが、大蔵省幹部の興味深い話を聞いたことがある。すべての税金を一律税率にしたら、所得税でも法人税でもすべて7~8%の税率で税収をまかなえるといった趣旨の話だ。

稼げば稼ぐほど、残せば残すほど、罰金のように税金がかかってくる高額納税者にすれば、実に魅力的な話だ。

2007年10月25日木曜日

なんとなくカニ


数年前からカニが妙に好きになった。面倒くさい食べ物という感覚を卒業したのは、カニを食べることだけを目的に行った北陸旅行。福井・三国で地物の越前ガニにウン万円も投じてみた結論は、「これを知ってしまったことは不幸だ」。

カニ食いのあとは手が臭くなるのが普通だと思っていたが、新鮮な上物にそんな心配は無用。個人的には、焼ガニが一番。あの甘みというかうまみは、他の何かと比べられない。また、生のまま食べるミソの味は、人生観が変わる。

官能の初体験のあとは、東京からの便を考えて、小松空港にほど近い石川県・橋立に冬の到来とともに出かける。同じズワイでも越前ガニほどのスーパーブランド化はしていないのも魅力。とある専門料理屋では、生のかにミソに白いご飯を入れて七輪の上で即席おじやを作ってくれる。ネギを入れて食べるアツアツのその味は、富豪級!。身を食べ終わった焼ガニの殻で、骨酒ならぬ殻酒も楽しめる。熱めに燗したコップ酒に殻をギュウギュウ詰めると、酒の色は、たちまち黄金色、いや富豪色!

ズワイが最高という感覚は、北陸方面や西日本の日本海側が主で、北海道では、ズワイの地位は低い。ロシア方面からの冷凍物が主役となるらしい北海道では、タラバや毛ガニが主役。

タラバ(正式にはザリガニの仲間。足の数も違う)は、やや大味で蒲鉾みたいに感じてしまう私としては、毛ガニに軍配をあげる。

北海道の飲食店では、値段に比例して味の善し悪しが決まるような気がする。一人で入った店で、一人で丸ごと毛ガニ一杯をむさぼっていると、他の客の視線がチョット痛い。

もともと、大勢でカニを食べに行くとみんな無口になって盛り上がらないのが普通だ。そう考えると「一人カニ食い」は実に正しい様式のように思える。

先月、札幌で、それまでは敬遠していた大型のカニ専門店に入ってみた。何となく、団体観光客相手のテキトーな店という悪しきイメージをもっていたが、とある店は、ほぼ全室個室ということを知り、覗いてみた。

一人でも個室という実に快適な環境確保に狙い通り成功し、わんさか食べた。大ぶりの毛ガニ姿ゆでのほか、カニ刺し盛り合わせ、焼タラバ、甲羅揚げ、ついでに酒のつまみに新モノのいくらや、珍味数品を頼んだ。

味は普通。ただ、味がどうこう言う前に、北海道という場所で、個室でひたすらカニというシチュエーションに満足してしまった。味覚など気分で大きく変わることを実感。

大バコのカニ専門店、あなどれず。

2007年10月24日水曜日

ピンク系テカリ顔

練馬で呑んだ。富豪なのに練馬だ。カウンターで隣り合わせになったオヤジサンは、生粋の練馬人。おとなしく呑んでいた私はあっさり捕まった。アレコレ商売の苦労話を聞かされたが、60歳を超えた彼にとって中学時代の同窓会が生き甲斐らしい。

大学に行って大きい会社に入った友人の多くが、とっくに肩を叩かれ、肩書きのない状態を恥じて同窓会に出てこないという。

中卒で親に弟子入りし、その後事業を相続したオヤジサンは、若い頃、大卒組に随分とコンプレックスを感じさせる言動を受けたらしい。現役で「社長」を続ける今こそが、大卒組相手にちょっとした優越感に浸れるみたいだ。

我が身にリスクを背負って生きてきたオヤジサンの自負が分かる気がした。安定志向の勤め人が、会社経営のことで眠れずに睡眠薬に頼ることはない。規模はどうあれ、経営者は24時間が事業と一心同体。中小とか零細とか見下されても、自分の城の維持に心血を注ぐ。その積み重ねは顔つきにも出てくる。勤め人を終えた途端、しぼりカスみたいな顔になっている人は多い。
「ピンク系テカリ顔」。初老になったとき、そんな顔で生きていたいものだ。

2007年10月23日火曜日

備前


新米記者当時つかっていた3Bの鉛筆が、モンブランのボールペンからウォーターマンのボールペンへと変遷するうち、年齢も重なって、いろいろなものが見えてきた。堅い話では税務調査という権限をバックにした国税庁という武器を持つ大蔵省(財務省)の権力構造の緻密さや、そこに渦巻く国会議員の思惑、税制改正の構造的な体質など。

活字に出来ない話が知識として蓄積され始めるとともに、自分なりの視野は広がった。と同時にライフスタイル上の視野も広がって、記者的探究心はプライベートにそのウェイトが移ってしまったりした。

30代を迎え、それも半ばを過ぎたころから、趣味嗜好はどんどん親父道を目指し、あんなに得意だったイタリアンやエスニック系のレストランより和の道まっしぐら。

出汁という魔法の奥深さに魅了され、職人技的な技量にことさら感心するのが楽しくなり、一時期は寿司屋通いばかりの生活で、あまりの食生活の変化に身内から病気を疑われるほどに。

そのうち、和の器に妙な執着が生まれ、窯場の旅ばかりするようになる。備前、唐津、信楽、丹波、常滑、美濃にはじまり沖縄や北陸方面にも器の物色を大義に、地域地域のうまいものも求めてふらりふらり。

窯場がある場所の多くが、寅さんが歩いていそうなのどかなエリアで、マドンナこそ絶対にいないものの、探してみると土地それぞれにうまいものが揃っている。

今でも一年に一度は通う備前などは、その昔は全国を相手に海上輸送で焼物を出荷していた関係上、瀬戸内海に近い立地に窯場が設けられている経緯があり、器巡りとともに近隣ではおいしい魚介類にありつける。

寿司屋も見かけやしつらいは別にして、出される食材は極上。白身魚は東京の一級店のそれに劣らず、シャコの刺身なんかにありつけた日は、向こう1週間ぐらい顔がほころぶ。

旬のアナゴもべらぼうにうまみたっぷりで、脂の乗った素材で名物のあなすき(アナゴのすき焼き)を食せば、アナゴ感が確実に変わる。おまけに使い込まれた備前焼の器で供され、徳利、ぐい飲みも備前焼で堪能すれば、この世の天国極まるって感じだ。備前市伊部周辺にある心寿司、山本旅館あたりはガイドブックにも登場する有名店だが、間違いない味が堪能できる。

2007年10月22日月曜日

永田町のたまご

記者生活の中で何度も足を運んだ永田町や霞ヶ関。記者バッジや記者章のおかげで取材ついでに修学旅行生のように界隈を散策することも多かったが、グルメとは縁遠そうなあの場所にも印象的なお店があった。

永田町の議員会館と霞ヶ関の官僚街の間に京都の老舗料亭である瓢亭の東京店がひっそりとある。私にはその微妙な距離感からどうしても「ひっそり」と見える。正直なところ、有名な「瓢亭玉子」しか記憶にないが、確かにうっとりする味だった。今風ラーメン屋の味玉なるゆで卵とは次元が違う。滋味のひとこと。

尿酸値とかコレステロールを気にしているはずの議員連中や官僚連中の中には、ドクターストップであれを残す輩がいるんじゃないかと気になって仕方がない。

ところで、「敵前逃亡・晋ちゃん」の話題がすっかり聞かれなくなった。健康というテーマを前面に出されると、報道の世界は確かに弱い。あまりバッシングできないのが現実。大衆心理におもねらなければならない大手マスコミの構造からすれば当然、もう触れたい話ではないのだろう。

でも首相の座ををああいう形で投げ出した事実は、世のオーナー経営者からみれば、なにかと腹立たしい感じしか残らない。休会状態になった国会に投入されたウン十億円には上る税金の無駄使いしかり。長期療養状態の彼個人に支出される現役国会議員としての経費だって税金の使い道としては、結構気になる。

忘れられてしまったが、辞任劇の渦中で浮上した相続税の脱税疑惑も気になる。

オーナー経営者の多くが二代目、三代目になり、相続税の洗礼、相続税調査の洗礼を受けている。前首相が一般ピープルができないテクニックで不当に相続税を処理していたのなら、歴史的事件だ。辞任劇に裏で永田町と霞ヶ関の深謀遠慮がいろいろささやかれていたが、結局闇の中に消えそうだ。

2007年10月19日金曜日

あんこう鍋

あんこう鍋を今年初めて食べた。東京で有名店といえば神田の伊勢源だが、ものぐさの私が行ったのは、自宅からさほど遠くない大塚駅近くの三浦屋。ウナギ、すっぽん、ふぐ、あんこうと豊富なラインナップを看板に掲げる店。

常識的に「寿司、てんぷら」とか「寿司、うなぎ」とか複数の料理を看板に掲げる店にろくな店はないが、ここは極めてまっとう。肝心のあん肝もさすがに専門だけに、黙ってしまう味。から揚げも多少脂が多い感じはあるが、カレー塩などをあわせて出してくれたので、飽きずに堪能。

肝心の鍋は、甘めの白味噌ベースで、一見アクかと思うようなあん肝の解けた残骸がぷよぷよ浮かんでいて美味。単品注文の焼きふぐもしまった肉質で結構結構。たたいたふぐ刺しとからすみを合えた酒肴も抜群。

ひれ酒といきたいところだったが、芋焼酎の気分が勝ったので、宝山綾紫のお湯割を延々飲んでしまった。

2007年10月18日木曜日

銀座とタバコ

職業として記者の道に入ったのは昭和の終わりごろ。当時は、原稿を書くのは手書き。新米のときは3Bの鉛筆。職場は、イメージどおり紫煙に包まれていた。元来タバコ好きだったので、仕事中は常に左手にタバコ。その後、ヒステリックな嫌煙ブームによって、肩身は狭くなる一方。職業柄、割と喫煙環境は優遇されていたが、なにぶんにも喫煙者には世の中が不便になり、4年ほど前に禁煙してみた。

一番の原因は、飛込みで入るまっとうな寿司屋や割烹のカウンターで、なじみ客でもないのにいきなりスパスパしにくいご時勢になったこと。やはり、一見で、それも一人で暖簾をくぐることが多い私には、その店で、上客候補と見られたいという下心があって、小体なお店などでは、タバコを我慢することが多く、不便極まりなかった。おまけに国際線の全面禁煙がストレスになり、一念発起、禁煙にトライ。自律神経が変になり、禁断症状のすべてを経験しながら、なんとか成功したが、ニコチンガム、禁煙パッチなどより、効果的だったのが「銀座」。

ひとりマイペースで酒場での時間をを過ごすことが多い私にとって、心地よい沈黙と物思いは禁煙の大敵。銀座あたりでホステスさん相手に馬鹿話を展開していると、不思議なもので口寂しさが和らいだ。もともと酒が入るとよくしゃべるほうなので、まっとうなホステスさんにはお世話になった。客が一生懸命ホステスのご機嫌を取るようなキャバクラ系は×。やはり、心得たお姉さん方が揃っているお店だと調子よく禁煙の苦労やそのほかの俗っぽい話で一時タバコを忘れる。

銀座の変な効用としておススメ。
禁煙のために銀座を活用することに気がつくなんて、われながら富豪だ。

そして2007年。思うところあって喫煙復活!でも銀座のお姉さんたちは喫煙者にも優しい。結局、快適にタバコを吸うために銀座を活用する。これを書きながら、しょせん、男の銀座通いには、言い訳と大義名分が必要だと痛感してしまった。

2007年10月17日水曜日

富豪になりたい!

富豪記者なる大げさなタイトルは、一種の願望とご理解いただきたい。もっとも、ひんしゅく覚悟で言えば、現状の生活は、下流とされる人々からすれば、富豪と称されるもしれない。

毎月の小遣い云々であまり頭を痛めることもなく、好きなものを飲み食いし、時間があればちゅうちょせず旅行に出かける。先日もスーパーの店頭で5千円の毛がにを見つけ、光り輝く味噌をなめたくて、瞬時に買った。こんな消費行動は、100円マックを愛用する人から見れば、富豪だろう。

先日行った函館・湯の川温泉の旅館でも、豪華朝食バイキングはパスして、タクシー飛ばして朝市に向かい、朝飯として、うに丼のうにダブル盛りに、焼きタラバとほっけ焼を食した。あの日の朝飯の単価を考えれば、私は富豪だ。

ネット上に飛び交う飲食店情報や旅行記などの生きた情報は、宣伝と違って有益な内容が多い。でも、それなりに余裕のある階層にとっては、安さやお得感ばかり強調された内容はあまり参考にならない。ラーメン好きには申し訳ないが、ラーメンの品評やそれが高いの安いのなど言われてもどうでもいい。一級の寿司屋のクチコミがランチのお決まりを一度食べた経験に基づいていたりすると、腰が抜ける。

われながら、なかなか感じの悪い内容を書いているが、紙媒体ではなかなか、こんな本音は出てこないのが実情だろう。

本当の富豪は、こんな下らないことをグタグタ書かないはずなので、本物の富豪になるまでこのブログは続けたい、と今日の段階では思っている。