2012年3月30日金曜日

魔性の女


最近のお騒がせ女といえば、何かと話題の木嶋佳苗被告。法廷でも「女性としての機能が優れている」と語ったり、援助交際人生を淡々とひけらかすなどワイドショー的には目が離せない存在になっている。

週刊誌でも「魔性の女」と表現されているが、要はただの悪人だろう。わざわざ「魔性」などと神秘性を高める必要もないと思う。

そもそも男から見れば、女性は誰でも「魔性の女」だ。最近つくづくそう思う。

「魔性の男」という表現がないことが、男のダメなところであり、だらしなさだ。押尾学とか、松方弘樹とか、古いところでは火野正平でも魔性の男とは呼ばれない。ただのスケベという勲章?しか与えられない。

そう考えたら「魔性の男」と呼ばれるような男になれたら大したものだ。今後、そういう路線を目指してみようか。

話がそれた。

男から見れば女性は誰もが魔性の女だというのは間違いのない事実だろう。

「魔性」の意味は、「悪魔のような人を惑わす性質」だそうだ。なかなか恐ろしい。

だいたい、同じ人間なのに男より平均寿命が7年も長いというだけで、悪魔みたいだ。

私の周りでも、友人達の母親達はあきれるほど元気だ。旦那である我々の父親の多くはとっとと他界している。晴れてフリーになったお母様方は、この世の春とばかりにバリバリだ。

それはともかく、女性といえば、男を手玉に取る能力を幼い頃から身に付けている。生理的な特徴なんだろう。

なんでもかんでもガッつく男とは違って、実に冷静沈着に相手を見極め、手なずけようと行動する。

男はエバった顔をしていても、しょせんは女性の術中にハマってオシマイだ。

カマキリは交尾の最中にメスがオスを頭から食べてしまうそうだが、カマキリのオスを笑えないような男は多い。

心理学的見地から見て、男女の大きな違いはウソのつきかたにあるという話を聞いたことがある。

ウソをつく時、男はオドオドして目が泳ぐのに対して、女性は相手の目をまっすぐに見つめながらウソをつくらしい。

「魔性」だ。

私などは、自分がウソをつく時に目が泳いじゃうことを自覚していたから、逆に女性を問い詰める時には相手の目をチェックするように心掛けていた。

ところがどなた様も、私の目をジッと見つめて「信じて」とかささやく。目が泳いでないから真実だろうと単純に思い込んでウン十年。私はいったいどれほどのウソを浴びてきたのだろう。

ちょっと気を引こうとする時は、軽くボディタッチしてきたり、すねたフリしやがったり、平気で思わせぶりな言葉を発する。

「本気で好きになっちゃいそうです~」。

こんなことを言われたら男どもは舞い上がる。多くの同士達が今日も日本全国津々浦々で勘違いして痛い目に遭っている。

「本気で好きになっちゃいそうです」という言葉を直訳すれば、少なくとも「本気ではない」「好きではない」ということである。好きな相手には間違っても言わない。

誤解するのは男の勝手であって、女性としては、後々、言質を取られることもない。生理的に受付けない相手、大嫌いな相手にだって言える言葉だ。

「気になってます」「お食事したいです」「夢に出てきました」等々。そんな言葉を投げかけられると、カマキリ男は自分に好意を寄せているんだと錯覚する。

だいたい、優柔不断な男を「思慮深いですね」とか、下品な男を「豪快な人ですね」とか言って持ち上げたりするんだから、お手上げである。

そもそも男という生き物は本能的に頼られることに喜びを感じる。力になれたことに快感を覚える特徴がある。ここを突いてくるのが女性だ。

弱いフリして涙なんか流しちゃって、上目遣いに窮状をうったえる。見え透いたウソだろうとカマキリ男たちはホダされる。実に哀しい。

昔から、「田舎の父が病気で」とか「弟の治療費がかさんで」とか、その手の話は金満男たちにぶつけられる女性のウソの定番だ。

実際には、「父親みたいに年の離れたパパさんが小遣いをくれない」とか「弟みたいな年下ホスト風の彼氏がぶつけちゃったクルマの修理代」だったりする。

「小さくてもいいからお花屋さんを開きたくて頑張ってるんです」。風俗店で働き始めたきっかけを語る女性、聞かされた方は応援したくなって必死に店に通ったりする。

実に麗しい話だ。似たような話をしょっちゅう聞く。

もちろん、そんな話はウソ八百だ。ホスト通いで借金をしこたま抱えたことが本当の理由だと男たちが知ることは絶対にない。

嗚呼、なんともツラい世の中のシキタリである。

今日は面白おかしく書いていこうと思っていたのだが、だんだん切なくなってきた。

だいたい、こんなことを書いていること自体、「オイラなんか、バカ女のウソになんか引っかからないんだぜ」と言っているようなものだ。

その立ち位置自体が愚かである。ウソにすら気付かない能天気ちゃんみたいでマズい。「あいつ、ホント始末に負えないアホだなあ」と私を笑っている女性がそこかしこにいるかもしれない。

結論から言えば、女性に惑わされない男など皆無だろう。男である以上、惑わされてナンボだ。

ということで、これからもウソシャワーをいっぱい浴びていこうと思う。

2012年3月28日水曜日

春の旅 鯛めし しまなみ海道

春の海 ひねもすのたり のたりかな


都会育ちの私にとっては、子どもの頃に教わった蕪村の俳句の情景が頭に浮かぶことはなかった。ただ、音感の面白さだけで記憶していたように思う。

先週、瀬戸内の旅にふらっと出かけた時、この俳句を思い出した。まさにイメージ通り。ちょっと感激してしまった。単純だ。

広島側の鞆の浦から、しまなみ海道を通って愛媛に入り、道後温泉に浸かる気ままな旅。春の空気とウマい食事を堪能してきた。

今まで瀬戸内海エリアへの旅といえば、備前焼を追いかけて岡山方面ばかりだったのだが、今回は春の鯛をワシワシ食べることを目的にしてみた。

鞆の浦は、坂本龍馬の海援隊ゆかりの地としても知られる。海援隊の船・いろは丸が紀州藩の船と衝突・沈没し、高額な賠償金を得た騒動の発端となった場所だ。

ついでに言えば、不気味な生き物が出てくるポニョという映画の構想が練られた場所としても知られる。

ポニョのルーツということで、宿でDVDをレンタルして見てみたのだが、変に媚びたような気持ち悪い魚がイヤで、20分ぐらいでやめた。

好きな人、スイマセン。

そんなことより、悪食暴食オヤジの私の興味は春の鯛だ。瀬戸内海の白身魚のウマさは万人が認めるところだが、春の鯛はその代表格。旬の鯛を炊き込んだ鯛めしを夢想?しながら旅立った。


鞆の浦で選んだ宿は、「汀亭・遠音近音」。「みぎわてい・おちこち」と読む。変に気取っているだけでサービス面で劣る若者向けのイマドキ宿だったらどうしようと心配していたが、とても良い宿だった。

近くにある大型旅館の系列で、小規模かつ高級しっぽり路線に特化した宿。高級路線といっても、箱根あたりのアホほど高い宿に比べれば価格も手頃で「のたりのたり」と過ごすのに最適。

海っぺりの立地を活かして、ベランダからは瀬戸内海の島々が見渡せる。各室に半露天風呂があって、海を飛ぶトンビやカモメをバックに湯浴みが楽しめる。



部屋にはロータイプのベッドがあって、布団の上げ下げで煩わしい思いをすることもない。夕食、朝食ともに専用の食事処が用意されているので、お籠もり派には居心地がいい。

旬のもの、地のものを活かした食事も高水準。一品一品丁寧に真面目に作られていることが伝わる感じ。



前菜や刺身も脱線しない程度に工夫を凝らしてある。鯛の刺身も皮目を軽く炙ってほんの少しシソの風味をまとわせてあった。

正直、極上の鯛刺しをそのまま食べたい気分だったが、鯛料理にしのぎを削る土地柄のせいだからか、一ひねりしたくなるのだろう。

サービスで出てきたマコガレイの刺身はストレートにぴちぴちの状態。甘味があってウマい。冷酒をグビグビ。



この画像は、鯛の蒸しものと鯛しゃぶ。旬の天然鯛の味の濃さに喜ぶ。都会で出回っている安っぽい無味無臭の鯛とは大違い。冷酒をグビグビ。

思えば、日本人は古くから鯛を高級魚としてリスペクト?してきた。マグロばかりがエバっている最近の魚勢力図を思うと鯛の立場はやや厳しい様子だ。

もちろん、原因はマズい鯛の大量流通によるものだ。香り、味わいともに、まっとうな鯛を口にすると、「元祖・高級魚」であることを改めて痛感する。

鯛しゃぶは、ハマグリの潮汁にほんの10秒弱程度シャブシャブして食べる。ハマグリの風味と塩の味がウマミを凝縮した鯛の切り身にまとわりついて、まさに「正しいニッポンの味覚」と言いたくなる感じだった。

その他、煮物とか、上等な牛肉も出てきたが、ハイライトの鯛めしが抜群だった。


尾頭付きの鯛が丸ごと入った鯛めしも見た目は豪華だが、小骨で難儀しちゃったりする。今回は、切り身をたくさん入れ込み上質な出汁で炊き込む釜飯だったのだが、このスタイルが大正解だと思う。


そのまま食べて良し、ワサビを乗っけて出汁茶漬け用の熱々スープをかけて食べるのも良し。延々と食べ続けられそうな「口福感」であっという間に膨満感。胃薬もグビグビ飲んだ。

翌日は、広島県尾道と愛媛県今治を結ぶ「しまなみ海道」を通って四国入り。瀬戸内海に浮かぶ島々をすべて道路でつないじゃっているわけだから、人間の能力はつくづく凄いと思う。

それにしても「しまなみ海道」。実にそそるネーミングだろう。これが単に「尾今連絡道路」とかの名称だったら、私もきっと旅先に選ばなかったような気がする。「しまなみを眺めながらの海の道」である。どうしたって行きたくなる。

そんな策略にはまって、たかだか60キロの距離なのに4700円も支払うハメになってしまった。おそるべし道路公団って感じだ。

今治から松山に向かい、道後温泉に泊まった。「道後館」という宿を選んだのだが、前日の宿が最高だったので、こちらについて書き出すとアラ探しみたいになってしまう。

言ってみればごくごく普通の宿。露天風呂が付いているタイプの部屋を予約したのだが、この部分は実に良かった。部屋付露天としては、かなり大型サイズ。4人ぐらいで入れそうな感じ。


大浴場の露天風呂が中途半端に屋根に覆われ、サイズ自体も控え目だったから、このタイプの部屋を選んで正解だった。

道後温泉という一大観光地の大型旅館だから、特別な個性もなく、すべてがまあまあといった感じ。結局、まあまあの料理とまあまあの鯛めしを楽しんでホゲホゲ過ごす。

翌日は、砥部焼の里に出かけたり、「銭湯のくせに文化財」である道後温泉本館で熱い湯につかったりしてからレンタカーをぶっ飛ばして松山空港から帰ってきた。

ドライブ中心の旅で、見たい風景があって、食べたい名物があって、しっぽり湯浴みして過ごす。2泊3日でこんなパターンで過ごす日本の旅は悪くない。

すべて個人でのバラ手配だと、良心的なパック旅行でハワイに行くよりも高くつくが、それはそれ。気軽で気ままな解放感のおかげで、身体はもちろん脳の中まで弛緩する時間が過ごせる。

春の香りに気付いて、春の音に耳を向ければ、自分自身も春めいた気分になる。

季節の移り変わりを楽しみ、季節ごとの思い出を毎年重ねられるような旅を続けていきたい。

2012年3月26日月曜日

手前ミソですいません

ブログの更新を週3回と決めている以上、空いている時間に書きためておかないと結構シンドイことになる。

まあ、好きで書き殴っているのだからグチみたいな事を書いても仕方ない。更新頻度を決めてしまったから、ぐうたらな私でも何とかなる。おかげで、自分自身の一種の行動記録が蓄積される。

何年か経ってから読み返すと、すっかり忘れていたことまで思い出せるから、身辺雑記の効用はそれなりにある。

2年ぐらい前の話だと思っていたことが5年も前の話だったり、最近はプチボケを実感する場面が多い。日記を付ける習慣がないから、たまにブログのアーカイブを見ることで意外な発見につながったりもする。

ちなみに、中年の物忘れのなかには厄介なパターンもあるらしい。若い時より記憶力が弱くなるのは普通のことだが、シャレにならない物忘れは若年性の痴呆だけでなく、ウツが原因であることも多いとか。

しょちゅうウツウツしたくなる私も要注意だ。やはり、脳みそは明るい気持ちでフル回転させないと迷走しちゃうのかも知れない。

グダグダ書いてきたが、実は今日の分はストックが間に合わず、手前ミソながらアーカイブネタをいくつか紹介したい。


源氏名
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2009/09/blog-post_10.html


ツバ事件と女体
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2009/04/blog-post_08.html


成功体験
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2009/06/blog-post.html


エロを考える
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2010/01/blog-post_20.html

2012年3月23日金曜日

あきらめよう?

今日のテーマはいささか固い話。わが社の新聞のコラムに書いた雑感を膨らませて書いてみたい。

インターネットの世界などで、ジワジワと拡がっているフレーズをご存じだろうか。

「あきらめようニッポン」。

何となく語呂が良いし、何となく素直にうなずきたくなってしまう。実に切ない言葉だと思う。

単なるブラックジョークとして聞き流したいが、そんな言葉を発信する人の気持ちが分からなくない。というか、そんな言葉を口にしたくなるのが、むしろ普通の感覚なのかもしれない。

人間の手に負えない放射性物質の恐怖は根本的な解決に至っていないし、天災の恐れも身近なものとしてつきまとう。相も変わらず復興支援へのスピードには疑問符が付き、一方で政権は、財政構造の見直しをそっちのけにして、がむしゃらに増税だけを目指す。

世の中を覆う閉そく感は、この10年でますます深刻になってきた。もはや閉そく感と言うより、厭世観と言えるほど重苦しい。

若い世代が夢や希望を持つことが出来ず、その場しのぎの生活に明け暮れ、低い次元で人生の満足度を計る。刹那的にならざるを得ないのも仕方ない話かもしれない。

草食系と称される若者達の覇気の無さも、結局は先行き不安に対する自己防衛みたいな感覚が理由だろう。

東日本大震災から1年。政府主催の追悼式でこの国の政府は、いち早く支援してくれた台湾代表団に指名献花させず、一般席に押し込む非礼を働いた。狂った所業だ。

「ひとつの中国」を公式な立ち位置にする政府の「ルール」に乗っ取った措置だ。何かが狂っているとしか言いようがない。

オリンピックをはじめとするイベントでは、台湾は実質的に独立国家として扱われている。中国の言い分を聞いてやる必要のある場面とそうでない場面に分けるのは当然の話だろう。

被災者を哀悼し、尊い人道支援に感謝する特別な場面ですら、中国へのオベンチャラを貫いた腐った役人根性と、判断能力が麻痺した政治家の無神経には開いた口がふさがらない。恥の一言しかない。

外務省のアホさはもちろん、異常なまでの非礼を「問題なし」と語った官房長官の無能さは、もはや犯罪行為と言うべきだ。

話は変わる。

いま、「資産フライト」という言葉がポピュラーになってきた。国内から海外に資本が一斉に流出する現象を指す。「絶望フライト」なる表現も出てきた。

わが社の編集部内でも、その実態について取材を進めているが、資産家や著名な経営者の間で、想像以上に資産移転が進行している。

この国に愛想を尽かす動きは国が思っているより遙かに広範囲に拡がっている。国を下支えしてきた経済的なリーダー層がいなくなる笑えない事態が現実の話になりつつある。

産業の空洞化どころか、もぬけの殻みたいな悲惨な状況になることが恐い。

この手の雑感記事を書く場合、最後に明るい展望とか、期待を込めた言い回しを使ってまとめるのが普通だ。今回もそうしたまとめ方で終わりたいのだが、言葉が見つからない。

あきらめたくはないのだが、あきらめたくなってしまう。

2012年3月21日水曜日

珍味バンザイ

珍味を追求する使命を帯びて生きている割には、最近、その手の摂取状況が芳しくない。もっとチャレンジしないとイカンと反省中だ。


そんな気分で、味わったのが「鯛の白子」だ。高田馬場・鮨源で出してもらった逸品は、5キロサイズの鯛の白子。軽く塩をふって焼かれて出てきた白子様の姿形は、別に特筆すべきものではないが、味わいが素晴らしかった。

デロッと口の中で溶ける白子特有のエロティックな食感にしっかりと鯛の香りと味が拡がる。フグの白子よりも味が濃厚。こっちのほうがウマい。延々と日本酒が飲めそうな崇高なツマミだ。

やはり、珍味に人生を賭けていかねばと決意を新たにする。

場所は変わって、久しぶりに訪ねた珍味屋、いや寿司屋で久しぶりに「イバラガニの内子」を食べた。

数限りなく存在する「臓物・魚卵系」珍味の中でも私がもっとも好きな一品だ。


カニの内子とは、未成熟の卵のこと。ツブツブ状になった外子になる前の段階で、まだドロッとした液体状の変なヤツ。

これを塩漬けした珍味が超絶的に日本酒に合う。東京ではあまりポピュラーではないが、北海道あたりでは居酒屋メニューの常連だ。

とはいえ、ポピュラーなのはタラバの内子。通販で簡単に入手できるのも黒紫色したタラバの内子がほとんどだ。この画像は毛ガニの身にトッピングされたイバラガニの内子。オレンジ色のニクいヤツだ。

イバラガニの内子は漁獲量の関係でなかなかお目にかからない。東京では、私が訪ねたこの店以外では見たことがない。

私が珍味屋と呼んでしまうここは、銀座7丁目の「九谷」。北海道直送のネタを取り揃える個性的な店。寿司屋の激戦区である銀座だが、明確なコンセプトを守っているから、いつも繁盛している。

イバラの内子を仕入れていることからも、珍味に並々ならぬ思い入れがある店だと分かる。いつ行っても季節ごとに、ウヒョウヒョ言いたくなる酒肴がある。

毛ガニのミソだって、黄色の鮮やかな鮮度抜群のものがいつも用意されているし、キモ方面も勢揃い。

以前も、時鮭のスジコとか、アワビのキモとウニの和え物とか、涙ちょちょ切れの酒肴を出してもらった。

イバラガニの内子とともに画像に写っているのもキモとか卵巣だ。ホタテの卵巣と、もう一点は忘れてしまった。スイマセン。

山わさびも普通に用意されている。おかげでイカ刺しも俄然、北海道チックに変身する。個人的にはショウガより山わさびの方がイカにピッタリだと思うので、たいして好きではないイカもこの店では必ず食べる。


この日は、生のカズノコを出してもらった。たかがカズノコ、されどカズノコだ。普通は、色目を良く見せようとか、日持ちさせるために薬たっぷりの液体に漬け込まれている。まっさらのナマを食べる機会はなかなか無い。

自然な風味で食感も柔らかい。やはり何事もナマが一番だと感じ入った次第だ。カズノコだし・・・。

スケベでスイマセン。軌道修正。

一部では「幻」と呼ばれるブドウ海老も大型サイズがズラッと並んでいた。ボタンエビの色違いみたいな感じだが、甘味が強く、これまた燗酒にバッチグーだ。

以前、仙台の某人気寿司店で1貫2千円というトンデモ価格にビックリしたことがあるが、こちらはそんなアコギな店ではないので、安心してパクつける。


シャリつきで食べたタラコも上モノだった。しょっぱいだけのタラコと違い、塩加減、舌触りともに文句なし。変な顔みたいな装飾も大将の可愛い?性格が表れていて楽しい。

珍味とか鮮度だけで勝負というわけではなく、コハダとかシメ鯖、穴子あたりの一手間ネタもしっかりしている。この店のエラいところだ。

だから何を食べても外さない。とても使い勝手が良い店だと思う。


私の場合、いつも珍味中心で過ごしてしまうため、トロタクあたりの巻物をつまんだら、せっかくの握りを楽しまずに終わってしまう。

まさに後ろ髪を引かれる思いだ。薄くなってきた髪を引っ張られるのは困るから、今度は握りもバンバン食べようと思う。

2012年3月19日月曜日

昭和の味 維新號 東京會舘

「食べログ」のヤラセ問題が話題になったが、とかく、ネットの世界を中心に世の中に溢れる食べ物ネタは、ウマいのマズいの、辛いの甘いの等々、個人の主観が遠慮無しに書き殴られている。

考えてみれば、あまり品の良い話ではない。
それを鵜呑みにする方も問題だろう。味覚なんて人それぞれだし、一度ちょこっと行っただけの店を悪し様に書くのは暴力的な話ではある。

私もご多分に漏れず、どこがウマい、あそこは抜群などと好き勝手に書いているが、基本的に店の悪口は書かないように注意している。

小難しい料理論を語る気はさらさら無く、ただ、そこで感じた楽しい気分、嬉しかった記憶をつらつら書くぐらいに留めるように気をつけようと思う。

だから、「エロティックな味わい」だの、「官能的な味」だの、意味不明な表現になってしまう。

精進料理が大好きだと真顔で語る人がいる。そういう人にビッグマックはウマいと説得しても意味がないし、アフリカの人達にナマコの酢の物を食べさせたって拷問でしかない。

そんな話を書いているクセに今日も食べ物の話を書く。

今日のテーマは「昭和の味」。実に抽象的な表現だが、私の好みはこの言葉に集約されているように思えてきた。

ジャンルを問わず、古典的、保守的なメニューに惹かれるようだ。ラーメンを例にとっても、昔からあるオーソドックスなラーメンが結局ウマいと思う。

つけ麺がすっかりポピュラーになって、専門店も増えたが、あれこそ平成の味だろう。昭和の頃は「つけ麺大王」ぐらいしかなかったし、それもキワモノ的な位置付けだった。

古典的オヤジ?としては、つけ麺のぬるい温度が苦手だ。熱くてフーフーしながら食べるからこそラーメンだと思う。頭が固いのだろうか。

きっと、何事もマイルド指向が進んでしまった「一億総猫舌化」が、つけ麺ブームの根底にあるのだろう。

先日、中華料理界の老舗である「維新號」で昭和の味を堪能した。赤坂が旗艦店らしいが、母校のつながりで知り合った4代目が常駐している銀座新館に行ってみた。


中華料理にこだわりがあるわけではないが、結構いろんな店を食べ歩いた中で、維新號の味は、正しい「昭和の味」を思い出す感じだった。

王道的というか、奇をてらったメニューはなく、「昭和の大人達がハレの日に食べていた中華」という雰囲気。

かつて幅を効かせていたヌーベルシノワ的な路線と違い、子どもの頃、家族で出かけた御馳走としての中華料理だ。

中華料理好きだった祖父が、その昔、好んで食べていたような味だ。伝わりにくくてスイマセン。

でも、食べ物ひとつで、そんな郷愁に浸れたわけだから実に嬉しい時間だった。



フカヒレの姿煮に悶絶した。

「なんじゃこりゃあ」と「太陽にほえろ」で松田優作演じるジーパン刑事が殉職する時に発したセリフが頭をよぎる。なんじゃこりゃあ!なウマさだった。正しくコッテリで味に深みがあってクラクラした。

海鮮焼きそばも、変にあっさりしていないところが良い。最初の画像の北京ダックもジュンワリジューシー?で大満足。麻婆豆腐やエビの炒めものも「正しい中華油」の効用のせいだろうか、後を引くウマさだった。

クドすぎることなく力強いウマ味。分かったようで分かんない言い回しで恐縮だが、「今日はどうしても中華を食べたい」という気分を確実に満足させてくれる店だと思う。


メニューには無い「天津飯」をわがままオーダーしてみた。これがまたウッシシの味。タマゴのふんわり感が老舗の洋食店もビックリのフンワリふわふわ。フガフガ言いながらペロペロ食べてしまった。

ちなみに、こちらの4代目、まだ30代独身。スマートでイケメン。きっと女性のファンが多いんだろうなあ。チクショー。。。


さて、次なる「昭和の味」は丸の内・東京會舘。維新號の北京ダックと同じく、テーブルでのワゴンサービスで出てきたのは、名物のローストビーフだ。

他にもコロッケとかピラフとか、その手の昭和メニューも注文したかったので、ローストビーフを1枚か2枚か選べる仕組みは有難い。


ベチャついた感じではなく、適度に締まった肉の質感が素直にウマい。

子どもの頃、「肉のご馳走と言えばステーキ」だと信じて疑わなかった。固い肉の塊でも狂喜して食べていた。そんな昭和の少年が初めてローストビーフを知った時の驚きったらなかった。

なまめかしい。まさにそんな感じ。はかなげに口の中で消えていく肉。アゴの筋肉ばかり鍛えられたステーキとは全然違う食感にたじろいだ。

この日のローストビーフは、そんな懐かしい感覚を思い出させてくれた。



でんでん虫も昭和の頃と同じく、正しく油っぽい。ガーリックバター風味の汁をパンにジョワっと浸してシャンパンをグビグビ。幸せだ。

タンシチューもこれまた、まさしく「昭和の東京の外食」そのものだった。皿までベロベロ舐めたくなった。

ヘタに垢抜けていたり、聞いたことのない食材で聞いたことのない料理名のメニューを見せられても嬉しくないが、この手のレストランにはそういう心配もない。

メニューを眺めて、つい「全部ください」と言いたくなる。オシャレとか最先端とは無縁なストレートな分かりやすさが「昭和の味」の魅力だろう。

知らない味、未知な味への好奇心が無くなってしまったわけではないが、どうにも慣れ親しんだ味わいに吸い寄せられてしまう。

これも加齢だろうか。だとしたらそれも加齢の悪くない効用のひとつかもしれない。

ワイ談

これまでの人生で、一体どれほどのワイ談を繰り広げてきただろうか。きっと思春期以降は、人様としゃべった内の3割ぐらいがワイ談だったかもしれない。いや、女性相手の会話なら5割以上がワイ談だったような気がする。

凄いことだ。壮大な話だ。

ワイ談の正式名称は「猥褻談義」である。四文字の漢字にすると何かとても学術的な感じがする。

稲川淳二が怪談ばかり話すように、昔から私はワイ談ばかり話している。そしていつの間にか、夜の街の綺麗どころから変なことを言われるようになった。

「どうして政治経済を語る時と同じ表情でワイ談ができるのか」。

私にとってワイ談は、消費税の増税問題とか年金問題、安全保障問題と同じ土俵にある。ごく一般的な会話のテーマとして存在するわけだから、ことさらスケベな表情になどならない。当然のことだ。

ゲヘヘヘとヨダレを垂らさんばかりに好色な表情でワイ談を語るオッサンが世の中には多すぎる。あれじゃあ異性に限らず男性からも嫌われる。

世の中には一部の例外を除き、男と女しかいないし、あえて言えば、すべての人が避妊しなかった両親のおかげで誕生したのである。セックスを源流・根源とするワイ談を特別視したり、身構える必要はあるまい。

自然体で語ればよいと思う。

そうは言っても、その手の話が嫌いな人もいる。私だって、ピーマンとかセロリを生のまま食べる人の話を聞いたら、その場から退散したくなる。だから、相手によってワイ談の程度もコントロールするのがマナーだろう。

そもそも猥褻とは何ぞや。これは重要なテーマである。

法律上は「猥褻の三要素」が定義されている。大真面目にこれは最高裁の判例だ。

1,いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ

2,かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し

3,善良な性的道義観念に反するもの

うーん、なんだか分からない。

1で規定されているように、「性欲を興奮」させなければ猥褻ではないという解釈も成り立つ。

私が各地で展開しているワイ談の多くが、ドジ話や笑い話であり、相手が興奮するはずもない。したがって、そんな話はワイ談にも該当しないということになる。

うーん、無茶な屁理屈だ。

さてさて、ワイ談に爽やかな印象をもたらすためには、ワイ談相手の顔をイヤらしい顔で見ないことと、その相手の個人的な性癖や経験に踏み込まないことが大事だと思う。

これさえ守れれば、アナタも「ワイ談マスター」である。

そんなもん目指していないか・・・。

その場の空気、聞いている相手によって、ワイ談の引き出しを使い分けることも大切だろう。

江戸期の吉原では、避妊方法として女性の大事なところに梅干しを挿入したとか、家に個室の無かった中世ヨーロッパでは真っ昼間のアウトドアセックスが普通だったとか、文化人類学?的な話題なら、どんな場だろうと問題ない。

他にも例えば「ソリが合わない」の語源など、ウンチクの類も酒場での暇つぶし会話には悪くない。

刀の刀身とサヤの関係に見立てて、男女間の結合部の「抜き差し」が合うか合わないかという意味合いで生まれた言葉らしい。

実にイメージしやすい。まあ、中年になると、柔らかくなって誰にでも「ソリ」が合っちゃうから困ったものではある・・・。

話がそれた。

興が乗ってくれば、文化人類学から離れて、自分のマヌケな経験談に進むのも悪くない。

武勇伝みたいに語ったり、描写が生々し過ぎてもダメだ。あくまでギャグに昇華させないとただのセクハラオヤジになってしまう。

私の恥ずかしい経験談としては、大学生の頃、ひょんなことで女子大生5人と私一人で同じ布団で寝るハメになったことがある。

この話のポイントは私の生理的現象ではなく、脳みそが爆発しそうになったほど錯綜した私の心理描写であり、左手がどうしたとか、右膝でこうしたとか、そんなエゲツない部分はカットすることが大事だ。

若かりし頃、深夜の大人のおもちゃ屋でナゼか店番をしたことがある。これも、どんな商品を試したとかではなく、買い物に来ていたカップルの情景観察とか、あくまで人間観察をテーマに展開するのが、清く正しいワイ談の基本だ。

あんまり書くとどんどんマズい話になりそうなので適当にしておく。

さんざんエラそうに書いてみたが、実際上は、上品な部分だけ語っているつもりでも徐々におかしくなってしまうのが私の悪いクセだ。

ワイ談を聞いていた相手が、私のエゲツない具体的展開なんかを質問してくると、調子に乗ってゲヘヘヘとしゃべり出してしまう。

気付けば、汚いものでも見るかのように私を遠巻きに見つめる人しかいなくなっている。

そんなもんだ。

ワイ談マスターへの道は深く険しい。

2012年3月16日金曜日

ゆるゆると本を読む

相も変わらず乱読の日々だ。ジャンルや内容など無関係に、眠る前のひとときは活字を追いたくなる。

頭脳明晰な人間ではないため、必要以上に頭を使うことが多い。だから寝る前に活字の世界に逃げ込むことで一種の鎮静作用を求めているのだろう。

などと偉そうに書いてみたが、割と変な本を読むことが多い。最近は「事実婚」をめぐる新書とか、徴税権力みたいなルポを読んだ一方で、エロ系の妖しげな本も楽しく読んだ。タイトルは忘れたが、著名人の初体験話ばかり集めた下世話なルポ。

著名人といっても、村西とおるとか、電撃ネットワークの人とか、ちょっとビミョーな顔ぶれだったが、酔っぱらいながら読むには最適?だった。

ついでに言えば、自分自身の「その時」がヤケに思い出されて微笑ましい?気分に浸ったりした。

バカでスイマセン。

昔から一人旅が好きで、海外旅行なら10冊ぐらい本を持っていく。でも、旅先ではせっかちに動き回り、持参した本は半分ほどしか読めない。

タヒチあたりの水上コテージの日陰に陣取り、日がな読書だけで過ごしたいと憧れてはいるが、一向に実現しない。そろそろガツガツ動き回る旅からは卒業したいものだ。





最近読んだ本を並べてみた。上の2冊は女性作家の小説。精神構造や感受性の点で、男と女は別な生き物だと思っている私は、あまり女性作家物は読まないのだが、気が向いたので読んでみた。

結論としては、今後も女性作家モノとは縁遠いような気がした。そりゃあプロの作家だから表現力とか文章力は凄いと思う。素人の私がアレコレ言う次元ではないが、どうも世界観がピンとこない。

私自身に文学的素養がないから、そんなネガティブな感想を書いているのかもしれない。お好きな方スイマセン。

やはり男性の感性によって編み出される女々しい?男的心理に彩られた切ない作品が好きみたいだ。

下の2点は、読んで字のごとくのルポ、伝記的な本。「不良老人」というタイトルにそそられたし、「アウトロー」という響きも男の子?にとっては魅力的だ。

筋を通して生きた男たちのストーリーだ。まあ、要するにワガママで好き勝手に生きた人達のエピソードが綴られていた。それなりに楽しめた。年を取ったら、今のような優等生路線ではなく、不良になってみようと決意した。

寝る前の鎮静剤として、活字なら何でも読むのが基本だが、時におセンチな気分に浸りたくなって短編小説を読む。2本も読めば眠くなるし、小説という虚構の世界に感情移入することで束の間、異空間に行ったような気分になる。




書斎に積んである本の大半が一度サラッと読んだだけだから、5年、10年も経てば、内容もスッカラカンに忘れている。面白かった本しか残していないから、改めて読み直すにはもってこいだ。

で、伊集院静の「乳房」を10年ぶりぐらいに読み返してみた。いやはや面白かった。闘病時の夏目雅子さんを思い起こさせる表題作はもちろん、乳飲み子の頃に別れた娘が高校生になって初めて父親に会いに来る話も実に切なくて泣ける。

男の切なさ、不器用さ、哀愁、やせ我慢みたいな空気がひしひしと伝わる感じ。遠い空を黙って眺めたくなるような読後感とでも言おうか。

最近は、週刊誌上やエッセイなどで小うるさいオヤジとして世間をぶった斬っている伊集院さんだが、こういう哀愁漂う短編をどんどん生み出していって欲しい。

次は、その「熱さ」が独特だった真樹日佐夫の回顧録。今年初めに急逝したこともあって結構売れたらしい。

梶原一騎の弟であり、作家、格闘家だけでなく、映像の世界でも特異なポジションを占めた筆者の一代記。全編を貫く昭和ノスタルジーが興味深かった。なれるものならあんな風に無頼なオッサンになってみたいものだ。

続いて、「火宅の人」・檀一雄の未亡人を取材した沢木耕太郎のルポ。10年以上前の本だが、最近になって「火宅の人」を読んだばかりの私としてはスピンオフ?のような感覚で楽しめた。

「圧倒的な男の身勝手」を実践した火宅の夫が妻の目にはどう映っていたのかが掘り下げられている。ある意味、昭和の男像を学ぶえで興味深い内容だった。

読書が趣味ですなどと胸を張るようなレベルではないが、本を読むことで気付くこと、感じることは多い。単調な日々にちょっとしたスパイスが加わる感じだ。

何より最近は、Amazonさまさまで、発売年月に関係なく、興味深いジャンルの本が瞬時に探せる。在庫さえあれば、朝注文したら当日中に配達されるし、便利この上ない。

気になっている言葉で検索をかければ、それに関連しそうな作品が一斉に表示される。本屋で長い時間をかけて読みたい本を探すのも楽しいが、ネット社会の利便性は捨てがたい。

行き当たりばったりのユルい感じで目についた本を読むことは気分転換のための最高の手段だと思う。ハッとしたり、深くうなづけたり、ウルウルできたりすれば儲けもの。

自己啓発系とか、教訓押しつけ系は苦手なので、今後もヌルくてユルい感じの本を探して読んでみようと思う。

2012年3月14日水曜日

香川照之の男気

今日は俳優の香川照之君について書いてみる。彼とは小学校から高校まで一緒だった関係で、これまでも何となく親しみを感じながら出演作を見てきた。

時に鬼気迫る演技で主役を食い、名脇役として日本の映像世界で欠かせない存在になっているのはご承知の通り。


そんな彼が46歳の今、歌舞伎という未知の世界に挑戦する。もともと彼の父は歌舞伎界の大御所である市川猿之助翁。幼い頃一度は関係を絶ったものの、その後の雪解けを機に彼の中の「血」が異例の行動を決意させた。

幼少の頃から稽古を重ねて道を究めていく歌舞伎の世界にあって、彼の行動は突飛だ。それでも「船に乗らないわけにはいかない」と語る彼の決意は重い。

歌舞伎界の端っこの一駒で構わない、客寄せパンダでも構わないという彼の決断には、当然、賛否両論さまざまだ。

事実上、親の七光りに頼らず、映像の世界で名を成した彼にとってはリスクの方が大きいかもしれない。事実、「俳優・香川照之」の関係者は揃って反対していたそうだ。どんな角度から見ても「何でわざわざ苦労するんだ」と言いたくなるのは当然だろう。

それでも突き進むのは、ひとえに彼の男気だろう。実に潔い。ついつい守りに入ってしまう中年男から見ると、彼のチャレンジスピリットにあやかりたくなる。

「困苦や欠乏に耐え 進んで鍛錬の道を選ぶ少年以外は この門をくぐってはならない」。

われわれが通った小学校の校門に掲げてあった言葉だ。彼のチャレンジ精神は、まさに進んで鍛錬の道を選ぶようなものだ。。

小学校から高校まで同じ学校に通ったとはいえ、彼は現役で東大に入るような人物だから、アホバカ連合だった私と親しい付き合いがあったわけではない。

それでも1学年わずか120人程度の小学校から一緒だったから、中学、高校時代も顔を合わせる機会は多かった。幼少の頃の一時期は学内のエリート集団?である聖歌隊で変な歌を一緒にうなったこともある。

高校時代の彼には、何となく斜に構えたヤツという印象があった。私がスーパー能天気全盛だったから、優秀な彼の哲学的、文学的な雰囲気をそう感じたのだろう。

大人になってからの彼の突き抜けた爽やかさは、進むべき道を順調に歩んでいる自負から滲み出るオーラなんだと思う。

売れっ子になってもそれを鼻にかけることもなく、誰に対しても謙虚に誠実に接している姿を見ると、そうした部分こそが彼の今のポジションに直結していることが分かる。

随分とホメまくってしまった。でも、気持ちのいい男という表現が的確だから仕方がない。

先日、母校の同窓生が中心になって、彼の歌舞伎界進出を「励ます会」を開催した。不肖私も名ばかりの発起人に名を連ねたのだが、本当の発起人たちの熱い思いや頑張りには心底敬服した。

会場となった丸の内の東京會舘には老若男女合わせて600人もの参加者が集まり大盛況だった。

学生時代、ナンパ目的のパーティー券ばかり捌いていた旧友が、卓越したオペレーション能力を見せる。地方自治の世界で活躍する旧友がこれまた指導力を発揮して手伝ってくれた後輩達を指揮する。

日本舞踊の大御所を親に持つ旧友が、わけのわからんシキタリや決まり事に対して知恵を出し、名門企業トップに就いている後輩は、VIP客対応をそつなくこなす。

撮影に汗を流していたのは、アメリカのボクシング記者協会から年間最優秀写真賞を受賞した旧友だったし、会場の花も園芸・緑地事業をプロデュースする旧友が手掛けた。

私なんぞは校歌斉唱の際に掲げる歌詞が書かれた幕を掲げる係だったらしいのだが、それすらやらずに会場の旧友とベチャクチャやってる始末。反省。

まさに手弁当で応援していた旧友達だが、俳優・香川照之の男気に惚れて損得抜きに精一杯奮闘していた感じだ。

旧友達が奮闘したくなるのも会場での香川君の様子を見れば納得できる。実に丁寧で誠実にすべての来場者に接していた。

ほんの数分だけ時間が空いても、旧友が休ませようとするのを制して挨拶回りに精を出す。おまけに全員の目を見て一生懸命に感謝の気持ちを伝える。

文字で書くのは簡単だが、なかなか出来ることではない。

激励会終了後の見送りも同様。発起人達がやきもきするほど、いちいち丁寧に一組づつ対応する。会場の撤収が始まっても1時間ぐらいは見送りの挨拶が続いた。

決してアイコンタクトを欠かさず、誰が相手だろうと真摯に接する。仕事の依頼がひきもきらない彼の人気は、結局、人間性に尽きるのだろう。

「激励会」が無事終わった後の少人数の打ち上げの際にも、彼は座りもしないで、旧友や後輩達をもてなし続けていた。そこに集まっていたそれぞれが改めて自己紹介した場面でも、彼はひとりひとりを持ち上げるエピソードを披露する。

あんなに気配りしていたら長生きしないだろうと変な心配もしたくなる。

東大組だから頭脳明晰なことは百も承知だが、そういう明晰さとは別な意味で、頭がいい、すなわちスマートなんだろう。

スマートな彼がスマートさをかなぐり捨てて挑む初舞台は6月に迫っている。

こんな雑文を書いている暇があったら、とっととチケットを捌けと言われそうだからこの辺にする。

2012年3月12日月曜日

ピラフ文化論

ピラフが物凄く好きだ。ピラフという言葉の響きも良い。「エディット・ピアフ」みたいで素敵だ。チャーハンという音よりもウキウキする。


思えばコメ好きな人生を歩んでウン十年。ハイカラ好みの祖父の元で育ち、食べ盛りの頃にはこってり系の肉や洋食類をせっせと食べてきたから、「洋モノっぽいコメ」であるピラフには萌える。

若い頃、飲食店を開くのなら「コメ専門店」だ!と真面目に考えていた。ピラフ、チャーハン、リゾット、パエリア、おにぎり、雑炊、ちらし寿司、ドリア、ライスコロッケ等々、なんでもかんでもコメにこだわる店があったら楽しい。

そんな店があったら頻繁に通いたい。生タマゴかけご飯、味噌汁ぶっかけご飯、ドライカレー、ビビンバ、おこげ、チキンライス、ナシゴレンにビーフンだって仲間に入れよう。

書いているだけでウットリする。

なんだっけ。そうだ、ピラフの話だ。

聞くところによると、ピラフの発祥の地はトルコあたりの中東方面だとか。チャーハンとの違いは、炊いていない米を炒めてからスープで炊く点だ。

炒めメシとは違うコメの芯の雰囲気が僅かに感じられるようなピラフが私は好きだ。あまりフガフガしたピラフは好みではない。

最初に書いたように「洋モノっぽいコメ」というイメージもあって、和風ピラフみたいなのは苦手だ。あくまでエビピラフとかチキンピラフ、シーフードピラフなどの「全部カタカナ」のピラフがよい。

ステーキピラフとか、主役がどっちなんだか曖昧なピラフもちょっと違う。あくまでピラフとして燦然と輝いている感じに惹かれる。

ついでに言えば、ピラフとは別に特製ソースが添えられて出てくるようなヤツが最高だ。たまらんちんである。

シャトーソースだとか、マデラソース、アメリケーヌソースだとか良くわからん名前の液体が別容器で勿体ぶって出てくると心が震える。

妖しく輝くピラフにピトッとかけたり、ベチャッと混ぜたりしながら複雑に拡がる味わいを楽しむ。うーん、書いているだけで食べたくなってきた。

こだわりたいのは値段だ。暴論かもしれないが、「ピラフこそ高価なものを選べ」と主張したい。

つけ合わせのライスなんかではない。あくまでその食事の中心だ。メインだ。高い値段が付いていれば、店だって作り手だって、「たかがピラフ」という扱いはしない。

1500円以上はして欲しい。3千円とかのピラフをメニューに見つけるとシビレそうになる。金欠の時だって、なりふり構わず注文したくなる。

高価なピラフであれば、具材もまともだし、その店の名物だったり、伝統を背負っていたり、たいていバッチグーな存在だ。

「ソースとともに供される値段の高いピラフ」といえば、必然的にホテルのレストランが多くなる。

冒頭の画像は、このブログでも何度か書いたグランドパレスのピラフだ。私にとって憩いの逸品。ついつい「大盛りで」と注文することが多い。

その他に記憶に残っているピラフは帝国ホテルのチキンがゴロゴロ入ったピラフだとか、リーガロイヤルホテルのシーフードピラフ、パレスホテルのピラフもクセになる味のソースが付いていた。


先日、丸の内の東京會舘でもウマウマなピラフを食べた。ここは宿泊施設は無く宴会場のイメージが強いが、レストランの味には定評がある。

その日味わったのは、エビミソ風味たっぷりのソースをかけて味わう小海老のピラフ。さすが、日本古来?の日本人向けフレンチの老舗だけのことはある。丁寧に作られた料理人の矜持を感じる逸品だった。ペロペロ食べた。

発祥が中東といっても、昭和のニッポンに花開いた「ニッポンの西洋料理」の究極の到達点がピラフなのかもしれない。

ちょっと大袈裟だが、コメ文化を誇るわが国が脱亜入欧に突っ走った結果がスペシャルなピラフという形で結実したのだと思う。

でも、そんなピラフ様にも困った問題がある。「ヨソの国から伝来した料理を、日本人による日本人のためのコメ料理に昇華させたもの」といえば、カレーライスの方が国民的人気を誇る。

「ニッポンの洋食(コメ料理編)の到達点」?という崇高な地位は「カレーライス」に独占されている。ピラフにとっては実に差別的な現象ではないだろうか。

資生堂パーラーだったか、1万円もするカレーライスがあったり、ホテルレストランでも名物的な人気を誇るコメ料理はカレーライスだったりする。

ピラフ派の私としては、カレーライスの陰に隠れているかのようなピラフの立場に同情を禁じ得ない。復権というか、あいつの地位確認のために必死に応援したくなる。

定期的に高級ピラフを食べ歩くサークルでも結成しようか。賛同する人はいるのだろうか。

大真面目に「チーム・ピラフ」を検討したい。

2012年3月9日金曜日

胸焼け太郎

「胸焼け」と書くと大したことはないイメージだが、「逆流性食道炎」と書くと、何となくおぞましくハードな雰囲気になる。

逆流性食道炎だから胸焼けするわけだ。食い意地の張った私が生涯付き合い続ける症状だ。

胃酸過多を抑える薬を毎日のように服用しても、胸焼け太郎になることは多い。結構シンドイ。酔いにまかせて眠っても、イタ辛い?感じで目が覚める。

「胃酸が食道を逆流して炎症を起こす」。想像すると実におぞましい光景だ。胃の中に到達したどんなに固いモノだってドロドロに溶かすほどパワーのある胃酸。そんな恐ろしい破壊力を持った胃酸が、消化すべき相手ではない、いわば無防備な食道に上がってきてジュワジュワと焼き続ける。

そりゃあ食道ガンのリスクが高まるはずだ。

喰っちゃあ寝、喰っちゃあ寝を繰り返した若者時代は何も問題はなかった。胃と食道を分ける弁がしっかり機能していたわけだ。
ちゃんと防波堤の役割を果たしていた格好だ。

暴飲暴食を繰り返し、すぐに横になってぐうたら過ごす日々が、いつのまにか弁の機能を劣化させる。ドアのヒンジが緩んだかの如く、ダムが決壊するかの如く、ある日、胸焼け太郎としての余生が始まる。

私の夢はトンカツを1キロぐらいかっ込んで、すぐに眠ることだ。今、そんなことをしたら七転八倒は確実だ。実に切ない。

揚げ物は様子を見ながら上品に食し、おまけに食後早めに制酸剤を飲み、意識して身体を起し気味に過ごし、数時間しっかり経ってから眠る。

面倒くさいったらありゃしない。

揚げ物を注意していれば問題なしと思っていたのだが、そんな油断をあざ笑うかのように稀に伏兵が登場する。

先日は、牡蠣を食べまくったら、久々に胸焼けスペクタルな夜を過ごすハメになった。

店のせいではない。私と食材の相性だ。実際、胃腸をやられたわけではなく、ただ胸焼け太郎になった。

銀座の人気店「かなわ」に行った日のこと。広島料理の店だが、この時期は牡蠣のオンパレードだ。

以前にも書いたが、牡蠣様は亜鉛の宝庫。すなわち男性機能増強に最適な有難いシロモノだ。専門店に行った以上、ヤケのヤンパチみたいに牡蠣を食べてみた。

生牡蠣にはじまり、牡蠣の塩辛をつまみに焼酎をチューチュー飲み、亜鉛太郎になるべく奮闘した。




生牡蠣以外にも、牡蠣の燻製、牡蠣のバター焼き、そして牡蠣の炊込みご飯を食べた。

なんだかんだで20個ぐらいは食べただろう。牡蠣以外に食べたのは、煮穴子と豚角煮などだから揚げ物は無い。

店の名誉のために書くと、どれもウマかったのだが、なぜか食後1時間ぐらいしたら胸焼け太郎に変身。2件目のクラブ活動にも今ひとつ身が入らなかったほどだ。

牡蠣は胸焼けを招く食材なのかと帰宅してネットサーフィンしたが、そんな噂はない。アホみたいに50個ぐらい食べて胸焼けしている人の体験談があったが、単なる食べ過ぎだろう。

逆に、「胃酸過多には牡蠣が効果的」なんて情報を見つけた。ホンマかいな!である。

謎だ。牡蠣と胸焼け。このテーマを今後の研究テーマにしてみようと思った。

まあ逆流性食道炎なんてものは暴飲暴食だけでなく、ストレスが原因だという分析もある。

普通に生きていれば誰でもストレスはあるはずだが、きっと私の場合、純情で真っ正直で汚れのない心を持っているから、ストレスに過敏なのだろう。
実においたわしいことだ。

ストレスなんて語るのは情けなく男らしくないのは百も承知だが、たまには言ってみたい時だってある。

「オレだってストレス抱えてるんだぞ!」。

うーん、ちょっとスッキリした。

でもある意味、本当にストレスが原因であって欲しいと思う。たかだか牡蠣を20個食べたぐらいで、そんな症状になる理由がストレス以外の変な病気のサインだったら恐ろしい。

まあ、いいか、今夜も生牡蠣を食べて再度人体実験でもしてみよう。

2012年3月7日水曜日

同窓会 大人の男

先日、中学高校の同期会があった。小学校、幼稚園からの旧友も多く、見納め?になりそうな先生達にも随分参加してもらったので大盛況だった。

あの楽しさやワクワクする感じってどこから来るのだろう。独特な高揚感がある。単なる懐かしさとは違った「巣の中にいる安心感」みたいなものだろうか。

偉くなったやつ、有名になったやつ、凄い人になったやつ、妙にデカくなったやつ、芸術的に禿げあがったやつ、ちっとも変わらないやつ等々。実に様々。

職業も趣味嗜好、生き方も考え方も違うのだろうが、幼い頃をともに過ごして、さほど規模の大きくない学校で同じ空気を長年にわたって吸った者同士が感じる不思議な連帯感がある。

せっかくの場を利用して営業活動に励むような面倒なやつがいるわけでもなく、今更何者になっているかを自慢するやつも見当たらず、ただただ愉快に過ごす。

恩師のスピーチがあっても、黙って聞く人、チャチャを入れる人、ばっくれてタバコを吸いに行く人などなど、キャラはウン十年前とたいして変わらない。

私などは最前列でノートを取りながら先生の話を聞くタイプだったから、この日もそんなキャラ通りに過ごした(大ウソです)。

「巣の中にいる安心感」と表現したが、人生の折り返し地点を過ぎてしまった今、それぞれが突きつけられている人生の騒々しさを考えれば、「巣の中」でヌクヌクしていた感覚が無性に愛おしい時間だったことに気付く。

母校の校風が独立独歩のタイプを生みやすい環境だったのか、安定だけが美徳みたいな生き方をしている人間は比較的少ない。

せっかく入った大企業をさっさとやめて起業するような個性派も多い。一国一城の主みたいな道を歩む苦労は時に全てを投げ出したくなるほどシビアだろう。そんな面々だけでなく、組織の中で闘っている連中だって年齢的には過渡期にあるはずだ。

直面する現実の中でウツウツする局面もしょっちゅうあるのだろうが、「巣の中」で一緒だった顔ぶれと交われば、一気に少年モードに戻る。

まさに「無邪気な中年集団」。関係のない人が見たら異様な光景だったのだろうか。

少年の頃の無垢な感じが削げ落ちていても、当時の感性がよみがえる瞬間は心地よい。おまけに男子校だから、一部のオカマちゃんを除き?同窓会シンドロームみたいなウサン臭い話にもならない。実に小気味の良い時間だった。

さて、40代半ばを過ぎた男たちを俯瞰すれば、アホガキ感覚で騒いでいても、この年代が今の社会の中心選手であることを実感する。それ自体信じがたいが、年齢的にどうしたって社会の中枢に位置している。

いつのまにか、「大人の男」を演じなければならない立場になってしまった。

気付けばこの国の「大人の男」って曖昧な基準で型にはめられているような気がする。不本意ながら型にはめられそうな窮屈な切迫感が、「巣の中」にいた時代を心地よく感じさせるのかもしれない。

熱くなりすぎない、冷静沈着にことにあたれ、我慢こそ美徳、青臭いことは悪だ、夢みたいなことを言うな等々。そんな空気に流されて面白味のないオッサンになることが「大人の男」になることだと思ってしまうのが普通の男たちの現実だろう。

30代も後半になると、そんな窮屈さに身を置くことも当然の道程だと錯覚しがちだが、そんな時期も過ぎると、「なんか腑に落ちねえな」と首をかしげたくなる時がある。

「男の子」の部分を取り戻したいと焦るような感覚だろうか。しょせん、女性よりも大幅に平均寿命が短い生き物が男だ。幼稚な抵抗心、反抗心が心の隅に渦巻く。

そんな感覚だから女性よりも早く死んじゃうのかもしれない。

最近、つくづくそんな事を考える。型にはまったオッサン道を歩む人生を漫然と受入れたくない、もっと冒険したい。脱線しちゃおうか、生臭く生きていきたいぞ、などと考える。

闇雲に暴れても仕方がないが、闇雲に秩序や規制に従い続けるような男でもいたくない。

反骨心だのアウトローだの、そんな大袈裟な路線を求めるつもりはないが、「ひと癖もふた癖もある男」でいたいとは思う。徒労かもしれないそんな悪あがきのような習性こそ男に生まれた証だと思う。

非道に走らなくても、社会の安寧のために安直に絶対視されている些細な道徳に自分の人生を手玉に取られるのはシャクだ。

おっと、随分と力んだ書き方になってしまった。格好つけすぎか。大層なことを考えているわけではない。いろいろイライラが募っているだけだ。

そういえば、ごく最近の話なのだが、幼稚園から一緒だった旧友のブログで私のことが「総番長的だった」と表現されていた。ドヒャーって感じだ。こんなにキュートな私を評するには不的確だと思うが、どっちにしても、いまさら優等生を目指してはいけないのだろう。

「まだまだ枯れるわけにはいかない」。

あらためて気を引き締めようと思う。

2012年3月5日月曜日

巨大ホタテ

幸せな時間、ウットリする時間は数々あるのだが、このブログに大っぴらに書けることは限られる。だから今日も大っぴらに書ける内容に終始します。

ほっこり癒される時間が過ごせるのは、お寿司屋さんのカウンターだ。もちろん、初めて訪ねる高級寿司店なら緊張するが、何度も通っている店ならホゲホゲした時間が過ごせる。

寿司好きを自認する以上、基本的に苦手な寿司ネタは無い。ベチャッとしたトロとか、生臭い青魚は困るが、一定レベル以上の店ならそんな心配はない。

安さをウリにする店とか、回転寿司に行くことになれば、まっとうな寿司屋と違ったネタを食べる。貝や青魚はなんとなく避けて、邪道系の創作寿司を食べて喜んでいる。

貝と青魚はそれなりの店に限る。青魚は生き腐れなんて言葉があるぐらい鮮度が落ちるのが早いし、貝には、そもそも貝毒という厄介な敵が存在する。

ホタテやアサリなどの二枚貝にある貝毒は、水が温む季節に危険性があるようだが、出荷段階で随分チェックされているようなので心配しすぎても仕方がない。

牡蠣もヘタをすると肝炎になるほど厄介なウイルスがいることもあるようだが、こちらも出荷時にかなり厳しく管理されるようなので、まともな店で食べる分にはさほど心配する必要はない。

いつもガラガラだったりする店や安さだけをウリにする店では、ナマモノはなんとなく避けている。やっぱりコワい。激安焼肉屋で激安レバ刺しにあたって亡くなった人がいるが、やはり、ナマモノとかアクが強い食べ物の場合、安さにつられるのはリスキーだろう。

私の場合、自分の体調が弱っている時には、信用できる店でも貝類を生で食べないように心掛けているが、普通の状態ならせっせと摂取だ。ウマそうな逸品に出会えば、身体の奥底からそれを求めてしまう。

これからの季節は、ナマのトリ貝も出てくるし、初夏に向かって貝類のウマ味は捨てがたい。アオヤギの握りなんて甘味とウマ味と塩味が混在して、これぞ寿司!って感じがする。



先日、毎週のように訪ねる高田馬場・鮨源でびっくりするほどデカいホタテを食べた。
今日は何を食べようか、いつもと違うモノが食べたいなどと贅沢なつぶやきを発したら、いにしえの武田久美子もびっくりなサイズのホタテ貝が出てきた。水着代わりに使ってもちっともセクシーにならないデカさだ。

上物を仕入れるこの店でも、数年ぶりに入った逸品だとか。漁師目線では10年モノとの触れ込み。もちろん天然モノだ。

10年間、北の海で誰にも捕まらずにフラフラしていた運の良いホタテだ。アホみたいにデカい。海の栄養分から放射性物質?まですべて飲み込んで育ってきたのだろう。

デカすぎて大味だったらイヤだなあと思ったが、捌きたてを刺身にしてもらったら、実に甘味たっぷりでニンマリできた。

普段、ホタテをあまり注文することはないのだが、自然な風味と肉質の締まった感じは、怪しい居酒屋で食べるような怪しいホタテとは別モノ。肉でも魚でもない独特な味わいに大満足。

刺身にしてもらった部分以外は、「バター炒め」に変身だ。この店では、ホッキ貝、牡蠣、はたまた馬刺し用の馬肉までバター炒めにしてもらった経験がある。我ながら実に迷惑な客だと思う。

一応、混雑していない時に頼む程度の気配り?はあるが、いずれにせよ、有難くない習慣だろう。

さてさて、ホタテバターだ。まるで中華料理屋かのような鍋をふる音、醤油とバターを炒める香ばしい匂い、ここは寿司屋か?と言いたくなるようなスペクタルタイムを経て「スーパーホタテバタースペシャル」が完成した。


貝柱の部分、ヒモの部分、そして、キモに卵巣、すべてが渾然一体となり、つけ合わせのシメジも加勢してエロティックな脂の輝きと香りをまとっている。

見た目と香りだけで白飯が食べられそうな風情だった。キモは決してクドすぎず、苦すぎず、焼酎のアテとして抜群の存在感。ヒモがまた最高だった。適度な噛みごたえに濃縮された風味、これまた酒のツマミにバッチリだ。

たったひとつのホタテの命が私を幸福にしてくれた。ヤツは寒い海の中で来る日も来る日も10年も這いつくばって、この日に備えてくれていた。余すところ無く胃袋に歓迎してやるのが礼儀だ。

尊い命を有難くちょうだいした。そんな殊勝な気持ちになった。

なんか随分と熱く語ってしまった。

そういえば、先日、母親から連絡が来た。このブログを熟読したらしく、「日々、身体に悪そうなモノばかり食べやがってアホじゃないかボケ!」という趣旨の内容だった。

用件はそれだけだった。暇なんだろう。

そんなに毎日毎日、ウナギだトンカツだ焼肉だと飽食三昧しているわけではないが、こういうブログなんかでまとめて書くと、連日の不摂生に見えるらしい。

そうは言っても、連日、精進料理ばかり食べているなどと書こうものなら、きっと「身体を壊したのかアホ」とか言ってくるのだろう。

まあ、暴飲暴食自体が健康の証しだと思ってもらおう。

2012年3月2日金曜日

ジャイアント馬場がいた場所

明確な理由なんて無いのだが、「古くてしっとりと上質なもの」に惹かれる。「最先端で華やかでスタイリッシュ」となると、どうも敬遠したくなる。

アマノジャクで、江戸っ子ぶりたい気分がそう思わせるのだろう。ついでに言えば、ハヤリの店にいそいそ出かけたり、行列に並んだりするのが小っ恥ずかしい。

カッチョイイ店を全然知らないから、若い女性をデートに誘おうにも、寿司だウナギだ焼鳥だって感じで、決して潤んだ瞳で見つめられるような雰囲気にはならない。

おまけに洋モノより和食ばかり好むから、奮発したところで、フグだのクエだの、ちっともロマンチックではない。

そんな私でも時には洋食にそそられる。数少ない「洋モノ食い」の機会は「ホテルメシ」を選ぶことが多い。価格面では感心しないが、味もサービスにも安心感がある。

ホテルメシと言っても、やはりスタイリッシュ系は避けてしまう。外資系より日本の老舗ホテルを選ぶ。オネーサマがたが「わーい、ここ来てみたかったんですう~」と喜ぶようなホテルには行かない。

リッツカールトンだ、ペニンシュラだ、コンラッドだと言われても、帝国ホテルやホテルオークラあたりを選んでしまう。

外資系ホテルも魅力的なんだろうが、ドメスティックな極東の山猿である私としては、あの手の新興勢力はハロウィンとかバレンタインデーみたいに思える。

よく分からない例えでスイマセン。

なんか居心地が悪い、しっくりこないという意味合いだ。もっと分かりやすく言えば、「恵方巻を喜んで頬ばる関東人」みたいなイメージだ。意味不明でスイマセン。

個人的に背を向けたくなるだけで、何の恨みもヘチマもない。ダサいとか遅れてると言われようが仕方がない。

東京に進出して日が浅い外資系に比べ、日本の老舗ホテルには味わいがある。「ずっとその場所で刻まれてきた物語」みたいな掴み所のない要素なのだが、子どもの頃「ホテル」の非日常感に漠然と憧れた私にとっては大事な部分だ。

なんか大袈裟になってしまった。

帝国ホテルを例に挙げると、名物料理にシャリアピンステーキとか海老と舌平目のグラタンがある。

シャリアピンさんという歌手のことはちっとも知らないが、歯痛に悩むそのオジサンのために作ったというエピソードが良い。グラタンはエリザベス女王が食べたメニューだとか。女王のファンでも何でもないが、そんなウンチクが興味をそそる。

で、本題に入る。

ここまで書いたことは前振りだ。年とともに話がくどくなってしまったようで、最近は前振りがどうも長くなってしまう。

いかんいかん。

今日の本題は「ジャイアント馬場がいた場所」だ。

先日、「ザ・キャピトルホテル」に行ってきた。一昨年全面的に新装となった旧キャピトル東急ホテルだ。場所は永田町。日枝神社の裏。新しい道が出来て、スムーズに行けるようになったが、少し奥まった感じが東京の隠れ家という感じで良い。

ちょっとダルビッシュ、いや、スノビッシュに変身しすぎた感じもあるが、個人的な懐かしさのせいで、つい贔屓目に見てしまう。

その昔、日本初の外資系ホテルとして鳴り物入りでオープンした東京ヒルトンが前身だ。かのビートルズが泊まったホテルだ。その後は、マイケルジャクソンも猿と一緒に泊まったことで知られる。

私自身の思い出としては、若かりし頃、祖父がここの鉄板焼きレストランに連れて行ってくれたことを思い出す。

大学生の頃には、ここのカフェレストランによく出かけた。食事というより喫茶店代わりに利用した。

当時、頻繁に見かけたのがジャイアント馬場だ。あれだけ大きいと馬場さんがいることはすぐ分かる。

あくまでイメージだが、「いつもジャイアント馬場がいる店」というイメージだった。甘いモノをニコニコ食べていた印象がある。

馬場さんが陣取っていたのはカフェレストラン「オリガミ」だ。気軽な食事も出来る穴場だったが、ホテル新装後も名称は残され、メニューもいくつも受け継がれている。




名物のパーコー麺、昔ながらのナポリタン、3枚目は和風ピラフだ。画像で見たところで何の変哲もないが、それぞれ正しくウマい。

あえて表現するならば東京料理だろう。昭和の東京の洋食そのもの。変に奇をてらったメニューに進化しちゃうより、この手の「昔ながら」が大事にされているのが嬉しい。

メニューを見ても「受け継がれた味」という注釈つきでカテゴライズされており、ちょっとした老舗の矜持が感じられる。

薄めの衣で揚げてある豚肉がドーンと載ったパーコー麺は、麺、スープともにシンプルだが、飽きのこない味で、別皿で大量に用意される薬味の加え加減で味に変化を付けられる。豚肉の量も大満足。スープの中でもベチャベチャしない締まった肉質がバッチグーだった。

なぜかシャンパンと一緒に味わったのだが、このパーコーの部分はなかなか上質なツマミにもなった。書いてるだけでまた食べたくなってきた。

新装オープンしてもう1年以上が経つ。もっと早く来るべきだと後悔したほど。東京の老舗のくせに近代的にカッチョ良い感じに変貌したこのホテル。私のアマノジャク心理にズバッっと刺さった。

今は亡き祖父に連れて行かれた頃の雰囲気は残っていないが、同じ場所で、ここから先、私自身の新しい思い出を作りたいものだ。

こういう嬉しい経験をすると、ちょっとオーバーだが、老舗国産ホテル贔屓がますます強まりそうな気がする。

この5月には、皇居横のパレスホテルも新装オープンする。こちらもキャピトルホテルと同じで、ミーちゃんハーちゃんとは無縁なオッサン系ホテルだ。アマノジャッキーとしては、そういう落ち着いた穴場感みたいな雰囲気に惹かれる。

正しいオッサンとして使ってみようと思う。