2009年4月30日木曜日

実は一番ホッコリする店

寿司だ、銀座だ、ホテル飯だとかアレコレ書き綴っているこのブログ。ブログのタイトルのせいで、なかなかB級グルメを取り上げることができない。

ホッピー(とくに黒ホッピー)も実は好きだし、たまに無性にモツ焼き屋に行きたくなる。でも、富豪記者を名乗る以上、そういう店に出没した話は内緒にしている。

会社のある池袋は、怪しげでディープな飲食店が多く、とくに中華料理系は、日本人の客を見かけない異空間的魔界レストランも多い。味の方は、3件に1件はアッと驚くタメゴローって言いたくなるほど激ウマだったりする。

その手の店は富豪的ではないので、割愛するが、今日は自宅近所の焼鳥屋の話。安くて決して綺麗ではない。客層も微妙。でも実は私が一番ホッコリする店だったりする。

池袋駅から某私鉄で2駅。わが家から徒歩5分に位置するその店は、タコ入道のような店主が切り盛りする。初めて入った客はきっと微妙な空気感で落ち着かないと思う。

私もそうだったが、たいていのものがウマいので、ついつい通っているうちに中毒になった。2週間も行かない日が続くと禁断症状に見舞われる。



写真は上から、軽く炙っただけの半生のササミをキムチで和えた一品、ササミチーズフライ、そして白レバのたたきポン酢。飽きもせずたいていこのラインナップで焼酎をグビ呑みする。

白レバはニンニク醤油で刺身で食べるか、限りなくレア状態の炙りをポン酢で食べるかいつも迷う。なんとなく、疲れがたまっている時は炙ってもらい、元気な時は、刺身で食べている。

尿酸値にとっては、最低最悪の食べ物だが、これが私のスタミナ源だと思い込んでいる。

焼酎はボトルキープといえば聞こえはいいが、もう3年ぐらい同じビンを洗いもせずに使い続けている。

ラベルを剥がしたハダカの4合瓶を使っているのだが、中身がなくなる都度、一升瓶から注いでもらう。だからアルコール消毒のみ。最近はボトルの外側がベタついてきたので、先日、おしぼりで入念に磨いておいた。

この店では生ビールがあまり美味しくないので、ビールが欲しい時に少し困る。瓶ビールにするか、生グレープフルーツサワーを一気飲みするしかない。

こう書いてくるとロクでもないが、食べ物は単純明快にウマい。揚げ物にしても、注文の都度、衣を付けて揚げ始めるせいか、安くて疲れた油を使っている割には、実に美味しく仕上がる。

焼鳥も1本百数十円にしては文句なし。セセリ(首肉)。ハツ(心臓)はとくにウマい。周辺5キロ四方にこのレベルのハツを出す店はないと思う。近所で他の店には行ったことがないが・・。

鴨肉のネギ間も私が必ず頼む一本。ジューシーで奥深い風味が楽しめる。これだけは1本250円だかの値付け。近所では富豪級の料理かも知れない。

滅多に食べないのだが、ご飯モノも実に素晴らしい。玉子焼き造りの達人である店主が仕上げる親子丼はひっくり返るほど美味しいし、焼鳥丼もタレ味が白飯に染みてウットリする。

極上タマゴを使った生卵かけご飯はゼヒ食べたいのだが、店では未体験。

生タマゴかけご飯を外食時に食べようとは思わない。最近は、専門店もあるらしいが、やはり家庭で楽しむべきスーパーファーストフードだと思う。

そんなこんなで、店主に頼んで、極上卵を数個ほど家に持ち帰ってみた。炊きたてご飯で生卵かけご飯にしてみた。

デロっとしている痰みたいな部位を捨て、ぷっくらとした橙色の黄身とさらっとした白みだけで、あとは上質な醤油だけ。薬味不要。わしわしとかっ込む。ウマすぎて感動。

人生最後の日、死ぬ前に食べる一品を選べと言われたら生卵かけご飯を選ぶ気がした。

2009年4月28日火曜日

サウニストとしての日々


私の書斎兼寝室にサウナがやってきてからもうすぐ1か月。ラッキーなことに全然飽きない。飽きちゃったら分割払いが悲しいだけなので、お気に入りアイテムになった事に正直ホッとしている。

たいして広くない自分の部屋にしか置けなかったことで、どうなることかと思っていたが、結局は自室だからこそ頻繁に使っていられる。

スイッチを入れてから20分ぐらいは予熱時間が必要だ。サウナ設置場所が普段行かない部屋だったら、スイッチを入れに行く作業自体が結構おっくうだったと思う。

楽天をフル活用していろんな小物も買った。普通のバスタオルを敷いておけばコト足りるサウナ室内にも、ちゃんとそれっぽいサウナマットを購入。

堅い木の座り心地を改善するため、エアークッションも購入。もともとは介護用品で床ずれ防止のための商品。ビニール製で専用布カバーもあり、サウナ用にも流用できそうなので寸法を調べたところ、ほとんどドンピシャ。迷わず購入。結果OK。座り心地がフワフワになった。

小さい棚も付けてみた。ボケ防止にニギニギする強い弾力のゴム製グリップや、足指広げグッズなんかをぽんと置いておける。自分で設置したというちっぽけなこだわりが私を幸せな気分にする。

遠赤外線サウナは発汗するまで少し時間がかかるが、本や雑誌を持ち込めるマイサウナだから退屈には感じない。汗が出始めてからもせいぜい65度程度の室温なので、息苦しくもなく長時間入っていられる。

30~40分は平気だ。一度休憩してから改めて20分ぐらい入るのがいつものパターンになりつつある。おかげで最近肌の調子が良い。さすってくれたり、頬を埋めてくれるいい人がいないのがつくづくもったいない・・。

高温サウナではない点を甘く見て、先日、泥酔状態でサウナタイムに突入。これは危険だ。目が回って気分が悪くなった。

温泉宿や街のサウナには、目立つように非常ボタンが付いているが、マイサウナには当然そんな気の効いた装置はない。これって考えてみるとちょっと怖い。

もう充分にオジサンである私が、深夜サウナで倒れても、寝静まった家族は気付かないだろう。裸で倒れる私、朝まで放置される、発見時には干物のような死体。

そんな死に方だけは避けたい。

2009年4月27日月曜日

孫のためなら 老老相続

老老介護という言葉がある。実にキツい響きだ。介護されるほうはもちろん、介護するほうも老人というパターンを指す。高齢化が進めば、当たり前のように90歳の親を70歳の子供が介護するような事態が生じる。

同じような言葉の意味で「老老相続」という現象が昨今の世相だ。一般的に相続といえば、働き盛りの中年ぐらいの頃に親が亡くなって遺産の処分を考えるスタイルを想像する。

映画やテレビドラマで描かれる相続の葛藤といえば、そういう世代にスポットをあてるのが常道だ。

ところが介護と同じで、いまや超高齢者が高齢者に財産を残すことが珍しくない。ここで問題になるのが、各種の景気対策の考え方だ。

貯め込んだ親の資産を子供世代に承継させて消費を活性化させる。こんなイメージを元にしている政策は少なくない。相続税制、贈与税制にしても、最近はこの部分を刺激して景気浮揚につなげようという狙いが垣間見える。

超高齢者から高齢者への相続だと、遺産を受け継ぐ世代もリタイア世代であり、消費動向は活発ではない。住宅も持っている、教育の使命も終わったというパターンだ。

資産移転といっても、消費刺激にはつながらなければそれを前提とした政策は機能しない。この部分が見落とされている。

カギを握るのは、孫への資産移転だろう。一世代飛ばすことで、旺盛な消費性向を持つ世代に資金を回すことができるわけだ。

ところが、孫への資産移転を促進する政策は存在せず、それどころか規制色の濃い考え方が基本になっている。

相続税を例にとろう。孫が遺産を相続した場合、税額が2割アップになる規定がある。
2千万円の相続税が必要な財産を承継した場合、孫だと2400万円が必要。金額が大きくなりがちなものだけに2割の負担増は重い。

2割加算規定の理由は、本来なら二回相続すべきものを一回で済ませているから、税金の面で不公平という理屈。対抗策として孫を養子にするケースも多かったが、これも近年の規制で封じられ、もともとが孫なら2割加算の対象にされる。

折しも、贈与税の非課税枠が拡大されたり、事業承継税制なるものが鳴り物入りで登場したり、「子世代にお金を回す」というコンセンサスが得られるようになってきた中で、旧態依然の発想に基づく2割加算規定は放置されたまま。

新しい制度を登場させて資産移転効果を狙うことは歓迎だが、その一方で、既得権益のように従来の発想をもとにした制度が威張っているのは何か違和感がある。従来からある税制特典を「孫」をキーワードに拡充するぐらいの発想の転換があっていい。

子供の住宅取得資金や20年以上連れ添った夫婦間の資金贈与には、通常とは別の非課税枠がある。こうした制度の対象に「孫への贈与」を加えることで景気刺激効果は発揮されるはず。

孫のためならお金を使うお年寄りは物凄く多い。だったらその風潮を後押しして、孫への資産移転を煽る政策を展開するのは、理にかなった話だと思う。

“金持ち優遇はケシカラン”という相も変わらぬ理念無き主張に真っ向から反発するわが社の新聞でも、こうした発想の転換に向けたオピニオン記事を順次掲載していこうと思う。

2009年4月24日金曜日

草彅メンバー 「猥褻」

“草彅メンバー”が捕まったことで、がぜん「公然わいせつ罪」に関心が集まっているらしい。結構ファンキーなテーマなので、つい取り上げたくなった。

「わいせつ」より「ワイセツ」、それよりも「猥褻」と表記したほうが妙に淫靡に見えるのはナゼだろう。私が変なのだろうか。近年の刑法の口語表記実施によって、いにしえの「猥褻」は姿を消してしまい、「わいせつ」が正式に法律表記になったらしい。ちょっと残念。

新聞社には、独自の平仮名表記がルールとして徹底されており、草彅メンバーの報道も、そのせいで「公然わいせつ罪」と表記されているのだと思っていた。ところが、法的な正式名称が「猥褻」ではなく「わいせつ」に変わっていたことが理由だったわけだ。変なことで勉強になった。

わが社の記事作成ルールでも、用語によっては「言う」は「いう」。「事」は「こと」、「誰」は「だれ」、「所」は「ところ」などといった平仮名表記が決まり。たまにコラムを書く私は、ついついルール無視の原稿を入稿し、整理部から赤を入れられる。

「我々」とか「早速」みたいに平仮名にすると文字数が増える場合、ルール逸脱を乱発すると、文字数が決まっているコラム欄などでは、記事があふれてしまい、全体を修正する必要が出てくる。そうなると制作スケジュールにも響くわけで、結構厄介事になる(これだって“やっかいごと”という表記を迫られる)。

ただ、ニュース記事ではない余興的なコラムや論説的な小さい記事であれば、漢字と平仮名によってニュアンスが微妙に変化することもあるので、ルール無視の表記も許してもらうこともある。

さてさて、新聞表記の話ではなく、「猥褻」の話だ。最高裁の判断を引用すると、その定義が結構イカしている。

●「いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する行為」●

不謹慎を覚悟で言うと、実にセクシーな言い回しかもしれない。エロを学術的・法律的に語るとどことなく嬉しい。“普通人の正常な性的羞恥心を害する”なんて言い回しは実に官能的に見える。

「普通人」、「正常な」と言われると、オレは他の人とは違うとか言い出す輩が出そうなので、法的解釈では、「わいせつ」の判断を下すにあたって身体の具体的な部位を列挙している。

「性器、陰毛、肛門、女性の乳首」がそれに該当する決まりだ。乳房ではなく乳首と規定されているところがいじらしい感じだ。なるほど、だから叶姉妹は公然わいせつにならないのかと妙に納得する。

草彅メンバーの場合、誰もいない深夜の公園で裸族タイムを楽しんでいたため、公然わいせつにはあたらないという声もあるようだ。それも正論だが、判例とかでは、「不特定の人に見られる可能性」も判断の要素にされるため、一応、逮捕要件は満たしているのだろう。

私も家族がいない時は、自宅で束の間の裸族タイムを過ごす。そういう時に限ってクリーニング屋さんや宅配便がやってくる。さすがに裸族のままでは玄関扉を開けない。常識ある普通人だからだろう。そう考えると草彅メンバーが警察官に言った「裸になって何が悪い」という魂の叫びはやはり通用しない。哀れな話だ。

今日は何を書きたかったのだろう。「わいせつ」に単純に反応してしまっただけみたいだ。

ついでに、というかお詫びに新聞業界ネタをひとつ紹介したい。

一般紙の社会面によく載っているエロオヤジ事件に関する言葉の意味合いについて。「わいせつな行為」と報道される場合と「みだらな行為」と書かれる場合に別れているのをご存じだろうか。

昔から定説になっているのは、「最後までしちゃったかどうか」がその違い。すなわち、「わいせつな行為」は、触ったりなぜたりといった段階でおさまったケース、「みだらな行為」は最後までしちゃったケース。厳密な定義ではないものの、そんな意味合い。

前者のほうで捕まるのは少し切ない・・。

2009年4月23日木曜日

巻き寿司

先日、とあるお寿司屋さんで目撃したおじさん。食べる物は旬のものか古くからの古典的なネタばかり。コハダ、昆布締め、かんぴょう、赤身、煮ダコあたり。余計なつまみも食べずに淡々と食べて去っていった。

ダラダラとお寿司屋さんで長っ尻を決め込む私のような無粋な人間とは大違いだ。なかなかイキな姿だったが、単にお酒が飲めない体質で時間がなかっただけかもしれない。

お寿司屋さんでの過ごし方は、とかくモノの本などでアレコレ書かれているが、他人様と店に迷惑をかけなければそれでいいのだろう。常識で考えればたいていの判断はできそうなものだ。

多少顔見知りになった店でも、混んでいる時に邪道な注文をするのはNGだろうし、中途半端な知識でプロを相手にウンチクを言うのも恥ずかしい話。

とはいえ、常連ヅラしたい人間の悲しいサガとアルコールの魔の手がこんがらがって、結構ダメダメな客になってしまうことは多い。私も同様に、何かのきっかけでスイッチが入ると変にはしゃいだりして、翌日は一人反省する。

先日も、混んでいる店で美味そうなアジが目に入った。黙って刺身か握りを食べればいいのにアジフライを頼んでしまった。おまけに中濃ソースも用意してもらった。ちょっと反省。

お寿司屋さんの面白さって、そこにあるものを好きなペースで好きな量だけ注文できる点だ。こんな料理は世界でも稀だろう。お客にとっては天国だ。自分勝手に料理を組立てられるわけだから贅沢の極みだ。

食べたくもない食材でお仕着せのコース料理を食べるよりも快適な時間が過ごせる。そう考えると安く済むはずがない。多少の出費はその贅沢に対する対価でもあるわけだ。

食べ方にしてもそうだ。醤油の代わりに塩やポン酢も頼める。生のままではなく炙ってもらったり、煮物、焼きものも新鮮なネタで作ってくれるわけだから、ついつい余計な注文をしてしまう。

先日、穴きゅうならぬ、穴タクを注文した。キュウリの代わりにタクアンを穴子と一緒に巻いてもらう一品だ。キュウリの青臭さよりタクアンの塩味が穴子とマッチするので私の好物のひとつだ。

ところが、この日は、タクアンの代わりに奈良漬を勧められた。うな重につきものの奈良漬だ。確かにタレ味の穴子に合わないはずがない。“穴ナラ巻”、実に美味。食事の後半に食べるといい終盤戦を迎えられる。

2枚目の写真は、スーパーゴマかっぱ巻き。シメにオススメだと思うのだが、今までススメた人達からあまり高い評価を得ないのが問題。

要はありえないぐらいの量のゴマをカッパ巻きに入れてもらうだけ。板前さんが首をひねるぐらい異常にゴマを投入してもらう点がポイント。醤油皿の上にボロボロとゴマがこぼれ出るぐらいがいい。

食感はモソモソする。ごわごわするような感じもあるので、万人受けしないのだろう。でも私は、ソーメンのつけだれにもすりゴマをじゃぶじゃぶ投入するゴマ好きなので、寿司飯とゴマとワサビのコラボレーションにウットリする。

巻き物は、たしかに極端な組み合わせでなければ、いろんな即興品が誕生する。ちらし寿司に使う甘く煮込んだ椎茸だけで巻いてもらってみてもデザートみたいな一品になるし、大葉やシソとゴマだけで巻物にしてもサッパリする。

ネギトロ嫌いのために生まれたようなトロタク巻きも、すっかりポピュラーになったが、ひと昔前は、そんな名前は聞いたことがなかった。巻き物こそ日々全国各地で進化し続けているのかも知れない。

思えば、太巻きなんて、これでもかとばかりに具材がミックスされているのだから、手巻き寿司のネタもなんでもありなのだろう。

近いうちに空いている時を見計らって、“変り巻き”をあれこれと開発してみたいと思う。

2009年4月22日水曜日

三原淳雄さん 金持ちイジメ


経済評論家の三原淳雄さんから電話をもらった。最新号のわが社の新聞へのお褒めと激励のために連絡をいただいた。わが社の新聞に昔から原稿を書いてもらったりしているのだが、もう随分とご無沙汰しちゃっている。

三原さんは、「金持ちイジメは国を滅ばす」という著書もあるほど、経済政策のためにはお金持ちの力を借りるべきという持論を主張している。

お褒めいただいたわが社の新聞では、1面トップで贈与税の非課税枠拡大について「小粒すぎて涙が出ちゃう」をメイン見出しに据えて特集。この論調に大いに賛同してもらった。

当初、編集部内でも新たな非課税枠の活用術みたいな記事を予定していたようだが、取材を進めるうちに見出しのような論調を前面に押し出した格好だ。

追加経済対策で決まった贈与税の非課税枠は500万円。あくまで住宅取得に限定した時限措置。当初、自民党内で出ていた非課税枠を2500万円程度に拡大する案に比べると物凄く小さくまとまった。

小粒の改正にとどまった理由はただ一つ。金持ち優遇はケシカランという相も変わらぬ社会主義的発想。空前の予算規模で計画された追加経済対策の議論でも、結局この“呪縛”からは逃れられなかったわけだ。

テレビや大新聞の報道では、今回の贈与税非課税枠の話は大きく取り上げられなかった。大衆迎合が本質である巨大メディアとしては、理屈で分っていてもお金持ちに有利な話には諸手を挙げて賛成できないのが現実。したがって、“小粒決着”を憂う識者の声はなかなか広まらない。

『納税通信』『オーナーズライフ』といった経営者サイドの視点による専門紙を発行しているわが社では、当然、冒頭のような立ち位置による論調を掲載する。

お金持ち応援的論調は日本のメディアの中では希有な存在と言っていいだろう。この階層の思いや声が重視されない社会構造は根本的におかしいと切に感じる。

昨今、富裕層マーケットが注目され、華やかな体裁による雑誌や各種コンテンツがあちこちにあふれかえっている。ただ、そうした富裕層向け媒体の根本的な問題が、単なる表層的な消費を煽っているだけという部分だろう。

税制や経済政策がどっちの階層に向いているか、お金持ちを冷遇する構造の問題とかに言及するメディアはどこにも無い。

消費対策、景気対策といえば、単純明快にお金持ちにお金を動かしてもらわなければ始まらない。そんな当たり前のことを前にして、いまだ金持ち優遇はケシカランなどとのたまうトンチンカンは考え物だ。

この期におよんで金持ち冷遇が当たり前という風潮は、一種の時代錯誤だろう。「男女7歳にして席を同じうせず」とか「男子厨房に入るべからず」みたいな古めかしい迷信にすら思える。

今後も立ち位置をはっきりさせた正論を展開していかねば。。。

2009年4月21日火曜日

キモざんまい 銀座・九谷

珍味好きな私は、キモ類に目がない。アンキモ、レバ刺し等々、そういうスターに囲まれると単純に幸せになってヨダレがでる。

先日、銀座のお寿司屋さん「九谷」でキモ三昧のひとときを過ごした。たまにしか顔を出さない不真面目な客なのだが、店主が私の珍味好きを覚えてくれているので実に有難い時間が過ごせる。

前の日に予約をしていたのだが、これが正解だった。官能的なキモ達が私を待っていてくれた。突然行くより、前もって予約した方が、お店のほうだって段取りの都合がいいはずだ。なるべく事前予約を心掛けるようにしよう。

旨味が充分のオコゼの刺身をもらってビールで喉を潤す。ウォーミングアップ、ストレッチのようなものだ。その後、この店のこだわりである巨大ボタンエビをつまみでもらう。抜群の甘みだ。

かち割られたボタンエビの頭部周辺からゴソゴソとキモというか脳みそというか内臓様が取り出された。ちょろっと醤油を垂らして舐めるように味わってみる。ほんのりとした渋味とわずかな苦みを甘みのあるコクが包み込む。ウヒョヒョ。。

ビールをやめて冷酒に移行する。本番スタートだ。この日飲んだ「黒龍」は、どっしりとした飲み口。さらさら系ではなく力強い風味。これがキモ類と相性がよい。

ホタテのキモと赤貝のキモが並んで登場。画像で見るとグロテスクな感じだが、口の中で広がる官能的な風味は、見た目のイメージと大違い。繊細な旨味とコクがあふれる。

もともと、赤貝がそんなに好きではない私にとって、赤貝のキモはまったくの初体験。貝特有の渋味を想像していたが、甘みばかりを感じる優しい味わい。意表を突かれた感じ。

ホタテのキモもトローリトロリと口の中を広がる。臭みとかクセとかはまったく感じない。こんなにウマいのならもっと普及しても良さそうだが、やはり素材の良さととびきりの鮮度が必要なのだろう。

続いて登場したのが、ツブ貝の肝とサバの白子。こちらは軽く湯通しして出してもらった。まだ温かいキモは口の中でジュワリと広がる。磯の風味がキモ特有のコッテリ感をまとって私を幸せにする。

サバの白子も初体験。こちらもほんのり温かい状態で味わえた。コッテリ過ぎずあっさりでもなくさほどインパクトはないが、天ぷらなんかにしても美味しいそうな雰囲気。

味を表現するボキャブラリーが足りなくてもどかしいが、とにかく日本酒とピッタリ合う肴であることは間違いない。

それにしても、食感を表わす形容詞ってなかなか難しい。一般的なのはホクホクとかパリパリとか、シコシコとかどことなく爽やかな響きがあるが、キモ達を表現する場合はまったく様子が変わる。

「グジュ」、「ドロリ」、「ジュンワリ」、「グチョリ」。。。こんな不気味な響きしか思い浮かばない。ウマいものに出会うと口癖のように「エロティックな味」と表現するのが私のクセだが、食感を表わす一連の言葉は、確かにエロ小説でよく出てきそうな言葉だ。

キモ以外の普通のモノもいろいろ食べたが、珍しい物としては、ニシンの刺身が出てきた。北海道をウリにしているお店だけあって、生でも全然クセも臭みもない。さすがだ。

上等なネタが数多く揃っているのに、キモばかりで喜んでいては失礼というもの。何個かは握りも注文した。でも、あまり覚えていない。

キモオンパレードを冷酒で歓待。こんなパターンを続けたいのなら、つくづく健康に注意しないといけない。

2009年4月20日月曜日

初体験の衝撃

子供を見ていてつくづく思うことは、「初めての衝撃」がたくさんあってうらやましいということ。食べ物、見る物、聞くこと、なんでもかんでも初めてだとやたらと目を丸くする。

中年になると、なかなか目を丸くする機会がない。少し寂しい。初めて食べたウマいもの、初めて行った外国、初めて触った○○とか、ジャンルを問わず、初めての衝撃ほどワクワクドキドキウキウキするものはない。

色気方面、それも各ジャンル、各パート?ごとの「初めて話」は、酒場のヨタ話として夜ごとアチコチで喋っている気がするが、さすがにここで書くことは難しいのでパス。

自分にとっての初めての衝撃をアレコレ思い返していたら、随分といろんなことが頭に浮かぶ。

初めて食べたシリーズでは、まず思い浮かぶのがババロアだ。よく考えると名前の響きからして凄い。得体の知れない感じがする。「ば・ば・ろ・あ」だ。何にも似ていないこの響き、決して美味しそうな響きではない。でもウマかった。子供の頃の初体験はいまも強烈な印象。

あの食感と口の中で溶けていく感覚は物凄くインパクトのある体験だった。あの頃よりは金持ちになった今ならお金を出してでもあの驚きを未知の状態から体感してみたい。

カルボナーラもショッキングな食べ物だった。新宿の喫茶店で初体験。まだ世の中にパスタなどという洒落た言葉は流通していなかったように思う。

ナポリタン、ミートソースが王道で、せいぜい和風明太子スパゲッティあたりが斬新だった時代だ。もう30年以上前のことだ。

コッテリしたくどさが少年の私をノックアウト。ベーコンだ、卵だ、生クリームだ、という幼い舌を誘惑するには最高のスター達が予備知識のない私の前に登場。ひとくち食べた途端、衝撃的なウマさに死ぬかと思った。

今でも、ときどきカルボナーラが食べたくなる。でも、あの頃の感動は、どんな有名店に行っても感じない。それどころか完食不能。くどくてダメ。加齢って切ない。

浜松のウナギにもビックリした。中学生の頃の話だが、それまで食べていた近所のウナギ屋のウナギとは似ても似つかない絶品を食べて、やはり死ぬかと思った。

当時、親の知り合いに浜松の名士がいて、その人が連れて行ってくれた料亭が舞台だ。甘いだけのタレ味ウナギしか知らなかった私は、初めて見る白焼きにビックリ。食べてみてウマさにビックリ。その後に出てきた鰻重にもビックリ。ご飯を挟んでウナギが2段構え。食べ盛りの少年だった私はまさに昇天状態。

親の分までさんざん食べた。精力がつく食べ物を中学生がわんさか食べたわけだから元気びんびん。翌朝の生体反応もビックリするほど強烈だった。

初めての海外旅行体験は、14歳の頃に行ったグアム。異国の地そのものよりも、巨大サイズのコーラや巨大ピザ、巨大ハンバーガーにあ然とした。

今でこそ、巨大サイズは日本でも珍しくないが、当時は、シェーキーズの食べ放題もカプリチョーザも無かった頃だ。アメリカ人御用達のデカい食べ物、デカい飲み物にとにかくウットリした。この時、初めて味わった「マウンテンデュー」も官能的な味だった。

初めて見た「ゲゲゲの鬼太郎」は、どこかのデパートのイベントで見た着ぐるみ。中に大人が入っている着ぐるみだから、鬼太郎のくせに妙にデカかったのが恐怖心とともに印象に残っている。

初めて見た「西城秀樹」の顔の小ささと身体の細さにも驚いた。友人の父親が連れて行ってくれた“歌謡ショー”の会場で、舞台裏通路で接近遭遇。まだYMCA以前のヒデキだ。

さてさて、初めてシリーズは、書き始めるとキリがない。誰にでもジャンルごとに強烈な印象が残っているものだと思う。暇な時に思い返してみると結構楽しい時間つぶしになる。

私の場合、時間つぶしのつもりが、真剣にいろんな記憶をたぐり寄せてしまい、頭の中はそればかりになるのが困りもの。

初めて食べた「フルーチェ」とか、初めて飲んだ「ドクターペッパー」、初めて行った「ノゾキ部屋」、初めて被害にあった「ボッタクリバー」などなど、書き始めるとキリがない。

キリがないので、まとめもしないでこの辺で終了。

2009年4月17日金曜日

買い物中毒

たまに買い物中毒の症状が出る。買い物といっても女性のように洋服や装飾品を集中的に買うのではなく、家の中の細々としたものを買いたくなる。

今回の中毒は、私の書斎兼寝室にマイサウナを導入したことがきっかけだ。一部模様替えをしたことで、部屋全体を整理したくなって東急ハンズやホームセンターに出かけてはオトナ買いを繰り返している。

小物整理用の小さなハコとか、すき間用のスリムな収納棚とか、ちょっとした場所にかけるフック、突っ張り棒を使ったグッズなどなど便利グッズをやたらと買った。

東急ハンズやホームセンターをウロウロしていると、余計なモノまで買ってしまう。男性的な買い物の仕方だとつくづく思う。

ついでに買うモノが目的のモノより数多くなり、買ったはいいが、使えなかったり、サイズが合わなかったり、結局は整理したはずの納戸に収納して、またまた納戸は無駄なモノが増える。

今回も、吸盤が吸い付かないところに貼っておく補助板とやらを大量に購入。家に帰ったら同じものがたくさんあってビックリした。だいぶ前に私が買っておいたらしい。だいたい吸盤付きグッズを使うような場所がそんなに無いのにどうして買ってしまうんだろう。

家電製品のコード類をきれいに処理する便利グッズも買った。こちらも家に同様な商品がわんさかあった。こういうことをしているから貯金が増えない。

大騒ぎして休日の時間をめいっぱい使ったのに気に入ったのは、大したことのないものばかり。書斎デスクの引き出しの中で散乱したペンとか小物を小分けする小箱とか、サウナの中に設置した幅20センチ程度の棚ぐらいだ。お洒落なトンカチも新調できて嬉しかった。

もともと日曜大工みたいな作業が苦手なので、ホームセンター的な世界は、本来得意分野ではない。それなのにあの手の店でブラブラしていると妙に楽しい。

ドアの上とか鴨居にひっかけるだけのハンガーラックみたいな便利用品を見つけるとすぐ欲しくなる。突っ張り棒が付いている棚とかもついつい買ってしまう。自宅は収納場所がやたらと多いので、そういう便利グッズの出番はないのだが、欲しくなると止まらない。一種の中毒だ。

大型のものは、たいてい「お客様組立品」だ。これが大の苦手でいつも苦労する。わが家の納戸に収まっているメタルパイプで出来ているありがちな収納ラックなんかも、以前、お店に掛け合って、すべて完成状態の展示品を持ち帰ってきた。

今回もサウナの横に置いておくのにちょうど良いサイズのスリムワゴンというシロモノを発見。天然木の雰囲気が我が愛しのサウナの色と似ている。天板にはタイルが貼られ、ちょいとお洒落だ。

たいして大きくなかったので、箱入りの新品ではなく、値札と能書きが書いてある紙が付いた現品をレジまで持っていった。ところが、融通の効かなさそうなイジワル顔のお兄さんが私の企みを拒絶する。

少し傷も付いてネジもゆるんでいる現品だ。売値に文句を付けずに買っていこうというのにどうしてダメなんだかサッパリ分からない。そのように説明して、おまけに保証書だって要らないぜと言っているのにイジワル顔は頑として譲らない。出世しそうにない店員だ。

頑として現品持ち帰りを拒絶されると、その商品の組立てが異常に難しいのではと思えてくる。というか、その商品が憎たらしくなる。当然、「じゃあ結構です」と舌打ちして断念することにした。

思惑通りに“お持ち帰り”できない時の寂しく辛い敗北感は、夜の街角もホームセンターも同じだ・・・。

おっと、話がそれかけた。

気に入るモノには物語が必要だ。私が大事にしているぐい呑みだって旅先で窯元を訪ねた思い出とセットだから愛着がある(全然話の趣旨が違うが・・・)。

先に書いたメタルパイプの収納ラックだって、サンプル展示品をそのまま買ってきた行為が懐かしい思い出だ。

そう考えると、イヤな感じの店員に敗北した問題のスリムワゴンは、仮に頑張って組立ても私はきっと気に入らない。目にするたびに敗北感を思い出す物は買わなくて正解だろう。

でも欲しい。どこかで現品売りをしてくれる店を探すことにしよう。

2009年4月16日木曜日

モノの見方 骨董 ベントレー

モノの見方とか審美眼ってつくづく難しい。この能力に長けた人はそれだけで偉人に思える。あふれる情報、根拠のない思い込みによって、モノを見る目が曇ってしまうことは多い。どんなジャンルにも当てはまる話だ。

ブランド品信仰が高じれば、必要のない物、使い勝手の悪いもの、ヘタをするとサイズが合わないものまで買ってしまう人がいる。情けない現象だと思う。

そういう私だって好きで集めている陶器類などは、結構ひどい物を手にしてきた。よく陥ってしまうのが、有名作家の作品。自分が好きな陶芸家の作品を見つけると闇雲に買ってしまったことがある。

人が造る作品には、当然、出来映えの善し悪しがあるし、本来その作家の作風から外れているものだってある。それなのに作家の名前だけで欲しくなるようでは、モノの見方が成熟しているとは言えない。

骨董品の世界では、「きまりごと」に騙される人が多い。特定の時代の作品には、共通する特徴がある。それをホンモノの証拠として基準にするわけだが、ニセモノを造る方だってプロだから、その基準をそっくり真似る。生半可な知識で騙される人が後を絶たないわけだ。

価値のある骨董の器でよく見かけるのが、「金継ぎ」とか「金直し」と呼ばれる修復の跡。茶碗の口周りが少し欠けている場合に欠けた部分を金や銀で補修する手法だ。これがまた、だましのテクニックとして使われる。

古めかしく器肌をカセた感じに仕上げ、わざと少し欠けを作り、あえて金継ぎを施してあると、一見、貴重な器に見えるという寸法だ。

金継ぎがしてある部分が、人間の目を狂わせる。わざわざ補修までして大事に伝わってきた逸品だと錯覚してしまうわけだ。

ブランド品のニセモノ、それもチープな作りのニセモノを東南アジア方面では頻繁に見かける。あれだって、ニセモノと分ったうえでシャレで買うならともかく、相変わらず騙される人が多いらしい。ブランドの名前が持つ魔力だ。

ジャンルはまったく異なるが、「飲み屋のインチキ生ビール」だって同じだろう。冷えたジョッキグラスに注がれただけで、疑いもなく生ビールだと信じ込む人が多いから、まがい物が出回る。

つくづく思い込みの怖さを感じる。

税金関係の新聞を作っていると、法制度の改正などを取り上げる際、時間の関係で、仕方なく“お上”の情報を単に垂れ流すだけという事態に陥りがちだ。

よくよく分析すると、まったく異なる角度からの見方が必要だったり、制度の裏に潜む問題点が見つかることもある。わが社の新聞は、そうした方面に力を入れている関係で、読者の方から“座右の一紙”にしてもらっていることが多い。有難いことです。

税務・会計の世界には、専門誌がいくつもあるが、条文の羅列や単なる解説だけの媒体が大半で、報道的観点を重視しているのはわが社しか存在しないのが現状。この決定的な違いをより周知してもらうようにしていきたい。解説誌と報道媒体は比べるまでもなく完全に違う存在だ。

話がそれたしまった。モノの見方についてだ。

私がアマノジャクを目指しているのも、モノの見方を鍛えたいからだ。アマノジャク賛美というより、アマノジャクを徹底するぐらいじゃないと、周囲の情報に流されたり、くだらない流行に振り回されたりする。自分の信念や自分の眼力を高めたいので、あえてアマノジャクでいようと考えている。

モノの見方といえば、いつも死んだ祖父を思い出す。独特の感性で、周囲の情報に流されない人だった。

バブルの頃だったか、雨後の竹の子のようにベンツが街に増殖していた時の話。だいぶ前から何代かにわたってベンツを愛用していた祖父も、さすがに飽きがきたらしく突然、「ベントレーを見にいくぞ」と言い出した。

好奇心いっぱいで同行させてもらった。いざ試乗。祖父は後部座席のチェックに余念がない。私としては、“ベントレーだ。キャア!”ぐらいのアホ感覚で眺めていた。

祖父の感想は、後部座席に座った時の膝から下の収まりが気にくわないという一点のみ。その理由だけで充分だったようだ。天下のベントレーという名前など関係なく、さっさと帰路についた。そして履き慣れた靴に戻るかのようにベンツに乗り続けた。

昭和20年代からフルサイズのアメ車を乗り継いでいたショーファー付き後部座席の達人の眼力なんだろう。すぐブランド物にほだされていた私にとっては印象的だった。

そうは言っても、いざベントレーが買えるぐらいになったら、きっと試乗もロクにしないまま発注してしまうのが私のダメなところだと思う。もっと目を鍛えないといけない。

今度眼科医の友人に相談してみよう。。。

2009年4月15日水曜日

公私混同 役員社宅

オーナー経営者ともなれば、いろんな分野で強いこだわりを持っている人が多い。クルマの趣味しかり、着るものの好みしかり。ライフスタイルに強い個性を感じさせる。

私のように数十万円のサウナをセコセコ買ってどこに設置しようか悩むようなら可愛いもので、自宅建設時にどーんとサウナを浴室隣に注文設計する人もいる。

クルマ好きの知人の自宅には、駐車場という名の冷暖房、水回り完備の“建物”を持つ人もいる。こだわりだしたらキリがない。

オーナー経営者の世界では、自宅を役員社宅として建築することが珍しくない。会社とプライベートの区別を本心からしていない経営者も少なくないため、何かと「公私混同」を問題視する税務署的視線からするとこのテーマは興味シンシン。

自宅を役員社宅として建設して、費用を会社で負担しても税務上の規定に沿った家賃を会社を支払っていれば、普通は特別な問題は生じない。

世の経営者の中には、24時間すべてが仕事とばかりに、家だけでなく、自宅用のパソコンやFAXなども会社の経費で購入することもある。なかには、リフレッシュ目的でマッサージチェアも会社経費で購入する人もいるらしい。

税務上、何を買ったらダメという明確な決まりがあるわけではなく、あくまで「業務に必要」だということが立証できれば、会社経費でこうした商品を買うことに問題はない。

マッサージチェアだって会社の福利厚生用備品としての計上は可能だが、さすがに設置場所が自宅だと税務署的には問題視されるだろう。会社に置いて束の間のリフレッシュ目的で使用するなら、税務署としても絶対ダメとは言いにくい。このあたりは事実認定の世界だ。

備品以前に、自宅を役員社宅として建設するケースでは、それなりに自分の嗜好を加えたくなる。ホームシアターしかり、サウナだってそんな嗜好品のひとつだろう。

「このサウナでリフレッシュしているから毎日バリバリ働けるんだ。あくまで仕事のための道具だ。業務用と考えて何が悪い」というのがワンマン経営者のホンネ。

気持ちは理解できるが、税務署の考えは「それが無いと仕事が出来ないはずはない」と経営者の気持ちをただの屁理屈だと一蹴する。それが現実だ。

ちなみに、役員社宅がオーナー経営者のこだわりを反映しがちなことを裏付ける税務上の取扱いが存在する。いわゆる「豪華役員社宅」に関する制限規定がそれ。

まず一定の床面積基準。床面積240㎡を超える物件は「豪華役員社宅」と認定され、一般より格安で済むはずの社宅としての家賃計算が認められなくなる。建坪73坪当たりがモノサシになっているわけだ。

次に床面積自体は問題なくても、入居者の趣味嗜好を強く反映している場合には、やはり社宅としての格安家賃特典が認められない決まりがある。

一般的には、「プールがある家」、「茶室がある家」といった例示がされているが、実際上は、明確な線引きは難しいのが現実。例示されているような装備がない場合、よほど極端なケースでなければ税務調査であまり問題視される可能性は低いだろう。

経営者側としても、「会社への税務調査で社宅の装備までチェックされるはずはない」とタカをくくっている人が多い。確かに会社所在地を訪ねてきた調査官が別住所にある役員社宅まで見に行くはずがないと考えるのは当然。実際、そんなケースは聞いたことがないが、かといって安易に考えるのも危険。

いざ調査官が役員社宅に関心を示すケースを想定しよう。当然、社宅として造ったのであれば会社内に竣工図や仕様表が保管されている。ニセの安普請物件の資料を用意すれば別だが(そんなことをすると脱税です)、保管資料を吟味すれば建築の素人である調査官だって10分も眺めていれば役員社宅が普通のものかどうか分かってしまう。

「あまり問題視されることはない」は「絶対セーフ」と同義語ではないことはお忘れなく。

オーナー経営者向けの専門紙「納税通信」では、経営者なら気になるこの手のエッセンスを豊富に盛り込んだ他に例のない媒体。
お心当たりのある経営者にはオススメです。

2009年4月14日火曜日

自宅 サウナ


サウナが自宅にやってきた。自宅というより自室に設置した。私の書斎兼寝室の隅の奥にドンと大きなハコが鎮座することになった。

1メートル弱の幅と奥行き、高さは190センチ。クローゼットをひとつ潰してそれなりに収まった。

遠赤外線パネルが正面扉と天井以外の各所に貼り付けてあり、15分程度でそれなりに温度は上昇してくれる。結構優秀だ。

最大温度は65度。街場の高温サウナが90度ぐらいだから、かなりヌルいが、試してみたところ、何とか満足できる水準。高温サウナなら2~3分で汗が噴き出してくるのに対し、マイサウナだと10分近く発汗までに時間がかかる。

とはいえ、汗が出始めれば遠赤外線効果はなかなか大したもので、ダラダラと気持ちよく汗だくオヤジになれる。

狭い空間は閉塞感がどの程度か心配していたが、前面の大型扉がガラス製のため、思ったより窮屈な感じはしない。書斎サウナとしては充分合格点。

子供を養子に出すか出さないかでモメるぐらい白熱して何度も開催した家族会議の結果、私の部屋に設置することになったわけだが、これが正解だった。

納戸や普段出入りしない部屋に設置していたら、きっと狭い空間に閉じこもっていることで妙な疎外感を感じたような気がする。

普段自分がパソコンをいじったり、本を読んだり、夜中にテレビを見る部屋に置いたわけだから、サウナの時間も日常の延長みたいな気軽な感じで、“わざわざ感”がまったくない。

わざわざサウナのために家の中を移動することがない。これって重要な要素かもしれない。おまけに本や雑誌はそこら中にあるし、運良くテレビも見る気になれば見られる位置。

サウナからテレビまで2メーターぐらい離れるが、それなりのサイズのテレビなので、時間つぶしに眺める程度なら充分。結果オーライだ。

サウナの中は、遠赤外線パネルだけで棚のひとつもない。マイサウナだから、今後アレコレとサウナ内に棚とかドリンクホルダーを設置しようと思う。こういう下らないことを考えられるのは結構ストレス発散になる。

我が愛しのサウナは、天井にメインの照明の他に5色に変化するLEDも装着されている。赤、青、紫、緑などラブホテルみたいな光が私の裸体を悩ましく包みこむ。この色っぽい照明が付いているクセに砂時計一つ付いていないことには少し腹が立つ。

肝心のお値段は予想していた金額より随分安く済んだ。一般的には安い買い物ではないが、有名メーカーの高級マッサージチェアには、マイサウナより高い物がいくらでもある。そう考えれば今回の衝動買いも良しとしよう。

凝り性の性格もあって、わが家が快適になる工夫を随分と凝らしてきた。ホームシアターも用意した。マッサージチェアもある。サウナも買った。可愛いい子供もいる。

それなのに、どうして外でフラフラ遊んだりするのだろうか。私自身よく分からないナゾだ。

明日は、マイサウナ導入記念?に「オーナー経営者が会社経費で買う家電製品」を考えてみたい(話の展開が強引でスイマセン)。

2009年4月13日月曜日

番記者 贈与 借金

番記者というと聞こえがいいが、その代表のように見られている首相の番記者は、まだまだ世間を知らない若者が勤めるのが恒例。ステレオタイプの質問を深い洞察もなしに繰り返す。

追加経済対策が固まった日、どこの新聞社の若手かは知らないが、相変わらずの「金持ち優遇批判」が飛び出した。贈与税の非課税枠を住宅取得資金に限って500万円にするという部分についての質問だ。

麻生首相は、貯めたお金を使わない高齢者が多いことを理由に、金持ち優遇とは思わないとの返答をしていたが、この若手記者にこんなくだらない質問をさせたデスクなり上司の神経を疑う。

当初は、2500万円程度まで贈与税を無税にしようという議論が出ていたが、相も変わらぬ“金持ち優遇批判アレルギー”という魔物が出てきて、結局、「住宅資金限定で500万円まで無税」という中途半端な結論になった。

15兆円もの規模で経済対策を実施するということは何を意味するのか。答えはひとつ。経済状態が、まさに有事であるということ。有事の際に、いつもと変わらない発想で対処しようとしていること自体が、官僚主導の政治の限界だ。

高額な贈与に税金をかけないという政策は、お金持ちに有利だ。そんなことはバカでもわかるが、そのお金が動いてくれなきゃ景気刺激なんかありえない。

国が先頭を切って、お金持ちにお金を動かしてもらうことを考えて、頭を下げてでも消費に貢献してもらうという路線に舵を切れないようでは、15兆円の効果だって怪しいものだ。

有事の際には有事らしく、既存の発想を打破しなければ意味がない。今の状況を考えると金持ち優遇批判を恐れてヘッピリ腰になっている場合ではないと思う。その発想こそが「金持ち冷遇」だ。

追加経済対策では、採算が合わずに計画が凍結されていた地方の道路計画を復活させるような話もあるとか。ナンダカナーという印象はぬぐえない。

イナカの政治家の利権がこんな場面でもチラチラしているようでは、まさに何をか言わんやって感じだ。

500万円の贈与税無税策だって、どうして居住用住宅限定なのか分からない。クルマを買うとか、家財を買うとか、旅行だっていいだろう。とにかく貯蓄以外の消費に回すことを条件にすれば、用途をお国が決めつける必要は感じない。

15兆円の“真水”。すなわち、国民の血税だ。効果がなければそのまま国民に借金がのしかかるだけ。なんかイライラする。

2009年4月10日金曜日

伊香保 ホテル木暮

また温泉に行った。年末からの3~4か月、やたらと温泉づいている。これも加齢現象のひとつなのかと心配になる。

今回訪れたのは伊香保温泉。関越自動車道に乗りやすい立地に住んでいる私にとって、ボーと車を走らせていれば到着する気軽なエリアだ。

過去に10回は行っていると思う。若い頃は日帰りでも出かけた。手軽に行ける「にごり湯」という意味で気に入っている。

泊まったのは、「ホテル木暮」。ここにも3回は来ている気がする。大型旅館だが、大型旅館ならではの良さが詰まっている。

隠れ家系しっぽり旅館も捨てがたい、大型の宿ならでは楽しみはそれはそれで捨てがたい。すいている日に泊まれるなら大型系は実に贅沢な空間になる。

「ホテル木暮」は、なにより北関東最大規模をうたう大浴場が絶品。午後の時間帯に男性用になる方は特に露天風呂が広く、そこにいるだけでウキウキする。

伊香保温泉の象徴である茶褐色というか赤銅色のにごり湯である「黄金の湯」が大きな露天風呂にバンバン注がれている。透明な温泉よりもどこかジワーッっと染み渡る感覚に浸れる。

2年ほど前に行った時に比べて、一部リニューアルしたようで、露天風呂が増設されていた。どん欲な企業努力に感心する。

もともと、大昔に伊香保の黄金湯を割り当てる際、ホテル木暮の初代だか先祖が地元の筆頭家になったそうだ。現在でも、伊香保名物・黄金の湯については、総涌出量のうち、実に4分の1強をこの宿が使用しているとか。

大浴場は露天だけでなく屋内もバラエティー豊かで、ずーっと風呂で過ごしていても飽きない。サウナだって大きく、ミラーボールみたいな悪趣味な照明で楽しませてくれる。おまけに一定時間ごとサウナ石に天井からシャワーが降り注ぐパフォーマンスもあって飽きない。

豊富な湯量にアグラをかくわけではなく、しっかり客本意の設備投資をケチらない姿勢がエライと思う。

宿泊日によっては、比較的手頃な値段で露天風呂付きの部屋に泊まれる。部屋付露天の大きさや風情は良いのだが、温泉が引かれていない点はマイナスポイント。でも、小さい子供連れなんかは、子供入浴はここで済ませられるためメリットはある。おまけにこの部屋を選んでおけばチェックアウトの時間も標準より長めで、朝の時間がノンビリできる。

食事は、普通にちゃんとしている。群馬の山の中で素晴らしいモノを食べようと考えなければ充分納得できる水準。今回は、個室の食事処でアレコレ楽しんだ。一品一品運ばれてくるわけではないが、ポイントになる料理屋メインの食材は、タイミングを見て運ばれてくる。

活きたアワビは踊りながら目の前で焼かれていたし、釜飯の味付けも素直に美味しかった。お刺身もまとも。ちょろちょろした細かい料理も不快なものはなく、充分贅沢な気分になる。

この日は、焼きタラバがハイライト的位置付けだった。立派なサイズで身もしっかり入っており、量もOK。伊香保でタラバというのも微妙だが、思った以上に美味しかった。写真は、むさぼった後のカニ。満足。

とにかく温泉を全身に染み渡らせたい気分なら、結構オススメの宿だと思う。

2009年4月9日木曜日

マック、王将、経営者の心

マクドナルドといえば、100円マック。100円で買えるハンバーガーはすっかり浸透した。頭の悪い私としては、あんなものは、その他の商品で利益を上げるための呼び水だろうと思っていた。

雑誌「プレジデント」によると、私の考えは大間違い。変動費の大幅削減と、話題性による販売個数の大幅増で、ハンバーガーの粗利益は以前よりアップしたとか。それはそれで凄いことだ。まさに企業努力。

全国どこでも変わらぬ商品ラインナップと均一化された味がマックを初めとするファーストフードの基本だ。この管理体制がビジネスの源。

このスタイルを徹底して管理することで、躍進を続けるマクドナルドと対照的な手法で増収増益を続けることで話題になったのが「餃子の王将」チェーンだ。

好調な業績を支えるのは、チェーン店とはいえ、店ごとに個性を発揮している点にあるらしい。一部のメニューや店舗レイアウトは店によって異なり、決して均一絶対主義ではないことが特徴だという。

外食産業に厳しい淘汰の嵐が吹く中、マックと王将の伸びは素直に凄いことだと思う。

さて、今日は何が書きたかったのかというと、成功している2社の例を見るまでもなく、成功するビジネスに決まりきったパターンなどないということ。

マック商法とか○×商法とか、とかく成功したビジネスモデルは、あっと言う間に教科書のように広まり、コンサルタントと称する人々もナントカのひとつ覚えのように世の中に転がっている成功事例を得意になって紹介、引用する。

ビジネス書もその手の新刊本が常に話題になり、そうした知識を吸収していなければビジネスマン失格みたいな風潮さえある。

成功モデルは確かに魅力的だ。誰だって参考にしたい。でも、参考に出来るところがあれば参考にするぐらいが現実的。せっせとコピーしようたって無駄な話。

イチローのように練習すればイチローになれるわけではないし、ホイットニュー・ヒューストンの人生をなぞってみても、あんな上手に歌えるようにはならない。

驚嘆して憧れて見習ってみるのは必要な行為だが、そのままそれを目指そうという単純な思考だとちょっとマヌケ。

成功するビジネスに誰でも解ける方程式なんて存在しない。にもかかわらず中途半端な知識と限定的な事例を金科玉条のようにしているコンサルタント連中はうさんくさい。

だいたい、勝てば官軍ではないが、勝ち組の事例やエピソードは、極端に美化され、脚色されることも多い。長々と続いた徳川時代には豊臣秀吉は今ほど有名人ではなかったそうだし、石田三成や今川義元あたりも後世の伝わり方は、敵方の見方でしかない。

どんなに優秀かつ斬新でも、負けてしまえば、負けという事実だけが残る。本当のことは突き詰めれば誰にも分からない。

私のつたない経験でも、わけのわからないデータと中途半端な知識で、四の五のアドバイスらしきことを言ってくるコンサルタントに遭遇したことがある。あまりに薄っぺらで驚いたことがある。

規模、職種はもちろん、挙げ始めたらきりがないほど、ひとつの会社には特徴が詰っている。表層的な分析だけで一筋縄にコトが運ぶものではない。

コンサルタントと称する人々の意見に素直に耳を傾ける懐の広さは必要だが、咀嚼能力がないとトンチンカンなことになる。どうしても補えない知識や経験が必要な特殊分野とか技能に関することなら的確なコンサルティングは有難いが、なかなか難しいのが現実だろう。

実は、そんなことは百も承知なのが世の中の経営者だ。こんな当たり前の話は誰もが肝に銘じている。にもかかわらず、お決まりのビジネス成功事例がもてはやされたり、怪しげなコンサルタントが暗躍する。

その理由はただ一つ。
経営者が孤独だから。後ろに控えている人がいない経営者の心理は、大げさではなく恐怖と孤独感が中心。だから変な宗教にはまったり、迷信をやたらと気にする人も多い。

野球の例え話でこういう話がある。いわく、外野手は内野手と違って、後ろがいないので大胆なプレーは避ける、という内容。この例えに合わせると、経営者は外野手という位置付けになりそうだが、そんなに単純ではない。

あえて例えるなら、外野フェンスも観客席もない球場でプレーする外野手みたいなもの。後ろは何もない。そんな感じだと思う。

不安と孤独が強ければ何かに頼りたいし、すがるものがあればすがりたい。経営者心理の原点って意外にこのあたりなんだと思う。

2009年4月8日水曜日

ツバ事件と女体

電車の中で隣に座った女性にツバをなすりつけたバカが逮捕されたというマヌケなニュースを見た。

「ツバを吐いた」ではなく、「なすりつけた」という部分が気色悪い。美人を汚したかったという意味不明な理由らしいが、なんとも腑抜けた話。

幼い頃、ツバでイヤな思いをしたことがある。小学校低学年、いたいけな少年だった私が満員電車の中で遭遇した事件だ。

家から結構遠い学校に通っていたため、幼いながらも満員電車を利用していた。ある朝、ランドセルが邪魔だったらしく、しきりに後ろに立っていたオッサンが舌打ちして私を威嚇してくる。

今だったら、「私のおでこにウンコでもついてますか?」ぐらいなことを言い返すのだろうが、当時は幼かったので小さくなっていた。

そして何かの拍子に私の体勢がぐらついた時、オッサンはあろうことか、幼い私にツバを吐きかけた。

ツバは私の手首あたりに着弾した。制服の上ならまだ良かったのだが、生肌にべっとりだ。ゾーッとしたけど、あまりの驚きと恐怖でそのツバを拭き取ることも出来ずに一種の金縛りのような状態に陥った。

あのヘタレたオッサンの顔は今でも鮮明に思い出すことができる。俳優の平泉成に似ていた。平泉さんには申し訳ないが、今もテレビで彼を見るとあの日の苦い記憶が甦ってしまう。

その衝撃的体験を忘れられずに、大きくなったら絶対にあのオッサンを半殺しにしようと決意を固めていた。中学高校と身体はグングン大きくなり、少林寺拳法まで始めた。これもひとえにアイツを退治するためだった(さすがにそれは大げさ)。

結局、地下鉄東西線神楽坂駅付近で乗り降りしていたアイツを見つけることが出来ずに今に至っている。もう35年ぐらい前の話だ。とっくにアイツは死んでるかもしれない。

冒頭で紹介したツバ塗りバカ男の逮捕容疑は暴行罪。幼い私にツバを吐きかけた行為も立派な暴行罪だ。幼い子どもを暴行する大人の心理はなんなんだろう。

勝ち目のない相手をいたぶる行為は最低だ。私も若い頃はイジメッっ子だったので、決して偉そうなことは言えない。

でも、大人になってから女子供に手を挙げたことは一度もない。威張るほどの話ではないが、オバカニュースやDV問題なんかを聞くにつれ不思議で仕方ない。

正直に言うと、女性に対して一度だけ胸ぐらを掴んだことがある。胸元をまさぐったのではない。服の襟を掴んだ。でもさすがにそこまでで止まった。そりゃあ止まるでしょう。反撃できない相手に力をふるったところで屁の突っ張りにもならない。

私も生身の人間だ。女性に対して心からフルパワーでグーパンチを打ち込みたくなったことは何度もある。顔面めがけて上段回し蹴りを炸裂させたかったことも3回ぐらいある。鼻の中に割り箸突っ込んでやろうと思ったことも1度だけある。

でも、これまでの人生で平手打ちひとつせずに我慢してきた。それが普通だろう。

まあ、偉そうに書いてみたが、正直に言うと「アナタの言葉は殴られるよりも酷い暴力だ」と非難されたこともある。

確かに怒りが頂点に達すると自分でも感心するぐらい相手をへこますボキャブラリーが豊富になる。

それでも、私は手は挙げない。私の手は女性に対しては、あくまで触ったり撫でたり、つまんだりするためだけにある。

「もうダメ、死にそう」とか言われることはあるが、それだって決して暴力をふるっているわけではない。相手を思っての行為なのにそんなことを言われることがたまにある。

なんか話が脱線してきた。この辺にしておく。

2009年4月7日火曜日

花の名前


東京はソメイヨシノ発祥の地とあって、結構あちらこちらで桜の名所がある。有名どころは別として、誰もが自分のお気に入りの桜鑑賞スポットを持てるぐらい色々な場所で楽しませてくれる。

私の場合、中野区の哲学堂界隈、練馬区から豊島区に向かう千川通り界隈が、自宅から近いエリアでは有名どころ。毎年結構な人出になる。

自宅から近ければ親しみは湧くが、秘密スポットという感じはさすがに薄いので、お気に入りとしては「会社の裏」が一番。今日の画像もそこで撮影した。

会社の裏といっても、徒歩2分ほどかかるのだが、いい感じのお寺の参道と境内に桜がウワーッっと咲いている。

大きな寺ではないが、一般道につながる参道部分が風情のある石畳なので、桜の舞い散る様子は情緒タップリ。いつも「裏の寺」と呼んでいるため名前を知らなかったが、寺の名前は法明寺だとか。

会社は池袋の明治通り沿い。したがって、このお寺は明治通りからほんの少し入っただけで、都会の喧噪がウソのような風情を漂わせている。

近くの音楽大学の学生が通り道にしている関係で、その眺めもまた悪くない。。。

毎年、時期になると相当遠い場所からスケッチ軍団とか撮影軍団がやってくるので、穴場スポットしての人気は高いのだろう。私も毎年、弁当を境内で広げて束の間の花見を楽しんでいる。

満開の晴れた日に桜を眺めていると、なんとも穏やかな気持ちになれる。ついつい、娘の名前を「さくら」にすれば良かったなどと意味のないことを考える。

親戚の子に「さくらちゃん」がいるので、この時期は、毎年ちょっとうらやましい。

ところで、花を題材にした女の子の名前のなかで「さくら」は確かに雅な響きがある。すぐ散っちゃうところは考え物だが、色合い、大きさも可憐な感じで剛毅な雰囲気はない。

同じ花でも「ゆり」とか「百合子」の方がどことなく力強い感じがある。まあ好みではあるが、いずれにしても美しく愛されるという点で、花の名前を女の子につける気持ちは良く分かる。

「すみれ」とか「桃子」なんかも可愛らしい。「楓」とか「蘭」あたりもお洒落な雰囲気だ。

私が一番好きな花は梅だ。梅だとどうにもお婆さんみたいだ。梅とか菊はやはりイマドキの命名には使いにくい。咲いている花はあんなに美しいのだが、どうしてだろう。お婆さんイメージって結構強烈だ。

わが家の娘も、私がそんなことを気にしないでいたら、梅子とかウメになっていたのだと思う。なんか微妙だ・・・。

2009年4月6日月曜日

春こそ熱い酒

まだまだ春とは思えない寒い日が多い。花冷えという言葉があるぐらいだから仕方ないが、私が個人的に春を実感できない理由のひとつが相変わらずお燗酒を呑んでいること。

まだ冷酒が飲みたいとは思えない。ウナギの白焼きを新鮮なワサビで堪能しながら味わう冷酒が大好きなように、TPOによっては冷酒も愛飲するのだが、まだまだ燗酒の気分が続いている。

先日、銀座のおでん屋さん「力」に行った。この日も結局、燗酒のお世話になった。酢じめしたアジをたっぷりの大根おろしとポン酢で味わう「力風アジたたき」もお燗、真っ黒な塩辛「黒造り」もお燗、穴子の稚魚「のれそれ」もお燗。キューッという感じだ。

あっさりしながらもしっかりダシで味付けされた竹の子のおでんだってお燗がバッチリ。ウィーッて感じだ。名古屋みたいな土手鍋風味噌べったりの牛すじ串も強引にお燗だ。デヒャーッという感じだ。

お燗酒って、飲食店のアルコールメニューの中でごくごく地味に表記されている点がとても格好いい気がする。

エリアごとの仰々しい名前の日本酒、それも大吟醸とか純米とか精米歩合がどうしたとか杜氏がどうしたとか、分厚い酒メニューにはお店自慢の冷酒が立派に羅列されていることが多い。

そんな店でもお燗酒はたいてい、何もウンチクが表記されず、シレッとした感じで小さく載っている。なかにはメニューにわざわざ書いていないことさえある。そのさりげない感じが格好いい。威張ってない感じがイキだ。

お酒を注文する時に「なんたらカンタラの純米吟醸をお願いします」とか言うよりも「お銚子一本、熱めでね」とつぶやくほうが素敵な人みたいな気がする。思い過ごしだろうか。。

別な日、某寿司店で悩んだ末にまたまたお燗酒。脂ののったイサキの刺身、旨味タップリのカレイの刺身、ナマのトリ貝の刺身・・・。お燗酒は大活躍だ。ウヒョヒョッって感じだ。

上等な車海老の茹でたてを握ってもらってパクつく。コハダの握りもじっくり味わう。鉄分の濃い味が官能的な本マグロの赤身も握ってもらう。やっぱりお燗だ。ジョワーって感じだ。

この手の肴を楽しみながら、口の中にお燗酒が広がると、幸せという言葉は、この瞬間を表わすものだと一人大げさにうなづくことになる。

今日は何を肴に呑むのだろう。そんなことばかり毎日朝から考えている気がする。

2009年4月3日金曜日

贈与税というシロモノ

追加経済対策の検討が進んでいるなか、注目のマトになっているのが「贈与税の減税」。突如浮上した感もあるが、以前から自民党の一部議員らが強く主張していた。

麻生首相自身も自民党税制調査会に検討を指示しており、消費刺激策の目玉として実現する公算が強まっている。

問題は減税の規模。いくらまでの贈与を無税で認めるのかがカギだが、一説には期間限定で2500万円までの無税贈与を認めようという話もある。

現行制度では、年間110万円までの贈与なら税金はかからない。これを一挙に20倍以上にしようという話だ。なかなか気前のいい話。実現するか否かはなんともいえないが、大衆迎合しか頭にない政治家の中からこういう発想が出てくることは素直に評価したい。

今後本格化する議論の中で必ず出てくるのが「金持ち優遇」というお決まりの反対意見。金持ちだけにメリットがある制度はケシカランというのが、政策論議ではお題目のようなバカのひとつ覚えとして出てくる。

あくまでこの政策の目的が、景気刺激、消費刺激にあるのなら、金持ち優遇批判を正義のようにふりかざしてもまるで意味がない。

お金持ちに動いてもらわなければ景気や消費が活性化するはずがないことは猿でも分かる(猿には分からないか・・)。

たった「110万円」しか認められていない贈与税の無税枠は、平成13年にそれまでの「60万円」から拡大された。およそ2倍増という水準は大幅拡充に見えるが、実際は微妙なところ。

というのも、「110万円」に拡大される前の「60万円」という枠は実に25年もの長きにわたって手付かずだった点が見逃せない。

その他の税制上の控除枠は、国民の所得や物価、地価上昇に合わせるように25年の間にどんどん拡充されていたのに、贈与税の無税枠だけは置いてけぼり。平成13年度改正でようやく見直されたが、そうした事情を考えると拡充幅はちっとも大きくはない。あくまでも「金持ち優遇」批判を恐れるお役所的体質が「無税での贈与は悪いこと」という前提に立ってちょこちょこ改正したに過ぎない。

家を買ったり、クルマをを買ったりといった消費に回すことを条件にすれば、贈与税の無税枠は大胆に拡充した方が生産的だろう。「金持ち優遇」を批判するより、積極的に金持ちを優遇することは景気対策の早道だ。

優遇、優遇とくだらない批判をする前に、現状は「金持ち冷遇」が経済政策の基本になっていることを考え直す必要がある。

「冷遇」を普通レベルにすることは決して「優遇」とは言わない。

2009年4月2日木曜日

サウナ計画


先日、自宅にサウナを導入する計画を書いたが、着々と計画は進行中。きっと来週あたりには、わが家に邪魔なハコが運ばれてくるはずだ。

正式に発注はしていないが、サウナ石をストーブで熱する、いわゆるフィンランド式にするか、ちょっとヌルい遠赤外線式にするか大いに悩んだ。

フィンランド式だと、石に水をかけてジュワーっとした蒸気を楽しめるし、水にアロマオイルを混ぜておけば、癒し効果も高まるから非常に魅力的だ。

その点、遠赤外線だとジンワリ温まるだけで、ダイナミックな楽しみはない。でも、アレコレ考えて安全性とか手入れのことも考えて、サウナ石にジュワーという楽しみは断念することにした。

問題の設置場所は、お決まりの浴室周りはどうにも場所がない。脱衣所は広めなのだが、すべての壁に収納ダンスや棚が設置されていて空きがない。一部破壊して改造することも考えたが、建物の構造上の問題があって断念。

次なる候補場所は、マッサージチェアなどが置いてある空き部屋。ここも家族争議の末、惨敗するなど、もろもろの理由で断念。

何カ所かある納戸の中もしっくりこないので却下。玄関扉を入ったところにある小さな坪庭的空きスペースがサイズ的にも収まりがいい。でもさすがにやめた。玄関に入って最初に目に飛び込むのがサウナだったら、どう考えても変な家だ。

ベランダ設置も考えたが、ちょっと設置作業が大がかりになるし、裸でサウナに出入りしている姿が公道からチラ見されるのも不自然だ。

結局、残された選択肢は私の書斎兼寝室という私以外の家族にはすこぶるハッピーな結論となった。

部屋の中央にある、小型チェストをどかして単純に設置しようとしたが、1メートル近い幅と奥行き、高さが180センチのハコを置くことを考えると妙な圧迫感がある。

結局、壁面端っこに設置されている、クローゼットを解体してその空きスペースに納めることにした。クローゼットドアと中のパイプを外す必要があるが、これなら「部屋の端っこ」という念願のポジションを確保できる。

納品されて使い始めたらまたレポートしたいと思う。

ちなみに、いま強く思っていることは、家を造る段階でサウナ計画を考慮すべきだったということ。

ちなみに、私の夢は豪勢な平屋に住むこと。「神楽坂あたりに造る瀟洒な平屋」というのが私の勝手なイメージなのだが、この幻想に新たに加わったのが「庭のサウナ小屋と露天風呂」。早く実現したいものだ。

2009年4月1日水曜日

湯河原 白雲荘

いつの日かセミリタイアしたら住みたいと思っている場所が小田原と湯河原。小田原は、新幹線で東京駅まで30分で行けるのに、海は近い、魚は旨い、温泉もやたらと近い、適度に繁華街もある点が魅力。湯河原は、温泉と豊かな自然がある割には、東京にも近い点が魅力だ。

そんなことを考えながら湯河原に行ってきた。やはり近い。熱海まで新幹線でひとっ飛びして、在来線で一駅5分。私の好きな熱海とは趣を変えたしっぽり系の宿が多い。

今回訪ねたのは、「万葉の里・白雲荘」。それなりに有名な老舗で、ゴージャスな貸切風呂で人気がある。

個人的に古めかしい宿が結構好きなので、玄関先からロビーあたりの鄙びた風情にホッとする。スタッフは、くたびれたお婆さんしか見かけなかったが、それも趣と思えば悪くない。

数年前の改装で露天風呂付きの部屋が用意されたらしいが、改装後の部屋以外は、ただ古めかしいという評判も聞いたので、露天付きの部屋にする。

日本中にすごい勢いで増殖する部屋付露天風呂だが、宿によっては温泉を引いていないところも多い。温泉旅館で湧かし湯に入っても仕方ないが、その点、こちらの宿は、部屋付露天にも源泉を引いており、柔らかいお湯に入り放題。

浴槽のサイズも充分に足がのばせるし、景色も正しく山と川。川のせせらぎがBGMになって極楽気分が味わえる。

貸切風呂は、宿泊者は1回分は無料。チェックインの際に好きな時間を指定する。玄関を出て徒歩30秒ほどの別棟が丸ごと使われていて余裕の大きさ。大型の半露天。大ぶりの浴槽が二つ、それぞれジェット付き。休憩用のテーブルや椅子もあって快適。川沿いの景色と音が癒し効果を発揮する。

湯河原で高級旅館を名乗っている以上、食事の心配は無用だろうが、ここもキッチリ正統な食べ物を出してくれた。


前菜も丁寧な味付けで、稚鮎の甘露煮とか竹の子なんかも素材の味が生きていて満足。刺身のマグロも上等かつ正しい味わいだったし、サザエや伊勢エビも大喜びできる鮮度で束の間の幸福感に浸れる。

全体に大げさでこれみよがしの料理なんかは出てこないが、逆にそれが正解だと思わせる品々が順々に運ばれてくる。


西京味噌風味の牛タンも真っ当な和食の味付けで、タラバの揚げ物も熱いまま運ばれてきた。

一番印象に残ったのが、和風ブイヤベース。一人用の小鍋仕立てで熱々にして味わうのだが、具材が贅沢。カキやホタテ、伊勢エビなどが煮込まれるのだから旨味がブリブリ放出されたトマトベースのスープは単純明快に旨い。

締めのご飯は小どんぶりサイズのちらし寿司が用意される。イヤなものがひとつもなかったから全体に高水準だろう。

朝食も奇をてらったものがないのに品数豊富で、いとも簡単に後悔するほど食べ過ぎることができる。有難いサービスが卵料理と干物の種類を前日の晩に選べる点。これってありそうでないサービスだと思う。

イカ刺し、アジ刺し、佃煮類、おひたし類それぞれが旨い。伊勢エビの味噌汁、温泉タマゴ、あったかい干物などと続き、これでご飯一膳で終われる人はいないだろう。太りたい人にはもってこいだ。

華やかさや高揚感みたいな感覚とは違うが、気負いなくゆったりと過ごせる旅館だった。そういう路線が好きな人にはオススメできる。