2008年7月31日木曜日

奥ゆかしい日本語の裏側

言葉の言換えやまどろっこしい表現が気にかかって仕方ない。これも加齢のせいだろうか。妙に「変な日本語」が気持ち悪く感じる。

先日もある店のレジでぴったりの金額を支払ったら「○×円丁度からお預かりします」といわれて驚いた。お預かりしてくれるのなら、返してくれなきゃおかしい。

「よろしかったですか」とか「大丈夫でしたか」も妙に気持ちが悪い。ガソリンスタンドで「灰皿のほうは大丈夫でしたか?」と聞かれる。言いたいことは分かるが、「何が?」と突っ込みたくなる。灰皿のほうって、どっちのほうだか分からないし、大丈夫かって聞かれても困る。

「お箸はよろしかったですか?」。これも凄い言葉だ。よろしいとかよろしくないという問題ではないだろう。

「焼き加減はミディアムレアでよろしかったですか?」なんて言われると、自分のことを見透かされているようで気持ち悪い。

そもそも日本語特有の“奥ゆかしさ”は、時にじれったい感じを受ける。個人的に嫌いなのは「禁煙にご協力下さい」という表現。「協力」といえば、あくまでこちらの意思に委ねられている印象がある。

「禁煙です」と言われれば「はいそうですか」と応じるが、「ご協力下さい」と言われれば「協力できません」と答えたくなる。

「~~させていただきます」というバカ丁寧な言葉もすっかり市民権を得た。これも一種の奥ゆかしさが背景にあるのだろうが、鬱陶しい響きだ。

言葉の言換えも都合よく使われている。単に不倫でスケベな関係が「不適切な関係」になる。そもそも「不倫相手」などといえば聞こえはいいが、平たくいえばセックスフレンドだろう。話は脱線するが、某有名国会議員が「セレブ」と「セフレ」を間違えたまま難しい顔で講演していたという笑い話がある。

そもそも「不適切」という日本語は「ふさわしくない」という意味。放送禁止用語などを使ってしまったテレビ番組が「不適切な発言がありましたのでお詫びいたします」としているが、あれも「ふさわしくない発言」という意味になる。

本来なら、使ってはいけない言葉を使ったことを詫びるべきだが、「ふさわしくない言葉」では、なんかピントがぶれる。

申告もれを大々的に報道された企業が「不適切な処理を指摘され・・」などと釈明しているが、あれも曖昧だ。直訳すれば「ふさわしくない処理」になってしまうわけで、ことの本質を隠す。あくまでデタラメ処理、すなわち脱税なんだから、悪意を必死にオブラートに包んでいるように聞こえる。

今日は暑さのせいか、愚痴ばかり書いているような気がする。

言葉の使い方ついでに、少しテーマをひねろう。マスコミ業界の言換えについて。

マスコミが特定の言葉を言換えるのは、差別的印象を与えかねない特定用語によるトラブルを防止しようという自主規制的要素に基づいている。

言換えをする基準は、言われた側が不快感や被差別的感覚を覚えるかどうかという点だ。

ただ、言われた側がそうした感情を持つことを百も承知で、差別的表現が平気で使われることがある。

デブやハゲがその代表だ。「体重調整が不自由な人」とか「毛髪育成が不自由な人」とは言換えない。不謹慎な例えだが、これがまかり通る現実には理由がある。

その理由とは「団体力」。大メディアが微妙な表現に気配りする際、団体の有無を気にする傾向にある。デブ連合とかハゲ全国会とかがあれば、抗議行動を嫌って、そうした表現は配慮されるが、組織の力がないなら、メディア側は安易に「不適切な言葉」を使う。

組織力、数の力を持たない階層の声は世間に通じにくいのはある程度仕方ないが、本来ならそうした部分にこそ配慮するのが、倫理であり正義だろう。モラルハザードが深刻な世情を考えると、団体力を持たない階層がキツい思いをする傾向は今後も強まるだろう。

2008年7月30日水曜日

お役所感覚

いわゆる「居酒屋タクシー問題」を契機に公務員のタクシー利用状況が問題視されるようになった。税金でタクシー代を負担しているのに、公務員個人がタクシー運転手から酒やつまみのサービスを受けていたことが問題視されたわけだが、それだけの見返りを受けるほど上客になっている実態が問題なのだろう。

中央官庁の公務員が多忙なのはよく知られているが、毎日のように“ロング”の距離のタクシーを使い倒せるのは、民間企業の感覚では信じられない。

運転手から見返りを受けていた事実よりもタクシー乗り放題の構造が深刻だろう。これに関して、間抜けなニュースが報じられたので紹介したい。

国土交通省が、本省職員4千人を対象にタクシーチケットの使用を停止。すると毎月1億円以上に上っていた職員のタクシー代が、10分の1以下に激減したそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080726-00000136-jij-pol

間抜けと表現したのは、国交省の得意げな見解がおかしかったから。いわく「終電までに帰れるよう、急がない仕事は翌日に回すなど職員の意識が変わりつつある」とか。

そんな程度で月に1億円単位の税金のムダ遣いが是正されるわけだから、これまでの“タレ流し”に気が遠くなりそうだ。

ちょっと意識を変えただけで、わずか1省庁のタクシー代が月間1億円も浮くわけだから、全国の出先機関も含めた全官庁関連のタクシー代のムダはまさに天文学的数字だ。

財政が逼迫して増税が避けられないという話も、こうした氷山の一角みたいな話を聞くだけで説得力が失せる。

そういえば、「増税やむをえず」を叫ぶ国会議員のセンセイがたの“交通費感覚”にも呆れる。こちらの超贅沢な実態を知っている公務員達にすれば「タクシー代ぐらいで騒ぐな」という感覚になってしまうのかもしれない。

国会議員が海外出張する際には、「最上級の運賃」が国会から支払われることになっており、ファーストクラスの利用が認められている。

出張といっても夏休みシーズンの「外遊」も数多く、緊急の要件などほとんど無いと言ってもいいだろう。

このファーストクラス運賃、あくまで正規運賃、すなわち定価なのだから恐れ入る。いまどき航空券を正規運賃で購入することは民間の常識では考えられない。

ちなみにニューヨーク往復の航空券はファーストクラスの正規運賃で157万円ほど。国会議員であればこの金額を負担してもらえる。

若手国会議員あたりからは、せめてビジネスクラスを利用すべきという声が聞かれる。もっともらしく聞こえる話だが、これだって充分な厚遇ぶりだ。ニューヨーク線のビジネスクラスの正規運賃は84万円ほど。実際に流通しているディスカウントのビジネスクラスチケットに比べたら非常に高額だ。

ニューヨークより、誰にでも分かりやすい場所を例示しておく。ハワイ・ホノルル線のファーストクラス正規運賃は、98万円ほど。国会関係の視察なんかだと、こんな金額が当然のように使われているわけだ。

最近では、せっせとマイルを貯める議員センセイも多い。税金で払ってもらって個人のマイルを貯めて、プライベートの旅行代を浮かすなんて芸当も簡単だ。

税金で払ってもらった航空券で個人のマイルを貯める問題は、国会でも問題になったが、貯めたマイルを具体的に個人の特典として使うと、経済的利益として課税対象にもなりえる。負担すべき税金を負担していないなら当然、脱税という話になる。

いずれにせよ、上級クラスの正規運賃航空券は、マイル実績も割増加算される。役所単位で業務利用したマイル全体を管理すれば、無料航空券がバンバンもらえてコスト削減になるはずだが、そういう建設的な取組みは存在しない。

こんな杜撰な話を思うと、缶ビールもらって処分される末端の公務員がちょっと気の毒にも思える。

2008年7月29日火曜日

福祉の格差


縁あって八ヶ岳近くにある社会福祉法人を視察させてもらった。障害のある人への就労支援やグループホームの運営を通して、障害をもつ人々の社会基盤を充実させようという理念で活動している。

小麦の生産、花の栽培、造園やパン・焼菓子の製造を中心に活動している施設は、もともと個人の私財を投じて作られたもの。

八ヶ岳や富士山も望める空気の綺麗な環境で、障害をもつ人々が笑顔で作業をしている姿が印象的だった。施設内部はすべて清潔に保たれており、小麦精製の作業場やパン工房も作業終了時に覗かせてもらったら、非の打ち所のないほどピカピカ。

施設長から色々なエピソードもお聞きできたが、その熱意とどんどん膨らんでいく夢を語る姿が実に印象的だった。

この社会福祉法人は、東京某所で障害者就労施設でもあるパン工房の運営管理も行っており、そこの実績は売上げベースでも相当な水準。

夜間人口が極端に減少する首都圏中心部では、慢性的な昼食難民が話題になる。このパン工房もそうした立地でのランチ需要を一手に取り込み、丁寧に誠実に作られたパンは毎日飛ぶように売れるそうだ。

障害を持つ人々のなかには、一つのことを丁寧にこつこつ集中して行うことが得意な人が多いようで、職種によっては、その仕事ぶりは、一般企業レベルでも充分な戦力になる。

融通がきかない、頑固な人も多い一方で、サボらない、妥協しない点も特徴らしく、いわば職人仕事に高い能力を発揮する人も多いようだ。こうした人々の社会進出がもっと注目されるべきと痛感した。

近年、障害者自立支援法が本格スタートして社会福祉法人の在り方が注目されている。

以前であれば、“横並びで国の支援だけを受けてジッとしていろ”的な行政の姿勢も大幅に変わり、現在は、センスと経営手腕の高い社会福祉法人であれば、より画期的な活動が展開できる。

それによって収益を生めば、その法人自体の活動環境が向上するわけで、今回視察させてもらった法人などは今後も色々な計画を準備中だ。

もちろん、昨今の自立支援という方向性には、弱者切り捨てという批判もついて回る。画期的な活動を展開できる一方で、センスの無いやる気も使命感にも乏しい社会福祉法人は、当然、低迷の一途をたどるわけで、言ってみれば、障害者福祉の世界にも格差の時代が到来している。

さまざまな専門施設にも淘汰が起こりえるなら、施設を選ぶ側の自己責任という難しい問題も出てくる。弱者本人はもとより、その家族の情報収集能力や努力で、施設利用者の明暗が別れるわけだから厳しい話ではある。このあたりの課題が気になった。

いずれにせよ、“富豪”を名乗る以上、いつの日にかホンモノの富豪に昇格して、今回見てきたような、素晴らしい施設作りに巨万の富を投じてみたいと本気で思った。

世の中のリッチ層の間には、福祉貢献に意識はあるものの、どこにどのようにして協力していいか分からないという声があるらしい。確かにインチキやキワモノに当たってしまったら洒落にならないし、そういう組織も現にあるのだから難しい。

ボランティアといえば、自らが直接貢献することばかりがイメージされるが、全国各地の前向きな真面目な施設を特徴ごとに紹介するような、いわば交通整理、情報整理を専門に行う中立的なボランティアがあってもいいように思った。

今日は珍しく、キモとか寿司とかクラブ活動とは次元の違う話を書きなぐってしまった。

2008年7月28日月曜日

函館 競馬 寿司

洞爺湖から函館に戻ったのが昼ごろ。勇んで湯の川にある「大寿し」に入る。運良くまだお客さんはいない。ノンビリと暴飲暴食ができそうだ。

以前から散歩の際に見かけていた店だが、初訪問。綺麗な内装だが、今風のとんがった感じはなく、古き良き街場のお寿司屋さんという感じで和める雰囲気。

早速生ビールを飲み干し、ツマミに切ってもらったヒラメとツブ貝で幸せな時間がスタート。

生ビールをおかわりしたついでに、毛ガニを頼む。身を剥いて食べやすくしてあるのだが、冷凍物を使わない主義だそうで、カニミソもぎっしり。身の味も充分に濃い。食べ応えあり。

あっという間に平らげ、空になった甲羅で甲羅酒を作ってもらう。おかみさんに勧められたのだが、こうやって利用しないと甲羅に申し訳ないくらい素晴らしい味わい。

甲羅からあふれない程度にお酒を注いで、甲羅ごと燗をつけるらしく、運ばれてきた時には、甲羅の外側の毛が焦げて香ばしい香りが漂う。適温の燗酒にカニの風味がしっかり移って官能的な味。臭みのないカニだからこそ極上の香りが広がる。

とっとと呑んでしまった。当然、おかわりをお願いする。大事によけておいたカニミソを空になった甲羅に少しだけトッピングして、再び燗をつけてもらう。

少し濁った酒の色がなんとも魅力的だ。無色透明の温泉より濁り湯に惹かれる心理と同じだ。ぐびぐび呑む。極楽。

その後、つまみにイクラをもらう。昨年秋に保存したものだと分かっていても、すこぶる旨い。冷凍技術の優れた時代に生きていることに感謝。

この店の名物らしき「蒸しウニ」も頼んでみる。大将いわく「くずウニの上にまともなウニを乗っけてるから安く出せる」とか。

確かに見た目は、まともなウニだけが見える。ほじくってみて、くずウニを食べたが、決して悪くない。安い駅弁とかに入っている蒸しウニよりもしっかり味があって、塩を少しふって食べれば、つまみとして抜群の存在感。キャンペーンだとかで650円ぐらいだったから拾いものだ。焼酎と合わせてしっかり堪能した。

そして握りに移る。カニ、サバ、サーモン、ボタン海老、イカ、ホッキ貝あたりを食べる。ネタの鮮度は文句なし。強いていえば、シャリが大きく甘さが強すぎるのが気になったが、それも北海道らしいといえば北海道らしい。

基本的に美味しい、居心地がいい、店主夫妻の人あたりもいい。再訪したくなるお店だった。

店を出たのが午後2時頃。しばし腹ごなしの散歩。途中、競馬場に吸い寄せられ、人生初めての競馬体験をする。よく分からないまま大穴狙いの単勝馬券ばかりを“大人買い”してみる。

レース結果が出るまでは、今回の旅行費用を全部回収して、なお、お釣りが来る予定だったのだが、さすがにそんな都合のいい話はあるはずもなく、ビギナーズラックのかけらもないまま、とぼとぼ競馬場を後にした。

この日の宿は湯の川グランドホテル。良く言えば老舗、悪く言えば古めかしい宿。運良く改装したてのモダンな洋室に通される。素泊まりにしては文句のない部屋。さっそく温泉とサウナで昼の酒とカロリーを抜く。

夕方、部屋の窓から一望できる海を眺めながら、しばしうたた寝。不思議なもので夜の7時にもなるとしっかり空腹感を覚える。

歩いて10分ほどの距離にある「雷門鮨」に出向く。店に入ると、カウンターはほぼ満杯。さすがに評判の高い店だけあって、飛び込みでは入れないことも多そうだ。

この店には以前から来てみたかったのだが、時間が合わなかったり、休みの日に当たってしまったりで初訪問。

結論から言えば、もっと早くにこの店に来ていれば良かったと痛感する。見事に全部美味しい。強いていえば、私の好きな珍味類の品揃えが少なそうな点が気になった。

ただ、そんな私の気配を察してか、感じのいい大将が、活イカのゴロ(ワタ)をゲソとともに焼いてくれた一品をサッと出してくれた。思わずデレーとした顔になっていたと思う。

とくに印象的だったのがスジコ。塩がきつくなく、旨味をしっかり感じた。イクラよりも後味が爽やかで何個でも食べられそうな味だった。

ホヤの塩辛、サンマにサバ、シマエビ、ウニ、サーモン等々、相当な量を食べて、しっかりアルコールも摂取。

特筆すべきはお値段。今回の旅行では5軒のお寿司屋さんに入って、すべて似たような食べ物を同じような分量で食べてみた。結果、この「雷門鮨」が一番安かったからビックリ。店のしつらえやネタの質から見て、一番高くつくかと考えていた私の読みは大外れ。脱帽。

今回の寿司旅行、泊まった宿はダサダサだったが、毎食懲りずに寿司屋を訪ね、大人買いした競馬でスッたりした所は、“富豪”のような時間だった。

2008年7月25日金曜日

気が抜けた洞爺湖

函館に3泊するのも面白くないと思い、2泊目は洞爺湖温泉に行った。サミットに呼ばれなかったので、自腹で洞爺湖入り。函館から特急で1時間半。あっという間に着く。

宿は、「湖畔亭」という名のホテル。間違っても高級ホテルではない。低級というか下流。私が泊まったフロアは妙に安っぽい造りで、まさに下流階。同じ読みでも花柳界なら嬉しいが、今回ばかりは外した。

出発数日前に空きを探して見つかったのがこのホテル。連休中に急きょ予約できること自体がビミョーなホテルであることの証明だ。それでも行ってしまうのだから私は相当な旅行好きなのだろう。

温泉大浴場は、サウナがあったので、少し嬉しい。洞爺湖畔に建つ高層階の最上階が大浴場になっているため、露天風呂からの眺めは文句なし。ただ、露天風呂が狭くて残念。

男女の欲情、いや浴場が入れ替わる翌日朝に入った露店風呂は広くて快適だった。団体旅行客中心の宿であるため、朝は早々に客がまばらになり、朝風呂の際は露天をほぼ貸切にできたのでラッキーだった。

このホテルの食事は、論評するレベルではないが、変な話、この時の私には丁度良かったかも。

というのも、この日の昼と前日の晩に、しっかり魚介攻めをしたし、洞爺湖を出て函館に戻れば、再び怒濤の魚介攻めを予定している。

そう思うと中途半端なホテルバイキングを食べることになる洞爺湖での夕食と朝食は、魚介攻めの合間の小休止になるわけだ。大好きな魚介類・珍味類・甲殻類も三日三晩も続くとゲンナリして最終日には辛くなるので、小休止はかえって都合がいい。

そう思いながら夕食会場に着いた。でも10分で部屋に戻った。食べるモノがない。

まずそうな野菜や、まずそうな刺身や、まずそうな揚げ物やお子様ランチに盛られるような食材が並んでいる。結局、ジンギスカンもどきと、ぶよぶよした鶏のソテーと衣ばかりの酢豚を少しずつ皿に盛って食べた。

急いで生ビールを2杯飲み干し、ウェイターがこまめに霧吹きで水分を吹きかけているしなびたソーメンを一口食べて夕食完了。

ホテル内のラーメンコーナーに行こうかと考えたが、無駄な抵抗だろうと我ながら賢明な判断を下して、風呂に行く。

洞爺湖では毎晩、花火を開催しており、湖畔から眺めようとする人で、湖畔周遊道は結構な人出。おかげで大浴場はガラガラ。運良く貸切状態になった露天風呂からノンビリ花火を楽しめた。夕食のイライラも沈静化する。

翌朝、当然のごとく朝食会場に美味しそうなものは皆無。昼には函館に戻って寿司屋攻めをもくろんでいた私が食べたのは、子供用のカレー。軽く一杯食べて、朝風呂、朝サウナを楽しんでとっとと函館行きのスーパー北斗に乗り込む。

駆け足の洞爺湖旅行。印象に残ったのは、着いた日の夕方、宿の周辺を散歩したことぐらいだろうか。サミットの名残りの看板や置物がどこか寂しげで、現地の人々もどことなく気が抜けた様子。

宿の食事もきっと、気が抜けた状態ゆえにあのレベルだったのだろうと妙に納得。

長くなってしまったので、函館に戻ってからの話は改めて書くことにする。

2008年7月24日木曜日

函館で寿司屋めぐり


7月になると北海道の空気を吸いたくなるクセがあって、先日の連休、函館に飛んだ。

目的は寿司が8割、残りは温泉だ。初日は、最近オープンした天然温泉付きのホテル「ラビスタ函館ベイ」に泊まった。

平たくいえば高級ビジネスホテル。ただ、このホテルチェーンは、安くて快適な温泉付きのホテルを日本中に展開中で、沖縄・北谷で人気の「ザ・ビーチタワー」も系列だ。

ラビスタ函館ベイのウリは最上階の展望温泉とサウナ。サウニストである私にとっては、「夜景が眺められるサウナ」は魅力的だ。チェックイン後、いそいそ温泉とサウナに向かった。

残念なことにこの日は霧が深く、日が暮れてからチェックインしたため、展望はゼロ。霧だけ。でも温泉施設、サウナともコンパクトながら上出来。お湯の質も茶色に濁った源泉をふんだんに流しており、充分快適。

部屋はツインルームにしては狭く、まっとうなシティホテルの半分程度の専有面積しかない。でも価格から見れば合格点。立地も函館ビギナーにとっては、最高な位置にあり、今後人気が出ることは間違いないだろう。

サウナで汗を絞ってから、目的の寿司屋めぐりへ。以前からマークしていた五稜郭の「かわむら」に向かう。丁度1回転したあとの時間帯だったので、飛び込みでも席を確保。腰の低い40歳ぐらいの大将が一見の私にも気配りをしてくれる居心地のいい店だった。

つまみにもらった平目の昆布ジメがおいしい。素材が新鮮だけに淡く締めた感じがバッチリ。ツブ貝も当然、殻から剥いて出してくれる。塩で味わうツブ貝は酒のつまみに最適だった。

そして珍味へ。エビミソとイバラガニの内子をもらう。エビミソは甘く柔らかい味わいで珍味特有のガツンと来る味がない。物足りないと言えば物足りないが、上品な味で飽きない。ほんの少し醤油をたらすと、より味が引き締まってお酒が進む。

オレンジ色の内子は、私にとって北海道最高のラブリーな一品(3月5,6日の当ブログ参照)だが、この店の内子もやや塩が強いものの、黙って泣きたくなるほど美味しかった。酒が進む。小皿の底まで舐めたかった。

このあと、海老の頭の唐揚げなどを食べ、握ってもらう。ボタン海老、ウニ、しめ鯖、サンマなど地のモノを食べる。小ぶりで酒のつまみとしてもイケる。幸せ。今回はどこの店でもサンマが抜群に美味しかった。やはり旬の魚は食べておくべき。

この日、寿司屋ハシゴ計画を立てていたため、この辺で切り上げ、次なる店に行くことにする。

次の店は鮨金分店。函館の老舗・鮨金総本店が東京銀座に進出した際に初代店長を勤めた大将がのれん分けで開いた店。

正直、コメントしづらい店。私には合っていなかった。詳細を書くことはやめておく。

深夜のラーメンは我慢して、ホテルに戻って温泉とサウナ。酔っぱらって入るサウナは身体に悪いことを改めて実感。

翌日、朝風呂、朝サウナを堪能して11時にチェックアウト。朝食を抜いて、頼まれた土産の手配を兼ねながら散歩。空腹全開。

お昼近くになったので、以前にも訪れた函館駅近くの「ひさご寿し」へ。空腹に流し込む生ビールはどうしてあんなに旨いのだろう。泣きそうになる。

ネタケースに殻付きのウニが並んでいる。さっそく注文。少し塩をふって食べる。ミョウバンの苦さがない生ウニは極上の味わい。

アブラコと呼ばれるアイナメ系の白身魚を刺身でもらい、ししゃもを2本焼いてもらう。私にとっては朝飯だ。つい焼き魚も欲しくなる。でも、朝飯なのにナゼ冷酒や焼酎を飲んでいるのだろう。

私のお気に入りがこの店の「イカの正油辛」。塩辛ではなく醤油と塩でつけ込んだ酒好きなら堪らない一品。

口直しにホタテも刺身でもらい、握りに切り替える。

美味しかったのが、ますのすけ(キングサーモン)。サケマス類最大のこの魚、脂ののりが上質で、くどすぎずに後を引く味わい。イヤミのない後味が、安物のサーモンとの決定的な違いだ。

そのほか、サンマ、しめ鯖、ボタン海老などご当地ネタを堪能し、今が旬の真イカも食べる。そして、ツマミで食べずに我慢しておいたイバラガニの内子を軍艦巻きでもらう。これを食べるためにしょっちゅう北海道に出かけている気がする。うっとり。エクスタシー。でもいつも同じモノを食べている気がする。

店が混んできたので、昼間からダラ酒も格好悪いと思い店を出る。結構食べたつもりだが、酔いも手伝って空腹感が消えない。
目と鼻の先には朝市の食堂街が並んでいる。

結局、以前にも行った「あけぼの食堂」で「味付けカニ2倍丼」を注文。ついでに単品でイクラの醤油漬けをもらう。生ビール片手に、カニ丼にいくらもぶっかけて頬ばる。幸せな時間。

午後のスーパー北斗で洞爺湖温泉に向かう。
快晴だったので車中では景色を楽しむつもりが、満腹、ほろ酔いのせいで爆睡。

続く

2008年7月23日水曜日

魚たちの「瞬間」

漁船の一斉ストにまで発展した原油高問題。魚食ニッポンにとってまさに深刻な問題。

と、真面目なテーマで書き始めたが、魚食について考えていたら、水中で目撃した魚同士の魚食とか、「かじられちゃった魚」を思い出した。

水中写真撮影を趣味にしていると、潜っている間、変わった被写体がいないかキョロキョロする。スズメダイあたりは珍しくないので気に留めることはないが、写真の個体は、なんとなく動きが変だった。よく見ると背中がしっかりかじられている。

運が良いのか悪いのか、内臓系を攻撃されたわけではないため、一応ケナゲに泳いでいる。自然界はシビアで、このように弱みを見せた魚は真っ先に標的にされるため、こんな状態の魚を目にすることは珍しい。

きっと、このスズメダイの周りにも彼の異変を見てとった魚連中が、虎視眈々と彼をいつ襲撃するか狙いを定めていたと思う。

水中で魚がアタックされるシーンに遭遇することは珍しくない。ただ、イワシとか小型の魚の群れに大型の回遊魚がアタックするようなパターンがほとんど。そうした「狩り」は凄いスピードで行われるので、かじったり、飲み込んだりするシーンをはっきり見るチャンスはあまりない。

見られるとしたら、根付きの中型魚が、同じく根の周りをウロついている魚を襲う時ぐらいだろうか。

2番目の写真はそんなシーンを捉えた一枚。ハタがハギの仲間を捕食したところ。一瞬の狩りに成功したハタの目つきがどことなくワイルドに見えるのは気のせいだろうか。

このほかにも、捕食の瞬間を運良く捉えた写真がいくつかあるのだが、探しきれなかったので、またの機会に紹介したい。

海の中で展開されるシビアな「食うか食われるか」の世界。そんな苦労を乗り越えて生きている魚を、いとも簡単に刺身にしたり、煮たり、焼いたりして食っちゃうのだから人間は恐ろしい。

捕食写真探しのついでに見つけた「偶然の瞬間」を撮影した写真を2点紹介する。

最初は大口開けて内臓まで見せそうな勢いのジョーフィッシュの仲間。普段は巣穴から顔だけ出して周囲を警戒する魚なのだが、たまたま外出中に私のカメラに発見され、逃げられずに、たまらずこちらを威嚇してきた瞬間。

この魚の体長はせいぜい10センチ程度。自分の何百倍もの大きさの外敵に必死で向かってこようとするのだから、自然の生き物は力強い。

続いての写真の魚は、目の縁の色彩のせいで名付けられたメガネゴンベ。サンゴの間にピョコンとヒレを乗せてマッタリしていたのだが、よほどお疲れだったのか、突如、大あくびをした。もうちょっと下から煽り気味にカメラを構えられれば、もっとユーモラスに撮れたのだが、なかなかここまで口を開けることはないので、撮れただけで満足している。

2008年7月22日火曜日

株主優待券


燃油代金の追加が重荷になって海外旅行者が激減中だ。燃料代を別に取りますっていう理屈自体が何んだかふざけた話だが、すっかり、この仕組みが当然のように定着した。

タクシーに乗ってメーター料金の他に「燃料代を追加で払ってくれ」と言われるようなバカみたいな話。いずれ航空会社の便乗値上げの温床になるのだろうと思うと腹立たしい。

海外敬遠組は当然、国内に目を向ける。沖縄や北海道あたりの人気が高まっているようだが、今回は国内航空券の上手な買い方を紹介しよう。

ポイントは株主優待券を活用すること。1枚あれば片道普通運賃が半額になる。とはいえ、普通運賃、すなわち定価で国内線の航空券を買う人は滅多にいないだろうから、そんな高額な運賃が半分になったって、価格面でものすごくトクするわけではない。

安さだけを考えれば、いわゆる早割運賃とか先得運賃とやらが存在する。ただ、この手の運賃は使い勝手がすこぶる悪い。予約して2~3日以内に航空券を実際に購入しなければならない。

キャンセルする場合、結構な金額の手数料を取られる。インターネット予約でクレジットカード決済をしていた場合、キャンセル料を引かれた金額が返金されるまでの日数も無視できない。

普通運賃の航空券については、購入期限の制限がないことが大きなメリットだったが、こちらも昨年あたりから条件が変わった。予定変更やキャンセルをしても基本的にペナルティーはないのだが、割引運賃同様、予約したら数日以内に航空券を購入しなければならなくなった。

私のように思いついたら旅行したい人間にとって、フレキシブルに予約を変更したり、予定を仕切り直せることは、旅行計画の大事な要素だ。

今年の冬に網走に出かけたのだが、目的は流氷を見ること(3月3日付のブログ参照)。予定していた日程では流氷が接岸していなかったため、割と直前になって1週間延期した。仕切り直したおかげで、ゲップが出るほど流氷を堪能できた。硬直したスケジュールでは、臨機応変の対応はできない。

さて、株主優待券の効用だ。普通運賃と同じ扱いなので、変更、キャンセルは自由。ここからがミソなのだが、通常の普通運賃の航空券と違って、株主優待券を使う前提で予約しておけば、航空券の購入期限に制限がない。

つまり出発当日、空港で買えばいい。この気軽さは魅力だ。そのため、急に旅行を中止しても、「前もって買っちゃってたのに」というストレスがない。いくらペナルティーなしで払い戻されるとしても、タイムラグは生じるわけで、こういう余計な心配をしなくていいから、それなりに価値がある。

そう考えると、これだけ柔軟に使えるうえに半額になるわけだから、メリットは大きい。意外にこの利便性は知られていない。

肝心の株主優待券の入手方法だが、日本航空や全日空の株主になれば定期的に送られてくる。私の場合、これを大事に使うのだが、株主でなくても、チケットショップに行けばゴロゴロ売っている。

飛行機出張の多い会社なんかでは、まとめてチケットショップで株主優待券を購入しているらしい。社長さんあたりが個人旅行にも流用しているというイケナイ話もよく聞く。

一応、そんな不正行為は奨励できないが、何かしらの進物、プレゼントを受けるような立場の人であれば、気心知れた相手に「株主優待券が欲しいのよ」とねだってしまうこともできる。まあ入手方法はともかく、上手く使えば便利なことは確か。

私の場合、貯めたマイルを無料航空券に変えて旅行することが多いが、スケジュールが微妙な場合や、直前まで予定をいじりたい場合には、株主優待券を活用する。この使い分け、旅好きな人には有効なノウハウだと思う。

2008年7月18日金曜日

さらば野茂投手

日本人メジャーリーガーの先駆け・野茂英雄投手が引退する。日本球界復帰も噂されていたが、メジャーの熾烈な生存競争にボロボロになるまで挑んで、破れ去っていく姿が格好いい。

日本球界からのオファーが本当にあったかどうかは分からないが、野茂投手の意思で、あえて日本球界への復帰を選ばなかったのだと思いたい。

メジャーでダメ出しされた選手が日本球界で通用するほど甘くはない。でも野茂投手の場合、それでも客寄せ効果は絶大だし、その効果のためだけに億単位の年俸を用意する球団はあるだろう。そんな億単位のオファーを蹴ってまで引退を決意したのだと思いたい。

野茂投手がメジャーに挑戦した時、日本のマスコミは気が狂ったように野茂バッシングに終始した。裏切り者という悪役イメージ一色で、まるで犯罪者であるかのような報道が連日続いた。

野村サッチーとか和泉元彌レベルの叩かれかただったような記憶がある。

スッタモンダのメジャー入りだったが、その後の活躍は周知の通り。マスコミの豹変ぶりもそれはそれは笑っちゃうぐらいで、一転してヒーローとして大絶賛。マスコミのいやらしい日和見体質を象徴する「事件」だった。

1年目の大活躍後、帰国した野茂投手に間近で接する機会に恵まれた。東京・プレスセンタービルの日本記者クラブで行われた記者会見に参加した。

早めに会場入りした私は、野茂投手を近くで見られる席を確保した。正直、自分の仕事に直接関係のない記者会見ではあったが、あのときほど必死に会見に没頭したことはない。

野茂バッシングをさかんに展開したスポーツ紙の記者より、一般紙の社会部やなぜか文化部の記者が多く参加していた記憶がある。

その日、野茂投手がさかんに繰り返したのが「とにかく、現場を見に来てください」ということ。記者の質問が、日本球界とメジャーの違いに関する内容が多かったため、口数の少ない彼としては、そう答えるのが最も誠実な答え方だったんだろう。

その日、あわゆくばツーショットの記念写真におさまろうとした私の浅はかなもくろみは、同じ事を考えていたらしい大勢の記者連中と同様、異例の起立禁止という記者クラブ側の伝達で失敗に終わった。まあそんな私の間抜けな話はどうでもいい。

会見を通じて感じた印象は、ただひとつ。
「真摯な職人」ということ。

その後、野茂投手は、幾度となくメジャーを解雇されても、日本球界に背を向けたまま何度もメジャーの土を踏み直した。

そのたびに日本球界復帰という報道が、なかば待望論のように、かつて彼をとことん叩いたスポーツ紙の1面を飾った。それでもメジャーに格好悪いほどしがみついた野茂投手の意地みたいなものが、とてつもなく格好良く感じた。

どんな分野の仕事、どんなポジションの仕事でも「矜持と意地」は凄く大事だ。なかなか保てない、なかなか維持できないものだからこそ、それを貫いた野茂投手は格好いい。

野茂投手には、今後、中途半端に日本球界で監督とかにおさまってほしくない。本格的な独立プロリーグを作るとか、あくまで“はねっかえり”でいてほしい。日本のプロ野球機構にとっての“目の上のタンコブ”のような活躍をしてもらいたい。

2008年7月17日木曜日

「割烹とんぼ」

過去のブログを読み返してみたら、いかにも和食ばかり食べている気がする。寿司と焼鳥とおでんぐらいしか書いていない。実に狭い視野だ。反省。もっとジャンルを広げないといけない。

といいながら、また和食の話を書く。銀座8丁目にある「割烹とんぼ」に顔を出した。もともとは近くでクラブを経営するママさんが経営していた。しっぽり京風の佇まいで食事とお酒が楽しめる。和服姿の女性が、べったりではないが一応の接客をする珍しいスタイル。クラブが密集するビルの3階にあって、まさに隠れ家。ここのカウンターでノンビリするのが好きだ。

昨年だったか、経営が変わったようで、料理の質が格段にアップ。真面目で美味しく正しい和食が食べられる。多少いま風にアレンジしてある料理もあるが、あくまで脱線はせず、万人が喜ぶ水準の味を提供している。

この日、最初に出てきたのは、確かコチだったろうか。淡泊な白身の刺身でミョウガを巻いてある。ここまでは普通だが、醤油ではなく、梅肉だれで食べさせる。

梅肉だれはハモの専用といったイメージだったが、こういう使い方は新鮮。夏の暑い晩に生ビールを片手につまむには最高だ。

冷製の和風コーンポタージュも良かった。芽葱とあられが薬味になっていて、実に涼しい味わい。

続いて出てきた八寸がまた涼味あふれる逸品ぞろい。ここの板さんは相当研究熱心だと思う。献立を作ったり料理をすることはプロにとって大変な作業だろうが、その苦労の中でも、面白がって仕事をしている様子が伝わってくる。だから食べていても楽しい。

写真手前の卵豆腐のような一品は、カリフラワーのムース。野菜嫌いの私が、さほど空腹ではないときに物凄く美味しく感じたのだからかなりの水準だろう。舌触り、味の濃さ、文句なし。

ひとくちサイズの穴子の棒鮨も、穴子のふっくら感が維持され、味付けも濃すぎずタレも素材の味を邪魔していない。

印象的だったのは、手前右の竹筒に入った和え物。イクラ、じゅん菜、それにタピオカ。タピオカは、ココナッツミルクに浸されたデザートしか知らないので、食べる前は、期待どころか、気色悪いなあと感じていた。ところがどっこい、じゅん菜の食感とタピオカの食感が互いに相乗効果を発揮して悪くない。悪くないどころか、イクラの塩味が、それらのプルプニュ系にまとわりついてエロティックな味がする。気に入った。

美味しいモノをいつも「エロティックな味」、「官能的な味」としか表現できないボキャブラリーを反省。

その後、餡がかかった茄子まんじゅうとかサラダ仕立ての薄切り牛肉などを食べて、締めは、昆布を練りこんだ冷たいそばをゴマだれで食べた。

涼しげに彩られた夏の食材、実に良かった。

正直に言うと、この「とんぼ」を訪れるのは、いつも何を食べようか決められない時ばかり。私の場合、寿司が食いたい、肉が食いたい、中華が食いたいといった感じで始めからその日の食べたいものが決まっていることが多い。

おいしいと分かっていても、何が出てくるか分からない割烹でのコースは、つい選択肢から外してしまう。でも、この店に来ると、成り行き上、結構な量の野菜も摂取するし、身体に良くて美味いのだから、もっとマメに顔を出そうと思う。

2008年7月16日水曜日

挿入と白衣

旧友が集まった時の話題は、年代によって劇的に変わる。若いうちは、どれだけ進歩的な遊びをしたか、もう少し時代が過ぎれば自分が手がける仕事の話や異性関係、その後は結婚とか離婚、子育てとか年相応に変化する。

40歳も過ぎれば、リストラ話や親の葬式話などのシメっぽい話題も出てくる。それとともに「不健康ネタ」が、がぜん中心的なテーマになってくる。

二十代の頃は、バリウムを飲んだだけで、ちょっと自慢?できた。その後、徐々にテーマは拡大。血圧や尿酸値、コレステロールといった成人病的な言葉が身近になるにつれ、“プチ自慢”もランクアップする。

「この間、胃カメラ飲まされちゃってさあ」とか自慢げに語っていられるのは三十代まで。中年の域に入ると、CTとかMRIあたりをこなす連中も増えてくる。中途半端なネタふりは、かえって相手のプチ自慢を誘発する。

「最近、不整脈がやっかいでさあ」とふってみたら、「オレなんかニトロが欠かせないんだよ」と返されるようなパターンだ。

「目がかすむようになって不便だよ」と言おうものなら「オレみたいにレーシックやればいい」と切り返されるパターンもある。

確かに目玉をむき出しにしてメスを入れるわけだから、“プチ自慢”としては高得点だ。

なかには、「痛風の一歩手前で節制中なんだ」と尿酸値系の話をしているのに、「オレさあ、来月、脳の手術しなきゃならないんだよ」とか、話の整合性なんかお構いなしに、いかに自分の不健康が“先進的”であるかを語ってくる輩もいる。

まあ、そんな段階はまだ可愛いわけで、老人レベルになるともっと凄いらしい。「胃の大半を取っちゃったんだ」とか検査どころではない話で盛り上がる。おまけに数日前に一緒に飲んだ友人が死んじゃったとか、洒落にならない事態も平気で起こるらしい。

そう考えると、大して深刻でもない中年の不健康自慢は、ませた子供が背伸びしてアレコレ語っているようなものだろう。

私の場合、1年に1~2回、内視鏡検査を心掛けている。胃と大腸をセットで診てもらうのだが、胃カメラよりも、お尻にカメラを突っ込まれる大腸内視鏡の方が、友人連中に“自慢”できる。

胃カメラ経験者は多くても、お尻カメラは未体験者が多いため、その経験談は私の格好のネタかもしれない。

とはいえ、経験談といっても、実はほとんど記憶がないのが実態だ。私がお世話になっている京橋のクリニックは、検査前に腕からの採血と同時に変な薬物(強い鎮静剤?)を注射する。薬のせいで、ほぼ気絶している状態ですべての検査が終了する。

だから全然苦しくないし、痛くもかゆくも恥ずかしくもない。おまけに、注射された変な薬物が効いてくるときのフワーっと気が遠くなる感覚はクセになる。

意識して抵抗を試みても、少しずつ、落ちていく、というか飛んでいくような感覚。どう頑張っても抵抗虚しく気を失う。

検査終了後、小一時間経ってから起こされるのだが、そのあとも数時間はフワフワしている。

かつて、いい気持ちで気絶中に、検査中の医師から大声で呼ばれ続けて起こされたことがある。「結構大きめなポリープがあるけど、いまついでに切っちゃう?」と聞いてくる。

こっちは意識もうろう状態なので、フンガフンガと声を出したが、まともに返事ができなかった。

検査中に内視鏡に付いているメスでポリープをカットできるのだが、カットする大きさによっては、その日以降しばらく断酒を強要させられ、旅行も控えなければならない。

だから医師は確認してくれたのだが、結局、私のフンガフンガは解読してもらえず、別な日に改めてポリープ切除を仕切り直すことになった。

あの気絶注射がまた味わえると喜んだのだが、検査日の早朝に大量に下剤を飲まなければならないことを忘れていた。検査よりもそっちの方がキツいので、やはり1回で検査も処置もやってしまった方がいいだろう。

余談をひとつ(このブログ全部が余談みたいなものだが・・・)。このクリニックで検査される際は、紙のトランクスをはかされる。
特徴は後部、すなわちお尻の部分が大きく開いていること。お尻にカメラを挿入!するわけだから当然だが、これが何とも変な気分。

まだ気絶注射をうたれる前の段階で、若い看護婦さんに「こちら側を背にして横向きに寝てください」と指示されると、やはり恥ずかしい。うら若き白衣の天使を前にイジイジする。

「恥ずかしいからこそ快感・・・」。ついつい変な結論に達する。

話がおかしい方向に行きそうなので、この辺にしておく。

2008年7月15日火曜日

亀の手とギロッポン


「亀の手」を食べた。ごわごわした腕の先にツメらしき部分がしっかり付いている。見た目のおぞましさは相当なものだ。

ツメ部分ではなく腕の部分をむしると、簡単にはがれて、中味が登場する。おそるおそる食べてみる。子どもの頃に飼っていた亀の水槽が臭くなったときの臭いを想像して、鼻呼吸を止めて、臭いをシャットアウトしながら、びびって口に放り込んだ。

食べてみてびっくり。とても美味しい。あとを引くうまさで次から次に、腕をむしり続けてしまった。

ここまで書いてから正体を明かすのもインチキだが、この「亀の手」、フジツボの仲間の貝類で、日本中アチコチで採れるそうだ。見た目はまさに亀の手。そのまんま。

味が濃い。蟹と海老のような風味と貝類独特の甘みと渋み、そして磯の香りが混ざり合ったような味で、酒の肴として最高。ビール、焼酎、日本酒何にでも合いそうな味。あとで聞いたら、スペインあたりでは人気の食材で、白ワインとの相性がバッチリだという。

この日、新橋の「Y」鮨に誘っていただいた年配の知人の好物だそうで、私も一発で気に入り、結局、我々の前に亀の手は大量に盛られた。

仕事上のやたらと難しい話を長時間にわたって続けていたため、ずーっと、亀の手だけが酒の相手。いま思えば不思議な光景だったかもしれない。

その後、話のヤマ場を越えたら、ゆでたての毛ガニが登場。かなり大型の毛ガニだったので、知人と半分ずつ堪能。健康上の理由からカニミソは全部もらえた。素晴らしい!

この日のお相手は、生もの嫌いで、結局、亀の手とカニだけで呑み続けた。握りを注文するタイミングを逃したまま、移動することになった。やはり人様のテリトリーでの過ごし方は難しい。

 

なぜか向かったのは六本木のケントス。オールディーズのライブハウスとしてはもはや老舗の部類だろう。想像以上に賑わっていてびっくり。ハヤリすたりの激しいこの街で、専門性の強みを感じさせる。

でも、はるかに年長のオジサンとともに、「BE MY BABY」とか「カラーに口紅」とかをウットリ聞いているシチュエーションが少し不気味だった。

でも酒の力って偉大で、そんなシチュエーションでも酔っていると楽しい。

せっかくなので、ついでに、クラブ活動にお連れしようと、久しぶりに「G」に顔を出した。

ご一緒だった知人は、それこそ銀座の大ベテランで、六本木的なクラブは居心地があまり良くない様子。私はそれなりに楽しく痛飲。3か月ぐらい前に顔を出したときは、ちょっと寂しげな空気が漂っていて六本木の凋落を感じたが、この日は活気があって、大箱に分類されるこの店も大賑わい。

まさか“ポッポ、ポッポ”の「ギロッポン」の大ヒットが影響しているとは思えないが、客層がみんな「鼠先輩」みたいに見えてしまったのも事実だ。

「G」を適当に切り上げ、知人を見送ったら、ひとり徘徊をたくらんでいたのだが、知人の誘導でもう一軒近くのバーへ。ここで赤ワインなんぞを勧められるままに飲んでしまい、ちょっと記憶が飛んでしまった。

巨人の二岡みたいにベロベロになってしまった。

2008年7月14日月曜日

キモとプリン体

冬場に過剰摂取するキモとか魚卵を、最近は今の時期に結構食べてしまっている。危険だ。尿酸値が危ない水準に達しているかも知れない。

先日は、中華料理店で美味そうなピータンが出てきたが、我慢した。こういうマメな我慢は大事だが、逆にこの我慢が次の日の油断につながる。

「昨日は、キモやタマゴ類を食べなかったから、今日は安全日だ」。結局、大量にイケナイモノを食べてしまう。

先日も、昼に食べた冷やし中華のキンシタマゴだけを残した。涙ぐましい自分への褒美として、夜はイクラとかウニ、アワビの肝をかなり食べてしまった。

最近、食べた珍味類の中で抜群に美味かったのが、キンキの肝。いわば「キンキモ」だ。新鮮なキンキの肝をアンキモのように蒸して出された。とろける食感とジュンワリした良質の脂、そのくせ、後味が非常にサッパリしていたのが特徴的。くどさが全然ない。写真を撮り忘れてしまったが、見た目は小ぶりのアンキモのような感じ。

思えば、どんな魚にも肝はある。鮎、サンマあたりの肝が定番だが、鯛やヒラメだって上等な肝をもつ。料理段階で捨てられてしまうことが多いようだが、もっとポピュラーな酒肴として認知されて欲しい。

キモと並んで私の好物が魚卵の皆様。タラコ、イクラ、スジコ、カニの内子とか外子、カラスミやタコの卵とか鯛の卵とか、たいていの魚卵は私を幸福にする。

先日、隣で飲んでいた見ず知らずのお父さんは、しきりに私に「イクラにはプリン体がないんだよ」と語りながら、イクラを何回も頬ばっていた。ことの真偽は分からないが、少なくともコレステロール値が高いのは間違いない。油断はできない。

魚卵の中でも国民みんなの人気者がイクラだ。サザエさん一族にもその名が連なるほどだからスター級だ。

秋から冬にかけて、塩漬けにも醤油漬けにもしていない生のイクラが食べられる。チョロッと醤油をたらして食べると、まさに生卵の味。上質な生卵の味が口の中で一粒ずつ弾けるのだから、官能的、エロティックな味わいだ。

素の状態のナマいくらはそうそう食べられないが、近年の冷凍技術のお陰で1年前のイクラだって店によっては十二分に美味しい。結局一年中食べてしまう。健康には悪い。でも好みの味付けの醤油漬けに遭遇したら、健康がどうとか言ってはいられない。

イクラと同系列のスジコとかマスコも酒呑みには堪らない。酒の席で、いろんな肝といろんな魚卵が並んでいたら、他に何もいらない。正確に言えば、色っぽい女性もセットだったら何もいらない。

実は近いうちに、函館に行く予定だ。1年に一度か二度必ず、珍味攻めに行くのだが、この季節はイカのゴロ(ワタ)がとくに楽しみ。

これから数日、東京での夜は、野菜とやらを多めに食べて、珍味系を我慢してみよう。その欲求不満を函館にぶつけようと思う。

2008年7月11日金曜日

散歩

趣味というには大げさかも知れないが、私は散歩が大好きだ。とくに夏の炎天下に汗ダラダラで歩き回るのが楽しい。

潜水旅行もせいぜい1年に2回ぐらいしか行かなくなり、30代の半ばまで結構真面目にやっていた草野球もメンバー全員の衰えにより活動休止中。

一応エースピッチャーだったので、メンバーの誰よりもカロリーを消費していた。健康のためにも、また再開したいが、きっと今度は骨折とか心臓麻痺とかのリスクが高まりそうだから無理かも。

散歩とはいえ、運動不足解消にそれなりに役立つ。私の場合、最低1時間は歩く。猛暑の中だと、プチ熱中症にもなる。

先週末は、散歩後、猛烈にだるくなり、短時間のうち水を2リットルぐらい飲んだ。それでも喉の渇きがおさまらずに困った。

腰痛持ち、ヘルニアンな私が散歩の際に気をつけているのが、道路の高低。歩くときは道のどちらか一方に寄っているわけだが、気付かないようで道路には高低がある。

水はけのために道路の両サイドは低くなっており、真ん中を歩かない限り平坦ではない。どちらかに身体を微妙に傾かせて歩いているわけで、腰や膝に悪い。

左側をしばらく歩いたら、同じぐらいの距離を今度は右側に寄って歩く。こんな涙ぐましい努力をしながら散歩をしている。

散歩は知らない場所がとくに楽しい。住宅街であっても、初めて歩くと、色々な家があって飽きない。軒先に飾られた花、置かれている自転車の様子、無造作にころがっている子供用グッズなんかを見ながら、住人の姿を勝手に想像するのが面白い。

古い町だと住宅街の合間にも結構由緒ある史跡が混ざっていたりして感心する。何百年も前に同じ場所で人々が行き交っていたことを想像するのも面白い。

先日、目白方面を散歩した。自宅から割と近いので、ジグザグに住宅街を放浪して迷子になりかけながら歩いていたら、「目白庭園」という看板と立派な門構えが目に入った。

入場料が無料だったので迷わず突入。回遊式庭園というジャンルらしく、池にそってさくっと一周してみる。さほど大きくはないが、静かでゆっくりした時間が流れている。

昔のエライ人の屋敷跡かと思っていたら、公務員住宅の跡地にわざわざ作ったらしい。豊島区もなかなか粋なことをする。

「目白」と聞くと高級住宅地としてのイメージがある。ただ、「豊島区目白」と「文京区目白台」には、知る人ぞ知るビミョーな格差?が存在する。

5年ほど前、私は新宿区民から豊島区民になった。「目白」をめぐる文京区と豊島区の“覇権争い”では、やはり豊島区を応援しないといけないだろう。

ちなみに、幼稚園から高校まで同級生だった男がなぜか文京区の区長をしている。サンシャインとかビックカメラとか騒々しいものは文京区にあげるから、目白台とか小日向や六義園なんかを豊島区に寄こせと今度会ったら陳情してみよう。

2008年7月10日木曜日

銀座 池澤

銀座8丁目といえば激戦区という言葉がつきまとうエリアだ。BAR激戦区、クラブ激戦区、そしてなんといっても寿司激戦区として有名だ。

キョロキョロ見渡すと寿司屋だらけ。高松市内のうどん屋より密集している。池袋の風俗店よりも密集している。大久保界隈の焼肉屋ぐらいの密集度かもしれない。

それぞれの寿司屋がこの界隈に店を構える独特の矜持を醸し出しているようで、なんとも興味深い。いろいろな店を覗き歩きたいが、やはり一見の店は何かと居心地が良くない。

つい何度か訪ねた店に足を向ける。カウンターで職人さんとマンツーマンで対峙する世界だけに、少しでも店の空気が分かっている方が快適だし、結果的に正解なんだと思う。

インターネットの世界では、食べ歩いた店の印象をアレコレ書き連ねている人が多い(私もだ・・・)。でも、ほんの一度、ランチをサクっと食べた印象だけで、お店のすべてを判断するような書き込みが多くて興ざめだ。

ラーメン屋の寸評じゃああるまいし、まっとうなお鮨屋さんをそうしたノリで評価するのは間抜けだろう。

どんな店だって客との相性はある。その相性だって一度行っただけでは判断できない。私も随分いろんな店に行ったが、他人の評価は私の評価ではない。味は抜群でも再訪する気にならない店は無数にあった。

さて前振りが長くなった。銀座の「鮨・池澤」。昨年、7丁目から激戦区・8丁目に移転した気持ちの良いお鮨屋さんだ。

3年ぐらい前だったか、雑居ビル地下にこじんまりと佇む風情に誘われて飛び込みで覗いてみた。お鮨屋さんには一人で行くのが好きな私にとって、小ささは居心地の良さであり、たまに訪ねるようになった。

移転後、ぐんと綺麗になったせいか、飛び込みでは入れないこともあるが、席に空きがあれば、気持ちのいい時間が過ごせる。素直に旨いものがキッチリ揃ってるし、お酒も結構な品揃え。

何より、押しつけがましいところがない。客に気持ち良く飲み食いさせようという気配りが有り難い。どっちが客だか分からないような勘違いオヤジの店に見習って欲しい姿勢だと思う。こういう空気感は私にとって店の評価を大きく左右する。

「池澤」に行くと居心地の良さに甘えて、いつも酔っぱらってしまい(どこの店でも酔っているが)、食べたものを忘れてしまう。サービスしがいのない客だと思う。

この日、いくつかの旨い刺身、握りの他に、珍味好きの私は、ウニの海水漬け、アンキモ、明太子の干物を食べた。今年はこの時期に旨いアンキモに当たることが多く、「池澤」のアンキモもいい感じにコッテリしていて酒が進んだ。

明太子の干物は初体験の珍味。一見、鮭トバのようで味わいはどことなくカラスミにも似ている。正体を教えてもらうまで明太子だと分からなかった。この手の知らないものに遭遇するからお鮨屋さんのカウンターは楽しい。楽しいせいで私の尿酸値は上がり続ける。

この日呑んだ焼酎もインパクトがあった。白とか黒とかで有名な焼酎「佐藤」の変わり種で、ラベルの色から名付けるのなら「佐藤の茶」。ドリフのような名前だ。

芋焼酎ではなく麦焼酎なのだが、香りと味が普通の麦焼酎より非常に強く、お鮨屋さんの料理には、むしろ芋よりも合っている気がした。

快適で美味しい店なので、もっと真面目に訪れようといつも思うのだが、気がつくと数ヶ月もご無沙汰してしまう。私が大好きなこの店独自のカラスミも今年は一度しか食べなかった。

近いうちにまたいかねば。赤酢を使ったほんのり色づいた旨いシャリももっとガツガツ食べたい。

2008年7月9日水曜日

スマートに呑みたい

先日珍しく明け方近くに帰宅した。酒好きとはいえ、さほど酒が強くない私は、基本的に銀座に行こうが六本木に行こうが、だいたいシンデレラのように帰路につく。

多くの店が午前0時で店じまいなので、シンデレラだ。シンデレラといっても、靴は忘れない。その時間には足がむくんでるのでスポッと脱げることはない。

もちろん、馬車もない。タクシーの後部座席でシートベルトに緊縛されて苦しみながら帰宅する。富豪と名乗るからには、ショーファー付きのリムジンに乗れるようにならねばイカンと思う。

さて、深夜まで呑んでいたのは、銀座の8丁目にある小ぶりな店「H」。たまに顔を出す程度だが、かれこれ5,6年前から知っている気分のいいお店だ。

高級クラブというわけではない。お値段もさほどではないが、ママさんの人柄か、客層は落ち着いた真面目そうな人が多く、ほんわかムードだ。

その日、比較的遅い時間に顔を出し、閉店後、従業員の帰った後にママさんと黒服のチーフと痛飲してしまった。

ここのチーフとまともに話をしたことがなかったので、いい機会だと思って、あーでもないこーでもないとお互いガバガバ呑みながら気分のいい時間を過ごした。

黒服歴はもう40年近くになるというだけに、彼の話題はそれなりに豊富で飽きさせない。水商売の人間模様、お客さんの人間模様、あれやこれやとうなずく話が多くて面白かった。

といいながら、翌日になったら多くの話を忘れてしまうところが私のダメな点だ。考えてみれば閉店後にいつまでも帰らないなんて迷惑な客だ。でも3人とも酩酊。延々と話も途切れず騒いでいたので、みんな楽しかったはずと決めつけておこう。

スマートに酒を呑むことはつくづく難しい。

2008年7月8日火曜日

スケベ心とSM


色を好むのは英雄ばかりではない。男なら誰だってスケベ。スケベ心の源が繁殖目的である以上、スケベでない男は、バイタリティーや活力に欠けるダメな生き物かもしれない。

だいたい、コウノトリに運ばれてきた人間など私の周りにはいない。誰もがエッチな行為を経てこの世に誕生したのだから、男だけでなく、女性だって同じようなものだろう。

さてさて今日は何を書きたくて書き始めたか分からなくなってきた。日頃、スケベ心を全開にしたり、抑制したりと何かと忙しい私だが、いつも思うのは、世の中の大半のことがスケベ心によって影響されているという話。

異性にモテたい。多くの人間が子どもの頃からこんな思いでアレコレ努力する。
容姿、身に付けるもの、趣味嗜好をはじめ、出世したい、カネを稼ぎたいといったモチベーションに至るまで、異性を意識したスケベ心に支配されてしまうことって想像以上に多い気がする。

とくに男の場合、神に誓ってこれを全否定できる人がいたら、私はその人の弟子になって修行したい。

世界中どこでもどんな分野も似たりよったりかもしれない。そう考えるとスケベパワーが世界を牛耳っているわけで、つくづく面白くて恐ろしい。

にもかかわらず、世の中では、道徳的観念、宗教的観念、倫理的観点などさまざまなカベがスケベ心にオブラートをかぶせて本質を隠している。それがまた切なくて面白い。

男も女も開けっぴろげにセックスにオープンであることを恥ずかしいことだと刷り込まれている。これこそが営々と続いた文明の凄さなのだろう(ちょっと大げさか・・・)。

女性を口説きたい気持ちがモリモリの時、スケベ心にかぶさってしまうオブラートは実にクセモノだ。私の場合、というか多くの人の場合、「大人だから」、「紳士だから」、「理性的だから」、はたまた「変態だと思われたくないから」というよく分からないオブラートが破れずにスケベ心が鎮圧されてしまう。

「遊びだったらイヤ」とか「お兄ちゃんみたいに思っていたのに」とか、女性からの屁理屈がオブラートになって、そのカベを突破できずに玉砕することもある。

まあ「お父さんみたいに思っていたのに」と言われるようだと、その年齢差自体が犯罪だが・・・。

「そんな人だとは思わなかったわ」、「そんなことする人だったなんて・・・」というトンデモナイ禁じ手によってカベを作られてしまい、敗北することもある。こんなことを言う女性はロクデナシだ。悪いヤツだと思う。男はみんな「そんな人」であり「そんなこと」をしたがる。

そのほかにも「オレは責任をとれるのだろうか」と考え込んで自滅してしまうこともある。

本来、スケベエネルギーは本能的なものであり、四の五の言っても始まらないのだが、四の五の言ったり、言われたりすることで、世界中の秩序が保たれている。

切なくて、もどかしくて、バカみたいだが、社会正義のために必要なことなのだろう。

ところで、いつの頃からか、SとかMの分類が普通の酒飲み話として認知されるようになってきた。

「私ってドSだし・・・」とか「どちらかといえばMなんですう!」とか、やたらと明るいネタとして使われている。

この手のSM話は、性癖ではなく、単に性格を表わす例えとして使われている。とはいえ、間抜けな私は、こういう話をしている女性のS姿やM姿を瞬時に想像してドギドキする。変態みたいだ。

でも、本当のS、本当のMって一般人(私もです)が思っているより遙かにディープな世界に足を踏み入れている。

ホンモノの人々に聞くと活字にできないくらい凄い。ある意味、精神世界の極みにたどり着いちゃったような感じ。

気軽な酒飲み話としてのSM論とは次元が違うみたいだ。

酔っぱらって「私ってSとMの両方をもってるかも~」とかはしゃいでいる女性がいる。それはSでもMでもない。ただのエロです。

ちなみに冒頭の写真は、とあるお店でオサワリオヤジの現場をとらえた報道写真です。

結局、今日は何が書きたかったんだろう。

2008年7月7日月曜日

消費税はお金持ちの味方?

20年.人間でいえば成人になる頃合いだ。何かと話題の消費税は今年、法案成立から20年を迎える。

導入当時の大騒動をつい最近のように覚えているから、月日の早さにびっくりする。当時、駆け出し記者だった私は、消費税の施行前後にあちこちの現象を取材していた。

国税庁幹部との会合の席に、当時は物珍しかった携帯電話が用意されていたことが印象的だった。その会合は、確か消費税の施行前日あたりの夕方から行われていたが、国民の間に強烈な消費税アレルギーが蔓延していたため、行政当局のピリピリ感も強かった。

当時の携帯電話は、それこそ携帯するのに大変な大きさで、まさにショルダーバックのようなサイズ。重そうに肩に抱えた末席の国税庁職員が、緊急事態対応のため幹部用に待機。妙に物々しかった。

あれから20年。消費税はすっかり税制の柱のような存在感だが、導入時の印象もあって税制論議の際には、いまだ永田町界隈では“鬼っ子”的な位置付けだ。

いま消費税の税率を上げる上げないの議論が沸騰中だ。遠からず避けられない税率アップよりも、生活必需品への軽減税率とか福祉目的の特定財源化がどうなるかといった部分が、今後の注目点だ。

ところで、消費税アレルギーの話を書いてみたい。制度の特性から当然ではあるが、消費税アレルギーが強いのは低所得者層や零細事業者。高所得者層にとって消費税はさほど嫌悪の対象ではない。

お金持ちと同じ商品を買っても税額が一律なわけだから低所得者層にとっては面白くない。

もちろん、高所得者層は、低所得者層が買えない商品を買ったり、高額な消費行動をするわけだから、支出に見合った消費税を負担している。

一律課税。消費税の特徴であるこの部分は、高所得者層にはウケがいい。クルマを買う場合でも、100万円のクルマと2千万円のクルマを買うのであれば、おのずと消費税の負担額には差が出る。一律課税、一律税率でも充分に所得の違いによる税負担の差が生じるという感覚だ。

高所得者層から見れば、一律税率は充分公平性は保たれている。ところが、低所得者層にとっては不公平に思えるようだ。すなわち、金持ちが2千万円のクルマではなく100万円のクルマを買ってしまえば、自分達と同じ消費税額で済むため、低所得者の負担の苦しさの方が大きいという理屈だ。

公平、不公平というより、“痛税感”の問題がまぜこぜになって話をややこしくしているように思える。

土地の所有者にかかる固定資産税だって、基本的な税率は同じでも、広さに応じて、負担額は変わる。小さい土地しか持っていない人が、大地主に比べて不公平だとは言わないわけだし、一律税率が不公平だとは思わない。

そもそも、所得税や相続税の世界は、累進税率という考え方が当然のように支配している。収入や資産に応じて税率が段階的に上昇する仕組みのことだが、この「当然のような」仕組みこそ疑問を持つべき対象かもしれない。

「富の再配分」という大義名分のもと、たくさん稼いだ人、たくさん遺した人から、他の人より高い割合で税金をとる発想は、どこか罰則的に思える。

極端にいえば、必死に努力して稼いだ人の富が、ぐうたらなプータローにまで配分されるのでは、稼いだ人は堪ったものではない。

自由主義経済、資本主義経済といっても、行き着くところが「富の再配分」とかでは、どこか気持ち悪い。

旧共産圏の東欧諸国では、所得税や法人税に一律課税を採用する国が多いという。なんか皮肉な話だ。

高所得者層が消費税に理解を示すのは、今まで書いてきたような「公平性」が分かりやすいためだ。

ちなみに、だいぶ前だが、日本の税制をすべて一律税率にした場合、税率は7~8%程度でまかなえるという話を旧大蔵省幹部から聞いたことがある。

国民の猛反発を恐れて、消費税の税率引上げをなかなか打ち出せない政府・与党だが、所得税などの一律税率化をセットで打ち出せば、中堅・高所得者層からは、反対どころか大いに支持されると思う。

2008年7月4日金曜日

面食いか否か

「面食い」って良く考えると凄い言葉だ。「面」は顔つきという意味合いもあるが、それを「食っちゃう」のだから迫力のある言葉だと思う。

見た目が一番、美人が一番、イヤなやつでも顔が良ければOKって感じで、なんだか薄っぺらいが、誰だってブサイクを好むわけはない。そういう意味では誰もが、いや、私も面食いだろう。

面食い指向は人間界の話であって、私がカメラを向けてしまう水中の被写体は、変な顔が中心。

魚に美人とかイケメンがいるわけでないが、“魚の王道顔”である、マグロやアジ、タイといった分かりやすい顔つきをしている連中より、「なんでお前はそんな顔に生まれたんだ!」と言いたくなるような魚が好きだ。

最初の写真は、スプレンデッド・トードフィッシュという日本にはいない魚。これはメキシコのコスメル島で撮影。カリブ海でもこのあたりの固有種らしい。

一時期、カリブ海にはまってアチコチ出かけたが、この島には、とぼけた顔のトードフィッシュを撮りたくてはるばる旅をした。

チャーターした現地の水中ガイドが見つけてくれたが、私のために、岩陰に潜むトードフィッシュを砂の上に引きずり出し、全身の撮影もできた。でもコイツはやっぱり変な顔にこそ意味がある。口の下の髭のようなものは何のためにあるのか不思議だ。

オレンジっぽい岩のような魚は「カエルアンコウ」。一般にイザリウオという名で知られていたが、昨年、名称が差別的だとして魚類学会によって変更された。

アンコウの仲間なら、自分のことをカエルと呼ばれることだって差別のように思う。

口をちょっと開いていたお陰で、なんとか魚だということが分かる。実にブサイクだが、結構つぶらなヒトミだったりする。この魚、いつもドシッと周囲に保護色のように溶け込んでおり、動きもノシノシって感じでファンが多い。

ギョロっとカメラ目線をしてくれたカエルウオ。ブサイクというより、青と白のツートンで目玉も大きく、可愛い顔と言った方がいいかも。この魚、全長4センチぐらいなので、カメラのアングルを1センチ、2センチ変えるだけで、まるで違った表情が写せるので楽しい。

物陰からそっとこちらの気配をうかがうのはシャコの仲間。この顔だけは好きになれない。仮面ライダーとかに出てくる強い悪役のような面構えが恐い。だいたい顔だかなんだかよく分からない。

かろうじて不気味な目玉があるせいで、顔が認識できるが、表情はなく、殺人鬼のようだ。こんな顔でこっちに向かって突進してきたら失神しそうだ。

恐いから仲間もろともツメだけはがして食ってやった。というのは冗談で、話は脱線して先日食べたシャコツメの大根おろし和え。画像をついでにアップしよう。爽やかな夏の風味です。

軌道修正。魚にも表情がある。水中写真を撮っていて思うのは、やはり、接近撮影の際は、相手の表情が警戒心に満ちていること。柔らかい表情を写し込むのはなかなか難しい。

シュノーケリングしながら見る魚とタンクをつけて泡をゴボゴボ出している時に見る魚とでは、かなり相手側の表情に違いが出る。

2本の白いツノのようなものが頭についている魚はギンポの仲間。愛らしくもとぼけた顔つきで私の好きな魚のひとつ。天ぷらネタの定番だが、私の場合、いつも食べながら生きているときの顔を思い出して気の毒がっている。

このギンポもカメラに驚いた表情をしている。シャッターを切った瞬間、至近距離でモロにストロボを浴びせるわけだから、彼にすれば虐待されたような気分だろう。

遠くからでは海底に漂う落ち葉のようにしか見えないのがツマグロオコゼという魚。あまり動き回らない魚の多くが、周囲に保護色で同化しているか、何かに化けてジッとしていることが多い。

この手の“息を潜めて何かのフリをしているヤツ”を見つけて、しつこく撮影するのが私の悪い趣味だ。

私に見つけられた魚連中は、気のせいか「どうしてバレちゃったんだろう」という不満そうな顔をする。なかには、自分の変装の未熟さに恥ずかしそうな顔をするヤツもいる。

このツマグロオコゼもよーく見てもらうと、画面真ん中やや下にある目とその下の口元の様子から、彼の敗北感が読み取れる。
「変装には自信があったんだが・・・」。そんなことをつぶやいているみたいな気がする。

2008年7月3日木曜日

VIPの気分

サミットの関係でやたらと都内でも警備が物々しい。世界のVIPが北海道以外にも来るわけだから仕方ないのだろうが、つくづくメイン会場が洞爺湖で良かったと思う。

北海道の人には迷惑だろうが、やはり東京であんなものを開催されたら物騒でたまらない。初期のサミットは平気で東京のど真ん中でやっていたことを思い返すと、当時の平穏な社会状況が懐かしい。

VIPといえば、私もひょんなことからVIP体験をしたことがある。

中国通の某VIPから、「遊びが大半だから一緒に行こう」と誘われ、中国の某都市に出かけた。言葉通りに解釈して気軽に出かけたが、よく聞けば、中国の地方政府の招待だそうで、随所にVIP待遇が用意されていた。

「遊びが大半」とか言われていた割には、やたらと行事が多く、地方政府トップとの会談なんかの席にも、なぜか私も同行関係者として参加していた。

地方政府主催の晩餐会にも一応、わけが分からないまま参加。豪勢な中国料理のフルコースが出てくるのだが、なんとも居心地が悪い。おまけにあちらの乾杯は、40度だか50度だかのアルコールの強い白酒が使われる。

この白酒の乾杯は、小さいグラスで何度もしつこくやらされる。おまけに乾杯相手に、こちらのグラスを逆さにして飲み干したことを見せる迷惑な習慣がある。

私の前に座っていた親父は、会話が途切れると、途端に乾杯攻撃を仕掛けてくるので、ゆっくり食事を味わえなかった。

VIP気分を一番感じたのが、クルマでの移動。人数の関係でリムジンではなかったものの、クルマそのものは問題ではない。パトカーの先導で信号を無視して突っ走る貴重な体験ができた。

渋滞が激しい場合、先導するパトカーは赤色灯を回して空いている反対車線にいきなり乗り入れる。我々の乗ったクルマもその後に続き、渋滞を横目にヒューと走っていく。

正直、興奮。ハイになっている姿を同行者に悟られないように平静を装うのに苦労した。

急に偉くなっちゃったりした人って、突然のVIP扱いに興奮してるんだろうなと変な想像をしてしまう。

安倍前首相なんて、ロクに大臣経験もないままトップに登って、政府専用機とかの主になったのだから、絶対に舞い上がったはず。きっとヨソの国で儀礼兵なんかを閲兵しながら、ウッシシ笑いをこらえていたに違いない。

日本で暮らしていると信号を無視して突っ走れるのは、救急車で運ばれるときか、逮捕されてパトカーで連行されるときぐらいだろうから、この体験は私にとっては印象的だった。

VIP気分の極めつけは、よく分からない地元のパレードをVIP席で見学させられたこと。

大きなイベントだったらしく、周辺の道路は全面通行止め。にもかかわらず、我々の乗ったクルマは、イベントのメイン会場に用意された観覧席までパトカーの先導で乗り付ける。

沿道に集まった大勢の人々の視線を浴びながらクルマを降りて観覧席に向かう。同行者についてきただけの私にとっては、異常にこそばゆい気分だ。

政治家とかスターさんって、きっとこの視線集中攻撃に喜びを感じるのだろう。でも、ある意味、大勢の人間の視線を全方位から受けるって結構恐い。

用意された観覧席には、なぜか私の名札までご丁寧に筆書きされてセットされている。
先方の事務方も、当地に何の関係もない私の肩書きに困ったらしく、私の肩書きは、なんと「東京」。これには笑った。

面白くもないパレードを寒空の下で延々見せられて正直辛かった。持っていた本でも読んでいようかと思ったが、パレードしている人々はVIP観覧席に向かって敬礼したり、手を振ってくる。しょうがないので、よく分からないまま私も一生懸命手を振った。でも、何のイベントだかよく分からないまま手を振っている自分が切なかった。

この時の中国旅行は、みんなで街に買い物に行くときでも私服警察官が2名くっついてきた。おかげで、ディープな裏道とかも安心して散策できた。

夜ぐらい気ままに遊ぼうと、ネオン街に泳ぎだそうとした私に、この旅に同行してくれたVIPが忠告。「われわれの行動は全部、公安が見張ってるので、ハメ外しちゃダメ」。結局、ホテルの近くのスナックでカラオケをうなって寝た。

束の間の私の模擬VIP体験。結論はひと言「窮屈」。

2008年7月2日水曜日

大物作家の器

器収集のなかでも、私の場合、骨董より現代作家物に興味があるため、知らず知らずに、いわゆる作家モノが集まってきた。

有名作家のなかでも、やはり人間国宝の指定を受けている人の場合、作品の価格も相応に高価になる。とはいえ、人間国宝になったから値が上がるというより、そこにたどり着くまでに既に大家と呼ばれている人しか人間国宝にはならないため、指定されるだいぶ前から既に高額になる。

もちろん、人間国宝の指定の有無に関係なく巨匠は巨匠であり、今年4月に亡くなった陶芸界の巨匠・辻清明氏の作品などは、そこいらの人間国宝作家の作品よりも高額で取引される。

所属団体とか様々な要素も絡むだけに、一概に人間国宝うんぬんで作品を評価するのは意味のない話だ。

最初の写真は唐津の大御所・西岡小十氏の作品。朝鮮唐津という様式のぐい呑みだ。手に持った重さ、掌への収まり、口に運んだときの質感すべてが計算された逸品だ。古唐津探求の第一人者であり、真摯な作陶姿勢で知られる。酒器といえども凛とした空気を醸し出しているからさすがだ。

次の写真は、凛とした風情とは一線を画す沖縄・壺屋焼の巨匠・金城次郎氏の作品。南国らしい大らかなタッチの絵付けが特徴だが、なかでも魚紋の個性には定評がある。金城次郎作品に出てくる魚は表情が優しい。笑っているような魚の表情が実に楽しい。

金城次郎氏は、琉球陶器界で初めて人間国宝になった人だが、いまは、沖縄本島・読谷村で息子さんとお孫さんが現役で作陶を手がけている。昨年、読谷村の工房を訪ねた際、まだ40歳ぐらいのお孫さんにお会いして、いくつか作品を見せてもらった。

代々続く路線を基本的には踏襲しているのだが、微妙に発色や絵付けの勢いに若々しさが感じられて印象的だった。

有名作家物としては、このほかにも練上げという特殊技法で人間国宝指定を受けた松井康成氏の徳利が私の密かなお気に入りだ。
アマノジャクの私は、練上げ手法を用いたカラフルな特徴的な作品ではなく、その技法を極める以前のシンプルな徳利を大事にしている。

無地の器肌にさりげない釉薬の流れがあいまって絶妙な“ワビサビチック”が味わえる。松井氏は、若くして茨城県笠間市内の古刹で住職を務める傍ら、境内に窯を築き、日本の古陶磁器研究に励んだ人。そんな時代の作品と思われる徳利は、いい感じで枯れていて、秋の夜長にひとり酒を楽しむのに丁度いい雰囲気。

続いてこちらも人間国宝の作品。清水卯一氏のぐい呑みだが、鉄釉の第一人者らしい微妙な釉薬の変化が素晴らしい逸品。上品な白い色合いの釉薬が優しく波を打ち、全体にふくよかなボリューム感を与えている。

実はこのぐい呑み。私が持っているぐい呑みの中で最も高価。大卒初任給より高い。個人的な記念に一念発起して購入。そんないきさつもあって今でも何かしらのお祝いの時にしか使わない。

そういえば、最近は何も祝うことがないので使っていない。

小さなこだわりだが、祝いの席や悲しいとき、それ以外にも正月とか、冬用、夏用など用途に応じて器を使い分けると結構楽しい。食器でそれを実践するのは何かと大変だが、酒器ならさほど難しくない。

酒を呑む行為にちょっとした演出を加えるだけで、一層味わいが増すのだから、酒器道楽は飽きずに楽しめる趣味だと思う。

さて、大物作家物の器は、これ以外にもアレコレ持っている。九谷焼の人間国宝・徳田八十吉氏の盃や花入れ、備前の人間国宝・伊勢崎淳氏の壺、白磁の人間国宝・井上萬二氏の壺など価格の関係で、巨大なものは買えないが、ちょろちょろ色々なものがある。

青磁の第一人者・川瀬忍氏の盃も私のプチ自慢の一品。ただ、あまりに精緻かつ薄いデリケートな作風ゆえに、眺めているだけで使ったことはない。「使ってこそ器」と考えている私にとっては、持て余し気味の一品だ。

ところで、最近は器好きの知人を家に呼ばなくなった。以前、備前の人間国宝・藤原啓氏の徳利を酔いにまかせて知人にあげてしまったことが原因。何年も経っているのにいまだ後悔は進行中。間抜けである。

2008年7月1日火曜日

かき氷とシンコ

このブログで酒を題材にすることが多いが、私は甘いものも好きだ。これからの季節はやはり、かき氷が嬉しい。

先日、目白の老舗甘味処「志むら」までかき氷を食べに出かけた。この店、九十九餅という甘さ控えめな上品な銘菓が有名なのだが、私にとっては夏場のかき氷の印象が強い。

変な話、値段が高いのがいい。かき氷を高価に設定するからには、ヨソとは違う頑張りを見せないわけにはいかないだろう。

「志むら」のかき氷は、平気で700円とか800円も取る。いまどきのサラリーマンのランチより高いのだから、逆に、かき氷好きな人には期待を抱かせるには充分。

名物のかき氷は「生いちご」。私は1000円出しても食べます。携帯の写真なので、実物の質感がまるで写せていないが、圧巻です。氷自体の食感が粗すぎず、なんともエロティック。肝心のソースが素晴らしい。

かき氷のいちご味といえば、例の真っ赤なシロップが定番だが、ここのは別もの。生のいちごをじっくり煮込んで作られたジャムのような状態。ジャムと表現すると甘ったるいイメージだが、食感がジャムのようなだけで、味わいは最高。いちごそのものの甘みと正しい酸味が一体になっている。大人のいちごだ。

3年前ぐらいからこの店のかき氷のファンになった私だが、実は「生いちご」と「アンズ」しか食べたことがない。

「アンズ」も酸味が決め手。こちらもシロップ状ではなく、ジャムのように粘りのあるソースが氷と混ざり合って、火照った身体を癒してくれる。

ここのかき氷、わざわざ食べに行く価値はあります。

さて、話は変わって、辛い方の話題。

先週、今シーズン初めて「シンコ」に遭遇した。言わずとしれたコハダの赤ちゃん。初夏の風物詩であり、寿司好きの私にとっては、人より早く味わいたいと例年虎視眈々と登場を待っている。

今年の初物は、高田馬場の鮨源本店で私の餌食になった。コハダを頼もうとしたとき、赤ちゃん登場を告げられた。

握りは1貫づつあれこれ頼むのが私の通常パターンだが、さすがに、シンコは2貫頼んだ。やっぱり赤ん坊は美味しい。

ひと口ふた口噛んでいると、幼児虐待のような後ろめたさを感じるが、それも束の間、あっという間に柔らかな旨味が広がる。いよいよ夏って感じだ。魚の旬で四季を感じられる日本人で良かったと大げさに感じ入ってしまった。

シンコが出てくれば、遠からず「新いか」が登場する。こちらも赤ちゃんだ。コウイカ(墨いか)の赤ちゃんが夏の一時期、珍重される。待ち遠しい。

こちらも噛み心地が特徴。素敵な女性の耳たぶを軽く噛む時の感触だ。よく分からない例えで恐縮だが、そんな感じ。

もっと違う例えをするなら、素敵な女性の下唇をそっと甘噛みするような感触だ。やっぱり変な例えしか思い浮かばない。いずれにしても“素敵な女性”であることが絶対条件。まあとにかく“なんかイケナイことをしている”的な変な高揚感がある。

美味しいものって結局はエロティックな味わいと同義語なんだと思う。