2008年7月31日木曜日

奥ゆかしい日本語の裏側

言葉の言換えやまどろっこしい表現が気にかかって仕方ない。これも加齢のせいだろうか。妙に「変な日本語」が気持ち悪く感じる。

先日もある店のレジでぴったりの金額を支払ったら「○×円丁度からお預かりします」といわれて驚いた。お預かりしてくれるのなら、返してくれなきゃおかしい。

「よろしかったですか」とか「大丈夫でしたか」も妙に気持ちが悪い。ガソリンスタンドで「灰皿のほうは大丈夫でしたか?」と聞かれる。言いたいことは分かるが、「何が?」と突っ込みたくなる。灰皿のほうって、どっちのほうだか分からないし、大丈夫かって聞かれても困る。

「お箸はよろしかったですか?」。これも凄い言葉だ。よろしいとかよろしくないという問題ではないだろう。

「焼き加減はミディアムレアでよろしかったですか?」なんて言われると、自分のことを見透かされているようで気持ち悪い。

そもそも日本語特有の“奥ゆかしさ”は、時にじれったい感じを受ける。個人的に嫌いなのは「禁煙にご協力下さい」という表現。「協力」といえば、あくまでこちらの意思に委ねられている印象がある。

「禁煙です」と言われれば「はいそうですか」と応じるが、「ご協力下さい」と言われれば「協力できません」と答えたくなる。

「~~させていただきます」というバカ丁寧な言葉もすっかり市民権を得た。これも一種の奥ゆかしさが背景にあるのだろうが、鬱陶しい響きだ。

言葉の言換えも都合よく使われている。単に不倫でスケベな関係が「不適切な関係」になる。そもそも「不倫相手」などといえば聞こえはいいが、平たくいえばセックスフレンドだろう。話は脱線するが、某有名国会議員が「セレブ」と「セフレ」を間違えたまま難しい顔で講演していたという笑い話がある。

そもそも「不適切」という日本語は「ふさわしくない」という意味。放送禁止用語などを使ってしまったテレビ番組が「不適切な発言がありましたのでお詫びいたします」としているが、あれも「ふさわしくない発言」という意味になる。

本来なら、使ってはいけない言葉を使ったことを詫びるべきだが、「ふさわしくない言葉」では、なんかピントがぶれる。

申告もれを大々的に報道された企業が「不適切な処理を指摘され・・」などと釈明しているが、あれも曖昧だ。直訳すれば「ふさわしくない処理」になってしまうわけで、ことの本質を隠す。あくまでデタラメ処理、すなわち脱税なんだから、悪意を必死にオブラートに包んでいるように聞こえる。

今日は暑さのせいか、愚痴ばかり書いているような気がする。

言葉の使い方ついでに、少しテーマをひねろう。マスコミ業界の言換えについて。

マスコミが特定の言葉を言換えるのは、差別的印象を与えかねない特定用語によるトラブルを防止しようという自主規制的要素に基づいている。

言換えをする基準は、言われた側が不快感や被差別的感覚を覚えるかどうかという点だ。

ただ、言われた側がそうした感情を持つことを百も承知で、差別的表現が平気で使われることがある。

デブやハゲがその代表だ。「体重調整が不自由な人」とか「毛髪育成が不自由な人」とは言換えない。不謹慎な例えだが、これがまかり通る現実には理由がある。

その理由とは「団体力」。大メディアが微妙な表現に気配りする際、団体の有無を気にする傾向にある。デブ連合とかハゲ全国会とかがあれば、抗議行動を嫌って、そうした表現は配慮されるが、組織の力がないなら、メディア側は安易に「不適切な言葉」を使う。

組織力、数の力を持たない階層の声は世間に通じにくいのはある程度仕方ないが、本来ならそうした部分にこそ配慮するのが、倫理であり正義だろう。モラルハザードが深刻な世情を考えると、団体力を持たない階層がキツい思いをする傾向は今後も強まるだろう。

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