2009年2月27日金曜日

禁煙の準備


そろそろタバコをやめようと考え中。2年ほど前に吸い出す前は、3年ほどピタッとやめていた。

3年もやめていたのに再び始めたことがチョット間抜けだ。でもオイシイのだから仕方がない。

他人様は分かったような顔をしてこんなことを言う。「しっかり禁煙生活を経験しているのなら、またやめられる」と。

逆である。私が禁煙に成功した時、どれほど七転八倒したか誰も知らない。あんなにもツラかった禁煙苦行にまたトライするのかと思うとゾッとする。

イライラはもちろん、火照りに倦怠感、脱力感が加わり、おまけにナゼか激しい咳こみや黒っぽいタンまで出てきた。

聞くところによると、ニコチンタールに慣れ親しんでいた身体の中が浄化を始めると、蓄積した悪い成分を体外に排出しようとするらしい。だから変なタンが出た。

呼吸器官なんかも同様で、うぶ毛のような細かい組織がタバコの有害物質でなぎ倒されていたのが、禁煙すると復活するらしい。倒れて寝ていた組織だか毛が起き始めて喉が痒みを感じて咳き込むのだという。

ホントかどうか知らないが、実際にそういう経験をした。なんとも苦しい禁断症状を突破して禁煙に成功したわけだ。

15で喫煙生活に入ってから、それまで一度もやめたことがなかった。若い時は1日4箱、それ以外でも1日2箱ほど吸っていたので、禁煙するには結構な勇気と根性が必要だった。

でも、あの時初めての禁煙トライに一発で成功し、その後3年間も無タバコ生活を実践できたのだから私の精神力もなかなか捨てたものではない。(今はスパスパオヤジなのでちっとも偉くはないが・・・)。

タバコをやめたところで、急に太るわけでもなく、味覚が敏感になったとも思わない。別に変わらない。ただ便利になったことは確かだ。

空港やホームの豚小屋のような喫煙スペースに入らなくて済むようになったし、機内や電車内でいらつくこともない。寿司屋のカウンターで周囲に気を揉むこともない。そういう点では非常に便利。

そして何より感動的だったのが、タバコをきらしたり、ライターを探したりといったくだらない心配事から解放されたこと。あれが一番印象的だった。

私がタバコをやめたいと思う時は、夜中にタバコをきらしたり、どこをさがしてもライターが見あたらない時だったりする。あんな小物達に右往左往させられることが腹立たしい。振り回されるのなら色っぽい女性だけでいい。

さて、私の計画では、今年の暮れには禁断症状から解放された状態でいたい。数ヶ月、ヘタをすると半年は禁断症状に苦しむ予定だから、初夏の頃には禁煙宣言しないと間に合わない。

いま、心の準備中だ。そして少しづつ、準備の一環で道具を集め始めた。前回は、ニコチンパッチがまるで効かず、ニコチンガムはオキテ破りの大量摂取で気持ち悪くなって吐いた。

今回はニコチンガムの適度な摂取と電子タバコの組み合わせを予定している。

電子タバコは、ヨーロッパ生まれのニクいヤツ。タバコに見せかけた模造品だ。充電式のタバコ状の棒に水蒸気を発生させる器具とミントとかグレープフルーツ風味のカートリッジをセットして使用する。

吸い込むと、いっぱし煙のようにモクモクと水蒸気が出てくる。味はパイポみたいな感じで、ちっともタバコっぽくはない。でも、異様に軽いタバコを吸っている人なら代替えになるかも知れない。

水蒸気とはいえ、煙が出てくるのは、パイポより100倍それっぽい気分になる。ニコチンガムを適正量の2,3倍口に放り込んで、この電子タバコを使えば禁断症状との闘いでもいい勝負ができそうだ。

でも、吸い込む時に先端がオレンジに光る機能がよく分からない。火がついているフリをしているのだが、誰に対して、そんなフリをしているのだろう。

吸っている側からは光っているのが見えないのだから所有者にはまるで意味不明。人に笑われるのがオチである。

ちなみに私が買った電子タバコは、「ミスモ」とかいう賞品。一番の売れ筋らしいが、結構高い。交換カートリッジを多めに買ったら2万円近い出費になった。

タバコを吸ってたほうが安あがりだ。

2009年2月26日木曜日

豚しゃぶ


豚しゃぶにはソバつゆ。5年ほど前から実践している。鹿児島に行った際、地元の黒豚料理屋で教わった“鉄則”だ。

わが家で豚しゃぶをする時は、昆布でダシをとったしゃぶしゃぶスープと、やたらめったら大量に用意する薬味のネギとソバつゆが必需品。私の変なこだわりは、ここで使うソバつゆは安いものに限るという点だ。

そこらへんで売っている「濃縮タイプのつゆの素」が一番。これをしゃぶしゃぶスープで割って、つけだれが見えないほどの大量の刻みネギを投入して楽しむ。絶対に旨い。

そんな豚しゃぶを定番にしている私が、わざわざ銀座で豚しゃぶを食べてみた。「ソバつゆと大量のネギ」がウリだという部分に興味をそそられた。

店の名前は「羅豚」。日航ホテルの地下に本店があり、御門通りを天ぷらの天国の方に行ったところに「はなれ」がある。

静かな方がいいので、ホステスさんとの同伴合流のメッカと化している日航ホテルに背を向けて、はなれを訪ねた。

「羅豚」と書いて「ラブ」と読ませる趣味の悪さはご愛敬だが、店の雰囲気は今どきの高級居酒屋っぽい感じではない。ちゃんとしている。仰々しくないけど安っぽくもなく、適度に使い勝手が良さそうな雰囲気。

黒豚と有機野菜がウリらしい。しゃぶしゃぶだけでなくアレコレ注文してみた。

「黒豚と有機玉葱のバーベキュー」。普通に美味しい。ただ、ソースが沖縄の安いステーキハウス風でちょっとうっとおしい。

季節のオススメメニューにあった焼き牡蠣も注文。食べそびれたが普通にまともそうだった。

芋焼酎のつまみに頼んでみたのが、黒豚ロースカツ。これも普通に美味しい。問題なし。まともなトンカツだ。豚が食べたい気分なら、他にも豚メニューがいっぱいあるので楽しめそうだ。

肝心の豚しゃぶ。結構これがポイント高し!。ネギが効果的に使われている点がいい感じ。画像のように、まさに「これでもかっ」ってぐらい、細切りされたネギが圧倒的な物量作戦で鍋を支配する。

豚しゃぶにはネギが基本姿勢の私には願ったりかなったりだ。これだけのネギを自宅で用意するのはかなり大変だろう。

たかが豚しゃぶごときで外食するのをためらうような人でも、このネギ作戦には降参だろう。外食じゃなければこんなネギ三昧は無理だろう。

豚しゃぶなんてものは、上等な肉屋で上等な肉を買って、家で飽きるほど食べるものだと思っていた私も、正直、してやられたって感じだ。ネギ鍋の黒豚和えといっても通用するぐらいネギがいい感じ。

ネギと並ぶ基本である「つけだれはソバつゆ」もこの店の看板。ところが、このソバつゆが私には今ひとつ。なんかイメージが違う。

生粋の東京人としては、もっと黒くてドカンとした味こそがソバつゆのイメージなのだが、この店は微妙に路線が違う。

例えるなら、京都で出てくる温かいうどんに使われている淡い琥珀色のお吸い物系。味が薄いわけではないが、醤油ガッツリの黒いソバつゆが好きな私にはピンとこない。

どうにも腑に落ちないので、別注でポン酢をもらってみた。でもポン酢で食べるよりは、中途半端なソバつゆの方がまだ旨いことに気付き、琥珀色ソバつゆに舞い戻る。

肝心の豚肉はバラとロースが半々。黒豚表示は偽装でないようで、ちゃんと健康な豚の味がする。素直に美味しい。

特筆すべきはやはりネギの存在。鍋一面にふかふかの絨毯のように敷き詰められているため、しゃぶしゃぶ肉を取り上げる際には大量のネギを道連れにできる。これが旨い。

おまけにネギ絨毯の効能は、味だけでなく、アクが出にくくなる点にもあるらしい。

肉に飽きたらネギだけをざっくり引上げてソバつゆとともに味わうのも一興。時間とともに煮込まれた状態になったネギもなかなか美味。

「豚、豚、ネギ」とか「豚、ネギ、ネギ」とか、「ネギ、ネギ、豚、豚」とか順番を変えると結構飽きない。

ソバつゆの味を差引いてもまた来たいと思えるレベルだった。

2009年2月25日水曜日

中年ロッカーの矜持

2月18日付のこのブログで書いた“師匠”のお通夜・告別式が終わった。50歳での最期だったので会葬者も若い人が多く、さすがに切ない。

故人の性格や生きざまからすると、湿っぽいセレモニーはもっとも似合わないタイプだった。かといって私のような凡人は型通りにお見送りするしかない。

仕事人間でありながら遊びも一生懸命だった故人を偲ぶ人達はまさに多士済々。故人のマルチな活動を裏付けるように、いろんな雰囲気を漂わせた人々が大勢集まった。

印象的だった人の話を書いてみる。故人は趣味でロックバンドのドラムを担当していたのだが、バンド仲間の一人がとてもユニークだった。

見るからにロックミュージシャン。50歳は過ぎているだろうが、ロッカー独特のオーラは喪服を身にまとっていてもプンプン。この人がとにかく良く喋る。

告別式のあと、火葬場でご焼骨を待っている間、すっかりロッカー氏は独演会モード。

「明るく楽しく送ってやろうよ!アイツに湿っぽいのは似合わない!」と故人をネタにした笑い話で周りの人を和ませる。

居合わせた人々は、ロッカー氏の様子にどことなく引き気味だったが、次第に彼に連られるようにそれぞれが故人とのエピソードを披露し始めた。いつの間にやらシンミリモードが和気あいあいの時間に変わった。

興が乗ってきたロッカー氏、しまいには、自分の風貌をネタにして待合室の空気を爆笑とともに一気に塗り替えた。

ほんの数十分前の喪主挨拶で悲嘆に暮れていた未亡人まであきれるやら大笑いするわで大忙し。

中年ロッカー氏の男気に拍手だ。正直、取っつきにくい風貌、本人が言うようにアフガンゲリラのようなオジサンなので一見近寄りがたい。でも優しい人であり、気配りの人なんだろう。

大げさに言えば、ちょっとだけハジけてるあの路線は、ロッカーとしての矜持だろう。ロックが不良や反骨の代名詞だった世代のロッカーだ。型破りとまではいかなくても、バンド仲間をただシンミリとありきたりに見送ることがどうにも腑に落ちないのだろう。

なんだかんだいって彼の“ロック魂”はなかなか素敵だった。御焼骨が終わり、ご遺骨を近親者が拾う時になっても、彼のおかげで場の空気は比較的和やかに流れる。

骨になってしまった場面って、やはり例えようのない淋しい気持ちが支配的になるのが普通だ。でもそんな空気も、ロッカー氏がいちいち癒してくれる。

「骨の量がスゲーなあ。ぶっとい骨がたくさん残っててアイツらしいなあ。実にお見事!」とか言いはじめる。周囲の人も同調し始め、いつの間にか皆さんの顔にも笑顔が見られるぐらいになった。

御遺骨を長い箸でつかんで骨壷に運ぶ収骨の際、たまたま私とロッカー氏が二人ひと組になった。ひとつのご遺骨を二人が1本づつ持った箸で共同で拾い上げるわけだが、元気だった中年ロッカー氏の手先は言動とはうらはらにしっかり震えていた。

悲しくてしょうがない彼の本音が垣間見えたようで、なんかジンときてしまった。ロッカー氏の男気に改めて敬服。あの場に居合わせて心が痛くてしょうがなかった人達は皆、ロッカー氏に救ってもらったようにも思える。

こじつけではなく、こういう流れも故人の御遺徳なのかもしれない。いろんな世界で多様な仲間を持っていた故人の傑物ぶりを改めて思い知らされた。

それにしても、あっと言う間に風になってしまった“師匠”のご遺骨は、量といい、太さといい、まさにロッカー氏が感嘆した通りだった。

存在感が大きかった人だけに最後の最後まで大きさを見せつけられたような気がする。

合掌

2009年2月24日火曜日

鳥、豚、牛

鳥、豚、牛。私が好きな肉類の順番だ。子どもの頃とは順位が逆になった。20代ぐらいまでは、牛牛牛って感じで焼肉にすき焼、しゃぶしゃぶ、ステーキ、鉄板焼きなどが大好きだった。

最近は、牛は一口ぐらいでいっぱいいっぱいな感じになる。美味しいとは思うが、後が続かない。次の日も続けて食べようとは思えなくなってしまった。だらしない。

豚肉は、なんといってもトンカツが王様だ。体重を気にしないで生きていけるのなら、私は毎日でも食べたい。朝でも深夜でも食べたい。

もともと、目玉焼きやソーセージ、ハムなんかにもソースをかける“ソースマン”である私にとって、普通のソバ屋のカツ丼はたいして有難くない。ソバつゆと卵とじで味わうより、やはりソースをべったりかけて食べたい。

東京ではあまり見かけないが、群馬とか栃木あたりの関東エリアはソースカツ丼が結構ポピュラーだ。油とソースが混ざり合った感じが白いご飯に絶妙にマッチする。いくらでも食べられそうな気がする。

都内で極上ソースカツ丼が味わえる店をご存じの人は、ゼヒ教えてください!

成田発の早めの午前便で海外にいく時は、アホみたいな時間に自宅を出発させられる。普段、朝飯を抜かない私もこの時ばかりは何も食べずに出かける。そして空港について手続きを終えると一目散にレストラン街のトンカツ屋に走る。

その頃には空腹太郎になっているので、朝から生ビール片手にトンカツをむさぼる。ヒレカツ定食ともう一品、単品で一口カツを頼んだりする。

一口カツを、「もう一口だけ食べたい時のカツ」だといつも錯覚する私は、小ぶりのカツが3つも4つも入っている姿に感激する。残さずに余裕で食べる。

長距離フライトの際には、ヘタをするとテイクアウト用のトンカツ弁当を購入して機内に持ち込む。機内食が苦手な私には、熱々じゃなくても嬉しいツマミになる。

話はそれるが、どうにも機内食が好きになれない。ビジネスクラスなんかで、見た目がそれなりの食べ物が運ばれてきても、あまり嬉しくない。丁重にお断りして、機内に持ち込んだ寿司やトンカツ、酒肴になりそうな惣菜や珍味類を肴にアルコールを呑んでいることの方が多い。

機内持込み荷物が食べ物で結構かさばってしまうのが困りものだが、配膳用カートごと一斉にチンしたような旨くもない料理を食べるなら、好きなものを持ち込んだ方がいい。機内食ファンの人、スイマセン。。

上等な押し寿司や前日の晩にお寿司屋さんに作ってもらったバラ寿司あたりが私の定番。ステーキサンド、カツサンドあたりも食べやすくて良い。デパ地下あたりを探検すれば、冷めても旨いものって結構ある。

シュウマイとか漬け物なんかも酒肴にはピッタリだが、周りのお客さんが食事をしていない時間に食べ始めると、独特な臭いを振りまいて迷惑をかける。

ちなみに機内食ばかり食べている乗務員の間では、飛行機事故で死んでも乗務員の死体だけはいつまでも腐乱しないという笑い話がある。それだけ機内食には防腐剤を使っているというジョークだ。

さて鳥、豚、牛の話だ。ちなみに食べ物には異様な執着を見せる中国では、古来、上等な肉料理といえば、鳥、豚、牛の順番になる。アメリカナイズされたせいで、「牛が王様!」みたいな思い込みをしてしまった戦後日本人とは大きく異なる。

確かに高級中華料理に牛が仰々しく出てくるイメージはない。一番格上扱いの鳥については、ニワトリという意味の鳥ではなく、ガチョウや鴨、アヒルといった家禽類の総称という意味合いだ。

北京ダックしかり、ガチョウのローストしかり。確かに名店の名物料理に牛が出てくることはないように思う。

鳥肉、それも地鶏系の旨さは最高だ。ひょっとすると鳥、豚、牛という順番は、天然というか野生の状態でそれぞれを食べてみればよりピンとくる話なのかも知れない。

地鶏に対抗して、地豚とか地牛という言葉は聞いたことがない。ブランド豚、ブランド牛はあるが、地豚、地牛とはいわない。ブランド化イコール人工制作物的な意味合いだから、いわば天然モノとは呼べない。

野生の豚、野生の牛、いずれも食べたことはないが、それこそ臭みと固さで閉口するらしい。天然モノ、野生モノというジャンルで考えると、やはり鳥、豚、牛の順番は正しいのかも知れない。

今日はダラダラとしょーもない話を書いてしまった。お腹がすいていたみたいだ。

2009年2月23日月曜日

戴きもの

異人さん発祥のイベントごとが苦手な私は、バレンタインデーとかクリスマスとかが、なんかコソバゆくてダメ。

クリスマスイブというと若い日の愚行を思い出す。どこぞの気取ったレストランで、他の客と同じ食べ物を同じ時間スタートで食べさせられた。わざわざ予約したなんたらホテルで然るべきコトを済ませるというバカ丸出しの行動をしていた。

あの頃、若者にとっては結構それが普通だった。熱病みたいなものだろう。

バレンタインは、私が貰うほうだから文句は言えないが、やはり若い頃は、アホ丸出しで、わざわざこっちがデートのプランを練らされたりした。

若い頃の無邪気さって今思うとちょっとコワい。そんなイベントに何の疑いもなく巻き込まれていたわけで、主体性も個性もあったものではない。疑うことを知らない行動って、人間をダメにする気がする。

なんか話が大げさになってきた・・。

新興宗教から振り込め詐欺に至るまで、疑わない、というか、疑うことになれていない悪弊が洒落にならない事態を招く。

まずは疑うこと。疑えない甘さが自分の首を絞める。

本当は私だって、何も疑わずに純真にまっすぐに生きてみたい。でも、そんなことだと毎日のように誰かと結婚しなきゃならないだろうから、やはり慎重、かつ、世の中を斜めに見るぐらいじゃないと何事も危なっかしくてしょうがない。

最近のこのブログ、書き始める時に考えていたことがどんどん脱線していく。情緒不安定なのだろうか・・。

バレンタインの話がすっかり関係ないところまで飛んでしまった。

軌道修正。

随分時間が経ってしまったが、今年もバレンタインに愛を下さった方々に感謝します。その愛が義理であろうと営業用であろうと、はたまた憎しみや罠だったとしても、とても有難かった。

中年男としては、チョコレート以外の意表を突いた戴き物にシビれる。ゴージャスにリボンが巻かれた栄養ドリンクや「ウコンの力」盛り合わせとか、すっぽんスープという変わり種も戴いた。

すっぱんスープ。もう名前からして色っぽい。そう思うのは私だけだろうか?おまけによくよく見ると「千疋屋」の商品だ。「ミミズ千匹」ではない。あの千疋屋だ。

“オットセイ本舗”とか“ナントカ元気堂”とかの商品では、お下品になりがちだが、千疋屋特製すっぽんスープは、どこか品があるデザインで、ついつい夜のほうも品格に気をつけようと思わせてくれる。

これ以外にも高級珍味の「このわた」とか塩辛みたいなものも戴いた。考えてみればチョコレートとの関連性はどこをどう探しても見つからない。でも私にとっては有難い。

ところで、頂きもののなかでも男にとって特別な意味を持つ(らしい)のがネクタイだ。

女性が男性にネクタイを贈るのは「アナタにくびったけ」という意味合いがあるらしい。ホントだろうか。最近誰からもネクタイをもらえないからホントだろう。

くびったけになってくれる人がいないからネクタイは海外旅行の“メンジェー店”とかで自ら買うしかない。ちょっと寂しい。

まあ、ネクタイよりニクタイをプレゼントしてもらうほうが100倍嬉しいのだが・・・。

2009年2月20日金曜日

役員給与の変な話

税金の決まり事でつくづく変だと思うのが役員給与の扱い。ひと言でいうと役員給与は企業の経費(損金)にできないのが原則。

専門家の間では当たり前のように認識されているが、専門家ではない私からすると実に摩訶不思議な理屈に思える。

とはいえ、実際の社会では、役員給与は経費処理されているのが普通。役員給与が損金になるための条件である「定期同額給与」、「事前確定届出給与」、「利益連動給与」のいずれかはクリアしている企業が普通だからだ。

大半の企業で問題ないのだから目くじら立てる話ではなかろうとの意見もあろうが、はたしてそうだろうか?

役員給与は企業にとって当たり前のコストだから損金になることが大前提で当然。そのうえで、これこれこういう支給形態だと損金に認めませんよ、というのが極めて正常な思考方法だろう。

役員給与は損金になりませんなどと聞くと、握り鮨にはトンカツソースが合いますと言われたような気がする。混乱してしまう。

一般的な企業が適用しているルールは「定期同額給与」だ。1か月以下の一定期間ごとの支給で、その都度支給額が同額であれば、その役員給与は損金にできますよという制度。

月給100万で年間1200万といった分かりやすいパターンであれば、経費性に問題ない。とはいえ、公務員給与じゃあるまいし、実際の中小企業においてコトはそう簡単ではない。

不況風のせいで資金繰りに苦しむ企業は増加中。当然、コストカットの一環で社長の給与を一時的にでも減らそうと考えることは珍しくない。珍しくないどころか、ヒジョーに一般的な話だ。

資金繰りに悩む社長が、ある時期、自分の給与を2割でも3割でもカットしたり、ある1か月分だけ返上したとする。この場合、税務上は「定期同額給与」に該当しなくなり、社長給与が損金にならない事態になる。

ほんまかいな・・と言いたくなる取扱いだ。損金になるかならないかは、黒字企業の税額に影響するだけで、資金繰りが苦しい企業なら、赤字が増えるだけという見方もある。ところがどっこい、赤字が不必要に増えれば、実社会では、貸し剥がしとか貸し渋りにあう。実に深刻。

そのため、減額分を経理上「未払金」で処理し、事業年度内で辻褄を合わせようという動きが盛んだ。そういう不自然な操作をしないと純粋な費用が税務上の経費にできないのだからヘンテコリン極まれりだ。


一応、制度上は「経営の状況が著しく悪化」すれば、減額改定しても役員給与を損金にして良いと規定されている。当初は曖昧だったこの「著しい悪化」の定義は、国税庁によって最近だいぶ具体的になってきた。

たとえば、「財務諸表の数値が相当程度悪化」したり、株主や銀行、取引先など「第三者との間において減額せざるを得ない事情が生じている」ようなケースは、減額しても問題なしと示されてはいる。

例示をすればするほど、その例示にもれているケースはアウトという認識につながるわけで、それはそれで問題だろう。

もともと、役員給与を利益調整のためにコントロールされないように国が打ち出したのが「定期同額給与」の考え方だ。端的に言って、節税タタキが目的だったわけだ。

ところが制度を整備した途端にドカンと不況がやってきて、節税どころではなく資金繰りにあえぐ企業の実務処理を直撃。中小零細企業をイジメるような事態を招きかねないわけだ。

「役員給与を減額したらどうなっちゃうの?経営が苦しいからそうするのに、そのせいで赤字が大幅に増えちゃうってマジ?」。

こんな声に応えて天下の国家公務員の頭脳が条件整備のために駆使されている。どこか変な話。もったいないことであり、滑稽でもある。

「役員給与は原則として損金にならない」。冒頭で書いたこの一点のせいで、摩訶不思議かつサッパリ意味不明な現象が起きている。

2009年2月19日木曜日

鮨 池澤

ここで取り上げるのは何度目になるだろうか。銀座の「鮨・池澤」。職場が近くだったらもっと頻繁にお邪魔するところだが、いつも結構な間隔があいてしまう。

不義理というか、たまにしか行かないくせにアーだのコーだの言っては申し訳ないが、快適なお店だ。雑居ビル2階に隠れ家のように佇む風情が良い。別に隠れてるつもりはないのだろうが、ちょっとしたお籠もり感が味わえる。

物凄く種類を揃えているわけではないが、季節の旨いものがちゃんと用意されている。アルコールも結構な選択肢があるので問題なし。

旬の刺身とともに私が前菜のように注文するのが毛ガニ。半身にカットされた大ぶりの毛ガニの甲羅の中に丁寧に殻から外されたカニ身がぎっしり詰っている。一見、ちょろっとした分量かと思いきや、ぎっしり詰っているおかげで、せこい私がチビチビ食べても、いつまでも無くならない。

ギュウギュウとサンドイッチされたカニ身の下の方には毛ガニの醍醐味であるカニミソもちゃんと鎮座している。嬉しい。

以前、このブログで激賞した自家製塩辛がこの日も登場。甘いんだかしょっぱいのか分からない今どきの中途半端な塩辛と違い、一口噛めば、正統派の旨味が口に広がる。こればかりは、文章で表現しにくい美味しさだ。

上質な刺身、カニミソ、塩辛、そしてカラスミなんかも加われば、熱めにつけてもらった燗酒が加勢して、私はただハッピーになる。  

毎度のことながら、握りをもらう頃には酔っぱらいの完成だ。2~3日もすると何を注文したのか忘れてしまう。

奇をてらったもの、マズイもの、変なものなら記憶に残る。忘れてしまうということは、ある意味、極めて真っ当で正統な寿司を味わった証拠なんだと思う。これって、変な居直りだろうか・・・。

忘れてしまう程度なら大して旨くないという理屈もあろうが、少なくとも私の場合、それ相応の寿司好きオヤジである。自分なりに寿司の旨いマズイには正確に反応する。だから、私が忘れたということは、私にとっては、満足の味だったということ。

きっと、酩酊中の私はこういう屁理屈を言いながら呑んでいるような気がする・・。

この日撮ってみた携帯画像に写っていたから間違いなく穴子は握ってもらった。見るからに旨そうだが、旨いからこそ旨そうに写るものだ。

それ以外に記憶しているのは、スーパーカッパ。かっぱ巻にあり得ないほどのゴマを入れてもらって、食感がモゴモゴするほど大量のゴマをキュウリとともに味わう。締めの一品に注文したくなる巻物だ。

さてさて、それだけのはずがない。もっとアレコレ食べたはずだが、何してたんだろう。

脳が退化を始めているのかも知れない。

2009年2月18日水曜日

惜別

仲間が旅立ってしまった。15年ほど前に社外プロデューサーとしてわが社の業務に関わってもらって以来の仲間だ。仲間というより師匠と呼ぶ方が正確だ。

社外ブレーンとしてだけでなく、ここ何年かは、会社の中枢に陣取ってもらい、いろいろなプロジェクトに携わってもらった。

グラフィックデザイナー、カメラマン、編集者などの経験を土台にした高いクリエイティブ能力が彼の最大の武器。マルチクリエイティブプロデューサーとでも表現するのが的確だろう。

数々の雑誌の創刊に参画したり、外資系企業の日本における広告コントロールを統括したり、はたまた有名レストランやファッションブランドのプロデュースまで手がけてきた。

税務会計分野の専門メディアとして何かと窮屈な因習にとらわれがちなわが社にあって、そんなネガティブな部分でさえもホンネで面白がってくれた。独特な流儀で熱く熱く刺激を与え続けてくれた。

「余人をもって替えがたい」という言葉が素直に当てはまる人だった。

仕事以外でもその博識ぶりはジャンルを問わず、硬軟とり混ぜて何を尋ねても的確な解答が返ってきた。まるで百科事典のような人だった。

文化芸術面にも確かな目を持ち、かたやサーフィンはこなす、ドラムは叩く、何回だって結婚もしちゃうバイタリティーの持ち主でもあった。

こう書き連ねてみるとスーパーマンみたいだが、大げさではなくホントにそういう傑物だった。

すべての文章の末尾が過去形になってしまうことが非常に残念でならない。

つい先日、下版したわが社が発行する経営者向け情報紙「オーナーズライフ」最新号(2月末発行)への寄稿が形に残る最後の仕事になった。

もともと旅行に関連した企画ページをディレクションしてもらっていたのだが、普段は手配師のように裏方作業に徹する彼が、この最新号だけは、珍しく自分で原稿を書くことになった。

それまで彼が執筆した原稿をわが社の媒体に掲載したことはない。いま思えば何か思うところがあったのかもしれない。

内容はハワイの伝統舞踊と先住民の苦難に関するもの。10年ほど前に、彼が制作依頼を受けたテレビ番組用の取材エピソードがベースになっている。

基本になる原稿が形になった段階で病状が急速に悪化。そこから先の進行管理を私が引き継いだ。

原稿自体があがっていれば、進行管理といっても、表現の微修正や分量の微調整、校正作業といった補助的な作業を粛々とこなすだけでいい。特別気負うこともなく作業をしていたのだが、その矢先に彼の時間がいよいよ残りわずかだということを知らされた。

引き継いだ企画ページの最終校正紙を前にさすがに普段以上に神経がピリピリした。時を同じくして最後の闘いをしている彼の原稿は図らずも遺稿になってしまう。

丁寧かつ完璧に形にしたい。一字一句集中して文字を追う私の作業は純粋に惜別の作業になってしまった。

文章を読んだり、文字を追う作業がこんなに切なかったことはない。ついでにいえば、書かれていた原稿の内容は奇しくも、私のような物書き稼業にとって大切な「文字」に関するエピソードが柱。

いにしえのハワイの伝統文化は口伝えで承継されたもので、先住民が文字を持たなかったことが侵入者の専横を許したといった内容だ。そのうえで、だからこそ文字の力、文字を扱う人々の責任は重いという趣旨でまとめられていた。

最後の最後まで、示唆に富んだメッセージを残していくところがニクい。格好良すぎる。やっぱり傑物だ。

いろんなことを思い出しながら最終校正を終えた。その日の夜、彼は旅立ってしまった。

亡くなる1時間ほど前に社員一同が贈った寄せ書きが届き、嬉しそうに何度も読み返してくれたそうだ。

2週間前、彼とのメールのやり取りのなかで私はくだらないグチをこぼした。重い病と闘っていた彼からの返信にはこう書いてあった。

「行きつけの止り木に肩肘ついてリラックスしてみてください。ひとり旅のような気分で!責任をあまり重く受け止めないで、自分を責めないで、あのはぐれ雲のように風と受け流して生きて参りましょうよ」。

彼が亡くなった時刻、私は相変わらず一人で酩酊していた。彼のメッセージを忠実に?守っていた私を、風になった彼はどう思うだろうか。
もう尋ねることは出来ない。

2009年2月17日火曜日

散歩道

最近、走ることを趣味にしている友人知人の話をよく聞くようになった。何が楽しいのだろう・・。

と言いながら、私自身、歩くことが予定のない休日の趣味になっている。興味のない人には何が楽しいのかと言われそうだから、走る人達もきっと楽しみがあるのだろう。

でも走るより歩くほうがシンドくない。のんびりぶらぶらしたほうが、いろんなものが目に入る。今の季節、梅の木に近づいて可憐な花びらを愛でながら、独特の香りを深呼吸するなんて文化的な芸当は、走っていたら難しい。野良猫に執拗にいやがらせをすることだって走っていたらできない。だから私は散歩が好きだ。

冬以外の季節なら、虫の声も「いとおかし」だ。いまはせいぜい鳥の声ぐらいしか聞こえない路地路地も、季節によっては、蝉やコオロギなんかの音色で意外に賑やか。何気なく歩いていては気付かないものだが、意識して耳を向けていると、さまざまな生き物の声が飛び交っている。

なんか、兼好法師みたいな話になってしまった。

散歩好きには冬は辛い。厚着をして出かけても、少し歩けば脱ぎたくなる。かといって手ぶらで歩きたいから脱がずに我慢する。薄着で出発しても、途中で一服でもしようものなら途端に冷える。とくに手先、指先が冷えるのが不快だ。

酒を呑むにも旅をするにも、どちらかといえば一人で楽しみたい私にとって、散歩こそ究極の一人遊びだと思う。住宅街なら人様の暮らしぶりを覗き見ているような面白さがあるし、商店街ならキョロキョロしがいがある。

私の場合、賑やかな場所より、ひと気の少ない住宅街を歩くのが好きだ。ただ、最近は世の中が物騒なので、用もないのに汚い格好でうろついていると住民から熱い視線を受けることが多い。間違いなく不審者として注目されてしまう。

通り過ぎてもいつまでも注視されたりする。私のようないい人相手にまったく人を見る目がないオバサンとかが多い。突然、Uターンして小走りでオバサンのもとに駆け寄り、ゲップでもしてやろうかと真剣に考えている。

ところで、いま私が苦しんでいるのが毎朝7時の散歩。散歩といっても、娘をバス停に送りに行く日課だ。散歩好きを自負していただけに気軽に引き受けた日課だが、二日酔いや寝不足の朝はさすがにキツい。

バス停まで、子どものぺースで10分程度。たかが10分といっても二日酔い寝不足状態でたたき起こされたら、元気ばっちりの人がハーフマラソンをするぐらいはキツい気がする。

おまけに意味不明の話題を話しかけてくる子どもに機嫌良く相づちを打つ努力も加わるから任務完了して帰宅した時にはヘロヘロだ。

自宅から最寄りの私鉄の駅まで私の足で4分ぐらい。一番近くにあるバス停だって徒歩5分ぐらいの距離にあるのに、運悪く子どもが使うバス停は中途半端に遠い。この点もイラつく原因だ。

いつになったらアイツは勝手にバス停まで行ってくれるのだろうか。一人でだって慣れ親しんだ道を歩いてバス停にたどり着くぐらい簡単なはずだが、つい甘やかしている。

不審者が多い御時勢だから油断はできないと自分でも思うのだが、もう1年近く、この日課を続けながら、一度も不審者なんか見ていない。そろそろヤメにしようか真剣に検討している。

ゲンかつぎとかと同じで、なかなかやめるきっかけが掴めない。3月になって暖かくなったら結構グチらずにお手々つないで楽しく散歩しているのかもしれない。

2009年2月16日月曜日

赤坂 ストックホルム

和食以外の食べ物でこのブログのネタになるものが少ない。和食系が好きで、誰かに招待してもらえるような時でも和食を暗に強制しちゃうこともある。

20代の頃は和食が嫌いだったというと、知り合いはみんな驚く。私自身、不思議なぐらい、ここ15年ぐらいで食べ物の好みが変化した。

イタリアン、チャイニーズにインド料理、タイ料理、ときたまフレンチ、気が向いたら韓国料理にメキシカン、そして未知の国の食べ物・・。こんな感じで20代~30代前半の頃は外食していた記憶がある。

和食系は、しゃぶしゃぶかすき焼がせいぜいだった。いろいろ理由はあるが、敬愛していた祖父の影響だろう。80歳近い頃でも家族を連れてチーズフォンデュ専門店に出かけるようなハイカラさんだった。

なぜか、寿司や天ぷら、鰻あたりの専門店に連れて行かれた記憶がない。

さて、前振りが長くなった。久しぶりに西洋料理ネタだ。ひょんなことから赤坂見附・東急プラザにあるスウェーデン料理「ストックホルム」に行った。

http://www.stockholm.co.jp/index.html

いわゆるバイキングの元祖であるスモーガスボードの専門店。移転前の六本木時代から結構な歴史がある。

バイキング料理のなかでは、数々のニシン料理が特徴。単なるニシンの酢漬けと侮ってはいけない。これが美味。マスタード風味、西洋ワサビ風味、サワークリーム風味など6種類ほど並んでいる。

薄暗く、ムーディーな店内ゆえ、携帯画像で撮ったらマズそうに写ってしまったが、実際はどの味付けもとても美味しい。

寿司屋でシメた光り物が好きな人、バッテラ寿司が好きな人、鯖棒寿司が好きな人、ニシンそばが好きな人、はたまたマスの寿しなんかが好きな人などなど、そのテの味が好きな人なら気に入ると思う。

ちなみに私の姪っ子は、中学生の分際で、ここのニシン料理にキャビアを大量に乗せて食べるらしい。きっと旨いだろう。

この日、私はニシンを全種類少なくとも2回づつ取りに行った。10数切れも食べたことになる。ひとつが4~5センチ程度の切り身だが、これだけ食べると他のものが食べられなくなる。

芋料理や肉料理、魚料理などひと通りのラインナップが揃っているため、結構楽しめるし、わけの分からないコース料理で西洋料理を押しつけられるより、よほど楽しい。ニシンだけ食べても満足できる。

バイキング形式とはいえ、店の雰囲気も適度に高級感があり、目先を変えたいデートなんかにも良いかも。

肝心の飲み物だが、ジャガイモから造られた蒸留酒・アクアビットがいろいろ揃えてあり、ニシン料理と合わせると相性バッチリ。

酔わせたい人を酔わせようと企むには悪くない組み合わせだと思う。

実はこの日、私のテーブルに綺麗どころがいたわけではなく、おっさんばかり10名以上でわいわい飲み食いしていた。

別に誰も酔わせたいとは思わなかったが、勝手に酔いつぶれていたオヤジもいた。それはそれは情けない酔いつぶれ方だった。

やはり、いざ誰かを酔わせたい時にはオススメかも知れない。

2009年2月13日金曜日

夜のクラブ活動


どんな飲食店でもそうだが、自分が気に入って、おまけに顔見知りになって、快適に過ごせる店ができたなら幸せだ。変な開拓精神に惑わされずにそこに通ったほうが間違いない。

こんな当たり前のことが徹底できないのが、私の、いや多くのアルコールボヘミアンに共通する悪い癖だ。

銀座あたりのクラブ活動だって同じ。せっかく顔を覚えられて、上への下へのアーだのコーだのお世辞を言ってくれる店ができたら、おとなしく通っていれば間違いないのに、ついつい開拓精神が頭をもたげる。ナゼだろう。バカなのだろうか。われながら不思議に思う。

新しい店を訪ねるきっかけの多くが、顔見知りの女性の移動にひょこひょこついていくパターン。

「ボトルも一緒に移動しましょうか」などと言われて、黙って従えばいいのに「それじゃあ移転祝いにならないじゃん」とかいってヤセ我慢。

元の店にも気になる女性が別にいたりして、そのためにボトルを温存。まったくだらしない。そんなヤツにはなりたくないが、そんなヤツになっている気がする。反省。

先日、とあるお寿司屋さんでのんびり呑んでいた時のこと。お客さんは他にひと組。ご同伴らしきお二人が斜め前に陣取っているだけ。出勤時間を気にかけていないところを見るとオーナーママさんだろう。

空いていた店の空気も手伝って、私と寿司屋の大将、ママさん、そしてご同伴の御仁も混ざり合って世間話に花が咲く。袖すり合う、ならぬ盃すり合うのもナントヤラで和やかな時間が過ぎた。

その後、寿司屋の大将からママさんの店を教わって、後日、ふらっと訪問。教わった通りの店の雰囲気に安心して居心地良く美味しい酒を呑んだ。こんなパターンで新しいお店を見つけるのも楽しい。

ある時は、たまにしか顔を出さない気軽な料理屋さんで、「最近、決まった店しか行ってないなあ」などとつぶやいたところ、料理屋のおかみさんが知り合いのママさんに連絡。そうこうするうちにママさんが料理屋さんに登場、そのまま腕を引かれてお店に連行されたこともある。“お迎え付き”っていうのも珍しい。

知らない店を覗いてみると、当然ながら印象はさまざま。感心する店、落胆する店、結構勉強になる(勉強して何をしようとしているのだろう・・)。

結局、流行っている店のどういう部分が強みなのか、ダメな店のどういう部分が弱みなのか、割と単純な要素が大きく影響していることを感じる。もちろん、その「単純なこと」こそが難しくもあるのだろう。

別に水商売に限った話ではない。どんな世界でも基本的なこと、当たり前なことを確実にきっちりこなすことは意外に難しい。

当たり前のことをキッチリこなせる人が要所要所に揃っていれば、まず間違いなく勝ち組になれるんだと思う。ここが一番難しいのだが・・。

結局は、プロフェッショナルとしての矜持と能力を持った人材が揃っているか、その上で組織だってプロ達をコントロールできるかどうかがカギだ。結局、この「当たり前」のハードルは結構高いものになる。

さて四の五の書いてみたが、私の酒場ボヘミアンとしての動きは、ただふらついているだけで、何かを得ているのだろうか。微妙だ。単なるスケベオヤジになってはいまいか。たまにはちゃんと考えないといけない。

2009年2月12日木曜日

磯部温泉 曖昧な気分

とある週末、仏教徒の夫とキリスト教信者の妻の会話。


妻「日曜に子どもを連れて教会に行ってきたい」

私「(神様に懺悔することも多いだろうから)ぜひ行ってきたら」

妻「ついでに実家に泊まってきてもいいか」

私「(一人になれるチャンス到来だ。ウシシ)たまにはそうしたらいいよ」

妻「一人で留守番だと困らないか」

私「(一人のほうが気が楽だが、一応寂しがっておこう)せっかくの週末だけど、教会や実家に顔出すことも大事だよ。遠慮せずに行ったほうがいい」

妻「食事とか作り置きして行ったほうがいいか」

私「(レンジでチンなんて面倒だ)気にしないで。ひとりでふらっと出かけてくるよ」

妻「どこか行くアテがあるのか?」

夫「(いろいろ詮索しなさんな)まあ温泉とか・・」

妻「なんだって。温泉に行くのか?」

私「(余計なことを口走ってしまった・・)一人なら当日予約でも空いてるところはあるだろうし・・」

妻「温泉に行けるなら教会や実家は今度にしようかな」

私「(マジかよ。そんな程度の信仰心と里心でいいのかよ)家族で行けるような宿は急には取れないと思うよ(この不景気にそんなことはないが)」

妻「温泉行きたかったのよ。たいそうな所じゃなくてもいいから、それなら空いてる宿もあるでしょ?」

私「(神様助けてくれ!)でも教会に行かないとマズいんじゃないの。誰かと約束してたんだろ?(このバチあたりが!)」

妻「そうなんだけど、適当に理由を考えてキャンセルする。実家もいつでも行けるし」



夫、すなわち私の余計なひとこと、すなわち「温泉」というフレーズが、ひょんな展開を招いた。

インターネットで当日空きのある適当な宿を探した。家から2時間程度で行けること、夕食は部屋食又は個室で食べられること、ゆったりした露天風呂、そしてサウナが付いていることが条件だ。

群馬・磯部温泉の「磯部ガーデン」という宿が見つかった。次の間付きでゆったり、風呂もいくつもあるらしい。団体観光客向けのようにも見えたが、なんとなく決定する。

冒頭の会話は朝食時のもの。昼過ぎに家を出て関越を飛ばして午後3時には宿に着いた。

この日の朝、私の頭をよぎっていたのは、ひとりしっぽり海を眺められる眺望の良い高級旅館に電車で出かけるイメージだった。

海を眺めながら露天風呂に浸かり、豪勢な魚介類に舌鼓を打ち、誰にも邪魔されずに読みたい本に没頭する。そんなイメージだった・・・。

ところが現実は、子どもを引き連れ、クルマを2時間も運転して、眺めのない露天風呂に浸かって、どうでもいい料理を食べ、おまけに夕食後は舌切り雀の人形劇を鑑賞した。

まあ文句いっぱいのように書いてはいるが、そこは旅行好きの私だ。行ってしまえばそれなりに楽しい。宿だって、当日予約の割にはマトモだし、値段から考えれば合格点だろう。勝手に思い描いていた「高級旅館のんびり一人旅」とのギャップに少々思うところがあっただけだ。旅行と名が付けばなんでもポジティブに捉えるのが私のエラいところだ。

だいたい、頻繁に一人旅を実行しているため、家族としては毎度毎度そうはさせないぞという怨念のような気持ちがあるらしい。

四の五の言いたい気分をこらえて、ひとりサウナに死ぬほど入って、突発的家族旅行を楽しもうと心を静めた。とはいえ、大声でワイ談に精を出す団体オヤジで混雑するサウナの状況にイラつく。

何となく浮かない気分でいたら大事件。邪気は邪気を呼ぶようで脱衣所から私のスウェットパンツが盗まれていた。

ポケットに入れてあったタバコが狙われたのか、単なるイヤガラセか、まったくナゾだ。上に着ていた寝間着兼用のトレーナーは残っているから尚更気持ちが悪い。

運が良かったのは、普段温泉宿に行く際に持参するお気に入りの作務衣ではなく、スウェットだったこと。

作務衣で上下どちらかを盗られたら泣くに泣けない。それ以外にもポケットに入れていた携帯を直前に部屋に置いてきたことも不幸中の幸いだった。

スウェットとはいえ、そこらへんの安物なんかではない。海外で頑張って購入した舶来モノである。

簡単には買えないから悔しい。すごく腹が立つ(韓国ソウルで700円で買った品物だが…)。

盗っ人への抗議の意味を込めて下半身丸出しで旅館内を歩き回ろうかとも思ったが、結局、フロントに電話して浴衣を脱衣所に持ってきてもらった。

下半身をさらけだして旅館の中を歩くほどいろんな意味で自信はない。

でもあんなものが盗まれるなんて、いったい、何のバチが当たったのだろう。

一人コッソリ内緒で高級旅館に行こうとしていた私のさもしい気持ちに対してであろうか?それとも、教会への不信心を私のせいとみなした神様からのメッセージだろうか?

いずれにせよ中途半端な気分だった。

2009年2月10日火曜日

銀座 九谷 珍味

久しぶりに銀座にある「九谷」に出かけた。北海道直送品を中心に新鮮な鮨や珍味を楽しませてくれる店だ。

東京では、なかなかお目にかからないイバラガニの内子は、残念ながらこの日は品切れ。それでも、珍味好きな私にアレコレと不健康そうな酒肴を出してくれる。有難い。

「不健康そうなもの」。これは旨いものの代名詞だろう。コレステロールや尿酸値、血糖値、血圧関係すべてにおいて、身体に悪いと言われているものは旨いものばかりだ。

この日、最初に出てきたのは、旬のヒラメとカワハギのお造り。これだけ書くとヘルシーな感じだが、画像中央部に鎮座している面々が私を夢中にさせる。

カワハギの肝は、いわゆる肝醤油に使われており、並んでいるのはヒラメの卵、キモ、皮。皮以外は、うっすら味付けされており、お燗酒のお供にピッタリ。刺身を食べる合間に同じ魚から作られた珍味を味わうのもオツなもの。

レギュラーメンバーの毛ガニもミソをしっかりトッピングしてくれる。毛ガニはなんといってもミソが醍醐味であり、画像のような色合いのミソならバッチグー。緑色系、茶色系ではなく、このエロティックな黄色のミソなら甘みも強く大満足。

上質なクジラの尾の身も醤油だけでなく、少しだけごま油を落として刻み葱と一緒に味わう。珍味合戦の合間の楽しい変化だ。

いつも酔ってしまうので、少しづつ出された酒肴はいっぱいあるのだが、全部を覚えていないのが私の悪い癖だ。クジラもこの原稿を書いていて思い出した。反省。

この日、拍手喝采だったのが、アワビのキモとウニ和え。キモウニと呼んでみる。アワビのキモをドロリとした状態になるまで大将がつぶす。そこに新鮮なウニを投入、混ぜ込んで極上珍味が完成。そりゃあウマいです。

一応、アワビの刺身も出してくれた。キモウニソースが絡みやすいようにカットしてくれたところが憎い。でも、贅沢な話、アワビが邪魔に思えるぐらい、キモウニが最高。刺身を混ぜずにチビチビ味わう方が酒飲みには嬉しい。

その後、ニシンの切り込みや鮭トバの麹漬け、アカホヤの塩辛、ボタンエビのミソ和えなどをチョロチョロ出してもらった。
言うこと無し。お寿司屋さんで徹底して珍味ばかり食べていていいのだろうかと申し訳なくなる。

お寿司屋さんで珍味以外といえば、当然、寿司飯だ。ちゃんと握りを食べようと思うそばから、また邪道精神が頭をもたげる。

さきほどのアワビのキモとウニを使ったキモウニを少量だけ残しておいて、ほんのひと握り分のシャリをもらう。シャリと混ぜ合わせて酢飯リゾット風に仕上げて食べてみた。

大満足。しょっぱい系の珍味なら、たいていこの酢飯混ぜ混ぜ作戦は至福の瞬間が味わえる。

最後にいくつか握ってもらった記憶があるが、何を頼んだかすっかり覚えていない。思い出すのは珍味だけ。こんなことでは握りの修行をしてきた板前さん達に失礼だと思う。

次回は、珍味は減らさず、酒の量を減らそうと思う。

2009年2月9日月曜日

迫力の密教体験

昔ながらの縁起ごとや占いでいえば1年の節目は節分。節分あけの先日、縁起かつぎのお参りをしようと会社の主だった幹部と赤坂にある豊川稲荷に出かけた。

わが社では例年、正月仕事始めに会社所在地の氏神様に社員一同で詣でている。今回改めて商売繁盛を司る神様にお参りに行った理由はただひとつ。業績が悪いから!。

さてさて、慣れ親しんだ近所の神社のお祓いスタイルを想定していた私は、豊川稲荷の本堂で繰り広げられた祈祷に正直ビックリ。ちょっとエキサイティング・・。

聞くところによると密教の祈祷独特のスタイルだそうで、ごく普通らしいのだが、初体験の私には充分インパクトがあった。

かなり早いテンポで、太鼓をリズミカルに打ち鳴らす。合いの手を入れるように鐘の音が低くこだまする。それに合わせて数人の僧侶がスピーディーに念仏を唱える。ド迫力だ。

僧侶がいっせいに経本をパラパラとダイナミックにめくる動きも、壮大な音の響きのなかではアコーディオンを動かしているように見える。太鼓と鐘も、いわばドラムとシンバルの掛け合いに見えなくもない。打楽器ライブと表現したくなる光景だった。

不謹慎に表現するなら、端的に「格好いい」。
おっとり、ゆったり粛々と祭事が進行する神社神道の祈祷とはまるで趣が違う。比べるようなものではないが、対称的な印象を受けた。

確かに密教系の迫力のある祈祷を受けると清らかな気持ちになるというより、エネルギーをもらえたような気分になる。商売にも勢いが必要という意味で、あの打楽器ライブは霊験あらたかなのかもしれない。これで今年は業績アップ間違いなし!

本堂を出て敷地内を散策、奉納された金額に応じて飾られている木札やちょうちんも会社関係が多い。芸能人も結構あったが、金額に応じて大きさに差が出るあの手の表示は有名人には気の毒だ。

「あんな有名女優がそれっぽっちかよ」みたいな印象を見物人に与えてしまう。私もそう思った。

奉納関係で目を引いたのが、けた違いの金額を納めた企業名などが刻まれた石碑だ。

1千万円単位の寄付を奉納した印だ。うらやましい。2千万円とか5千万円という数字も誇らしげに刻まれている。よほどここでの祈祷が商売繁盛につながったんだろう。

わが社もそのぐらいのお礼返しができるぐらいどかんと飛躍したいものだ。うーん、いつの日か石碑を寄進できるようになってみたい。

さて、神社仏閣への寄進もそうだが、健全に利益が上がっている企業が考えるのが寄付だ。昨今の不況風のもとでは、企業の寄付を頼りにしている各種団体やイベントが苦しい運営を迫られている。

寄付に依存せざるを得ない団体やイベントは、比較的、社会的弱者層が関わっているものが多い。こうした階層をサポートする意味でも経済が元気にならないといけない。

ましてや不況ムードを理由に不況じゃない企業まで萎縮しちゃっている風潮は困ったものだ。

知人が少し関わっている某イベントを紹介したい。私もほんの少しでも支援できるように頑張らねば。関心のある人は下記サイトを覗いてください。

http://www.son.or.jp/

2009年2月6日金曜日

眠れぬ夜

日々、ストレスと闘う経営者は睡眠導入剤とか安定剤のお世話になっている人が多い。「マイスリー」とか「デパス」あたりの錠剤は、わが家にも結構ストックがある。

なるべく使わないようにしているが、やはり、いざお世話になるとかなり効く。私程度のストレス性不眠ならコテっという感じで夢のなかに連れて行ってくれる(イヤな夢ばかり見るが・・・)。

薬に頼らず眠くなるためには、やはりアルコールの力は偉大だ。ただ、私の場合、ツマミが無いと呑めないのでちょっと問題がある。すなわち、寝る直前まで飲み食いしていると胸焼けという別な問題が起きてしまう。

薬に頼らず、アルコールに頼らず、スムーズに眠りに誘われるのは読書だろう。私の場合、昔から短編小説が好きで、これまで読んできた本もどちらかといえば短編が多い。

とはいえ、眠れぬ夜にお供してもらうには長編小説のほうが短編小説より都合がいい。短編だと一話を読み切った読後感が頭を活性化してしまう。

最近、面白かったのが、伊集院静著「羊の目」。1年ほど前の新刊時に買ったのだが、ようやく読み始めてアッと言う間に読んだ。昭和初期から現代まで続く大河小説。夜鷹が産み落とした子供が伝説の侠客となって生きていく姿を描いた作品だ。

スリリングなストーリー展開はもちろん、任侠ワールドならではの迫力ある設定や描写に圧倒された。久しぶりに物語の世界にのめり込んだ感覚に陥り、読みながら随所でタメ息が漏れた。

じっくり向き合って読む時間があれば、かなり楽しめると思う。束の間、物語の中の世界に逃避できる点で、寝付けない夜に手に取るにはオススメだ。

先日、旧友と会った際に、ひょんなことで浅田次郎作品の話になった。最近刊行された短編集「夕映え天使」をアレコレ評していたのだが、浅田ワールドが好きなつもりでいた私に旧友がダメ出しした。

「天切り松」シリーズを私が読んでいなかったことがその原因。単行本4巻に渡る長編大河だ。さすがに評判の良い作品だとは知っていたが、今まで縁がなかなった。

長編小説に惚れ直したタイミングだっただけに、叱られついでに翌日いそいそと本屋で購入。巻末の奥付を見たら、さすがに人気作品だけあって、21刷という重版表示。なんだか今まで損していた気分だ。

これが実に面白い。大正、昭和の大泥棒が江戸弁で語る数え切れないほどのエピソードの数々。市井の人々だけでなく、明治の元勲や歴史上の傑物も実名で登場し、筆者の卓越したストーリーテラーぶりが最大限に発揮されている。

アッという間にはまった。今まで縁がなかったことを悔やむより、ここから先、話の長~い展開が一から楽しめるのかと思うとワクワクする。既に読んだ人にとっては、今頃になって騒いでいる私が滑稽だろう。。

スピルバーグの映画「ET」だって、公開後20年ぐらい経ってから初めて見た私だ(おまけに感動して号泣・・・)。仕方あるまい

先日も夜更けの酒場でふと、読みかけの第1巻の内容が頭をよぎった。いい調子で葉巻をふかし、相変わらずのオールドパーを楽しんでいたのだが、脳みそが下した指令は「とっと帰ろう」。さっさと帰宅して夜更けの読書に没頭した。

寝付けない時のために習慣づけようとしている夜更けの読書。でも、没頭しすぎて結局眠れない。なんだかんだ言って最近やたらと寝不足になった。

2009年2月5日木曜日

言い訳

今日は言い訳を書こうと思う。最近、友人知人からこのブログが原因のイヤミや文句を言われることが多くなった。読んでもらうだけで感謝しないといけないのだが、皆さん辛辣だ。

「イヤミったらしい」、「何が富豪だ、バカ」、「エセリッチ・・」、「普段エロ話しかしないくせに気取ってるんじゃない」・・。まあこんな趣旨の指摘を受ける。

もともと、このブログを始めたのは、わが社のSEO対策の一環だった。いまやあらゆる業種、分野でインターネット対策の王道がブログの展開。わが社の担当者も時勢に応じた作戦を考えたわけだ。

とはいえ、自社商品のヨイショ話ばかりでは、興味を持ってもらえるはずもない。わが社のシステム担当に注文されたのは、富裕層の人が興味を持ちそうな内容に限定してくれということ。

おかげでラーメンを食べた話とか、回転寿司で感動した話とか、松屋と吉野家の牛丼比較ネタとかはNGになってしまった。

「銀座のクラブとかでエラソーな顔して呑んでるんでしょ?だったらそういう話を中心に、ウチの商品に興味を持ってもらうように話をまとめてくれ」。

考えてみたら無茶な注文だ。まさに、言うは易し・・って感じで今も苦悩中だ。

そうは言っても、元来モノを書くのが嫌いではなかったので、試行錯誤しながら続けている。いつのまにか楽しむ余裕も出てきた。時間のある時に2,3日分書きためておく習慣もついた。

このブログを見て新規のお客さんが何度か来てくれたと喜んだ店もある。人に喜ばれるのは素直に嬉しい。ただ、わが社の担当者からは、ブログの影響でわが社が潤ったという話はちっとも聞かない。ここは大問題だ。

ところで、ブログのせいで、改めて書くことの効用に気付いた。普段思っていたり、漠然と感じていたりすることは多いが、それを文字にすることで、予想以上に脳みそが整理される。

思えば長いこと原稿を書く仕事をしてきた。若かりし頃は、締め切りの関係とかで、煮詰まっていないはずの取材内容をやっつけで原稿にまとめることが多かった。

書く前は不安でも、書き始めてしまえばそれなりに形になってくる。そもそも書く仕事に完璧というものはない。充分すぎるほど取材が済んでいてもロクな原稿が書けなかったり、逆に準備不足でもそれに応じて大反響を呼ぶような記事に仕上がることだってある。

このブログについても、ネタがないなあと思っていても、ふとしたことを書き始めてしまえば、なんとか言葉はつながっていく。アノ話を書こう、こんな話を書こうなどと気負っていると逆にうまく文章が作れなかったりする。実に不思議だ。

それこそ今日は何を書きたかったのだろう。

そうだ。富豪っぽくない題材をこのブログで取り上げないことの言い訳だ。言い訳ついでに、本来富豪ではない私が今一番食べたいものを書き殴っておく。

すきやの「お好み牛玉丼」がそれ。キャベツ・かつおぶし・青のりといった具材が牛丼の具と混ざり合って、おまけにオタフクの甘辛ソースとピリ辛マヨネーズがアクセントに使われているらしい。

食べたくて食べたくて夢にまで出てくるが、いまだ味わったことがない。これ以上太っても誰も誉めてくれないだろうから我慢し続けている。自宅や会社の近所に「すきや」がないことでナントカ助かっている。

もし、禁断の味を注文することになったら、私が迷わず選んでしまうのは「特盛り」だ。すきやのホームページを見たら、特盛りは670円だという。そんな値段で幸せが買えるなら何個でも食べたい。

でもカロリー表示にビックリ。なんと1277kcal。摂取所要時間は私の場合、7~8分だろう。

やはりヤメておこう。

2009年2月4日水曜日

銀座 割烹とんぼ

銀座に数え切れないほど存在する割烹系料理屋さん。雑居ビルの上層階や地下にひっそりたたずむ店だと、やはり一見では入りにくい。

実際に入ってしまえば、そんなに肩の凝らない居心地の良い店も多いのだが、飛び込みで開拓するのはちょっと面倒、結局、美味しく快適に過ごせる店に足は向いてしまう。

8丁目の通称ポルシェビルにある「割烹とんぼ」もそうした「美味しくて快適な店」だ。端的に言って銀座っぽいお店。他の街ではちょっと成り立たない感じかも。ホームページがリニューアルしていたので貼っておこう。

http://www.kappoutonbo.com/ginza/

ママさんはじめ、接客にあたる女性陣は全員が和装で実にしっとりとした風情。店の作り、置いてある花、全体の空気が清々しい。

先日数ヶ月ぶりに訪ねた。いつも一人か二人でのんびりカウンターを止まり木にしていることが多いが、この時は4人で押しかけた。

お座敷には先約があり、テーブル席に陣取った。もうひとつのテーブル席にも3,4人連れのお客さんがいたので、珍しくこの日はグループ客が集合した感じ。やかましい4人組としては逆に安堵する。

だいぶ昔に入れたままのボトルも保存しておいてくれた。恐縮する。おまけにこの日は、中途半端な時間だったこともあり、本来の食事コースとは違うケチな予算で仕切ってもらった。また恐縮する。

結局、4人でかなり騒いでしまった。恐縮する。ついでにいえば、場所柄をわきまえない相当に下品な話で盛り上がった。恐縮する。

まあ私が使う「恐縮する」という言葉は、いつも口先だけみたいなので仕方ない。若気の至りということで許してもらおう。若気・・、言ったもん勝ちだろう。

正直この日は、純粋に飲み屋さん的に使わせてもらったが、適度にタイミングを見て出してもらう食べ物は、相変わらず美味。呑み助相手といえども誠実かつ丁寧に料理された品々を出してもらった。

上品な味わいだが、しっかりとした出汁のおかげでホッコリした気分になったのが、梅干し入り茶碗蒸し。素直に大人の胃袋を癒してくれる。餡がかかった海老芋(だったと思う)饅頭も味付けが乱暴ではなく、実にいい頃合い。

刺身も極めて真っ当。ゴマ豆腐(だったと思う)もその他の酒肴とのバランスがよく、ついついペロペロ食べてしまった。結構酔っていたので、出された食べ物のラインナップが正しいかどうか少し自信がない。ほかにも食べた気がするが、ちょっと覚えていない。

丁寧に誠実に仕事をしているであろう板前さんににとっては、迷惑な客だろう。今度改めてしっかり味わいに行かねばと思う。

酔っぱらいだった私がアレコレ書いても説得力がないが、全体に料理の味付けが優しい。とくに甘みの使い方がバッチグー。砂糖的甘みというより旨味に近い甘みが板前さんのテクニックなんだと思う。

向島芸者出身のママさんも下品全開の我々の席に対して、あきれながらも楽しく相手をしてくれる。

帰り際、ママさんから私の印象が変わったと言われた。

「もっと固い人だと思ってました」。

いままで、この店を一人でふらっと訪ねる時は、きっとエラソーに気取っていたのだろう。

でも固い人に思われるのって、この年齢になると妙に嬉しかったりする。いい大人が石田純一みたいにバリバリ軟派野郎では格好が悪い。

今年はカタブツと思われるぐらいマジメに行動することにしよう。

余計なところを固くするチャンスが無くならない程度に・・。

2009年2月3日火曜日

お通夜の時間

今年に入ってから2回ばかりお通夜に出かけた。冠婚葬祭のなかでも葬の部分は、どうしても笑顔とは無縁なせつない時間だ。
と言いながら、不謹慎覚悟で白状すると、今年うかがったお通夜では2回とも結構笑顔になる時間が多かった。

もちろん、焼香させていただく際は、ご遺族の心痛を思い、切なく辛い気持ちになって笑顔などは出ない。ただ、そのあとに用意された席では事情は変わる。

プライベートの友人知人関係のご葬儀であれば、弔問に集まる顔ぶれも当然内輪の知り合いが多くなる。懐かしい顔に出会ってわいわいガヤガヤ。故人のこと、ご遺族のことを語りながら、次第にアルコールも手伝って昔話に顔がほころぶ。いつのまにか宴会状態になる。

以前、身内の葬儀の際に、坊さんから言われた。「楽しく賑やかに送ってあげることが供養です」。その坊さん自身、楽しそうに酒を呑んでいた。若かったこともあって何か妙な気持ちがしたが、お通夜という場面は確かに闇雲にシンミリしているだけでは正しくないのは確かだろう。

お通夜の席にたくさんの人が集まること自体が、故人の御遺徳だ。お通夜の席で久しく会っていなかった知り合い同士が旧交を温めたりできるのは、まさに仏様のお導きなのだろう。信仰心の薄い私でも本当にそんな気がする。

同じ学校に長く通った友人の父上のお通夜では、大勢の旧友と合流した。おまけに私の幼稚園時代の恩師にまで会った。ウン十年ぶりだ。小学校時代の野球部顧問の先生にも会えた。

お通夜という場面が無ければ顔を合わせなかったような人と接点が生まれることは、その日のお通夜に限った話ではない。その日とは別のお通夜の席でも、お互い名前は知っていたがお会いしたことのない人と話すことができた。

人の輪というか、つながりみたいなものを再認識させられる独特の効果が、故人を偲ぶあのような場面には宿っているのだろう。

私自身、いずれやってくる自分のお通夜を考えてみると、やっぱりいろんな人がわいわいガヤガヤやってたほうが嬉しいと思う。変な表現だが楽しんでもらえたら嬉しい。一応、少しは私を偲んでもらいたいが、集まった人が賑やかに過ごせればこっちも気が楽だ。

そういえば私が敬愛する寅さんも映画のなかで言っていた。「ホトケほっとけ」。法要の場をいつも笑わせてしまう寅さんの主義は、前述した坊さんの話と同じ。賑やかに送ることが供養であり、残された人達がいつまでもクヨクヨしていたら故人だって困るという趣旨だ。

ところで友人の父上のお通夜は銀座に近い場所で行われた。お通夜のあと、なんだかんだ言いながら悪友達と連れだって銀座でハシゴ酒。喪服姿で泥酔。
不謹慎かつしょうもない自分を反省。

2009年2月2日月曜日

日税連前会長 記者の仕事

比較的地味なイメージの税理士業界に降ってわいたスキャンダル(詳細は1月16日付けのこのブログをご参照)。

税理士業界を専門に取り上げる唯一の新聞を発行しているわが社にも様々な情報が寄せられている。

生保の不正契約というテクニカルな話題がニュース報道の柱だが、税理士会の全国組織トップを務めた人物をめぐる話題もくっついていた。

各地でこの時期行われている賀詞交歓会では、税理士の間でこの話題が熱く取り上げられているが、興味の中心は、どちらかといえば「前会長」に関するもの。

平たくいえば夫人が絡んだ副業的な部分でアレコレあったことが取りざたされている。

http://www.asahi.com/national/update/0117/TKY200901160344.html

ところで、一般的に“ひとかどの人物”であれば、集まる情報や持ちかけられる話はバラエティーに富む。ビジネス面でメリットのある話なら有難く有効活用するのが普通だ。

当たり前の話だが、どんな世界でも上昇志向を強く持ち、上昇している人には、それに見合った話が飛び込んでくる。逆に言えば、上昇していない人、上昇する見込みのない人のもとには、そんな話はやってこない。

経営者、事業家も同じだろう。うさん臭い話もひっくるめて「ネタ」を持ち込まれる頻度が多い人ほど他人様から見込まれているわけだ。

まあ見込まれるというか狙われているとも言えるが、ある意味、狙われるぐらいじゃないと成功も手に入らない。

不思議なもので、好調な時ほど「ネタ」はやってくる。何の因果か循環かわからないが、「流れ」ってそういうものだ。

スランプの時には、ロクな話が持ち込まれない。いかにしてマトモな「ネタ」が集まる状態に自分を置いておけるかが大事なことだと思う。

なんか精神論みたいになってしまった。噛み砕いてバカ話風に言えば、異性からのモテ方に波があるようなものだろう。不思議なもので、モテない時とモテる時ってなぜだか連鎖反応が起きる。

また、怪しげな話を書き始めそうになってきたので、この辺にしておこう。

ところで、冒頭の税理士業界の騒動だが、周辺取材をしている担当記者からの報告だと、取材相手が突然泣き出したり、突然脅してきたり、なかなか賑やかなようだ。

事件に絡んだような内容で記者が動く話は、たいてい人間の“業”が絡んでいる。「人間交差点」みたいになんともビミョーな話が多い。

活字にする話、活字にしたいけど確証があと一歩足りない話、活字にすると厄介な話、あれこれと情報整理が必要になる。

個人的な感傷で恐縮だが、最近、現場記者やデスクから持ち込まれる微妙な表現や記事構成の視点などに関する相談が減っている。これって現場記者が素材を攻めきっていない、守りに入ってしまっていることでもある。

本来なら判断をせまられるこちらが苦悩する頻度が多くないとダメだ。私自身が諸事情に考慮して取材や記事作成にブレーキをかけたり、胃が溶けそうになるような相談・打診を多く受けるようになれば、現場記者の仕事は鋭いということになる。

当然それに比例して記事そのものも面白くなる。そう考えるともっと現場記者のお尻をひっぱたかないといけない。

今日は自分を叱咤するような内容になってしまった。