2014年1月31日金曜日

日本酒の道


寒い夜、飲み屋の暖簾を見かけると、条件反射で燗酒が恋しくなる。

「熱いの1本つけといて」。こんなセリフがスッと口から出るようになったのはいつの頃からだろう。オッサンの完成形である。

年を取ることの良さは世間一般で認識される「オッサン的行動」がさりげなく身に付くことである。

お燗をすすって、ゲフッとか唸っていられるのはオッサンの醍醐味である。女子供にゃあ無理な芸当だ。真似したところで絵にならない。

中年男に生まれてつくづく良かったと思う。生まれ変わっても中年男に生まれたい。

気のせいか、日本酒自体がオッサンのアイコンみたいになっていないだろうか。会社の飲み会などで黙々と日本酒を飲んでいる若者はいない。ワインやサワー、ナンチャラハイに比べて劣勢である。

そんなこと言って、私自身もハイボールや芋焼酎やシャンパンを飲む機会も多いから、日本酒ばかり飲んでいるわけではない。

でも、冬場はお燗酒のせいで、日本酒を愛でる機会がグンと増える。お燗酒で始めて、暖まってきたら冷酒に切り替えるパターンも多い。




日本酒に合うツマミをあれこれと並べて飲んでいると、燗酒から冷酒という二日酔いモードに突入してしまうわけだ。

画像は上から、あん肝、ウニとボタンエビ、そして極上のミソたっぷりの毛ガニである。

こんな面々はワインや焼酎ではなく、日本酒に合わせたい。とくにボタンエビや甘エビのねっとり感はスッキリした飲み口の冷酒に抜群に合う。

初めて日本酒をウマいと感じたのは、高校生の頃だった。毎年正月には自宅に剣菱樽酒がドカンと用意されていた。見た目が何とも素敵だったので、ズズズっと飲んでみたら芳醇な味わいに圧倒された。

樽の香りがほんのり漂い、飲み口も当時の自分の味覚とマッチしたのだろう。友人を呼んで樽酒パーティーをやって楽しく飲んでゲロを吐いていた。

大人になるにつれ、若者風ドリンクのほうがオシャレだと感じて、インチキみたいなカクテルをグビグビ飲んでゲロを吐いていた。

その後、社会人になって間もない頃、国の研究機関である醸造試験所に出入りするようになって日本酒について少し学んだ。そこの所長さんに酒にまつわる連載エッセイを頼んだ関係でちょこちょこ訪ねて行ったわけだ。

まだ、パソコンも今のように普及していない頃だ。所長さんの原稿の文字が判別不能な達筆?だったので、担当編集者として必死に解読しているうちに知識が備わった感じだった。

ついでに様々な日本酒をやたらと飲まされた。醸造試験所の所長や技官ともなると酒が強いオッサンばかりだ。調子に乗って付き合うとヘロヘロになる。帰宅するといつもゲロを吐いていた。あの頃はあの頃で大変だった。

ゲロまみれになって色々なことを学んだのだろう。

なんだっけ?ゲロ話ではなく日本酒の話だった。

そんなこんなで、一時期は少しばかりウンチクに左右されて飲み屋でもこだわったふりをしていた。

やれ酒米は何だ、磨き割合はどうだ、日本酒度はいくつだ、とか、いっぱしの「通」みたいな顔をしていた。今とはまるで別人である。今は楽しく酔えれば何でも良い。すっかり自由?である。

少しばかり顔なじみの店では、お酒の銘柄も産地も何も聞かずに「口開け間もないヤツをくれ」で終わりである。

どんなに希少銘柄でもいつ開栓したかで味わいは変わる。開けて間もない酒なら間違いない。それで充分である。

どんな有名銘柄、希少銘柄だろうと、だいぶ前に開栓したような一升瓶の底の方に残った出がらし?を出されたらウマいはずもない。

ましてや燗酒だったら銘柄など関係ない。熱くするかぬるくするかだけである。

自宅でも、日本酒に合うつまみが揃ったら燗酒、冷酒どちらも楽しむ。「口開け間もない酒」こそ最高だと確信している私のお気に入りが八海山の180㎖瓶である。


180㎖といえば1合カッキリである。一般的な四合瓶だと自宅で一人で開けるには躊躇することもあるが、このサイズだったらアッという間に飲みきれるから便利だ。

吟醸酒なので冷酒用である。小さいし、冷蔵庫にたくさん詰め込んでも邪魔にならない。

スッキリしてウマいからクイクイ飲めてしまう。結局、調子に乗って4本ぐらい開けちゃうこともある。

だったら4合瓶を買っておけ!と叱られそうだが、やはり、4合瓶より気軽に開けられる点が嬉しい。オススメです。

夜の街で日本酒を頼むときは、ついつい魚や珍味系をつまみにすることが多い。肉方面だと焼酎が定番である。

でも、先週このブログで書いた「吉田類先生」の教え?もあり、先日、通りすがりに入ってみた下町のモツ焼き屋では、とことん日本酒だけで過ごした。


特別寒い夜だったし、店も薄ら寒かったので燗酒で通してみた。食べていたのはモツ煮の他は徹頭徹尾、モツ焼きだけである。

「肉系は焼酎」という私の思い込みをあざ笑うかのように、カシラ、レバ、ハツ、シロといった連中がカラシ味噌をベトっと身にまといながら私を攻める。

お燗酒で流し込む。ウマい。うっとりである。ホッピーとかサワー、焼酎こそモツの相棒と思っていたが、安い燗酒こそ相性抜群かもしれない。

ぐいぐい飲んで、わしわし食べた。

オッサンの究極の完成形は、たとえどんなツマミが来ようとも日本酒をグビグビ楽しむ姿なのかもしれない。


2014年1月29日水曜日

東京タワー 木村文乃


「好み」。日々の暮らしはすべて自分の好みに合致しているかどうかで快適さが決まる。

和食好みの人が、星付きフレンチに出かけてもゲンナリするだけである。

男好みのゲイが壇密に密着されても迷惑なだけである。

少し前の話だが、子供の頃の同級生(オネエ系。戸籍上は男子)に肉弾攻勢をくらった。あれこれイジられたり大変だったが、少ししか気持ちよくなかった。やはり私は女性の方が好みである…。

「色好み」という言葉がある。ただのスケベ野郎を意味する言葉だと思っていたのだが違うらしい。

古語辞典によると「①恋愛の情趣を解し、洗練された恋ができること。また、その人。粋人(すいじん)。②風流・風雅な方面に熱意・関心がある人。風流人。」だとか。

迷わず「色好み」を目指すことにした。残りの人生「色好み」でいこうと思う。

冒頭から話が逸れた。今日は「好み」についてアレコレ書きたい。

スカイツリーがすっかり東京名所になった。友人達のFacebookを見ても頻繁に登場する。東京タワー派?の私としてはどこか残念である。


スカイツリー対東京タワー。別に争わせる必要は無いが、どうしてもそんな構図で「好み」を考えたくなる。

世代的にどう逆立ちしたって私は東京タワーを贔屓したい。子どもの頃、あの中の蝋人形館で恐怖におびえて泣き叫んだ過去があろうとも、あの威容は昭和の東京人にとって心のふるさとである。

大げさでスイマセン。

若い頃はタワーが見えるレストランにも頻繁に行ったし、中年になってからもタワーの眺めが綺麗なホテルに部屋を取ってムフフなことを画策したり、何かと東京タワーさんにはお世話になってきた。

空に向かってトンがっていくあのフォルムが良い。優雅な立ち姿だと思う。

その昔、角松敏生が歌った「Tokyo Tower」という曲も好きだった。私が大学生ぐらいの頃だった。どこか淫靡なロック調で、タワーを男性のシンボルとオーバーラップさせたような歌詞がオシャレに聞こえた。

♪Tokyo Tower 君を貫いても~♪

♪夜空にそそり立つ 震えながら~♪

♪僕のタワー 今夜も叶わぬ夢をのせて 君の中へ~♪

今も東京タワーがよく見える場所にいる時には決まってこの歌を思い出す。私の場合、もはや「僕のタワー」は「そそり立つ」というより“稲穂”のようなもんだ。まあ仕方がない。

実るほどこうべを垂れるのが大人の嗜みである。

脱線してスイマセン。

スカイツリーに恨みはないが、どうも形も色も名前もしっくりこない。東京タワーのネーミングの潔さ、語感のスッキリさは秀逸である。

話は変わる。今日は「好み」についての話だ。

酒席などで「好みの有名人は誰ですか?」とか聞かれる。昔から即答できずに困ることが多い。

大大大好きだったのは、キャンディーズ時代の蘭ちゃんと全盛期の桜田淳子サマぐらいで、オトナになってからは即答できるような好みの人が浮かばない。

最近は「壇密」ということにして、会話をそのまま猥談に発展させてばかりである。

長く生きているから、何かのきっかけで綺麗な女優さんに突然「萌え~」となることは何度もあった。

10年ぐらい前に「木村多江」を知った時、アノ楚々とした雰囲気にドッカ~んとはまったし、同じ頃には朝ドラで主役だった「中越典子」にキュンキュンした。

20年前にはやはり朝の連ドラのヒロインだった「鈴木京香」にズッコ~んとはまった。

ただ、いつも数ヶ月程度で「萌え~」気分は終了してしまう。だから「好きな有名人」は常にレギュラー不在状態だ。

「好みのタイプ」とか言われてもそんなものは曖昧である。私と仲良くしてくれる優しい人は誰だって「好み」である。そんなもんだろう。

私のことを避けるようなら、その人がどんなに眉目秀麗だろうと私にとっては敵?である。

「好みの顔立ち」という意味では、猫・キツネ系より犬・タヌキ系に惹かれる。一貫してそれを言い続けている割には「水川あさみ」に萌え状態になった時期も少しあったから適当なものである。

で、何を書きたかったのかというと、久方ぶりに激しく「萌え~」状態になる女優さんを見つけた。

見つけたと言うより、たまたまテレビで知った女優さんにズッキューんとハートが射貫かれてしまった。



木村文乃さんという女優だ。吸い込まれそうな美しさにビックリである。まだ26歳というヤング、ヤンガー、ヤンゲスト?である。

こういう女性が30歳を超えた頃にその美貌がどういう進化を遂げるのか、勝手ながら興味津々である。

無名の女優さんかと思っていたら、既に充分売れっ子らしい。私の周りのオッサン連中も結構知っていたから世間一般では相当有名なんだろう。いままで知らずにいて凄く損した気分になった。山田洋次監督の最新作にも出演しているらしいから、彼女だけ眺めに行こうかと思っている。

今後の私は、「好みの有名人は誰ですか?」と聞かれたら迷わず即答できる。それこそ「誰ですか?」の「だ」が聞こえた瞬間に「木村文乃ちゃんで~す」って答える。

少し前、12歳の娘に「尾野真千子って結構いいよね?」って言い放ったら、「エ~」とか言われてたじろいだ私である。

木村文乃ちゃんであれば大丈夫?だろう。

よく分からないまとめで失礼しました。

2014年1月27日月曜日

馬春楼 こじま屋 干支を食う


今年の干支は馬だ。縁起物だからバクバク食べないといけない。

干支の生き物のうち、美味しく食べられるヤツは意外に少ない。虎も猿も蛇もネズミも食べないし、竜なんか見たこともない。

で、馬である。江戸時代には、精がつく、元気になるという意味で「蹴飛ばし」と呼ばれた。遊郭の近所には桜鍋の店が軒を並べたとか。

そういえば、今も吉原には桜鍋の老舗が存在する。

ということで、吉原の店に行きたかったのだが、食後の自分の行動に自信が持てなかったので、身近な場所にある店を探す。わが社のある池袋には馬肉専門店などありはしない。

まあ、池袋は日本の中のマニラ?みたいな街だから仕方がない。結局、安全?な街・銀座で短期間に2回も馬肉を堪能してきた。

まずは1軒目、「馬春楼」という店。大阪の人気店が最近東京に進出したらしい。確か以前は小洒落たおでん屋があった場所だ。

まずは馬刺しの盛り合わせ。レバ刺しが入っていない。別注で頼もうとしたが、レバ刺しだけは事前予約メニューだという。

オイオイ!である。この時点でかなり萎える。

焼酎片手に馬刺しをつまむ。普通に美味しい。九州のどろっとした醤油に似たオリジナルの刺身専用醤油がウマい。

スジの山椒煮とやらも焼酎とマッチ。なかなか良い。


続いて桜焼きなる一品。鉄板でサッと焼いて食べるのだが、ナントカという部位だけなのでアレコレ食べたいワガママな私としては少し不満。でも単純にウマかったから良しである。駄洒落ではない。ウマかった。


メインは馬肉のハリハリ鍋。馬肉の鍋といえば、深川の「みの家」で食べるこってりミソ味が私の中では定番である。この店のウリは、あっさりしたスープで水菜と一緒に食べるハリハリ鍋である。

少し上品すぎるきらいはあるが、飽きの来ない美味しさとでも言おうか。悪くない。馬肉の旨みをまとったスープで食べるシメのうどんもニコニコしたくなる味だった。

問題はレバ刺しが予約制なことである。専門店なら、そこは頑張って欲しかった。

ということで、レバ刺し欲求が妙に高まってしまったので、間をおかずに別な店で馬三昧してきた。

そちらの店ではレバ刺しが常備されているのを知っていたのでいそいそ出かけた。

「こじま屋」という店。1年ぶりぐらいだ。ここは鍋ではなく、焼き専門。一品料理をアレコレ頼んでグビグビ飲んだら、様々な部位の肉をジンギスカンのような要領で焼いて食べる。


レバ刺しサマの登場だ。ごま油をまとっている。これを甘味のある天然塩にチョロッとつけて食べる。エロ満開のウマさだ。

合わせるのはやはり焼酎である。芋と黒糖をミックスした店オリジナルの甕入り焼酎との相性がバッチリでニコニコグビグビ。

馬ホルモンのコンソメ煮込みという一品も焼酎のアテに抜群だった。馬の場合、何を食べても重くないしもたれない。端的に表わすなら軽いという印象。

聞くところによると、融点が人間の体温と同じぐらいだから、身体に残らずすっきり脂が流れていくのだとか。

牛肉だったら白色の脂身を除けるようになってしまった情けない私だが、馬肉の場合は脂身をぶりぶり食べても後がキツくない。幸せである。


アキレス腱の部分を煮込んだスジ煮込みも下処理が良いのだろう。コテコテの味付けではないのにクセを感じることもない。酒飲みにはタマランチンだった。

で、焼肉である。

さまざまな部位の生肉をそのまま焼く。透き通った黄色系の塩ベースのタレも悪くない。タンとかカルビとかヒモをがっつく。

大動脈の部分だという「根」という一品も頼む。どれもいくら食べても重さを感じない。臭みも当然無い。満足満足。何だかんだ言って、こちらの店に行ったときの方がウキウキした気分で楽しめた。

それにしても、こんなにウマい肉料理なのに、牛や豚や鳥料理に比べて、専門店の数は圧倒的に少ない。不思議である。

いまや流通革命によって、鮮度を維持したまま日本中に食材が回り回っているのだから、馬肉専門店はもっと増殖しても良いと思う。

さてさて、というわけで、短期間に2度も馬肉をワッセワッセと食べたわけだ。鼻血ブーになって絶倫太郎になるはずだが、サッパリ何も変化は起きていない。

手遅れなのだろうか。いや、既に充分元気なのだろうか?謎である。

風邪もひかずに元気でいるから、きっとその裏で馬肉パワーが影響しているのだと思い込むことにしよう。

2014年1月24日金曜日

「吉田類」になりたい





「吉田類」大先生である。ネット上に溢れる画像をかっぱらってきたのでスイマセン。

誰もが知っている偉大な人だと思っていたのだが、意外に知らない人が多い。私としては憤懣やるかたない。

「よしだ・るい」。この響きだけで、酒が飲みたくなるのが正しい大人の男の姿である。生き神サマである。

何をしている人かはよく知らない。俳句の人だったか、そういう文化的な方面の人らしい。まあ、端的に言って「吉田類」は「吉田類」である。

BSの番組でシュールな居酒屋ばかり巡っているオジサマである。「モツ煮とハイサワー」みたいな飲み屋ばかり巡礼している。

何が素晴らしいかと言えば、どの店に行っても周りの濃~い常連さんとすぐに乾杯して嬉しそうに飲む姿の崇高さである。

テレビカメラがあっても無くてもきっと同じ様子で飲んでいそうな感じがいい。エラぶった言動や中途半端にウンチクをひけらかすこともなく、ただウマそうに酒をすすっている。酒飲みの鏡である。

わざわざテレビでアップで写すほどでもないような食べ物を一生懸命説明してくれる。そしてすべてを美味しそうに食べる。

物腰はあくまで柔らかで、心底、酒を愛する様子、酒場を愛する気持ちが画面から伝わってくる。

番組の最後、店の暖簾を背に感想を述べる場面では、いつも普通に酔っ払っている。フニャっとした感じになっている。何ともヌルい番組である。たまらんちんだ。

先日も、酒を抜こうとまっすぐ帰宅したのに、録画しておいた吉田類先生の番組を見ていたら、いとも簡単に家にある酒をガンガン飲み始めて酩酊した。

「吉田類になりたい!」。しょっちゅうそう思っている。

過去にこのブログで「ベルルスコーニになりたい」と書いたことがある。イタリア元首相の突き抜けたスットコドッコイぶりに心から憧れてそう思ったことがあったのだが、私にとって「なりたい人」シリーズの2人目が吉田類サマである。

吉田類師匠を知らない人には、「変な飲み屋をめぐって楽しそうにレポートするオジサン」と説明するしかない。

すると、多くの人が「松重豊」を想像するらしい。あっちは「孤独のグルメ」というドラマ仕立ての番組だし、松重豊演じる「ゴローサン」は一切酒が飲めない設定だ。


だから全然違う。吉田類先輩はとことん「素」の状態で飲む。

訪ねる店がまたいい。繁華街にあるイマドキの素敵な店とか、怖そうな店主が気合い入れまくっているよう店は出てこない。個人経営のざっくばらんな小さめの店ばかり。

いわば大衆居酒屋の原点みたいな店。最近放送された店を例にとっても「府中」、「本八幡」、「九品仏」、「亀戸」、「笹塚」「南千住」の店である。

番組のホームページを見てみたら、もう10年以上続いているらしい。これまで登場した店も地域別に一覧表示されている。よくよくチェックしたら、私が行ったことがある店も10軒以上あった。私もなかなか大したものだ。吉田類先生が訪ねるような店にアンテナが反応するわけだからセンス抜群である。

たいていの店が濃すぎる常連サン達が集うような店だ。普通のグルメ番組のように「あれウマそうだなあ。今度行ってみよう」的な目線にはならない。あくまで「酒を飲む」という行為への意欲が高まるだけである。

吉田類先生はシメ鯖が大好きである。嬉しそうに食べ、美味しそうに酒をすする。私もシメ鯖が好きだから、そんなシーンを見たら、たいてい翌日にはどこかでシメ鯖を食べる。

吉田類先生は、つまらない拘りなど無しに酒とツマミを純粋に楽しむ。日本酒に合いそうにない食べ物だって冷や酒をクイクイ飲みながら食べる。

クリームシチューですら日本酒と合わせていた。潔くてカッチョイイと思った。おかげで私もモツ焼きとか焼鳥を日本酒で堪能する機会が増えた。

肉系は焼酎、魚系は日本酒という漠然として線引きが私のパターンだったが、そんな拘りは酒飲みとして小僧っ子だと反省するきっかけになった。

吉田類サマに刺激を受けたこともあり、最近は、よりディープな大衆居酒屋にも時々出かける。あの世界はあの世界で大人の男が肩肘張らずに安らげる尊い場所だと思う。

スーツの胸に常にエラそうに挿しているポケットチーフは尻ポケットにしまい、ネクタイも外して、少しだけヤサグレ?たフリをして暖簾をくぐる。

凄くディープな店の場合、ネクタイ姿の客が珍しいというケースもある。極端な場合、あまりパリッとした格好だと、常連らしき怖そうなオッサン連中にギロっと睨まれたりする。

ヨソ者的な気配を薄めるため、しょうがなく疲れたオジサン風の演技?をしながら突入するわけだ。でも、馴染んでしまったら天国である。モツにモンゼツする。

ちなみに、10年ぐらい前のある時期、ディープな大衆酒場にハマって、アチコチ出かけたことがあった。

ところが、とある寂しげな店で、隣に座っていたオッサンが一人無言で大粒の涙を流していたのを目撃してドン引きした。明日にでも自殺しそうな暗~いオーラをまとっていた。

それを機にその手の店に行くのを辞めてしまった。陰気の気が自分に移っちゃうのはイヤだし、どうせ飲むなら運気が上昇するような場所に身を置こうと思ったわけだ。

もちろん、一般的にはモツ焼き屋には陽気で楽しい店が多い。でも、あの時のドンヨリした店での体験のせいで、足が遠のいてしまった。モツ焼きに七味をアホほどぶっかけて楽しむ機会がなくなってしまった。

実にもったいない話である。あらためてオッサン御用達の大衆居酒屋を攻めてみようと思う。

綺麗どころを同伴して行くわけにはいかないのが問題ではある。

きっと、エロ週刊誌を小脇に抱えて一人で通うことになるのだろう。

2014年1月22日水曜日

東京っぽさ


生まれも育ちも東京である。郷土愛みたいな感覚は特に感じないが、地元だから愛着はある。だから東京を悪く言われるのは好きではない。

「東京に負けた」とか、そういう言い方をする地方出身の人がいる。他に行き場もない地元民としては勝ちも負けもないから、そんな言われ方をするとビミョーな気分になる。

確かに大志を抱いて上京した人が、志を遂げずに帰郷する時は、敗残兵みたいな気分にもなるのだろう。わからなくはない。事実、そんな人は大勢いる。

でも、帰れる地元があって、そこへ帰ってノホホンと暮らせるなら、無理して東京に固執することはない。東京は人が多くてしょうがないから、ゲンナリした人は地元でノンビリすればいい。

「東京」を意識し過ぎる人ほど、何かにつけて東京の悪口を言うような気がする。東京人からすれば大きなお世話である。東京をちょこっとかじっただけで悪口を言うような人は、田舎に引っ込んでいて欲しい。

悪口までいかなくても、東京が魔物や化物みたいに称されることは多い。歌の世界でもそんな傾向は強い。

長渕剛の「とんぼ」では、♪死にたいぐらいに憧れた東京のバカ野郎が…♪とか言われる。おいおいっ!て感じである。

内山田洋とクールファイブは「東京砂漠」とか言って、この街のことを血も涙もないようにおとしめる。やしきたかじんの「東京」もミスチルの「東京」も、ハマショーの「東京」も似たようなものである。

例を挙げればキリがない。たいてい、東京という街自体が「ヒール役」を担わされている。なんだかなあ~である。

普通に生まれ育った人間にとってはどこか腑に落ちない。地元民にとって東京は単なる地元でしかない。

前振りが長くなったが、今日は「東京の真髄」みたいな話だ。なんか大げさだが、先日の自分の行動がオススメ東京散歩みたいだったので書いてみようと思う。

とある日、有楽町でメシを食べて、銀座で酒を飲んで、新橋近くのホテルに泊まって、翌日、船で浅草に出て、老舗の洋食屋で満腹になって、寄席に行ってバカ笑いしたという1泊2日コースである。

たまたまの流れだったのだが、東京散歩の王道みたいなコースになった。「ちい散歩」や「ゆうゆう散歩」もビックリの完璧さだ。

お台場だ、表参道だ、代官山だ白金だといった先端的要素?のカケラもない場所ばかりだが、ある意味、東京っぽい東京をドップリ味わうには最適なコースかもしれない。

その1泊2日コース、羅列した地名で連想するのはフランク永井とか石原裕次郎とか、エノケン、ロッパあたりか。「昭和丸出し」である。

今さら「有楽町で逢いましょう」などと言う人はいないし、「銀座の恋の物語」だってカラオケで歌っている人を久しく目撃していない。

新橋界隈も、中高年の酔っ払いサラリーマンの聖地みたいなイメージになっちゃったし、浅草に至っては、街全体が文化遺産みたいなものだ。

そうは言っても、これらの街にこそ「東京っぽい東京」が根付いている。観光に来る人もヘタなテーマパークやディズニーなんちゃらではなく、こういうルートを楽しめばいいと思う。

さてさて本題に戻る。酔っ払って夜景を枕に惰眠をむさぼり、朝飯を抜いて小腹が空いた状態で某ホテルをチェックアウト。浜松町の近くにある「日の出桟橋」に向かう。

水上バスに乗って目指すのは浅草である。

隅田川をのんびり下っていく風情が良い。勝どき橋、永代橋、両国橋等々、東京を象徴するような橋をいくつもくぐる。30~40分の船旅だ。すっかり腹が減ったところで浅草・吾妻橋に到着。

朝寝坊のせいで既に昼も近い時刻だ。何はともあれメシである。浅草といえば、天ぷらか?ウナギか?釜飯か?はたまた寿司か?…。

東京のウマいもの屋がてんこ盛りの街だから大いに悩む。でも空腹が限界を超えると、ガッツリ系に心が動く。

で、結論は「洋食」である。これもまた浅草を象徴する食べ物といえるだろう。

この日は「アリゾナキッチン」に向かった。永井荷風もちょくちょく通ったという洋食屋さんである。


まずは生ビールとエビフライだ。揚げたてのエビフライを恍惚の表情でハフハフ口に運ぶ。間髪おかずに生ビールをグビグビ。ワンダフルである。朝から何も口にしていないフレッシュ?な状態で味わうから感度はビンビンである。

さほど大きくないエビが5尾並んでいる。「私達はビールと心中したい!」と叫んでいる。ビールも「オレもあいつらと乱交したいぜ」とささやく。

タルタルソースをベットリつけてガシっと食いつく。間髪おかずにビールをグビっ、レモンをギュッと絞ったバージョンで同じくガシっ、グビっ、続いてはウスターソースでガシっ、グビっ、そして中濃ソースでもガシっ、グビっ。。。

エクスタシ~である。

エビフライを発明した人、タルタルソースを発明した人、ソースを発明した人、皆様に心からの感謝の祈りを捧げる。


その後、タンシチューの登場である。特筆するほどでもないが、正しく美味しい。正統東京料理と言ってもいいかもしれない。

文明開化とともに花開いた、いわゆるニッポンの洋食は、ある意味、東京の郷土料理と呼んでいいだろう。オムライス、ハヤシライス、クリームコロッケ、ビーフシチュー等々。

東京の中の「古都」である浅草周辺に洋食のウマい店がたくさんあることもその証だ。かつては東京一、すなわち日本一の歓楽街だった浅草である。

私が行ったことがある店だけでも「ヨシカミ」、「大宮」、「フジキッチン」、「大阪屋」など洋食屋さんはゴロゴロある。

この街に住んだら1ヶ月で10キロは太る自信がある。

この日は休日だったので浅草中に人が溢れていたが、アリゾナキッチンはさほど混雑していなかったのも嬉しい。

満腹になってブラブラ歩いていたら、有名な観光レストラン?の前に順番待ちの行列が出来ていた。

100歩譲ってもウマいとは口が裂けても言えない店である。ほろ酔いついでに行列に向かって「洋食屋に行きなさい」と叫びそうになったがギリギリでやめといた。

入りたかった甘味処も大混雑だったので、思い立って浅草演芸ホールに行く。最初のうちは立ち見だったが、10分ほどで座れた。


何年ぶりだろう。たまにこんな空間に身を置くことは精神衛生の点ですこぶる良い気がした。何度も何度も声を出して笑った。

テレビで見る機会のない落語家や漫才師にも凄い人材がゴロゴロいることを再認識した。

印象に残ったのは「宮田陽・昇」という極めて地味な名前の漫才コンビ。実に面白かった。勝手に注目しようと思う。

この演芸ホールも昭和の匂いが濃厚で居心地が良い。普段着感覚とでも言おうか。

イマドキの映画館のように快適な空間に改装されたら浅草らしさが失われるから、
ずっとあの雰囲気を維持してもらいたいものだ。

浅草は時々ふと出かけたくなる街だ。死んだ祖父が生まれ育った街だから、その昔、何度も連れて行ってもらった。そんな記憶とDNA?のせいで引き寄せられる感覚がある。

子どもの頃は仲見世で売っている揚げまんじゅうが大好物だった。今では1個だけで胸焼けするようになってしまったが、その代わりに今の私は酒が飲める大人である。中年の図々しさも加わったし、もっとあの街をディープに散策したい。

最近はスカイツリー特需で休日の賑わいは相当だ。ちょっと萎える。桜の頃になったら、ゆっくり平日の昼頃から泊まりがけでブラついてみようと企んでいる。

東京散策を書くつもりが結局、浅草の話に終始してしまった。

まあいいか。

2014年1月20日月曜日

セックスは「遊び」か「恋」か


このブログを書き始めてもう7年目である。時が経つのはつくづくあっという間だと思う。


同じ人間が書いているから、同じような話を何度も書いてきたが、私が大好きな言葉を一度も取り上げていなかった。今更ながら気付いた。


遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん


平安時代の歌集『梁塵秘抄』に収録されているものだ。その昔、某有名陶芸家の著作のタイトルに引用されていたことがきっかけで知った言葉だ。

単純に言えば、「遊ぶために生まれてきたのだろうか」という意味である。

時間も忘れて夢中に遊ぶ子ども達を見ていると、子ども達は遊ぶために生まれてきたように見える。自分も子どもの遊びを見習って夢中で生きたい、といった解釈が一般的だ。

遊びや戯れは生きることそのものだ!といったニュアンスで解釈されることもある。そっちの方が収まりがいい。

現代語的異訳として、「遊ばなかったら何も生まれない」「遊びの中からこそ何かが生まれる」みたいな意味で使う人もいる。どれにしたって「遊び」の大事さに焦点を当てていることには違いない。

「遊び」。簡単なようで難しい言葉かもしれない。幅広い意味がある。サボるとか怠けるといったマイナスイメージで捉えるか、ゆとりとか余裕という意味で捉えるかで随分雰囲気は変わる。

四角四面の石部金吉みたいな人からすれば「遊びは文明から生まれた」という理屈だが、実際には「文明は遊びから生まれた」のが正解である。

古代の人間は仕事らしきものは狩猟をしているときだけで、その他の大半の時間は「遊び」の時間だったわけだ。

そりゃそうだろう。衣食住さえ確保できたらあとは遊ぶしかない。きっと時間を持て余さないように様々な遊びに没頭したのだと思う。

現代人のように仕事に縛られていると、遊びは当然二の次になる。だから遊ばないし、遊べない。ヘタをすると、遊び自体を悪だと錯覚して日々を過ごす。

まるで本能に逆らった感覚だ。残念無念である。

社会生活を円滑に運ぶためには遊びを抑えてコツコツと労働に専念することが望ましい。だから文明が進めば進むほど、遊びの要素は追いやられてしまう。

結果、メリハリをつけて遊びと労働を分ける空気が薄らいでしまった。現在の日本社会のように用もないのに職場に居座ってボーっとしている会社人間が量産されるのも仕方がない話。

「遊び」はそもそも人間の本能的な欲求だから、後ろめたく思わないで真剣に向き合うべきだろう。メリハリさえあれば誰に気兼ねすることもない。堂々と本能に従えばいい。

「遊び心」という言葉でも分かるように、遊びイコール「ゆとり」である。ゆとりの無いものに魅力は無い。ゆとりの無い人に魅力は無い。

さてさて、じゃあ一体「遊び」って何だ?という壁にぶつかる。突き詰めて言えば「働くこと、寝ること、食べること以外のすべてのこと」になるのだろうか。

もちろん、「食べること」だって、生きるための食料摂取と趣味としての美食追求では意味が異なる。後者は立派な遊びだろう。

寝ることや風呂に入るといった生活習慣だって、入浴剤を楽しんだり、アロマエッセンスを枕に吹きかける行為は遊びである。

とくに構えずに「自分が楽しいと思うこと」はすべて遊びにつながる。だから「真剣に遊ぶ」ことは決して難しくない。

男が女の尻を追っかける。女が男に媚びを売る。この一連の流れは、子孫を残す本能に応じた生き物としての営みである。ところがこれも文明社会においては適齢期の未婚者を除けば、ある意味「遊び」かもしれない。

遊びと言ってしまうと語弊があるが、結婚とか子作りの予定が無いのに男女が求め合うのは人間だけの特徴である。動物の潜在的な本能とは一線を画している。

「恋」という名の人間だけに許された高度かつ崇高な行動である。人間以外の動物が持ち得ない貴重な「ゆとり」である。

少年がAKBを追っかけたり、少女がジャニーズに夢中になるのも「人間本来の正しい遊び」である。オバチャンが杉良太郎やきみまろを追っかけたり、ジイサンが坂本冬美に夢中になるのも同じである。

私が壇密にゾッコンなのも同じである。

ネコとか犬とか猿とか鹿とかキリンの世界では、そういう「遊び」「ゆとり」は存在しない。

以前、何かで読んだことがあるのだが、動物の中でも人間は大脳が顕著に発達したことで独自の行動様式を確立したそうだ。

大脳は、欲求、喜怒哀楽、意欲など情念、想念みたいな部分を司どっているから、ここが発達したお陰で、身を焦がすような恋愛が出来たり、失恋でボロボロになったり出来るわけだ。

発情期など無い人間の恒常的な性欲はその際たるものだろう。いわば、生き物としての「ゆとり」である。

単なる生殖活動以外ではなく、欲求のままにセックスしたくなるのは、人間サマだけに許された高度なゆとりという意味の「遊び」だ。

だからしっかり遊ばないといけない。神様がくださった特殊な能力なんだから、フルに活用しないと罰当たりである。

適齢期だろうと未婚だろうが既婚だろうが、年寄りだろうが、高度に発達した大脳サマに敬意を表わす意味でもガンガンその能力を発揮しないといけないと思う。

それこそが「人間らしい生き方」である。

こういうのを「暴論」という。

でも、私の場合、本音で本気で心底そう思っている。我ながら神への畏怖と、神への感謝に満ちた謙虚で誠実な人柄?だと思う。

こういうのも「暴論」と人は呼ぶ。

でも、人間だけに許されたこういうスケベ心、いや、恋をする「ゆとり」という特殊能力が人間特有の社会性やコミュニケーション能力につながっているのも厳然たる事実である。

だから、くどいようだが、その能力を封印して禅僧みたいな顔をして生きていくのは馬鹿げているわけだ。

自分がより一層社会性を向上させ、コミュニケーション能力を向上させるために何が必要か。答えは簡単である。「ゆとり」「遊び」に全力を尽くすことだ。

こういうのを暴論、かつ自分勝手と人は呼ぶ。

結局、後半は下ネタになってしまった。

まあ、それもまた人間らしさである。

2014年1月17日金曜日

昭和歌謡が教えてくれた


とあるテレビ番組で、リリーフランキー師匠が名言を吐いていた。いわく「教科書に載っていないことは歌謡曲から教わった」。

実に深い言葉である。みうらじゅん師匠と並んで、卓越した洞察力でエロ道を語る御仁だけにさすがに目の付け所が違う。ナイスである。

言われて気付いた。私も昭和歌謡から色々なことを教えられた気がする。オトナの世界の神秘性は歌謡曲の中にコッソリ、そしてゴッソリ隠れていた。


操(みさお)という言葉を知ったのも「殿様キングス」のお陰である。

♪あなたのために 守り通した 女の操
今さら人に 捧げられないわ~♪

昭和っぽさぷんぷんの一曲である。小学校4年生の時にクラス代表として学校のキャンプファイヤーで歌った思い出の曲だ。先生達には大いに喜ばれた。

「みさお」である。貞操の操である。イマドキはちっとも聞かれなくなった言葉である。

貞操の意味は「男女間で性的純潔を守ること」である。「性的純潔」である。なんとも素敵な響きだ。

子供心に「みさお」という語感が耳から離れなかった記憶がある。

あの頃が懐かしい。いまではすっかり変態オヤジである。最近はとみに「過去フェチ」になってしまった私である。

相手の女性がどれほど操を乱していたのかを聞き出して萌えまくるという変態の沼にどっぷり浸かっている。

反省である。

さて、歌謡曲に教えられたのは、そういったオトナの色恋にまつわる情感みたいなものだった。さすがに学校では教えてくれない。

金井克子の「他人の関係」にもしびれた。


♪逢うときには いつでも他人の二人
ゆうべはゆうべ そして今夜は今夜
くすぐるような指で
ほくろの数も 一から数え直して♪

オトナは夜になったら、ほくろの数を数えたりするらしい。子供心に衝撃的だった。何とも色っぽい日本語の使い方である。情景が目に浮かぶようだ。

それにしても、このジャケット写真の下の方に書いてあるB面の「蜜の誘惑」ってのも凄まじいタイトルだ。聴いてみたいものだ。

何より決定的だったのは「時には娼婦のように」である。


凄いの一言だった。お茶の間に流れてくると、家族の間に何とも言えない重~い空気が流れた。日本全国でそんな光景が繰り広げられていた。家族団らんを一瞬で破壊するパワーがあった。

2番の歌詞が素晴らしい。当時の歌番組は時間の都合でたいてい1番の歌詞しか歌われなかったから、その辺も意識して作られたのかもしれない。

♪時には娼婦のように下品な女になりな
素敵と叫んでおくれ大きな声を出しなよ

自分で乳房をつかみ私に与えておくれ
まるで乳飲み子のようにむさぼりついてあげよう♪

オーマイガッ!!である。

黒沢年雄って何者やねん!!って思った。今だに彼をテレビで見ると「むさぼりついている男」にしか見えない。

子供の頃は、ただただイヤらしい歌にしか思えなかったが、大人になって聴き返してみると、「馬鹿馬鹿しい人生より馬鹿馬鹿しいひとときが嬉しい」という部分がこの曲の主題であることに気付く。

刹那的な世界観ではあるが、確かにうなずける心理描写だと思う。

実際にオトナになると、この歌詞のような官能的でシュールなお遊びに没頭することがある。聖人君子みたいな顔をしていても、誰だってそんな瞬間はある。それが真実だと思う。

子ども時代を越えて思春期も落ち着き、いっぱしのオトナになったつもりの頃に大ヒットした「ホテル」も衝撃だった。


オトナだと思っていた自分がいかに小僧なのかを思い知らされた歌詞だった。

♪ごめんなさいね 私見ちゃったの
あなたの黒い電話帳
私の家の電話番号が 男名前で書いてある♪

不倫だの不貞だの愛人だのといった世界を知らなかった若者としては、何とも色っぽい世界に思えた。

その後、年を重ねて実際にそんな場面に遭遇すると、色っぽさなどではなく、ただただ苦行みたいなものだと知るわけだが、当時はオトナの複雑な事情に憧れていたから強く印象に残った。

今の時代、電話帳を持ち歩く男はいないから、携帯やスマホのアドレス帳が覗き見される対象である。

この歌を若い頃に聴いたせいもあって、なぜだか私のアドレス帳には「苗字」ばかりが登録されている。

さすがに女性の名前を「男名前」に仮装することはないが、苗字で登録する変なクセがついてしまった。

誰に見られても困らないのに我ながら不思議である。「島津ゆたか」のせいだと思う。

昭和歌謡の歌詞の世界は、どこか余韻や余白を大事にしながら一歩引いたところから眺めているような物語性があった。

よく分からない表現でスイマセン。

歌詞で描かれた世界の前後左右?までもがどんどんイメージできるような感じとでも言おうか。

わがオヤジバンドでいつか採用されるかと思って、私自身いくつか歌詞モドキ?を作ったことがある。子どもの頃、脚本家とか作詞家に憧れたから、喜び勇んで作詞ごっこをしてみたが、やってみると実に難しい。ロクなものが作れない。

限られた文字数なのに、1本の映画を見たような気分にさせるのが昭和の名曲である。ちあきなおみの「喝采」あたりは最たるものだ。

生まれ変わったらあんな歌詞がポンポン生み出せるような作詞家になりたい。

いや、生まれ変わったら、いろいろな楽器を自由自在に演奏できる人になることが夢だった。

どっちにしようか。

いや、そんなことより今の私の課題は、昨年の暮れに買っておいた年末ジャンボを探し出すことである。紛失してしまった。正月からずっと探しているのだが見つからない。

7億円のうち、5億までは使い道を決めていたので大いに困っている。

2014年1月15日水曜日

体重と炭水化物


昨年秋に8キロほど体重を落とした。その後1キロほど戻ったが、いわゆるリバウンドはしていない。おかげで色々と好調である。

今の体重でもナンチャラ係数みたいな指標だと肥満に分類されるらしい。自分としてはこれ以上減らさなくてもいいと思っているのだが甘いだろうか。

現役で活動中の中年男であれば、医学的な指標で「標準」や「痩せ気味」に分類される人は変である!。

きっと体質的に太りにくいとか、ストイックに運動をしているとか、食事自体が嫌いなんだと思う。

かく言う私も、大学生の頃、ちょうど今ぐらいの体重になった時に慌てて1週間で7キロの減量をした覚えがあるから、本当はもう一息落としてもいいのだろう。

でもオトナの男性にはそれなりに貫禄も必要である。北朝鮮なんかだと太ってる人は立派な人だと認識されるらしい。だからこんなもんで良しとしよう。

放っておけば日々暮らしているだけで太ってしまう。呼吸してるだけで太る。年齢とともに基礎代謝が無くなってくるから、結構面倒である。

私も一応、リバウンドに注意するためそれなりに気を遣っている。といっても、夜遅くに食べないとか、大食いした翌日はかなり食事量を抑えるとか、当たり前のことを徹底するようになっただけだ。

体重増加問題における天敵は炭水化物だが、激しく愛すべき相手も炭水化物である。「愛憎相半ばする」ってヤツだ。


パエリアである。スペインレストランに行って、小皿料理をアレコレ食べて酔っ払っていれば大して太らないのに、最後にコイツがやってくる。もちろん、綺麗さっぱり食べてしまう。

この画像、6人でコース料理を頼んだときのものだ。どう見たって3人前か4人前の量である。少ない!。お得なコース料理だから間引かれた?のだろう。6等分されたらチョロッとしか食べられなかった。

だから欲求不満が溜まっている。近々、小食の女性でも誘って、小皿料理で満腹にさせてから、最後に出てくる2人前のパエリアの大半を食い占めようと思う。


ウナギ様である。実は昨年暮れからウナギが食べたくてしょうがなかったのだが、食べる機会が無くて悶々と正月を過ごした。で、仕事始めから日も浅いうちにいつもの日本橋「大江戸」に出かけてきた。

この店では、アンキモ山椒煮やイクラやコノワタみたいな珍味で飲み始め、白焼きが来たら冷酒に切り替えてグビグビ飲むのが正しい過ごし方である。

うな重が来ても、これだけのウナギ様が鎮座されていらっしゃるから、半分ぐらいのウナギは白米と一緒に食べずに、蒲焼き感覚で冷酒の肴にする。

うな重の蓋は閉めたまま、冷酒とともに味わう時だけ、こそっと蓋を開けて箸でちぎる。冷めないようにその都度また蓋をする。このミミっちい行動が楽しい。

ウナギを半分食べてしまうと、タレがまぶされた「ご飯サマ」の出番だ。これだけドカンとウナギが乗っかっているわけだから、残り半分のウナギでも充分である。

子供の頃は炊きたてのドンブリ飯にタレだけをビチャビチャかけた「鰻丼のウナギ抜き」を嬉々として食べていた私である。ウナギが半分でも残っていればバンザイである。

ということで、うな重サマに二役を担ってもらうことで、珍味、白焼き、蒲焼き、うな重という究極の流れが完成するわけだ。

そして、同行者が食べきれずに残した分まで調子に乗ってかっこんで太り続けていたのが平成25年秋までの私である。

昨年後半から、人の分まで食べるのをやめたから、何とか体重の増加を防いでいるのだと思う。


これもまた以前にもブログに載せたことがあるが、スペシャル軍艦巻きの画像である。

具材はいわゆるツナサラダである。高田馬場の鮨源で週に1度制作される上等なマグロを使った「ツナ」である。

もともとは突き出し用に作られていたが、軍艦巻きや中巻きなんかで食べる人も存在する。

この画像のような非常識極まりない、「粋」のカケラも感じられないアバンギャルドな一品は私しか食べない。

名付けて「スカイツリー軍艦」である。店の品格と名誉のために言っておくが、あくまで私のワガママで作ってもらう邪道寿司である。普通は出てこない。いや、こういうものを頼んではいけない。

寿司の基本中の基本は、ネタとシャリのバランスである。そういう意味では、この寿司はハチャメチャである。周りの人の視線が恥ずかしいから出されたら瞬時に食べるようにしている。

一口で食べるにはコツがいる。「口に入れる」という感覚ではダメである。「強引に押し込む」感覚が大事である。そして口中に溢れかえるツナとシャリの乱交状態を目を白黒させながら楽しむのがいつものパターンである。

乱交もそれなりに楽しいものだ…。

ツナだけをツマミにしていればいいものを炭水化物を愛する男として、どうしても寿司飯と合わせたくなってしまったわけだ。

こんなことを書いていると、さぞ大食漢だと思われそうだが、こう見えて、最近知り合った人々からは私は小食な人だと思われている。

一時的に食べる量を減らしてアルコールばかり摂取した時期があったせいだろう。中には私が甘いものも受け付けない人間だと思っている人もいる。

イチゴ大福を一度に3つ食べるぐらい甘味も好きだが、たまたま我慢した時に、我慢を隠すために自らそういうウソをついたのだろう。

何だか嬉しい。元来あからさまな性格なので、他人から実際とは違うイメージで認識されるのは変な快感がある。

「酒ばかり飲んで甘いものも食べない男」。なんとなく渋いではないか。

まさに世を忍ぶ仮の姿だ。そんなインチキイメージがもっと広がるような日々を過ごせば、必然的に体重は増えないはずだ。

頑張ってみよう。

2014年1月10日金曜日

高層階が苦手


住んでいるマンションが快適で根が生えそうだが、しょせんは賃貸物件なので何だかもったいない。不動産は今が買い時だという声もあるので、そろそろ新居を探そうと思っている。

今のマンションに暮らす前は、20代の4,5年を除き実家を含めてずっと戸建てに暮らしていた。漠然と「共同住宅」には馴染めないと思っていたが、今のやたらと便利なマンションに暮らしてみて考えも変わってきた。

新築マンションは買うだけムダだと思うので、築5年前後のゆったりした低層マンションに狙いを定めようかと画策している。

タワーマンションには興味がない。高層階に暮らすという選択肢は、高いところが苦手な私には考えられない。地に足が付いてない感じだ。地震で揺れた日には、きっと30秒ぐらいで髪の毛が全部真っ白になりそうだ。

聞くところによるとタワーマンションには変なヒエラルキーがあるらしい。高層階の住人がエラくて下層階の人間はエラくないのだとか。

アホみたいな話だ。

「ナントカと煙は高いところにのぼる」ということわざ通りである。

高層階が好きな人、ゴメンナサイ。。。

高所恐怖症と言うほどではないが、昔から不自然に高いところは嫌いだ。

だから綺麗なオネエサンと親密になりたい時にしか高層階のレストランなんか絶対に行かない。親密になった後は絶対行かない。怖くて仕方がない。

20年ぐらい前の話だが、初めて一戸建てのマイホームを作ったとき、建築現場にしょっちゅう足を運んだ。

小さい3階建てだったのだが、あるとき、棟梁が3階部分で作業していたので、まだ階段もないその場所へ酒瓶を持ってハシゴで登っていった。

床や壁もまだ不完全だったので、地面からの高さがストレートに感じられて怖くて仕方がなかった。3階を寝室にしたので、完成後もしょっちゅう建築中に感じた怖さを感じて落ち着かなかった。

だから2度目に作った家では迷わず1階を寝室にした。そんな私がタワーマンションの高層階に暮らすことはまず無理である。

高層階というと、いまどきの外資系ホテルも妙に高いところに客室がある。あれも何だか落ち着かない。


少し前に東京駅に近いシャングリラホテルに泊まる機会があったのだが、35階ぐらいの部屋をあてがわれ、とにかく地震が来ないように祈り続けていた。

まあ、10階とか11階だろうと、いざとなれば35階とたいして変わらない。5階や6階だって慌てて飛び降りたって助かるはずはないのだから気にしすぎても仕方がない。でも高ければ高いほど何となく落ち着かない。

ちなみに、イマドキの外資ホテルは、カッチョよくてオッシャレ~なイメージで人気だが、しょせん、低層階にあるオフィスと同じビルを共同で使っている“ごった煮”みたいな感じが気に入らない。

シャングリラもそのパターンである。ビルの高層階にフロントがあって、そこから上に客室などがある。

中国資本のくせにホテル内に中華レストランが入ってないことへの不満も相まって何だかウキウキしなかった。

もう昔の話になるが、新宿にパークハイアットが鳴り物入りで開業したとき、オフィスビルと同じ建物に同居している姿に、なぜかオヨヨと思ってしまい、それ以来、漠然とその手のホテルを敬遠するようになった。

どうでもいい下らないこだわりなのだが、その部分が私にとっては重要な基準になっている。変な先入観に基づく私見なので悪しからず。

帝国ホテルやオークラ、パレスホテルやニューオータニといった、その昔の若い頃にウキウキした東京のホテルは、ゆったりした場所にデンと構えているイメージがあった。

もちろん、時代も土地の価値も変わったわけだから新規参入するホテルが同じように作れないのは当然である。仕方のない話だ。

だからこそ、昔からある高級ホテルのユッタリ感は魅力だと思う。こんな部分にも私の「ドメスティックびいき」は炸裂してしまう。

もともと、アマノジャクをウリ?にする私は「最先端だぜ、どうだ!」みたいな空気が苦手だから、都内のホテルもどことなく旬を過ぎてしまったようなところとか、スノッブ路線ではないところに妙に惹かれる。

溜池のキャピトルホテルとか、高輪の都ホテルとか、ちょっと不便な場所に昔からあるホテルも悪くない。東京人として贔屓したくなる感覚とでも言おうか。

会社からも自宅からも便利な場所にある目白台の「椿山荘ホテル東京」も個人的に好きなホテルだ。フォーシーズンズホテルが撤退したことで、実にベタなネーミングになったが、そこがまた愛おしく?感じる。

新橋の第一ホテルだって結構頑張っている。周辺に増殖した外資系ホテルに押されてヘロヘロになっているが、東京人として無視してはいけない気がする。意味不明でスイマセン。

芝浦のインターコンチあたりも、その後の外資系ホテルの開業ラッシュで、どことなく“置いてけぼり”になったような雰囲気があって、何だかこれまた愛おしく感じる。

そうした二番手、三番手?に位置するホテルの場合、物見遊山で押し寄せる人達もいない。いつでも割と空いているし、最先端じゃないせいで突っ張らかってトンガッているような人々も闊歩していないから妙に落ち着く。

なんだか高層階嫌いの話が随分と脱線してしまった。

なんかまとまらなくなってしまった。御容赦…。

2014年1月8日水曜日

すし酢、モルタデッラ


気ままな一人暮らしも気づけば1年以上が過ぎた。「食」分野に難儀するかと思っていたが、今の世の中、出来合いの総菜とか、便利な食品がテンコ盛りなので、ちっとも困らない。
鮭の切り身やサバの味噌煮ですら、ほんの数分湯煎するだけでホカホカ食べられるご時勢である。

自分で料理する機会はほとんどないが、時々、思い立って食べたいものを作る。その代表格が寿司飯である。その時ばかりは精一杯頑張ってウマ~い寿司飯を作る。

作ると言っても何かを一生懸命するわけではない。米を炊いてすし酢を混ぜる。ただそれだけである。

包丁やまな板を出さずにそれなりにウマいものが出来ると、ナゼか何かに勝ったような気がする。

特製ピラフを作る時もそうである。パスタソースに市販のオニオンスープなどを足して、缶詰のマッシュルームやブツ切りの鶏肉をぶちこんで米を炊くだけで簡単にピラフが完成する。

まな板も包丁も無縁だ。「料理」などと呼ぶにはおこがましい簡単さで何かが出来上がると妙に嬉しい。自分が凄く要領の良い人間になったようでウキウキする。

さて、寿司飯の話だった。

かなり固めに炊いたあきたこまちを使うのが私流である。米の一粒一粒が立っているように感じられるので、米の種類で迷うことはない。何事も思い込みは大事である。

ちゃんと木製のたらいのような飯台も用意してある。炊きたての米を飯台に投入し、お気に入りの「すし酢」を混ぜるだけである。


いくつか試したすし酢の中で、私のお気に入りがコレ。米2合だったら60㎖が基本だが、私の場合、1~2割多めにすし酢を使う。

以前は米とすし酢を混ぜながら団扇でパタパタ煽いでいたが、そのやり方だとシャリが粘っこくなってしまうことをテレビの料理番組で知った。目からウロコだった。

以来、適度に混ぜ合わせてからパタパタ、また混ぜてからパタパタというパターンに変更した。これだけの違いで抜群にウマい寿司飯ができるようになった。

上物の刺身、イクラ、生ウニなんかを買いこんできて、寿司飯とともに味わう。お供はよく冷えた冷酒である。至福の時間である。

もちろん、一人メシの時にも時々作る。問題は一人でも2合の寿司飯をペロッと食べてしまうことだ。シャモジまでしゃぶる。

後半戦は刺身なんてどうでも良くなり、寿司飯にチロっと醤油を垂らしてワシワシかっこんでいる。

幸福の絶頂である。エクスタシー!である。

きっと寿司屋でツマミばかり食べて、握りを満足に食べずに帰ってしまう日頃の反動なのだろう。

いや、子供の頃、母親に連れて行ってもらった近所の寿司屋でドカ食いしてはならないとケナゲに我慢していたトラウマが原因かもしれない。

個人的な性癖?なのだが、お寿司屋さんは満腹になる場所ではないという変な感覚がある。

別に我慢しているつもりはないのだが、チマチマと珍味やツマミを食べながらアルコール摂取に励んでいると、大して食べてないくせに満足してしまう。

だから、寿司飯を腹一杯かっこむ行為が無性に尊く感じる。贅沢をしているような不思議な高揚感がある。炭水化物が大好きな「タンスイカブラー」として、2合分の米を一気に食べきるのは至極当然だろう。

さて、「家メシ」の話題ついでにもう一つ。こちらはメシと言うより「家飲み」のジャンルだ。最近凝っているツマミが「モルタデッラ」である。

なんかカッチョいい響きだが、平たく言えばハムである。昨年、発祥の地であるイタリアのボローニャで食べてから大好きになった。


モルタデッラについてのとある解説を引用してみる。

~~精選した豚肉を肌理の細かいひき肉にし、これにさいの目に切った豚の喉の部分の脂身を加え、蒸してつくったもの。円筒形または楕円形で綺麗なうすピンク色をしている。塩味は濃すぎず、生臭さもあまりなく、やわらかい舌触りと優しい味がする。製造会社によっても異なるが、ラードのかたまりのほかにピスタチオやチーズ、黒こしょうが粒のまま加えてある~~

という特徴を持ったハムである。あるところにはあるもので、我が家にほど近い高級路線のスーパーに常備してあるのを発見した。気づけば頻繁に買いに行ってしまう。今や我が家の常備品である。

これがシュワシュワ系のアルコールと妙にマッチする。ヒマで仕方がない休日などは、シャンパンやスパークリングワインを開けて、録画した映画を眺めているのだが、その際の相棒になるのがモルタデッラである。

お菓子のアーモンドスコッチとかチョコレート類を用意して、シュワシュワをグビグビ飲み始めるのだが、そのうち甘くないツマミが欲しくなる。そうなるとモルタデッラの出番である。

そのまま食べても良し、レンジで少しチンするだけでも雰囲気が変わる。フライパンで炒めても美味しい。

まあ、私の場合、モノグサ太郎なので、10回に9回はそのままムシャムシャ食べる。充分に満足する。変なサラミとかどうでもいいチーズをツマミにするならこっちのほうが断然オススメである。

さすがに年末年始の休みが退屈だったせいで、今日は「引きこもりネタ」に終始してしまった。

でも、今日紹介した2つのアイテム、間違いなくオススメです。

2014年1月6日月曜日

地味に暮らそう!


明けましておめでとうございます!

皆様にとって明るい1年になりますよう祈念しております。

今年も好き勝手なことを書き綴っていきますのでお付き合いいただけると幸いです。

正月休みは特別なトピックスはなかったので、前から暖めていた話を書きます。

とか言いながら、どうでもいい話で失礼します。



年末にナゾの占い師に会いに行った。数ヶ月ごとにいろいろ見てもらっている。四柱推命、方位、易、はたまたタロットなんかもハイブリッド?した、まさにナゾの占い師である。

予約が立て込んでいて数ヶ月に一度しか会えない。それもまた、もったいつけられてる感じで悪くない。ヒマでヒマでしょうがない占い師だったら有り難みがない。そんなもんである。

その人、非科学的な不思議な霊視能力を持っているみたいで、私が時々会いに行くのも、正直言ってその部分が目的である。

でも、その摩訶不思議な部分は、あえてお願いしないと能力を発揮してくれない。なんだか凄くバテるらしい。

怪しいと言ってしまえば怪しい。そうは言っても、これまで幾度かその人との関係で不思議なことがあったから、一刀両断に否定できない部分もある。

一応、私にとって都合の良い話だけは真面目に聞くようにしている。言ってみれば、オイシイところだけを記憶するようにしている。

今回は見てもらいたいテーマが特になかった。離れて暮らす子供のことぐらいしか聞いてみたいことが思い浮かばない。

でもそれ自体、自分が呑気に調子よく暮らせている証であり、幸せなことである。

仕方ないから、恋愛運みたいな部分も見てもらった。どうやらダメみたいである。ここ1~2年、私は的確な判断がくだせないらしい。

私としては「過去ウン十年、的確な判断が下せたことは一度も無かったぞ」と居直りたかったが、イヤミになるから黙っていた。

まあ、毎度?のことだから気にしないでおこう。

占い師いわく、「そういう相手が現れたら私にしっかり相談しなさい」とのこと。

「それって営業しとるやんけ!?」

そんな乱暴なセリフは控えておいた。

男女問題について的確な判断をくだすことなど私には無理な相談である。100メートルを9秒で走れと言われるようなものである。

ちなみに、私は今後ずっと独身でいるわけではないらしい。

しかし、その後、また独身に戻る可能性も充分あるらしい…。

おいおい!って感じである。もうあの占い師に見てもらうのはヤメようかと思う。

まあ、肝心のテーマである子供との今後の関係性、子供の心理面ともに問題は無いらしいから、それ以外の話はシャレみたいなものである。

それにしても、私の人生、これからまたドタバタ、ジタバタが待っているのだろうか。ちょっと面倒くさい。ワクワク、いやシンドイような複雑な気分だ。

新年早々、寝ぼけた話で恐縮です。

そんな切ない話を噛みしめながら過ごした今年の正月休みだが、大晦日の紅白を例年になく夢中になって見たり、録画したまま見ていなかった映画やドラマを随分と見た。

テレビっ子みたいだった。紅白の「あまちゃんコーナー」でナゼかウルウルした。我ながらあそこでシンミリしたのは不思議だった。

きっと、あまちゃんを見ていた時期に自分が抱えていた葛藤みたいなものを思い出したのだろう。

そんな葛藤があった記憶はないが、そういうことにしておいたほうが収まりがいい。そういうことにしておく。

BSで再放送されていた「北の国から‘98」でも号泣してしまった。前後編合わせて6時間近い長さだったのだが、引き込まれてしまった。

15年前に見た気もするが、今の年齢だからわかる部分、うなずける部分がいっぱいあって後半は顔をぐしゃぐしゃにしながら見た。

涙腺が緩くなったというより、アルコールのせいで酩酊状態だったから、変に感情移入してしまった感じだ。

さてさて、年末に真面目に部屋の掃除をしたから、休み中は結構すがすがしい気分でいられた。

普段から割と綺麗にしているほうだが、余計なものを捨てたり、細かいところまでピカピカにした。何とかその状態を維持し続けたいものだ。

休み中、わが社のシステム担当者が近所に住んでいるよしみでパソコンの調整に来てくれた。彼いわく、「女の人がいるみたいに綺麗ですね」だとか。

嬉しいことだが、素直に喜んでいいのだろうか。

実際に女の人が来た時に同じような印象を持たれたら不利?である。適度に散らかっていたほうが「私がいなきゃダメねえ、ダーリンは。ウッフン」と思われるかもしれない。

悩ましいテーマである。

正月早々、実にくだらない話である。

それ以外には、暮れも押し迫った日に決行された合コン的飲み会では、結局、酔っぱらってカラオケばかり歌っていただけだったし、子供を連れて実家に一泊した時には、慣れない子守りに疲労困憊した。

つくづく地味~な時間を過ごしたような気がする。でも、地味な時間こそ大事である。いっぱしのオトナなんだから地に足を付けた日々を過ごさねばなるまい。

とかいいながら、すっかり充電が完了した気分だから、休みが終わった今、よからぬ企てのためにせっせと動き始めるのだろう。

意味不明でスイマセン!

今年もよろしくお願いいたします!