2014年1月17日金曜日

昭和歌謡が教えてくれた


とあるテレビ番組で、リリーフランキー師匠が名言を吐いていた。いわく「教科書に載っていないことは歌謡曲から教わった」。

実に深い言葉である。みうらじゅん師匠と並んで、卓越した洞察力でエロ道を語る御仁だけにさすがに目の付け所が違う。ナイスである。

言われて気付いた。私も昭和歌謡から色々なことを教えられた気がする。オトナの世界の神秘性は歌謡曲の中にコッソリ、そしてゴッソリ隠れていた。


操(みさお)という言葉を知ったのも「殿様キングス」のお陰である。

♪あなたのために 守り通した 女の操
今さら人に 捧げられないわ~♪

昭和っぽさぷんぷんの一曲である。小学校4年生の時にクラス代表として学校のキャンプファイヤーで歌った思い出の曲だ。先生達には大いに喜ばれた。

「みさお」である。貞操の操である。イマドキはちっとも聞かれなくなった言葉である。

貞操の意味は「男女間で性的純潔を守ること」である。「性的純潔」である。なんとも素敵な響きだ。

子供心に「みさお」という語感が耳から離れなかった記憶がある。

あの頃が懐かしい。いまではすっかり変態オヤジである。最近はとみに「過去フェチ」になってしまった私である。

相手の女性がどれほど操を乱していたのかを聞き出して萌えまくるという変態の沼にどっぷり浸かっている。

反省である。

さて、歌謡曲に教えられたのは、そういったオトナの色恋にまつわる情感みたいなものだった。さすがに学校では教えてくれない。

金井克子の「他人の関係」にもしびれた。


♪逢うときには いつでも他人の二人
ゆうべはゆうべ そして今夜は今夜
くすぐるような指で
ほくろの数も 一から数え直して♪

オトナは夜になったら、ほくろの数を数えたりするらしい。子供心に衝撃的だった。何とも色っぽい日本語の使い方である。情景が目に浮かぶようだ。

それにしても、このジャケット写真の下の方に書いてあるB面の「蜜の誘惑」ってのも凄まじいタイトルだ。聴いてみたいものだ。

何より決定的だったのは「時には娼婦のように」である。


凄いの一言だった。お茶の間に流れてくると、家族の間に何とも言えない重~い空気が流れた。日本全国でそんな光景が繰り広げられていた。家族団らんを一瞬で破壊するパワーがあった。

2番の歌詞が素晴らしい。当時の歌番組は時間の都合でたいてい1番の歌詞しか歌われなかったから、その辺も意識して作られたのかもしれない。

♪時には娼婦のように下品な女になりな
素敵と叫んでおくれ大きな声を出しなよ

自分で乳房をつかみ私に与えておくれ
まるで乳飲み子のようにむさぼりついてあげよう♪

オーマイガッ!!である。

黒沢年雄って何者やねん!!って思った。今だに彼をテレビで見ると「むさぼりついている男」にしか見えない。

子供の頃は、ただただイヤらしい歌にしか思えなかったが、大人になって聴き返してみると、「馬鹿馬鹿しい人生より馬鹿馬鹿しいひとときが嬉しい」という部分がこの曲の主題であることに気付く。

刹那的な世界観ではあるが、確かにうなずける心理描写だと思う。

実際にオトナになると、この歌詞のような官能的でシュールなお遊びに没頭することがある。聖人君子みたいな顔をしていても、誰だってそんな瞬間はある。それが真実だと思う。

子ども時代を越えて思春期も落ち着き、いっぱしのオトナになったつもりの頃に大ヒットした「ホテル」も衝撃だった。


オトナだと思っていた自分がいかに小僧なのかを思い知らされた歌詞だった。

♪ごめんなさいね 私見ちゃったの
あなたの黒い電話帳
私の家の電話番号が 男名前で書いてある♪

不倫だの不貞だの愛人だのといった世界を知らなかった若者としては、何とも色っぽい世界に思えた。

その後、年を重ねて実際にそんな場面に遭遇すると、色っぽさなどではなく、ただただ苦行みたいなものだと知るわけだが、当時はオトナの複雑な事情に憧れていたから強く印象に残った。

今の時代、電話帳を持ち歩く男はいないから、携帯やスマホのアドレス帳が覗き見される対象である。

この歌を若い頃に聴いたせいもあって、なぜだか私のアドレス帳には「苗字」ばかりが登録されている。

さすがに女性の名前を「男名前」に仮装することはないが、苗字で登録する変なクセがついてしまった。

誰に見られても困らないのに我ながら不思議である。「島津ゆたか」のせいだと思う。

昭和歌謡の歌詞の世界は、どこか余韻や余白を大事にしながら一歩引いたところから眺めているような物語性があった。

よく分からない表現でスイマセン。

歌詞で描かれた世界の前後左右?までもがどんどんイメージできるような感じとでも言おうか。

わがオヤジバンドでいつか採用されるかと思って、私自身いくつか歌詞モドキ?を作ったことがある。子どもの頃、脚本家とか作詞家に憧れたから、喜び勇んで作詞ごっこをしてみたが、やってみると実に難しい。ロクなものが作れない。

限られた文字数なのに、1本の映画を見たような気分にさせるのが昭和の名曲である。ちあきなおみの「喝采」あたりは最たるものだ。

生まれ変わったらあんな歌詞がポンポン生み出せるような作詞家になりたい。

いや、生まれ変わったら、いろいろな楽器を自由自在に演奏できる人になることが夢だった。

どっちにしようか。

いや、そんなことより今の私の課題は、昨年の暮れに買っておいた年末ジャンボを探し出すことである。紛失してしまった。正月からずっと探しているのだが見つからない。

7億円のうち、5億までは使い道を決めていたので大いに困っている。

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