2023年11月29日水曜日

2023年11月27日月曜日

アドレナリン 


無事にバンドライブが終了した。100名ほどのお客様が集まってくださり、2時間半ほどのステージを楽しくやり遂げることが出来た。完全燃焼だ。昨年に引き続きオリジナル曲は封印してご来場の皆様にとって耳馴染みがある邦楽、洋楽のカバー曲だけで構成した。

 

毎年1回、その年の後半にライブをやり続けてきた。コロナ禍の2年間は中止して昨年久しぶりに復活、今年も無事に終わった。ホッとして発熱したり寝込まないか心配である。

 

私の役割はボーカルというか、フロントマンである。2日がかりで仕上げたMC台本をベースにその場の雰囲気や盛り上がりに応じて流れを作っていくのが一番大事な仕事だ。

 

歌を二の次にしてはいけないのだが、実際は進行管理に一番力を入れたような気がする。素人バンドライブにありがちな眠たい空気、退屈な雰囲気になるのはイヤだからいろいろと奮戦した。全体的にうまくまとまった。後半の大盛り上がりはかつてないほどのレベルになった。

 

バンド活動を始めて10回目のライブだ。今までは基本は座って歌うスタイルだったが、今回は一念発起?してノリの良い曲では立って歌った。棒立ちもマズいので揺れたり跳ねたりドタバタしてみた。

 



「ステージに恥など無い」。今回初参加してくれたパーカッション担当メンバーから言われた金言を胸に刻んで頑張ってみた。後半はお客さんの多くが立ち上がって踊りだしたり大合唱になったり、手前味噌だが素人バンドのライブとしては相当な仕上がりになったと思う。

 

パーカッションが入ったことでバンドの音がずいぶん華やかに膨らんだのが今回のライブの特徴だろう。オープニングのパーカッションソロでは、ざわついていたお客さんが一気にステージに集中してくれた。

 

それにしてもノリノリで揺れたり跳ねたりしながら歌うことがあんなにも体力を消耗するとは驚きである。何度も重ねたスタジオ練習では感じなかったが、やはり本番アドレナリンが加わると全然違う。思った以上にヘロヘロになる。

 

70歳を超えてもステージで動き回る永ちゃんあたりのプロフェッショナル達の体力とエネルギーに今更ながらビックリ仰天である。日頃の不摂生をひたすらに反省する結果になった。


汗の量も凄かったし、測ってはいないけど"瞬間風速”ではライブ前日より3キロは体重が減ったような気がする。分母がデカいから結構そのぐらい落ちていたはずだ。

 



バンド結成仲間であるアコースティックギター担当メンバーは、しっとり系の弾き語り曲を安定した技量で聴かせてくれた。アコギだけの曲ではフルート担当メンバーの気持ち良い音色も加味された。全体の構成上、ノリノリ曲とのバランスも良い感じだった。

 

エレキギター担当メンバーは例年にないキレッキレぶり、プロはだしの力量を誇るドラマーも、いつも酔っている熟練のエレキベースもさすがの仕上がりだった。ノリノリ曲などでは素人レベルとは思えない演奏を見せてくれた。

 

便利屋的メンバーである我が姪っ子は今年もバイオリン、キーボード、ソロ歌唱とマルチに活躍。バイオリンの名曲「情熱大陸」を5分ほどのロックバージョンにアレンジした演目では、それぞれのメンバーがシビれるコラボを見せてくれた。インストゥルメンタルなのに会場が大いに湧いた。

 

昨年初参加した同級生新人ドラマーはエレキベースをこなす娘さんとともに4曲だけ選手交代で出場。モタついた箇所はあったものの上手にしのいだ。パニックにならずにやりきったあたりは経験の少なさを感じさせない中年男ならではだった。

 



50代後半になってステージで拍手をもらって大勢の人たちと一つになってワイワイ盛り上がれることは幸せだ。ただただ幸せの一言に尽きる。究極の非日常的喜びだろう。

 

思えば仲間内では死んじゃったヤツもいるし、生きていても大病と闘う話も頻繁に耳にする。そういうことがちっとも珍しくない年代の渦中にいるから、ひと時でもエネルギーを爆発させてアドレナリンを出しまくる時間を持てることは実に有難い。

 

歳のせいか何事においても「当り前だと思ってはいけないな」という思いが最近はしょっちゅう頭をよぎる。明日、事故で死んじゃうかもしれないし、それは極端にしても、検査で厄介な問題が見つかれば半年や1年先のことなんてどう転ぶか分かったものではない。

 

「昨日亡くなった誰かが生きていたかった日」が今日という1日であり、そう思えば日頃のグダグダした過ごし方は人生の無駄遣いである。


やたらと楽しかったライブを終えた直後にそんな殊勝な気持ちになった。改めてこれからの日々を充実させようと決意した。

 

といっても一週間も経てばそんな思いもすっかり忘れてグダグダしちゃうのは間違いない。賭けてもいい。そこが私の凡人たるゆえんである。

 

でも、時々そんな気持ちになるだけでもまったくそれを感じないよりはマシだ。たかが趣味とはいえ、されど趣味である。いわば遊びの世界にもかかわらずバンドライブの成功を通してちょっと真面目な気持ちになったのだから結構なことだと思う。

 


このブログを読まれているかたで当日ご来場いただいた皆様には心から感謝しています。次の機会にもゼヒ楽しい時間を共有しましょう!

 

  

●備忘・セットリスト

 

ダンシング・オールナイト(もんたさん達)

勝手にしやがれ(ジュリー)

真夏の夜の夢(ユーミン)

もうひとつの土曜日(ハマショー師匠)

BE MY BABY(ロネッツ)

I Only Want to Be with YouBay City Rollers

ラストショー(ネタ枠・ハマショー師匠)

アメリカ(ハマショー師匠)

シングルベッド(シャ乱Q)

つぐない(テレサテン)


休憩


今はもう誰も(アリス)

情熱大陸(葉加瀬太郎)

Dont stop believing(ジャーニー)

妹(ネタ枠・かぐや姫)

なごり雪(かぐや姫)

さよならエレジー(菅田将暉)

WON'T BE LONG(バブルガム)

ヤングマン(ネタ枠・ヒデキ)

GOLDFINGER'99(ヒロミゴー)

上を向いて歩こう(斉藤和義)






 

 

2023年11月24日金曜日

親の心


親の心、子知らず…。最近そんな言葉がしょっちゅう頭をよぎる。私の母親は80代も半ばを過ぎ何とか元気に暮らしているが、さすがに衰えは着実に進行している。

 

その一方、娘はどんどん大人になっており、昔とは違った心配ごとも増えてきた。親になってみて22年が過ぎたが、今になって自分の母親が子供時代の私をどんなふうに心配していたのか何となく理解できるようになってきた。

 

先日、娘が一週間ほどの海外旅行に出かけた。友達と二人での旅だ。当然、私はノータッチである。せいぜい安宿は避けろといった当り前の忠告をしたぐらいである。

 

一週間の旅行中、やはり親としては娘が心配になる。今の時代はLINEという便利な文明の利器があるからマメに連絡は取るようにしたが、親バカパパである私は四六時中ヤキモキした気持ちだった。

 

と同時に若い頃、海外旅行ばかりしていた自分のことを思い出し、母親がこんな感じで私のことを心配していたのかと気づいて複雑な気持ちになった。

 

私の場合、主に水中写真撮影のために秘境みたいな場所にも出かけた。おまけにたいてい一人旅だった。今、私の娘が水中写真マニアになってそんな場所に出かけると言い出したら私は卒倒してしまうだろう。

 

マラリアの予防薬を飲んでパプアニューギニアに行ったり、ミクロネシアの奥にサメを撮影しに行ったり、戦時中の沈没船を撮影したり、そんな旅を年に複数回は続けていた。

 

秘境っぽい場所に行くと聞いただけで、怪しい部族に襲われるんじゃないか不安になるのが私の母親世代の感覚だ。東南アジアの奥地と聞いただけで謎の生物に襲われるんじゃないかと不安になったりもしたようだ。

 

カリブ海を回ってくると聞けば、もう海賊はいないのかと心配し、エジプトの紅海で潜ってくると聞けばテロリストに攻撃されやしないかと気が気ではなかったらしい。

 

当時はメールもLINEも無い時代である。出発してしまえば連絡は簡単にはとれない。国際電話はあったがやたらと高価だったから身近ではなかった。つまり帰ってくるまで黙って心配するしかなかったわけだ。

 

息子は聞いたこともない僻地まで出かけて毎日毎日海の中に潜っている。連絡もない。そんな状態で無事の帰国を祈っていたわけだからそりゃあそりゃあ心配だったと思う。この歳になってようやく理解できるようになった。さすがに申しわけなかったと感じる。

 


 

この画像は小学生の頃の娘とグアムに行った時に撮影した。まだまだ無邪気だったこの時から10年ちょっとしか経っていない。私にとって10年なんて昨日みたいな感覚だから今になっても旅先での様子が心配になってしまう。

 

今回、旅行中の娘とのLINEのやり取りを見直してみたら毎日2回ぐらいは連絡を取り合っていた。かなり過保護かつ過剰な心配ぶりである。

 

その内容が滑稽とも言えるレベルだ。寒くしていないか、薄着はダメだ、酒を飲みすぎるな、裏通りには行くな等々、当り前のことを羅列していた。

 

私が言われる側だったら実にウザい。若い頃は私も親の注意がウザくて仕方なかったが、今になってそっち側陣営の気持ちがよーく分かる。まあ、今になってようやく分かるようでは鈍感すぎるのかもしれない。

 

娘と2人での同居暮らしを始めてから1年半が経った。さっさと一人暮らしに戻りたがると思っていたのだが、まったくそんな気配がない。

 

大学を卒業したら自立したがるだろうと予想していたのだが、結局は大学院に行くことになり、おまけに今の住まいから乗り換え無しで20分程度の距離の大学院に合格したので、当り前のように今の住まいに定住するみたいだ。

 

年頃の娘である。毛嫌いされていないだけで幸せに感じないといけないのかもしれないが、過保護な自分の言動を思うたびに娘との同居はかえって娘をスポイルしている気がしてそれはそれで心配になる。

 

まあ、自立する日がくれば、いやでも誰もが何でもこなすようになるのだろうが、何かと心配は尽きない。キリがないのだが…。

 

ついでに言えば年老いてきた母親を心配する機会も昔より増えてきた。昨年暮れに転倒したことをきっかけにXデーを想定するところまでいったのだが、その後なんとか復調し、今ではすっかり調子に乗って動いている。

 

次にまた大転倒でもしたらいよいよ危ないのだが、喉元過ぎたらナンチャラで平気で脚立に乗って高い所の操作をすることもあるらしい。自覚の足りない行動に腹が立つことも増えた。

 

まあ、私が若い頃に心配をかけたことに比べれば仕方ないレベルなのかもしれない。「因果は巡る」。まさしくそういうことなんだと思う。

 

 

 

 

 

 

2023年11月22日水曜日

アーカイブ

 ちょっと更新が間に合わなかったので過去ネタを2つ載せます。


一匹狼と独りぼっち

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2016/12/blog-post_14.html



娼婦と靴

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/09/blog-post_10.html







2023年11月20日月曜日

善行

 

人生も後半戦になった今、自分は「善行」をどのぐらいしてきたか考えてみた。いろいろ思い返してみたが実にショボイ。いかに自分のことだけ考えて生きてきたかが分かる。

 

ニュースなどで目にする数々の善行を知るにつれ、自らの凡人ぶりが残念になる。かといって何をどうすればよいのか分からないのも事実だ。

 

私だって大きな災害時には義援金を送っているが、金額はたいしたレベルではない。人様に胸を張れるような話でもない。

 

ハヤりのクラウドファンディングもいろいろ協力したが、ほとんど当事者に頼まれて応じたものばかりだ。善行とは趣旨が違う。

 

返ってこないのを知りながら人にお金を貸したこともあるが、しょせんは義理みたいな話でこれまた善行とは意味が違う。

 

小学生の頃、バス停でハンドバックを拾い交番に届けたことがある。もう40年以上前の話だが、中には現金40万円ほどに加えて貴金属も入っていた。

 

すぐに持ち主が見つかり、謝礼として1万円をもらった。小学生には大金だが、子供心に「足りなくねえか?」と不満に思ったことを覚えている。三つ子の魂ナンチャラで結局私はそんな人間である。

 

一応、若い頃は混雑する電車でお年寄りに席を譲ったことも何度もあるが、それと同じぐらい寝たふりをして席を死守?したこともある。

 

小雨だったから見知らぬお年寄りに傘をあげたこともある。びしょ濡れの子供にもあげたこともある。でもその一方で、レストランの傘立てから自分が置いた傘より綺麗な傘を持って帰った前科もある。ダメダメだ。

 

試験に遅れそうだという見ず知らずの中学生を車で学校のそばまで送り届けたことがある。そう書くと善行みたいだが、信号待ちをしていた私の車にその中学生が勝手にドアを開けて乗り込んできたから送っただけの話である。ウソみたいな本当の話だ。

 

駅などでバギーの運搬に苦労するお母さんを手伝ったことが何度かある。とはいえ、白い杖を持つ人に声をかけて一緒に道路を横断するとか、車椅子の人に手を貸すとかの積極的な行動に出たことはない。

 

しょせん私にはチマチマした善行モドキの経験しかない。実に残念だ。

 

困っていそうな人を目にしても、肝心の一歩目が出ずに通り過ぎてしまいがちだ。躊躇せずにサっと行動に移れる人こそ善人なんだろう。

 

毎月数百円で海外の孤児が救えます、月々わずかの支援で途上国の人に飲み水を支援できます、少しの善意で途上国に学校を作れます、といった案内をよく目にする。協力しようかと思うことはあるのだが、まずは国内の困った人に目を向けるのが先かな、と逡巡しているうちに結局何もしないで終わってしまう。

 

ダウン症の息子のおかげで世の中には邪念のない善行を普通にこなしている人が大勢いることを思い知らされた。それまでは、しょせん善行といっても虚栄心や自己満足やエエ格好しいが背景にあるのが普通だと思っていた。そう考えていたこと自体がヒネクレ者の証だろう。

 

善行という意識すらないまま奉仕の心や犠牲的精神を標準モードにしている人は結構いるものだ。そういう人達は善行を自慢げに話すことはない。だから人に知られることもない。実に尊い人達だと思う。

 

どういう生まれ育ちをすればそういう人間性が作られるのだろうか。持って生まれた性質だとしたら神様が一定の役割を持たせてこの世に送り出したのかもしれない。

 

根っからの悪人などいない、と言われるが、私に言わせれば根っからの悪人は存在する。そういう連中がいるからこそ根っからの善人が送り込まれてバランスを取っているのかもしれない。もっと言えば善行精神の塊みたいな人が一定数存在することが社会秩序を維持する支えになっているのだろう。

 

何が書きたかったのかよく分からなくなってきた。だんだんと人生を振り返ることが増えてきたから自分の俗人ぶりを今更ながら反省したくなってきたのだろうか。

 

いまさら善行精神の塊みたいな人になれるはずもないから、せめて周りの人への親切心だけは忘れないようにしようと思う。

 

安っちい道徳論みたいになってしまったが、世の中結局大事なのは安っちい道徳の積み重ねでしかないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

2023年11月17日金曜日

喉が弱点


久々に寝込んでしまった。2日も会社を休んだ。おそらく扁桃炎だったが、早めに抗生物質を飲んだおかげでまあまあ短期で決着した。

 

先週の金曜にわりと急激に身体が冷え切ってしまい、慌てて葛根湯を飲んだり風邪薬をバンバン飲んで風呂で温まったが、どうにも体の芯が冷えた感じが続いた。

 

土曜はライブ本番が間近に迫ったオヤジバンドの練習だったので頑張って参加。ちょっと無理して動き回る。少し汗が出たおかげで体感としてはちょっとラクになった。練習後の飲み会もほぼノンアルにして短時間で切り上げる。

 

日曜はひたすら寝ていたかったのだが、娘の大学の学園祭に向かう。ミスコンにエントリーしていた娘の結果を見届けるためにズボンの下にタイツを履くなど重装備で出かけた。

 

ミスコンなんて学園祭の日にワチャワチャ投票して結果が出るのかと思っていたが、7月ぐらいからSNSで活動が始まり、途中で何度かの発表モノがあったり企画投票とやらがあったり意外に長丁場のイベントで、同居する父親としても何かと気にかけていた。

 

娘は来年から大学院に進むことになったが、大学生活の半分はコロナ禍で潰れたようなものだからミスコンに参加することで大学生っぽい時間が作れて良かったと思う。

 

この日は妙に寒い日で「風邪っぴきパパ」としてはシンドイものがあったが、ステージ前の最前列に陣取りせっせと動画撮影に励む。大学の学園祭というものに行くこと自体が人生最後だと思って感慨深かった。

 

とりあえず有難い結果になり、親バカの極みである私は娘のスピーチを聴きながら立派に育ったものだと内心ウルウルする始末。歳のせいか最近はちょっとしたことで涙腺が油断しそうになる。

 

結果を見届け、寒くて仕方ないからタクシーでとっとと帰宅。そこからようやく寝込む。食欲もない。来週木曜にはライブ本番だから体調を崩すタイミングとしては悪くない!?

 

扁桃炎で医者にかかっても抗生物質「ジスロマック」と解熱鎮痛剤「ロキソニン」を出されるぐらいである。そんなものは自宅に予備をいくつも用意しているのでせっせと服用してひたすら寝る。

 

で、月曜、火曜とダウンしてようやく復活するに至る。でも今回は熱も38度台中盤ぐらいで済んだので軽症だった。早めの抗生物質のおかげだと思う。

 

扁桃炎との付き合いは二十歳を過ぎた頃だ。不思議と少年時代には縁がなかったのに成人してから定期的に襲われるようになった。20代、30代の頃がとくに酷かった。入院したことも何度かある。

 

一年に4回ほど扁桃炎になるなら手術して扁桃腺を取っちゃったほうがいいと医師からも言われていたが、不思議と多くても一年に3回というパターンが続いたので、ずっと付き合い続けている。

 

40代の半ばぐらいから1年に一度ぐらいの頻度になり、50代になってから頻度はもっと減った。嬉しいことだがそれだけ身体が変わってきた証でもあるのだろう。反応が鈍くなったのだろうか。これも鈍感力の賜物だとしたら悪い話ではない。

 

思えば若い頃は40度の熱にウンウンうなされるパターンが珍しくなかった。精子が死んじゃうんじゃないかと真面目に心配したことも何度もあったほど。

 

そのぐらいキツかったから70代や80代だったら高熱を契機にして死んじゃうかも知れない。頻度が減ったことは有難いが、そろそろ完全に消滅してくれないかと切に思う。

 

未経験者からは「ただの喉風邪だろ?」と言われちゃうのも悔しい。ピークの時は水を飲むのにも一苦労するキツさで、知らない人にはなかなか理解されないのが“扁桃腺爆発”のツラいところである。

 

痛みの中でもトップレベルでシンドイと噂される尿管結石も経験したことがあるが、扁桃炎が重症の時はそれと同じぐらい苦しい。喉を一周するまで漫然とやり過ごすしか対処法が無いのが切ない。入院した時もたいして効果のない点滴を入れられただけで結局ウチで寝込んでいたほうが良かったと思った覚えがある。

 

まあ、一度爆発すればしばらくはおとなしくなる休火山みたいなものだ。来週のバンドライブ本番は喉の不調も無い状態で臨めるはずだ。

 

いよいよ今週末のスタジオ入りが今年最後の練習になる。他のメンバーも体調を崩すならゼヒ今週中にしてほしいと思う。

 

 

 

 

 

2023年11月15日水曜日

お休み

 体調を崩してしまい今日は更新が出来ませんでした。

2023年11月13日月曜日

寒くなってきたら…


いつまでも生暖かい日が続いたからスーツの衣替えは11月の2週目の週末になった。先週まではヘンテコな気候だった。大地震でも来るのかと心配になってしまう。

 

ようやく秋も深まり冬が近づいてきたが、人間の体は不思議なもので季節によって食べたくなるもの、美味しく感じるものが変わってくる。

 



イクラと並べてみたのは寒い季節のヒーロー!?である白子だ。新富町のお寿司屋さん「なか山」で出された逸品。白子ポン酢も気の利いた店だと温かい状態で出してくれるのが嬉しい。口の中で広がる旨味がより強く感じる。酒のアテとして殿堂入りの逸品だろう。

 

カツオも今の季節はとくにウマい。適度に脂の乗った鰹の刺身や握りは秋の楽しみだ。マグロが魚業界の王様のように思われているが、ウマいカツオの香りや味わいはそこらへんのマグロが太刀打ち出来ないレベルだと思う。下の画像はサッパリめのカツオ。これはこれで夏場には良かった。

 



カツオといえばタタキが人気だ。私も大好きである。藁焼きのカツオにスライスした生にんにくを加えて豪快に頬張るのは日本人ならではの楽しみ方だ。それはそれで素晴らしいが、脂の乗ったカツオは単純に刺し身でも充分に美味しい。生姜醤油との相性も抜群だ。

 

握りのネタとしては目立つ存在ではなく、二番手扱いみたいな印象もあるが、今の時期のカツオは握りにしても最高だろう。上等なマグロの赤身と適度に脂の乗ったカツオ、それに穴子に茹で海老、小肌があればそれだけで寿司大会は充分かもしれない。個人的にはそのラインナップだけあれば満足しちゃうほどだ。

 

カツオついでに銀座のおでん屋さん「おぐ羅」のカツオタタキに話題を移す。この店の定番がカツオのたたきを食べ終わった皿におでんの豆腐を入れるパターンだ。

 



カツオのたたきには薬味が妙にたくさん入っているのだが、後で追加投入する豆腐のことを考慮しているからだろう。カツオが大好きな私はタタキだけでもハッピーなのに残り汁(タレ?)に熱々の豆腐が投入される二度楽しい感じが好きだ。

 

思えば15年以上前からこの店に出かけるようになった。本来私はおでんが嫌いだ。でもこの店の銀座っぽい空気感と風情、気の利いた一品料理に魅せられて通い続けている。

 



私は育ちがすこぶる良い!?からいまだに猫舌である。おでんの豆腐などその熱さにイライラしてしまう。しかし、カツオに使ったポン酢ダレのおかげですぐに豆腐は冷めてくれる。残しておいた薬味をトッピングして味わえば至極の一品になるから堪らない。

 

15年ぐらいに渡ってカツオのある季節にはこの組み合わせを食べ続けている。「丸椅子のくせにやたらと高い店」というのがこの店に対する私の第一印象だったのだが、一品料理のレベルの高さはテキトーな割烹料理屋より上だから今ではコスパを気にすることも無くなった。

 




クジラベーコンも上等なものを出してくれるし、枝豆の端っこをカットして出すような細かい気配りも銀座の名店ならではだ。アジフライなどもそこら辺の定食屋や居酒屋と違って実に丁寧に作られている。

 

嫌いだけどおでんをまったく食べないのもカッチョ悪いので、ぜんまいやつみれ、揚げ物系や玉子などを注文して野菜から逃げるようにしている。このあたりは味覚がお子ちゃま的である私の弱点である。

 


 

それでもこの店のおでん出汁は無条件に美味しい。永遠に飲めそうな気になる。シメに茶飯を軽く茶碗に盛ってそこにたっぷりとおでん出汁を浴びせ倒すと世界中のグルメウンチクがアホらしく思えるほど崇高な一品になる。

 

寒くなってくると混雑してなかなかふらっと入れなくなるのが玉にキズだが、それもそれであの店の特徴だから仕方ない。いつもガラガラだったらウマいものもウマく感じないのかも知れない。

 

人間の感覚や味覚なんてそんなもんだろう。

 

 

 

 

 

2023年11月10日金曜日

銀座が呼んでいる



最近、ちょこまかと銀座通いに励んでいる。鼻の下を伸ばしに行くのが主な理由だが、今月行われる我がオヤジバンドのライブに向けた集客活動にもなっている。例年、いくつかのお店の女性陣や黒服がライブ会場の前の方の席に陣取りワイのワイの盛り上げてくれる。

 

素人バンドのライブはヘタするとお客さんも固いままでドンヨリ進行しちゃうことが珍しくない。その点、わがバンドライブは一味違う。「チーム銀座」が盛り上げ役として活躍してくれるから前半から結構楽しい空気が広がる。次第にすべてのお客さんにワイのワイの楽しむ空気が広がっていく。

 

一種のサクラ!?である。いや、それは違う。ちゃんと正規のチケット料金を負担してくれているから厳然たるお客様である。といっても、ライブ後にお礼参りに出向くと個々のお店でやれニューボトルだ、シャンパンだなどと言われるからコストパフォーマンス的には最悪である。

 

ライブのチケットは一人3500円である。それに比べてそれぞれのお店では顔を出して座るだけで10倍ぐらい収奪されてしまう。経済原則として意味不明な構造だ。


そんな細かいことを気にしても仕方ないので綺麗どころの前でニンマリと過ごすようにしている。鼻の下が伸びた私の顔は見せられないので頑張って加工した画像だ。

 


 

バンド活動は123年前に始めた。毎年地道にライブを行っていたが、コロナの中断があったせいで今年でついに10回目になる。銀座勢の中にはヨチヨチバンドだった1回目から欠かさず見に来てくれているオネエサンもいる。


当時は大箱のホステスさんだったが今や小さい店のオーナーママさんになった人もいる。そろそろオネエサンという呼称も厳しくなってきた。いとをかしである。

 

他にも2回目から皆勤というオネエサンや黒服さんもいる。有難いことだ。もちろん、銀座方面に限らず、毎年のように来てくれる友人、知人は結構多い。気づけばみんな順調に歳を重ねてきた。一緒に歳を重ねているようで楽しい。

 

昨年、3年ぶりのライブの際、一年に一度同じような時期に集まってワイワイ騒げることは決して当たり前のことではなく得難い機会だと気付いたという理由で涙を流した銀座のオネエサンがいた。

 

私もその話を聞いてちょっと感動した。こっちはこっちで本番当日でバタバタしていたから感慨にふける余裕がなかったのだが、確かにコロナ禍で先の見えなかった日々を思い返すと、当たり前のようにライブが出来てみんなで騒げるのは物凄く貴重で得難い時間である。

 

というわけで、たとえ義理で来てくれる銀座チームとはいえ、貴重な盛り上げ役である以上、今年のライブでもしっかり応援してくれるように頼みに行かねばならないわけだ。


だから私が大嫌いなハロウィンイベントの日に当たっちゃった時には真面目にヘンテコな格好で飲んできた。昭和感満載のサングラスではしゃぐ私だ。

 



 夜の銀座に足を踏み入れるようになって30年近くになる。初めの頃は年齢的に間違いなく小僧だったからアウェー感に浸るのが結構楽しかった。ちょっと力みながら背伸びして過ごした。IT長者もいなかったその頃の銀座は中年よりも老紳士が目立った気がする。

 

あの世界では“マセガキ”みたいなものだったから居住まいの良いお客さんの姿を随分と観察した。ヘンテコな酔客は反面教師にしてカッチョいいオジサマ達を手本にしようと努めた。

 

それが今ではすっかりダメな酔客である。下の画像の私は隣に座るオネエサンの胸元に今にも突撃しそうな勢いである。力みも背伸びもしなくなると素の自分がさらけ出されてしまうみたいだ。

 


 

飲み方もだいぶ変わった気がする。昔は女性陣の話を適度に受けながら関連する雑学やウンチクを披露して悦に入っていたが、いまやすっかり“ワイ談マスター”みたいな話ばかりしている。

 

相手の話を聞くというより自分がしゃべりたいテーマを面白おかしく披露してウケを狙うような会話ばかりになった。昔ほど面白い話をしてくれるホステスさんがいなくなったせいかもしれない。

 

歳のせいか、伝道師みたいな心境になることがある。知っておけば楽しくなる話、得する話、ためになる話をワイ談という手法を駆使しながら必死に語っている。私より寿命がはるかに長い若者達に自分が見聞きしてきたことを伝えておかねばという使命感に駆られているのかもしれない。

 

種子島に鉄砲を伝えたポルトガル人はきっとこういう気分だったのだろう。

 

というわけで、ライブ集客に向けて音楽的な話をしなければいけないのに相も変わらずワイ談を伝道師的立場から必至に語ってしまう日々だ。

 

 

 

 

 

 

2023年11月8日水曜日

チャリの偉大さ


ヒマな休日は簡単な自炊をしたり、取り寄せた甘味をむさぼりながらホゲホゲ過ごしている。なぜか最近は広島名物「もみじ饅頭」にハマっている。もみじ饅頭にもいろいろあるが「生もみじ饅頭」のウマさに魅せられわざわざ取り寄せている。

 



銘菓にウマいもの無しという定説もあるが、生もみじは味も食感も抜群だと思う。こしあん、つぶあんはもちろん、抹茶餡も抹茶風味が強すぎず非常に優秀だ。たいしたもんだと思う。

 

簡単な自炊に関しては、やる気がある時はフライパンを使って頑張るのだが、スイッチポンだけで出来る炊き込みご飯なんかは疲れている時でもラクチンだ。

 

最近は日本橋に店舗がある出汁専門店「茅乃舎」が出している炊き込みご飯の素をあれこれ試している。和風のそれっぽいラインナップの他にチキンライスやドライカレーもある。



 

チキンライスにうるさい私は、これに別途チキンを追加する。やはり具が多いチキンライスは最高だ。炊くときに適当にぶつ切りにした鶏肉も加えて炊飯器のスイッチを押すだけで済むから嬉しい。

 




早炊きで炊きあがってからバターを一切れ追加投入してかき混ぜてから更に10分ほど蓋をして蒸らす。その後、やや味が上品なので追いケチャップと黒胡椒を適量加えて混ぜ合わせる。それだけでそこそこウマいチキンライスが完成する。悪くない。

 

運動もせずボケっとしているだけでは太る一方なのでなるべく散歩にも出かける。先日は日銀の横にある貨幣博物館に入ってみた。結構楽しかった。お金の歴史が勉強できて賢くなった気がした。

 



銀座一丁目の警察博物館などもそうだが、官がやっている博物館は無料だから週末は結構な入場者で賑わっている。まあ大混雑というほどでもないから散歩のついでに訪ねるのはオススメだ。雑学を仕入れられて悪くない。

 

貨幣博物館を後にして常盤橋の渋沢栄一像に挨拶しつつ散歩を続けていたら、いまハヤリのLUUPのレンタル自転車があったので使ってみた。以前、電動キックボードを使った時にアプリ登録をしてあったから簡単に利用できた。

 

キックボードも悪くないが、この日はチャリにした。こっちのほうが緊張感無しに使える。電動アシスト付きだから初動もラクチンで実に快適。とりあえず大手町の将門塚に参拝しに行く。

 



その後、すぐ側の皇居前の道路がサイクリング用に開放されていたので、ここぞとばかりに乗り入れてみた。カッチョいいウェアに身を包んだそれっぽいサイクリストがガンガン走り回っていたが、こちらはオッサンの部屋着状態である。控えめに端っこをノンビリ走る。

 

コースを何周もぐるぐる走ってみた。竹橋あたりから日比谷の手前まで結構な距離をクルマを気にせず走れるのは妙に楽しい。

 



問題はチャリが電動アシスト付きだったから脚にちっとも負担がかからなかったことだ。運動と呼ぶには無理があるほどラクチンだった。息切れ一つしなかったからきっとカロリー消費もゼロである。

 

マイ自転車を今更買うのも億劫である。マンション住まいはいちいち駐輪場の手続きもあるから億劫である。レンタルチャリ置場が近隣にたくさんあるから気軽に拝借するほうが便利だ。

 

伝道アシスト機能ってバッテリーが上がった後でも普通に漕げるのだろうか。だとしたらバッテリーが切れそうなチャリを選んで走り回れば運動にもなりそうだ。

 

それにしてもチャリの偉大さにウン十年ぶりに気付いたことが収穫だった。今の住まいに引っ越してからほぼ一貫して中央区内でしか動いていない。近距離移動だから頻繁にタクシーを使ってしまう。これをチャリに置き換えたら気持ちもいいし身体にも良さそうだ。

 

やはり手軽な折りたたみ自転車を買うことは私のQOLを向上させる早道かもしれない。

 

 

 

 

2023年11月6日月曜日

大食いなのか少食か


食が細くなってきたとはいうもののドカ食いはやめられない。おそらく身体的には大食いを拒否しているはずだが、脳が勝手にドカ食い指令を出してしまう。結局、膨満感や胸焼けで太田胃散をたくさん飲むハメになる。

 



自宅での朝食をレトルトで済ますことがあるのだが、ナゼか2種類を合い掛けしたくなる。この画像はハヤシライスとビーフストロガノフである。どっちにしようか悩むのだが、瞬時に脳が「両方食ってしまえ」と指令を出す。

 

根が意地汚いのだろうか。外食の際も必ず2品以上注文しないと気が済まない。トッピングなり別皿料理をつい頼んでしまう。牛丼屋なら「特盛」という満足感が高い選択肢があるのだが、単品注文がイヤで他にも余計なものも追加する。

 



ある週末の昼前の時間帯、空腹でおまけにジャンク的気分だったので近所の「松屋」に出かけた。いつもはデリバリー専門で店まで行くことは稀なのだが、久しぶりに店舗訪問である。

 

そもそもデリバリー専門になったのはドカ食いを人様に目撃されたくないという自意識過剰のせいである。家だったら誰の視線を気にすることなくアホバカ食いが可能だ。他人のメシの量など誰も見ていないとは思うが、変な自意識が邪魔をしていた。

 

でも最近酔ったついでに牛丼屋に入ることが続いたので人様の視線などまるで気にしない耐性が付いたみたいだ。というか単に加齢とともにズボラになったのだろう。

 

で、松屋では当然のように「特盛牛丼」の他に「焼肉定食・肉ダブル」も注文してしまった。ご飯付きである。一応、定食の方のご飯は残そうと思っていたのだが、牛丼のタレが染みたご飯とは趣の違う白米も捨てがたく、気づけばどちらもほぼ完食してしまった。

 

50代後半の人間の食べ方ではない。周りのお客さんを注意深くチェックしてみたが、私より年下に見える人ばかりだったのにそもそも2品以上頼んでいる人など皆無だった。

 

別な日、銀座の「串銀座」へ。ここの個室はタバコが吸えるし、掘りごたつで女子の生足を覗けるから時々出かける。いや、それが理由ではない。すこぶるウマい温泉卵を目あてに訪ねたくなる。

 



確か「無敵の蘭王卵」と言ったか、そんな名前のブランドもの?らしい。コレステロールも普通の卵の10分の1だかで何個食べても大丈夫という店主のウンチクを信じて10年以上前から時々食べに行く。

 

日本酒の品揃えがかなりの水準なので、珍しくこの日は冷酒をグビグビ。枝豆や鴨たたき、レバーペーストなどを肴に飲む。肝心の串は少ししか食べずに「温玉」をお代わりしてちょっとずつ味わう。

 

この店では温玉さえあればそれだけで幸せだ。とはいえ、あまりに少食だとまた深夜の牛丼という失敗に繋がりそうだったので、「温玉そぼろ丼」を注文。小ぶりのドンブリに上品に盛られていたので、ご飯をほんのひとくちだけ食べて残りは女子に譲る。結局、酒ばかり飲んでロクに食べずに終了。

 



普通ならその後に牛丼かラーメンに導かれるところだが、「ひとくちのご飯」のお陰でドカ食いをせずに終われた。自分が「少食の人」みたいに思えて良い気分だった。

 

飲んだ後に制御不能になってドカ食いをすることを我ながら反省していたので、この日は自分に対して「やれば出来るじゃないか!」と喝采を送りたい気持ちになった。

 

別な日、女子を連れて築地の「宮川本廛」へ。この日は鰻で一献である。あいも変わらず白焼きと冷酒の組み合わせに悶絶するクセがあるので、チマチマしたツマミなども突っつきながら冷酒をグビグビ。

 



シメの鰻重は正直キツいと思ったが、さすがにパスするわけにもいかず、「ご飯は極少で」で残念なリクエストをしてしまう。でも自分が「頭のおかしいドカ食い男」ではないことが証明できたような気持ちになってちょっとアガる。

 

もし鰻重をパスしてしまったら、きっとその後にラーメンか牛丼という悪循環に陥る可能性が高いため、しっかり食べないといけない。頑張って食べた。

 



画像のように本当に米の量は少なかった。有難いことだ。若い頃にこんな少量の米で出されたら大暴れしてしまいそうだが、今の歳になるとこのぐらいで安堵してしまう。「俺って少食なんだよな~」と心の中で呟く。日頃の“アホバカ食い”は世を忍ぶ仮の姿であると思い込む。

 

米を食べたせいでこの日も深夜に余計な食事をしないで済んだ。勝利である。毎日、深夜のドカ食いをしないことを勝利と位置づけて頑張れば「目黒蓮」のようなスタイルになるはずだから頑張ってみようと思う。

 

まず無理だろう。すいません。