食が細くなってきたとはいうもののドカ食いはやめられない。おそらく身体的には大食いを拒否しているはずだが、脳が勝手にドカ食い指令を出してしまう。結局、膨満感や胸焼けで太田胃散をたくさん飲むハメになる。
自宅での朝食をレトルトで済ますことがあるのだが、ナゼか2種類を合い掛けしたくなる。この画像はハヤシライスとビーフストロガノフである。どっちにしようか悩むのだが、瞬時に脳が「両方食ってしまえ」と指令を出す。
根が意地汚いのだろうか。外食の際も必ず2品以上注文しないと気が済まない。トッピングなり別皿料理をつい頼んでしまう。牛丼屋なら「特盛」という満足感が高い選択肢があるのだが、単品注文がイヤで他にも余計なものも追加する。
ある週末の昼前の時間帯、空腹でおまけにジャンク的気分だったので近所の「松屋」に出かけた。いつもはデリバリー専門で店まで行くことは稀なのだが、久しぶりに店舗訪問である。
そもそもデリバリー専門になったのはドカ食いを人様に目撃されたくないという自意識過剰のせいである。家だったら誰の視線を気にすることなくアホバカ食いが可能だ。他人のメシの量など誰も見ていないとは思うが、変な自意識が邪魔をしていた。
でも最近酔ったついでに牛丼屋に入ることが続いたので人様の視線などまるで気にしない耐性が付いたみたいだ。というか単に加齢とともにズボラになったのだろう。
で、松屋では当然のように「特盛牛丼」の他に「焼肉定食・肉ダブル」も注文してしまった。ご飯付きである。一応、定食の方のご飯は残そうと思っていたのだが、牛丼のタレが染みたご飯とは趣の違う白米も捨てがたく、気づけばどちらもほぼ完食してしまった。
50代後半の人間の食べ方ではない。周りのお客さんを注意深くチェックしてみたが、私より年下に見える人ばかりだったのにそもそも2品以上頼んでいる人など皆無だった。
別な日、銀座の「串銀座」へ。ここの個室はタバコが吸えるし、掘りごたつで女子の生足を覗けるから時々出かける。いや、それが理由ではない。すこぶるウマい温泉卵を目あてに訪ねたくなる。
確か「無敵の蘭王卵」と言ったか、そんな名前のブランドもの?らしい。コレステロールも普通の卵の10分の1だかで何個食べても大丈夫という店主のウンチクを信じて10年以上前から時々食べに行く。
日本酒の品揃えがかなりの水準なので、珍しくこの日は冷酒をグビグビ。枝豆や鴨たたき、レバーペーストなどを肴に飲む。肝心の串は少ししか食べずに「温玉」をお代わりしてちょっとずつ味わう。
この店では温玉さえあればそれだけで幸せだ。とはいえ、あまりに少食だとまた深夜の牛丼という失敗に繋がりそうだったので、「温玉そぼろ丼」を注文。小ぶりのドンブリに上品に盛られていたので、ご飯をほんのひとくちだけ食べて残りは女子に譲る。結局、酒ばかり飲んでロクに食べずに終了。
普通ならその後に牛丼かラーメンに導かれるところだが、「ひとくちのご飯」のお陰でドカ食いをせずに終われた。自分が「少食の人」みたいに思えて良い気分だった。
飲んだ後に制御不能になってドカ食いをすることを我ながら反省していたので、この日は自分に対して「やれば出来るじゃないか!」と喝采を送りたい気持ちになった。
別な日、女子を連れて築地の「宮川本廛」へ。この日は鰻で一献である。あいも変わらず白焼きと冷酒の組み合わせに悶絶するクセがあるので、チマチマしたツマミなども突っつきながら冷酒をグビグビ。
シメの鰻重は正直キツいと思ったが、さすがにパスするわけにもいかず、「ご飯は極少で」で残念なリクエストをしてしまう。でも自分が「頭のおかしいドカ食い男」ではないことが証明できたような気持ちになってちょっとアガる。
もし鰻重をパスしてしまったら、きっとその後にラーメンか牛丼という悪循環に陥る可能性が高いため、しっかり食べないといけない。頑張って食べた。
画像のように本当に米の量は少なかった。有難いことだ。若い頃にこんな少量の米で出されたら大暴れしてしまいそうだが、今の歳になるとこのぐらいで安堵してしまう。「俺って少食なんだよな~」と心の中で呟く。日頃の“アホバカ食い”は世を忍ぶ仮の姿であると思い込む。
米を食べたせいでこの日も深夜に余計な食事をしないで済んだ。勝利である。毎日、深夜のドカ食いをしないことを勝利と位置づけて頑張れば「目黒蓮」のようなスタイルになるはずだから頑張ってみようと思う。
まず無理だろう。すいません。
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