2009年1月30日金曜日

一人酒か二人酒か

一人で酒を呑むのが結構好きだ。つるむのはキライだ、群れる男はロクなもんじゃない・・などと言うほど格好の良い理由があるわけではない。単なるわがままだろう。

偉そうに書いてしまうが、昔から私は、人に気を使えない人間が嫌い。自分のことは棚に上げやがってとお叱りを受けそうだが、自分では、結構人様に気を使っているつもりだ。

気配りをしたい、ちゃんと気を使える自分でありたいと思って、それを習性にしているくせに、気疲れするのがイヤで、結局一人の時間に逃げ込みたくなる。

好きな肴を前に勝手なペースで盃を傾けている時間は何とも幸せだ。社会性、協調性に問題があるのかも知れない。ちょっと反省。

一人ぶらぶらと夜の銀座を徘徊していると、時間帯によっては、知った顔に遭遇することがある。ママさんやホステスさん、黒服さんにお寿司屋さんの若い衆。。。

決して私が顔が広いわけではない。夜の銀座という世界の狭さゆえだ。夕暮れ時とか19時過ぎあたりに7,8丁目あたりの路地をほっつき歩いていれば、仕事前の準備で往来する知った顔に会うことは珍しくない。

誰も通らないような細い路地で、良くも悪くも別人状態の顔見知りのママさんとぶつかったり、薬局で偶然会ったホステスさんにウコンの力をおごってもらったり、バッタリ会ったご高齢のママさん(ババさんか)に無理やりハンバーグを食べに連れて行かれたり、、、。

最近も、某クラブの黒服君が、うら若き女性と道端で神妙に顔を付き合わせていたので、すぐ横でウソっぽいクシャミをかましておいた。

先日、相変わらず一人で酒を呑もうとふらふら思案中に顔見知りの女性と偶然会った。着付けに行くところだという。まさに、ここで会ったが百年目。普通なら同伴出勤に付き合うところだが、あいにくその日は一軒呑んだら、そのあと野暮用があったので、お付き合いはできないことを詫びる。

ところが、一杯だけでも付き合わせろと憎いお言葉が返ってきた。お店に付き合わない客、それもしばらく不義理している客を相手に、お義理でも嬉しいことを言ってくれる。

とりあえず着付けに行く女性と別れて、近くのお寿司屋さんに腰を落ち着ける。

ほどなく、和装に変身した女性がおっとり登場。出勤時間まで30分もない。色気のない近況報告を交わし、一杯二杯ひっかけただけで慌ただしく去っていった。

一人のんびり呑むのが好きだが、こういうちょっとしたアクシデントなら一人酒じゃなくても楽しい。束の間のご相席が想定外だったことに加えて、やたらと短い時間だったので、妙に印象的だった。

でも、予定していなかったシチュエーションで綺麗ドコロにお供してもらうと変に緊張するから不思議だ。

ガラにもなく、ふと視線に入ったうなじにハッとしたり、お酌する指先を見てドギマギしたり・・・。
まだまだ修行が足りない。。もっと精進しないといけない。。

2009年1月29日木曜日

派遣切り 京品ホテル 悪循環

ファーストフードのハンバーガーが100円で食べられるのには、経営側の努力あってのこと。企業努力の代表がコスト削減。変動費の調整が中心だ。

正規雇用者ばかりだったら暇な時間帯も忙しい時間帯と同様に人員をシフトすることになる。そんなことしていたらコストがかさんで100円バーガーは提供できない。これってごく当然の道理だ。

評論家の大前研一氏がこんな例え話で、昨今の派遣切り問題を語った。わが社が発行している経営者向けの税務専門紙「納税通信」のインタビューで、最近の表層的な労働問題をめぐる報道に警鐘を鳴らしている。

常勤雇用こそが正しく、いわゆる派遣切りを断行する企業は悪者であるかのような世間の風潮は、まさに「木を見て森を見ず」の典型だろう。

「不安定な非正規雇用より常勤雇用を増やすべき」みたいな変なプレッシャーが世の経営者に向けられている。はたして、それを実現したらどうなるのか。結末は、日本企業の海外流出だ。

大前氏は、非正規雇用というスタイルを含んだ日本の産業構造自体が、多くの製造業があえて海外に行かずに粘ってこられた要因だと指摘する。

この構造が保てないなら、結局は大企業の海外進出が加速し、派遣切りどころの話ではなくなる。職場自体が国内に無くなってしまうという内容だ。

至極もっともな話だと思う。

ところで、東京・品川の京品ホテルをめぐる元従業員の居座り騒動にも、昨今の派遣切り批判と同様のいやらしい臭いがした。

従業員がホテルに誇りを持っていようが、愛着があろうが、細々と客が来ようが、本体の事業が立ちゆかなくなってからでは、屁の突っ張りにもならない。

経営側に対してやたらと戦闘的な連中って、会社自体が不滅なものだとでも思っているだろうか。無くなっちゃったら元も子もない。

大前氏の主張に話を戻そう。

最近の雇用不安に対して、経団連会長も“常勤雇用が望ましい”という趣旨の発言をしたことに対して、大前氏はスジ違いだと怒る。

すなわち、消費者に良い物を安く届けようと世界中で闘っているのなら、軽々しく常勤雇用賛美などという無責任なことはできないはずだと指摘。堂々とそのことを主張し、それが通らなければ日本では生産ができなくなると声を大にすべきという趣旨だ。

至極もっともだと思う。

不況風に対応しようと企業側もあれこれ創意工夫をする。当然痛みも伴うが、その痛みを単純に悪だと決めつけ、企業を悪者視したらバカみたいな悪循環に陥る。

雇用安定などの本来なら政治がすべき役割を企業に押しつけ、今以上に負荷を課したらどうなるか。当然、企業の利益は減少する。そうなれば税収は減ってしまう。

利益の減った企業は従業員の給与も削減する。そうなると個人個人が納める税金もどんどん目減りする。

税収が減って、連動して社会保障費の集まりも悪くなる。そうなれば、最終的には雇用政策に回す予算だって縮小される。実にもったいない負の連鎖だろう。

大衆向けメディアはいつの世もどんなテーマも大衆ウケを狙う視点でしか物事を報道しない。

経営者層の目線で正論を報道するような媒体はありそうでないのが現実。「納税通信」では、これからも世の経営者の皆さんが少しでも溜飲を下げられるような企画記事を掲載していく予定。

2009年1月28日水曜日

男ばかり

小学校から高校までずっと男子校に通った。
私にとっては、その生活しか知らないので特別な印象はないが、人様に話すと驚きや同情といった反応が返ってくる。

私の母校は、運良く周辺に女子校が山のようにあったので、思春期らしい経験にもそれなりに恵まれた。だから男ばっかりでも男子校の良い面ばかりを経験したように思う。

同じ年頃の男子でも、それぞれの路線はバラバラ。ガリ勉、運動派、ナンパ派などのパターンが一般的。その一方で「オカマ派」の存在がしっかり確立されていた印象がある。

オカマという呼称は今の時代、差別用語との指摘を受けるので、ここからは「ニューハーフ」と言い換えることにする。ニューハーフじゃなんかピンと来ないが・・。

最近、テレビをつければニューハーフのオンパレードだ。私が10代だった頃に比べて格段に彼らの社会進出は進んだ。一種の文化人並みに扱われているように見えることさえある。

私の中・高校生時代に“その道”まっしぐらだった旧友達は、あの頃より生きやすくなっているのだろうか。

私が通った学校は、小さい頃からエスカレータで上の学校に進むため、良くも悪くも狭い世界でいろんなことに見聞を深めた。男とは思えない“そっち系”の級友がいても、それはそれ。ハレモノに触るような別扱いまではしていなかったような気がする。それなりに学校やクラスに溶け込んでいたと思う。

まあアチラの世界のことはよく知らない、というか正直知りたくないが、単にナヨナヨした男と、いわゆる性同一性障害とは分けて考えないと行けないことは確かだ。後者は文字通り障害なので、コトはそう簡単ではない。

自分の性別が受容できないまま、自分が認識しているのとは反対の性別で生きていくのは結構悲惨だろう。

単純に自分に置き換えて考えてみた。男だと思っているのに、ずっと女性の格好をして、女性らしく振る舞い、女性の言葉を使って暮らさなければならない自分を想像してみた。どうにも耐えられない。そうした障害というか病気になっている人に対して安易に後ろ指はさせないと改めて感じる。

もちろん、病気や障害というレベルではなく、単純にナヨナヨしている男は嫌いだが、その線引きはこっちにはわからないのだから、それはそれで困る。

私の男子校時代にも「ニューハーフ系」はいっぱいいたが、いま思えば、ただのナヨナヨとは違う“筋金入り”もいた。噂では今もその路線を貫いて堅い仕事を化粧をしながら立派にこなしているらしい。

当時、そうした人々が自分の苦労や辛さをテレビなんかで訴えることはなかった。いま活躍中のその道の人達は、世の中に知識と一定の理解を広めているわけだから彼らの存在も意味があるのだろう。

性同一性障害に限らず、障害を持つ人が障害を堂々とアピールすることは、障害に無縁な人達の理解度を広めるために最適だという考え方もある。そう考えると売れっ子ニューハーフの使命って大きいのかも知れない。。

ところで、やたらとテレビに出ている売れっ子の美人ニューハーフが男子校出身であることをカミングアウトした本を見る機会があった。

私の母校出身だという噂を聞いたので確認してみた。本に使われている学生時代の集合写真を見ると確かにわが母校の制服だ。何年経ってもそういう路線の生徒がいるんだと思って変な意味で感心した。

男子校だからニューハーフが育つのか、ニューハーフだから男子校に集うのか、はたして男子校という異質な世界との因果関係はあるのだろうか。共学校にはどのぐらいの頻度であういう路線の男子が混ざっているのだろうか。

なぜだか興味が尽きない。

2009年1月27日火曜日

東京のカニ

年末にカニをたくさん食べた話を新年早々アチコチで自慢していたら、またカニがやまほど食べたくなった。

東京でカニといえば、単純な私が思いつくのは天下の「かに道楽」チェーン。以前、テレビの企画で某お笑いトリオが、かに道楽の全メニューを泊まり込みで食べつくす企画を見た。カニ好きな私は笑いとともにヨダレが出た。

メニューに書かれた順番に食べ尽くす企画だったので、揚げ物なら揚げ物、ご飯ものならご飯ものばかりが続く。その点は大変そうだったが、ゆでガニや刺身なんかは、見るのもイヤになるぐらい食べられたら幸せだ。

さてさて、今回出かけたのは東銀座にある「網元」。一応、かに道楽チェーンの上級ラインらしい。エンポリオに対するジョルジオだ。普通のかに道楽より、なんとなく店の作りや雰囲気が仰々しい。

メニューの内容は場所柄コースが中心。カニすきコースを頼んで、それ以外にアレコレ一品料理も頼むことにした。

コースもやたらと種類があるのだが、あまり揚げ物に魅力を感じなかったので、カニ刺し、ゆでガニ、焼きガニなどが付いたカニすきコースにした。

別注品は、甲羅ミソ焼き、花氷刺し、そして「ザ・かに道楽」というビミョーなネーミングの、いわゆる殻剥き盛り合わせだ。

ズワイの刺身はコースにも付いていたので、「花氷刺し」とやらは、きっと氷水にさらして花が咲いたようになっている鮮度抜群の刺身だろうと想像していた(今年1月6日付けのこのブログに花が咲いたような刺身画像を載せてますのでご参照)。

ところが、出てきたのは、コースに付いてくる刺身と特別変わりなく、ただ大量の氷に埋もれていただけ。身も花が咲いているわけではない。少し拍子抜けしたが、食べてみたら実に甘みタップリで濃厚。ウットリする。

花が咲いているような刺身は、考えてみれば話の種に食べるようなものかもしれない。新鮮さは間違いないが、新鮮さばかりが際だち、いわゆるウマ味に欠けるのだろう。

多くの魚がそうであるように、絞めたてより、絞めてから適度に時間をおいた方が旨味が濃厚になってくる。変な表現をすれば、死体ならではの味だ。死んで時間が経ったことで旨味が膨らんでくる。そういう意味で、氷水につけても花が咲かない程度のズワイの刺身には、旨味が充分にあふれている。実にエロティックな味だった。

次の画像は単品で頼んだ「ザ・かに道楽」。上の段はゆでガニ。右から毛ガニ、タラバ、ズワイ。下の段はズワイの刺身とタラバの刺身(湯引き)とズワイの沖漬け。基本的にコースで出てくるものとかぶるが、殻から剥かれているので、少し気分は変わる。でも味は同じなので、このあたりを食べ尽くす頃にはカニに飽き始める。

「カニに飽き始める」なんて、安易に書いてしまったが、実に素晴らしいことだ!富豪みたいだ。一般的に料理に使われているカニは一切れでも嬉しいのだから、飽きるほど食べられることは幸福の極みだ。おまけにカロリーも低い・・・。

最後のカニすきも鍋に入っているダシが実に風味豊かで、鮮度の良いズワイを大量にぶち込めば、ゆでたり焼いたりするのとはひと味違った美味しさ。飽きてきたはずのカニがドシドシ食べられる。

そして雑炊。問答無用でしょう。贅沢にカニのダシをまとった雑炊は滋味たっぷりの冬の味。攻撃的な美味しさではなく、ほっこりさせる優しい味わい。

カニを食べまくった翌日、私の脳裏に浮かんだのは「ズワイばっかりだったなあ」ということ。そして「毛ガニがたべたいなあ」「毛ガニのミソが恋しいなあ」・・・。

“北海道行きたい病”の発作が近づいているようだ・・・。

2009年1月26日月曜日

ムダ遣い

税金ってすべての国民に影響するにもかかわらず、想像以上に知られていないことが多い。難解な税金の仕組みはともかく、周辺事情なども世間一般にほとんど馴染みがない。

「税金のムダ遣い」というテーマも、週刊誌やテレビが表層的な現象を報道するぐらいだ。ムダ遣いチェックの専門機関である「会計検査院」については、国民にとって物凄く大事な組織にも関わらず広くその存在が知られているとは言えない。

会計検査院は、内閣や裁判所、国会のいずれからも独立した特殊な国家機関。独立しているということは、それらに対しても検査権限を持つことを意味する。いわば国家に対するマルサみたいなもの。

特殊かつ強力な機関の割には一般的に認知度は低い。実際の活動規模が大きくないこともその理由だろう。国税庁が6万人程度の陣容であるのに対し、会計検査院は、1300人ほどの組織であり、直接検査に関わっているのは、900名程度。

毎年一度、決算検査報告が総理大臣あてに提出され、その時だけはメディアもこぞって取り上げるが、それ以外に話題になることはない。

組織規模からして活動に限界はあるのだろうが、基本的に不正に対する刑事告発が行われることもなく、不正な公務員への懲戒権があるわけでもないため、行政機関のムダ遣いは一向に減らない。

税金のムダ遣いが減らないという事実自体が会計検査院の存在価値をビミョーなものにしているような気もするが、一応、会計検査院の年間予算より遙かに大きい金額のムダ遣いを毎年見つけてくるため、とりあえずその働きは貴重ではある。

会計検査院の働きによって発覚する税金のムダ遣いは、毎年、ある一定金額を超える。「今年はどこの役所もマジメだったようで、ムダ遣いはあんまり見つかりませんでした」といったことはなく、“実績”は安定している。

毎年毎年安定的にムダ遣いを見つけられるのだから、組織規模を2倍、3倍にすれば、ムダ遣いの指摘も2倍、3倍になると考えて間違いない。そうであるなら、会計検査院だけは行政のスリム化などどこ吹く風で、どんどん肥大化させればいいと思う。

会計検査院が税金の使われ方を検査する際には「正確性、合規制、経済性、効率性、有効性」の観点がポイントになる。正確であるだけでなく、効率性や有効性もチェックポイントになるということは、“バカげた使い方”もターゲットになるわけだ。

今日のブログで、こんな堅いテーマを書き始めた理由は実はこの部分がポイント。わが社の関係者のブログ(http://blog.livedoor.jp/shun1101/)を読んでいて、改めて例の定額給付金のトンチンカンぶりにイラついたことがきっかけ。

いわゆる所得税減税ではなく、バラマキ型の定額給付金という方式が選ばれたことは、納税すらしていない人々をも対象にするため。

しっかり納税している人なら、自分が納めた税金の一部が戻ってくるというイメージだが、納税ゼロの場合、タダでお金をもらうという意味でしかない。頑張って納税している側から見ればアホみたいな話ではある。

ついでにいえば、税金を滞納しまくっている人であっても定額給付金をもらうことに制限はない。

意識して税金を納めない人、悪意を持って滞納している人だろうとお構いなし。マジメな人が納めた税金をそういう輩にもバラまくのが定額給付金というスタイルだ。

このトンチンカンな税金の使い道は、会計検査院が言うところの「不適切な支出」に該当するんじゃないだろうか。マジメにそう思う。

さっき紹介したように「効率性」や「有効性」の観点も会計検査院の着眼点だ。だとすると定額給付金の「非効率性」や「非有効性」は国の財政支出として「不当」に該当するのではなかろうか。

会計検査院の検査報告は、支出が済んだ会計年度のものが対象。何年か後の検査報告で「定額給付金は不当でした」という指摘が盛り込まれたら面白いかも。

ちなみに会計検査院から不当事項を指摘されても罰則があるわけではない。それゆえにムダ遣いが減らないという見方もある。だったらだったで、変な財政支出はどんどん「不当」と指摘されて欲しい。罰則がないのだからせめてそのぐらいしてもらいたい。

今日は感情論に走ってしまった・・・。

2009年1月23日金曜日

お燗酒と神様

冬は燗酒を飲むことが多い。寒い夜、旨い肴を前にして熱めの一杯をひっかけると一気に身体全体が弛緩する。極楽気分だ。口の中と喉のあたりが温泉に浸かった時のように幸せになる。

冬の酒肴がまた熱燗に合うモノが多い。アンキモに白子、カラスミ・・・。やはり焼酎より日本酒、それも熱燗がバッチリな珍味ばかり。

器好きの私としては、熱燗を飲む時、“マイぐい呑み”があれば大満足。ご機嫌。ビジネスバッグにぐい呑みを常備し、いつでも臨戦体勢なのだが、なるべくバッグを持たないようにしているので、最近はマイぐい呑みを使いそびれることが多い。

以前、頻繁に通っていた寿司屋にお気に入りのぐい呑みを何点か置かせてもらっていた。キープぐい呑みだ。ここ数年は放浪の呑み助なので、マイぐい呑みと付き合うには持ち歩くしかない。

いまバッグに入っているのは、備前焼の逸品。人気作家・金重晃介さんの手による器肌の景色が変化に富んだ作品。燗酒を飲むにはもう少し小ぶりなものが私の好みなのだが、冷酒を飲む際にも使い勝手がいいので愛用している。

写真は、そのぐい呑みと食べかけのカラスミを撮ってみた一枚。

本当の酒飲みという種族は、ツマミにもうるさいことは言わず、ましてや器なんてどうでもよくて、普通のコップでがんがん飲むようなイメージがある。

私なんかは、ツマミがどうだの、盃をどうしろなどと小うるさいことばかり言っている。酒飲みとしては邪道なのかもしれない。

そうは言っても酒を飲むという行為自体が、その昔は大層な意味を持っていたことを忘れてはいけない!神道ではまさに身を清め、神様との一体感を高める飲み物と位置付けられている。

酒という言葉自体が災いを「避け」るという意味に由来するという話もあり、なんだかんだ言って、酒を呑む時間って崇高な時間なのだ(こういうモノの言い方を屁理屈という)。

酒を入れたり呑んだりする器だって、その昔は大事な祭器であり、食器と同等のもののではなかった。そう考えると酒器にこだわっている私の姿勢は、日本の伝統精神から見ても正しいことかもしれない・・。

「身を清め、神様と一体化する」。うーん実に素晴らしい飲み物だ。もっと呑まねば!。それならば、器だって神様に恥ずかしくないような良い物を使おう。もっと集めねば!。これもひとえに神様にお近づきになるためだ!

結局、“神様”を都合良く解釈する悪い癖が出てしまった・・・。

2009年1月22日木曜日

キャデラック

私はアメリカ人ではないので、大統領就任式で興味があったのは大統領専用車の威風堂々とした姿。その名もキャデラックの「プレジデンシャル・リムジン」。なんとも立派だ。これぞアメリカン!って感じだ。

報じられている記事を引用するとこんな感じ。
『~防弾ガラスと強化されたボディに加え、化学兵器による攻撃を想定して内装も完全密閉式になっているとされ、「携行式ロケット弾の攻撃にも耐えられる」ほど頑丈な作りとの評判に、一部では「小惑星の直撃にも耐えられる」との冗談も飛び交うほどだ。~』

うーん、是非近くで見てみたい。

以前、恐れ多くも私も参加していたあるイベントに天皇陛下がご臨席された。ここぞとばかりに私が実行したのが、待機中の専用車を見にいくこと。まことに不謹慎だ。

当時はまだ、現行の「センチュリーロイヤル」ではなく「プリンスロイヤル」が現役だったので、イベント会場の賑わいをヨソにノコノコ車寄せあたりをウオッチ。

ただ、通常公務には普通のトヨタセンチュリーが使われていて、レトロなクラシック感が魅力的だったプリンスロイヤルを間近で見ることはできなかった。それでも、ご紋章が付いたセンチュリーが厳かに停車している姿を見てウヒョウヒョとした気分になった記憶がある。

プリンスロイヤルに取って代わった現在のセンチュリーロイヤルは、何となく見た目が面白味に欠ける。これもひとつの昭和レトロ懐古趣味かもしれない。

さて、アメリカ大統領のキャデラックリムジンの話。過去の大統領専用車はリンカーンかキャデラック。ケネディ大統領が狙撃された時のオープンカーはリンカーン。

その後、専用車は防御機能がメインになっていく。ちなみに、確かレーガン元大統領が来日した際に持ち込んだリンカーンのリムジンがやたらと格好良かったことを思い出す。

今回の新型車もそれなり格好良いが、まるで要塞のようだ。あのリンカーンのエレガントさは特別だった気がする。

ところで、あやかったわけでもなんでもないが、実は私もキャデラックを愛用中。といっても「SRX」。すなわち、いまどきの四駆だ。

若かりし頃、ニッサンサファリ・ディーゼルを改造して、その手の愛好家が作る四輪駆動ツーリングクラブに参加していたことがある。

ナンパ車最盛期だったので、そういう風潮がイヤだったアマノジャクな私としては、オフロード攻めこそお洒落と思って遊んでいた。

いまやすっかり四駆もステータスが上がり、ポルシェだってカイエンが経営を支えるほどだ。昔の習性で、いまもついつい四駆に目が行ってしまう私が選んだキャデラックは、たいした故障もなくすこぶる快調。なにより気に入っているのが、絶対と言っていいほど街で同じ車種を見かけないという点。

私自身、オーナーのくせに「SRX」という名称がいつまでも覚えられなかったほどマイナーだ。そこが素敵だと思う。

今度から「俺のクルマは大統領専用車と同じメーカーだぜ」とか言ってみることにしよう。

でも、こちらの専用車は、野良猫に引っかかれたり、ネズミを轢いてしまったり、最近はドアミラーの自動開閉が勝手に動き出したり、随分頼りない。

2009年1月21日水曜日

神様の話

私の宗教は浄土真宗らしい。代々そうなっているみたいだが、私自身、さほど宗教心があるわけではないので、浄土真宗がどういう教えだかよく知らない。ただ、仏教のなかでは、戒律がゆるいほうだと聞いたことがある。本当ならその点は素晴らしい。

仏教徒なのにクリスマスやハロウィンに浮かれ、神社にもノコノコ出かける日本人の姿ってなんとなく素敵だ。ちっとも卑下する話ではないと思う。そのぐらいのユルさがないと無用な争いを招いたりする。

今年の正月は、「オレは無信心なんだ」と格好つけて初詣に行かなかった私だが、仕事始めに会社近くの神社で商売繁盛のお祓いはチャッカリ受けた。そんなもんだ。

ついでにいえば、初詣に行かないくせに、厄除けの時には自宅そばの神社でお祓いを受けている。そんなもんだ。

以前の話だが、飛行機で旅行に行く際に習慣にしていたことがあった。それは離陸直前にコソッと、かつ一生懸命にお祈りをすること。ただ、ここで祈っていた相手は漠然とした「神様」という相手で、特定の宗教が指定する神様ではない。

あくまで自分自身にとっての神様だ。よくよく考えるとご先祖様とか守護霊とかに必死に無事をお願いしていたように思う。

通っている学校のせいで、どうも娘がキリスト教的なことを言うことが多くなってきた。小学生の分際でいまだにサンタの存在まで信じている。問題だ。

私も幼稚園から高校までキリスト教の学校に通った。一応、聖書の話も結構知っている。私の人間形成にキリスト教がどういう影響をもたらしたかは分からないが、正直、あんまり関係なかったように思う。

実家に君臨していた祖父が強力な個性を持っていたので、祖父の存在が一種の宗教だった。

小学校時代、優秀な子どもが選抜される(と思っている)聖歌隊に選ばれた。ウィーン少年合唱団のような可愛らしい衣装を着てナントカ公会堂とかのステージにも立った。

おかげで、いまでもチマタのエセキリスト教結婚式の場で、歌詞カードを見ずに聖歌が歌えたりする。

ところが、栄えある聖歌隊の地位は、ある日突然剥奪されてしまった。放課後の聖歌隊の練習後は、お菓子が用意されて束の間のティータイムが用意されていた。この部分が子どもにとって“特権”のようで聖歌隊ブランドが誇らしいものだったのだが、ある日の放課後、事件は起きた。。。

ヒステリックな女の先生と私の間で交わされた会話を再現してみる。

ヒス女「今日は、事情があってお菓子を用意できませんでした」。

私  「お菓子がないのなら、こんな歌、歌ってらんないよ」。

ヒス女「なんてことを言うの!あなたはクビです」。


以上が涙なしで語れないコトの真相だ。そして私はクビになった。小学生という段階でクビという処分を経験したことは貴重だ。

でも、右の頬を打たれたら、左の頬を差し出すほどの寛大さがキリスト教の特徴だったはずなのに随分と厳しい処分だ。

きっと悪ガキだった私は、それ以前から厄介払いのターゲットとして狙われていたのだろう。正直、聖歌隊ってガラではなかったのだから仕方ない。

小学生の娘にこの話をしたら、軽蔑するような目をされた。もっと尊敬されるような子ども時代の話をしようと記憶をたどり直したが思い当たることがない。

今度じっくり作り話を考えないといけない・・・。

2009年1月20日火曜日

イベントの誘惑

割としょっちゅう北海道に行く。思い立って函館あたりに飛んでいく。目的は食べ物。東京に日本中の極上品が集まっていることはわかっているが、旅先には旅先ならではの美味しさや珍味が待っているので、ついつい出かける。

しょっちゅう行ける程度の可処分所得は少なくとも維持しないといけない。この楽しみがなくなったら結構辛い。

先日、池袋・東武百貨店の「食の大北海道店」にふらふら行ってみて、その尋常じゃない混雑ぶりにビックリした。こんな混雑に身を任せずに、しょっちゅう北海道に行っていることは何ともメデタイことだと改めて痛感。

池袋のデパートは東口に西武、西口に東武が君臨している。両者とも北海道展をやっており、私もついでがあれば覗きに出かける。似たような業者が似たようなものを例年出品しているが、なんとなくウキウキした気分で見て回る。

イクラなんかをウェディングケーキのようにタワー状に盛り上げて客を喜ばせている店や魚介類を異常なまでのてんこ盛りにして行列を呼んでいる店などが風物詩だ。

なかには、近隣の他のデパ地下に常時出品しているような店もあるが、催事場の狂乱のおかげで、デパ地下ではありえない客の行列風景が見られたりする。イベント効果だろう。

しょっちゅう北海道に行ってアレコレむさぼり食っている私も会場の勢いに乗せられて、アレコレ物色。結局いろいろ買ってしまった。

カニの身がタップリ入ったカニミソ瓶詰めとか、実はご飯ばかりが大盛りだったりする海鮮弁当とか、見た目ほど旨くはないイカめしとか、ついつい買いまくる。安かったので冷凍毛ガニとか真空パックのホッケの開きとかも買ってしまう。結構散財した。まんまと北海道展にやられたって感じだ。

週末にあらかた食べてしまったが、お味のほうはそれなりだ。まさに“わかっちゃいるのにやめられない”の一言だろう。

一応、自宅に持って帰る手前、カニ関連ばかりじゃ色気がないと、優しい私は、甘いものもいくつか買って帰った。ありがちな「六花亭」モノをいくつかと、目にとまった見知らぬお菓子を購入した。

この見知らぬお菓子が大ヒット。家族をさておき私がバカスカ食べてしまったほど絶品だった。その名は、「ペイストリー・スナッフルス」という函館の店が売っていた「チーズオムレット」。

妙にクリーミーで、妙に濃厚で、妙に口の中に旨味が広がっていくつでも食べられそうな味わいだった。ちなみに本日の画像は2点とも東武百貨店のホームページから拝借。

結構甘いものが好きな私だ。今後はデパートの北海道展に出かける新しい楽しみが見つかった。スイーツをターゲットにすれば、珍味を原因とする痛風の恐れはかなり低くなる。

その分、糖尿の恐れが新たに加わりそうだが・・・。

2009年1月19日月曜日

色彩の魔術

最近、エラソーに世相を語ったり、変わりばえのない食べ物の話ばかり書いている気がする。今日は、路線を変えてみたい。

昔から不思議に思うのは、自然の色彩。とくに生き物のカラーリングの凄まじさにはビックリする。色彩の凄さといえば、鳥や魚がその代表だろう。20年以上前から続けてきた水中写真撮影が趣味の私にとって、魚のカラーリングにはいつも驚かされる。

最初はカリブ海の固有種であるクイーンエンジェルフィッシュをマクロレンズで撮ってみた1枚。このグラデーション、いったい何がしたいのだろう。驚異的なセンスだ。おまけに目玉の周りまで不思議な彩り。おでこの上の方には何やら黒い装飾まで加えている。ド派手だ。でも単純明快に美しい。画像をクリックすると大きくなるので、ナゾの美しさをじっくりご覧いただきたい。

2枚目の写真は、最初の魚の幼魚。パッと見ても同じ種類の魚だとは思えないが、幼い頃の色柄は成長するにつれ大きく変化していく。この手の変身を見せる魚は多い。クイーンエンジェルフィッシュの幼魚の場合、大人の成熟した感じに比べると同じ派手さでも濃厚さが足りないように思う。

続いては、日本でも結構見られるタテジマキンチャクダイ。横ジマなのにタテジマと呼ばれるのは、釣り上げられた時の見え方が理由だ。

この魚も見れば見るほどナゼこんな色柄になのか不思議だ。当たり前だが、同じ種類ならみんなこの色柄。もちろん、縞模様の間隔とかに個体差はあるだろうが、全員がこの姿だ。化粧したり、衣装をまとってるわけではない。身体そのものの色柄がこんなだから驚きだ。

気取ってサングラスをかけているわけでもなく、素の姿で目の周りをカモフラージュするかのように彩っている。でも、鏡なんかないので、自分がどんなに派手なのか理解していないのだろう。

つづいての写真はニシキヤッコの幼魚と、他の魚をクリーニングすることで知られるホンソメワケベラの幼魚。ニシキヤッコも成魚になると雰囲気が変わってくる。もっと妖艶な感じになる。幼魚段階では、まだまだシャープな感じだ。

今まで紹介した魚は俗にヤッコ類と呼ばれ、大半の種類が無意味に派手。ダイバーの間でも人気の魚だが、どちらかというとビギナーが喜ぶ傾向にあり、ベテランになるとあまり見向きもしなくなる。
アマノジャクな私は、クマノミとかヤッコ類を初心者ダイバーのように精魂込めて撮影するのが好きだ。

写真派ダイバーという連中は、すぐに美しくもないレアな生き物に興味を寄せたがるが、それじゃあもったいないと思う。

「珍しくもない熱帯魚の代表」をじっくり観察すると、ファインダー越しに改めてその美しさに驚かされたりして楽しい。

続いては全長8センチほどのニシキテグリ。私の大好きな魚だ。英名だとマンダリンフィッシュ。英名のほうが色柄の雰囲気が伝わる感じがする。

外敵から身を守るために夕方以降に活動を開始し、生息域もサンゴのガレ場。おまけに長い針を持つウニのそばで身を守っていることも多い。「そんなにビビリなら、もっと地味な色柄にしとけばいいやんけ!」とツッコミたくなるほど派手だ。なんでこんな色なんだろう。不思議だ。

お次はやや深いところに住むアケボノハゼという魚。これもニシキテグリ同様、ちっこい魚だがマクロレンズ越しに観察するとレンズの望遠効果で実に美しい色彩が楽しめる。

よく見るとカメラを持った異人の登場に顔をこわばらせているが、色のトーンがなんともお洒落だ。英名はパープルビューティー。キューティーハニーみたいな素敵な響きだ。

最後はミノウミウシ。これも10センチ程度の個体だが、バカみたいに派手。何を目指しているのだろう。今度会ったら聞いてみようと思う。ヒラヒラ動いている姿はなまめかしくセクシーで妖しい魅力に溢れていた。

今日は色彩の美しさを誉めてばかりだったが、実は今回改めて写真を見ながら思ったことがある。

ヒレ酒にしたら凄くマズそうだ。やはり鑑賞用と食用では生きる路線が違うのだろう。

2009年1月16日金曜日

企業向け生保 不正契約 1月16日その2

今朝の朝日新聞の1面トップ記事は、企業向けの生命保険契約に関する広範囲な不正契約について。

http://www.asahi.com/national/update/0115/TKY200901150294.html

ついでに社会面トップでは、不正契約に励んでいた保険代理店の役員に税理士会のトップが就任していたというスキャンダルが関連記事として掲載されている。

http://www.asahi.com/national/update/0115/TKY200901150295.html

中小企業向けの税務専門紙や税理士業界の専門情報紙を発行するわが社にも、昨年の早い段階から、この問題をめぐってさまざまな情報が寄せられていた。

詳細は簡単に書けるようなものではないが、業界内でも有名な税理士達や有力なグループなども関わっているらしく、なかなか根が深い話。

保険の不正契約というより、怪しげなファンド話として話題になることが多かったようだが、税理士業界ともなると、性質上、昔からマネー関連のあらゆる話が集まってくる傾向がある。

当の税理士だけでなく、その税理士と顧問契約を結ぶ数多くの企業の資金に着目してアレコレと硬軟とり混ぜた話が飛び交う。

今回の件は、『納税通信』『税理士新聞』でも朝日新聞とは別な観点で周辺話を掲載予定。

担当記者は、さすがにバタバタと忙しそうだ。

1月16日 景気を刺激したいなら

今日もウマイものの話や夜の繁華街バナシじゃなくてスイマセン。昨日に引き続き定額給付金の話。

昨日は、景気刺激策として位置付けるなら、わけの分からないバラマキより、所得税の納税額の一定割合を減税するほうがよっぽどマシという持論を書いた。

たとえば、納税額の2%を戻すことにしたら、年間の所得税額30万円の人なら6千円、300万円の人なら6万円。1千万円の高額納税をしている人には20万円がバックされる。当然、高所得者層に手厚くなり、納税額ゼロの人には効果は及ばない。

世間一般の感情論では、不公平だとか、金持ち優遇だとか、お決まりの文句が殺到しそうだが、「景気刺激」というお題目なら理にかなったやり方だと思う。

考え方は消費税と似たようなもの。一律課税の逆張りみたいな話。消費税だって収入の多い少ないにかかわらず、一律税率で課税されている。高額な消費をする人は税金も多く納め、貧しい人は消費が少ない分、税金も少なくなる。上記した減税策もこれと同じような話でしかない。

いっぱい税金を納めた人ほど戻りが多くなって当然だし、景気刺激にも直結する。

まあ現実の政治判断では、金持ちばかりが優遇されるように錯覚されるこうしたスタイルが採用される見込みは薄い。納税額ゼロであっても立派な有権者だし、このあたりの階層の声は総じて大きく扱われるのが世の常だから実現は難しい。

さてさて、そうであるなら効果的な減税策として消費税に着目してもいいと思う。一部の識者の間では、以前から提言されているものだが、期限付きで消費税の税率を引下げるというアイディアだ。

今回の定額給付金の予算規模は2兆円。この金額、ごく大まかに言えば消費税の1%分に相当する。つまり、現在5%の消費税を1年間の時限措置として4%にするという理屈だ。

これが実現すれば景気刺激効果は抜群だろう。クルマを買おうとしていた人、家を買おうとしていた人、ちょっと高額な出費を考えていた人が、減税効果で一斉に動き出す。様子見だった人の重い腰を上げさせるには最適だ。

高額出費になればなるほど消費税の1%分はバカにならない金額になる。定額給付金のような“さもしい”制度よりよっぽど効果があるはずだ。

難問は財務省のDNAぐらいだ。消費税導入時、その後の税率引上げの際に吹き荒れた反対運動のせいで、消費税は旧大蔵省時代からの“鬼っ子”のような存在。

さかのぼれば大平首相時代の一般消費税、中曽根首相時代の売上税という2回の挫折を経て、ウン十年かけてボロボロになりながら導入した苦労の産物が消費税。そんな鬼っ子であり虎の子の消費税を減税するなんてトンデモナイというのが財務省サイドの本音だろう。

確かに一度引下げた税率を元に戻すことは、なかなか厄介な話ではある。元に戻すだけなのに増税という見方をされてしまいがちだ。

とはいえ、消費刺激策が緊急の国策ならば消費税減税は優先して検討されるべきテーマだ。あくまで期限付きにすることで、かえって期限間近の駆け込み需要も喚起される。

消費税の税率が5%に引上げられたのは平成9年。当時、個人消費が激しく落ち込んだことが問題になった。逆に言えば、税率引下げが実現すれば、確実に個人消費を後押しすることは確実。

定額給付金で2兆円ものバラマキをするのなら真剣に消費税減税を考える方がマシだ。

2009年1月15日木曜日

さもしい 定額給付金

安直にお金をばらまけば支持率が上がるだろうという短絡的な発想で登場した「定額給付金」。その場しのぎとしか言えないお粗末な話だけに、結局、言い出しっぺの麻生首相を苦しめているのだから皮肉だ。

つくづくこの問題のズッコケブリは現政権を象徴しているように見える。当初は、全世帯給付という話だったが、早々に閣内の不協和音のせいで高所得者層には支給制限する方向に落着きかけた。ところが、ここでも迷走。

作業を丸投げされる自治体の反発で、技術的に所得制限が難しいとなったら、今度は高所得者層には辞退を促し始める始末。辞退を呼びかける制度なんて国の政策としてまるでトンチンカン。歴史的珍事、トホホな状態だろう。

そして、国会論戦を受けて、またもや路線転換、ここにきて結局、全世帯給付に舞い戻り、高所得者層であろうと定額給付金を積極的に受け取って消費に回して欲しいと言い出した。

まあ、方針転換自体は、百歩譲ってアリだとしよう。経済が非常事態であれば、政権としても手を代え品を代え対策を講じねばならないわけだから、多少のブレは起こりえる。

ただ、一連の迷走劇のなかで見過ごせない問題もある。この点だけは強調しておきたい。高所得者層に対して定額給付金辞退を呼びかけていた時の首相の言いぐさだ。

麻生首相が昨年12月に「さもしい」という言葉を使った事実はもっと糾弾されて然るべき。最大限に人をおとしめる言葉を使って、高所得者、すなわち高額納税者が給付金を受け取ることはさもしいと発言したわけで、ここまで言ったのにコロッと路線を転換させる異常性は見過ごせない。

ついでにいえば給付金をもらうかもらわないかは「人間の矜持の問題」だとご高説をぶっていた。高所得なのに給付金をもらう人はロクデナシと言われていたのと同様。

1月13日の午後の段階で、麻生首相は、「高額所得者も盛大に使っていただきたい。『さもしい』と思っていたら、そのようなことは言わない」と述べ、マスコミは、「“さもしい発言”事実上の撤回」と書き立てた。

事実上の撤回というのは、マスコミ側の勝手な分析であって、本人が「撤回します」と言ったわけでもなんでもない。じゃあ12月の発言は何だったんだと言いたくなる。麻生首相の言葉の軽さは滅茶苦茶なレべルだ。 

ここにきて急きょ路線を転換しても“さもしい発言”への正式な謝罪はない。撤回だって正式なものではない。「さもしい」とか「矜持の問題」と言われた高所得層の人々にとっては納得のいかない話だ。

高額納税者を讃えるどころか、コケにして平気な精神構造は許されるものではない。あまりにお粗末な表現力、言語力に対して怒りより脱力感を覚える。

大体、景気刺激のための方策だというなら定額給付金というスタイルが期待薄なことは誰でも分かる。「減税」を選択せずに給付金方式にしたのは、納税していない人にまでバラまくため。これじゃあ景気刺激効果は小さい。

消費刺激を強調するなら、所得税について収入に関係なく納税額の一律数パーセントを戻すという方が遙かに効果がある。結局金持ち優遇という批判を恐れているだけのこと。

人よりたくさん税金を納めている人は単純に偉いと思う。納税額の多寡で行政サービスに差があるわけでもなく、何も特典はない。

にもかかわらず誠実に納税する人はもっと賞賛されていいはずだが、国の政策を思うと、いつもコケにされているだけ。これじゃあ健全な納税思想など育まれるはずもない。

2009年1月14日水曜日

「わざわざ」って大事

基本的に和食党の私だが、さすがに年末年始の和食攻めに飽きてしまい、無性に中華料理が食べたくなった。先週某日、銀座にある「麒麟」というレストランに入ってみた。

6丁目界隈をぶらぶらしているときに、いつも綺麗な店構えが目に入っていたので開拓精神で訪ねた。

いくつもの選択肢から好きな品物を一定の値段で注文できるプリフィックスコースを頼んだ。選べる料理の種類もかなり豊富で、一応フカヒレの姿煮や北京ダックあたりの人気モノも選べる。


そのほかにも別のフカヒレ料理や大正海老の塩炒め、黒酢の酢豚やチャーシューを注文してガツガツ食べる。

お味のほうは別段悪くはないが感動もない。ブログでは、なるべく誉めたいと思っている私だが、正直言ってごくごく普通。価格帯を考えたらもう一息頑張って欲しいレベル。

チャーハンとか麺類もしっかり完食したので、文句を言うほどではないが、いまどきの若者の味覚に合いそうなやたらとハッキリした味付け。そして中華系の店が好んで使う化学調味料の後味がいつまでも舌に残る。

ところで、銀座で中華といえば、福臨門や赤坂離宮、筑紫楼あたりの高級有名店が思い浮かぶが、以前、知人に連れて行ってもらった地味なお店が凄く美味しかったことが印象的だ。

店の名は「羽衣」。7丁目の地下に構える知る人ぞ知る店。特別豪華なわけではなく、気軽な雰囲気でお値段も至極真っ当。そして何を食べても美味しかった。

水餃子、スープ餃子など点心類などは延々食べ続けても飽きないほど味わい深い。その他の料理も、いわゆる一口目のファーストアタックでガツンとくるような強い味ではなく、滋味溢れる誠実な感じ。

銀座界隈に出没する機会がそこそこあるのだから頻繁に食べに行けばいいのに、だいぶ前に行ったきりだ。

ふと思い出したのは、最初にアレコレ書いた中華レストランに満足できなかったことがきっかけ。「もっと旨いところがあったよなあ」とボケッと考えていた時に脳裏に浮かんだ。

店探しの探求心も必要だが、確実に美味しい店にしつこく通うほうが賢明。いつも和食系、とくにお寿司屋さん探訪でそれを実践しているのにこの日の中華はちょっと残念。

食後の腹ごなしで新年の“檀家まわり”。まずは8丁目の「C」へ。タイムスリップしたかのような女性をパチリ。さすがに夜の銀座も正月気分。

この日、夜の街には、和服姿の女性がやたら目に付いた。男性の着物姿もチラホラ見かけた。粋な姿を目指して檀家まわりに精を出す中高年男性客だ。

わざわざ和装するなんてナンダカナーと思って眺めていたのだが、それはそれで格好良く思えたりもする。

今の時代、「わざわざ」って大事なのかも知れない。化学調味料にたよらず丁寧に深い味を出す中華料理の店だって「わざわざ」の部分が美味しさにつながっている。

ホステスさんの日本髪だって、「わざわざ」の労力が客を楽しませる(ギョッとすることもあるが・・・)。わざわざ着物をまとってきたお客さんも、きっと店側から見ればその心意気が心地よいはず。

新しい年、私も「わざわざ」を大事にしよう。今年も「わざわざ」銀座まで行って酒を飲んだりしようと思った。

2009年1月13日火曜日

「天地人」 直江兼続と経営者

今年のNHK大河ドラマ「天地人」が高視聴率発進をしたらしい。主人公の直江兼続は、上杉家の智将。「愛」を重んじ「義」を貫いた立派な人。私とは大違いだ。

アチコチで直江さんの話題が取りあげられているが、どっかの雑誌だか夕刊紙で読んだ記事には少し違和感があった。

要は“いまどきの経営者は直江兼続を見習え”という趣旨の記事。ありがちな「ヒーロー礼賛企画」だ。

簡単に言うと、リストラばやりの昨今、人員削減をしなかった直江さんは素晴らしく偉かったから、経営者も派遣切りなどしちゃいけないといった内容。

直江さんは確かに陣頭指揮を執った米沢藩の人員削減をしないで頑張ったそうだ。立派だ。でもよくよく読んでみるそんな単純な話でもなかった様子。

会津120万石から米沢30万石に転封になった上杉家。財政事情が4分の1になったものの、積極的なインフラ整備や産業振興で難局に立ち向かった。ついでにいうと家臣、すなわち従業員の禄高も3分の1にして頑張ったらしい。

フムフム・・。収入が4分の1になったのに人員削減しないで乗り切った。凄いことだが、従業員の給料も3分の1にしていたという部分はチョこッとしか紹介されていない感じが気になる。

インターネットの世界で直江兼続の功績を調べてみても、リストラをしなかったことばかりが強調され、家臣の禄高カットについては触れていないものまであった。

今どきの経営者だって、売上げが激減しても、社員の給料を3分の1にするぐらいの大胆な対策が講じられれば、立ち直りに向けて頑張れる人は多いと思う。

歴史の美談を引用して現代社会の問題を指摘するのは良くあるパターンだが、歴史の引用があんまり恣意的に過ぎるとチョット気持ち悪い。

誤解のないように補足するが、直江兼続の実績や考え方は掛け値なしに素晴らしいことは間違いない。石高が4分の1になったにもかかわらず、発想として人員削減を優先しなかった部分は、さすがに「愛の人」ならでは。世知辛い時こそ「愛」の力って大事なんだろう。

あくまで家臣の禄高も同様に激減させたからそれが可能だったとはいえ、普通の思考回路なら、やはり人員削減に真っ先に取りかかる。あえて雇用維持を優先したという点は、凡人と偉人の違いなんだろう。

なんだかんだ言って、結局、歴史に学べ的な結論になってしまった。

2009年1月9日金曜日

派遣切り、派遣村・・・。本音は。


相も変わらず派遣切りをめぐる情緒的報道が多い。企業経営者向けの新聞を各種発行しているわが社では、あえて紙面で「派遣切りで経営者が悪者視されるのはおかしい」という特集を組んだ。

経営者の責任として、いわゆるゴーイングコンサーンは重要事項。当然、企業を継続させていくには雇用維持も課題のひとつだが、情勢によって雇用調整するのは当然の策。企業防衛の観点から普通の話。法制度として確立されている派遣人員を活用するのは、雇用政策上当たり前であり、業績次第では、まっさきに削減対象になる。

したり顔の経済評論家は、“昔の経営者は血のにじむ努力をして最後の最後まで人員削減などしなかった”などと語っているが、そりゃそうだ。昔は人材派遣という制度がなかったのだから今とはまったく事情が異なる。経営側の問題ではなく制度上の問題だという実態がウヤムヤになっている。

紙面での特集の際、各方面に取材した記者からの報告が興味深かった。著名な評論家に記事の企画趣旨を説明したところ、帰ってきた返答は次のような内容。

派遣切りで経営者が責め立てられるのは筋違いという趣旨に対して「大いに賛同するし、共感する。でもコメントの掲載は遠慮したい」というもの。

“派遣切りは悪”という昨今の風潮を前にわざわざ実名で反論コメントを掲載することにためらいがあるわけだ。

時代の空気を象徴しているような印象を受けた。本音では、「ナンダカナー」と思っていても「派遣切りは好ましくない」という弱者(ニセモノ含む)側の立場に立ってないと面倒という心理だ。

総務省の政務官が「派遣村」についての発言を撤回、陳謝した。「本当に真面目に働こうとしている人が集まっているのか」との発言が物議を醸したので、政府サイドは沈静化に躍起。

とはいえ、当の政務官の個人ホームページを覗いてみたが、寄せられていたコメントの多くが、発言を肯定的に捉えていた。多くの支持者に肯定されているのに陳謝するという構図がなんとも不思議だ。

派遣村については、この目で見たわけではないので、何とも言えない。もちろん、救済が必要な深刻なケースも確かにあるだろう。だとしても派遣人員を削減した経営側を悪者視することとは別な話だ。

ちなみに派遣村問題については、“集まった人の中には世相に便乗したグータラ組が少しは混ざっているんじゃないの”という意識を多くの人が持っていた。これって正直な感覚だろう。

このあたりの話は、立場、考え方でいろんな捉え方があるので、一概にどうこう言えない。ただ、NHKやテレビ朝日あたりのメディア報道とは明らかに温度差を持って捉えている人が相当いることは間違いない。

いずれにしても、このところの派遣切り問題を見ていると、いにしえのイデオロギー闘争を甦らせようという勢力がやたらとハッスルしているように見えて仕方がない。

2009年1月8日木曜日

銀座で九州

年末に山陰に行ったことは先日書いたが、実は当初行こうと思っていたのは大分・別府。濁り湯の温泉と冬が旬の関サバを狙って計画していた。

結局、カニの誘惑のせいで山陰に行ったわけだが、年末のある日、大分の郷土料理を高いレベルで食べさせる店があると聞いて訪ねてみた。

銀座にある「竹の子」というお店。並木通り、三笠会館そばの地下に隠れ家風に構える。

大分・佐賀関漁協の承認店だそうで、いわゆる関モノには定評があるらしい。当然、関サバと関アジの刺身を注文してみた。

想像以上に美味しい。関モノを名乗る刺身は結構アチコチで食べているつもりだったが、こちらの魚は脂のノリはもちろん、味の濃さ、食感ともにすこぶる上等。目からウロコ。カボスを絞って食べてみても実に風味豊か。当たり前のようにこんな刺身が出てくるから、やはり銀座は恐るべし。

あえて残念な点をあげれば、わさびがダメ。練り物を使っていることが非常に惜しい気がした。

この時期は、フグ(この店では「ふく」と読んでいる)が看板メニューらしいが、単品でも頼めるようなので、唐揚げを注文してみた。豊後水道のトラフグだ。まずいはずがない。実際に美味しい。食感がしっかりしており、正しいフグって感じ。揚げ方が少し私好みではなかったが、それなりに満足。

自家製さつま揚げを頼んでみる。これが大当たり。すり身を揚げたお馴染みのものだけでなく、素材そのものに衣を付けて揚げたラインナップが実に味わい深くて気に入った。

椎茸や海老、変わり種では、チーズもさつま揚げの衣をまとって出てくる。素材そのものを衣で揚げるというと、天ぷらとか串揚げのイメージだ。私も半信半疑で食べてみたのだが、しっかりとさつま揚げの味わい。ショウガとちょろっと醤油で味わえば、疑いようもなくさつま揚げだった。熱々で美味しい。

このほかに印象的だったのが「ふく大根」。フグと大根の炊き合わせのようなもの。柔らかく煮られた大根がしっかりしたダシ汁から顔を出している。その上に大ぶりのフグの唐揚げが鎮座している。

さっき食べた唐揚げとかぶっちゃったなあと思ったが、食べてみたら意外にも感じが違う。ほぐした唐揚げフグがダシ汁と混ざり合って味に広がりが出る。

唐揚げ単品で食べた時に少し油がしつこい感じがしたのだが、フグ大根の場合、油が適度にダシ汁と混ざって、淡泊な大根の煮物にアクセントを加える。OK牧場って感じだ。

九州の食べ物には焼酎がバッチリ。焼酎の品揃えが特別多いわけではないが、お店の人がオススメを教えてくれる。居心地も良い。

一品一品の値段は安くはないが、大人がノンビリ過ごすには適度なクラス感は必要。また行きたくなる店がひとつ増えた。

2009年1月7日水曜日

ミッチージュニア


いきなり変なイラストでスイマセン。社内のデザイナーが遊びで書いてくれた私の似顔絵だ。いうまでもなく真ん中が私。麻生さんとオバマさんと会談中というふざけた構図だ。実物の私はもう少し二枚目だと思っているが、はたして真相はどうなのだろう。

イラストついでに今日は政治ネタを書きます。

渡辺喜美元行革担当相が暴れている。父親であるミッチー氏もその昔、離党するしないで一悶着したことを思い出す。

現政権のヘボ低空飛行に付き合っていられない気持ちは当然なのだろうが、選挙が圧倒的に強いからこそ可能なパフォーマンスという見方が支配的だ。

別にミッチージュニアを応援するわけではないが、政治の世界って、どこかでノロシを上げるか否かでその後の運勢が変わる傾向がある。

麻生首相だって、ほんの10年前には誰も将来の総理候補という認識はなかった。あの小泉さんだって懲りずに何度も何度も総裁選の泡沫候補を続けた結果、突如吹いた風によって権力の座を手にした。

ミッチージュニアが何を狙っているのかは分からないが、遠からず必ず起きる政界再編の際には、いま暴れていることが基本的にプラスになると信じるからこその行動だろう。

早いうちから大声を上げていたという事実は、改革派のイメージを色濃くするし、陣笠議員ではなく、すでに大臣経験もあるという点も、とりあえず薄っぺらさを感じさせないキャリアになる。少なくとも再編時にキャスティングボードを握るには、自民党反主流派のままでは苦しい。

政界における「早めのノロシ」で一種の先駆者なのが鳩山由紀夫民主党副代表だろう。弟の邦夫氏の方が政治の世界では大先輩だったが、遅咲きデビューの由紀夫氏、まだヒヨッコ議員時代に「新党さきがけ」を結成。中心的役割を果たして一気に大物議員に昇格して現在に至っている。

民主党政権が誕生した場合、首相の座は小沢氏ではなく、鳩山副代表という見方が永田町を中心にひとつの定説になっている。小沢氏の健康問題や菅副代表のカラーなどの理由で党の実質的オーナーである鳩山氏がトップの座につくという見方だ。

もちろん、まだ紆余曲折はあるだろうが、鳩山氏が遅咲きデビューのまま自民党でくすぶっていたら、こんな話は出てこない。「早めのノロシ」がうまく作用した典型的な例だろう。

気概、信念、明確な国家観を持つ若手中堅議員は多い。ただ、多くが選挙に不安を抱えている以上、党人としての常識を無視してノロシをあげることは不可能。必然的にノロシを上げられるのは、選挙地盤が盤石な二世、三世議員に限られるという構造的な問題が気になるところだ。

オバマ氏を選んだ米国のような「CHANGE」は日本の政治システムでは難しい。この点だけは米国の仕組みが羨ましい。

いやらしい見方をすれば、日本人の頭の良さ、ズルさ改めて感じる。米国とは違い、権力を簡単に手放さないで済むシステムを権力側が営々と築いてきたからこそ、転換が必要な時代になっても転換が出来ない。そんな気がする。

どう転んでも今年は総選挙が行われる。果たしてどういう結果になるのか、ついでにどんな人物、どんな新しい名前がノロシを上げるのか、なかなか興味は尽きない。

2009年1月6日火曜日

山陰カニ旅行

山陰へのカニ旅行2日目。泊まった皆生温泉の湯は塩水系の泉質。入浴後、肌が温泉でコーティングされたような感じで、いつまでもポカポカ。結構いい感じ。源泉温度が高いせいで、旅館の湯は加水してある。

泊まった宿の東光園、日帰り入浴した旅館・華水亭の湯も悪くなかったが、意表を突かれたのが、皆生の外れにある日帰り入浴施設の温泉だ。

その名も「オーシャン」。聞くからに安っぽい名前だ。健康ランド風の施設だが、海沿いに巨大な露天風呂もあり、しっかりサウナもあって穴場。ここの温泉が、今回の皆生温泉の中で一番濃かったのが嬉しい誤算。サウナのためだけに行ったようなものだったが、露天風呂のトロリとした泉質が抜群だった。

さてさて2日目の話。夜もカニ攻めを考えていたので、適度に体力を消耗させて空腹バリバリにしておくことが、この日の私の使命。散歩を徹底しようと計画。米子市内をうろついてもしょうがないので、急きょ、ガイドブックで勉強し、行先を決定。

米子から特急でわずか30分の倉吉に向かう。昔ながらの白壁土蔵の町並みが残っているそうなので散歩にはもってこい。おまけにそこから30分ほど奥まったところには山陰の名湯・三朝(みささ)温泉もある。米子駅から特急に乗り込み、駅で売っていた島根の銘菓「若草」と温かいお茶で、おじいさんのようにくつろぎながら倉吉に向かう。

倉吉では風情のある街を散策し、昼飯はどうでもいい店でどうでもいい手打ち蕎麦で済ませた。すべて夜のためだ。

足も疲れた頃、タクシーを拾って三朝温泉に向かう。山あいの鄙びた一角に温泉宿が集まっている。古くから不老長寿の湯として人気の温泉地だ。どこの旅館も日帰り入浴ができるらしく、今回は評判の良い老舗・「依山楼岩崎」を選んだ。

午後早めの時間帯だけあって、宿泊客はいない。ほぼ貸切状態で温泉を満喫。世界有数のラジウム含有量を誇るここのお湯は、ラジウムの気化でラドンが発生し、呼吸によって取り込まれたラドンが免疫力を格段に向上させるらしい。

ラジウムもラドンもなんだか知らないが、そういうことらしい。ラドンをいっぱい吸い込めるミストサウナ室のような場所で長時間過ごしてみた。人がいないせいで大きな声でハマショーの名曲をうなった。

このお陰で私の肺はラドンを相当摂取したようで、その後、気分爽快、身体は軽やかになった。わずかな時間しか三朝温泉にはいなかったが、温泉効果は実感できた。

入浴後、ローカルバスで倉吉に戻り、特急で米子に戻る。この日の宿は皆生温泉の「皆生シーサイドホテル」。夕食の付かない宿泊プランで広めのシングルルームを予約した。

シングルといえば、たいてい圧迫感があって困るが、このホテルは適度にスペースがあり、ベッドも大きめ。何より海っぺりに建っているため、ベランダの向こうは遮ることのない景色。穴場だろう。

またまた温泉に浸かってから米子の街に出る。目星を付けておいた料理屋でカニを攻める。

店の名は「味楽」。居酒屋と料理屋の中間ぐらいの雰囲気。カウンター席の端を陣取って店主とカニ攻めについて相談。便利なことにこちらの店では、この時期、松葉ガニを定価で一杯売りしてくれる。おかげで、一杯は茹でガニ、もう一杯は半分を刺身、半分を焼ガニで食べたいという私の希望は、ごくスンナリと通用した。

カニを待つ間、刺身を盛り合わせてもらった。カニの陰に隠れてしまいがちだが、こっち方面の魚はさすがに旨い。白身系の刺身がとくに味が濃く甘い。バッチリ。これだけを目的に旅行してもいいぐらいだ。

さてさてカニ刺し登場。タグ付きのカニではないが、まったく遜色のないレベル。甘い。本来なら、焼くが茹でるかしたほうがカニの旨味が引き出されるが、やはり、この時期には、ついカニ刺しも欲しくなる。

茹でガニ登場。ミソもしっかり。幸せ。バンザイ。カニの冥福を祈る。包丁の入っていない細い足の先っぽまで、噛みついて砕きながら中味をすする。ヤッホーって感じだ。

焼ガニがまた美味。茹でガニとはひと味違う香り高い味わい。それにしてもカニの姿を見るにつれ、アイツは絶対に自分が旨いことを知っているのだと思う。あんなにいかめしい姿形でハサミまでつけて全身を鎧で覆っているわけだから、確信犯だろう。

包丁とカニフォークなどという天敵が地上に存在するとは知らなかったヤツらの冥福を改めて祈りたい。

焼ガニとセットで出てくる甲羅焼きがカニ攻めのハイライトだ。上等なカニのミソは、珍味の王様だと思う。謹んで味わい尽くす。食べ終わった甲羅には、熱々にしてもらった燗酒を注いで甲羅酒。2日続けてもちっとも飽きない。3日でも4日でも飽きないと思う。バンザイ。

合間には酒の肴としてイカの沖漬けを注文。これがまたすこぶる美味。鮮度抜群の漁師料理的な風情で、やたらと酒に合う。こういう浮気みたいなひと口、ふた口がカニ攻めの大事なポイント。カニに舞い戻った時にカニの偉大さを改めて実感できて嬉しさが倍増する

前日は、カニすき鍋が出てきて最後に雑炊でしめたが、この日は、茹でガニ、焼ガニを少しづつ残しておいて、白ご飯をもらってぶっかけご飯にしてみた。少しだけイカの沖漬けもまぶして、かっ込んでみる。単純明快に幸せが口の中に広がる。これだけで、その年一年が素晴らしい年だったように錯覚する。われながら単純な思考に驚く。

ズワイガニといえば、越前や橋立方面の地名を冠したブランドガニのほか、兵庫でも香住、間人エリアでは、やはり地名がブランドになっている。鳥取では、松葉ガニという呼び名こそあるものの、他のエリアほどブランド化の波は押し寄せておらず、手頃な値段で美味しくむさぼれる。

結局、前日とこの日の夕食で松葉ガニを5杯も食べてしまった。二食で5杯。これってかなり幸せだが、お値段的には大したことはない。鳥取バンザイって感じだ。

2009年1月5日月曜日

カニと温泉と私

年末、山陰にカニを食べに行った。正月の家族サービスの前にふらっと一人で忘年旅行をする習慣がある私だが、こういう「無所属の時間」って大事だと思う。一人で哲学的に過ごすことで、脳みそが活性化する、というのは真っ赤なウソで、単にカニのことだけを考えていた。

目的地は米子・皆生(かいけ)温泉。ここに2泊しながら、境港に足を伸ばしたり、ふらふら別の温泉を訪ねた。

出発日、出発時刻の40分ほど前に羽田空港に着いたが、さすがに年末で大混雑。なぜか私の予約方法では、自動チェックイン機が使えず、並んでいた時間が無駄になった。ネットで予約しただけでまだ購入していなかったので、時間が迫ってくるとキャンセル待ちの方が優先されちゃう恐れがあったので、ちょっと焦った。ほげほげしていたら、出発15分前になってしまった。

さすがに係員を捕まえて、クレーマーに変身してみる。株主優待券を利用した予約だったので、「株主としてこの段取りの悪さは問題だと思う」とかなんとか言ってみる。

おかげで個別に購入、搭乗手続きをしてもらえた。おまけに人が並んでいるゲートをよそに出発検査場まで別誘導もしてもらえた。優待券だけ持っていたニセ株主だったので、ちょっと恐縮する。

わずか1時間ちょっとで米子空港に到着。とりあえず、タクシーで境港まで行ってみる。魚天国のイメージがあった境港は、実際は鬼太郎天国だった。水木しげるの故郷ということで、町おこしに鬼太郎が大活躍。町中に鬼太郎に出てくる妖怪のブロンズ像があり、土産物屋をはじめすべてがとにかく鬼太郎。ちょっと変な感じ。

昼時だったので、やはり港町では寿司屋だろうと思って適当に探してみる。古い建物が歴史を感じさせる外観の「I鮨」に入ってみた。昭和レトロというより、大正レトロな感じで妙に渋い。でも客がいない。静まり返っている。妖怪ハウスのような雰囲気だ。ボーっとカウンターにたたずんでいた年齢不詳の男性が、元気のない感じで私を見つめる。それこそ鬼太郎にでてくる「ぬらりひょん」とか「一反もめん」的な様子に少したじろぐ。

この男性、最初は店員さんかと思いきや、店の主のようだ。のそのそ準備を始める。とりあえずビールを頼んで様子を伺う。街場のお寿司屋さんで客もいなかったのに、カウンターは禁煙と事務的に言われ、たじろぐ。

期待できそうな気配は皆無だったので、ちょろちょろ刺身をつまんでから握ってもらおうという考えを中止して、私には珍しく、素直に1人前を握ってもらうことにする。


いきなり店選びを外したなあと落胆しながらビールをあおっていたのだが、出てきた鮨がかなり美味しい。年齢不詳の店主(たぶん30代後半ぐらいだろうか)、結構あなどれない感じだ。ただ、なんとなく私には気分の乗らないお相手と見えたので、黙って食べ続けた。でも率直に旨い。ちょっと悔しい。甘エビとボタンえびの中間のような感じのオニエビとやらが印象的。そのほか白身の魚が絶品。

こっち方面は、醤油がいわゆる煮きりではなく、たまり醤油のような濃い目のものを使うのだが、この店の場合、少し甘めのツメも混ざっているような風味で独特な味わい。ただの濃い目の醤油よりは寿司に合っている感じがする。相当こだわりと自負を持った寿司屋に見えた。

後から入ってきたお客さんがバッテラを注文。その場で作っているところを見ていたのだが、さすが関西に近いエリアだけにてきぱきと旨そうな寒サバをあっという間に押し鮨に仕上げている。

勝手がわかったら良そうそうな店だが、なんといっても、「ぬらりひょんん」な感じが強いので一言で言うなら、ビミョーな感じ。結局、1人前の握りに追加で4貫ほど別な魚を握ってもらい、ビールを2本飲んで退散。

ぷらぷら「水木しげるロード」なる不気味な道を散策して駅に向かう。途中にあったパン屋まで、売っているパンが妖怪ばかりだったのには笑った。

境港駅から米子まで電車で移動。1両だけの文字通りローカル線。Ipodをごそごそ取り出す。選曲したのは、黛じゅんの「天使の誘惑」とか奥村チヨの「恋の奴隷」あたり。そんな気分と景色だった。

米子から皆生温泉まで移動して、この日泊まる「東光園」へ。伝統のある温泉宿らしいが、いまをときめく星野リゾートの手によって再生されたらしい。綺麗な庭園を持つそれなりに情緒のある宿だ。

大浴場も悪くは無いが、サウニストの私には、サウナが無いことが大減点。歩いて10分ほどの距離にある「華水亭」という高級旅館に日帰り入浴に行く。ここの大浴場はかなりの水準。露天風呂の広さや景観が高得点。日本海を目の前に気持ちの良い湯浴みが可能。サウナに何度も入って、火照った身体を海風にさらすと1年の疲れが飛んでいく感じ。

サウナが無いのに「東光園」を選んだのには理由がある。一人で泊まれて、松葉カニてんこもりの夕食プランがあったことがそれ。個室食事処でカニ三昧。この時期ならではの松葉ガニ(ズワイ)が3杯も付く。

1杯はまるまる茹でガニで味わい、あとは刺身、焼き、てんぷら、カニすきになって出てくる。おまけに刺し身や焼きガニにはタグつきの活ガニが使われるということで、カニ好きには嬉しい内容。

とにかく全部美味しかった!とくに甲羅みそ焼きが涙があふれそうになるぐらい旨い。食べ終わったらチンチンに燗をつけた日本酒を注文。甲羅に注いでうなりまくる。(ちなみにチンチンに燗酒を注いだわけではない。。。)


悪い癖で別注料理のメニューを見ると何か頼みたくなってしまい、この日もイカ刺しを頼んでしまう。これが失敗。味は絶品だったが、丸々一杯分のイカが登場。多すぎる。焼きガニの炭火にゲソも乗っけて焼いてみたりしてなんとか食べつくす。

強いて言えば、てんぷら、カニすきはどうでもよい感じだった。茹でガニか焼きガニがハイライトだ。次の日も別な場所でカニ三昧予定だったので、この判断は翌日の参考にする。

つづく。