2009年1月21日水曜日

神様の話

私の宗教は浄土真宗らしい。代々そうなっているみたいだが、私自身、さほど宗教心があるわけではないので、浄土真宗がどういう教えだかよく知らない。ただ、仏教のなかでは、戒律がゆるいほうだと聞いたことがある。本当ならその点は素晴らしい。

仏教徒なのにクリスマスやハロウィンに浮かれ、神社にもノコノコ出かける日本人の姿ってなんとなく素敵だ。ちっとも卑下する話ではないと思う。そのぐらいのユルさがないと無用な争いを招いたりする。

今年の正月は、「オレは無信心なんだ」と格好つけて初詣に行かなかった私だが、仕事始めに会社近くの神社で商売繁盛のお祓いはチャッカリ受けた。そんなもんだ。

ついでにいえば、初詣に行かないくせに、厄除けの時には自宅そばの神社でお祓いを受けている。そんなもんだ。

以前の話だが、飛行機で旅行に行く際に習慣にしていたことがあった。それは離陸直前にコソッと、かつ一生懸命にお祈りをすること。ただ、ここで祈っていた相手は漠然とした「神様」という相手で、特定の宗教が指定する神様ではない。

あくまで自分自身にとっての神様だ。よくよく考えるとご先祖様とか守護霊とかに必死に無事をお願いしていたように思う。

通っている学校のせいで、どうも娘がキリスト教的なことを言うことが多くなってきた。小学生の分際でいまだにサンタの存在まで信じている。問題だ。

私も幼稚園から高校までキリスト教の学校に通った。一応、聖書の話も結構知っている。私の人間形成にキリスト教がどういう影響をもたらしたかは分からないが、正直、あんまり関係なかったように思う。

実家に君臨していた祖父が強力な個性を持っていたので、祖父の存在が一種の宗教だった。

小学校時代、優秀な子どもが選抜される(と思っている)聖歌隊に選ばれた。ウィーン少年合唱団のような可愛らしい衣装を着てナントカ公会堂とかのステージにも立った。

おかげで、いまでもチマタのエセキリスト教結婚式の場で、歌詞カードを見ずに聖歌が歌えたりする。

ところが、栄えある聖歌隊の地位は、ある日突然剥奪されてしまった。放課後の聖歌隊の練習後は、お菓子が用意されて束の間のティータイムが用意されていた。この部分が子どもにとって“特権”のようで聖歌隊ブランドが誇らしいものだったのだが、ある日の放課後、事件は起きた。。。

ヒステリックな女の先生と私の間で交わされた会話を再現してみる。

ヒス女「今日は、事情があってお菓子を用意できませんでした」。

私  「お菓子がないのなら、こんな歌、歌ってらんないよ」。

ヒス女「なんてことを言うの!あなたはクビです」。


以上が涙なしで語れないコトの真相だ。そして私はクビになった。小学生という段階でクビという処分を経験したことは貴重だ。

でも、右の頬を打たれたら、左の頬を差し出すほどの寛大さがキリスト教の特徴だったはずなのに随分と厳しい処分だ。

きっと悪ガキだった私は、それ以前から厄介払いのターゲットとして狙われていたのだろう。正直、聖歌隊ってガラではなかったのだから仕方ない。

小学生の娘にこの話をしたら、軽蔑するような目をされた。もっと尊敬されるような子ども時代の話をしようと記憶をたどり直したが思い当たることがない。

今度じっくり作り話を考えないといけない・・・。

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