2009年1月23日金曜日

お燗酒と神様

冬は燗酒を飲むことが多い。寒い夜、旨い肴を前にして熱めの一杯をひっかけると一気に身体全体が弛緩する。極楽気分だ。口の中と喉のあたりが温泉に浸かった時のように幸せになる。

冬の酒肴がまた熱燗に合うモノが多い。アンキモに白子、カラスミ・・・。やはり焼酎より日本酒、それも熱燗がバッチリな珍味ばかり。

器好きの私としては、熱燗を飲む時、“マイぐい呑み”があれば大満足。ご機嫌。ビジネスバッグにぐい呑みを常備し、いつでも臨戦体勢なのだが、なるべくバッグを持たないようにしているので、最近はマイぐい呑みを使いそびれることが多い。

以前、頻繁に通っていた寿司屋にお気に入りのぐい呑みを何点か置かせてもらっていた。キープぐい呑みだ。ここ数年は放浪の呑み助なので、マイぐい呑みと付き合うには持ち歩くしかない。

いまバッグに入っているのは、備前焼の逸品。人気作家・金重晃介さんの手による器肌の景色が変化に富んだ作品。燗酒を飲むにはもう少し小ぶりなものが私の好みなのだが、冷酒を飲む際にも使い勝手がいいので愛用している。

写真は、そのぐい呑みと食べかけのカラスミを撮ってみた一枚。

本当の酒飲みという種族は、ツマミにもうるさいことは言わず、ましてや器なんてどうでもよくて、普通のコップでがんがん飲むようなイメージがある。

私なんかは、ツマミがどうだの、盃をどうしろなどと小うるさいことばかり言っている。酒飲みとしては邪道なのかもしれない。

そうは言っても酒を飲むという行為自体が、その昔は大層な意味を持っていたことを忘れてはいけない!神道ではまさに身を清め、神様との一体感を高める飲み物と位置付けられている。

酒という言葉自体が災いを「避け」るという意味に由来するという話もあり、なんだかんだ言って、酒を呑む時間って崇高な時間なのだ(こういうモノの言い方を屁理屈という)。

酒を入れたり呑んだりする器だって、その昔は大事な祭器であり、食器と同等のもののではなかった。そう考えると酒器にこだわっている私の姿勢は、日本の伝統精神から見ても正しいことかもしれない・・。

「身を清め、神様と一体化する」。うーん実に素晴らしい飲み物だ。もっと呑まねば!。それならば、器だって神様に恥ずかしくないような良い物を使おう。もっと集めねば!。これもひとえに神様にお近づきになるためだ!

結局、“神様”を都合良く解釈する悪い癖が出てしまった・・・。

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