2023年4月28日金曜日

さらば八丁堀 ロイホのビュッフェ


今の住まいに暮らし始めて1年しか経っていないのだが、来月引っ越しすることにした。面倒だがいろいろと今の住まいの不満な点が改善されないから仕方がない。管理会社とも随分やり取りしたがシャバダバだったから出ていったほうが早いと判断した。

 

今は隅田川にかかる中央大橋に程近い立地で川沿いの散歩が大のお気に入りだった。引っ越し先も隅田川沿いの遊歩道に近い場所にしたかったのだが、思うように物件が見つからず次は街のド真ん中みたいな場所に決めた。

 

職場に近いから中央区民でいることを継続して今度は日本橋の住人になる。三越まで歩いて数分の立地のマンションである。まだしばらくは娘との同居が続く見込みなので広めの物件探しに難儀したがわりと気に入った物件が見つかった。

 

10年ほど前に独身に戻ってから5度目の引っ越しだ。ボヘミアン暮らしみたいで落ち着かない面もあるが、引っ越しには断捨離効果があるから案外悪くない。

 

私もいつのまにか「オジサン」カテゴリーにどっぷり浸かり、さほど遠くないうちに「オジイサン」という分類に入ってしまう年齢である。モノは少なくした方が何かと都合が良い。

 

引っ越しのたびにモノは減っているがまだまだである。1年前の引っ越しでも段ボール90箱という意味不明な荷物量だったから今回は覚悟を決めて捨てまくろうと思っている。

 

今の住まいに移ってから1年。一度も着なかった服、一度も使わなかったモノはゴミなのかもしれない。一戸建てに住んでいた時に年に一度あるかどうかの雪かき用のために持っていたゴツい長靴やスコップみたいな道具だってナゼか今もある。

 

使わない照明器具や空気清浄機などの軽めの家電しかり、まず間違いなく二度と読まないだろう本や雑誌の類い、もう何年も履いていない靴、かぶっていないキャップ、触ってもいないバック類など数えだしたらキリがない。

 


 

今の八丁堀界隈も好きなエリアだから引っ越した後も散歩には来ると思う。隅田川テラスと呼ばれる遊歩道は浅草方面まで延々と続いているし、新居の近くから川沿い散歩に出ても勝どき方面に進めば永代橋、中央大橋あたりまでは歩ける距離だと思う。

 

先日、転居を決めた後に八丁堀エリアが新たに好きになることがあった。「モーニングビュフェ事件」である。事件などというと大袈裟だが事件といえるぐらいワクワク?した。

 

その舞台はロイヤルホストである。ファミレスの中でも抜きん出た美味しさのロイホだが、全国の数え切れないほどの店舗の中で朝のビュッフェをやっている店が45カ所だけ存在するらしい。

 

ホテルが入っている建物に併設されている一部のロイホだけがその店舗だとか。宿泊客用の朝ビュッフェをロイホが手がけている感じだ。一般客ももちろん利用できる。

 

そんな貴重な一店舗が八丁堀店だったことをつい最近知った。コロナ禍でしばらくの間はビュッフェを中止していたらしいので私のアンテナに引っかからなかったようだ。

 

全国的に珍しいロイホの朝ビュッフェが家から徒歩5分の場所でやっているなら行かないわけにはいかない。さっそく娘を連れて体験してきた。

 


 

大騒ぎするほどの品揃えではないが、それでも充分にロイホ的なウマい朝ご飯がたらふく味わえた。お値段は1650円。ヘタな高級ホテルの品数ばかりのビュッフェにもっと高いコストを払うならロイホのほうが嬉しい。

 

いわゆる朝ビュッフェにあるものは一通り揃っている。スクランブルエッグはキチンと美味しく、ソーセージも朝ビュッフェにしては上等な味わい、焼き魚や温かい煮込み料理もあるし、白米は釜炊きのちゃんとしたレベル。

 

パンケーキもあればカレーもある。ロイホ伝統の美味しいジャワカレーである。フライドオニオンまで自由に振りかけられる。これが食べ放題だから隠れロイホファン?である私にとっては大満足だった。

 



近いうちに八丁堀ともオサラバだからと勇んで出かけたのだが、こんな楽しい朝飯が味わえるなら転居先からでも通ってしまいそうだ。穴場の探検気分が味わえるので近くに「朝ビュッフェロイホ」がある人には強くオススメ。

 

話を戻す。引っ越しまで1ヶ月を切った。この前の週末には転居先の周辺をぐるぐる散歩してみた。徒歩5分以内に喫煙OKの居酒屋を複数発見したし、良さそうな雰囲気の蕎麦屋、とんかつ屋、寿司屋なども目についた。

 

断捨離だけでなく馴染みのない土地のウマい店探しを一から始められることも引っ越しの効能である。楽しみながら荷物整理を始めようと思う。




2023年4月26日水曜日

ムダだらけ


日常生活におけるムダな出費コンテストがあれば私は上位に入賞しそうだ。富豪を目指している以上仕方がない?ことだが、そんなことはちっとも自慢にならない。時に自己嫌悪に陥る。

 

わが家の隣にセブンイレブンが存在することも問題である。前の住まいもセブンが20メートル先にあったから用も無いのに立ち寄ってムダな買い物をしてしまう。

 


 

これがミニストップや何ちゃらスーパーだったら事情は違う。セブンは何かとウマいものがあるから困ってしまう。オリジナルの冷凍食品も驚くほどウマいものがあるし、上の画像のポテトも初めて食べた時には卒倒しそうになった。

 

タバコを買うついでに余計なモノを買ってしまうのが私の悪い癖である。とくにスイーツを闇雲にカゴに入れる。店内に入ると迷いなくカゴを手にする習慣が既にダメである。カゴがあるからポンポン入れちゃうわけだ。

 




たいしたモノを買っているつもりはないのにナゼかいつもレジの表示は45千円だ。原油高を主な理由とする物価高のせいだろうか。いや、私が単純にムダな買い物をし過ぎているのだろう。

 

もちもちしたスイーツやカスタード系のスイーツにはつい手が伸びる。コスパが悪いカットフルーツも買っちゃうし、新顔のおにぎりがあれば何となく買う。弁当コーナーのパスタも妙に欲しくなってしまう。買ったのに賞味期限切れで処分することもあるから最悪だ。罰当たりなことだと反省している。

 

罰当たりといえばシュークリームも中しか食べない習慣がついてしまった。元々はダイエットしていた時に少しでも摂取カロリーを控えようと泣く泣く外側を捨てたのだが、そのうち中身だけを食べる禁断の楽しみに染まってしまった。

 



 

中だけ食べ終わったシュークリームの残骸とミカンの皮だ。よく似ている。罰当たりな食べ方に対する自分への言い訳として「ミカンだって皮は食べないじゃないか」と言い聞かせている。バカである。

 

ちなみにローソンの人気スイーツ「どらもっち」やそれに似たスイーツに関してもどら焼きの片方は外して食べる。そのほうが中の甘味が引き立って妙に美味しく感じる。これまた誉められた食べ方ではない。作っている人にちょっと申し訳ない気がしている。

 

コンビニと並ぶ無駄遣いの定番がウーバーイーツである。割高だと分かっているのに最近は日々ダルい場面が増えたせいでついつい利用してしまう。

 

15分ぐらいでスタバやマックが届くから朝から安直に頼んでしまう。夜は夜で酔っ払って満腹中枢がおかしくなっているから当たり前のように牛丼を頼んだりする。ゆるやかな自殺みたいな行動パターンである。

 




ウーバーの注文履歴である。4月の前半だけでこの有様だ。積もり積もれば結構な散財になる。1ヶ月の累計を計算して我ながらアワアワすることもある。自宅の隣にコンビニがあるのについついローソンの配達まで頼んでしまう。

 

サンダルを突っかけて玄関ドアのカギをかけ、エレベーターを待って隣まで歩くというだけの作業すら億劫に感じる時にローソンを頼む。変な酔い方をして勢いよくゲップがしたいというだけの理由でコーラをデリバリーしてもらうこともある。足が退化しちゃいそうなほど横着だ。

 

何だか書いているだけでイヤな気分になってきた。読まされるほうはもっと不快かもしれない。すいません。

 

経済の循環にちょっとは貢献していると自分に言い訳をしているが、やはりこんなことでは畳の上では死ねない。子供の頃ちゃんと育ててくれた親にも申し訳ない話である。

 

でも近頃のコンビニって欲しくなるモノがたくさんあるし、ウーバーの便利さは習慣になるとクセになるし、私の不健全な行動パターンはどこかの離島か山奥に引っ越さない限り直らないかもしれない。

 

高額納税者ならぬプチ高額消費者!?というカテゴリーで何らかの顕彰を受けられないかとアホなことを考えている。

 

 

 

 

 

2023年4月24日月曜日

ウニ うに 雲丹


そこそこ食通ぶったつもりでいる私はお寿司屋さんに行ってもコハダや海老、穴子あたりの“仕事系”を分かったような顔をして食べる。もちろんそれが好きで食べているのだが、同じぐらい好きなのが「ウニ、イクラ」である。

 



昔から同伴やアフターで寿司屋に行った水商売のオネエサンが「トロ、ウニ、イクラ」ばかり注文してヒヒオヤジがアタフタするような笑い話をよく聞く。

 

そんなイメージのせいでウニやイクラを注文するのが私はちょっとだけ恐い。値段の問題よりも味の分からないヤツだと思われちゃうんじゃないかと変な心配をしてしまう。自意識過剰である。

 

女子供の皆さんには申し訳ないが、ウニやイクラはいい歳した男が嬉々として食べるものではないという思い込みがある。私だけだろうか。たぶん私だけかもしれない。

 

「ヅケとコハダとアオヤギ、あとウニも食べようかな」。本当はウニばかり食べたい時でもこんな言い方をしてウニはついでに食べるような顔をしてしまう。バカみたいだ。

 

昔から時おり函館まで行ってアホほどウニ丼やイクラ丼を食べまくるのも日頃のそういう意味不明な自意識に対するウップンばらしなのかもしれない。

 

最近こそ鈍感力が増してきたせいで昔よりはウニ、イクラを普通に注文するようになったが、心のどこかでモヤモヤした気持ちは残っている。だから若い女子を連れてお寿司屋さんに行った時はちょっと嬉しい。あくまで連れの女子のせいでウニ、イクラばかり頼んでいる顔をして実は私がバクバク食べる。

 



イクラに関しては人工的な味付けだから当たりハズレは少ないがウニはなかなか厄介である。カジュアル過ぎるお店で出てくるウニはハズレの可能性が高い。マズいウニほどイライラするものはない。ミョウバンの苦さぐらいならともかくウニ自体に臭みがあると萎える。

 

カジュアル系の寿司屋でも幅広くチェーン展開しているような寿司屋なら大量仕入れの強みのせいで案外マトモなウニが出てくる。ちょっと気取った個人店のほうがダメウニに遭遇する可能性は高い。もちろんウニの個体差も激しいからその日によって当たりハズレの波があるのは仕方ない。

 

一人あたりウン万円も取るような高級店ならハズレの確率は低いが高級店なら上モノのウニを常備するのは当然である。それよりも手軽な店でウマいウニに当たったほうが喜びは大きい。そういう時はウニを何度も注文してしまう。

 



ウニの難しさ、奥深さはウン十年も修行(客として)してきた私にもすこぶる厄介だ。醤油で味わったらさほどでもないのに塩だと抜群に美味しく感じたり、当然その逆もある。海苔と一緒に味わうとウマいのに海苔無しだとたいしてウマく感じないパターンやその逆もある。

 

ムラサキウニ、エゾバフンウニが寿司屋で食べるウニの代表だがどちらの品種でもその難しさは一緒だ。九州の赤ウニもしかり。醤油、塩、海苔との組み合わせで印象は大きく変わるし個体差でもまた変わる。

 

ミョウバンを使っていたらダメ、塩水ウニは間違いないといった定説も決して絶対ではない。ミョウバンの加減によってはちっとも気にならない上モノもあれば塩水ウニだって臭くてまるでダメなヤツもある。

 

いわば実際に口に入れるまでよく分からないのがウニの厄介さである。だからこそおみくじを引くように常にドキドキしながら食べるのが楽しい。

 

普通に美味しいウニに遭遇した時はもちろん上モノに当たった時はつい何回も注文したくなる。同じものばかり頼むのもヤボに思えた時には「さっきのウニ、手巻きで食べてみようかな」などと変化球気味に注文してごまかす。やはり自意識過剰みたいだ。

 



ウニの話を書いていたらまた函館に行きたくなってきた。近いうちにウニ攻め旅行を計画しようと思う。でもきっと函館名物のファストフード「ラッキーピエロ」に行きまくって“チャイチキ”ばかり食べてしまうような気がする。

 

よく分からないオチになってしまった…。

 

 

 

 

 

 

 

2023年4月21日金曜日

脚は裏切らない


ドライブデート。若い頃はそれが定番だった。ちょっとぐらい酒を飲んでも誰もが運転しちゃっていた昭和の頃(ダメです)は私も日々ムダにガソリンを消費していた気がする。

 

あの頃はクルマがその人のアイデンティティかのような風潮があって、やれ誰それはビーエムを買ったらしい、誰それのソアラはカッチョいい等々、クルマの話題が結構大きなウェイトを占めていた。

 

カーオーディオもまだカセットテープを聴く時代だったからデート相手に合わせてオリジナルカセットの編集に励んだものだった。定番はボズ・スキャッグスの「トワイライトハイウェイ」だった。泥くさい?ハマショーのテープは一人ドライブの時だけコッソリ聴いていた。

 

ラブホ代わりにクルマを利用する猛者もいたが、私はそういう趣味はあまりなかったのでもっぱらラブホへの移動手段にクルマを使っていた。どうすればアルファインに連行?出来るだろうかと頭の中で必死にルートを考えていた。カーナビなど無かった時代だから脳トレみたいな日々だった気がする。

 

時には思ったようにコトが運ばず一人帰り道で乱暴な運転をしてちょっとした事故を起こしたこともある。迷惑極まりない話である。若気の至りだ。

 



時は移りいっぱしのオジサンになった頃から助手席に乗せる女性にはミニスカートを着用してくれと言明、いや厳命するようになった。そういう点がオジサンのオジサンたる所以だろう。若い頃なら恥ずかしくてそんなリクエストは出来なかった。

 

女子連れで温泉旅行に行く際も現地に着いてからアレコレと楽しめば?いいのにクルマ移動の車中の「眺め」にもこだわり始めたわけである。いま思えば運転に集中できないから危ないったらありゃしない。

 

おまけに助手席のミニスカート女子にここでは書けないような注文をつけてそれを眺めていたわけだから法的にも問題だ。安全運転義務違反という道路交通法にも引っかかる話である。

 

今の私のクルマには車内も常時録画するドライブレコーダーが装着されているから当時そんなものがあったら物凄い動画が記録されていたはずだ。そう考えると今の時代に車内で怪しげなことをしたらドラレコに記録されてしまって大変である。アチコチにデジタルタトゥーの魔の手は潜んでいるわけだ。恐い恐い。

 

一応、まだ現役男子のつもりだから今だって女子を助手席に乗せてドライブすることがある。昔からの悪いクセで相手が若い女性ならミニスカート“厳命”である。いつまでもバカである。

 


別にドライブに限らず私はミニスカートが好きだ。しかしたとえば飲食店に入っても相手が向かい側の席に座るとミニから覗く脚は見えない。まるで無意味な事態になる。

 

カウンターの席ならば“眼福”になるが、カウンターの中に陣取る料理人の存在が気になって真横にある美しい脚線美をジーッと眺め続けることは難しい。私にだって「脚なんか見てませんよ」とトボけた顔をするぐらいの見栄はある。

 

ドライブならば横並びだし脚を遮るカウンターも無ければ邪魔な料理人もいない。見放題である。赤信号になればガン見するし走行中もチラ見に励む。事故を起こさないように普段より気をつけるし良いことづくめだ。

 

だいぶ前にこのブログでも脚線美について哲学的に考察した(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/12/blog-post_20.html)が男が女性の脚線美に見せられるのは「脚は裏切らない」という一点に尽きるだろう。

 

顔は化粧を落とせば裏切られる。美しく見えた後ろ姿も前に回ってみればかなりの確率で裏切られる。コロナ禍になってからはマスク美人達に随分と裏切られる現象が生まれた。もっと言えば内面、すなわち性格や人間性にも裏切られることばかりなのが世の現実だ。

 

身体的パーツにしても裏切りだらけである。胸は寄せてあげてパットを使うことによって縦横無尽に男性を騙す。腰のラインだって矯正コルセットみたいな武器を使われればコロっと騙される。

 

そんな裏切りだらけの世界でも脚は裏切らない。顔も性格も抜きに脚だけ眺めていれば平和な時間が過ごせる。半世紀以上生きてきて私が気付いた世の中の真理はそのぐらいかもしれない。

 


相変わらず何が書きたいのか分からない話になってきた。言いたいことはミニスカート万歳という話である。ジェンダーうんぬんと騒がしい世の中になってしまったいま、麗しき女性陣は皆さんミニスカートを履くべきだなどと叫ぶと各方面から糾弾されて逮捕されそうだが、私が今回の選挙で主張する政策?はそれぐらいしかない。

 

意味不明でごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

2023年4月19日水曜日

その程度のデブ

  

私は一応デブというジャンルの一員だが大食いタレントの石ちゃんや彦摩呂に比べれば遙かにスリムだ。着痩せするほうだから紺のスリーピーススーツを着ていればデブデブには見えないレベルである。たぶん。

 

私のヘンテコな食べっぷりを知る人からは「その程度のデブで済んでいるのは大したもんだ」と評価?される。嬉しいのか悲しいのかよく分からないが、いずれにせよさほど体重管理を気にしていないわりにはよくこの程度で済んでいると自分でも思う。

 

逆に普通なら痩せ衰えていくような病にかかっているのに変な食生活のせいで体型が維持されてしまい肝心の病に気付いていないのではと心配になる。

 




先日、夕飯は軽めに済まそうと蕎麦屋に行った。頃合いの良い肴で晩酌がてら蕎麦を食べるつもりだったのだが、結局はドカ食いになってしまった。

 

小さいサイズの蕎麦がき、白魚の玉子とじ、天ぷら盛り合わせをツマミにビールやら蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを飲んでいたら調子が良くなってしまった。悪いクセだ。

 

蕎麦つゆの味ってつくづく食欲増進効果があると感じた。蕎麦屋のドンブリ飯がウマいのも蕎麦つゆが理由である。天ぷらも蕎麦つゆに浸してムシャムシャ食べた。

 

こうなると普通はせいろを一枚ぐらい食べて終わりにするものである。しかし、調子が出てきた私はここからアレコレ食べたくなってしまう。



蕎麦に関しても普通のせいろとさらしなを両方食べたくなる。「小盛り3種類」という蕎麦メニューがあったが、文字通りそれぞれが小盛りだから私には無理だ。それならば普通盛りを2つ食べるほうが胃の中や心の中が蕎麦だらけになって満たされる。

 



満腹になったことを脳に知らせる機能が人よりも劣っているのも私の特徴だろう。しっかり肴を食べ蕎麦もダブルで食べたのだから充分満足すべきなのに「せっかくだから温かい蕎麦も食べるべき」と私の中に住む悪魔が囁く。

 

この日訪れたのは築地にある「さらしなの里」。変わり蕎麦もいろいろある。シジミ蕎麦、若竹蕎麦、白魚蕎麦など、季節メニューの中に「鯛蕎麦」を見つけた。春っぽい気分になりそうだからついつい追加注文。

 



名前そのままの蕎麦が来た。熱いつゆの中で鯛しゃぶみたいになった刺身が蕎麦と絡まり合ってなかなか美味しい。冷たい蕎麦をしっかり味わってから食べる温かい蕎麦は妙にホッコリする。

 

何だかんだ言っても単なる食べ過ぎである。蕎麦屋で軽く済ませるはずが、食後にさっそく太田胃散にお世話になったわけだからバカである。

 

もともと食卓にアレコレ品数を並べたいのが私のワガママな性分である。マックのハンバーガーにしてもパンを大部分捨てちゃうせいで一人で5個ぐらい頼んでしまう。目移りするのが大好きだし、行儀が悪くても迷い箸になるのも幸せだ。

 



この画像は別な日に娘、息子、元嫁と一緒に出かけたロイヤルホストでの一枚。バカでかいステーキにドリア、カレー、ミックスフライ、デカいハンバーグ、フライドポテトである。こういう茶色い面々が一堂に会していると幸せだ。

 

この日は食べ盛りの子供達に遠慮してたいして満腹にならずに終わった。私も本気になって食べるならここにパスタとピザを追加するぐらいがちょうどいい気がする。



無芸大食とはネガティブな意味で使われる言葉だがよくよく考えるとそんな風に人様から評されるのはとても幸せなことかもしれない。



健康体じゃなければ暴飲暴食は出来ないし、そもそも飽食の時代真っ只中の今の東京に暮らすことは地球上の歴史からみて物凄くラッキーなことだ。有難く幸運を享受しないとバチがあたるような気がする。








 

 

 

 

 

2023年4月17日月曜日

完成したオッサン


酒を飲むパターンにもいろいろある。一人飲みの他に友人との飲み会、仕事絡みの付き合い酒、女子を相手にした下心飲み?など場面によって酒の味も変わる。

 

仕事関係の飲みの場はコロナのせいで激減したが、若い頃はしょっちゅう仕事飲みに励んでいた。不思議なもので酒もメシもウマかった記憶はほぼ無い。飲む量も多めだったし今思えば身体にかなり負担がかかっていた。

 

20代の頃は仕事酒を終えて帰宅すると高い確率でゲロッピー状態になっていた。明け方まで吐いて黄色い胃液とコンニチハみたいなことがしょっちゅうだった。ムダに気負っていたせいもあるのだろう。昭和人?特有の無理な飲み方だった。

 

激しく二日酔いになっても朝はキチンと出社した。会社について真っ先にトイレでゲロッピー作業に励んだことも多々あった。今なんかちょっとダルいぐらいでノソノソ重役出勤している。堕落したものである。まあ昭和の頃なら定年を迎えている年齢だから仕方ない。

 

何だかんだ言って酒は楽しく飲むに限る。そんな当たり前のことが意外に出来ていないのが現代人の悪い癖だろう。愉快な席で変に気を遣わずに済む面々と酌み交わす酒が一番だ。このところ友人達と飲む場面が続いたせいで今更ながらそんなことを感じる。

 

私の友人はほぼ全員が子どもの頃からの付き合いだ。大人になってから親しくなった人もいるが、気を遣わずバカ話だけで過ごせるのは古い友人ばかりだ。利害関係が無ければ無いほど酒の味もウマくなる。

 



某日はバンドメンバーの友人達と今年のライブに向けた打ち合わせを兼ねて集った。共通の楽しみを持つ友人と好きな音楽をネタに時に脱線しながらバカ話に花を咲かせる時間は得がたい。ひょんなことでオジサマバンド活動に首を突っ込んだせいで生まれた貴重な時間だ。

 

たいていは旧友が経営している居酒屋か、そうじゃない時はどうでもいい店でどうでもいいツマミを肴に飲む。一人飲みの時だと酒や食べ物にこだわりたくもなるが、友人との飲みの席だとツマミなんか二の次だからそんな雑な感じがまた心地よい。

 

別な日はガン治療から生還した友人を囲む飲み会があった。気付けば周りにガン経験者が増えてきて自分の加齢を痛感させられる。

 

若い頃はバリウム飲んだぜ、胃カメラやったぜ的な可愛いレベルの“病気マウント”を語り合ったものだが、この歳になるとマウントの取り合いをするほど悠長な事態じゃないヤツも出てくる。死んじゃうヤツもいるからマウントどころではない。

 

バカ話が大半だがバカ話も立派な情報交換である。情報弱者はどんな分野でも弱い立場になっちゃうから些細な笑い話だろうとムダにはならない。ガンから復活した友人との飲み会では当然ガン治療の細かい話も聞けるしもろもろ有益な情報に触れられる。

 

もちろん情報交換などという堅苦しい感覚は無いのだが、くだらない話で無邪気に笑えること自体がこの歳になると単純に有難い。箸が転がっても爆笑していた若者時代と違って人生後半戦にもなるとそうそう腹の底から笑い転げる場面はない。

 

また別な日は社会人生活の大半を地方各地での単身赴任に明け暮れた友人と飲む機会があった。彼の帰省ついでに他の友人も交えて浅草ホッピー通りで明るい時間から飲んだ。

 

彼とは二人で沖縄に潜りに行ったこともある。ちょうど彼の長男が生まれるタイミングだったのに奥さんをほったらかしにして沖縄行きを決行。潜ったことより毎晩泡盛を片手にバカ話をした記憶のほうが強い。

 

その旅行から帰ってすぐに生まれた彼の長男に先日お子さんが生まれたそうだ。何とも時の流れを実感させられる話だ。爺さんになった彼だが、浅草での飲み会の会話は相も変わらずエログロナンセンス大会である。

 

どうってことのない話ではあるが、これって幸せなことだと思う。それだけの時間の流れの中ではお互い酸いも甘いもアレコレあったわけだが、飲み始めてしまえばウン十年前と同じ感覚で楽しく過ごす。

 

 



 ホッピー通りで飲んだ後はその友人が顔馴染みの渋くて小さな寿司屋で飲み直し。それこそ若者が立ち入るにはたじろぎそうな怪しげな店だったのだが、そんな店の居心地がすこぶる快適だった。その点ではどこからどう見ても我々は“完成したオッサン”である。長年にわたって友人関係が続くことの有り難さと幸せを痛感した。

 

小中高一貫の男子校に通ったこともあり“竹馬の友”に恵まれたことは幸運だと思う。変にべたっとした付き合いではないもののプチ歴史を共有している独特の連帯感みたいなものは死ぬまで続くのだろう。

 

年齢的に昔よりも時間に余裕が生まれる頃合いだから会える時には積極的に会っておこうと思う。そのためにもそこそこ健康でいないとなるまい。古くからの友人と飲み交わすこと自体を健康法だと思うことにしよう。

 

 

 

 

 

2023年4月14日金曜日

枕の話

 

大学生の頃の10時間睡眠はさすがに無理になったが、今も私は寝るのが好きだ。どちらかといえばロングスリーパーかもしれないが今は67時間睡眠が基本である。

 

寝付きが悪い日はユルい睡眠薬「ルネスタ」を飲む。ナゼかこれを服用した翌朝は目覚めが妙にスッキリする。依存しない程度に使っている。

 

眠りを支える大事な相棒が枕である。私は“枕難民”みたいなところがあり良さそうな枕の広告を見るとすぐに騒動買いしたくなる。おかげでFacebookの広告は枕ばかり出てくる。

 


 

この10年でいくつ枕を買ってしまっただろう。56千円ぐらいの枕ばかり買ってきた。どれも別に悪くなかったのだが、ついより良き枕を求めて買い続ける。ちょっと硬めでちょっと高めが私の好みだから、使わなくなった枕の中材をほかの枕に加えたりしてアレンジもする。

 

高い金を払ってオーダー枕を作ることも考えたのだが、ほんの数分、いや数十分だとしても普通の状態の昼間に緊張しながら横になって諸々測定したところでバッチリ完璧な枕に辿り着けるとは思わない。

 

実際、その日の状態に併せて複数の枕を使い分けている。肩のこり具合、空腹具合、飲んだ酒の残り具合などその日によって快適な枕はビミョーに変わる。

 


この1年ほど安定的に使っているのがNeltureというネットで見つけた業者が出している横寝専用枕だ。確か1万円ぐらいしたから私の枕ストックの中では高価な部類に入る。

 

横寝の際の下側に来る腕の収まりが心地よい。なんてことのないポイントだが案外そういう部分が大事だ。ちょっと高さに不満があるのだが、中の構造が特殊でカサ増ししにくいのが残念。

 


 

このアイリスオーヤマ製の枕が今の二番手である。中にはパイプ材が入っているのだが、ほかの商品の中からパイプを取りだしてこっちに大量投入して高さを上げた。硬さもかなり満足いくレベルに変わった。

 

この二つがいわば堀内と高橋一三のように(例えが古くてスイマセン)両エース的に私の睡眠を支えてくれている。おかげでここしばらくは新戦力を探すこともなく平和に寝ている。

 

ところが、愛用している横寝専用枕に新たなラインナップが加わったことを知って私の難民的性格?がムクムクと頭をもたげてきた。いま気に入っている枕のニューバージョンなら無視するわけにはいかない。

 

で、新商品に手を出してしまった。基本的にはサイズがデカくなった感じで細部の改良もしているらしいが寝心地はどのぐらい変わったのだろう。ワクワクして到着を待った。

 




一週間ほど新商品を試してみた。枕の良し悪しなど1日や2日で分かるはずはないというのが私の信念である。一週間使ってみた感想は「普通」である。ちょっと残念。

 

16千円ほどという価格は私の枕遍歴の中ではかなり高い。井川に巨額マネーを払ったヤンキースほどの失敗ではないが、筒香獲得のアテがはずれたレイズぐらいのショックはある。

 

富豪を目指すくせにそんな程度で悔やんではいけないのだが、私にとって「枕を買う」という行為は一種の趣味に近いので満足出来なかった時の痛手は大きい。

 

寝心地が悪いわけではないのだが、ムダなデカさが気に入らない。安定感もイマイチだし頭を載せる場所が今ひとつ決まらない。

 

私の睡眠時の姿勢は横寝しながら予備の枕を股に挟むという二段階枕活用スタイルである。新型のデカ枕も時には股に挟む場面もあるだろうが、全体にデカすぎるから抱き心地の面でよろしくない。

 

どんな場面でも抱き心地は大事である。峰不二子ばりの素敵な女性とベッドインするにしても相手の身長が2メートル30ぐらいだったらきっと嬉しくないのと同じである。

 

小さすぎるのもイヤだがデカ過ぎるのも考えものである。過ぎたるは及ばざるが如しそのものだと感じた。

 

問題は今回のデカ枕事件によって、私の新たなる枕購入意欲が久しぶりに盛り上がってしまったことだ。凝り性な性格はこういう時に困る。革靴だって足は左右二つなのに30足はある。枕もしかりである。頭は一つしかないのに10個以上揃えてもどうにもならない。

 

断捨離とは程遠い生き方みたいだ。

 

 

 

 

 

 

2023年4月12日水曜日

ネット社会の雑感


腹が減ったらウーバーを頼み、欲しいものがあればAmazonがすぐに持ってきてくれる。食料や日用品はネットスーパーで購入し、観たい映画もサブスクで選びクリーニングの手配までスマホで簡単に終わる。

 

ネット社会サマサマみたいな日々を過ごしているが、先日、いわゆる送りつけ詐欺に遭いそうになった。ネットの買い物が当たり前になればなるほど犯罪も身近になってくるわけだ。

 

職場に私の個人名宛てで荷物が届いた。送り主はAmazonで箱もしっかりロゴ入り。たまたま会議中だったので社員が受け取り私のデスクの上に置いた。普段から私は職場宛に買ったものを届けさせているから社員も何も疑わずに受け取ったらしい。

 

会議を終えた私がAmazonの箱を開けたら注文した覚えのないシャビーな腕時計が燦然と輝いていた。キツネにつままれた感じである。念のためAmazonの注文履歴を確認したがそんな趣味の悪い時計を買った履歴は当然無い。

 

何かの間違いだとしても受け取っちゃったからメルカリで売っちゃおうかと考えたのだが、何と着払いで届いた商品だったとか。受け取った社員が立て替えのつもりで会社の小口現金から3万ほど宅配業者に払ったという。

 

今まで着払いで荷物を届けさせたことなど無かったから受け取った社員もその時点で疑問に思ってくれれば良かったのだが後の祭りである。

 

「オレは知らないぜよ」と腕時計を私に突っ返された社員は宅配業者の事務所に駆け込んで何とかお金を取り返した。実害もなく一件落着したが、こんなふうに簡単に送りつけ詐欺が成立してしまうことに感心?した。

 

私はAmazonに限らずヤフーにも楽天にも自宅以外に職場の住所も登録してあるのだが、その内容のどれかがダダ漏れで悪質な業者に流れたのだろう。

 

住所表記に会社名が入っていれば本人以外の誰かが受け取る確率は高くなる。必然的に着払い詐欺に引っかかりやすくなるはずだからそういうリストが流通しちゃっているのだと感じた。

 

職場の住所だけでなく私の場合、実家の住所も登録してある。年老いた母親が受け取りに出たら簡単に着払いも払ってしまいそうで危ないったらありゃしない。

 

皆様もくれぐれも着払い詐欺には用心することをオススメします。

 

さて、ネット界隈のいまどきのトレンドといえばAIだろう。「ChatGPT」のようなサイトを使ってAIにさまざまなことを答えさせている人は多い。

 

いまや的確にテーマを与えたらそれっぽく小説まで書いてしまうほどAIは進化しているらしい。私もどうでもいい質問を投げかけては時に驚き時に失笑している。

 

わがオヤジバンド、いや、素敵なオジサマバンドの今年のライブ演目をメンバーと協議している段階なのでAI様にもどんな曲をやればいいか尋ねてみた。

 


 

画像のようなやや抽象的な質問にもそれなりにちゃんとした回答をよこした。質問の仕方次第ではより深い回答も出てくるのだろう。

 

どんなテーマを尋ねるにしても質問能力がカギを握るわけだからこっちが懇切丁寧に質問を整理すれば充分実用に耐える答えが帰ってくるのだろう。

 

とはいえ、無料版のAIチャットだからトンチンカンな答えに笑えることもある。ちょっと可愛く思えて楽しくなる。

 



私が敬愛するハマショー師匠の楽曲のうち人気のあるバラード曲を尋ねてみたときの回答がこの画像だ。正解は10曲中わずか4曲だった。「心の旅」はチューリップ、「十七歳の地図」は尾崎豊である。

 

それより何より「愛は日本のために」である。そんな歌はネット検索しても誰の歌だか分からなかった。実に壮大な名曲みたいなタイトルである。ハマショー師匠が今後出すアルバムにそんな曲が収録されていたら私は卒倒する。

 

そんなAIも日進月歩で頭がどんどん良くなっているからこんなオチャらけた感想を書いていられるのも今のうちかもしれない。

 

そのうち私の今後の生き方や余生の過ごし方を真面目に尋ねてみようと思う。

 

 

 

 

 

2023年4月10日月曜日

ドライカレーで老後対策?

 

このブログを読んでくれている友人に言わせると「富豪記者ブログはネタがない時は自炊話を載せている。あれは退屈だ」とか。。。どうもすいません。今日も自炊の話です。

 

日々おとなしく?暮らしているからそうそう面白いネタがあるわけではない。いや、それなりに無くは無いのだがここで書けないようなことも私の日常には多い。だから時には自炊ネタを書くことになる。

 

さて自炊の話である。自炊といっても「まな板と包丁は使わない」のが私のポリシーだからいつも似たようなものしか作らない。


包丁の代わりはハサミである。肉だろうがマッシュルームだろうが妙にサイズがデカいしめじだろうがハサミで適当にカットするのが私流だ。

 

ハサミ以外には「ちぎる」のも定番だ。焼きそばを作る時の必需品であるキャベツもカットキャベツが手に入らなかった時は丸のキャベツを手でちぎって使う。

 

焼きそばほどたいした労力なしに“作ったぞ”感に浸れる食べ物はないかもしれない。とりあえず普段は食べない野菜も入れちゃうから私にとってはヘルシーな一品だ。

 



ソース焼きそばが大好物だからいつも大量に豚肉を混ぜて作る。さすがに頻繁に食べていると飽きるので5回に1回はこの画像のような非ソース系の焼きそばが食べたくなる。

 

中華風というかオイスターソースが決め手の細麺焼きそばである。ネットでわざわざ本場の中華麺を取り寄せることもあるが、基本はどこでも売っているシマダヤの上海焼きそばを利用する。

 



これを作る時はキャベツではなく「ニラもやし」が定番だ。カット野菜状で売っているニラもやしを使うから包丁の出番はない。その他に豚バラか豚ロース薄切りを麵2玉に対して200300グラムは入れるようにしている。

 

炒めた肉と野菜はいったんよけてフライパンで麺だけを炒める。ポイントは麺を焦がす点だ。麵の上に2リットルサイズの水のペットボトルを載せてギュウギュウ押し付けると適度な焦げ麺になる。仕上げに肉と野菜と混ぜ合わせて完成だ。

 

私流の作り方だと付属のオイスターソースは7割程度しか投入しない。たいていのこういう商品は味が濃すぎる。それだけでなく非ソース系焼きそばを食べる際にはお酢をぶりぶりかけたい私の好みのせいでそうしている。

 



麺料理だとパスタもしょっちゅう作っている。早茹での乾麺を使うと速攻で完成するので時間がない時でもちゃっちゃと作っている。

 

上の画像はツナとシメジとアサリで作った超簡単オイルパスタである。ツナもアサリも缶詰を入れただけ。乾燥粉末バジルも加えてそれっぽい味に仕上がる。瓶詰のみじん切りガーリックを加えればより美味しくなるのだが匂いを気にする場面が多い?私はガーリック無しで食べるのが基本だ。

 

麺以外によく作るのが炒めご飯である。チキンライスが定番だが、最近は便利な「ドライカレーの素」を活用して豪勢なドライカレーを作る機会が多い。これまた簡単でウマい。

 




炒めメシに欠かせないタマネギはこれまたネットスーパーで手に入るみじん切り状態のモノを使う。手間いらずで重宝するから冷凍保存で常備している。

 

あとは肉とマッシュルームである。鶏肉はもも肉をハサミでカットして使う。マッシュルームは生を使うのが間違いないのでこれまたハサミで適当な大きさにカットする。

 

家メシの場合、肉をゴロゴロ投入できるのが嬉しい。それだけで贅沢な気分になる。使用するコメは炒めメシ用に硬く炊いた冷やご飯を使うのが基本だ。

 

2合の米を炊飯器の目盛りで1.5合の水で炊くぐらいがちょうどいい。米がベチョっとした炒めメシを食べると自殺したくなるほど絶望するのでこの部分は大事なポイントだ。

 




そんな要領で作ったドライカレーとチキンライスである。ここに出来合いのフライドオニオンを散らしたり福神漬けを添えるとかなり満足感を味わえる逸品が完成する。

 

これを読んだ人にとって何かの参考になるかは怪しいものだが、こういう簡単便利なワガママメシを作るのは単純に楽しい。いずれ孤独な老人になった時でも何とかなるような気がする。

 

 

 

 

2023年4月7日金曜日

日光に行ってきた

 

日光まで行ってきた。恒例の“元家族旅行”である。娘と息子、元嫁との4人旅である。一緒に暮らしていない息子へのサービスの要素が強いのだが、今回は東照宮などを見るという私自身の楽しみもあった。

 



行きは東武の特急スペーシアの個室を利用した。乗り物好きの息子も喜んでくれた。ピーチクパーチクしゃべりながら2時間の電車旅。人様に気を遣わずに済む空間だったから快適でアッという間に着いた。

 

日光駅前で湯葉をメインにランチをしてから東照宮や二荒山神社界隈を散策する。今年の大河ドラマが家康モノだからさすがに人出は多かった。

 

そこそこ歴史好きな私だが、日光東照宮は初訪問だ。京都だったら建立から千年クラスの古い寺社仏閣がゴロゴロあって悠久の時を楽しめるが、東照宮の歴史はそれより浅いから何となく興味を持てなかった。

 

「たかだか400年前の建物だろ?」という感覚で、いわば食わず嫌い的に見過ごしていたわけだ。400年でも物凄い歴史だが、そう言えちゃうところに日本観光の奥深さを感じる。

 

さて「たかだか400年」などといって敬遠してきた東照宮だが、やはり百聞は一見に如かずだった。思っていた以上に素晴らしかった。墓所という宗教施設ではあるが幕府の権威を見せつけるための場所だからそれはそれは立派である。とにかく凝った造りに圧倒された。

 





400年経っているせいで相応の落ち着きは漂っているが、完成当時はどれだけケバケバしかったのだろう。趣味が良いか悪いかはビミョーである。とはいえ、すべて手作業からなる彫り物や絵の数々は当時の最高技術のオンパレードだ。日本人なら必見だろう。

 



 東照宮のお隣の二荒山神社は古い古い歴史を持つ山岳信仰の拠点のような場所で、東照宮とはうって変わって霊山ならではの静謐な空気に満ちていた。樹齢数百年の木々が生い茂り、まさにパワースポット。やたらと空気がウマかった。家康さんがこのあたりに祀られたくなったのももっともな気がした。

 

大学生の娘はともかくダウン症の息子にとってはこんな観光は苦行以外の何物でもなかったようでちょっと気の毒だった。とはいえ、とりあえず息子もパワースポットの気を浴びたから良しとしよう。

 

宿は東照宮から歩いていける距離の「鶴亀大吉」というカジュアルな旅館にした。中級クラスの宿だが半露天風呂付きの広い部屋があったので4人旅にはちょうど良かった。

 



 

部屋の広い風呂は息子の格好の遊び場になった。気が利く父親である私はBluetooth防水スピーカーを持参して息子の好きな曲を流し、ナゼかピストル型のシャボン玉マシーンも持ち込んで息子サービスに励んだ。

 

夕食も朝食も特別凝ったものや高級なものが出るわけではないが総じて味も良く、スタッフも皆さん丁寧で心地よく過ごせた。外観こそビミョーだったのだがなかなか快適な滞在になった。

 

翌日は東照宮そばの輪王寺や三代将軍家光の墓所である大猷院などを散策。このエリアは全体が世界遺産に登録されているし、国宝もゴロゴロあって見どころは尽きない。改めて一人旅の目的地に選んでも良さそうだ。

 

その後、宇都宮に移動して餃子大会。餃子通りなる界隈を歩いて混雑していない店を選ぶ。「とんきっき」という店に入る。この界隈は餃子以外には白米しか置いていない強気な?店もあるようだが、ここはラーメンもあって大食いの息子もハッピーな様子だった。

 



豚ばらギョウザが人気とのことでそれを中心にしそギョウザや肉ギョウザ、スープ餃子をバンバン食べる。普通に美味しかった。並ばずに済むだけで有難い。ウマさに多少の差があったとしてもさすがに餃子を大行列してまで食べたいとは思わない。普通に美味しければバンザイである。

 

そんなこんなで無事に終わった小旅行だったが、帰りの新幹線で東京駅まで向かう私と娘を残して、乗り換えの関係で上野駅で降りた息子の寂しげな表情が何とも切なかった。

 

またたくさん遊んでやらねばと改めて思ったのだが、そういう気持ちにさせてくれる息子がいることは結構幸せなことなんだろう。

 

 

 

 

 

 

2023年4月5日水曜日

セックスは遊びか恋か

 

今日は更新が間に合わなかったので過去ネタを一つ。もう10年ぐらい前に書いた高尚な?下ネタだが、なぜか今でもこれを読んでくださる方が多い。

いま読み返してみると自分自身にまだ若さが残っていたことを痛感する。今はこういう素材を大真面目に考察するエネルギーがすっかり無くなっている。由々しき事態である。まだまだ頑張らねば!


セックスは「遊び」か「恋」か

https://fugoh-kisya.blogspot.com/2014/01/blog-post_20.html







2023年4月3日月曜日

カツカレーの悩み

カレー愛好家、とんかつ愛好家は多い。いずれも好みの味を求めて食べ歩く。よりウマい逸品を求めて終わりなき旅を続ける。大げさか。

 

そんなマニアから重視されることがないのがカツカレーである。主役がどちらかわからない謎めいた料理である。マニアには軽視されがちだが国民が大好きな一品でもある。

 


カツカレーの元祖には諸説あるそうだが、銀座にある洋食「スイス」における「千葉茂発祥説」が有名だ。昭和の名選手・千葉茂は長嶋茂雄の前に巨人の背番号3を背負った名選手である。

 

現役時代のあだ名は「猛牛」。千葉さんが監督の時に「近鉄バファローズ」が誕生しその名称は今のオリックスバファローズに受け継がれている。いわばレジェンド中のレジェンドである。

 



そんな千葉さんが面倒がって?カツとカレーを一緒に盛ってくれと店に注文したのがカツカレー誕生のきっかけだという。

 

私もこの店には時々出かけるが、なかなかカツカレーに手が出ない。すこぶるウマいハヤシライスやベシャメルソースが濃厚なグラタン、タルタルソースも抜群なエビフライなどを優先してしまう。

 

カツカレーってそういう立ち位置なんだと思う。つまり優先順位が低くなりがちだ。大食いサラリーマンが昼時に10分ぐらいで食べきる“やっつけメシ”みたいな印象がある。

 

のんびり優雅に?洋食屋さんで過ごしたい私としてはついつい頼みそびれる。カツかカレーか主役不明の曖昧さも私のオーダー時の決断を鈍らせる。

 


 

先日この店で3人で会食する機会があった。これはアレコレ注文するチャンスである。当然、名物のカツカレーにもありつけた。

 

カツカレーのエラいところは外さないところに尽きる。国民食であるカレーととんかつが融合しているわけだから反則ワザで勝つような話である。

 

個人的にカツカレーに関して思うことは「ソースを使うべきかどうか」である。いつも明確な結論を出せないまま食べ終わってしまう。一般的にはソースなど使わない人が多いのだろうか。

 

ソースに思い入れがない人やトンカツを塩で食べても平気な人ならこの問題に悩む必要はない。カレー自体がソースの役割を果たしているからその混ざり合いを楽しく味わえば済む。

 

私は根っからの「ソースマン」である(http://fugoh-kisya.blogspot.com/2019/11/blog-post_11.html)。鶏のから揚げもマカロニサラダにもソースをかけたくなる。トンカツを「塩でどうぞ」と言われてイラつかなかったことはない。ひょっとするとソースを味わいたくてトンカツを食べている可能性もある。

 



こちらは銀座1丁目の「矢場とん」で食べたカツカレーだ。味噌カツの人気店だからさすがに味噌ダレをカツに垂らしながら食べたくなる。でも結局は普通のソースを使って正しいトンカツ味に仕上げてからカレーとともに味わう。

 

思えばカツが乗っていない普通のカレーライスにもソースをかける人はいる。聞くところによるとどの世代にも10%程度の人は「カレーにソース派」だとか。

 

そう考えるとカツカレーにソースはちっとも邪道ではないという話になる。私の場合、甘みを感じるカレーにはソース無し、それ以外だと迷わずソースをかけるのが基本パターンだ。いや、甘めのカレーの時も結局最後にはカツをソースまみれにしている。

 

相変わらずどうでもいい話ではあるが書いているうちに無性にカツカレーが食べたくなってきた。