2023年4月17日月曜日

完成したオッサン


酒を飲むパターンにもいろいろある。一人飲みの他に友人との飲み会、仕事絡みの付き合い酒、女子を相手にした下心飲み?など場面によって酒の味も変わる。

 

仕事関係の飲みの場はコロナのせいで激減したが、若い頃はしょっちゅう仕事飲みに励んでいた。不思議なもので酒もメシもウマかった記憶はほぼ無い。飲む量も多めだったし今思えば身体にかなり負担がかかっていた。

 

20代の頃は仕事酒を終えて帰宅すると高い確率でゲロッピー状態になっていた。明け方まで吐いて黄色い胃液とコンニチハみたいなことがしょっちゅうだった。ムダに気負っていたせいもあるのだろう。昭和人?特有の無理な飲み方だった。

 

激しく二日酔いになっても朝はキチンと出社した。会社について真っ先にトイレでゲロッピー作業に励んだことも多々あった。今なんかちょっとダルいぐらいでノソノソ重役出勤している。堕落したものである。まあ昭和の頃なら定年を迎えている年齢だから仕方ない。

 

何だかんだ言って酒は楽しく飲むに限る。そんな当たり前のことが意外に出来ていないのが現代人の悪い癖だろう。愉快な席で変に気を遣わずに済む面々と酌み交わす酒が一番だ。このところ友人達と飲む場面が続いたせいで今更ながらそんなことを感じる。

 

私の友人はほぼ全員が子どもの頃からの付き合いだ。大人になってから親しくなった人もいるが、気を遣わずバカ話だけで過ごせるのは古い友人ばかりだ。利害関係が無ければ無いほど酒の味もウマくなる。

 



某日はバンドメンバーの友人達と今年のライブに向けた打ち合わせを兼ねて集った。共通の楽しみを持つ友人と好きな音楽をネタに時に脱線しながらバカ話に花を咲かせる時間は得がたい。ひょんなことでオジサマバンド活動に首を突っ込んだせいで生まれた貴重な時間だ。

 

たいていは旧友が経営している居酒屋か、そうじゃない時はどうでもいい店でどうでもいいツマミを肴に飲む。一人飲みの時だと酒や食べ物にこだわりたくもなるが、友人との飲みの席だとツマミなんか二の次だからそんな雑な感じがまた心地よい。

 

別な日はガン治療から生還した友人を囲む飲み会があった。気付けば周りにガン経験者が増えてきて自分の加齢を痛感させられる。

 

若い頃はバリウム飲んだぜ、胃カメラやったぜ的な可愛いレベルの“病気マウント”を語り合ったものだが、この歳になるとマウントの取り合いをするほど悠長な事態じゃないヤツも出てくる。死んじゃうヤツもいるからマウントどころではない。

 

バカ話が大半だがバカ話も立派な情報交換である。情報弱者はどんな分野でも弱い立場になっちゃうから些細な笑い話だろうとムダにはならない。ガンから復活した友人との飲み会では当然ガン治療の細かい話も聞けるしもろもろ有益な情報に触れられる。

 

もちろん情報交換などという堅苦しい感覚は無いのだが、くだらない話で無邪気に笑えること自体がこの歳になると単純に有難い。箸が転がっても爆笑していた若者時代と違って人生後半戦にもなるとそうそう腹の底から笑い転げる場面はない。

 

また別な日は社会人生活の大半を地方各地での単身赴任に明け暮れた友人と飲む機会があった。彼の帰省ついでに他の友人も交えて浅草ホッピー通りで明るい時間から飲んだ。

 

彼とは二人で沖縄に潜りに行ったこともある。ちょうど彼の長男が生まれるタイミングだったのに奥さんをほったらかしにして沖縄行きを決行。潜ったことより毎晩泡盛を片手にバカ話をした記憶のほうが強い。

 

その旅行から帰ってすぐに生まれた彼の長男に先日お子さんが生まれたそうだ。何とも時の流れを実感させられる話だ。爺さんになった彼だが、浅草での飲み会の会話は相も変わらずエログロナンセンス大会である。

 

どうってことのない話ではあるが、これって幸せなことだと思う。それだけの時間の流れの中ではお互い酸いも甘いもアレコレあったわけだが、飲み始めてしまえばウン十年前と同じ感覚で楽しく過ごす。

 

 



 ホッピー通りで飲んだ後はその友人が顔馴染みの渋くて小さな寿司屋で飲み直し。それこそ若者が立ち入るにはたじろぎそうな怪しげな店だったのだが、そんな店の居心地がすこぶる快適だった。その点ではどこからどう見ても我々は“完成したオッサン”である。長年にわたって友人関係が続くことの有り難さと幸せを痛感した。

 

小中高一貫の男子校に通ったこともあり“竹馬の友”に恵まれたことは幸運だと思う。変にべたっとした付き合いではないもののプチ歴史を共有している独特の連帯感みたいなものは死ぬまで続くのだろう。

 

年齢的に昔よりも時間に余裕が生まれる頃合いだから会える時には積極的に会っておこうと思う。そのためにもそこそこ健康でいないとなるまい。古くからの友人と飲み交わすこと自体を健康法だと思うことにしよう。

 

 

 

 

 

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