2012年11月30日金曜日

空気の値段

最近、立て続けに老舗寿司屋を「探検」する機会があった。場所はディープな街・大塚。かつての三業地があった名残の路地に構えるお寿司屋さん。

駅から近い場所にある「鮨勝」とそこから数百メートル先にある「高勢」の2軒だ。

いにしえの花街の影響もあってか、いずれの店も昔ながらの仕事をしたお寿司をウリにしていることで知る人ぞ知る店。

5年ほど前、渋い飲み屋を求めて大塚界隈をさまよった時期がある。「居酒屋マニア」の間では有名な店が点在する街だから、有名店に限らず個人経営の小粋な店がいくつもある。

お隣の池袋がイマドキの大型チェーン店っぽい飲み屋ばかりなのに対して大塚は昔ながらのシッポリした店が多い。オヤジにとってはオアシスのような街である。

大塚散策に凝っていた頃から、この2軒の寿司屋の存在は知っていたのだが、実際に訪ねたことはなかった。今回立て続けに行ってみて、つくづく「寿司屋の値段は空気の値段」だと思った。

もはや「銀座鮨」なる表現があるほど、銀座や西麻布界隈の「ウン万円寿司屋」はひとつのジャンルとして定着している。

店の良し悪しはさまざまだが、あれはあれでアリだろう。凛とした店の設え、気の効いた酒肴があれこれ出てきて、妙にちっこい握りをチロチロ食べてうなずく世界だ。

あの空気の中に身を置くこと自体が既に楽しみの一部でもあるわけだから、そうしたジャンルに属さない「街場鮨」よりも値段が高くなるのは仕方ない。

コストパフォーマンスが良いとか悪いとか、グルメサイトに必死で書き込んでいる人がいるが、そういう部分に敏感な人は行かなければいい話だ。「お勘定」は必ずしも食べたモノだけでは計れない。

そんなことを書きたくなるほど、大塚の2軒は印象的だった。特別安くはないが、目ん玉が飛び出るようなお勘定になる心配はない。それでも、実に真っ当な寿司を食べさせる。ヘタな銀座鮨よりもよっぽど正統派かつ熟練の味が堪能できた。

万人受けしそうなのが「高勢」。マニアックな人向けなのが「鮨勝」。それぞれ個性的で鮨が大好きな人なら素直に楽しいと思う。

どちらの店も鯖やコハダといった〆モノ系が実にウマかった。正統派ならではのワザだろう。


「高勢」では、お茶っ葉をまぶしながら塩焼きにしたカマス、鷹の爪でピリ辛にした醤油漬けの白子、蕎麦つゆ風味の煮タコ、キンキの肝を軽く煮たヤツ等々で熱燗をグビグビ。

うーん、書いているだけでヨダレが出てくる。握りで食べたカツオや鯖はカラシをうまく使ってひと味違う雰囲気に仕上がっていた。

ガリのウマさも印象的だった。一般的な薄くスライスしてあるものではなく、ブツ切り状態で出てくるのだが、味がキツ過ぎるわけでもなく、そのまま酒のツマミになるような感じだった。

さて「鮨勝」。こちらは物凄くディープな店だと思う。ひと言で店の雰囲気を表現するなら「どうすればここまで古めかしいままでいられるのか」に尽きる。


40年ほど改装もしていないそうで、決して汚いわけではないのだが、昭和40年代にタイムスリップした感じだ。

煮タコを頼んだら煮汁が煮こごり状態になった部分を多めに出してくれた。甘じょっぱくて熱燗が進む。自家製の塩ウニも北海道土産の練りウニあたりとは一線を画した大人の味、イカをアワビの肝と和えた一品やシャコをつまみにグビグビ。うっとりだ。

握りでは煮蛤、小鯛の昆布絞め、シメサバ、味の濃いカジキ、本マグロの赤身なんかがウマかった。

店主は気むずかしいタイプかと思いきや、単におとなしそうな御仁のようで、話してみれば柔らかい雰囲気で相手をしてくれる。

威勢の良さとか適度に凛とした雰囲気という意味では「高勢」、「鮨勝」のほうはヌルい雰囲気、ちょっとドヨンとした感じ。変な表現だが、「快適にわびしく過ごせる店」といったところか。

それにしても、この手の店がぽつぽつ存在している大塚という街の不思議な感じが興味深い。割烹、小料理等々、小粋な暖簾を下げた渋い店がいくつもあるから、この冬はまたさまようことになりそうだ。

2012年11月28日水曜日

2~30年前

年齢のせいなのか、最近、2~30年前のことをよく思い出す。

といっても、別にセンチな話ではなく、世の中の移り変わりに目を丸くする場面が多くなったから、ふと昔の事情を懐かしく思い出す。

最近、今年発売された新品の日本製の60インチテレビを10万円台後半で買った。ほんの10年前なら「1インチあたり1万円」が普通だったからデフレ社会を痛感した。

30年ぐらい前にはカセットテープを再生するだけのウォークマンが2~3万円したように記憶している。今回、テレビに合わせて日本製のフロントサラウンドの真っ当なホームシアターセットを買ったのだが、昔のウォークマン程度の価格で買えた。

ビックリである。

昭和50年代あたりだと、ダブルカセットのラジカセがウン万円、CD再生コンポが10数万円していたことを考えると隔世の感がある。

今回買ったホームシアターセットにはiPodが接続できるのだが、充分満足できる音質だ。昔の10数万円のコンポセットよりも良い音かもしれない。

ドラム式の洗濯乾燥機も一ケタ万円で買ったし、結構な容量の冷蔵庫も一ケタ万円だった。

日本の家電メーカーが危機的状況になるのも当然だ。安値競争の行く末は破たんでしかないのだろう。妙に世相を実感して、この国の行方が心配になってしまった。

さて、そんな固い話ではなく、巷の食生活にしても2~30年で随分変わった。外食自体が贅沢だったわけだから、それ自体が凄い変化だ。

東京人として最近感じるのは「西の影響」だ。東京のおでんやうどんが黒くなくなったのは、ここ20年ぐらいの話だと思う。

良し悪しを論じたらキリがないが、30年前、東京のうどんといえば、真っ黒いツユにそまったフニャフニャ麺が普通だった。透き通ったツユなどは見たこともなかった。

あんなにコシの強いうどんにもまず遭遇しなかった。おでんしかり。京風だか大阪風だか知らないが、おすまし系のおでんが一気に普及したのは最近の話だと思う。

小洒落た焼肉屋。これも30年前には滅多に見かけなかった。当時は、どこかディープな雰囲気の店が中心で若い男女がデートや合コンの行き先に選ぶことは無かった。

沖縄料理屋も同じ。見かけたとしても沖縄出身のお馴染みさんだけが集まっているような雰囲気だったような記憶がある。

まあ、シーサーの置物あたりも今では大笑いしている漫画チックなものが出回っているぐらいだから大きく変わったのだろう。

話は変わる。東京人にとって「イクラ」といえば塩漬けが普通だったが、いつのまにか醤油漬けが主流になった。サンマやイワシの刺身も一般的ではなかった。流通革命がいろんな分野に影響を与えたのだろう。

芋焼酎はごく一部の人しか呑んでいなかったし、ワインなんかも甘いものばかりがもてはやされていた。30年前はコンビニがそこら辺になかったから、ジュース類、炭酸飲料、カップ麺なんかも今ほど多種多様な商品が溢れていなかった。

「おーいお茶」が登場するまでは、緑茶は熱いものだと決まっていたし、缶コーヒーは甘いだけのシロモノで決して珈琲などと称するレベルではなかった。

洋菓子だってショートケーキかモンブラン、シュークリーム、バウムクーヘンあたりが王道で、今のように百花繚乱状態ではなかった。パティシエなる言葉も20年前には誰も聞いたことがなかったと思う。

カップヌードルだって普通の味以外にはカレー味があるぐらいで、まだまだ袋麺のインスタントが威張っていた。

マクドナルドは低価格路線じゃなかったから満腹になるには結構散財する必要があったし、季節限定メニューなどという洒落た話もなかった。

カラオケボックスが存在しなかったから、ヒット曲もプロの技能、声量がないと歌いきれないような難しい曲が珍しくなかった。

タバコの銘柄も今に比べれば10分の1ぐらいだったと思う。今より10倍ぐらいの人が喫煙者だったわけだから実に不思議だ。

そういえば、どこでも気軽にタバコが吸えた。駅のホームは煙でモウモウとしていたし、飛行機の中でも平気でバンバンタバコが吸えた。

なんか思いつきでだらだら書いてみたが、同じように暮らしているようで随分と変わったものだ。

携帯もパソコンもインターネットも無かった。無いことが普通だから何とも思わなかった。よくよく考えると凄い違いではある。

まだ2~30年は生きていくつもりだから、それぐらい時間が経過したら世の中がどれほど変わっているのか想像も出来ない。

まあ、ついていけないだろうが、どんな未来が待っているのだろうか。楽しみでもあり恐ろしくもある。

2012年11月26日月曜日

B級、いとおかし

ウィキペディアってつくづく便利だ。なんでも分かる。今日書こうとしていた「B級グルメ」についても、そもそも語源は何だろうと思ったのだが、ウィキペディアが丁寧に解説してくれた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/B%E7%B4%9A%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A1

情報格差の広がりは、たかだかウィキペディアでも実感できる。パソコンを持てない人々、インターネットが使えないような環境の人々、途上国あたりのそうした人達と、ネット社会の恩恵を受ける人々との隔たりは想像以上だろう。

おっと、話がずれた。

B級グルメについて書く予定だった。

ウィキペディアによると、B級グルメという言葉は1985年には存在していたらしい。30年近くも前から使われていたとは知らなかった。

「そこらへんにある普通の食い物」を指すわけだが、そういう意味では、どこぞの田舎の得体の知れない郷土料理は該当しないわけだ。あっちは「ご当地グルメ」と呼ぶのが正しいみたいだ。

まあ、そんな定義付けはどうでもいい。要は高級品、嗜好品とは別の「気軽に食べるもの」なら何でもいいのだろう。

B級などと称するのは、一生懸命に作っている人には蔑称みたいだが、価格の面でA級ではないと解釈すればいいわけだ。


この画像は池袋の小汚い中華料理屋さんの羽根付き焼き餃子だ。餃子のタレにベチャクチャ浸して食べたい私にとっては、タレが用意されない餃子だからイマイチである。

でもウマい。この店は、深夜のテレビでやっている「孤独のグルメ」で紹介されて以来、汁無し担々麺を目当てに多くの客が訪れる。

まあ普通に美味しい店だが、私にとっては会社のそばにある広東ナンチャラとかいう中華料理屋さんの「豚肉ともやし焼きそば」がB級グルメチャンピオンである。あくまで現時点ではあるが。

この店には昼時に出かける。ボリューム満点のランチセットメニューは850円か900円。私が単品で注文する焼きそばは700円だ。いつも店のオバサンに「ランチセットを注文できないビンボーな男」と思われているような気がして気が引けるのだが、ついついいつも焼きそば単品を頼んでしまう。

硬めの麺、焦げ目もいい感じで、お酢をジャバジャバぶっかけて頬ばると最高だ。

一度、この店に夕飯を食べに行った。焼きそばの実力を思えば他の一品料理もウマいだろうと期待したのだが、世の中そう単純ではなかった。以来、昼専門、もやし焼きそば専門だ。

この店の向かいに、昔喫茶店だった店舗を居抜きで使っているインド料理屋がある。すぐそばに小綺麗な別のインド料理屋があるせいで客の姿はまばら。アマノジャッキーとしてはこの店のほうが好きだ。実際味の方も上だと思う。

ここも昼時しか行かないが、アマノジャクついでに、夜メニューの「チキンビリヤニ」を作ってもらう。本式だと炊込みご飯みたいな料理だが、ここでは、まあインド風カレーピラフだ。これがなかなかイケる。

インド人のオジサンは他のランチメニューの支度に忙しいから私のオーダーを面倒くさそうにこなす。それでもウマいウマいと誉めれば嬉しそうに笑う。

B級グルメと呼んでいいのか分らないが、韓国料理屋さんもここ数年物凄く増殖したから「そこらへんにある普通の食べ物」と考えていいだろう。


どれもこれも同じ味に感じる韓国料理だが、逆にその感じが有難いこともある。疲れるし、寒いから辛いクッパでも食おうと思えば、どこにいっても想像通りのものが出てくる。

画像は新大久保の店で食べたグツグツ煮え立ったユッケジャンクッパ。普通にウマかった。

ヨソの国ではなく、わが国の正しいB級グルメといえば居酒屋料理だろう。

最近、遠出が面倒だと池袋の「南国ファミリー」という凄い名前の居酒屋にちょくちょく行く。

この夏のオヤジバンド練習の後の反省会でも何度か使った。メニューがやたら豊富で焼鳥、やきとん、魚、肉それぞれ普通にウマい。

カキ鍋とかあんこう鍋にも挑戦してみた。普通にウマい。最後に雑炊セットを用意してもらって、口うるさい「雑炊奉行」を演じている。

「鍋の後の雑炊」。これって究極のB級グルメだと思う。カキやあんこうなんかのダシが出まくったスープで作るんだからマズいワケがない。あーだのこーだのグルメっぽい話を語る暇があったら「鍋の後の雑炊」をズズっと食べてニコニコしているほうが正しいと思う。


この画像は南国ファミリーで出てきた「梅しそキュウリ」という名前そのまんまの食べ物だ。

妙にウマかった。日本人で良かったと心底思える味だった。大袈裟でスイマセン。

2012年11月21日水曜日

世襲

もともと「こなきジジイ」に似た風貌の野田首相だが、どうやら「いこじジジイ」になってしまったみたいだ。

突然の解散宣言を党首討論でぶつけて来たセンスには感心したが、その後、選挙に向けて「脱・世襲」に意固地になっている姿には「なんだかな~」という印象しかない。

民主党という政党のお粗末さというか、幼稚さが際立った話だと思う。ちなみに民主党内では、野田首相の突然の解散強行を「自民党に政権を渡すためのもの」として反党行為で除名して選挙で公認しないようにすべきだという声まで出ているそうだ。

断末魔もそこまでいけばオッタマゲだ。

さて、「脱・世襲」の話に戻る。

驚いたのが、現職の大臣まで例外なく扱うという話。羽田孜元首相の引退で空席となる選挙区での出馬を検討していた息子の羽田雄一郎国交大臣にも野田首相がダメ出し。オヨヨって感じだ。

自民党との違いを際立たせる狙いで世襲禁止を徹底するらしいが、国土交通省というマンモス官庁の最高責任者として自ら委ねた人物に対しても「世襲は許しません!」といって頑張っちゃうセンスは何なんだろう。

そりゃあバカ丸出し、アホ丸出しの世襲議員もいっぱいいる。それですら選挙の洗礼を受けているわけで、有権者が選択した結果である。民主主義のひとつの結果でしかない。

ましてや、世襲議員の中にもしっかりした国家感を持って憂国の思いで人生を政治に賭けようと必死になっている人間もいる。

新党ブームに乗っかって、風見鶏よろしくアッチふらふらこっちフラフラの「非・世襲議員」のほうがよっぽど醜いし害悪だし国益を損ねる。

民主党が今までの選挙で公認してきた人物ってそんなに立派なのだろうか。世襲ではないという理由だけでハレンチ野郎をいくらでも公認してきたのではないだろうか。

落ち目のタレントとかスポーツ選手にはゴマすって立候補してもらうくせに、単に世襲を「悪」と決めつけて例外を一切認めないという考え方は幼稚すぎる。一種の恐怖政治でもある。

こんな考えでは、地元有権者が圧倒的に支持している人物でも世襲という理由だけで排除される。地域無視、国民無視も甚だしい。政党ってそんなにエラいのだろうか。

まあ、消滅寸前の政党だからそんな突飛なことを言い出すのだろう。

世襲の問題は別な視点で捉えるべきだろう。税金のかからない政治資金の受け皿である政治団体が相続税の洗礼を受けずに引き継がれるような問題など、制度面、運用面を建設的に議論することが政治の役割である。

首相自ら陳腐な感情論に走っているようでは幼稚に過ぎる。まあ、幼稚だからあそこまで凋落したのが民主党の現実なんだろう。

それにしても政党の乱立で対立軸が良く分からないのが今度の選挙だ。前回は「非自民を目指す」という旗印が目立ったが、不思議と今回は「非民主」を掲げる声が聞かれない。

放っておいても壊滅するからなのか、それとも未だに民主党に期待を寄せる人がそれなりに多いのか。ちょっと不思議な感じだ。

ちなみに生活保護受給者が来年には200万人を突破する見込みだ。1995年に88万人だったことに比べれば異常な事態だろう。ニセ弱者までひっくるめて過保護に優しく接してきたツケだという見方も出来る。

生活保護を受けたほうが収入が高くなるような超低所得層が増加しているようでは、国の税収が増えるはずもない。成長戦略をしっかり描けない政治では破たんは目に見えている。

成長を考えない路線で迷惑をこうむるのは言うまでもなく、中堅・高所得者層である。「超大金持ち」と同じ括り、同じ割合で税金や社会保険を負担させられ、それを元手に底辺が支えられているのが実情だ。

そんな哀れな、まさに割を食っている中堅・高所得階層の現実を理解し、全体の底上げ、全体の成長を描くような政党だったら精一杯応援したいものだ。

2012年11月19日月曜日

壇蜜

月曜日は何となく気分が重い。デキる男は月曜日からハツラツモードらしいが、私は凡人だから月曜の午前中はキチンとだるい。

ということで、楽しいことを書かないといけない。楽しいことって何だろう。カッコつけて悩むことはない。楽しいことといえばエロいことだ。

先週このブログで書いた「みうらじゅん」サマを見習わないといけない。

ということで、エロ系だ。エロ系といえば「壇蜜」だろう。

最近妙に「壇蜜」が気になる。食い物ではない。もうすぐ32歳になる女性だ。


名字が「壇」、名前が「蜜」だ。実にミョーな名前で、インパクトばっちりだ。

ダンはダンでも、私が大の苦手とする「檀れい」とは大違いで、「壇蜜」はなぜか私を魅惑する謎の存在だ。

「檀ふみ」とも親戚ではないし、ましてや「ダン池田」とも無関係だ。

一応、グラビアアイドルという分類らしいが、29歳でデビューして30代前半の女性の魅力を過激にふりまき続けている。ジャリタレとは違う新しいパターンだろう。

クネクネ腰を振って歌い踊る韓国製のオネエチャン軍団とか、幼子に毛が生えた程度の女の子軍団に無理やりセクシー衣装をまとわせているようなパターンとは違う。

「女の子」とか「おねえちゃん」ではなく、「おんな」と表現したくなるポジションをうまく押さえている感じでアッパレだ。

「若くてピチピチ」。そんなのに辟易としている通?な大人にとっては、壇蜜の不思議な色気が気になる。「しっとりネットリ系」とでも言おうか。

ところで、高齢化のせいもあってAVの世界でも、昔は考えられなかった「熟女系」がすっかり定着した。風俗店だってわざわざ熟女を揃えるご時勢だ。銀座のクラブだって熟女専門をウリにした店が繁盛している。

セクシー路線で活躍するタレントも若さだけとかボインだけでは飽きられる時代になったのだろう。美魔女と称して変に若作りした不気味なオバサンがもてはやされる風潮も強まってきた。

壇蜜の場合、熟女と呼ぶには早すぎるが、実にいい頃合いの年齢と雰囲気で勝負している。女性の魅力は20代後半ぐらいからが本番だと思っている私にとっても、30代女性のしっとりセクシー路線が世の中に定着することは大歓迎である。

壇蜜の場合、「南国の太陽の下で原色ビキニでニッコリ」というイメージではない。あくまで「鄙びた温泉大浴場の脱衣所で白い手拭いで前を隠す」ぐらいがピッタリだ。

「天蓋付きのベッドの上でガーターベルトで横たわる」のではなく、「畳の上で乱れた浴衣で横たわる」のがグッとくる感じだ。

壇蜜は銀座の某店でアルバイトしていた経験もあるらしい。どうも見たことがあるような気がしてならないのだが、ああいうタイプの女性が多い世界だから真相は不明だ。

聞くところによると、壇蜜は下着の上にプレゼント用の下着を履き、脱ぐシーンを見せながらお得意様なんかに手渡すらしい。

まるで田中角栄である。

クルマに何十本も予備のネクタイを積んでおき、選挙区周りの際に自ら外したネクタイを支持者にプレゼントしていた角栄さんと同じ発想だ。

「壇蜜は田中角栄だった」。まあ、そんな結論でいいだろう。

ついでに「壇蜜っぽさ」が良く出ている動画も載せておこう。

http://q55dnhfy.jugem.jp/?eid=1467

2012年11月16日金曜日

荷物

引っ越しを前にちょろちょろと荷物整理をしている。荷造り、梱包、荷ほどきまで引っ越し業者にお任せする横着なサービスを頼んだのだが、それなりに荷物の分類は必要だ。不要品まで引っ越しても仕方がない。

自分の持ち物の多さに呆れる。スッキリと身軽になりたいのだが、なかなかそうもいかない。

まずは本だ。随分と処分したのだが、捨てきれない本は結構な量。引っ越し先で再度読むはずもなさそうなものまで捨てられない。

変な写真集もデカくて困る。タイやバリで買ったアジアンインテリアの写真集とか、昔、感動して衝動買いした水中写真集とか、中国・大連近くの二百三高地に行った時に雰囲気で買ってしまった日露戦争激戦資料集などというビミョーな本も捨てられない。

趣味系の雑誌、ムックなども保存組だ。葉巻、靴、旅関係、水中写真関係などなど、きっと捨てちゃっても私の人生に何も影響はないはずだが、後生大事に持ったままだ。

そうした趣味の道具もこれまた膨大にある。水中撮影機材では、引っ越し準備を機にようやく無用の長物になっていたフィルムカメラ関連機材を処分した。すんごく寂しかった。世界を共に旅した道具だから愛着があったのだが、いまが潮時だ。

衣類も随分捨てた。やはり定期的に引っ越しをしないと、不要な衣類はたまる一方だ。何じゃこれ?みたいなTシャツとかトレーナー、サイズが合わなくなったのに高級品だからという理由だけで、貧乏チックに残していた服なんかもオサラバした。

30代の頃に熱中した草野球のユニフォームもさすがに廃棄処分の運命・・・。なんか寂しい。

身のまわりの小物も不要品ばかりだった。捨てるものをまとめてみれば自分がいかにゴミと共に生きていたのかが分かる。

インターネットを見ていたらモノが捨てられない人に向けた金言集を見つけた。これがなかなか傑作揃い。


・迷ったらゴミ

・使わなきゃゴミ

・なくしても買い直さないものは捨てろ

・使えるか、ではなく「使っているか」

・災害時にそれ持って逃げますか?

・ 「あれば便利」は「なくても平気」


まったくその通りだと思う。ヘタに引っ越しラクラクパックみたいなのを頼んでしまったから、事前に捨てるモノを分けておかないと、新居にそのままゴミが移動するだけになってしまう。

こんな名言もあった。


「あなたが死ねば全部ゴミ」


悔しいが事実だろう。死なないにしても、机の引き出しの奥の方で眠っていたハマショーのステッカーとか、何年も前にもらった年賀状だとか、一度も使わなかった過去のシステム手帳なんかはゴミでしかない。

大事にしまってあった家電製品の保証書も有効期間は1年間だけ。何年も前の保証書ばかり出てきたし、捨ててしまった家電の取説もゴロゴロ出てきた。

もちろん、切ない思い出の品々もいっぱい出てきた。仕舞い込んであったから無くても平気なのだが、目にしてみれば、仕舞い込むほど大事に感じたその当時が甦る。

まあ、センチな気分になっていても整理が進まないから、機械的、事務的に作業を進めるしかない。

こういう時は、ネットで拾った金言集に救い?を求めることにする。


・思い出の品を捨てても思い出は消えない

・過去を捨てなくては未来の場所がない

・手に入れるために捨てるんだ

・全部捨てたら未来だけが残る



なんか映画の予告編の決めゼリフみたいだ。そんなに大袈裟な話ではないが、確かに「モノより思い出」と言うように、要らないモノにこだわっていたらキリがない。

「モッタイナイ運動」には逆行するが、こっちだって7千坪の大豪邸に引っ越すわけではない。思い切った処分は避けられない。

まあいいか。

せいぜい身軽になってスッキリしないとなるまい。

2012年11月14日水曜日

週刊誌とエロ

「マスゴミ」なる不名誉な呼び方まで浸透してしまった現在のメディア事情。インターネットの普及で想像以上に地殻変動が起きていることは確かだ。

権威ばかりに固執した日本の大新聞の惨状は相当なモノで、日刊紙の広告、とくに夕刊などでは、アッと驚くタメゴローみたいなダンピング合戦が常識になっている。

新聞が格上で、雑誌は格下。こんな既成概念はもはや風前の灯火だ。雑誌メディアの頑張りに比べれば、記者クラブ絶対主義が罷り通る官製発表記事が中心の大新聞は凋落の一途だろう。

雑誌ジャーナリズムは時に眉をひそめたくなるような暴走もあるが、社会の真相に近いところに位置している。「雑誌ごときが・・・」などという意識の権力者では確実に足をすくわれる。そのぐらいの力量と影響力を持っている。

雑誌といえども、新聞社系はダメダメだ。先日、橋下大阪市長の出自をめぐって赤っ恥をかいた週刊朝日の例を持ち出すまでもなく、そもそもの存在意義が不明だ。

などと妙に堅い話を書いてしまったが、今日書きたかったのはそんな話ではない。

前にもチラッと紹介したが、週刊文春に連載されている「高尚」なエッセイに感銘を受けたことを書きたかったわけだ。

エッセイの筆者は「みうらじゅん」だ。イラストライター、エッセイストというか、ビミョーな問題をビミョーに切り裂く異色のオジサンである。

寅さんマニアらしいので、その点では凄く親近感を感じているのだが、この人のエッセイは生真面目な私が口にするのも恥ずかしいタイトルである。

「人生エロエロ」である。自ら「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた」と語る御仁だけに、その洞察力にはいつも敬服する。

最近発売号では、敬語の大事さ、タメ口の不愉快さについて書かれていたので、エロ話を読みたかった私としてはサラッと読み流そうと思った。

ところがである。さすが人生の大半をエロに捧げた人だ。エッセイの後半ではしっかり「高尚」なエロ洞察が展開されていた。

一昔前に話題になった映画「愛の流刑地」を引き合いに、エロの神髄は「ベッド敬語」にありと喝破している。

さすがにエロ達人は着眼点が違う。寺島しのぶのベッドシーンうんぬんではなく、セリフ回しの敬語乱発に「勃ててくるな~」と感心したそうだ。

「私をメチャクチャにしてください」に始まり、行為中にも「お任せします」、「く・・・ださい」、「先生に抱かれて生きていきます」。そしてフィニッシュ時の「ありがとうございます」へと続く。

セクシャルな場面での敬語は確かに特別な響きがある。私自身、考えてみれば、そんなシチュエーションプレイが結構好きなような気がする。

いかんいかん、話が脱線しそうだ。

それにしてもエロ話を表現する際に「ベッド敬語」という造語を生み出す「みうらじゅん」の奇才ぶりに心底感心した。

このエッセイの最後のわずか数行に奇才の奇才たる表現が凝縮されている。原文を転載してみる。



~~

欧米の「カム!」や「オー!ディープ」といったタメ口を真似ることなかれ。そしてセックスレスの最大の原因は敬語レスと知れ。

~~



う~ん。素晴らしい分析だ。この短い文字数で多くの男が深層心理で思っていることを完璧に言い表している。

イマドキの若者達が草食系と呼ばれるのも女性が強くなったというありきたりの分析ではなく、「ベッド敬語」の消滅にこそ原因があると捉えたほうが分りやすいかもしれない。

セックスレスの原因が敬語レスだったとは…。

実に深い話である。

私も「ベッド敬語推進運動」に微力ながら励もうと決意した。

2012年11月12日月曜日

お休み

何かとバタバタしていたのと、風邪をひいてしまったことのダブルパンチで今日の分の更新はお休みします。

アーカイブを一つ貼り付けます。ほんの2年ほど前に自らの野菜嫌いを自慢するかのように書いた話だ。ここ最近、自分でも謎なのだが、積極的に野菜を摂取している。先日は、しゃぶしゃぶ専門店で肉にはろくに目もくれず、野菜を追加注文したほどだ。こうやって年をとっていくのかと思うと少し怖い気がする。

また次回からシコシコ書き殴っていきますのでよろしくお願いいたします。

http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2010/02/blog-post_05.html

2012年11月9日金曜日

モノの値段

それにしても田中真紀子ってイヤだねえ。目立ちたいだけというか、自分が一番だぜって思い込んでいる気配が実に濃い。

自民党の安倍総裁が、「性格的に問題」だとか「彼女を誉めた人は一人もいない」とかクソミソにこき下ろしていたけど、あそこまで言われるってことは余程なんだと思う。

角栄さんの威光だけで楽々当選する人だけど、もうよろしいんじゃないでしょうか。

次の選挙では、誰を当選させたいという話ではなく、全国的に「落選させるための投票」が盛んになるといいと思う。

今日はそんな話を書くつもりではなかった。

モノの値段について、いろいろ思うところがあったのだが、新聞を読んでいたらついつい政治ネタになってしまった。

引っ越しに向けてバタバタと準備中だ。当然、いろんなモノを買わないといけないのだが、デフレの恩恵をつくづく感じる。

もう20年以上前に初めて一人暮らしをした時は、家電とか家具とかは実家からパクったものばかり使った。新調するにも高くて仕方がなかった。

もちろん、今だって高いモノは高いが、インターネットのおかげでギョッとする値段でそれなりのものが買える。

「価格.com」にお世話になりっぱなしだ。デパートはもちろん、今や家電量販店だって、単なるショールームだ。現物を見て品番を控えて手ぶらで帰ってくる。実際に買うのはネットだ。

近いうちにデパートとか量販店は、売るよりも見せる意味合いが強くなって、それこそ入場料を取って展示中心になっていくのだろう。

ところで、ネット上の価格も一癖あるから困りものだ。

クレジットカードが使いたい、開梱設置まで頼みたい、配送日時を細かく指定したい等々の条件で絞っていくと、同じ商品でも随分と値段が変わってくる。

当たり前と言えば当たり前だが、パッと見で表示されている値段はアテにならない。

引っ越し業者さんの値引きバトルも激しい。

某日、複数の業者に見積もりに来てもらう予定を立てた。1時間づつ小刻みにスケジュールを設定したのだが、最初に来た業者にその旨を話してお引き取りしてもらおうとしたら、物凄いダンピング攻勢を受けた。

至れり尽くせりコースの割には、最終的には想像できないような値段が提示された。当日やってくるスタッフの人数から考えても破格だと思う。引っ越し日が平日ならではの暴落価格だ。面倒だし、その業者に決めた。他の業者への断りの電話もその営業マンがやってくれた。

その営業マンいわく、2番目に来る予定だった業者にその破格値を伝えれば、更なる安値が提示されたはずだとか。「この業界、そんなもんです」と言う。

ダンピング合戦に付き合うのも面倒だから、スパっと決めたわけだが、そんな性格だからお金が貯まらないのだろう。

きっとこういう交渉をネチネチやり続ける人がリッチマンになれるんだと思う。

なんだか話がアチコチに飛んでしまった。

それにしても、何を買う時でも、ただただ安さだけを求めてはいけないと思ってしまう自分が悩ましい。財布の問題を考えれば、安さだけが正義?なのだが、いっぱしのオッサンになって極端に安価なモノしか揃えないというのも気分が悪い。

「こだわりの男」だとか何とか言いたい年頃?なので、ついついチョット良いモノが欲しくなる。

これも加齢だ。無邪気だった若さが懐かしい。

2012年11月7日水曜日

珍味の季節

もうすぐ冬だ。冬は珍味だ。燗酒をあおりながら珍味を舐めるたびに日本人の幸せを五臓六腑で実感する。



アンキモ、白子、からすみ等々、寒くなればオールスター軍団が帰ってくる。尿酸値だのコレステロールだの私を悩ます数値は、オールスター軍団のおかげで高値上昇だ。

珍味珍味と簡単に口にしているが、世の中には変な食べ物は限りなく存在する。

納豆などはネガティブな意味での珍味の最たるものだと思う。私は東京人のクセに昔から納豆が苦手だ。

嬉しそうに頬ばっている人を見ると軽い殺意、いや心底感心する。

「豆が腐ってる」。そういう存在だ。あの臭いもダメだ。「匂い」ではない。「臭い」だ。「臭い」と同義語だ。納豆好きな人には申し訳ないが、口の中でトゥルトゥル転がる感じも好きになれない。

日本の珍味といえば、たらこ、カズノコ、いくら等々の魚卵系が王道だろう。珍味といえば、つい「魚方面」をイメージするが、日本各地で魚以外の変なものが珍味として好まれている。

沖縄のミミガーなどは、その名の通り豚の耳だし、山のほうに行けば虫を食べるわけだからもっと凄い。

蜂の子とかイナゴとか、郷土料理の店で出されたことがあるが、さすがに一口、二口で充分だった。人間の味覚なんて脳内イメージで大きく左右される証拠だろう。

昔、パプアニューギニアを旅した時、チキンだと思って散々食べまくった肉の正体がワニ肉だと聞いた途端、食欲が失せたことがある。

ウマいマズいの判断なんてそんなものかもしれない。

美味と表現せずにあえて「珍味」と呼ぶわけだから、ウマいかどうかはその人の嗜好性にかかわるのだろう。

かの麗しい生ウニだって、苦手な人から見れば悪魔に見えるのだろうし、崇高な存在であるカニミソだって嫌いな人からすれば汚物なんだろう。

野菜が嫌いな私にいわせれば、ピーマンなんて地獄のような味がするし、セロリを喜んで食べる人は宇宙人だと信じて疑わない。

生まれて初めてズッキーニなる魔物を食べた時は、2時間ぐらい呆然としていた。あれほど気色悪かった食べ物はないという意味では、最凶の珍味といえよう。

先日、足繁く通って止まり木にしている高田馬場・鮨源で今シーズン始めて新鮮なタラの白子をジュルジュルした日、勢い余って禁断の?白子フライを注文してしまった。


白子の天ぷらは居酒屋なんかでも見かけるが、カラッとフライにしてソースをチョビっと付けて味わうのも最高だ。

防腐剤かなんかを大量に使っている白子だと揚げることによって薬っぽい苦みが感じられるのだが、白子自体のモノが良ければ最高の珍味となる。

ホクホクジュルリンデロリンジュワーンって感じだ。

エロティックな味としか言いようがない。

タラの白子もまさか自分が衣をまとわされて油の海で泳ぎ、おまけに中濃ソースまでくっつけられるとは想像もしていなかったはずだ。ちょっと申し訳ない。

白子の呪いで私の健康は悪くなっていくのだろうか。

2012年11月5日月曜日

お金持ちと呼ばないで!

「お金持ち」の定義は人によって違う。無収入の人から見れば年収300万円の人はお金持ちだし、年収3千万円の人から見れば、億単位の稼ぎのある人がお金持ちだと映る。

何気なく使われている「富裕層」という言葉も実に曖昧だ。国からすれば、「富裕層」とイメージされる人が多ければ多いほど、増税ターゲットを作りやすい。

猫の額ほどのマイホームのために銀行ローンに人生を捧げ、普通の国産車すら月賦で購入して、満員電車にヘトヘトになっているオッサンでも、この国では「富裕層」とみなされたりする。


所得税の最高税率の話をしたい。所得税は言うまでもなく、一般的な稼ぎに課税される税金だ。

日本の場合、税率は6段階。収入に応じて段階的に高くなる。所得が低い人には優しく、高い人には多めに負担を求める仕組みだ。

最高税率は文字通り、「所得がもっとも高い階層の人」に適用される。いわば、国家としては、この階層を「富裕層」と認識しているわけだ。

ここまでは簡単な話。問題はここから。国家が富裕とみなす階層とは、いったいいくらぐらい稼いでいる人だろうか。これがオヨヨな話である。

「課税所得1800万円超」。この境目から上は「富裕層」「お金持ち」という位置付けだ。

課税所得とはいろいろな控除とかを差し引いた後の金額だから、一般的には「年収2000万円」を越えると最高税率が適用される。

年収2千万円といえば、もちろんビンボーではない。フランクにいえばお金持ちだろう。収入として相当なものだ。それでも、前述したように、生涯を銀行ローンに捧げて、子どもの教育費に追われるような「まあ普通」の人だろう。決して、子どもが夢見るような「お金持ち」ではない。

カローラではなくクラウンが買えて、2DKではなく3LDKには住める。雑種ではなく血統書付きの犬が飼えて、量販店の吊るしではなく、時にはオーダーでスーツが作れる。外食できる回数が少し多くて、家でもオカズの品数が2品ぐらい多いだけだろう。

年収700万円の人と年収2千万円の人の格差って、しょせんその程度のものだ。見る人が見れば「金持ち」なんだろうが、その程度の話である。

まあ、この手の話には異論が付きものだから、話を先に進める。

ただ、少なくとも年収2千万円程度の人が、日本国の中で最高に高い税率が適用される階層だとは思えない。

分りやすく言い直そう。ソフトバンクの孫さんとかユニクロの柳井さんとか、年収がウン億円の人を想像していただきたい。そういうスーパーリッチマンと年収2千万円の人は税制上「同じ階層」でひとくくりにされている。

これって変じゃなかろうか。いや変だ。断言してもいい。

所得税の税率は、わざわざ6段階に分かれているのに、最高税率の適用対象は有り得ないほど乱暴だ。年収50億円の人と年収2千万円のオヤジが同じ枠組み。どう見たってバカげた話である。

ちなみに興味深いデータがある。所得税の全納税者のうち、実に84%が6段階の税率のうち低いほうの2段階の税率適用者だ。

これが社会の会費という性質を持つ所得税の歪んだ実態だ。

いま、来年度税制改正に向けた議論が活発化している。「みんなこぞって貧乏を目指しましょう」という思想の民主党政権は、所得税の最高税率を現行の40%から45%に引き上げる方針だ。

おまけに公明党とやらがチョッカイを出し始めて45%ではなく、最高税率を50%にしろと言い出し始めた。

割を食うのは最高税率適用対象者の底辺層、すなわち年収2~3千万円の人達だろう。この階層といえば、経済を根底で支える中小企業経営者が多い。この階層をイジめたくてしょうがないのが現状の政策だ。

最高税率の適用対象者のうち、たとえば、課税所得1億円を超える階層だけに追加の特別税率を設けるといった現実的かつ妥当な発想は一切出てこない。

所得税の全納税者の90%の人には無関係だから、アホな政策でも社会問題化しない。ついでにえば、年収が億単位の本当のお金持ちは、潤沢な可処分所得とスーパーリッチならではの情報ネットワークを駆使して、海外への「資産フライト」を急ピッチで進めている。

超富裕層ほどドライな感覚で日本に見切りを付けて海外に資産を移している。逃げ場がないのは、真面目に日々の会社経営に追われる中小企業経営者だ。超富裕層ほど思い切った動きが取れずに悶々と納税に追われる。

我が社の新聞でも、大衆向けメディアとはまったく別な視点で、中小企業経営者階層を取り巻く税制の不合理をいろいろな角度から特集する予定だ。

いずれにせよ、社会を覆う閉そく感とかドンヨリ感は経済の活性化抜きに脱却することは不可能だ。そうした意味でも中小企業経営者の勤労意欲を強めるような政策への転換は必要だと思う。

今日は真面目な話に終始してみた。なんか脳みそが普段より動いているような気がする。

最近の見始めたシジミエキスが効き始めたのだろうか。関係ないか。

2012年11月2日金曜日

冷え症と上海ガニ

不惑を過ぎたあたりから惑ってばかりの日々だ。いや、そんな話ではなかった。

不惑を過ぎたあたりから冷え症気味になった。実に悲しい。若い頃はいつでもポカポカしていて、冬になると無数の女性が温まりたい一心で私に足を絡ませてきたのだが、それも今は昔である。

これも加齢なのだろうか。まだ11月だというのに足が冷えて仕方がない。夜中に自分の部屋で過ごす際、靴下を2足履いても寒い。真冬になったら一体どれだけ冷えるのか心配だ。

そろそろ南国に移住すべきなのだろうか。

最近、冷凍食品を食べる貧しい機会が増えたのも原因だろうか。あれは身体を冷やすそうだから食べ過ぎは良くないらしい。

ひょっとするとカニの呪いかもしれない。カニは身体を冷やす食べ物として知られる。30代の後半あたりから爆発的にカニが好きになったから、それも原因かもしれない。

いま、穏やかな秋晴れの昼間にこれを書いている。寒そうにしている人は周りにはいない。ワイシャツ一枚で活発に働いている人ばかりだ。

夕べ、上海ガニをむさぼったから寒いのだろうか。足元暖房が欲しくて仕方がない。昼だから燗酒をすするわけにもいかないし、困ったものだ。

どなたか、足の冷えに確実に効くサプリなんかをご存じだったら是非情報を下さい。

さて、上海ガニの話だ。


ゆうべ出かけた店は神保町にある全家福。上海ガニをいろいろな食べ方で出す穴場だ。

ちゃんと冷え対策として、カニと一緒に温かいショウガ汁も出してくれる店なのだが、紹興酒にかまけて一口も飲まなかったことを後悔中。

酔っぱらいガニと呼ばれる紹興酒漬けはポピュラーだが、この店では、紹興酒漬け以外にもニンニク汁に漬けた逸品やショウガ汁に漬けた逸品も楽しめる。

3種類の漬けガニをガリガリチューチューすすりながら熱めの紹興酒をグビグビすると口の中が幸せ満開、幸福ならぬ「口福」である。


蒸しガニはオス、メスいずれも選べたのだが、この日はオス。ミソがたっぷりでこれまた酒が進む。甲羅に熱めの紹興酒を注いで少し味噌を溶かしながらグビリとすれば、ひととき浮き世を忘れる。ハッピーである。

カニと酒といえば、今までも随分と私の健康を害してきた、いや、私に幸せを与えてくれた。

毛ガニの甲羅にミソを残して酒を注ぎ、甲羅ごと火にかけてもらったスペシャル甲羅酒には悶絶した。函館でふらりと入ったお寿司屋さんで遭遇したのだが、甲羅が少しだけ焦げちゃった風味が加わって大興奮した覚えがある。

金沢に程近い北陸の橋立の料理屋では骨酒のような殻酒に悶絶した。さっきまで生きていたそれこそタグ付きの極上ズワイを炭火で焼いて味わったのだが、カニそのものよりも印象に残っている。

身を食べた後の脚の殻をコップがきしむほどギュウギュウ詰めにして、そこにカンカンに熱くした酒を注ぐ。見る間に酒はほんのり淡い琥珀のように色づく。脚をかき分けながら酒をすすると、おったまげるほど風味満開の極上燗酒が出来上がっていた。

書いているだけで飲みたくなってきた。この冬のうちに是非出かけようと思う。

なんだっけ?そうだ、冷え症の話を書くつもりがカニ尽くしになってしまった。

身体が温まるサプリとか有益な情報をお待ちしております。