2011年7月29日金曜日

カレーの世界

いつのまにか世の中に増殖したのがカレー屋さんだ。日本のカレーではなく、インド、スリランカ、ネパールといった、そっち方面のスパイスが効いたカレー。

わが社の近所、徒歩5分以内にも2件ある。昔はわざわざ専門店を探したものだが、今では実に手軽に本格的なそっち方面のカレーにありつける。

まずい店はまずいが、たいていはそれなりに想像通りの味がする。

タンドリーチキンなどをつまみにアルコールをグビグビ、ナンをカレーに浸して、アルコールをグビグビというパターンもアリだが、不思議とあの手のカレー屋さんに行くと、飲むより食べるほうに関心が向く。

たまに出かけるタイ料理とかインドネシア料理の専門店では、つまみっぽいものをたくさん頼んで飲み屋代わりに使うことがあるが、インド料理はなぜか酒より食事。不思議だ。

だから、随分と専門店めぐりをご無沙汰している。ただの酒飲みオヤジになっちゃった今、最初に酒ありきで店選びを考えるから、昔はしょっちゅう通ったインド料理店が縁遠くなった。

前振りが長くなってしまった。

要は、久しぶりにインド料理屋さんに行った話だ。麹町にある「アジャンタ」がその店。10年ぶりぐらいに行ってみた。



この店は日本のインド料理専門店の中でも老舗だ。創業時期などは詳しくは知らないが、私が通っていた小学校のすぐそばにも支店があった。

その支店は大昔に閉店したが、麹町にある本店は昔と同じ場所でマッタリとした気配でしっかりと営業していた。

ナン、タンドリーチキン、ビリヤニ(ブリヤニ)あたりを私が初めて知ったのがこの店。

子どもだからカレーがやたら辛かった印象がある。それでもニッポンのカレーしか知らなかった当時、相当な衝撃を受けた。

何よりも芋とかニンジンが混ざっていないカレー自体の潔さが無上の喜びだった。

宗教上の理由で野菜を食べない私としては、ニッポンのカレーに平然と混入しているニンジンとか芋が許し難い。

家庭のカレーの場合、じゃがいもなんて2日目になれば溶けちゃったりする。カレー全体に溶け出した芋のあの食感が情け容赦なく広がる。実にイヤだ。

だいたい、チキンカレーだとかビーフカレーを名乗っているのに、どうして芋やニンジンが威張っているのか理解不能だ。

シチューなんかもそうだ。タンシチューを頼んだのにニンジンばかりが偉そうにふんぞり返っていると軽く殺意を覚える。

「ニンジンは注文してませんけど」。人生の中で何度も言いそうになった言葉だ。

冷やし中華だってそうだ。いつの日か「キュウリとかキンシタマゴとか頼んだ覚えはないんだが!」と声を大にして叫びたい。

自宅で冷やし中華を食べるとき、私の定番はいつでも「具無し」だ。具は紅ショウガでいい。それこそが冷やし中華だと信じている。外食時に出てくる冷やし中華はニセモノだ。

話がそれた。カレーだ。

いまでこそ「ココイチ」とかが普及して芋、ニンジンごろごろ状態ではないカレーが普通に味わえるようになったが、30年以上前、カレーといえば、「ニッポンのお母さんが作る野菜でかさ上げされた料理」だった。

ボンカレーに象徴される昔のレトルトカレーだって、得体の知れない芋やニンジンが威張っていた。あれをどかして食べようとすると、野菜にからみついたカレーが減る分、肝心のカレーがチョッピリになってしまって苦労した。

そんな変態少年だった私が小学生の頃に出会った「麹町アジャンタ」のインドカレーは、チキンカレーならチキンだけ、エビカレーならエビだけという実に正当な体裁だった。嬉しくて辛さも気にせずかっ込んだ思い出の店だ。

この日食べたのは定番のチキンカレーとエビカレー、キーマカレー。ナンの他にチキンビリヤニも注文した。


ピラフというか、炊き込みご飯系のビリヤニにカレーをベチャベチャかけて食べるのが私の好みだ。

邪道な食べ方かもしれないが、複雑な味のカレーに複雑なビリヤニの味が混ざり合ってなかなか刺激的だ。大勢の男女がけったいなダンスをいきなり踊り始めるインド映画のような味わいになる。

最近アチコチで見かける気軽なインドカレーの店と比べて、どことなく味の奥深さに違いを感じた。まあ、ひいき目なんだろうが、普通は20種類のスパイスで作るとしたら、こちら35種類ぐらいで作られている感じとでも言おうか。

スパイスなんて普段まるで縁がないから、的確な論評などできないが、何十年も潰れずに営業している店ならではの味わいがあるのは確かだろう。

暑い季節に辛い料理は不思議とマッチする。久しぶりにインド料理に目覚めそうな私だ。でも、あんまり食べ過ぎると「後ろの下半身」に異常が起きるのでホドホドにしたい。

2011年7月27日水曜日

銀座 男と女


銀座でクラブ活動を漫然と続けてもう何年になるだろうか。まったく行かなかった時期も含めれば、通算で15年以上にはなる。

何がしたいのだろう。。。

さすがに時々懲りない自分を不思議に思う。

若い頃、ひょんなことで出かけた某有名クラブで自分の小僧ぶりを痛感した。背伸びしたい感覚や太刀打ちできそうにない雰囲気に呑まれたことで、逆に興味が強くなっていった。

基本的にMなんだろう。「勝てない感じ」、「やりこめられちゃう感じ」が好きで、なんとなく身を置いてきた。

実際に、やりこめられたり、騙されたこともあるし、お口あんぐりな事態になったこともある。

なのになぜ非生産的にも思える活動を休止しないのか我ながら不思議だ。


理由はさまざまだが、あの街に漂う気の張った空気が心地良いのかもしれない。「粋と野暮と張り」という概念における「張り」だ。

ついでに言えば、働く人達のドラマとか矜持にも惹かれているのだろう。

女性だけの話ではない。たとえば銀座の黒服を高い志で続けている男性も魅力的だ。浪漫がある。

今の世の中、何かと浪漫が足りないから殺伐としている。そんなシラけた空気が蔓延するなかで、浪漫を感じさせる人は見ていて気持ちがいい。

浪漫などというと、青臭いとか、バカっぽいイメージがあるが、人として生きていく以上、浪漫が無くなったらダメだ。一気に魅力は乏しくなる。

先日は、満を持してオープンした7丁目の新店で思わぬプレゼントをもらった。

長く付き合いのある黒服さんからなのだが、彼はその店でいよいよ黒服トップのポジションになった。開店準備で、寒いころから忙しく奮闘していた話は聞いてきたのだが、その合間をぬって私のために粋なはからい。

銀座に限ってはオールドパーしか飲まない私のために、特殊なボトルを用意してくれていた。ボトルの前面部分ガすべてオリジナルにデザインされており、中央に私の名前が金箔の江戸文字で刻印されている。

そんな手配は面倒なことだろうが、あえて、そういう気配りをしてくれた。

ホステスさんじゃないから、彼にとって私の飲み代は彼の実績云々というわけではない。そんな一人の客にニクい気配りをしてくれたわけだ。

浪漫のある話だと思う。

あの世界で働く人たちに対して、水商売だ、夜の仕事だと色眼鏡で見る向きもある。それも世間の現実だ。そうはいっても短絡的にあの世界のすべてを決めつけるのもどうかと思う。

すっかりいっぱしの中年となった今だから、そんな風に思えるようになった。男女を問わず、あの世界で働く個々の人達に接してみると魅力的な人物は少なくない。

純粋で人間くさくて、人情味もあって、時に教えられることも多い。霞ヶ関あたりでエリート然としてふんぞり返っている御仁や、チンケな自己保身ばかり考えているホワイトカラー連中なんかより余程魅力的だったりする。

浅草の踊り子を愛した永井荷風や、モンマルトルの盛り場を寝城にしたロートレックを気取るわけではないが、夜の街に集う人々の魅力には独特な趣がある。

刹那を生きる感覚とでも言おうか。簡単に言えば、人間本来のむき出しになった「素」に近い場面で、日々、丁々発止の時間を過ごしている感性が独特なんだろう。

平々凡々で大過なく無難に生きていることが良しとされる通俗的な常識から見れば、理解できない部分も多々ある。でも、逆にそれが異界のまぶしさにつながる。

まあ、あまり誉め過ぎるのも私の性に合わない。悪いヤツもいっぱい生息しているのも確かだ。そうそう良い話ばかりではない。悪いヤツは悪い。汚いヤツも大勢いる。

まあ、それはどんな世界、どんな組織でも似たり寄ったりだろう。

そんな人間臭さも自分に害が及ばない限りは見聞きしても楽しんでいられる。


いまどきのキャバクラとかガールズバーは私の感覚だと、「平成的なもの」に映る。それに対して、銀座のクラブには「昭和の香り」が色濃く残っているように思う。

昭和が終わる頃に大人になった私だ。だから自分が生粋の昭和人なのかどうか分からない。

ただ、少なくとも私が憧れたのは昭和の時代にエネルギッシュに前向きに生きていた大人達だった。

そんな大人達が舞台にしていたのが銀座の酒場だったわけだ。いまだに背伸びした感じや太刀打ちできない感じに惹かれるヤサ男である私は、気付けば7丁目や8丁目界隈をほっつき歩いている。

今年の春の話だが、私自身の身内がその昔通っていた店に連れて行かれた。昭和レトロな雰囲気が漂う銀座の雑居ビルの地下にその店はあった。

20年前に亡くなったその身内とは訳あって縁遠かったのだが、年老いたマスターがしきりに往事の思い出話に花を咲かせる。いろんなエピソードを聞かせてもらった。

そういえば、死んだ祖父が若かりし頃、ゴシップ誌にあること無いこと書かれたことがあったらしいが、その舞台も銀座だったそうだ。

そんな物語性もあの街の魅力なんだろう。

人生自体がドラマみたいなもの。平々凡々としたドラマを色彩豊かに演出するには、あの街で生まれる物語はなかなか魅力的な調味料になる。

浪花節あり、愛欲モノあり、出世物語やサスペンスやSFチックな話、はたまた変態小説とか復讐劇といったジャンルもある。もちろん、純愛ストーリーだって珍しくない。

私にだって今まで少しぐらいは銀座を舞台にした「物語」はあった。だいたいは喜劇だ。あとはショートショートがいくつかあったぐらいか。

今後は「スペクタクル巨編」の主人公になりたい。頑張らねば。

ワイのワイの楽しく飲んでいるだけの私ではあるが、それなりに人間ウォッチングに励むこともある。銀座で飲んでいる男達の顔を見るのは結構楽しい。

気のせいか、最近は不機嫌そうに飲んでいるオジサンが多い。反面教師にしないとなるまい。スマートに、そして粋、意気を大事に闊歩していたいものだ。

不機嫌な客の他には「寝てるオジサン」を目撃することも昔より多くなった。そんな時代なんだろうか。

ある店のホステスさんから聞いた話。

「あの人、いつもあそこの席で寝てる」。

ある意味、達人だろう。結構立派な身なりの紳士だ。その店の隅っこの他の客の目線が届きにくいポジションが指定席。気持ちよさそうに熟睡。あの場所で寝るのがオジサンにとっての幸せなのだろうか。でも、それもそれで物語があるんだと思う。

いつか私もそういう境地に達してみたい。
格好付けてスカして座っているようでは、まだまだ駆け出し?なのかもしれない。

そういえば、時たま寝ているホステスさんも目撃する。それもそれでファンキーモンキーベイビーみたいな話だ。


話を戻す。時々面白く感じるのはあの街の酒場で遭遇する多種多様な「眼」だ。

「刹那」とか「むき出しの素」が飛び交う世界だから、「眼の表情」がそれこそ品評会のように揃っている。

「嘘つきの眼」、「計算高い眼」、「億劫な眼」、「蔑みの眼」、「好意の眼」、「情熱的な眼」、「感謝の眼」、「色情的な眼」、「惚れてる眼」、「連帯の眼」、「不安定な眼」、「冷酷な眼」、「憧れの眼」、、、、。

例えを挙げればキリがない。

客側の眼、迎える側の眼それぞれの立場で複雑にありとあらゆる眼線が絡み合う。

「眼は口ほどにものを言う」の例え通り、飛び交う視線の先には人間の業を映した様々な心の動きが渦巻いている。

実際に口にしている言葉とは無関係な葛藤が眼の表情によって見え隠れする。なかなか興味深い。

私に向けられるのは、どんな種類の眼線なのだろうか。時々、面白おかしく勝手に解釈して楽しんでいる。

「あっ、あのコ、惚れてる眼でオレを見た」。

お気楽なもんだ。アホ丸出しではある。大体、というか、ほぼ100%希望的観測で相手の眼を解釈して喜んでいる。

性格がラテン系なんだろうか。

正直、色情的眼線を向けてもらうのが一番嬉しいのだが、なかなかそういう眼線には出会わない。

そんなもんだろう。

2011年7月25日月曜日

菅直人と海江田経産大臣

居座りを平然と続けて、世間もそれを仕方がないことのように俯瞰している菅直人問題。

いいのだろうか。あんなインチキが罷り通ることは歴史的な国家の恥だろう。

言葉の軽さ、無責任な言動、平気で国民をあざむく姿勢。こんな印象しかない今の総理大臣は、この国の政治を破壊したのも同然だろう。

あり得ないほどの悪しき前例は、今後、この国のトップが何をしでかしても、一種の免罪符にされかねない危険がある。

最高責任者が、一度口にした進退に関する話を平気で反故にして、屁理屈をこねて居直る。やはり異常だ。

真面目に活動している市民運動家には申し訳ないが、しょせん菅直人という人物は、常識的な社会人経験に乏しい市民運動家の成り上がりでしかないのだろう。

私的感情だけで協調を排除し、言いたいことを言いまくって怪気炎を上げる。相容れない考えや気に入らない相手は徹底して叩く。

あの手の市民運動家の実像ってそんなものだろう。

総理大臣というポジションに就いても、そんな感覚で場当たり的にことにあたる。

脱原発宣言だって、大衆の支持を得られると勢い込んだのだろうが、うまく行きそうにないと見るや、「個人的な見解」だと言い出す始末。

世界中に影響する国家の重要政策に対して、公人中の公人である現職の総理大臣が「個人的見解」だなどと言い出す。喜劇にもならない間抜けぶりだ。

メディアの追求のぬるさも気持ち悪い。ウソツキで、思いつきと場当たりだけで動いていることが歴然としているのに、どこか丸め込まれているかのような空気だ。

原発再稼動に関する、いわゆるストレステストの唐突な話や、脱原発をめぐる出たとこ勝負の思いつきをめぐって、海江田経産大臣との軋轢というか、溝がマスコミで随分取り上げられるようになってきた。

先日は、海江田経産大臣が手のひらに「忍」の文字を書き込んで国会答弁している姿がニュースになった。

経産大臣も「忍」の字を書いて我慢するだけでなく、堂々と「菅おろし」に動けばいい。

当然ながら各大臣は総理大臣が任命権者であり、いわば総理大臣の子分にあたるわけだが、いまの異常事態では、そんな杓子定規なことを言っても始まらない。

肝心の総理大臣がインチキを繰り返して、国中から総スカン。経産大臣が忠義をつくす相手は、菅直人ではなく、国民であるべきで、その基本姿勢で「反菅」を鮮明に打ち出せばいい。

海江田経産大臣は、経済評論家出身ということもあり、昔からわが社の新聞などでもアレコレ付き合ってもらっている。

私自身、昔から個人的に何度も勉強や遊びの場を共にしてきた。それなりに人柄も知っているつもりだが、愚直に菅直人の下で「忍」の姿勢を貫く今の姿には違和感がある。

さっさと「反菅」の旗幟を鮮明にする時期ではなかろうか。

もともと、昨年の党代表選では反菅の側で立ち回っていたが、挙党一致をアピールする意味もあって閣僚入りした経緯がある。

その後、同じ選挙区の敵対相手だった与謝野経済財政大臣が、よもやのぶっ飛び転向によって内閣入りして、ポストを横滑りされ、「人生は不条理」と嘆いて見せたことは記憶に新しい。

最近では、原発行政の所管大臣として対応にあたっているところに、山本モナとチューしたことで有名な細野議員が、原発事故対応大臣に就任。経産大臣の業務範疇も何だかよくわからない状態。

既に海江田大臣は、国会で菅直人へのあてつけ的な辞職ほのめかし答弁をしている。これからの動き方によっては「反菅」のシンボルになりえるポジションにあるのは事実だろう。

権謀術数うずまく永田町では、今さかんに「ポスト菅」をめぐってさまざまなシュミレーションが展開されている。海江田大臣自身もそんなシュミレーションに絡むため、慎重に諸々を計っているのだろう。

ただ、そんな権力闘争、政治力学よりも、「国益」を優先してもらいたい。いま一番「国益」にかなうのは、まず何よりインチキ総理大臣を引きずり下ろすことに尽きる。

菅直人に鈴を付ける役目、現内閣を終わらせるヒキガネを引く役目は、ここに至る経緯や事情、現職ポストを考えた場合、海江田大臣が適任かと思う。

差し違えるぐらいの英断に期待したい。

2011年7月22日金曜日

靴バカ一代・パリ編


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★★★2016年7月11日追記 ・・・ 「靴バカ一代 ロンドン編」を下記にアップしました。
http://fugoh-kisya.blogspot.jp/2016/07/blog-post_11.html

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昔、空手バカ一代という漫画があった。文字通り空手の修行にすべてを賭けた故・大山倍達氏の生きざまを描いた作品。

大げさだが、私の今回の靴屋めぐりは「靴バカ一代」と言えそうな偏執狂ぶりだった。

セールのせいだ。パリ中でバカンス前のヤケのヤンパチみたいなセールを展開している時期だったので、ついつい靴の専門店を巡り歩いた。

美術館めぐりと、ここでは書けない秘密の時間の他は、靴屋めぐりに東奔西走した。あとはカフェでタバコや葉巻をふかしていただけだった気がする。



インターネットの世界は有難いもので、「靴バカ一代」の先輩方が数々の情報を載せている。お陰で覗いてみたい店の所在地はあらかた事前にリサーチできていた。

地図を片手に地下鉄とタクシーを駆使してあちこち訪ね歩いた。


結果、タニノクリスチーを2足、クロケット&ジョーンズを2足、カルミナを2足、エドワードグリーンを1足、そしてJMウェストンを1足、その他1足の合計9足も買ってしまった。

統一感もポリシーもあったものではない。なんでもアリみたいで、我ながらいかがなモノかと思う。

でも、異種格闘技を極めて空手バカになっていくように、バラエティーに富んだ靴に足をすべらせ続けることが「靴バカ一代」への道だと自分に言い聞かせている。ちょっと強引だ。




パリだけの滞在だったのだが、上記した靴はイタリア靴が3足、イギリス靴が3足、スペイン靴が2足、フランス靴が1足という結果になった。

フランス靴が少ない。その点が残念だ。

イタリアの名門・タニノクリスチーはパリ店の情報を事前に入手できなかったのだが、シャンゼリゼ・ジョルジュサンクにほど近い道をタクシーで通過中に偶然発見した。


トレビアーンな店員さんに萌える。はじめて知ったのだが、タニノクリスチーは廃業が間近だという。銀座の並木通りにある直営店も9月には閉店するらしい。

パリ店も閉店セールで投げ売り状態。日本の定価を考えたら半値以下。サイズが合えば買うっきゃない。私のサイズの在庫をすべて出してもらった。

ダークオークカラーのショートブーツと紐靴が気に入ったので購入。ついでに靴べらなどを可愛くオネダリしてまんまとゲット。

店員さんとしばし雑談。多分半分以上通じていない。私の場合、外国の人とは勝手な想像と思い込みだけで会話を成立させる特技があるので、それなりに楽しい時間を過ごす。

私「失業しちゃっうと大変だね。マドモワゼル」

店員さん「そうなんです。でも心配してくださるなんて感激だわ。もうアナタに夢中です。お食事でもご一緒しませんか、ムッシュ・・」。

私「そうしたいところですが、私にはこれから何件も靴屋をめぐる修行が課せられているので、残念ですが、夢の中でお会いしましょう」


こんなムーディーな会話が二人だけの店内で交わされたわけだ。

話を戻す。天下の「ジョンロブ」も見て回ったが、価格面で魅力のある靴に出会わなかった。

ジョンロブと並び称される英国の雄・エドワードグリーンでは、陽気な店員さんが1時間以上、取っ替え引っ替え試し履きをする私に付き合ってくれた。

ここでも日本の4割安ぐらいの価格で気にいった靴が買えた。

クロケット&ジョーンズでは、1万円台でプレーンなモカシンを売っていたので、旅行中の散歩靴として購入。実は、この店をめぐっては非常に有難い経験をした。


パリ3日目の朝、カメラをバックごと無くしていることに気付く。昨年買ったばかりのオリンパスの小型一眼で交換レンズもバックに入れていた。

どこかに置き忘れてきたのだろうが、アチコチさまよっていたから見当もつかない。大体、そんなもの拾ったまま貰っちゃう人を責められないし、仕方なく損害がカメラだけだったことに安堵してあきらめていた。

その後、なんと東京の留守宅に電話が入った。クロケット&ジョーンズの店員さんから「カメラを預かっている」という内容だった。

店で電話番号を伝えた記憶はない。考えてみたら、その時、近隣のエドワードグリーンでも買い物をしてロゴの入った紙袋を持っていたから、わざわざ、そちらの店に問い合せて私の自宅の連絡先を調べてくれたようだ。

エドワードグリーンでは、付加価値税の還付用の書類に住所や電話番号を記入したから、そこから辿って連絡してくれたのだろう。英国靴メーカーの名門同士だ。フランスにあっても紳士だかなり感動する。

どこの国にも親切な人はいるものだ。昔、通っていた小学校のイヤミなフランス人教師が嫌いだったという理由で、フランス人が苦手だと思っていた自分のウジ虫のような考え方を反省する。

今週水曜の分と今日掲載している画像のほとんどが無くしかけたカメラで撮影している。アレックスという名のイキなフランスオヤジの親切がなければ撮影できなかった画像だ。

靴の話ばかりでもしょうがないから、靴以外の画像をいくつか紹介したい。

まあ基本的に気ままなひとり旅だったので、「課題」の合間にはそれっぽく撮影もしてみた。







最初の画像は映画や印象派絵画の舞台になったポンヌフ橋の隣のナントカ橋で撮影。

欄干に無数の鍵がかけられている。パリを訪れた世界中の恋人どもが永遠の愛を誓ったのだろう。どうせ大半が別れちゃったんだろうが、ちょっとオシャレだ。セピアモードでも撮影してみた。

ステンドグラスの画像はノートルダム寺院に近い教会の名物。今回、唯一といっていい観光っぽい場所。荘厳なステンドグラスに圧倒される。

血液型がA型じゃなければ、こんな細かい作業は出来ないと評した人がいたが、まさにそんな感じ。B型の私には無理だ。

セーヌ川の景色はソフトフォーカスモードを使ってみた。なんかパリにいるみたいな写真になった。パリにいたんだった。

次の写真は泊まったホテル「Lutetia」のロビー階のヒトコマ。こういうセンスはヨーロッパならではなんだろう。

最後の画像は、今回買った唯一のフランス靴(JMウェストン)。ワインレッドと言ってしまうと味気ない。ブルゴーニュ色だ。いわゆるバーガンディー・カラー。

この手の色の靴は中々日本ではお目にかかれない。フランス靴を買うならこういう色合いのものが欲しかったので満足している。

ついでに言えば、この手の色味のベルトも日本ではまず見かけないのだが、今回の旅行では、バーガンディーのベルトも2本購入できた。手に入りにくいという意味ではそれが一番の戦利品かもしれない。

ちなみに小学校から中学にかけて随分と勉強したフランス語が甦ってくることはなかった。

挨拶以外になんとか使えたのは「今日は暑いなあ」、「○×はどこですか?」、「お釣りはいらねえぜ」、「これに決めたよ、ムッシュ」。

そんなもんだ。

中途半端にフランス語らしき言葉を発してみても、フランス語で反応が返ってくるわけだから、まるでダメだ。

その他に気付いた点としては、フライトの時間帯選びが重要だということ。パリ便は往路、復路とも夜便がある。

今回は、行きはJALの昼便、帰りはエールフランスの深夜便を使った。行きは12時間半の飛行時間のうち2時間しか寝られず悶々とする。

残り10時間以上は禁煙対策グッズを咥えたり噛んだり。お酒を飲んで異常にくだらない映画を2本半見たり、持ち込んだ雑誌や本を乱読したが、退屈で退屈で気が変になるかと思った。

帰路は夜11時半にパリを発つ便だったのだが、すべてのサービスをお断りして爆睡モードに突入。途中目覚めるものの、即、睡眠導入剤を飲んで寝る。結果、9時間も寝ていられた。9700キロの距離が実に近く感じた。


で、帰国翌日には、新旧併せて10足以上の靴をせっせと磨いてみた。4~5時間かかった。まるでアホだ。

どうやら靴磨きの快感のために靴を買い続けている。ちょっと病的だ。素敵な女性としょっちゅうデートしないとピカピカになった靴が活躍する場面がない。

ついでに言えば、帰国数日後、会社近くの西武百貨店で出物のイタリア靴を発見して3足も買ってしまった。

さすがに鬼嫁から包丁を突きつけられる可能性を察知して、その3足は自宅に持って帰れないでいる。何してるんだろう、まったく。

旅行で使った費用の総額を試算してみたのだが、まもなく夜逃げ計画を真剣に立てることになりそうだ。

というわけで、極めて個人的嗜好に基づく旅行記に最後まで付き合っていただき有り難うございました。

今後このブログは夜逃げ先でひっそりと更新することになりそうです。

2011年7月20日水曜日

絵画鑑賞とエロの道

1ヶ月前にこのブログで「デブで困っている」ことを書いた。

あれから1ヶ月、4キロも体重が減った。まあ分母が分母だから、4キロぐらいネズミの鼻くそぐらいの量だが、それなりに嬉しい。

いろいろと軽快だ。このぐらいなら腹上死せずに済みそうだ。

パリ旅行で2キロ以上体重が落ちた。旅先では太るのが常なのだが、今回は健康的なスーパー散歩三昧のせいでダイエットになった。


米が好きでパンが嫌いな私にとって、パリでの食事は最初からさほど興味がなかった。そうは言っても、その土地のものには執着したくなる性分だから、一応はいろいろ試してみた。

旅の前半で、固くて噛めやしないサンドイッチに遭遇し、臭くて食えやしない鴨料理にぶつかったことで、一気に食への執着はなくなった。


往路のスーツケースはスカスカだったので、カップ麺を8個も持参。帰国する際にはペヤングソース焼きそば1個を残すのみとなったわけだから、「美食の街」を相手に随分と乱暴な食生活を通してしまった。

グルメとは程遠い自分の「ドメスティック男」、略して「ドメ男」ぶりが情けない。

もっとも気に入った「フランス料理」は「オランジーナ」という炭酸飲料。毎日2本以上飲んだ。ファンタオレンジを優しくしたような味でカラッとしたパリの気候に妙にマッチしていたので、気がつけばグビグビ。


それ以外にフランスらしいといえば、朝、昼、晩を問わずシャンパンをグラスでクイクイ飲んでいたことぐらいか。

天下のフランスだ。グラスのシャンパンを注文すれば、間違いなくシャンパンが出てくる。カヴァとかスプマンテとか、スパークリングワインではない。聞いたことのない銘柄でも、あくまでシャンパンが供される。

パンにバターを多めに塗りたくってシャンパンをキューっと飲むパターンが連日続いた。だから頻繁にモノを落としたり、無くしたり、地下鉄の駅を寝過ごしたり、実に不用心な状態になっていた。

“スーパー散歩”については、連日6時間は歩いていた。かなりの運動量だ。

ガラにもなく、美術館には結構出かけた。ルーブル、オルセーにはそれぞれ2度、オランジェリーやマルモッタン美術館でもじっくり印象派の作品を堪能した。

もっとも感動的だったのが、オルセーで見たミレーの晩鐘。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AC%E3%83%BC

祈りを捧げる農夫ではなく、背景の夕焼けの色彩に強烈に心が揺さぶれた。変な話、なぜか泣きそうになる感覚に襲われて焦る。

一枚の絵からそんな気分にさせられたのは生まれて初めての経験。自分の感性がまだまだ腐ってないことを実感して、ちょっと喜ぶ。

ルーブルで一番見たかったのがラトゥールの作品。漆黒の闇のなか、ろうそくの灯りから生まれる光と陰を幽玄な趣で描いた作品で知られる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AB

ルーブルでは、ストロボを使わない写真撮影がOKだったので、「聖ヨゼフ」と「マグダラのマリア」のそれぞれの目に焦点を当てて撮影してみた。



モネの「睡蓮」の大型連作をわざわざ展示するために整備されたオランジェリー美術館には、パリ到着後、さっさと行きたかったのだが、今回、凝り性の私が企画したのは、「現場を見てから絵を見に行こう」というプラン。

すなわち、パリ郊外のジヴェルニーにあるモネの家と庭園をじっくり観察してから、そこにある池で生まれた「睡蓮」のシリーズを鑑賞しようと考えたわけだ。


滞在していたサンジェルマンデプレのホテル「Lutetia」の近くにフランス国鉄のチケット売場があったので、駅で悪戦苦闘することなくジヴェルニーへの切符を購入。


当日、朝っぱらから小一時間かけて特急で移動。着いた駅からモネの庭までは、シャトルバスが出ているのだが、長蛇の列に並ぶのがイヤで、駅前のカフェでレンタル自転車を借りてみた。

5、6キロの道のりなのだが、ボロいママチャリだったから、ものの数分で太ももが文句を言い出す。「ひとりツールドフランス」状態。それでも田舎ののどかな景色を眺めながら到着。


モネが愛した庭は日本庭園をイメージして作られたもの。肝心の睡蓮の花は咲いていなかったが、モネが描いた水面に映る光や樹木の陰を間近に感じることが出来た。

わざわざ現地を見たことで、その後のオランジェリーの大型連作やマルモッタンにたくさん展示されている単発の「睡蓮」を見る際に役だった気がする。



オランジェリーでは、わずかな間だが、睡蓮の部屋に私以外誰もいないというラッキーもあった。自然光で作品を見られるこの部屋に長く佇んでいると、外の天気の加減によって絵の雰囲気が微妙に変わる。なかなか興味深い体験だった。


この作品もモネの絵だが、やはり水面に映る陰や光のきらめきが印象的だ。写真で切り取るには不可能な印影の魔術のような表現にとても惹かれる。

前半で書いたラトゥールの光と陰の描写もそうだが、一瞬の光の反射というか、見る者の脳裏に焼き込まれた光彩をキャンバスに閉じこめる画家の眼に圧倒される思いだ。

なんか偉そうに書いているが、絵に興味を持ったのはつい最近のこと。アマノジャクな私だ。いつまで興味を維持できるか分かったものではない。

一応、大人だから文化的な教養も少しぐらい吸収しないといけない。なんとか、もっと絵の世界にのめり込めるようになりたい気持ちもある。

ただ、文化的だとか言っても、しょせんは宗教画にかこつけて女性の全裸ばかり描かれていたような事実もあるし、覗き窓風の構図で裸婦がたくさん描かれている作品をたくさん見てくると、「高邁なエロ道」を目指す私にとって、決してベクトルの違う世界だとも思えない。

裸婦画を徹底して研究して、ニタニタ論評できるような次元にたどり着いたら楽しいかもしれない。




今日は絵の話に終始してしまった。美術館めぐり以上に重要テーマだった「靴屋めぐり」については次回書いてみたい。

9足も買ってしまった・・・。破産が近い。

2011年7月15日金曜日

パリは燃えていたか

パリでは相変わらずドジだった。

カメラを入れたバッグをどこかに置き忘れ、悲嘆にくれていた二日目。
何と東京の自宅にわざわざ電話が入った。立ち寄った靴屋さんから、「カメラ忘れただろう、バカ」という実に親切な連絡。

翌日、法外な富豪級謝礼金を包んで回収にいったことは言うまでもない。

旅の終盤ではパリ中の美術館に並ばずに入れるフリーパスを無くした。わざわざ日本で高い金を払って入手したのにバカ丸出し。今後はもっと緊張して旅をしないとシャレにならない失態をしそうだ。

というわけで、旅行中は更新できない代わりに過去ネタの再掲載をしてきましたが、それも今日で終わり。来週水曜から通常に戻ります。


酒場との付き合い方
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/03/blog-post_14.html


大人の線引き
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/02/blog-post_08.html


セックスと背骨の話
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/04/blog-post_16.html


プチ愛国心
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/06/blog-post_30.html

2011年7月13日水曜日

またまたアーカイブ

今日も更新できないので、過去に掲載したテーマを改めて載せてみました。アーカイブなので小難しい話は避けてみました。


エスパーな私
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/02/blog-post_25.html


中年こそ純情か
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/02/blog-post_06.html

2011年7月11日月曜日

アーカイブです。

パリは快適な気候です。毎日5〜6時間は歩き回っているのでダイエット効果に期待しているところ。
絵画には見向きもしなかった若い頃が嘘のように絵を見て涙ぐみそうな経験をして我ながら驚く。

モネの睡蓮を生んだ郊外の庭を見にいった際には、シャトルバスに行列ができていたので、
レンタサイクルで移動。足がバテバテ。慣れないことはするものではないと痛感。

たいした内容がないので、過去にご好評いただいた分を再掲載します。


神楽坂の寿司とおばけ
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2007/11/blog-post.html


愛すべき偽装
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2007/12/blog-post_04.html


ナイフとフォークとバニーガール
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/01/blog-post_15.html

2011年7月8日金曜日

散歩

実は今フランスに来ています。目的は散歩。正確にいえば、靴屋めぐりと印象派絵画を見るための美術館めぐり。

旅先でブログを更新するほどネット操作に強くないので、今日の分は出発前に書いている。

元々は3月に予定したものの、震災の影響で中止し、仕切り直した。イタリアとフランスに行くはずが、いろいろあってパリだけに滞在するアッサリした旅になった。

日本航空の無料航空券が取れたので大助かりだが、出発2週間を切ったぐらいから空席を出し始めるので、結構直前まで微調整が必要だった。

ということで、来週いっぱいは過去に好評だったヌルーい話しを再掲載しようかと思います。

いずれにしても、散財に気をつけようっと。

というわけで、今日も今週初めに当ブログの過去掲載分を一部、アーカイブで紹介したのに味をしめ、評判の良かったネタをいくつか再録してみます。


デブの運命
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/06/blog-post_26.html


渋谷 15の酒 毛髪
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/05/15.html


草食系でいいのか(ちょっと真面目な内容です)
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/06/blog-post_22.html

2011年7月6日水曜日

カニとかエビとか

何年か前にカニをやたらと食べ続けたことがある。もともと大好きなのだが、ダイエットのためにカニ様に依存した。

実際のところは知らないが、カニの身はほとんど水分だから、カロリー的にはすこぶる優等生のはずだ。


ダイエットといえば、馬とかウサギみたいにマズい野菜を食べて耐えるイメージがあるが、それでは心も寂しくなる。だから、ダイエットなのに贅沢気分が味わえるカニばかり食べていたわけだ。

今でもカニはしょっちゅう食べたいランキング上位なのだが、甲殻類アレルギーの恐い話を聞いて以来、闇雲に食べないように意識するようになった。

サンフランシスコ駐在になったカニ好きな人が、フィッシャーマンズワーフで連日カニを頬ばり続けていたら、重度のアレルギー症状が出て、二度とカニを堪能できなくなったという話だ。

花粉症と同じようで、甲殻類アレルギーもその人の許容量を超えるとコップから水があふれるように発症するそうだ。

そんな話を聞いて、なるべくカニを控えるようになってしまった。チキン男みたいで情けない。

でも随分と「カニ節制」に励んでいるわけだから、この夏あたりは北海道に行って噴火湾産の毛ガニを吐くほど食べようかと思っている。

エビも好きだ。エビの場合はナマでじゅるじゅる食べるのが一番うまいと思う。毛ガニもズワイもタラバもナマで食べたことはあるが、カニ様はやはり火が入ったほうがウマ味が増幅する。

一方のエビ、それも伊勢エビのような大型ではない種類であれば、やはりナマのほうがウマいと思う。


この写真は、いつもお世話になっている高田馬場の鮨源で撮影。左からオニエビ、大ぶりの甘エビ、ブドウエビ、ボタンエビだ。これ以外にもシマエビもナマでよく見かける。東京のお寿司屋さんの中でも貴重な品揃えだと思う。

東京の寿司ネタの王道である茹でエビに使われる車エビもここでは、生きているエビ様が常駐。頼めば、目の前で活け茹でにしてくれる。

AKB48をもじって「エービー48」。バカな私がいつも注文する言い回しだ。生きた車エビを48秒茹でてくれという意味だ。茹で時間1分未満だと、少しレアな感じが残り官能的な甘味が引き立つ。まだホクホク状態でパクッと食らいつくと、あまりのウマさに素直にエビ様の成仏を祈りたくなる。

エービー48以外には、やはりナマだ。ナマはどうしたって気持ちがいい。いや、美味しい。


このオニエビ、いろいろなエビを食べてきたつもりだった私にとっても初体験。確かにオニみたいな面構えだ。コイツが生きたまま突進してきたら恐い。

で、刺身で食べてみた。見た目通り、ボタンエビのようなアマーい味わいだが、他のエビよりもどことなく優しい味。インパクトが強すぎないというか、甲殻類特有の軽いエグ味のような要素は感じられない。見た目と違って上品な甘味。

やはり、鎧兜みたいな殻で身を守っているヤツは、自分が美味であることを自覚しているのだろう。

カニ様、エビ様に共通している話だが、あんなに屈強な衣をまとっているのは「オレって喰われたらウマいからさあ、身を守っているわけさ」という意味だろう。絶対そうだ。

カニなんか強力なハサミまで持っていやがる。「オレってウマいんだぞ」とわざわざアピールしているようなものだ。

というわけで、エビ様、カニ様を好む私なのだが、本業の?水中写真家としては随分、エビカニ系のイヤな話も聞いてきた。雑食性というか、海の掃除屋としての側面だ。

海難事故で水死体の捜索にあたるダイバーの間でもよく知られた話ではあるが、あまり具体的な話は割愛しよう。

話を戻す。考えてみれば、見た目がグロテスクだったり滑稽なヤツほどウマいことが多い。

ヒラメとかオコゼとかアンコウとかフグなんかもそうだ。美しい熱帯魚はだいたい喰えたものではない。容姿非端麗のほうが美味しいという理屈はかなり信ぴょう性がありそうだ。

もっとも、そんな理屈だとカメとかワニとかアルマジロまでウマいという事態になってしまう。やっぱり偶然だろうか。ワニは一度食べたが鶏肉みたいで悪くはなかった。

よく分からない話になってきてしまった。

なんだかんだ言って、いくら「ウマいよ~」と言われても、あんまりグロテスクなのはどうかと思う。とくに人間の女性だったらなおさらだ。

やはり食べさせていただくのなら美しいほうがいい。

結局そういうオチになる私だ。

2011年7月4日月曜日

アーカイブ

NHKで変な時間に放送しているアーカイブものが結構好きだ。昔の番組を再放送するだけなのだが、ドキュメントとか、ルポものだったりすると、20年前、30年前の時代の感覚が生々しく伝わってくる。

古い新聞や古い雑誌もパラパラめくるのも面白い。雑誌の記事表現なんて、規制だらけの今では考えられないぐらい乱暴だし、それがまた迫力につながっている。

先日、会社の近くにある古本屋で昭和50年代のポパイとかホットドックプレスを見つけてオトナ買いをしてしまった。あの頃のトンチンカンなファッション解説とかノー天気な若者向けの記事を面白く読んだ。

今まで見てきた古い時代の新聞で印象的だったのは、昭和20年8月終戦直前の朝日新聞の記事。「広島に新型爆弾」という記事の内容がひどくて戦慄を覚えた記憶がある。

原爆という言葉もなかったわけだが、被害は甚大と報じているものの、随所に「大したことないぞ、まだまだ平気だ」的な表現が見受けられた。

おまけに軍上層部のコメントでは、新型爆弾対策として、長袖、長ズボンを着用していれば大丈夫だとか、室内にいれば問題ないといった実に非科学的な話が掲載されていた。

時代の空気がそのまま伝わって、ゾッとした。

わが社も専門新聞を発行して60年以上になる。昔の記事を眺めていると結構勉強になることが多い。無理やり新しいニュースを探すより、昔の問題のその後を取材したほうが余程読み応えのある記事が掲載できることもある。

昔といっても、昭和20年代、30年代ぐらいになると、さすがに現在に活かせるネタは見つからないが、それなりに時代の空気が読み取れて面白い。

「私が大蔵大臣だったら」というベタなタイトルで有名人に国の財政政策のアイディアを語らせる企画もあった。

それこそ石原裕次郎とか小林旭、野球界では長島や金田といった当時のスター達を取材している。

当時の記者の書きぶりもまた時代感たっぷり。ベランメエ調の語りが特徴のスターが登場する回では、「そんなクダラネエこと聞くなよ」とか、記事の書き出しからユル~い感じ。のんびりした時代だったんだろう。

さてさて、今日の本題に入る。

まだほんの数年だが、このブログも結構な履歴が残ってきた。たまに読み返すと、その時の心理状態を思い出す。

政治経済問題なんかにも、なかなかご立派な?主張をしていて我ながら自分のマジメな人間性に目を見張る。

という冗談はさておく。

自画自賛でお恥ずかしいのだが、結構面白く書けているバックナンバーに自分自身でうなずいたりすることがある。

いま同じことを書こうと思っても書けそうにないものもある。文章の不思議なところだ。

その昔、引っ越し作業をしていたら、随分前に書いた恋文の下書きが出てきたことがあった。情熱って凄いもので、恥ずかしい内容なのだが、特別な心理状態にならないと出てこないような表現が随所にあって感心した覚えがある。

つくづく当時のほとばしるようなエネルギーが懐かしい。

本当の文章力がある人は別として、普通の人の文章なんて気分で大きく変わる。安定的に情感に富んだ文章をスラスラ書けるような人間になりたいが、なかなか難しい。

というか、このブログのようにオチャラケ中心では、そんな高尚な願いを抱くこと自体が無理というものだろう。

ついでに過去に掲載した中から、自分でチョット面白く感じた内容を3つ紹介します。

ちゃんとしたお堅いテーマも取り上げてきたのだが、わざわざピックアップするわけだから不真面目なものを選んでみた。

我ながら、下世話な題材をどうしてそこまで熱く語りたがるのか、自分の脳みそが少しだけ心配だ。



挿入と白衣

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2008/07/blog-post_16.html



エロを考える

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2010/01/blog-post_20.html


ベルルスコーニになりたい

http://fugoh-kisya.blogspot.com/2009/06/blog-post_05.html

2011年7月1日金曜日

アナログおやじ

年甲斐もなく、なんとかデジタル時代に取り残されないように悪戦苦闘している。そうはいっても、無理なものは無理みたいで何かと危なっかしくてしょうがない。

つい先日もメール誤送信というトンデモない大失敗をしでかした。仕事上のメールではなかったのだが、一歩間違えば大騒動だ。人生でも3本の指に入るぐらい恥ずかしい思いをした。自己嫌悪ブリブリだ。

詳細は都合により割愛する。。。

最近、facebookをいじっているのだが、ああだのこうだの書いた内容が「すべてのユーザーから閲覧可能」状態になっていたことに気付いた。さすがにビビッた。

「友達」という機能があるわけだから、その範囲に限って公開されているとばかり思っていた。ちゃんとチェックしないとまずい。

自分の行動に一切後ろめたいことはないのだが、少なくとも身内が読んだら「オイオイ!」みたいな内容も無くはない。

忙しくて大変でパンパンだ、とか言いながら、なんで仕事をさぼって美術館で絵を見ているのか等々。デジタル的履歴日時表示の前ではゴマしようがないじゃないかコノヤロー!って感じだ。

実に危険だ。実に脇が甘い。馴れないことはするものではない。

そうはいいながら、facebookは思っていた以上に楽しい部分もある。何年か前に友人に招き入れてもらったのに今まで活用しなかったことが悔やまれる。

まだまだ使い方がよく分からないのが問題だが、古い友人などが次々に見つかる。懐かしい人を発見して嬉しくなる。

この年代でそう感じるのだから、若い世代の人は色々な使い方が出来ているのだろう。災害時のインフラとしてツイッターが活躍したみたいだが、この手の情報ツールは最低限経験しておいたほうが何かと便利なんだろう。


話が変わる。先日、「頑張ろうデジタル対応・オレ編」の一環でついにスマートフォンを入手した。iphoneは電話が切れやすいという評判なので、ドコモの最新型を予約の上、発売当日にさっそく機種交換してきた。

お恥ずかしい話だが、その後3時間いじってみて、のこのこドコモショップに舞い戻って、「元の機種に戻してくれ!」と叫んできた。

わすか3時間で「卒業」だ。われながら潔い決断?に感心する。というか、闘いを前に敵前逃亡したみたいでチョット情けない。

スマートフォン、大したやつだとは思ったが、私としては「こいつは電話ではない」が結論。当たり前と言えば当たり前なのだが、あれは純粋にタッチデバイスとやらだ。

「携帯電話を新しくしよう」と思っていた私にとっては、「電話じゃない」という事実はサギにあったようなものだ。

たった3時間で機種を元に戻しに行った時、ドコモショップの店員に「これ電話じゃないからいらない」とその理由を語ってしまった。実に情けない言い分だ。世の中について行けていないオッサン丸出しである。

ついでにいえば、ドコモのアンドロイドは、G-mailのお節介機能がブリブリ働いているため、履歴というかプライバシーの部分がなんともハイリスクな点も気になった。

ロックをかけておくのもわざとらしいし、脇の甘い私にとっては「悪魔の機械」みたいな印象が強かった。やはりITの進化はボケッとしている私の平穏をかき乱すから困ったものだ。

通話やメール送受信の履歴が表示されずに、勝手にお節介な編集機能が働かない便利な?携帯は売ってないのだろうか。まあ、そんなものをわざわざ買おうという発想自体が怪しいから、成り立つはずもないか。

インターネット、Eメール、ケータイ、パソコン、カーナビ、GPS、おサイフケータイ、パスモ、電波時計、音楽配信、ちょっと思いついたものを羅列してみた。すべて20年前は無かったり身近ではなかった。

懐古趣味が強いわけではないが、最近の便利さと昔のアナログ型の情緒を比べると妙な感慨も覚える。良い悪いではなく、気付かぬうちに変わっていく「時代」という得体の知れない魔物が妙に恐い。

ちょっと大げさになってしまった。

河島英五の「時代遅れ」という名曲がある。あの歌が世に出た頃は時代遅れであること自体に男の美学が潜んでいた。今の時代、そんな悠長なことを言っていると痛い目に遭うから困りものだ。

まあ、先端技術に翻弄されているうちが花だろう。あと10年も経てばチンプンカンプンになって翻弄すらされなくなるかもしれない。

夜更けの部屋で一人、ちびちびと寝酒を楽しみながら、一通のメールを心待ちに胸を焦がすなんて楽しみは今の時代ならではだろう。

そういう時に限ってクレジットカード会社から「ご利用金額のお知らせ」メールが飛び込んでくるから切ない。

そんなものだ。