2011年1月31日月曜日

実は大ごと「相続税」

今日は少しマジメな話。仕事関係の知り合いと話をすると、最近は相続税が話題にのぼることが多い。今国会で成立予定の税制改正案では相続税がガツンと増税されたが、その影響度が意外に大きいという話だ。

表面的には基礎控除が3割引下げられたことがポイントで、一般紙などのメディア報道も深い部分までは掘り下げていない。

基礎控除の引下げだけでは、確かに大きな影響がないという見方も出来るが、実際には細かい優遇規程がアレコレと厳しく見直されたため、思いがけずに相続税の洗礼を受ける人が激増することは確実だ。

都内に豪邸とは言えないまでも、そこそこの自宅を構え、お年寄りの平均的な貯蓄があるぐらいで充分にターゲットになる。

このぐらいの階層の人だと、まさか自分には相続税はかからないだろうという先入観があるため、今回の大増税に関心が薄い。制度改正後、実際に資産家とはほど遠い人にも続々と相続税がかかる実態が明らかになって始めて慌てる人が増えそうだ。

そこそこの自宅については、「小規模宅地の評価減」という制度によって、大幅に資産価値を割り引いてくれるのが通例だ。

更地なら8千万円で評価される土地でも、居住用に使っていれば評価額を80%オフの1600万円の価値にみなしてくれるといった仕組みだ。

世の中の多くの人が同制度によって相続税の対象から外れていたのがこれまでの現実だが、今後は同特例の適用条件がグッと厳しくなる。

詳細は省くが、やれ息子が独立して自分の家を持っていたらダメだとか、息子と生計を一つにしていなければイカンだとか、随分と細かい制限がついた。8割引だったものが“定価”になっちゃったら、ものすごく遺産額がふくれあがる。この辺は一般メディアの報道からは気付かれないことが多い。

生命保険の保険金についても相続人一人につき無条件で500万円までは非課税枠があったが、これにも制限がついた。

基礎控除見直し以外の「枝葉」のような特例や優遇措置のシバリが広範囲に及んでいるため、トータルでは大増税と表現できる。にもかかわらず、世の中の危機感はまだまだ盛り上がっていないわけだから、政策立案当局である財務省としてはしてやったりといった感じかも知れない。

もともと自民党政権時代から、総論では「相続税がかかる人が少なすぎる。もっとターゲットを広めよう」という方向性は固まっており、民主党も野党・自民党が反対しない増税策である以上、この総論を躊躇無く引き継いだ。

こういう政治の流れがある以上、そりゃあ財務省はやりやすい。富裕層と呼べないような階層の人からも相続税をしっかり吸い上げる改正案を作って、スムーズに法案化にこぎ着けたわけだ。

官僚制社会主義と呼ばれるわが国の古い体質が、左寄りの民主党政権と混ざり合って今回の「小金持ちイジメ」につながった格好だ。

ひっそりドカンと相続税が大増税になることで、今後、どっと啓発本、解説本なんかが世の中に溢れるはずだ。ただ、ここまで書いてきた通り、専門家以外の人にはイマイチ実感が湧かない現実がある以上、一気に一大ムーブメントになっていくとも思えない。

税務関係のメディアを経営する立場としては、一連の流れで商売的に潤ってくれればいいのだが、そんなこんなでそうなりそうにないことが面白くない。

いやいや、そんな悲観せずに前向きにあれこれ考えないといけない。

2011年1月28日金曜日

着衣とエロス


今日の最初の画像、タイトルを付けるなら「オッパイと私」だ。右側が銀座で調子よくウダウダ語っている私。隣のホステスさんから「こいつアホかいな」という視線を向けられている。

正直、こういうオッパイは隣に座られるより目の前に位置してもらったほうが有難い。そのほうが私の視線はさりげなくオッパイを捉えることが出来る。

この手の服はどこで売っているのだろう。私もゼヒ売り子になって試着とかを手伝いたいものだ。

銀座の女性陣は、客が求める非日常感を演出するため、みなさん画期的な衣装を身にまとう。いつもジロジロ眺め回したと思うのだが、さすがに凝視はできない。今度、ハマショーばりの真っ黒いサングラスを持参して定点観察に励もうと思う。

それにしても、女性のうなじとか背中ってどうして男心をそそるのだろうか。胸とかお尻とかに目が向くのは不思議ではないが、うなじや背中に目が行くのには、遺伝子情報とかの深遠かつ神秘に満ちた理由があるのだろう。




かといって、実際には素敵な女性と「すんばらしく有難く嬉しくハッスルする場面」を迎えたとしても、背中とかうなじに執拗に執着するような男はいない。これがまた不思議だ。

身にまとっているものがあるからこそ、大注目対象になるのが、「背中うなじ連合」なんだろう。着衣のエロスとでも言おうか。服があるからこそ好奇心が湧くのかもしれない。

週刊誌の変なグラビアが一部で熱狂的支持があるのは有名な話。シチュエーション、衣装ごとに着衣の女性の一部分だけが合成でヌードになっているパターン。妄想ヌードとか、透視ヌードとかいうアレだ。

その手のグラビアが掲載されている号は発売部数が伸びるらしい。“着衣と好奇心、覗き見趣味”的な要素は、やはり、そのものズバリよりも世の男達を奮い立たせる証しだ。


女性陣の和服姿も独特な雰囲気があって素敵だ。色っぽくセクシーな衣装と比べると間違いなく、堂々と凝視できる。凝視したところで何も分からないのだが、オッパイがドカーンととんがっているような服の人といるよりも落ち着いてご一緒できる。

上の画像は、和装の綺麗どころ2名と食事をした某日のヒトコマ。こうなるとこっちも和服を着たくなるが、ヘタに和服を着たら特殊団体の関係者に見られてしまうからそうもいかない。

よくよく考えれば、伝統的装束を普通に着て歩けない風潮は不自然だ。国会議員のグループが正月の本会議場に和装で登院する慣例があるが、1月以外にもそうした運動を実践してもらいたいものだ。

今日はどうも話があちこちに飛んでしまう。

なんだかんだ言って、着ているものが作り出す空気ってかなり大きい。私の場合、デニム姿の女性にはまったく色気を感じないし、ローライズから覗く“見せパン”とやらもちっとも有難くない。かえって嫌悪感を覚える。

コンサバ指向?の私だ。女性にはとにかく女性っぽい格好をしていて欲しい。だからデニムは苦手だ。いまどきの森ガール的な格好も、ある意味女っぽいのだろうが、ああいう色気に欠けるのも好きではない。

ローライズにウホウホ喜ぶオジサンは多いが、あれもどうだろう。下着なんてものは、当人が見せるつもりがないから、こっちも見たくなる。隠されているからこそ偶然見えちゃうとグッとくる。それが正しいと思う。

なんかウダウダと書き殴ってしまった。うなじや背中がどうだとか、和装がどうした、デニムがどうだとか書き連ねたが、なんだかんだ言って下のような光景を目にすると、ただただヨダレ太郎になっている私だ。

2011年1月26日水曜日

オールドパー セックス ダウン症

このブログを始めてから早いもので3年数ヶ月が経った。いまだにブログの管理画面の見方がイマイチ分からないのだが、それでも日々のアクセス数やコンテンツごとの閲覧回数などが分析できる。

平均滞在時間とか、どんなキーワードでたどり着いてもらったかなども分かる仕組みになっている。


検索キーワードの多い順にデータを見ると、なぜかかなり前からトップに君臨するのは「オールドパー」だ。2008年3月にアレコレと私自身のオールパーにまつわるエピソードを書いたのだが、いまだに多くの人に読まれている。なぜだろう。

それ以外にも2008年4月に書いた「セックスと背骨の話」もいまだにアクセスが多い。色っぽい話を書いたつもりはないのだが、「腰痛とセックス」は世の中の重大テーマなんだろう。かくいう私はこのところ腰痛から解放されてグッドコンディション?だ。

オールドパーと腰痛セックスと同じぐらいアクセスが多いのが「ダウン症」の関連だ。

私自身、ダウン症の子を持つ親になった時にネット上で情報を探すなか、随分多くの関連ブログを読ませてもらった。

苦悩していた時に勇気をもらったり、共感したり、知らなかったことを教わったりと役立たせてもらった。

最近はすっかりそうしたブログにお邪魔する機会が無くなってしまったが、特殊な環境に突然入り込んでしまった人にとっては、実体験を持つ人の生の声は非常に貴重だ。

私の場合、このブログは日々の富豪ぶった?雑感が中心で、ダウン症のことを書く頻度は少ない。せっかくダウン症に関して何かしらの情報を得ようと訪ねてくれた人がいても、日々、ウナギの画像だったり、ヒレ酒の画像ばかりで申し訳ない気持ちもチョットある。

とはいえ、ダウン症の育児に励みつつ、靴ばっかり買ったり、酔っぱらいながら食通ぶったり、色恋に励もうとする日々を過ごしているのもまた事実なので、それはそれでご容赦願いたいものです。

ということで、わが家のダウンちゃんの近況を少し書こうと思う。

4歳を迎えて随分と言語への意識が強まってきた。といっても相変わらず宇宙人のような発音はまだまだ直らず、最近割と明瞭に言えたのは「アンバーブ」だ。

アンバーブ、すなわちハンバーグだ。誉められたので得意になってしょっちゅう発声している。

いま、わが家で重要課題にしているのが「誉める」という部分。ダウン症の子どもであろうとキチンとしたしつけは大事なので、ここ半年ぐらい意識して厳しく接するような場面が多かった。

この考え自体は正しいと思うのだが、専門家にいろいろ相談するなかで、どうもピントが外れていたらしく、ただいま軌道修正中。

甘やかすわけではないのだが、体罰付きで厳しく仕込もうとすることが逆効果になるという指摘を複数いただいたので、いまは誉めてばかりの日々だ。

不思議なもので、路線変更、軌道修正してからヤツは妙に穏やかになってきた。たまに叱るとキョトンとするぐらい怒られることを忘れている。でも穏やかになることで、気のせいか物事の理解度が増したような気がする。

この路線を続けることでアイツがバージョンアップしてくれるなら万々歳だ。怒られて泣いている姉を一生懸命デナデしたり、家の前でよくすれ違う車椅子の障害者と親しくなったり、以前にも書いたが、諍いごとを見れば「お~わ~り~」と制止するような聖人君子ぶりをバリバリ発揮している。

日々、ご機嫌麗しく過ごす中で発達してくれればこっちも大助かりだ。

このところ、アイツの唯一?の才能である音感の良さも進化しているようで、ダンス系の踊りが激しく上達中だ。そのうち専門のダンス教室に入れる予定だが、身体を縦横無尽に動かすことは脳の発達にも必ず好影響があるようなので、もっとアップテンポの曲ばかり聴かせるようにしようと考えている。

そんな彼だが、現在、肺炎で入院中。重症ではないのだが、呼吸が苦しく酸素不足になりやすいとやらで病院のお世話になっている。

短期間で済むようなので個室に入れた。富豪記者ならぬ“富豪ダウン”を目指しているわけではないが、個室なら存分に踊っていられる。

そんなわけで、鬼嫁も付き添い入院だ。束の間の静かなわが家だ。10歳の娘が寝てしまえば、アダルトビデオも見放題だ。

結論が少し切ない。

2011年1月24日月曜日

改造計画を総括する

昨年の秋頃から粛々と進めてきた「オッサン改造計画」。“シュっとした然るべき大人”になるべく、アレコレと模索してきたが、そろそろ打ち止めだ。ここらで総括しようと思う。

昨年12月15日付の当ブログで書いた「オーダーメイドのカシミアトレンチコート」だが、先日ようやく完成。

心配していたのは2箇所。膝より遙か下に設定した丈の長さ、ワインレッドのペイズリー柄の裏地、これが果たしてしっくりくるか気になっていたが、結果は上々。何も問題なし。気に入った。

多少ゴチャついた作りのトレンチをあえてカシミアで作ったことで、確かに生地の特質からすれば、ヨレやすいとかベルト部分が劣化しやすいことは想像できる。そういう意味では一生モノにはなりそうにない。

かといってそれなりに大事に扱えば軽く10年ぐらいはバリバリ活躍しそうだ。ついでに、余った生地で予備のベルトを作ってもらえることになった。よしよし。

今年1月7日付のブログで書いた「イギリス靴を本場から個人輸入してみる作戦」については、発注後10日ほどで無事商品到着。

関税対策のためだろうか、向こうの業者さんは「MEN’S WEAR」と大書して発送してくれたのだが、どう見ても靴が入っている箱にしか見えないし、箱を揺すってみれば、中味がバレバレだ。

ということで、高い関税対象である靴が輸入されたことが税関にしっかり把握され、しっかり課税されてしまった。たかだか1万5千円程度の靴に5千円程度の税金がかかってしまった。

まあ、日本の販売価格の3分の1ぐらいだったので、関税を考えてもお買い得ではある。今回はテストの意味で価格の安さだけで注文したのだが、やはり、ウェブ上の画像だけでは微妙な色合いやシルエットが確認しきれない。

次回は、ちゃんと靴のモデルや色を国内でしっかり確認して候補を絞りこんだ上で発注してみようと思う。日本の販売価格が高ければ高いほど割安感はある。10万円ぐらいする靴が4万円程度で買えるなら、再度挑戦しない手はない。

差し引き6万円の得だ。浮いた6万円は宝くじなら何十枚も買える。そうなったら2億円になるかも知れない。きっとそうなる。そうしよう。

どうしてこういう考え方になってしまうのだろう。こんなことだから常にピーピーしているのだろう。

オーダースーツも今シーズン用に3着も作ったし、既製のスーツも3着新調した。昨年10月29日付のブログで書いたオーダーワイシャツもすっかり気に入って結局、合計で8枚も作ってしまった。

こう書くとちょっと「富豪」っぽい。ここ4~5年は身に付けるものに無頓着だったわけだから、4~5年分をまとめて出費したと思ってあきらめることにした。

気持ち的にはあきらめがついても、肝心の出費は想像を超えてしまった。大散財だ。おかげで最近、新しい葉巻を買っていない。欲しい水中撮影機材も買えない。新しい徳利やぐい呑みも買っていない。いろいろな悪さに投下する予算も心許ない。

まあ、こっちとらあ一応江戸っ子なのでなんとかなるだろう。

さてさて、オッサン改造計画を実行してみて、さっそく嬉しく感じる場面もいくつか遭遇した。

料理屋の仲居さんに靴を誉められたとか、そんな程度の話なのだが、いそいそ靴磨きに励んでいる自分にとっては、そんなことも妙に嬉しい。

銀座の綺麗どころにも意外な誉め方をされた。男性客の後ろ姿を見る時に靴のカカトに目が行くそうで、そういう観点から私がせっせと磨いていたカカトを賞賛してもらった。

実にマニアックな喜びだが、結構本気で嬉しかったりする。だって「靴のカカト」だ。そんな場所を誉められるのは、男にとって大事な場所?を誉められるより会心の思いだ。

それにしても、あの方々は意外なところに眼を向けるんだなあと感心した。

これまた細かい話ではあるが、小料理屋のおかみさんからはスーツの袖ボタン周りをチェックされた。4つのボタンホールの一箇所だけ色違いの糸を使っていたのだが、そんな部分も見る人は見ている。

そう考えると、“シュットした然るべき大人”のように装うことは結構大事なことかも知れない。逆に言えば、テキトーな格好をしていれば、そのテキトーさはしっかり見抜かれてしまうわけだ。

大散財しながら学んだことは、そんな当たり前のことだが、その当たり前を身に染みて感じることが出来たから良しとしよう。

夏物シーズンの到来まではおとなしくしていよう。

そうはいっても、「磨き上げたいから靴を買う」という病気がまだ治まっていない。いつまで続くのだろう。

2011年1月21日金曜日

フグ・オールスターズ

冬だからフグだ。こればかりは季節感を味わいたい。

地域によっては、わざわざフグを「ふく」と称する。「福」に転じるという意味だが、「ふく刺し」だの「ふくちり」と言われてもピンとこない。

「ふく」と言い換えることは、裏返せば「フグ」だと「不具」に通じるのも一因。その昔、障害者を不具者と表現していたように、差別用語である「不具」では格好がつかないという理由だ。

少しばかりシャラクサイ。一応、障害児の父親である私だ。“不具”ぐらい悠然と丸呑みしてやる。

ということで、フグをたんまり食べてきた。
場所は神田にある老舗「その田」。中学、高校時代の同級生の店だ。中学時代は一緒に野球部で白球を追った男だ

集まったメンバーは、やはり中学高校時代からの旧友。それぞれが当時はさほど親しく交わっていなかったが、「ブロガーつながり」で定期的に会合を持つようになった。

週に一度、一人きりでボーリングに励む男、体温が33度しかない男、この歳になって今年初めて結婚する男、そして私。合計4人の宴だ。

こういう集まりだと仕事の話が一切出ないのがいい。ただひたすら、ヨタ話をしながらフグと向き合う。





フグ刺し様、白子様、焼きフグ様、唐揚げ様。どれもこれも美味。

フグ刺しは一人あたりご満悦な分量。飽きるぐらい食べられた。薬味やポン酢の質が高いのが老舗の矜持だろう。

醤油ベースのだしを塗り塗り焼かれた感じの焼きフグ様はプリプリジューシーで、旬のフグならではの歯応え。ムフフ状態。

唐揚げもそうだが、骨の周りの身をチューチューじゅるじゅるすすっていると刺身とは全然異なるウマ味が滲み出てくる。ニッポンのスペシャルスペアリブとでも言おうか。

一度、焼きフグと唐揚げだけで3人前ぐらい平らげてみたいと思う。今度マジメに相談してみよう。

そして何より白子様だ。タラの白子もウマいが、やはりフグの白子は独特の味わい。上質な絹を思わせる舌触り。絹を食ったことはないが、そんな感じだ。


フグ・オールスターズの競演に合わせるのは言うまでもなくヒレ酒だ。大ぶりのヒレからしみ出るウマ味、うっすら琥珀色に染まる熱々の燗酒。味覚機能を総動員してすするように味わう。

ヒレを替えつつ6杯ぐらいは軽く呑んだつもりだが、仲居さんには「たいして飲んでませんよ」と言われたので安心する。その割にはしこたま酔った。

その後は鍋。締めの雑炊をおかわりしてエビス顔で宴終了。少し移動してカラオケ大会。

この日集まった面々は、カラオケとなると妙に幅広いレパートリーを持つ。

「Gメン75」のエンディングテーマとか、タイガーマスクのエンディングテーマとか、マイケルジャクソンもフツーに熱唱する。単純に楽しい。

私も演歌をうなり、ハマショーを叫び、友人達の熱唱に合わせて騒ぐ。かなりの熱量消費だったはずだ。

平日なのに深夜1時半頃まで叫び続けた。果たして身体にいいのだろうか。きっと悪いはずだ。なぜか筋肉痛だ。


この画像は、今年結婚する(予定)男が選曲したアイドル歌謡だ。エレキ太郎でもある彼はこんな歌詞だろうとヘビメタ調でシャウトしていた。過分なストレスでも抱えているのだろう。

次に集まる時はどんな歌が聴けるのだろうか。興味深い。

2011年1月19日水曜日

グチ、ボヤキ

このところ、ひょんなことで裁判所とか法務局とかに出かけることが多い。現場の記者時代に取材で出かけていたのとは違い会社の諸雑務の一つとして“一利用者”として出かけている。

それにしても、裁判や調停、供託だとか、この国の諸制度のややこしさや段取りの複雑さは大したものだ。実に厄介。一般ピープルに諸制度を利用させないことが狙いという見方もあながち大げさではない。

そうはいいながら、一方でやたらと役人が親切なのにも驚く。ややこしく面倒くさい手続きについても、「相談」という名目でほとんどやってくれる。

昔の役人といえば、意味もなくエバっているイメージがあったが、いつのまにか中小企業など足元にも及ばぬ好待遇になったのと歩調を合わせるように妙に親切になった。

まあ、リストラも無縁、ドラスティックな配転や降格もなく、ボーナスだってきっちり保証される今時珍しい好待遇に浴しているわけだから、ニコニコ応対するのも当然だろう。

エラそうに応対していたらたちまち批判が集中する。その昔、それこそ「蛇蝎」のごとく嫌われていた税務職員ですら、今では、行政サービスの好感度上位の常連だ。

「火事だ」
「どこだ?」
「税務署だ」
「放っとけ」

昭和40年代頃はこんな小話が普通だったぐらい、税務署イコール憎っくき敵だったわけで、他の役所も似たりよったりだったはずだ。

いまや「お上」っぽさをふりかざそうものなら市民から袋だたきに遭うから、ソツなく親切行政に励んでいる。

その一方で、出直し市長選が話題になった鹿児島県阿久根市や名古屋市議会をめぐるゴタゴタを見ると役人根性の凄さを思い知らされる。

既得権益を守ろうとする時の役人の団結力やあふれ出る知恵は想像以上だ。坂の上の雲の秋山真之ではないが、まさに「知謀湧くが如く」といった感じだ。

あまりナナメから役人を論評するばかりでは気の毒だ。なんだかんだいっても、どこの世界でもそうだが、キチンとした公僕意識を矜持に精一杯努力している人がいっぱいいるのも間違いない。

逆に弁護士とかの専門士業の先生方のほうがタチの悪いヤカラが沢山いる。傲慢不遜なだけならともかく、その分野の専門家ズラをしながら、とんでもない思い違いをしでかしている御仁も存在する。

専門家ゆえにゴマカシかたも専門用語を駆使して巧妙だったりするから素人は煙に巻かれる。英語が話せないアメリカ人みたいなものだ。

悲しいことに人間誰しもバカだと思われたくないから、中途半端に知識を詰め込み、中途半端に専門家とやりとりをする。すると、その中途半端が足枷になって専門家にいいようにあしらわれてしまう。

こうなると専門家センセイの思うツボ。「そういうものなんです」、「それが当然です」という根拠なき押しつけが絶対化されてしまう。

そういう意味で貴重かつ最強なのは「無知の力」だろう。そこそこの知識、そこそこの法律的教養があれば、交渉の際に話の落としどころを考えるのが普通だ。

いわば「理屈対理屈」という次元であれば、ある意味話がつくのはたやすい。これが「理屈対感情」になると始末に負えない。

世の中の道理や常識、そして法律的解釈からみて「当たり前」のことが、感情だけで動いている無知な人にはまったく通用しない。

どう考えてもマトモな正論のはずが「感情だけが行動規範の無知な人」にかかると簡単にぶっ飛ばされる。

しまいには、正論を通そうとしたほうがギブアップすることも珍しくない。決して冷やかしや揶揄ではなく、“無知こそ最強”と思うことがある。

最近、そんな目に随分遭わされている。正直ヘトヘトだ。正論を筋道立てて主張しているこちら側がいつの間にか悪の権化みたいに扱われる。

世の中の不条理に苦悩している。今日はグチやボヤキばかり書き殴ってしまった。スイマセン。

2011年1月17日月曜日

ジャンク万歳

ガツン系の食べ物を最近摂取することが多い。冬の寒さに参っている身体が熱量豊富なものに吸い寄せられているみたいだ。

子どもと行ったマックで「ダブルチーズクォーターパウンダー」を食べて結構感激した。実に真っ当なジャンクフードだ。元気が出た。

ジャンクついでにエビ専門レストラン?の「ババガンプ」にも行った。映画「フォレストガンプ」から派生したテーマレストランだ。

この手の楽しげなレストランに行く機会はなかなか無い。仕事関係で行くことはないし、この歳になるとデートで使うような感じでもない。


味がどうこう言う以前に、子どもの頃に感じた「外食の楽しさ」が詰まっている感じだ。

子どもの頃、気取った感じの窮屈なレストランに連れて行かれるのは有難くなかったが、当時普及し始めたファミレスは素直にワクワクした。

食べ盛りが喜びそうなメニューがずらっと並んでいるし、好きなものだけが食べられる。変な大人向き惣菜を無理やり食べる必要もない。

「ババガンプ」に連れて行った娘はきっとそんな感じなんだろう。せっせとエビフライとか、フライドポテトとかスパゲッティを頬ばっている。


かく言う私も妙に楽しい。エビ料理盛り合わせみたいなプレートをつまみにスパークリングワインのボトルを抱えてグビグビ。やたらと甘いバーベキューリブをワシワシ食べる。

この手の店に男女5~6人で押しかけ、いろんな料理を大量に注文して酒を呑んだら楽しそうだ。そのうち企画してみよう。

別な日、もう少し高級路線のジャンクフードもガツガツ食べた。ホテルニューオータニにあるレストラン「トレーダーヴィックス」のハンバーガーだ。

ランチメニューの名物だ。ハンバーガーのくせに「3150円」というビックリ価格。マックの100円バーガーが30個以上買える。

以前このブログで「5千円のヤキソバ」を紹介したことがあるが、あれよりも価格の納得感はある。上等な肉質のハンバーグが200グラム以上使われている。食べ応え充分だ。
マックのハンバーガーを3つぐらい食べた満足感がある。

バカみたいな値段だと言えなくもないが、ホテルレストランというカテゴリーだ。ゆったりとしたランチのコストとして3千円は仕方がない。得体の知れない西洋料理に3千円払うなら、極上ハンバーガーで大満足したほうが嬉しい。

最近ハヤリのシュッとした日本蕎麦屋のなかには、ちょびっとしか盛っていない“せいろ”で1000円ぐらい取る店もある。満腹感のために、田舎蕎麦に鴨せいろあたりを注文すれば結局3千円ぐらいになる。それを思えば「3000円バーガー」は悪くない。

この高額ハンバーガーは店の名物でもあり、味付けやトッピングが異なる4~5種類から選べる。全部制覇したい。

考えてみれば、寿司だ刺身だ割烹料理だ、ダシがどうだの季節感がどうだのと、日頃エラそうに語ってしまう私だが、そもそもジャンクフードの大洗礼を受けてきた世代だ。

胃の調子が・・・、クドいものはちょっと・・とか言いながらDNAに刻まれているジャンクフード魂はいまだにふつふつとわき上がってくる。

幼稚園の頃に知ったマックの味、小学生の頃に知った「すかいらーく」の味、中学生の頃に出会ったモスバーガーやウェンディーズの衝撃も鮮明に覚えている。

高校生の頃はシェーキーズのピザ食べ放題に夢中になった。いまでもトライしたくなる。

死ぬまでに一度、1週間ぐらいずっとジャンクフードだけを満腹になるまで食べ続けてみたい。決して難しいチャレンジではないと思う。

朝食にフライドチキン山盛り、昼食に牛丼特盛り、おやつにピザ山盛り、そして夜はハンバーガー食べまくり、ついでに夜食にチャーシューワンタンメン。

実に素敵だ。

2011年1月14日金曜日

ゆれてる私

何年か前に本厄は過ぎたが、どうもその頃から確実に「加齢」を顕著に感じるようになった。

もともと厄年という概念は、統計上の指針みたいなもので、たいていの人がいろいろな点でヘバってくる年頃を指す。

前厄だの後厄とかも結局は、40過ぎたら身体にガタがくるから注意せよという教訓だろう。私自身も厄年前後は不思議なぐらい体調の変化を痛感した。

そんな時期も過ぎてしまうと、老人の身体に向かってユルユルとすべての機能が下降線をたどる。

30代後半ぐらいならちょっとした機能低下に慌てたり、驚いたり、嘆いたりするが、成熟したオジサンになるといちいち反応しなくなる。馴れというか順応力って結構便利だ。

最近つくづく酒が残る。二日酔いが重い。でも自分のそんな現実が普通のこと、すなわち標準になってきた。

食べる量も徐々に減ってきている。少し寂しい。近所の焼鳥屋のオヤジも「5年前のアンタはもっとドカ食いしていた」と嘆いていたから間違いない。身体には良いのだろうが複雑な気分だ。

ついでに言えば、「うたたね」をするようになった。電車で移動中の際など雑誌を読むつもりが、ついウトウトしてしまう。

若い頃、電車内で目撃した「疲れたオヤジがアホヅラで寝ている」という状況を自分自身で作り上げている。これはかなり悲しい。

オヤジ度の加速って本人の意識の持ち方に大きく影響するのだろう。若い頃に否定していたジジクサさを平気で受入れちゃうかどうかが分かれ道なんだと思う。

そう考えると今日の私はモモヒキみたいな肌着着用だ。こんなものは昔は考えられなかった。つま先に靴下用ホカロンも装着している。

こういうものを平気で愛用しているのはヤバいことかもしれない。

職場でのクシャミにも遠慮が無くなった。「ヘ~~クション!チクショー!」とか言っている。

昔はしょっちゅう鏡を見て身なりをチェックしていたが、随分と横着になってきた。最近では鼻毛が一本ぐらい顔を出していても赤面することもなくなった。

こんなことではダメだ。もっとシュっとしないと一気に老境に足を踏み入れてしまう。

まあ、なんだかんだ言って、年齢のことを四の五の書いていること自体がダメな証拠だ。自分の周りを見回してみても、年齢を感じさせない連中は、そもそも年齢の問題を話題にもしない。

若い時の感性のまま自然体でいられることが大事なんだろう。

ちなみに先日、深夜3時まで呑んだ。翌日が休みだったとはいえ結構若い行動だ。呑んだというかカラオケで騒いだわけだから、なおさら若者的行動だ。

同じ年のオヤジ3人で4時間半もカラオケボックスにこもって熱唱した。

この日は幼稚園から高校まで一緒だったメンバーが揃った。40年以上前から知っている関係というのは考えれば凄い話だ。

いやでもアッという間に昔の感覚に戻る。それこそ自然体で騒いでいると中学、高校時代のノリに近づいていく。

オヤジになってからオヤジとして知り合った人とはこういう弾け方は出来ない。やはり旧友は有難い。いとも簡単に昔の感覚に戻る。

一種のアンチエイジング効果だ。

カラオケのテーマは、一応「昭和シバリ」。20年以上前の曲限定だ。シバリといっても全然シバリにならない。

結局3人ともレパートリーの多くが昭和で止まっている。このあたりの現実は立派なオジサンだ。

カラオケに繰り出す前は韓国料理屋で呑んだ。この時は、あまりバクバク食べられなくなった現実にオヤジを痛感。

3人とも決して痩せてはいない。メタボ系だ。なのにドカ食いしなかったことは寂しい限りだ。でも、その後のカラオケでは延々と騒げたことで、まだまだ若さを実感。

翌日の午前中は重病人のようにダウンしていたので、結局最後には自分のオヤジ化を痛感した。

まだまだ若い。いやいやヨレヨレオヤジだ。この二つの葛藤で揺れている私だ。

そういえばあの晩、旧友が桜田淳子の「ゆれてる私」を熱唱していた。

私もキャンディーズを熱唱。もうひとりの友人は石野真子を熱唱していた。

まあ、そのあたりを選曲するあたりが「完成域に入った中年」の証しだ。

2011年1月12日水曜日

冬のウナギ

最近は靴の話ばっかり書いているから、今日は食べ物の話。

食べ物の季節感は大事だが、それにあまりとらわれすぎても面白くない。「季節外れのウマさ」にぶつかるとちょっとトクした気分になる。

わが家には夏に余らせておいた冷やし中華のタレがいくつもある。寒い冬とはいえ、二日酔いの時とか、胃がもたれている時には冷やし中華が嬉しい。

ラーメンの麺だけを茹でて水切り、そこに冷やし中華のタレを投入して簡単に出来上がる。同じ感覚で冬も割と頻繁にソーメンも食べる。夏だけの楽しみにするにはもったいないと思う。

夏は夏でクーラーで冷えた身体をおでん屋さんで癒すのも悪くない。生ビールとおでん、これまたいい組み合わせだ。

こんな話を書き始めたのは、先日食べたウマいウナギがきっかけだ。なんとなく「暑気払いグッズ」のような位置付けのウナギだが、冬こそウマイと痛感した。

シンシンと冷えるとある冬の夜、神田の外れにある「大江戸」に出かけた。名高いウナギ専門店はいくつもあるが、ウナギ以外の酒肴が置いていない店が苦手な私だ。その点、この店はツマミが結構充実。風情もしっぽりしていて穴場だと思う。


日本酒の品揃えも豊富だ。官能的不健康中年親父ノックアウト珍味も揃っている。

まずはタラコの煮物だ。マズいはずがない。どう考えても日本酒だ。熱々のお燗だ。煮付けられたタラコが口の中でパラパラとほぐれていく。燗酒のふくよかな味わいがその余韻に追い打ちをかける。ウヒョヒョ。


つづいて、アンキモだ。このアンキモがまたニクい。ウナギ専門店だけにちょっと変わった味付け。「山椒煮」だ。甘めの味付けに山椒独特の風味がプラスされて、これまたオヒョヒョヒョだ。

この手の珍味と熱燗の競演を楽しむためなら、冬の寒さも大歓迎だ。つくづく熱燗のある国に生まれた幸運を神に感謝したくなった。


ウナギ屋のツマミといえば横綱的存在が白焼きだ。わさび醤油でちょろちょろ食べる白焼きのウマさは、ウナギの白焼きがある国に生まれた幸運を神に感謝したくなる味だ。

ウナギの白焼きには燗酒より冷酒だ。さっそく十四代とか磯自慢とかの冷酒をグビグビ呑みながらムハムハと楽しむ。

そしてすっかり酔った頃に鰻重さまの登場だ。

この日は何段階も用意されている鰻重の中で「極上」を選んでみた。生きているウナギを注文後にさばくので小1時間は待つ必要があるのだが、ツマミを楽しみながら酒をグビグビしていたわけだから、ちっとも待つ感じはしない。


極上というお名前だ。そのせいか大きさも文句なしだ。お重に収まりきれない尾っぽのほうは折りたたんである。この見た目の演出?がまた嬉しい。

タレも甘すぎず、ウナギ自体のふっくら加減もバッチリ。変なクドさもない。酔っぱらいながら上機嫌で頬ばる。嬉しくて無言になる。

鰻重がある国に生まれた幸運を神に感謝した。

こんなことを書いているだけで、あの香りが脳の中に甦ってきた。また行きたい。ウナギバンザイ。

いろいろな方面に元気を与えてくれるウナギ様だ。だんだん下降線をたどっている私にとって救世主でもある。

ウナギが生息する星に生まれた幸運を神に感謝しないといけない。

2011年1月7日金曜日

セールに行ってみた

デパートの正月商戦に景気回復の兆しが見えるらしい。どこも対前年比プラスの結果になったらしく、巷で言われている「不況は終わり」が現実になりそうな気配だ。

とかく不況だ好況だという流れは、中小企業が実感するには相当なタイムラグがある。わが社の状況も相変わらず厳しい。底は打ったという見方も出来なくはないが、ここ数年のツケが重い。今年もしんどい1年になりそうだ。

とかいいながら、正月のデパートに行ってみた。10数年ぶりだろうか。正月早々セール目的にいそいそ出かける格好悪さがイヤでこれまで縁がなかった。

今年、格好悪い世界に仲間入りしたのは「靴」のせいだ。年末年始のヒマにまかせて靴磨きばっかりしていたら、磨く靴が無くなった。新しい靴を発掘しにセールの実情研究に精を出してきた。

デパート以外にも銀座あたりの路面店も調査してきた。写真でしか見たことの無かったフランス製芸術靴とかを手にとってウホウホした。

デパートのセールでは普段は10万円ぐらいの値札が付いた靴が5~6万円程度で売っている。なかなか魅惑的だ。でも5~6万だ。ポンポン買う気にはならない。

それにしてもあの手の高級靴売場に正月早々買い物に来ている人の雰囲気って独特だ。“モードオヤジ”とでも言おうか。絶対に「レオン」とかを欠かさず愛読していそうな身なりのオジサンがいっぱいいた。

そういいながら、そんな中に混ざってしまった私だ。人様のことをアレコレ言えたものではない。

紳士モノの殿堂といえば新宿・伊勢丹だが、あそこの高級靴セールはさすがに見ごたえのある靴のオンパレードだった。

「ジョンロブ」だけは対象外らしく仕舞い込んであったようだが、それ以外の名だたる靴が無造作にゴロゴロと並んでいる。ちょっと興奮した。

ポコポコ買いたくなる衝動を止められずにいくつも試し履きをした。気に入った靴はサイズが無く、幸運なことに何も買わずに終了。

実は大卒初任給ほどの価格の某ショートブーツが欲しくてしょうがない衝動と現在格闘中なので、チョロチョロ衝動買いをしているわけにはいかない。

思えば、わずかな期間で靴キチガイになってしまったものだ。このへんが典型的なB型気質なんだろうか。

デパートでも「これが7万円になってるなら悪くないねえ」とか偉そうなことを店員さんと語っている。ちょっと前まで安靴で大満足していたのに変だ。一種病的だ。

今は亡き開高健が「知らない悲しみ」と「知ってしまった悲しみ」の話をよくしていたそうだ。

たとえば、あり得ないぐらいウマいカニを食べてしまったら、またそれが食べたくなる。それこそ「知ってしまった悲しみ」だ。

もちろん、それを知らずに一生を終えることが喜ばしいともいえない。それはそれで「知らない悲しみ」だ。

どんなジャンルだってそうだろう。食べ物、飲み物、クルマ選びから旅の楽しみ方、はたまた変態プレイ?に至るまで、すべてにおいて成立する話だ。

世の中の飛行機にエコノミークラスしか存在せず、それしか知らなければ、アフリカにだって喜んで行く。でも中途半端にアッパークラスの快適さを知ってしまうと、とてつもなく費用が高くなるから、結局行くこと自体をやめてしまう。行かれなければ結局「悲しみ」だ。

鬼みたいな風貌で性格が悪魔みたいな女性でも、世の中に他に女性がいなければ、きっとその人と仲むつまじく暮らしていくのだろう。それも「悲しみ」だ。

なんか例え話がどんどん怪しくなりそうなので軌道修正。

考えてみれば、葉巻はいつも海外の安売り業者からウン万単位で個人輸入している私だ。靴だって同じだろう。

と、いうことで靴の個人輸入サイトを調査し始めた。調査し始めたというか、さっき初めて利用するイギリスのサイトで実験を兼ねて注文してみた。

日本で5~6万円ぐらいの靴が130ユーロだ。そのぐらいの値段なら授業料としては悪くない。果たしてトラブル無く迅速に届くかどうか注目だ。

いろいろ調査中だが、ジョンロブとかエドワードグリーンとか、タニノクリスチーあたりの直販サイトは見つからない。代理店網がキチンと管理されているのだろうか。誰かオススメ情報があったらゼヒ教えてください。

何だかんだ言って、個人輸入も楽しそうだが、試し履きが出来ないリスクは葉巻の個人輸入とは事情が違う。困ったものだ。

結局、今年はロンドンかミラノに靴の買付け旅行に行くような気がする。物欲って恐い・・・。

2011年1月5日水曜日

男の賞味期限

今年もよろしくお願いいたします。

正月休みは珍しくまったく予定がなかった。実家に行ったことと家族サービスぐらいだ。
マイブームの靴磨きも、さすがに磨く靴がもうない。また買わないといけない。

12月中に行くはずだった函館海鮮珍味温泉旅行は体調を崩して中止した。なんとか1月中に行きたいが、もう少し待って2月頃に流氷見学海鮮熱燗温泉旅行にしようか、はたまたフィリピンあたりの近場の海に撮影旅行に行こうか、あれこれ思案中だ。

1泊程度だろうが、1週間以上だろうが、旅行の楽しみは企画段階にある。ああだのこうだの考えている間が一番楽しい。

その昔、20年近く前になるが、カリブ海・グランドケイマンに一人で出かけた際、初めてのカリブの海に興奮して出発前にやたらと下調べをして現地の詳細情報がすっかり頭に入ってしまったことがある。

あの時の旅行前の楽しさは今でも鮮明に思い出す。はるばる現地に到着した時には空港の施設の様子まで頭に入っていた。空港でレンタカーを借りて、地図すら見ないで迷わずにホテルまでドライブできた。

到着してすぐにホテルのバーでラムベースのカクテルをグビグビ、長旅の疲れと馴れない酒と変な興奮で酔っぱらって嘔吐小僧になったことを思い出す。

ああいう勢いというかパワーはすっかり無くなってしまった今の自分が少し寂しい。

一人気ままな旅もいいが、今年は隠密しっぽりお忍び旅行を計画してみたいものだ。男としての消費期限はまだまだ残っているはずだが、男としての賞味期限はそう遠くないうちに切れてしまいそうだし、頑張らないといけない。

ということで、今日はネタがないので、わが社の新聞の新年号に書いたコラムを載せてお茶を濁すことにする。


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新しい年の干支は兎。ご存じの通り兎の数え方は1匹、2匹ではなく1羽、2羽。獣肉を食べる習慣がない時代の名残りが理由だ。ある意味わきまえのための言い換えだろう

老婆を老女、後進国を発展途上国と表現するような言い換えは必要な配慮だが、配慮やわきまえが脱線すると、単なる悪知恵や欺瞞にすり替わる。言い換えというより言い逃れだ

いい年をした大人の言い逃れほど見苦しいものはない。最近の永田町あたりでは見苦しさばかりが目立つ。有言不実行、おまけに言い逃れ

鳩山前首相の引退問題などはまさに愚劣なレベルだが、それ以外にも言い逃れが平然と横行している。沖縄の基地問題をはじめ重要政策が“脱兎”のごとくコロコロ変わる

昨年暮れにまとまった税制改正大綱にしても、税制自体の再構築なのか、今年行われる統一地方選対策なのか、まるで“二兎を追う”かのような迷走ぶり。「信義」という言葉が死語になりかけているかのようだ

調子に乗っていた兎よろしく、亀にどんどん追い抜かれているのがわが国の現状だ。あざとい欺瞞ばかりでは、“因幡の白兎”と同じ悲惨な末路が待っている。